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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/02/23

    ほぼ同じ演目によるリサイタルを聴いたばかり(2月12日、浜離宮ホール)。超重量級の曲目だし、前回(2012年11月)の印象からかなりのミスタッチを覚悟で出かけたが、技術的精度が格段に上がっていたのには驚嘆した。これなら鬼に金棒と言いたいところだが、ペダルを控えて音の粒立ちを重視する伝統的なピアノ演奏の美観に根本的に反逆するような彼女の弾き方を嫌う人はまだ多いだろう。しかし私は、ペダルによる「ぼかし」効果を多用し、速く強く弾く所では内声部が潰れようが、音が歪もうがお構いなしという彼女の行き方を断固支持したい。
    さて、そこでまず『展覧会の絵』だが、最初のプロムナードで誰もがぶったまげるに違いない。テンポも強弱も、楽譜の指定を完全無視。この曲はホロヴィッツ、プレトニョフなど独自の編曲版で弾く人も多いから、ブニアティシヴィリ版だと思えばいい。しかし、これまでのヴィルトゥオーゾ達が名技性の強調を目指して音を付け加えてきたのに対し、彼女の狙いは組曲全体のプログラム的な一貫性をさらに強めることにある(少なくとも元の楽譜にない音符を加えている箇所はないように聴こえる)。たとえば冒頭のプロムナード、楽譜通りだと鑑賞者はまっすぐに目的の絵の所に向かうような印象だが、ブニアティシヴィリ版では故人を偲びながらその遺作展の会場をゆっくりそぞろ歩いていると、思いがけず「おぞましい」絵にぶちあたる。他には「ビドロ」が極端に遅いので、その前の「テュイルリー」は速めのテンポで軽く弾かれる、など曲と曲、さらには曲の各部相互のコントラストが考えうる限り最大にとられている。
    けれども、このCDでは(実際のリサイタルでも)『展覧会の絵』はまだ前座に過ぎない。次は、腕に覚えのピアニスト達が今やこぞって弾いている『ラ・ヴァルス』ソロ版。これももちろん凄いが、最後に彼女のオハコ、『ペトルーシュカからの3楽章』が控えている。楽譜通り弾くだけでも大変な曲だが、もはや彼女の関心は、きれいに完璧に弾くことには全くない。曲自体が完全に彼女の血肉と化しているようで、ジャズピアニストの即興演奏のように奔放に弾く。リズムの緩急、タッチの硬軟、ぼかした中間色から原色をぶちまけたような色彩の乱舞まで、あらゆる表現技法を総動員したまさしくカレイドスコープ(万華鏡)。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/17

    サシャ・ヴァルツにヴェーヌスベルクの場の振付だけでなく、全体の演出を任せた時点で、こういう舞台になることが期待されていたのだろうが、バッカナールの部分だけでなく、全体にわたってほぼ常に舞台上にダンサーがおり、オペラとバレエが完全に融合したような演出。ダンサーがいない場面、たとえば「夕星の歌」でもヴォルフラムがバレエの振付のような動きをするのが面白い。音楽重視の人は舞台上のダンサーが目障りだと言うかもしれないが、作曲家自身もその不出来さに頭を抱えることになる「歌合戦の場」のように『タンホイザー』は退屈、凡庸なページもなくはないオペラだから、このような試みは大いに支持したい。ただし、人物達の服装が19世紀以降のものなのはタンホイザーをワーグナー自身の分身と見る解釈なのだろうが、それ以外の部分では根本的な読み替えはなく、最後もごく穏当なエンディング。その点では、クプファー演出などの方が異教の神とキリスト教の間で引き裂かれたタンホイザー=ワーグナーの分裂を深刻にとらえていたと言えるだろう。シラー劇場での上演なので、大がかりな装置はほとんど無いに等しい簡素な舞台。
    これが三度目の映像ディスク登場となるザイフェルトの題名役は安定しているし、今回が最も良いのではないか。見た目は例によって巨体だが、この役はちょっとくたびれた中年オジサンでも構わないと思う。女声陣は見事に美女二人を揃えた。デンマークのソプラノ、アン・ペーテルセンのエリーザベトも好ましいし、プルデンスカヤはこの役には声が軽すぎると思うが、よく健闘している。マッティのヴォルフラムは理想的な演唱で、素晴らしい。緩急の起伏の大きいバレンボイムの指揮もすこぶる強力。第2幕終わりのコンチェルタートの目覚ましい盛り上げ方、「ローマ語り」の雄弁な伴奏など見事だ。序曲はそのままバッカナールに流れ込むが(いわゆるパリ/ウィーン版)、それ以外はドレスデン版による演奏。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/16

    ユジャ・ワンはこのままラフマニノフやプロコフィエフの超絶技巧曲を弾き続けてゆくのだろうか。もちろん指の回りに関しては何の不足もないが、体格的なハンディは簡単には補えないので少し考えた方が良いのではないか、などと思っていた所にこの新譜。ブランギエ指揮によるラヴェル管弦楽曲全集の一枚目ということで、たまたまこうなっただけかもしれないが、今後の彼女の進路を暗示するような録音ではある。ちなみに、ロイヤル・コンセルトへボウと共に昨年来日した彼女はチャイコフスキーの2番の協奏曲を弾いたのだが、これなども実に頭の良い選曲だった。1番以上に技巧的な曲だが、チャイコフスキーなりの古典派へのオマージュもあり(楽器編成にトロンボーンを含まない)、独奏者が先に立ってオーケストラを引っ張ってゆくにふさわしい曲だからだ。さて、このディスクの両協奏曲ではまず「ト長調」が期待通りの痛烈爽快な快演。切れ味の鋭さではアルゲリッチの二種の録音を凌ぐほどだ。指揮も実に良い。第1楽章が第2主題部に入ると、完全に和声が変わって「異世界」が出現する様など、まことに鮮やか。陰鬱な「左手」はちょっと現在のユジャ・ワンの手には余る感があるが、「ト長調」一曲だけでも十分、5つ星に値する。フォーレの『バラード』がピアノ・ソロ版だったのは意外だが、これはもう少しユジャに花を持たせようという配慮か。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/16

    このところすっかり惚れ込んでいるのがこの一枚。輝かしいベートーヴェン全集の録音&録画でついに「世界に冠たる」クワルテットの座についたベルチャSQ。またレーベルを替えて新ウィーン楽派の作品集を出してきた。抒情組曲のカップリング曲と言えば、LP時代には同じベルクの弦楽四重奏曲 Op.3あたりと相場が決まっていたのだが、これは総演奏時間 80:32という盛り沢山なプログラム。新しい第2Vnのシャハーが「出」と「引っ込み」の呼吸を良く心得た人なので、かつてはエマーソンSQ似の双頭型クワルテットだったこの団体、結局は第1Vn主導、つまりはベルチャという名前通りの「女王様」主導の形に落ち着いた感があるが、持ち前の表現主義はもちろんまだ健在。このアルバムでは5つの楽章と抒情組曲の最後の二楽章が特に凄い。ヴェーベルンは無機的、冷たいというこの作曲家のイメージをくつがえすような演奏。何ともエロティックで、なまめかしい。抒情組曲はそもそも曲自体が、楽章が進むごとに表現の振幅が大きくなるように書かれているわけだが、この演奏では速い楽章はさらに速く、遅い楽章はさらに遅い。第6楽章「ラルゴ・デゾラート」は『ルル』の最終場みたいな陰鬱でクールな音楽という感触を持っていたのだが、これほど絶叫型の側面を見せるとは驚いた。ヴェーベルン、ベルクの後に置かれると『浄められた夜』はどうしても微温的に聴こえてしまうが、抒情組曲の最終楽章はまさしく「荒涼とした(デゾラート)」音楽なので、ちゃんとカタルシスの感じられる曲でアルバムを締めようとするのは仕方のないところ。もちろんこれも、きわめて起伏の大きい、濃密な演奏だ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/12

    新時代のディーヴァの誕生を言祝ぐプロダクションとしてこの上演、長く語り継がれることになるのではないか。オポライスはすでに『賭博者』『ルサルカ』『エフゲニ・オネーギン』の映像ディスクで素晴らしい演唱を見せているが、さらにメジャーな役に進出。マノンはプッチーニのヒロイン達のなかでも屈指のドラマティックな力が求められる上、文字通り「女の一生」を演じる必要があるという意味では、非常な難役だ。たとえば第1幕、ここでのマノンは田舎から出てきたばかりのうぶな少女という設定なのだが、これまでマノンを演じたどのソプラノも、そんな風に見えたためしはなかった。私はもうほとんど諦めていたのだが、ついにここに希有な例外が。そして思い知った。第1幕の時点で主演歌手がそういう演唱をできなければ、もうその時点でその上演は駄目なのだと。鬼気せまる第4幕のアリアに至るまで、オポライスはマノンになりきっている。相手役のカウフマンも彼女に触発されるところが大いにあったのではないか。イタリア・オペラではどうも違和感のあった彼だが、このデ・グリューは非のうちどころがない。他にはレスコー兄役のマルトマンが遊び人らしい、いい味を出している。
    昨年の来日公演、『ドン・ジョヴァンニ』に限って言えば、無難に振っただけにとどまったパッパーノだが、ここでは水を得た魚のように素晴らしい。主役二人の第2幕での熱烈な二重唱は火を噴くようだし、かつてシノーポリが入魂の名演を見せた間奏曲も惚れ惚れする。ジョナサン・ケントの演出も快調。現代化演出にとっては鬼門であるはずの第2幕の「マドリガル」「ダンス」、第3幕の「新天地アメリカへの船出」といったファクターを次々にクリアしてみせるのは、お見事。第2幕でのデ・グリューの登場のさせ方もうまいし(見てのお楽しみ)、仮に舞台がラスベガスなら「荒野」はごく手近にあるわけだ。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/31

    暑苦しいまでに情念のこもった、凄まじいエネルギーをほとばしらせる演奏。パーヴォ・ヤルヴィの4番/7番以来、10年ぶりにベートーヴェン交響曲のCDを買ったが、手応え満点の一枚だ。テンポは概して速め、第5番スケルツォ以外すべてのリピートを実施、ティンパニの強打や金管の強奏など明らかにHIPスタイルの特徴を備えている。にもかかわらず、最近流行の軽量級ベートーヴェンでは全くない。まずオケが昨今では珍しい大編成。第7番初演時の慈善特別演奏会の編成(18/18/14/12/7)にならって弦は対向配置ながらフル編成、管楽器も完全倍管であろう。第5番冒頭の運命動機はかつてフルトヴェングラーが著書で述べたように、基本テンポ枠外の「モットー」として扱い、一音ごとにアクセントを付ける。これも最近の傾向と反対だ。第7番第2楽章の終わりは両クライバー(エーリヒ&カルロス、ウィーン・フィル時代のホーネックはカルロスの指揮で弾いたことがあるわけだ)にならってピツィカート。つまり、かつての巨匠指揮者時代の様式とピリオド・スタイル、両方の「いいとこどり」をしようという欲張った企てなのだが、折衷的にならず実にうまくいっている。大編成にもかかわらず、いわゆるオーセンティックな演奏が聴かせてくれた細やかなニュアンスがちゃんと取り込まれているのだ。第5番第1楽章コーダでのティンパニによる運命動機リズムの強調、ホルンの音を割った強奏など定番通りとはいえ、やはり凄い。第7番では早くも第1楽章序奏からリズムの処理がきわめて尖鋭。ヴィオラ出身の指揮者らしく、羽毛のような軽いタッチから強靱なアタックまで、弦楽器の扱いが自在なのも大きな強みだ。第4楽章はもともと速く始まるが、再現部からさらに加速、低弦のオスティナート上の展開で大いに盛り上げた後(対向配置の効果は絶大、さらにここではかつて良く行われたように、楽譜にないディミヌエンド/クレッシェンドを加えている)、最後の楽節でもう一段のアッチェレランドをかける。百名近いオーケストラがこの猛スピードで驀進する様は圧巻。ピッツバーグ響一丸の献身ぶりも感動的だし、このオケの派手すぎない「中欧的」な音色が生きている。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/13

    予想通りのすこぶるマニエリスティックな録音で、前作の『魔笛』と比べてもさらに奔放。普通の『後宮』が聴きたい人には薦めないが、面白いことこの上ない。まずセリフがかなり書き足されている。そしてヤーコプス先生の考証(これはかなりファンタジーだと思うが、だからこそ良いのだ)に従って、セリフ部分の伴奏に随所でフォルテピアノが加わってくるばかりでなく、そこには鍵盤楽器作品のみならず(もちろんかの「トルコ行進曲」も打楽器付きで出てくるが)『ツァイーデ』から『フリーメーソンのための葬送音楽』まで様々なモーツァルト作品が引用されている。音楽パートも非常に演劇性の強い作りで、コンスタンツェの大アリア「ありとあらゆる拷問が」の途中にセリムのセリフが挟まれたり、ペドリッロのロマンツェなどは「おい、もう時間がないぞ」というベルモンテのセリフが挟まれた後、終わりの部分は猛スピードで駆け出したりする。純粋に音楽だけが聴きたい人は怒り出しそうだが、これはこういう録音だと思ってもらうしかない。譜面通りの演奏では全くつまらない、最後の「ヴォードヴィル」も華々しい旋律装飾が行われている。しかし、ヤーコプスの指揮自体は意外にストレートでまとも。『魔笛』以来の手兵であるベルリン古楽アカデミーのうまさにも舌を巻く。
    歌手陣は若手中心だが、技術的に高度であるばかりか、キャラクターの表現もみな的確だ。特に気に入ったのはノルウェーのソプラノ、マリ・エリクスメンのおきゃんなブロンデとユリアン・プレガルディエン(あのクリストフの息子)のナイーヴなペドリッロ。オスミンのイヴァシチェンコはいくら何でも声が若すぎるが、本気でブロンデと結婚しようとしているわけだから、この役、中年オジサンでなくてもいいかも、と思い直した。これら若い歌手陣に対し、セリム役に歳をとった非常にアクの強い俳優を当てているのもこの盤の特徴。それだけに終盤での善人への変身はちょっと嘘っぽいが。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2015/12/13

    まさしく新世代の決定盤。この曲の録音では、長らくグルベローヴァ/ショルティのディスクが決定盤の名をほしいままにしてきたが、それに取って代わるにふさわしい現代楽器による録音。ネゼ=セガンの指揮はピリオド・スタイルを十分に踏まえつつ、速めのテンポで快調に進むが、全曲のちょうど真ん中に位置するコンスタンツェの大アリア「ありとあらゆる拷問が」ではアーノンクールのような凝ったアゴーギグを採用している。これは後述するようなダムラウのこの役に対する解釈を反映していると思われる。全体としては第3作まで録音が進んだモーツァルト・オペラ・シリーズの中では最も優れた指揮。それはもちろん、過去のニ作があまりにも難しいオペラでありすぎたせいで、それらよりシンプルで若々しい『後宮』では彼の美質が端的に感じられる。
    ダムラウはさすがに第一人者にふさわしい、素晴らしい歌。彼女はフランクフルトでもリセウでも、コンスタンツェはセリムを愛し始めてしまっているという設定のクリストフ・ロイ演出でこの役を演じていて、前述の大アリアも明らかにこの解釈に従っているように聴こえる。今となっては少々「お人形さん的な」グルベローヴァよりも、遥かに生身の女性らしい感情の動きがヴィヴィッドだ。もう一人のソプラノ、プロハスカも大変みずみずしい。一方の男声陣。実は私にとってベルモンテはタミーノと同じような類型的な王子様キャラで、さっぱり興味の持てない人物だが、ビリャソンの「熱い」歌のおかげで、はじめて血肉ある人間を感じることができた。ドイツ語のディクションはちょっと古風だが、それもいい味になっている。逆にオスミンは私にとって、このオペラの中で最も魅力的な人物。ゼーリヒは十分に性格的な、愛嬌ある人物として演じつつも、モーツァルト音楽のポリシーに従って「悪役」にはしない。これも大変素晴らしい。もう一人の私のご贔屓さん、ペドリッロはやや中途半端な役作りで、音だけの録音でも、もっと性格的に面白く演じられるはず。でも、これはほんの僅かな不満に過ぎない。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2015/12/04

    今になってこの録画がディスク化されることになったのは、ネトレプコ人気のせいかもしれないが、残念ながらここでの彼女はあまり冴えない。彼女の体重がピークだった頃の録画で、ドンナ・アンナはすでに手の内に入った役だから、歌は大過なく歌えているけれども、演技の方はいかにも体が重そうだ。しかし、他のキャストはきわめて充実。マッテイはセックス・アピール満載の「肉食系」な男ではないが、知的で、現代の誘惑者らしく孤独の影を漂わせるところが魅力的。レポレッロに「出戻り」したターフェルは硬軟自在の演唱でデモーニッシュですらある。きわめて情の深いフリットリ(最近の彼女はこのぐらい声域の低い役の方が良いようだ)、若いプロハスカも魅惑的だ。
    この演出の舞台はオペラハウスそのもの。つまりカーセン演出定番の劇中劇仕様で、ドン・ジョヴァンニは劇場の中で女漁りをするという趣向なのだが・・・『メフィストーフェレ』の「古代のワルプルギスの夜」のように、カーセンが劇中劇を使う場合、その理由がよく分かることが多いのだが、今回に限っては、最後まで「無理無理感」を払拭できなかった。第1幕なら「カタログの歌」(普通は見ているだけのドンナ・エルヴィーラが積極的にからむ)、四重唱(騎士長の葬儀という設定は秀逸)、第2幕なら「薬屋の歌」(ツェルリーナのサディストぶりは見もの)、六重唱(ドン・ジョヴァンニは舞台上の「客席」から一切を見ている)など個々の場面の作り方に関しては、見るべきものが多いのだが、全体としてはこの天才演出家らしからぬハズレ演出と言わざるをえないだろう。このように演出がコケてしまうと、バレンボイムの指揮はつまらないことが多いが、今回は例外。やはり彼にとってもスカラ座のシェフとして初めて迎える開幕公演は特別だったのだろう。もちろんピリオド・スタイルなど一顧だにしない旧世代様式のモーツァルトだが、緩急のアゴーギグを駆使した、劇的なくまどりの濃い指揮は大いに聴き応えがある。 

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     2015/11/28

    2013年スカラ座来日公演で見られたカーセン演出。スカラかコヴェントガーデンで映像収録されるだろうと思っていたら、何とメトだった。カーセンの仕事の中では最も無難な、保守的な演出ではあるけれど、20世紀半ばに時代を移すとともに(この変更は十分に納得できる)、「人間の三大本能」に忠実なファルスタッフのありようを端的に打ち出したもの。しかし「性欲全開」を舞台上で見せるわけにはいかないから、それを「食欲」で代替したというわけ。ちなみに「睡眠欲」は冒頭シーンの巨大なベッドで表現されている。改めて映像で見ると、レストランの中に場所を移した第1幕第2場、第2幕第2場のキッチンでの大騒ぎなど細部まで実に良くできているのが確認できる。日本で見たときは最後のフーガの場面、料理(もちろん作り物だけど)が並べられた結婚披露宴のテーブルの上を人物達が歩くのにちょっと抵抗があったが、ちゃんと微修正されて問題なくなっている。逆にナマではそんなに感じなかった第3幕第1場が映像だと思いのほか暗く、よく見えないのを除けば、完璧な演出と言ってよい。
    マエストリの題名役の見事さについては、今さら言うまでもない。かつては見た目が若すぎるのが難点だったが、それもちょうど良い年齢になってきた。女声陣はフリットリ、バルチェローナを揃えたスカラ座公演に及ばぬのは仕方がない。ミードもブライズもそんなに悪いとは思わないが(体重だけではなく)芝居が重いのが私の好みではない。めでたく復帰したレヴァインの指揮、ザルツブルクのメータのように枯れきってはおらず、まだ十分にみずみずしいが、私の理想であるグラインドボーンのユロフスキに比べると、過剰にシンフォニックで少し腰が重い感じがする。

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     2015/11/27

    まさしくネトレプコの独り舞台と言うべき圧巻の映像。カラスのように一声でキャラクターの邪悪さを表現してしまうようなタイプの歌手ではないとしても、今が盛りの豊麗な声を生かして、強靱な登場のアリアから繊細な「夢遊の場」まで自在に演じる。宴会の場での「乾杯の歌」では一度目と二度目で完全に表情を変えるなど、まことに芸が細かい。眼力(めぢから)の強烈さ、演技のうまさも彼女の大きな武器。ブロンドのかつらをつけたハリウッド風ヴァンプといった出で立ちで完全に舞台を支配している。対するルチッチはすっかり霞んでしまっているが、演出も夫人の尻に敷かれただけの脳筋男という作りなので、まあこの程度で十分か。一方、パーペのバンクォーは最初から腹にイチモツありの悪い奴にしか見えないし、亡霊になってからも存在感抜群。この人物はもう少し単純なキャラクターと理解していたのだが。
    演出は時代を20世紀半ばに移しているが、何ら必然性が感じられない。反政府軍が緑の旗を持っているだけで「バーナムの森が動いた」というのも変な話だし、両軍、銃を持っていながら、戦闘シーンは殴り合いというブザマな有り様に。ダンカン王殺害の場と夢遊の場のヒッチコック風「電灯揺らし」ぐらいしか芸がない中途半端な演出なのだが、チェルニャコフのように完全に現代化しようとして失敗するよりはマシか。最後にルイージの素晴らしい指揮だけは、ぜひ讃えておこう。様式感をしっかり保持した上で、すこぶる表現主義的な、尖鋭かつ繊細な表情を持ち込んでいる。相変わらずお見事。

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     2015/10/18

    近年のハーディングの仕事からは「若さに似合わずご立派」と「若いんだからもっと暴れていいのに」という相反した印象を受けることが良くある。結局、同じ現象の表裏なんだけどね。今回の録音もその典型。もう一息、他の誰とも違う「ハーディング印」の刻印が欲しいけど、中間楽章がアンダンテ、スケルツォの順であるせいもあって、古典的なすっきりしたフォルムを持つ演奏。反面、マーラーの音楽について、かつては良く言われた「頽廃」や「爛熟」の気配はほとんど感じられない。それを物足りないと感じるか、若々しく新鮮と感じるかによって、好みは分かれよう。第1楽章はまさしく的確、模範的なテンポで始まる。最近の録音で言えば、インバル/都響のように「マ・ノン・トロッポ」を過剰に意識しすぎてもいないし(つまり遅すぎないし)、アシュケナージ/シドニー響(配信のみ)のように猛烈だが、上滑りしたテンポでもない(速すぎない)。「アルマの主題」のつややかな歌い口、対位法への目配りなども申し分ない。スケルツォ主部とトリオのテンポの対比も理想的(ここでもやり過ぎない)。終楽章のアレグロ主部はやや遅く、余裕を持ったテンポで始めるが、展開部の間にだんだん音楽が熱してきて(特に第2ハンマー直後の猛烈な急迫はライヴらしい)、再現部での第1主題は明らかに提示部より速い。バイエルン放送響の柔軟かつ真剣な演奏も文句の付けようがない。しかし、若い若いと言われたハーディングも今年でついに40歳。このオケとは対照的な、元来かなり「やんちゃ」なパリ管に行って、どう化けるかな。

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     2015/10/17

    来日公演でも圧倒的な名演を聴かせた7番がいよいよ登場。一昔前までは支離滅裂だの分裂症気味だのと散々言われた7番だが、ごく普通に絢爛豪華な大交響曲として聴けてしまうのは、今や技術的にもすこぶる高度、かつ楽想の急転をものともしないゲヴァントハウスのオケとしての一体感ゆえか。最近のこのコンビの特徴は、ここでも明瞭に聞き取ることができるが、テンポは概して速め。特に中間三楽章は15:03/9:21/11:46とかなり飛ばしているが、そんなに落ち着かない印象はなく、楽想は十分に深く掘り下げられている。速いテンポながら第4楽章の繊細さ、ドイツのオケらしからぬ色彩感の豊富さは出色。他には強拍の頭に金管の強奏でアクセントをつける、ここぞという所でのティンパニの強打など、ピリオド・スタイル由来と思われる手口も随所で見られる。映像ではティンパニ奏者がこまめにマレット(ばち)を使い分けているのが確認できるし、終楽章では奏者二人がかりで1セットのティンパニをロール打ちする箇所などもしっかり撮られている。一つ前の9番、その前の5番と比べても、このコンビのスタイルが曲に合っているのは明らかだ。ちなみに、この盤から特典映像、つまり指揮者の語る曲についてのコメントが無くなったが、これはまさに正解。シャイー先生は下手に言葉で語らない方が良い。

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     2015/09/25

    やはりディヴィッド・ロバート・コールマン(1969〜)の新補筆版についての評価を真っ先に述べねばならぬだろうが、残念ながら、これが全く評価できない。様式的に違和感があるとツェルハ版で最も評判の悪かった第3幕第1場を全面カットしたほか、プロローグがないなど「ベルク自身の手で完成」とされてきた第2幕以前にも手を入れているが、第3幕第2場前半の明らかに薄いオーケストレーションなど、ツェルハ以上に変で、『ルル組曲』として出来上がっている後半のベルク自身のオーケストラ書法と整合しない。こういうものを新たに出す場合、新補筆者があれこれ自分の考えを述べるのが、最近の慣例であろうが(私の知る限り)これに関しても、驚くほど情報が少ない。少なくとも、シュターツオーパーのHPに掲げられた文章(同じものがDVDの冊子にも転載されている)が言うように、「劇的な緊張を高め、ベルクの意図したオペラの全体構図におけるシンメトリーを強調する」結果には全然なっていない。むしろ正反対なのは否定しようもないと思う。演出は舞台機構もあまり使えない、シラー劇場での上演に配慮したのか、アンチリアルに徹した、象徴的なもの。それなりに面白いが、好みは分かれそう。ルルの二人の分身(ダブル)を使って彼女の過去・現在・未来を同時に表現したというこの舞台、少なくとも筋をあらかじめ知っていなければ、見ても何も分からないだろう。『ヴォツェック』の時はなかなか良かったバレンボイムの指揮も、演出に調子を合わせたのか、あまり積極的な表現意欲が感じられず、手堅いがおとなしい。
    ただし、歌手陣だけはきわめて豪華。エルトマンのルルはほとんど動かない、というか演出家が彼女を動かさないが、やはりこの役で美人はお得。シンボリックな存在感は何にも換えがたいし、技術的にも非常に高度で、至難な「ルルの歌」など完璧だ。フォレのシェーン博士もネミローヴァ演出版に続いて相変わらず良いが、存在感と言えば、長身のポラスキが演じるゲシュヴィッツ伯爵令嬢も抜群。彼女がこの役にこんなに見事にハマルとは思ってもみなかった。

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     2015/09/12

    ロトのR.シュトラウスはどれも面白い。従来の演奏伝統を無視して、冒頭のティンパニ連打のくだりから快速テンポで突っ走る『ツァラトゥストラ』も痛快だが、曲との相性という点で言えば、やはりパロディ、アイロニーの気配が最も濃い『ドン・キホーテ』かな(最近では『英雄の生涯』も自己パロディだという声が高いけど)。さて、『ドン・キホーテ』の最終変奏、彼が友人カラスコとの決闘に負けた直後の部分ではティンパニの打ち続けるリズム、弦の主旋律の裏でトロンボーンが派手な下降グリッサンドを奏している。ドン・キホーテ(あるいはサンチョ・パンザ?)の嘆きの声といったところか。これまでの指揮者だって総譜にそう書かれていることは知っていたはずだが、ロトほどこの裏の旋律をはっきり聴かせようとはしなかった。これはいささかはしたない、どぎつすぎる、クラシック音楽の品位に関わるとでも思ったからではないか。これに対して、ロトの演奏姿勢はまことに単純明快であるように見える。そう書いてあるんなら、聴衆に聴かせなきゃ駄目でしょ。まして、この作曲者たるや、「品位」なんぞ蹴っ飛ばしてしまえと思っていた人なんだから。ロトのシュトラウスはまさにそういうスタンス、総譜に書いてあるものなら残らず引きずり出してしまえというスタンスの演奏だ。さらに『ドン・キホーテ』は決して協奏曲ではないにもかかわらず、いわば中途半端な曲だから、大物チェリストを招くと指揮者と独奏者が遠慮し合ってしまいがちだ。このディスクでのソリストは同じオケの首席奏者だから、その点でも遠慮なし。しかもドイツの放送オケは、今やどこも驚異的にうまい。

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