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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2022/09/11

    「渋くて重厚」というこれまでのブラームス・イメージを完全にくつがえす画期的録音。つまりは驚くべき快速テンポ、すべての声部が透けて見えるような明晰な響き、スタッカート気味ですらある鋭角的なフレーズの切り上げなど、ブラームスに関して「これだけはやっちゃいけない」と言われてきたことを徹底的にやりまくった演奏。パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルの来日公演(2014年)は確かに凄まじかったが、その後の彼らの録音・録画は意外におとなしく、室内オケによるブラームス録音ではティチアーティ/スコットランド室内管をベストと考えてきたが、あらゆる点でそれを凌ぐ。
    鬱屈した第1番は私にとって大の苦手曲で、ブラームスの交響曲、嫌いじゃないけど1番だけは御免こうむりたいと長年、思ってきた。そういう私にとっては絶好の「解毒剤」。それだけに守旧派の皆さんのアレルギーも強かろうが、第1楽章主部では楽章を駆動してゆくリズム・モティーフがホルン、トランペット、ティンパニで次々に打ち込まれてくるのを明確に聞き取ることができる。ティチアーティ盤は3番が最も良く、2番は物足りなかったが、この全集のハイライトは最後に録音された第2番かもしれない。「音のドラマ」としてのこの曲の頂点は第2楽章だが、これまでの指揮者たちは遅すぎるテンポでAdagio non troppo(あまり遅くないアダージョ)のクライマックスをぶち壊しにしてきたことが良く分かる--譜面のテンポ指定、ましてメトロノーム表記などは音楽の分からぬ間抜けのためにあるに過ぎないと言ったのはマーラー先生だけど。音量を抑えた出だしから一気に炸裂する終楽章も痛快そのもの。コーダの大盛り上がりはワルター/ニューヨーク・フィル(1953)以来だ。
    第3番第3楽章では名高い名旋律を奏でるチェロとホルンが明瞭に分離して聞こえる(ブラームスでは響きをブレンドさせなくちゃ駄目と言われたものだが)。中間部でのスタッカートとレガートの使い分けも初めて聴く。第4番の34:13というHMVの演奏時間表記はさすがに間違いだろうと思ったが、いやいや本当だった。この曲には第1楽章提示部を含めてリピートが一切ないので、演奏時間を決めるのは指揮者の解釈だけだ。ここまでやられると、枯淡の趣きは全く見当たらず、さすがにタメが欲しいと思う局面もないではないが、中庸なテンポの行進曲(Andante moderato)である第2楽章などはまさしくわが意を得たり。名前の通りのバロック(いびつ)かつ前衛的な傑作がその姿を現わしている。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2022/09/09

    猛烈な表現主義的演奏で、速いテンポに加えて、一貫したホルンの強奏が凄まじいばかり。選ばれたのはモーツァルト全作品のなかでも、とりわけ「疾風怒濤」的な交響曲第25番と『エジプト王タモス』からの4つの間奏曲。弦は5/4/2/2/2の小編成で交響曲は全リピートを実施、リピートの際にはオーボエに譜面にないヴァリアントと通奏低音パート(フォルテピアノ)が加わるが、様式的に妥当という以上に実にいいセンス。『タモス』は最近、アントニーニとバーゼル室内管の素晴らしい演奏も出たが(ハイドン交響曲全集・第7巻)、交響曲第25番は文句なしに現在、ぶっちぎりのお勧め演奏。モーツァルトと並べられると、やはり天才にはかなわないなと思うけど、グレトリーの同名オペラの序曲とバレエ音楽から成る組曲も尖鋭な演奏のおかげで、とても聴き映えする。

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     2022/09/09

    イタリアの地方劇場ながら意欲的なプロダクションで知られるシチリア島のパレルモ・マッシモ劇場での上演。2001年の『ルル』(録音のみ)、2008年の『メフィストーフェレ』ではオケがかなり頼りなかったが、2014年の『フォイヤースノート』はとても良く、演奏水準が飛躍的に上がっていることがうかがわれる。このディスクでも最大の聞きものはヴェルバーの素晴らしい指揮。きわめてテンポが速く、響きの透明度が高い。第1幕は約91分、第2幕62分、第3幕65分。CDではブーレーズ、ケーゲルに近い印象だが、各楽器の音がブレンドされず、ダイレクトに出てくるので一段と尖鋭だ。歌手陣ではレリエのグルネマンツが出色。老人ではなく、まだ男盛りなのも、久しぶりに本当に「いい人」として描かれた演出の趣旨に合っている。トマソンのアムフォルタス、ガゼリのクリングゾールも良い。ハバードは前半のやんちゃ坊主風のところが特に良く、全体としてはまあまあの題名役。フーノルトのクンドリーは残念ながら存在感薄い。
    COVID-19のため、惜しくもこれが遺作となってしまったヴィック演出は典型的な現代化演出。舞台は現代の中東とおぼしき砂漠地帯。ヘアハイム演出のように精巧無比な舞台を見てしまうと、他の演出にはどうしても点が辛くならざるをえないが、バイロイトのラウフェンベルク演出と似たところはあるものの、あれに比べれば、あらゆる点で遥かに上。奥行きの深い舞台の特徴を生かすべく、舞台奥に幕を設置、グルネマンツの物語の間には説明的な影絵を、両端幕の間奏曲では象徴的な影絵を見せる。第1幕の聖餐式には(ただのマグカップだけど)一応、聖杯も出てくるが、アムフォルタスの血を飲んだ聖杯騎士こと兵士たちがそれぞれナイフで自分の腕に切りつけるなど、宗教的オルギアの様相が濃い。第1幕でのクンドリーはヒジャブで全身を覆ったムスリムとして表象され、諸宗教の抗争と和解が演出のテーマだが、その描き方も良い。「聖金曜日の音楽」の見せ方も美しいし(このあたり、ラウフェンベルクがひどすぎるんだけど)、最後、クンドリーはもちろん死なず、パルジファルが取り出した聖杯の覆いの中には何もない、聖杯は空っぽだという仕掛けに至るまで、実に好感の持てる演出。

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     2022/09/07

    プロコフィエフ『火の天使』と同じダンテ演出、ペレス指揮のコンビによるローマ歌劇場のプロダクション。こちらも素晴らしい舞台だ。序曲が主部に入るとさっそく幕が開いて、パントマイムで見せられるのは、アンジェリーナが自分とお揃いのメイド服を着たオートマタ(自動人形)たちの背中のネジを巻いて起動し、一緒に家の掃除を始める様子。第一義的には、ヒロインが召使い同然に虐げられているのを見せると言えるが、舞踏会用ドレスに着替えても彼女のお腹につけられた時計のような機械はそのままで、彼女自身もオートマタではないかという疑念は最後まで残る。さらに第2幕に入ると王子のお付きの人々も王子と同じ制服を着た自動人形だし、エンディングではアンジェリーナが勝利のアリアを歌ううちに、許されたいじわる姉さん達と父親にも背中にネジが付けられ、人形になってしまう。つまり、演出家が突きつけるのは「美徳の勝利」という副題の謳う通りのおとぎ話のストーリー自体、「機械」的なプログラムに過ぎないではないかという痛烈なアイロニー。彼女を触発したのはダンサー全員が人形の着ぐるみを着て踊るマギー・マラン振り付けのプロコフィエフ『シンデレラ』かもしれない。どの演出家も工夫を凝らす第1幕フィナーレでは、ライバルを撃ち殺してやろうと舞踏会に銃を持ち込んだ花嫁候補の娘たちがアンジェリーナの美貌に絶望して次々に自殺してゆくというブラックな展開に。第2幕「嵐の音楽」では義姉たちと父がヒロインに殴る蹴るのドメスティック・バイオレンスをはたらくなど、おとぎ話の「暗黒面」もしっかり見せる演出になっている。
    題名役マルフィはほんの少し太めながら愛嬌ある演技。この役を歌うだけあって、テクニックは抜群だ。ガテルはフローレスほどのカリスマ性はまだないが、こちらも技巧の切れに不足はない。プリアンテ、ベテランのコルベッリも相変わらず芸達者で万全の布陣。指揮は意外にもHIP色はなく、響きのバランスは昔ながらだが、この曲に欠かせないリズムの駆動力は申し分ない。

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     2022/09/05

    近年のチェルニャコフ演出の中でも注目すべき成果の一つ。たとえば第3幕ではシュターツカペレのイングリッシュ・ホルン奏者が実際に舞台に上がって「嘆きの調べ」を奏でるのだが、イゾルデの到着を知らせる「陽気な調べ」を吹くのも彼。しかし、こちらは木製トランペットの音だから、彼がやるのは「吹きまね」、つまりヤラセだ。そもそもクルヴェナールはイゾルデ姫の接近を確認していないのに、奏者に「陽気な調べ」を吹くよう目配せする。出来事そのものが最初からヤラセなのだ。つまりこの演出、『トリスタンとイゾルデ』のような古典的不倫物語はフリーセックスの現代では成り立たないから、徹頭徹尾ヤラセとして楽しんでしまおうという趣向。オペラは高度に様式化されたアンチリアルな舞台芸術形式だから、リアリズムにこだわるのは馬鹿馬鹿しいと見切ってしまったという意味では、第3幕終盤に至って死んだはずのトリスタンが起き上がってしまうコンヴィチュニー演出の正統な後継者だと言える。だから第1幕、高級クルーズ船の船内で恋人たちが毒だと思って飲むのも、露骨にただのミネラルウォーターだし、第2幕での逢い引きも、会社のお歴々たちがパーティーをやっている会場の隣の部屋で−−マルケはトリスタンの上司かと思われる−−これ見よがしに行われる。これもヤラセ色濃厚だ。第2幕の終わりでトリスタンは何ら身体に傷を負わないので、イゾルデの到着とともに彼が倒れるのは、喜びのあまりの心臓発作かと思われるが、実はトリスタン、イゾルデともに最後まで生死は不明である。
    歌手陣ではシャーガーのトリスタンが圧巻。第3幕第1場の独り舞台からイゾルデ到着までの熱演は鳥肌が立つほどだ。ヴィントガッセン以前の世代は録音でしか知らないが、少なくともここ50年では随一のヘルデンテノールと言って良いのではないか。カンペはかつてのニルソンやマイアーのような「魔女的」な猛女の印象は薄く、もっと細やかで表情の美しいイゾルデ。これも素晴らしい。ミリングの包容力のある、物分かりの良さそうなマルケもまた良い。既にかなりテンポの遅くなっているバレンボイムの指揮。バーンスタインほどではないが、第1幕、第2幕は80分台半ば、第3幕も80分近く、このオペラに限れば、許容限界ぎりぎり。遅いために当然、表現はきわめて濃厚だ。

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     2022/08/16

    演奏自体の水準はきわめて高い。リーニクの指揮はHIPを踏まえて、周到かつ切れ味鋭い。第3幕、水夫たちの合唱にだんだんオランダ人のモティーフが侵入してくる所の聴かせ方など見事だ。この曲ではティーレマンのようにワーグナー後期スタイルに寄せてしまう指揮は邪道だと思うので、クプファー演出版で振っていたウォルデマール・ネルソンを今でも高く買っているが、各楽器の音が客席に直接、届かないバイロントの音響に若干、災いされたとしても、あれに匹敵する出来。グリゴリアンのゼンタも素晴らしい。この役としてはリリックな声だが、細やかさ、ここぞという所での力強さ、ともに申し分ない。ルントグレンもヴォータンなどよりはずっと良い。近年では悪くない題名役。ツェッペンフェルトは小市民的というよりは、もっと貫祿ある、古い家父長制を象徴するようなダーラント。
    近年のチェルニャコフ演出は完全な失敗も少なくないが、全く海の出てこないこの『オランダ人』、母親を死に至らしめた社会への復讐を誓って故郷に戻ってきた男と、それでも彼を救おうとする娘のドラマ、最後は悲劇的結末となることも含めて、オランダ人伝説をより広い意味で解釈した基本構想は悪くないと思う。ただし、アリア「期限は切れた」、ゼンタのバラード、町の人々の歌がオランダ船の乗組員たちの合唱に圧倒される、そして幕切れといった各名場面が「絵」(シーン)として印象深いかと言えば、うまくいっていないと言わざるをえない。特に第2幕、オランダ人とゼンタの二重唱が(ジャケ写真のように)ダーラント夫妻の前で歌われるのは初めて見た。この演出ではマリーはダーラントの妻となっており、彼女がこの縁談を快く思っていないことは演技からはっきり分かる−−それはまたエンディングへの伏線でもあるのだが。定番を破ろうとする意欲は買えるが、やはり第2幕終わりまでをこのガラス窓で閉ざされた(小市民的な)室内で進めるのは苦しい。

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     2022/08/12

    レナータが自分の幻覚を語り始めるやいなや、「炎の天使」役のダンサーが舞台に登場するのを見て「またか」と思った。日本でも上演されたマリインスキー劇場のデイヴィッド・フリーマン演出を思い出したからだ。でも、ここでのダンスは暗黒舞踏風のものではなく、活発なブレイクダンスだし、最後まで見てみれば、歌のパートのない演技者たちを大量に動員した、非常に丁寧に作られた舞台であることが分かる。ヒロインの妄想上の恋人であるハインリヒ伯爵を最初から演技だけの人物として見せておくのも良い。場面転換の時間稼ぎのための幕間のパントマイムに至るまで、演出家のセンスが光る。まぎれもない傑作であるこのオペラ−−作曲者若き日の前衛的スタイルとソ連帰国後の平易な作風の中間ぐらいの作品−−の映像ソフトとしては第一に薦められる。
    主役二人、ヴェシンとメルローズも大健闘。ペレスの指揮は色彩豊かで躍動的。『ファウスト』などではよく分からなかったこの人の美質がちゃんと確認できる。ちなみに、最終場もマリインスキー版のように、修道女たちが裸になったりはしない−−カトリック総本山のお膝元、ローマでの上演だから、まあこれは仕方ないでしょう。

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     2022/08/12

    主役二人はほぼ理想的な歌唱。ストゥンディーテは相変わらずスタミナの尽きることがないし、スコウフスもこういう巻き込まれキャラに合っている。ただし、精神科の病棟内にすべての場面を移すという読み替えはあまりに「まとも」で拍子抜けする。「宿屋のおかみ」は女医でルプレヒト自身も入院患者−−彼の荷物の中に自分を写した写真が大量にあり、彼もメンタルに問題を抱えているようだ。アグリッパとメフィストフェレス(同一歌手が演ずる)はマッド・サイエンティスト風の医者でファウストはその同僚、異端審問官は病院の事務長といったところ。ルプレヒトとハインリヒ伯爵の決闘は何のアクションもなく、ただ音楽が流れるだけ。これはさすがに苦しい。最終場ではジャケ写真のジャングルジムのような大がかりなセットが使われるが、さしてスキャンダラスな展開にはならない。指揮もおとなしい。観客がいれば興が乗ったかもしれないが、無観客での収録なのも災いしたか。 

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     2022/08/09

    歌手陣は素晴らしい。ベルネームはほぼ理想的な題名役。ペレチャツコの四役も声としてはジュリエッタなど苦しいが、演技力でうまくカヴァーしている。ブラウアーのミューズ/ニクラウスがまた良いし、ピサローニの悪役四役も悪くない(特殊メイクで彼とは分からないけど)。
    写真の通り、凝ったセットと衣装を駆使する舞台で、歌のパートのない「分身」を登場させたり、その分身をワイヤー吊りでフライングさせたりという工夫はあるが、基本的には読み替えなしの素直な演出。分身の登場で「クラインザック」がホフマンの自己表象であることを分からせるあたりは面白いが、強力なコンセプトを押し出す演出(たとえばヘアハイムのような)ではないので、見た目の華やかさだけでは長丁場を持たせるのが難しい。新しい校訂版による上演だが、追加曲をかなり入れた長めの版であることも災いしたか。確かに名曲揃いのオペラではあるが、オペレッタ時代のオッフェンバックのようなインパクトには欠けるので、どうしても途中で退屈してしまう。ケント・ナガノもこのオペラでは、あまり腕のふるいどころがない感じ。

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     2022/08/09

    新鋭クラッツァーの演出は複数の副舞台を駆使した現代化演出。中層の真ん中にホフマンの部屋があり、その左右に副舞台、また上と下に三部屋ずつの舞台があり、計九つの空間を駆使して、ホフマンの恋物語が演じられる。このアパルトマン全体が主人公の「心の構造」の表象だと考えれば、納得のゆく解釈。それでも別の部屋にいるホフマンとミューズがちゃんと会話したりする−−ちなみにこの演出ではミューズは最後まで男装せず、ニクラウスにはならない。ホフマンとオランピアのダンスが完全に性行為と解される、シュレミールは決闘で倒されるのではなく、麻薬のオーバードーシスで死ぬ、などは現代的な趣向。特にアントニア篇では彼女とホフマンの愛の二重唱も壁を隔てたままで歌われ、ついに最後まで二人の身体接触なしで終わるのは秀逸。ステッラも名前だけで、舞台には登場しない。
    歌手陣もなかなかの高水準。切れ味鋭い技巧のミナシャン、一途なヤオ(「箱入り娘」にしては声に力があり過ぎるけど)、豊満なライスも適材適所。シュロットは余裕綽々、楽しそうに悪役四役を演じている。オズボーンの題名役は歌は達者だけど、本当に天才的な芸術家(この設定では現代の写真家)に見えず、ただの酒(と麻薬)びたりのダメ男にしか見えないのが難点−−あらゆる『ホフマン物語』上演の最大の問題ではあるけれど。リッツィの指揮は凡庸ではあるが、手堅い職人仕事。新しい校訂版による上演で『輝けダイヤモンド』のような追加曲は歌われていない。

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     2022/08/08

    2019年の来日公演でも披露された通り、マクヴィカー演出『ファウスト』はロイヤル・オペラの看板演目の一つだが、2004年のパッパーノ指揮による第1回録画はもう手に入らないだけに、15年ぶりの再録画はありがたい。メイキング映像にも演出家自身の出演はなく、最近はすっかり落ち着いた巨匠になってしまったマクヴィカーは、自分の若き日の仕事をもはや評価しないのかもしれないが、改めて見直してみても面白い『ファウスト』の舞台が見たい人には、やはり第一に推せる映像だと確認した。時代を作曲の時代、第二帝政下のパリに移した演出と言えば、パリのラヴェルリ演出もそうだが、マクヴィカー版は禁欲(宗教音楽)と快楽(オペラ)の間で引き裂かれた作曲者グノー自身を老ファウスト博士に見立てるという枠があり、一段と凝った仕掛けがほどこされている。そのため舞台の両端にはそれぞれ教会のオルガンとオペラのボックス席があり、これが教会の場、バレエ「ワルプルギスの夜」、最終場などで効果的に活用される。台本がひどく説教臭い(まったくゲーテらしくない)のに閉口させられるオペラだが、演出は早くも「金の子牛の歌」あたりからメフィストのお供のダンサーたちを出して挑発的な舞台を作っている。キャバレー『地獄(ランフェール)』でのワルツの場面、「ワルプルギスの夜」での痛烈な『ジゼル』のパロディなど、何度見ても痛快だ。
    アラーニャ、ゲオルギウ、ターフェル、キーンリーサイド、コシュを揃えた旧録画を凌ぐのは容易ではないが、新しいキャストの面々もなかなか健闘。特にシュロットはさすがのカリスマ性で舞台をさらっている(女装もなかなかサマになる)。コロラトゥーラの軽やかさとドラマティックな力を兼ね備えたルングも出色。トウキョウ・リングの頃から大物の片鱗を見せていたエッティンガーがオペラ指揮者としての成長を感じさせてくれるのも嬉しい。因襲的なページも多いオペラだが、第4幕以降はさすがの表現力。なお、前回録画と同じく、オリジナル第4幕冒頭の「紡ぎ車の歌」はカット、したがって第4幕は教会の場から始まる。 

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     2022/06/04

    ネルソンスが年を追うごとに同郷の先輩、ヤンソンスのスタイルに近づいているのは慶賀すべきか、それとも憂うべき事態か。『ドン・ファン』『ティル』『ツァラトゥストラ』『英雄の生涯』『アルプス交響曲』ほかには10年ほど前のバーミンガム市響との録音があった。すべての曲で演奏時間が延びて、音楽の恰幅が良くなっているが、私の好みを言えばいずれも前回録音の方が良かったと思う。『ドン・ファン』など肥満体になりすぎて作品自体の求める若々しさ、颯爽とした感じが失われている。『ツァラトゥストラ』は名高い冒頭以外でもティンパニを強打させて迫力を出そうとしているが、私には前回録音後半の追い込みが忘れがたい。『アルプス交響曲』の細部深掘りも前回の方がアグレッシヴだったような。『英雄の生涯』だけは曲自体に対するアレルギーが強すぎる(大嫌いな)ので申し訳ないがパス。
    でもこのセット、はじめて録音される曲はどれも良い。『ブルレスケ』と『ドン・キホーテ』は理想的な独奏者を得て、素晴らしい出来。『ドン・キホーテ』の冷徹なイロニーは最もシュトラウスの本質に近いと思うが、ロトのシャープさ(二回の録音、どちらも切れ味鋭い)とこの録音の描写の巧みさは甲乙つけがたい。現在のネルソンスはかなり楽員の自発性に任せて要所だけ締めるという振り方なので、特にこういう曲に合っている。あまり演奏されない『家庭交響曲』もゴージャスな演奏で、改めて凄い曲だと確認できた。豪快な『マクベス』もなかなか(同時に出たヴェルザー=メスト/クリーヴランドの細身な演奏とは対照的)。『火の危機』の「愛の場面」もいい曲で、もっと演奏されるようになるだろう。しかし『メタモルフォーゼン』は天才シュトラウスの「だしがら」のような作品で、人が言うほどの名曲だとは思えなかったが、もはや現代のライプツィヒの楽員の心に響く音楽ではないようだ。

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     2022/06/03

    冒険的なのは第20番終楽章のカデンツァだけではない。第22番第1楽章の自作と思われるカデンツァでは途中から木管楽器が加わってくる。第24番第1楽章の自作カデンツァにも管楽器の参加があり、同じハ短調の管楽セレナードK.388の一節が引用される。第26番第1楽章のカデンツァも独特で、おもちゃのピアノのような響きが挿入される(EMI盤はテープの切り貼りだと思ったが、今回は違うかも)。その他のカデンツァ、緩徐楽章の旋律装飾もすべてセンス良く、タッチの変化も美しい。現代ピアノによる全集のなかでは、ピアノ・パートに限れば随一と言えるかもしれない。ただ唯一惜しまれるのは、オケが小編成ながら伝統的なモーツァルト・スタイルのままであること。我々は今やHIPの方に慣れてしまっているので、ここぞというところで管楽器やティンパニが前に出て来ないと物足りなく感じてしまう。このあたりが指揮者ツァハリアスの限界か。

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     2022/05/26

    このコンビの全集、人が言うほど感心しないが、この一枚だけは別格。まず最初にいわゆる交響曲第10番、シューベルト最後の未完の交響曲ニ長調D.936aの第2楽章。オーケストレーション以外ほぼ完成している素晴らしい音楽だが、これをローラント・モーザーの編曲で。ついで同じロ短調の『未完成』交響曲。さらに若書きだが、非常に特異な変ホ短調の管楽合奏曲『フランツ・シューベルトの葬送音楽』(この題名も不思議で「フランツ・シューベルトの書いた」ではなく「フランツ・シューベルトのための葬送音楽」とも読める)。ローラント・モーザーによるこの曲への『エコー』と続く。肝心の『未完成』も、かつての甘やかなロマンティック・イメージを吹き飛ばすような酷薄極まりない演奏。最後のヴェーベルン編曲『ドイツ舞曲集』でやっと「救い」が来るが、アルバム全体のコンセプトが実に良く出来ている。

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     2021/12/31

    完全な現代化演出だが、出色の出来ばえ。何とも猥雑なガーター亭の眺めからして実に素敵だが、人物達が大麻を吸っていたり、濃厚なセックス描写(演ずるのは演技だけの人たちだけど)など60年代カウンターカルチャーの雰囲気が漂う。これに対し、セレブの奥様たちはプール付きの邸宅に住まう。フリットリやシエラは水着姿も披露。だだっ広い平面になりがちな最終場も、とても工夫のある作り。歌手陣も全く隙がない。何よりもミヒャエル・フォッレの「ちょい悪オヤジ」ぶりが完璧に役にはまっている。かつてのF=ディースカウは確かに達者だったけど、こういう「ちょい悪」の雰囲気は出せていなかったので、ドイツ系バリトンでは随一かもしれない。フリットリ、バルチェローナはもとより当たり役だし、デムーロ、シエラの若い恋人コンビも良い。ダーザのフォードとファルスタッフの二人の手下たちも抱腹絶倒の演唱。
    ただひとつ、惜しまれるのは相当にテンポの遅くなったバレンボイムの指揮。ここぞという所ではもっと俊敏さが欲しいけれど、響き自体は重くないし、的確なポリフォニーの処理など聴くべき所もあるので、かろうじて及第点。

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