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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/12/10

    歌手よし、指揮よし、演出よし。この魅力的なオペラの理想的な映像ソフト。ペーターゼンは小悪魔的なマリエッタにぴったりなだけでなく、パウルを妄想から救い出そうとするけなげな面も見せる(夢の中だけど)。この役には彼の声は少し重すぎるかとも思ったが、カウフマンの達者な歌と演技は相変わらず見事。指揮は通俗音楽に寄せたノスタルジックな面と20世紀音楽らしいモダンな側面をバランス良く表出。第2幕フィナーレあたりの畳みかけは、いかにもペトレンコらしい。
    演出は完全な現代化演出だが、非常に巧み。特に第1幕終わりで登場するマリーの亡霊が抗がん剤の副作用でスキンヘッドになった姿なのは秀逸。これで彼女の遺髪が保存されている理由が良く分かる(このアイデア自体は映像ソフトになっていないウィーンのデッカー演出と同じだが)。この亡霊(
    とその分身たち)は第2幕、第3幕でも要所要所に登場し、パウルのオブセッションを印象づける。演出としては難所の「教会の行列が部屋の中に侵入してくる」シーンの見せ方も実にうまい。最後が従来通り、パウルの自殺を暗示して終わるのではなく、亡き妻の写真と遺髪を燃やした彼が妻の死という現実と向き合おうとするところで終わるのも新鮮だし、現代ではそうあるべきだ。

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     2021/12/09

    またしても、やりたい放題やってくれましたね。第4番は提示部反復をすれば10分を超える、しかしハ短調のまま終わるかに見えて、とってつけたようにハ長調に転調して終わってしまう終楽章がどうも締まりなく、これをどう終わらせるかが大問題。この演奏は最後に思い切ったリタルダンド、しかも終結和音をディミヌエンドにしている。完璧な解決策だ。第5番は第1楽章は「すっきり爽やか」だが、第2楽章は速いテンポ(8:15)にも関わらず、ト短調への転調部など、すこぶる陰影が濃い。ト短調のメヌエットはきわめて峻厳、トリオもアーノンクールと違ってテンポを落とさない。さらに最後に急激なアッチェレランドをかけて非常に速い終楽章へのブリッジにしている。終楽章でも提示部反復の時だけ第二主題を遅く始めて、アッチェレランドでテンポ・プリモに戻すなど、ここでもやりたい放題。

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     2021/10/29

    もちろん発売直後に買ったのだが、どうも納得できないところが多くて、あと何度か聴いてみようと「寝かせて」おいた。でも、やはり疑問は解消できなかった。特に失望したのは第14番。歌手は二人とも良い。オポライスのキャラクターへの憑依力は「ローレライ」「自殺」以下の各曲できわだっているし、ツィムバリュクも粗いところのない美声なバスだ。しかし、指揮は美しいが緊張感のない音響のたれ流しに終始し、最後まで心に響かなかった。交響曲とはいえ、作曲者にとってはより重要なジャンルである弦楽四重奏の拡張版であるこの曲、ネルソンスには最も合わない曲だったと言うしかない。ボストン響の美演をベースにしたこの全集、もとよりグランド・マナーな所が取り柄であったわけだし、これが現代のショスタコーヴィチ演奏のトレンドなのだと言われれば、そうかもしれない。けれども、切れば血が出るようなロストロポーヴィチから、ささやき声から絶叫まで極大の振り幅を誇るクルレンツィスに至る音盤で養われた第14番についての私の感覚は、そう簡単には変えられない。
    第1番と第15番の組み合わせはゲルギエフもやっているが、とてもいいセンス。両曲ともオケをマッスとして扱わない「管弦楽のための協奏曲」だからだ。こちらは第14番ほど悪くないと思うが、尖鋭さという点では、近年の録音に限っても、ヴァシリー・ペトレンコに負けている。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/10/23

    音楽面では非常に水準が高い。ストゥンディーテ、グリゴリアンともに本当に声が良く伸びる。細やかさも申し分なく、この二人がやはり圧倒的。バウムガルトナーも悪くない。ヴェルザー=メストとウィーン・フィルがいつもの洗練にとどまらぬ、逞しい表現力を見せるのは、作品の性格をそのまま反映したとも言えるが、コロナ下ゆえの特別なテンションの高さか。
    現代の衣装によるワルリコフスキ演出、今回の新機軸は以下の通り。1)音楽が始まる前に、夫を殺したばかりのクリテムネストラが出てきて、これは娘イフィゲニアを生贄にされたことの復讐であると自己主張する(ホフマンスタールの台詞ではない。ソポクレース原作の独訳か?)。2)エレクトラのモノローグおよび終盤でアガメムノンの亡霊(もちろん黙役)が舞台に出てくる。3)クリソテミスがボーイッシュとも言えるタイトないでたちなのに対し、エレクトラは花柄のスカートを履いている。従来のクリシェの逆を行こうという意図。クリソテミスは母親とその愛人殺害に積極的に関与するなど、明らかにキャラを変えている。4)副舞台としてクリテムネストラの部屋が設けられ、さすがに殺しの瞬間は見せないが、殺害後の状況をリアルに見せる。血しぶき、さらに不気味な蠅の大群を見せるプロジェクション・マッピングは終盤、大活躍。映像投影が派手な分、歌手たちの演技そのものが控えめなのは、近年の演出の悪弊ではあるが、全体としては新解釈の意欲は大いに買える。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2021/10/11

    4つのスケルツォはその激しさ、シリアスさにおいてショパン全作品中でも高峰の一角をなす重要なジャンル。ほとんど時を同じくしてチョ・ソンジンの新録音も出た。あちらも切れ味鋭く、端麗な申し分ない出来ばえだったが、この録音はもはや別格とさえ言える。ベアトリーチェ・ラナを「新鋭女流ピアニスト」ぐらいに思っていた認識を改めねばなるまい。1番、2番、4番とも中間部は悠然と歌うが、主部もまた畳みかける所と立ち止まる所のコントラストが鮮やか、しかも間のセンスが実にいい。1番などホロヴィッツのように一気呵成に突進するかと思いきや、最後まで余裕綽々だ。2番も冒頭の応答音形から左手のえぐり、右手高音部のきらめくようなタッチに至るまで、この聞き慣れた名曲を初めて聴くよう。誰とも似ていない個性的な演奏と言えば、思い浮かべるのはポゴレリッチ、プレトニョフ(2000年カーネギー・ホール・ライヴ)だが、表情の多彩さでは彼らを凌ぐほど。練習曲集 Op.25もまた凄い。この曲集では、かつてのポリーニの録音が無敵だと思っていたが、ラナを聴いてしまうとポリーニですら音楽の縦構造、ポリフォニーの把握に弱点があったことを思い知らされる。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2021/10/10

    ピアノ協奏曲の緩徐楽章のみならず、両端楽章でも旋律装飾を試みた演奏。しかも、これまでに聴ける限りでは、最も大胆なタイプのものだろう。特にK.503は構えは大きいが、どうも内容空疎で、最後の8曲のピアノ協奏曲中ではいちばん魅力薄な曲だったが、奔放な旋律装飾で面目を一新した感がある。もちろん譜面は残っていないのだが、モーツァルト自身が弾いた時には、このようなインプロヴィゼーションを加えたのであろう。K.466は曲の性格上、心持ちおとなしめだが、両端楽章の自作カデンツァなどは聴き応え十分。小回りのきくセントポール室内管の合わせも申し分ないし、間のロンド K.511もすこぶる美しい。ただひとつ、惜しまれる所があるとすれば、旋律装飾のセンスは称賛に値するのだが、ピアニスト自身のタッチの冴えがやや乏しく、音色的にほんの少し、単調と感じられるところか。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2021/09/05

    ウォーナー演出はもちろんトウキョウ・リングとは全く違うもので、パロディ色はなし。象徴的でありつつもかなりリアルな感触。各幕の舞台はDNAを表象する螺旋状の構造物が見られる塔のような建物のワンフロアといった感じ、これは良くできている。(神々ではない)人間達の衣装や調度などは現代のものにも見え、超時間的な舞台だが、ワルキューレ達のいでたちがすこぶるワイルド、いや明らかに土俗的なのが印象的。同じことはヴォータンにも言え、定番の眼帯ではなく、リアルな特殊メイクで右目をつぶしているが、どちらがフンディングか分からないような粗暴な人物になっている。第2幕の幕切れでも言葉でフンディングを殺すのではなく、実際に槍で刺し殺してしまう。『ラインの黄金』のヴォータンならこれでもいいかもしれないが、私が『ワルキューレ』のヴォータンに期待する威厳や孤独感といったものがほぼ感じられない。最終景はなかなか壮観だが、そのために第3幕冒頭(ワルキューレの騎行)からエンディング直前まで、ずっと大きな壁の前で演技せねばならぬというのは、本末転倒もいいところ。
    音楽面ではパッパーノの指揮が相変わらず好調。総譜の読みが深く、非常に立体的に音楽を響かせている。ただし、かつての指揮者で言えばショルティのような即物的な音楽なので、さすがにワーグナーになると「含みが乏しい」などと文句を言う余地もあろう。歌手はコノリーのフリッカも含めて女声陣の圧勝。ステンメはやはり現役世代最高のブリュンヒルデであることが改めて確認できる。マギーも(女性のお歳を話題にして申し訳ないが)実にキャリアの長い人。ドラマティック・ソプラノへの転身が成功した典型的なケースで、演技もうまいので、見応え十分。メジャーになる前のダヴィドセンが端役で出ている。スケルトンは声は立派だが、見た目に関しては、もう少しダイエットしてほしい。クプファーのように、あちこち走り回る演出じゃなかったのは幸いだが、これでは殺される前に息が切れてしまいそうだ。ランドグレンも声楽的には見事だが、前述の演出にも災いされて、私のイメージする『ワルキューレ』のヴォータンとはずいぶん違う。

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     2021/07/18

    「シューベルト時代の歌唱スタイル」による三大歌曲集の録音を完成したマルクス・シェーファーがパートナーを換えて、それ以外のシューベルト歌曲を録音したアルバム。作曲者の生前に出版された際に、一緒にまとめられた数曲ごとのツィクルスになっているが、「竪琴弾きの歌」3曲はもとより、Op.5の5つのゲーテ歌曲もしばしばこの順で録音されており、選曲そのものは特に目新しいものではない。このディスクの目玉は何と言っても歌い方そのもの。有節歌曲はメロディーが戻ってくるたびに違うし、ヴァリアントや装飾が多数、至る所で譜面通りに歌わない。シューベルトの多くの歌曲を創唱したバリトン歌手(ハイ・バリトンでテノール用の『冬の旅』も原調のまま歌ったという)ヨハン・ミヒャエル・フォーグルがこういうスタイルで歌ったことは確かなようだが、すべての曲で彼の歌った譜面が残っているわけではなく、実行は演奏者のファンタジーとデリカシー頼りだ。実は私もシェーファーの三大歌曲集第一作『美しき水車小屋の娘』ではあまり納得できなかった。けれども、これは特に曲との相性が悪かったようだ。演奏者の考証と演奏経験の積み重ねに加えて、私も慣れてきたせいで、しだいに面白さが分かってきた。リーフレット所収の演奏者たちのインタヴューによると「竪琴弾きの歌」はフォーグル版の譜面が残っているようだが、かつては「改悪」と非難された劇的なこの版も悪くない。有節歌曲の「漁師」D.225などはいかにもという感じだし、「トゥーレの王」D.367も終盤、全く楽譜と違うが、これはこれでありだ。
    選曲に目新しさはないと述べたが、最後の「4つのリフレインの歌」Op.95がまとめて歌われるのは珍しい。「見分け」D.866-1と「男はたちの悪いもの」D.866-3は女の子用の歌詞で、男声歌手が歌うことはまずないからだ。この2曲でのシェーファーの「男の娘」ぶりは痛快。音大教授でいかにも謹厳そうな人だが、こんなお茶目なところもあるとは意外。

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     2021/07/15

    2016年にグローガー演出に取って代わられた一世代前のプロダクション。これが今になってディスク化されたのは、ロイヤル・オペラも昨年は閉鎖を余儀なくされ、新しいコンテンツがないせいだろうが、発売の意義は十分にあった。特に素晴らしいのはヘンゲルブロックの指揮。もちろんスタイルはHIPだが、細かい緩急の変化、硬軟の表情の使い分けが見事。歌手陣も水準高い。ベングトソン、アダモナイトは単体としての歌の魅力はイマイチかもしれないが、アンサンブルとしてはとても良いし、二人とも金髪美女なので、本物の姉妹に見えるところは高評価。2006年ザルツブルクに続いてドン・アルフォンソを余裕綽々で演じるトーマス・アレンが舞台を引き締めている。
    ジョナサン・ミラーの現代化演出だけは残念。似た仕様のドリス・デーリエ演出(ベルリン国立歌劇場)などに比べると発想が貧困だ。たとえば、最初から最後まで同じセットを使い回すので、せっかく舞台上に置いてある姿見をもっと効果的に使えるはず。第1幕フィナーレの「磁石のお医者様」も看護婦二人を率いて登場、普通に「アルバニア人」たちにAEDを使うだけだ。これじゃパロディにも、何にもならないでしょ。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/07/10

    歌手陣はとても良い。ドライシヒ、クレバッサ以下、ほぼ理想的な布陣。最小限のものしか舞台上にないロイ演出も心理描写が細やか。登場人物6人だけのこのオペラは予想通り、彼のスタイルに合っている。それでも満点は付けられないのは、上演時間の制約のため仕方ないこととはいえ、若干のカットがあるせい。やはりこれは特別な年の特別なドキュメントと言うべきものだろう(ブルーレイが出ないのも、そのせいか)。もちろん致命的とは言えないカットだが、ダ・ポンテの作劇術は本作では神業の域に達しているので、この程度でも不満を感じざるをえない。たとえば、この演出では、ドン・アルフォンソは単なる狂言回しにとどまらぬ、女性不信のトラウマを抱えた悲劇的な人物として作られているが、デスピーナの第1幕のアリアがあれば、彼女の男性不信の方も、もう一押しできただろう。またフィオルディリージは貞操は固いが、ちょっとアナクロな、トロい人物として描かれがちだが、この演出では非常にデリケートな、傷つきやすい女性として描かれている。そうなると、第2幕でのフェルランド、グリエルモのアリア計3曲がすべてないために、士官たちのキャラクターの方は掘り下げが浅く見えてしまう−−第2幕でのフィオルディリージの「ロンド」の間に二組の恋人たち全員が舞台に出てくるのは、それを補おうとする演出であろうが。指揮は残念ながら不満。スタイリッシュではあるが、前述の「ロンド」以外はさらさらと音楽が流れすぎる。演出の路線に合わせて、ここぞという所では、もっと濃い表現を持ち込んでも良かったと思う。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/06/02

    とにかく速い。終楽章は16:18で、長年破られなかったショルティ/シカゴ(1971)の最速記録16:28をついに抜いた。演奏時間100分のクレンペラーを有難がっていた時代が嘘のようだ。ドイツ・ロマン派風の「夜の音楽」としてこの曲を理解している人は第1楽章展開部の大半を占める挿入部などは、もっとたっぷり聴かせてほしいと思うだろう。けれども、二つの「夜曲」も第2楽章は行進曲、第4楽章は18世紀風セレナードのパロディであって、この曲、本格的な緩徐楽章のない交響曲であることも確かなのだ。これまでに聴いたことのない声部が聞こえるキリル・ペトレンコの本領を最も発揮しているのは第2楽章。木管のトリルからコントラバスまで、音楽が恐ろしく立体的に聞こえる。彼特有の「えぐり」は弦楽器が一斉に下降した後のチェロの一撃(189小節の頭)が凄い。終楽章では音楽をどんどんドライヴしてゆく、この指揮者のライヴでのノリの良さが最良の形で発揮されている。
    かつてネット上にあった(音だけ)2016年の5番では、かなり荒れ気味だったバイエルン国立管だが(日本での演奏もあまり感心しなかった)、ここでは見違えるような高精度の演奏を披露。拍手はなし。オフマイク気味の録り方だが、二日間の演奏をうまく編集しているようだ。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/04/10

    N響でも振ったことのある第2番が圧巻の名演。フルトヴェングラー風にわざとアインザッツをずらした冒頭和音からアイデア満載。緩徐楽章のないこの交響曲を速めのテンポでスタイリッシュに聴かせてくれる。一方の第4番はことごとく「定番」を外しにかかった演奏。終楽章など、ムラヴィンスキー流に速いテンポでぶっ飛ばせば、それだけで絶大な演奏効果が得られる曲。パーヴォもやろうと思えばできるはずだが、故意に演奏効果狙いの行き方を避けて弱音部や裏の声部を丁寧に表出、チャイコフスキーの心の襞を描こうとしている。オケの派手にならない響きを逆利用しようというわけだ。指揮者のやりたいことは良く分かるが、どうしてもわざとらしい感じをぬぐえないのがマイナス。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2021/03/24

    法悦の詩は前回のフランクフルト放送響との全集でも合唱付きの版で録音されていたが、誰の編曲か明記されていなかった。今回のCDでアーロノヴィッチ編と判明したのは収穫。ただ、私の趣味としては、こんな最後だけの取ってつけたような合唱(もちろん歌詞はなし)は要らないな。法悦の詩は今回の録音も悪くないが、2番は明らかに前回録音の方が上。年のせいか全体にテンポが重く、表情の変化が鈍い、ぼってりした音楽になってしまった。2番はスクリャービンの音楽としてはまだ中途半端なところがあるので、アシュケナージ/ベルリン・ドイツ響やワシリー・ペトレンコ/オスロ・フィルのような切れ味がないと、どうしても退屈してしまう。終楽章など、いかに「マエストーソ」 と書いてあっても、このテンポではもたれる。オケもフランクフルト放送響のような機能美は望めない。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/03/02

    皆さん最も関心を寄せるであろうキリル・ペトレンコの6番から書こう。シェフ就任後、最も見事な成果だと思う。中間楽章がアンダンテ/スケルツォの順であることもあり、曲のフォルムは堅固だが、随所でなかなか鋭い切れ味を見せる。アンダンテ・モデラートの速いテンポ、ティンパニ奏者に硬いマレットで叩かせるところなどはHIP由来のセンス。それでも音楽が激してくるとテンポが前のめりになるあたりは、この指揮者らしい。より柔軟でスケールの大きいネルソンス/ウィーン・フィル(2020年ザルツブルク音楽祭)とは好対照な硬派の演奏。そうした部分的な「熱さ」と古典的な形式を兼ね備えた6番を最初に取り上げた理由は実に良く分かる。今シーズンは全く違った構成原理による9番をどう振るか、5月の演奏会に注目。
    他にはネルソンスの2番が貫祿の名演。2018年夏のザルツブルクでのウィーン・フィルとの演奏より一段と練れた解釈で、彼の柄の大きさが生きている。ライプツィヒ(中部ドイツ)放送合唱団も見事な出来。ラトル指揮の8番は2010〜2011年のマーラー・ツィクルス中、2番と並ぶ随一の成果だし、2016/2017シーズン開幕演奏会の7番も彫りの深い圧巻の演奏。彼がいかに優れたマーラー指揮者であったか、実感できる。ネゼ=セガンの4番は「毒」が少ないのが不満だが、まあ悪くないか。ハーディングの1番はコンセルトヘボウのセットより、ずっと良い。逆に伸び悩みを感じるのはドゥダメル。3番、5番ともエッジを削って、きれいに整えられた「カラヤンのような」演奏。指揮者の能力の高さは明らかだが、5番などシモン・ボリバル・ユース・オーケストラとの意欲的な演奏(2006年)の方が良かったと思う。今どき、きれいなだけのマーラーなんて、誰が望むのか。ハイティンクの9番は色々な演奏が見聞きできるようになったが、一般的なイメージに反して、この曲は彼に最も合わない音楽だと思う。
    最後にセットの作り方について注文。3番の第5/第6楽章、9番の第3/第4楽章の間でCDを替えねばならぬならぬという仕様は、いかにも製作者のセンスの悪さを感じる。番号順に並べるとしても、前者は3番と4番を分け、ごく普通に行われているように、3番一曲でCD2枚にすれば、こんなことにならないし、後者は9番の第2楽章と第3楽章の間で切れば、何の問題もない。ブルックナー全集ではラトル指揮の9番・四楽章版を入れていたのに、ハーディング指揮の素晴らしい10番(クック版)がないのも、やはりまずい。アバドを入れたければ『大地の歌』を取れば良かっただろう。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/02/16

    第1、第3楽章あたりはもう少し遅いテンポの、HIPとロマンティック様式のハイブリッド狙いかと予想したが、全く外れ。基本的なテンポ設定はアントニーニやエラス=カサドと変わらない。今回も賛否両論必至。現代の大編成オーケストラによる、すこぶる刺激的なHIP演奏だ。第1楽章第1主題の提示からして、実に激しい。再現部ではティンパニの波状攻撃に加えて、トランペットの猛爆(アメリカのオケはこれだから下品で嫌だと嫌われそうだが)。しかし、そんな中にあれこれ手練手管を忍ばせているのが、いつものホーネック流。詳しくはリーフレットでの指揮者自身の解説を読みながら聴いていただきたいが、たとえば第1楽章コーダの入りの葬送行進曲風楽句では、はっきりとテンポを落とし、弦楽器はスル・ボンティチェロで不穏な雰囲気を出している。スケルツォも猛烈に速いが、リピートは定番通り実施。トリオ直前のトランペットの畳みかけなど、いかにもという感じだが、トリオは楽譜通り、主部より速くなる。このテンポでは例のホルンのパッセージなど、大した名人芸だが、ここは一回ごとに表情を変え、だんだん遠ざかってゆくように奏でられている。
    あざとい工夫が最も目立つのは、もちろん終楽章。冒頭のプレストに応ずる低弦のレチタティーヴォはイン・テンポではない。テノールがヴェルナー・ギューラであるように、歌手陣は軽く、柔らかい声の人、ノン・ヴィブラートで快速テンボに対応できる人ばかりが選ばれているが、中国人バリトン、シェン・ヤンも柔らかい美声の持ち主。冒頭の低弦レチタティーヴォは完全に彼の歌パートを先取りしている。実際に歌が入ってからも、ピツィカートの意志的な進行、木管がきれいに歌パートにからむなど、芸が細かい。トルコ行進曲に続くフガートも定番通り速いが、私がいちばん面白いと思ったのは、それに続く「歓喜の歌」の再現部。マゼールなどは壮大さを意図してテンボを落とす箇所だが、この演奏は前のテンボのまま突き進む。ここの音楽はロマンティックで荘厳なものではなく、revolutionary urgency(革命的な切迫感)を持つものだと指揮者は書いている。ベートーヴェンはなぜシラー自身もあまり高く買っていない、学生がビールジョッキ片手に腕を組んで歌うような歌に作曲したのか、と批判されることもあるが、これほどこの歌の「酒席歌」的キャラクターを鮮明に出した演奏は初めてだ。合唱のテンションの高さも圧巻。アンダンテ以後もドイツ語発音の強弱に合わせて楽譜にないディミヌエンドを入れるなど、あれこれ面白いが、長く書きすぎた。やや遅めのテンポの二重フーガでクライマックスに達した後は、熱狂的な速さ。最後のマエストーソでしっかりタメを作った後の管弦楽後奏は現代オケでフルトヴェングラーを再現したよう。
      

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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