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森林浴 さんのレビュー一覧 

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     2024/01/13

    SKBとの初来日での1番+ドヴォ8番+フィガロ序曲アンコール、そして7〜8年後だろうか、この公演。ほぼ、変化のないこのコンビの語り口である。とはいえ、疾風とエンジンブレーキと烙印を使い分けるSuitnerの緩と急の接続・移行が、以前より順調に行われていることがこの演奏の美点だろう。
    1番では、好んでフルヴェン チェリ ミュンシュ ヴァント ジュリー二 この指揮者を聞き比べるのだが、パートの歌謡で起点と終点を強く意識しない=いわゆる自然な流れ、という点ではミュンシュ以上の奔放さを感じる。そのくせに、時折、フルヴェンを想起させる大見得を切るので、何とも言えぬ歪感が形成され、独特の語り口が形成されるのである。意図された、歪な真珠=バロック と呼んでいる。

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     2023/01/25

    管弦楽法の確立者(とみなされている)が書いた「幻想」は指揮者の小細工などは全く受け付けぬ構成力と音響でもって進んでしまう。我の強い標題音楽である。したがって、過去の名盤の評も、ダイナミズム、強弱、特定パートの美技、コーダの爆走などで綴られるの常であった。ミュンシュ、カラヤン、小澤然り。マルケヴィッチ=ラムルー管やクーベリック=BROを聴くと、初めて曲の骨格自体がが矯正された観あり、楽しめた。
    そしてこのチェリビダッケ=SRO盤では、洗練しきれない音色を、テンポと強弱でもって何とか加工しようとする指揮者の必死の行為が感じ取られる。他評にもあるとおり、煮え切らない音がむなしい。

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     2022/09/10

    NDR盤もこの盤も、緩徐楽章の彫磨が素晴らしい。練習嫌いなどという、クナ像を演出する逸話は溢れているが、真偽はともかく、確実に管パートへの意図的な指示は聞きとれる。対位法の押し付けではなく、歌謡性を感じる解釈は、他曲でのシャルク盤の実践からも納得される。個人的に好感を持てるのは、終楽章コーダ。ヴァントやブロムシュテット、最近の若造などでは“ラジオ体操”に陥るところ、ガッツリの演歌調が微笑ましい。

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     2022/06/01

    LP時代の、言わずと知れた超名盤。
    シュヴァルツコップ、ドミンゲスを配したデ サバタ=スカラ盤の、語り続けるがごとき歌謡、抑揚の前には、ミサ行為としては一歩及ばぬ。しかし、このマルケヴィッチ=モスクワ盤は、純音楽的な構成力、器楽の極限的なダイナミズムでサバタ盤を凌駕する。加えて、大活躍するロシア人のメゾ ソプラノの声質と安定感が圧倒的である。この点は、予想以上の出来である。
    マルケヴィッチ+ヴェルディ+モスクワのオケと組み合わさって、当然予想された結果が全く裏切られずに記録されている。21世紀の幾多の凡演に接しているリスナーには必携と申し上げたい史実である。

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     2022/05/11

    中学生時代に“いぶし銀”という文言を身近に意識させられたのがGWHOの音色への諸家の評であった。Leipzig現地の黒汚れたBachの立像などの印象から、つや消しされた音色と言う意味か?程度に理解していた。実際、ノイマン、コンヴィチュニーとのLP音源を聴いても、何がいぶした銀なのか?繋げないでいたのだが、あれから40年。この全集を聴いていて、ビオラ奏者であった指揮者(ノイマンも然り)による室内楽を想起させる弦楽パートの明晰で緻密なアンサンブルと、弦〜管のフレーズの渡し方の上手さ、割れない金管、このあたりに“いぶし銀”と評せしめた理由があるのだと思うに至った。どの一曲にも、それを感じることは可能であるも、シューマン1番、3番、ベートーヴェン3番、5番、8番などを聴けば、容易にお分かりいただけると思う。フルヴェン、ワルター、コンヴィチュニーと継体された、現在の同楽団からは到底期待できない別次元の合奏が展開している。マズアで変質し始め、東西の政変で楽員が入れ替わり、シャイー、ブロムシュテットが常任では、現在の顛末は無理もない。

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     2022/04/29

    マルケヴィッチの展覧会は、壮年期のBPO盤、還暦直後のGWHO盤、そして没年のN響盤と聞き比べると非常に面白い。ヒトとしての経年は、多くの指揮者で演奏速度の低下としてあらわれるが、この指揮者もその例外にあらず。しかし、この曲における“絵画”の描出方法は生涯通じて微塵の変更もないと言っていいだろう。多くの名指揮者を教育した教師によるスコアリーディングは精緻で鉄壁である。どの盤を聴いても彼の“展覧会”は確実に伝わってくる。問題は、音色=楽器の響きが、3団体で悉く異なることでしょう。コンビチュニー・ノイマンらが“いぶし銀”と言わせしめた音色が、1970年着任のマズアにより急激に変化していたはずで、この時期の奏者がマルケヴィッチ=ラヴェルのいわばラテン系の響きに全く迎合できていないことは明白である。ミスはないが、マルケヴィッチの切れ味とラヴェルの色彩がくすんでしまって悲しいのである。N響盤はミスはあるものの、管・弦の貧弱はGWHO盤よりは改善した名盤である。この指揮者の非凡を知るには、壮年期の彼が、まだフルトヴェングラーの楽器であったBPOを振ったDG録音を聴くのが最適と言える。

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     2022/04/26

    徳間ドイツシャルプラッテンから相当量が市場に搬出された1973年のGWHO盤のLPがこの指揮者の展覧会の代表盤と思っていたが、よく言っても室内楽的な、委縮した管の貧弱な響きが、この指揮者の解釈の真価を表出しきれていない感が否めなかった。それでも、この指揮者の明晰なスコア解釈は聴き手にアリアリと伝わってきており、悪いアンプとスピーカーで再生した超名演のLPとでもいうべき、歯がゆさが残る録音であった。
    その後、このBPO版の存在を知り、即購入。壮年期のなす業か、GWHO盤に比べ、やや早めの解釈ではあるも、強弱、アクセント、加速減速の妙は全く変わらぬ解釈が、巧者揃いの名人オーケストラで一気に増幅・展開されており、その格差には驚嘆を禁じ得ない。遺作となったN響との名演も、GWHO盤よりは鳴っているものの、貧弱な金管、Tpのミスなどを聴くにつけ、このBPO盤の前にはやや影が薄い。稀代の天才巨匠が、フルトヴェングラーの楽器を借りて自らの音楽を描き切った証がここに聴ける。未聴の方々は、再販時には必聴です。ラヴェル版展覧会の、今なお色褪せぬ金字塔です。

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     2021/10/30

    この大指揮者は、壮年期から晩年にかけて、基本的なスコア解釈を変えることなく突き進んでおり、展覧会の絵、チャイコフスキー後期群、ベートーヴェン、ワーグナーなどの一連の記録を聴けば、一貫した骨太の描出に圧倒される。この指揮者のマーラー1番には、本人が55歳時、1967年のフランス国立管弦楽団との超名演がある。イタリア トリノのラジオオーケストラとの1967年版もあるようだが、これは未聴。
    1967年の解釈は、この70歳時のGWHO盤よりも全体で5分ほど早く、各パートの謳わせ方、強調は一段と際立っており、コーダの爆演もこのGWHO盤をはるかに凌ぐ。55歳と70歳で何が変化したか?彼本人は、おそらく肉体的な衰えによるスローダウン程度であろう。はっきりしていることは、GWHOの技量、特に金管、もっと言えばトランペットの下手さが、フランス国立管に比較し明らかである。解釈は今でも群を抜いて圧倒的だが、手にしたオーケストラが悪かったと言わざるを得ない。もったいないCDである。

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     2021/09/23

    Mozart(SKD) Beethoven(SKB)での、必要な抑揚と要所を押さえた自然な流れの語り口が、ここでも曲想と相まって、100%開花している全集でしょう。諸氏の絶賛するとおり、Dvo.全集、までは、手元に置いて常に基調とすべき演奏群と言えましょう。
    Suitnerで聴くと、Schubertを音楽年表のBeethovenの位置と入れ替えたくなるほど、その作品が古典的な骨格で構築されていることがよくわかる。ロザムンデを聴いていて、マエストロのGriegの管弦楽曲集、Mozart序曲集の超名演と寸分たがわぬ筆跡に、この指揮者の音楽解釈を貫通する美学に痛み入る。
    Schumann Brahms Bruckner Mahlerではこのアプローチは特殊であり、聴者は不満を抱くこともあろうが、Schubertまでは冠たる王道と言える。

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     2021/06/25

    ムラヴィンスキーの2番は、楽友協会大ホールのLP(御大がオケの右後方に向け左手でキューを出しているジャケット)がまず市場に出て、その後、レニングラードの大ホールの本拠地版がCDでリリースされていた。いずれも、即時入手。確かに後者は、収音マイクの分解度・距離感はより奏者に近い。また、巡航速度は楽友協会よりも遅く、細部の描出には適している。しかし、ホール残響も合わせた演奏の総合的効果として、楽友協会ライヴはレニングラード版をはるかに凌駕する。ウイーンでBrahms、Schubertを披露するからには、この奏者たちの絶頂期といってよいのだろう。緩徐楽章の琴線の緊張感、終楽章の疲れを知らぬ硬質の推進力とコーダの突進は、まさに、戦闘態勢のムラヴィン=LPOそのものである。ロジェベンとのPROMSでのプロコフィエフ5番、ロンドン録音のチャイコフスキー後期群、ウイーン芸術週間でのオイストラフとのショスタコ協奏曲、そしてこの録音と、このオケの対外試合での異常な程の集中力と表現力にはただただ脱帽するのみである。コーダ終末でのティンパニ連打は、他のあらゆる演奏を喝破する。

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     2021/05/16

    論評無用の歴史的名盤ではあるが、この指揮者の仕業をよく認知しない若い世代が世の中に増えてきたので、書いています。
    千夜一夜物語-シンドバッドの航海、帰港である。テンポとパートの語り、インパクトのすべてが、圧倒的な明晰さをもって再現された、マルケヴィッチならではの仕業である。この指揮者の特徴として、フレーズの起点、終点が完全な楷書体で描かれていくこと(あいまいな開始、終点がない)が挙げられるが、波打つシェヘラザードでもそれは健在。原色を濃厚に塗りあげるゴーギャンの絵画に通じるものあり。チェリビダッケ=MPOの航海は、巨大帆船が帆の風力のみで真夏の緩やかなうねりに漂う様、かたやマルケヴィッチ=LSOは、帆を張った、オール漕ぎ手3対の小型帆船が帆に風を受けて外洋のうねりを突き進む観あり。聞き分けの楽しみは尽きない。個人的には、うねりを突き進む描出を好んでいる。特筆すべきは、LSOの高い合奏能力とソロ奏者の上手さである。モントゥ−の監督下であったのか、当時としては技術的に厳しい要求を突き付けたであろう鬼才マルケヴィッチの絵画パレットの機能を100%果たしている。
    これを聴くにつけ、最近の指揮者の同曲の解釈の不毛さにため息が尽きぬ。シェヘラザードを論じるときは、これを聴いてからお願いします。

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     2020/12/20

    手兵SKBと来日時に、Brahms1番の強靭な弦と太い金管の強奏で圧倒された直後、アンコールで一筆書きのごときフィガロ序曲を披露してくださったのが、未だに眼前の出来事のように回想される。最近、動画サイトなどで、この指揮者のオペラを通しで全曲視聴できるようになり、日本では歌劇場引っ越し公演でしか聴けなかったオペラ演奏を聴いている。バイロイト、BSO、東京、サンフランシスコでのWagner、BSOでのMozartは他の指揮者と比較しても、圧倒的な劇性(激性ではない)に満ちており、中でも序曲から第一幕への持ち込みの巧みさには舌を巻く。序曲すなわち前菜=第一幕すなわち主菜の引き立て役、であることをこれ以上に痛感させてくれる演奏は無かろう。かくも洒脱なテンポ設定+硬質な弦と太い金管でやられると、一曲終わるごとに「さて、第一幕へ!」と身を乗り出すこと間違いなし。

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     2020/12/12

    スイトナー=SKD=モーツァルト中・後期集。徳間=ドイツシャルプラッテンの3枚のLPを40年以上愛聴してきたが、生涯にわたって聴き続けるであろうから、CDにすべて乗り換えた。壮年期のスイトナーの解釈は正に楽曲の“肌ざわりと風合い”を最大現に生かしたもので、速度と音量のバランスは比類なし。ワルター、ベーム、セル盤をせせら笑うかののような妙味を体感できる。また、SKDの弦合奏の響きの芯と繊細さは比類なし。これを聴くと、ウイーン、ベルリン、シカゴなどの弦に嫌悪感すら持ったものだ。子息による氏の記録映画で御大自ら吐露されたように「ドレスデンの弦の美しさは、決して意図して達成できるものではない。」の意味が、身に染みて伝わってくる演奏である。再現不能といえる至宝である。

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     2020/05/06

    N響は、デュトワ着任前と後で“音の機動性”について大変容を成し遂げたと思っている。このDVD視聴前に、CDで販売された山田御大のマーラー5番+モーツァルト38+41番のCDを聴き込んだ。やりたいことはかなり良く解るし、デュトワ前の音の立ち上がりの相当鈍いN響が当時の総力を注入しているのであろうことも了解された。マーラー2楽章、3楽章での金管(Trp Hrn)のミスも愛嬌に、星5つと思った。しかし、このDVDはそのやりたいことの心情的背景を、指揮者と一体となって体感できる。まさに、山田御大を知るための記録である。金管がしんどくない41番では、BPO相手にヤマカズさんが振ったといっても気付かぬほどの統率感と強い推進力を体感できる。あの当時、テンシュテット、ハイティンクを追い回す前に、この指揮者をもっと聴いておけば良かった。デュトワ前のN響の3大名演=スイトナー+モーツァルト、マルケヴィッチ+悲愴+展覧会、そしてこのヤマカズ盤、という私見です。

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     2020/05/05

    ヤマカズさんの最晩年は、私の20歳代後半。当時は、この3曲のすべてで、日本人指揮者で聴こうなどとは思わず、クーベリック、ハイティンク、スイトナー、バルビローリなどを貪っておりました。あれから30年、このCDを聴きこんで思うに、この国のマーラー演奏先駆者は、世界に誇れるWien音楽の代弁者に成熟していた。3曲いずれも緩徐楽章の優しく繊細な描出には、ため息が出るほど。何をしたいのかが手に取るように解る演奏、これが匠の技なのだろう。N響の41番で、これほどの奏者全体の一体感が体感されるのは、スイトナー盤以来だろう。

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