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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/11

    タイスはもともとアメリカ人ソプラノ、シビル・サンダーソンのために創られた役なので、フレミングが演ずるにふさわしい。例によって深みのないお嬢様芸との批判もあろうが、もともとヒロインの「改宗」が音楽としてそんなに説得力豊かに描かれているわけではないし、美人であるのは確かなので、これもまた悪くない。もう少し性的欲望のうずきが見えるような演唱だと良かったが、ハンプソンのアタナエルもイタ・オペに比べれば違和感は少なく、ハマリ役の一つか。しかし「霊と肉の葛藤」はどこへやら、4回もお着替えするフレミングのファッション・ショーに堕してしまった凡庸な演出は非難を免れまい。バレエ音楽のカットも賛成できないし、百年前のサンダーソンは上半身裸も辞さなかったというのに、何ともお上品過ぎる。ヒロインの衣装を除けば、メトらしからぬ貧相な舞台はがっかりで、フリットリ/ノセダ(指揮)/ポーダ(演出)のトリノ組に大差をつけられてしまっている。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/03

    3番、2番、8番とやや下降線気味のこのシリーズ、しかも4番はゲルギエフの個性と合いそうにないなと思ったのだが、これは嬉しい誤算と言うべき素晴らしい演奏。例によって速めのテンポではあるが、今回はそんなに速すぎることはなく、むしろ心持ち小編成なのが幸いしたか、オケの各パートが雄弁に浮き彫りにされる「エッジのきいた」演奏。彫りの深い第3楽章までとは一転して、終楽章のクレイコムは極めてデリケートに、「腫れ物に触るように」歌っているが、見かけに反して、まさにそこにこそ私は痛烈なパロディを感じる(お前の考えすぎだと言われればそれまでだが)。9番はロッテルダム・フィルとの来日公演でも非常に良かったので、残りの2曲(『大地の歌』も録音するつもりなら3曲)が楽しみだ。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/18

    テンシュテットの2番(ちなみに、作曲者はこの曲を『復活』と呼んだことはない)はEMI正規録音もすばらしかったし、北ドイツ放送響(非正規盤)も良く、彼に最も合う曲の一つと思っていたが、あらゆる点でこの録音がベストだろう。決して爆演型ではないが、スケールの巨大さには目を見張るし、テンポの細かい操作や声部のバランスなど随所に彼ならではの作り込みが聴かれる。録音も前の6番とは段違いの素晴らしさで、最後の拍手がなければライヴと気づかぬほどだ。これだけ指揮が見事だとオケがベルリン・フィルかシカゴ響だったら、と無い物ねだりをしたくなるが、LPOだって十分に頑張っている。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/04

    ハンブルク稿の録音もすでに数点になるが、この盤の特徴は良く言えばライヴのような勢いのある、悪く言えば少々荒っぽい演奏。普段あまり聞こえない声部を強調するのは指揮者の趣味と思われるが、オケ自体かなり放縦で、縦の線が揃わないところも散見される。せっかくのスタジオ録音なのだから、もっと精緻に仕上げてほしいと思うのだが、速めのテンポと相まって若き日のマーラーの意欲のほどは感じられるし、この版の特徴はちゃんと聴き取れる。録音も物理特性自体は良好なのだが、打楽器の音が非常に強く、やや混濁気味。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2010/01/19

    ここに登場する中国は『蝶々夫人』同様、西洋人のオリエンタリズムの中の幻想の中国だから、別に本場物である必要を感じないが、それでも場違いなものがない舞台はありがたい。演出は手堅いが、トゥーランドットが登場のアリアの後、謎解きの場までに衣替えする、リューの死に方が普通と違うなど色々と工夫がある。第1幕では男装と言っても良いストイックな服で登場するトゥーランドットが最終場のピンクの服になるまで、彼女の「女」としての目覚めを丁寧に描いて見せるが、最近特に評判の芳しくない原作由来のマッチョイズム(男性優位主義)をどこまで払拭できたか。指揮は『指輪』より遥かに良い。もともとイタオペの経験豊富なメータだが、この曲は特に彼の押しの強さに合っている。グレギーナは名声にたがわぬ見事な声。演技もなかなか巧く、ニルソンのような過去のカリスマと比べない限り、申し分ない題名役と言える。ベルティはロブストな立派な声のテノールだが、特別な輝きに乏しく、なぜ彼が命を懸けてトゥーランドットを愛するのか、もともと分かりにくいこの人物の心理が説得力を持ったとは言えない。リューは健闘、とても好感が持てる。 

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/01/18

    ご存じの通り、マーラーは指揮者に対する指示をあれこれ総譜に記入する人だが、これほど徹底して楽譜の指示に従わない演奏も珍しい。その典型は1番の葬送行進曲で、マーラーの再三のテンポ上げの指示をことごとく無視した結果、べったり遅いテンポ(12分50秒)になっているが、独特な味わいがある。つまりロシアうんぬんというより、スヴェトラーノフ晩年の個人様式によって完全に塗り固められた演奏だ。小回りのきかない人なので、シャープな局面の変化が求められる曲(たとえば7番)はまるで駄目だが、おおらかさといざと言う時の驀進力はやはり目覚ましい。6番はこれだけ拍手入りのライヴで、全曲中最初の録音だが、金管の咆哮、打楽器の強打などテンションの高さは尋常じゃない。ついでは何もかも巨大な3番が魅力的。最近では非常に緻密に演奏されることが多い9番も一筆書きのような破格の演奏だが、面白いところが随所にある。凄まじいテンポで一気呵成に突進する第3楽章(10分25秒)はおそらく史上最速だろう。ロシア語訳で歌っているのかと聞き違えるほど、ナマリの強い歌手たちのドイツ語発音(特にアルトのアレクサンドロヴナ)もご愛嬌。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/12/27

    ワシリー・ペトレンコは『マンフレッド交響曲』以来、先物買いしている、サンクト・ペテルブルク出身の新鋭指揮者。ユロフスキ(LPO)のような器用さがあるかどうかはまだ未知数だが、若手らしいシャープな感性とともに、きわめて表現意欲旺盛な指揮者で、表出力の強さでは、ご存じLSOを率いるゲルギエフを凌ぐかもしれない。ショスタコーヴィチ・シリーズも第1弾の第11番では、やや「ひ弱さ」が感じられたが、今回の2曲は素晴らしい。第5番はヴォルコフの『証言』以来よく見られる解釈で、終楽章の最後は全く葬送行進曲風だが、これだけテンポの遅い演奏も稀だろう。弦の刻み音型の執拗さ、打楽器の強打も凄まじいばかり。一方、第3楽章の繊細さも出色で、この曲の近年のディスクでは小澤/サイトウ・キネンと肩を並べる出来ばえと言ってよい。第9番の方は非常にアイロニカルで鋭角的な仕上がり。録音が優秀なのも有難い。

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     2009/12/14

    アーノンクールはこの後、チューリッヒでも『後宮』は振っていないので、音はともかく絵は古さを感じるが、彼の指揮した映像として貴重。まだとんがりまくっていた時代の彼の指揮は、同時期のCD同様、トルコ風打楽器を派手に鳴らし、コンスタンツェの大アリアでのため息のようなテンポ・ルバートも健在。ヘルマン夫妻の演出は台詞に若干の追加があり、セリムを単なるデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)ではなく血肉の通った人間として描くのが特色。とても良い演出だが、こういう路線なら、コンスタンツェがベルモンテよりもセリムを愛してしまうというチューリッヒのミラー演出(クリストフ・ケーニヒ指揮、PALしかないようだがヨーロッパではDVD化されている)の方がさらに徹底している。ポーランド人のヴィンスカは初めて名前を聞くが、演技も含めて及第点のコンスタンツェ。コーン(オスミン)も無難。元ベルリナー・アンサンブルの名優ターテのセリムがいい。それにしても、このDVDはどうしてこんなに値段が高いのか。アーノンクール・ファンクラブの頒布品じゃあるまいし。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/12/14

    二人の女性ヴァイオリニストを二人の男性低声部が支えるという構図はクワルテットの一つの理想のようにも思えるが、少なくともメジャーな四重奏団ではこれまでなかった。しかもこの二人の女性の表出力たるや半端じゃない。やや誇張した譬えだが、たとえばムターとサレルノ=ソネンバーグが並んで四重奏をやるとしたら・・・という状況に近い。さてそこでバルトークだが、師匠格のアルバン・ベルクSQが西側から、つまり新ウィーン楽派の語法からアプローチしたのに対し、ベルチャの場合はハンガリーの伝統を受け継ぐ演奏ではないとしても、音色自体に東欧の香りがある(ベルチャ=フィッシャーの故国ルーマニアとハンガリーの音楽はどう違うのか、門外漢の私には明晰に論じられないけれど)。名盤山盛りのバルトーク弦楽四重奏曲全集で独自性を発揮するのは容易ではないが、男性的でバーバリスティックな演奏が主流だったのに対し、ベルチャの強みは軟体動物のようなしなやかさと音色変化のデリカシーにあるように思える。第4番ですら、攻撃的にガンガン弾いた後、一転して柔らかい表情になるところでは、ハッとするような美しさがあるし、調性と歌の要素が優勢な第1、2、6番では彼らの強みが一段と発揮される。 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/12/13

    CG映像なら何でも描けるので過剰に説明的になるきらいはあるが、第2幕のヴォータンの長大な語りなどは退屈せずに済む。回想シーンでは、ちゃんと『ラインの黄金』の映像が出るが、ワーグナー自身が映画を知っていたら、きっとこのように指定したに違いない。「ワルキューレの騎行」やエンディングは想定範囲内だったが、純粋なスペクタクルに徹して演出家の解釈を押し出さない、こういう舞台が好きな人もいるだろう。歌手陣ではザイフェルトが出色。映像作品ではシェロー/ブーレーズ組のホフマン以来、久しぶりの本物のヘルデンテナーによるジークムントで聴き応え十分。この原始人風衣装には思わず笑ってしまうけど、ジークリンデのシュニッツァーも好演で、この二人と例によってドスの効いたサルミネンだけが出る第1幕は充実している。ただし、ヴォータンは及第点としても、ブリュンヒルデが明らかに力不足で、第2幕以降はこの水準に及ばない。特に指揮とオケにはもっと頑張ってもらいたい。抒情的な部分はなかなか美しいが、緊迫した局面になると彫りが浅く、音楽が平板に流れる傾向がある。

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     2009/12/12

    ジョン・アダムズの新作は音楽によるLAのポートレートとのことだが、急緩急の3部からなる30分余の作品。ミニマルの残滓とジャジーな曲調が結合した「大衆的」な曲で、『ウェストサイド物語』風と言えば分かりやすいか。お目当てのマーラーは緩急自在のアゴーギグを駆使した精彩に富む演奏。若々しくアグレッシヴで、まさに曲のイメージにぴったり。大見得を切るようなルフトパウゼもドゥダメルがやると実にサマになる。指揮は相変わらず学生オケ相手に振るかのように懇切丁寧、ヒスパニック系住民の多いLAでは新たな客層の開拓も期待できるから、オケにとっては願ったり叶ったりの人材だろう。ちなみに、終楽章末尾のホルン奏者起立のくだりでは、他とちょっと違う面白い演出が見られる。

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     2009/12/12

    ウィーンでは今、最も刺激的なオペラ上演が見られるアン・デア・ウィーン劇場でのライヴ。デセイ、ドゥグー、ナウリの主役三人が文句なく素晴らしい。デセイのメリザンドは意外な感もあるが、ルチア、オフェーリアなど彼女の得意とする、傷つきやすいヒロインたちの延長線上のキャラと考えれば、さほど不思議でもない。ほぼ伝統的なイメージ通りのメリザンドだが、演技はかなりアクティヴで、妖精のような軽さと透明さが感じられるのがいい。夫君のナウリが演ずるゴローも、あまり荒々しさを表立てない役作りで、彼もまた運命にもてあそばれた被害者であることが実感できる。主役三人が全員フランス人というのは、昨今の『ペレアス』上演では珍しいが、フランス語に何の不安もないのは、ありがたい。逆にちょっと気になるのは演出。「髪の場」などはト書き通りではないとはいえ、全体としては堅実な出来で、下手な読み替えをされるよりはいいが、この作品らしい世紀末的な頽廃の気配がほとんど感じられないのは、意図的なものなのか。最終場からゴローが一人残され、冒頭のシーンにつながってゆくような輪廻転生風の暗示もあるが、これはポネル演出という先例もあり、新味はない。指揮も演出に歩調を合わせて、透明で繊細ではあるが、オペラティックな量感は乏しい。

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     2009/12/07

    ラ・フラ・デルス・バウスの映像を多用した演出は、パリ・オペラ座来日公演の『青ひげ公の城』でも目覚ましかったが、この作品でもCG映像は確かに凄い。ニーベルハイムへの下降などSF映画さながらだし、ジャケ写真に見られる最終景のダンサー達のパフォーマンスも目を見張る。3人のラインの乙女たちも、オペラ歌手がここまでやるかという水槽内での熱演で演出に良く応えている。ただし、見た目が派手であればあるほど、音楽がどうだったか忘れてしまうのは困りもの。指揮は意外に淡白だし、歌手陣も相変わらずアクの強いサルミネン以外はラーション、カペルマンぐらいしか印象に残らない。視覚的な見せ場の多い『ラインの黄金』はまあこれでいいとしても、残り三つをさて、どう見せるか。

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     2009/12/01

    他の3曲はすでに市販DVDを持っているので、1番だけが欲しかった(1番もクラシカ・ジャパンからの録画は所有しているけど)。だから、こういう売り方には苦情を言いたいけど、その1番がとびきりの名演。5番、7番も非常に個性的な演奏だが、ちょっと違和感の残る部分もあるし、2番ですら、第2楽章あたりはやりすぎだろうと文句をつけたくなる。けれども1番だけは、バーンスタインのやり口と曲の個性が幸福にも一致。早くも第1楽章から、小結尾での猛烈な加速、展開部の終わりで大きくタメを作って壮大きわまりない第1主題の再現に持っていくなど、やりたい放題だが、一度これを聴いてしまうと逃れられなくなるほどの呪縛力がある。これは彼の死の年の春(2月)の録画で、伝記によれば、やがて彼の命を奪う病気がかなり進行していたはずだが、まさしく一世一代の名演だ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/11/23

    ティルソン・トーマスはすでに交響曲全集の録音も完了しているアイヴズの権威だが、挑発的なインパクトの大きい2番やさらに前衛的な4番ではなく、この曲が選ばれたのはアメリカ人聴衆にとっての取っ付き易さゆえかと勝手に考えていた。しかし、彼自身による解説を見始めてまもなく、この曲についてはその基本的な「仕掛け」すら十分に理解できていなかったことを思い知らされた。お客なしのデイヴィズ・シンフォニーホールで収録された本編演奏は考え抜かれたカメラワークとともに鮮麗そのもの。こういう音楽で鍛えられている彼らがマーラーの錯綜したスコアを苦もなく音化してしまうのも当然と合点がいった。この曲の場合、このような解説および映像付きの演奏でないと、その真価を理解することさえ難しいわけだから、唯一無二の決定的なディスクとさえ言える。静かに終わり、聴衆の拍手もない演奏であるから、この曲に限っては最後のスタッフロールに音楽を付けないでほしかったが、それを除けば非の打ち所のない映像作品。

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