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一人のクラシックオールドファン さんのレビュー一覧 

検索結果:2357件中256件から270件まで表示

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     2013/03/10

    本盤はアルゲリッチが弾くラフマニノフとチャイコフスキーのピアノ協奏曲ライブ盤で色々反復して出ている様です。先ずその彼女が41歳の1982年に収録したラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(タイム@15’35A10’50B13’35)でバックはまだ若き30歳前のシャイー指揮ベルリンRSOでのライブ収録であります。全体タイム的には比較的短い感じになっていますが第1楽章淡々ながら少し含みのある出だしですぐにあのアルゲリッチ節が次第にヒートアップしつつやっぱり達者に炸裂します。オーケストラはシャイーなのかゆったり目に潤いを持って進みますがピアノに引きずられ気味は否定出来ません。第2楽章も傾向としては同様でしっとりメロディ優先のオーケストラに続いて切り込み豪華絢爛なピアノとの対照がライブそのもので面白いと言えば面白いですがちょっと不自然な域にも思いました。最終楽章は驀進一途にピアノは更に本性を表し弾きまくりオーケストラとはドタンバタン・・・まぁ、こういう演奏もラフマニノフのロシア的雰囲気とはズレてはいても一聴は楽しいですね。彼女のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番演奏盤はこのライブ演奏が唯一なのか確認しておりません。次にアルゲリッチの弾くチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番には数種類の録音盤がありどれも彼女の熱っぽい凄さが特色となったものです。本盤はそれらの内で1980年コンドラシン(当時66歳)/バイエルンRSO分がバックでタイムが@19’13A6’19B6’55(拍手込み)のライブ録音のものです(因みに他の代表的な演奏盤をサンプリングしますと1970年(1967年?)デュトワ/RPO分が@21’16A7’30B6’56、1994年アバド/BPO分が@19’10A6’28B6’26などとなっております)。ライブ雰囲気が満ち満ちて第1楽章割とホール反響が大きい処は別として彼女の音は生々しく飛び跳ね管楽器の切り込みも活きて来ます。いつかの本演奏に「その時ピアノは火を噴いた」というキャッチコピーが付けられていた様ですがカデンツァはもっと彼女なら暴れる処こじんまりした感じに聴きました。中間楽章は管との対話で比較的抑えめにピアノは進み意外と繊細抒情的な面が味わえます、この楽章は美しく弾いているなっていう感じです。いよいよ第3楽章・・・冒頭のちょっとした彼女の怪しいタッチもライブならではのご愛嬌。行け行けドンドンでの迫力は素晴らしいです。溜めを効果的に噛ましつつ暴れに暴れて燃え立った演奏をバックが見事にコントロールしているのは流石コンドラシン在っての事だと思いました。最終コーナーコーダ寸前のピアノは多分アルゲリッチ世界そのもので凄かったです・・・万来の拍手が更に雰囲気が盛り上がりました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/09

    先日アリス=紗羅・オットのCDにレビュー書き込みしたのですがアルゲリッチもかつて勿論若い時代があったのです・・・ジャジャ馬的にもてはやされた年月もとっくに過ぎ早いもので彼女も七十歳を超え高齢者仲間としてうるさい指導者として君臨?さて、本盤はその彼女が41歳の1982年に収録したラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(タイム@15’35A10’50B13’35)でバックはまだ若き30歳前のシャイー指揮ベルリンRSOでのライブ収録盤であります。全体タイム的には比較的短い感じになっていますが第1楽章淡々ながら少し含みのある出だしですぐにあのアルゲリッチ節が次第にヒートアップしつつやっぱり達者に炸裂します。オーケストラはシャイーなのかゆったり目に潤いを持って進みますがピアノに引きずられ気味は否定出来ません。第2楽章も傾向としては同様でしっとりメロディ優先のオーケストラに続いて切り込み豪華絢爛なピアノとの対照がライブそのもので面白いと言えば面白いですがちょっと不自然な域にも思いました。最終楽章は驀進一途にピアノはイラツキ気味に更に本性を表し弾きまくりオーケストラとはドタンバタン・・・まぁ、こういう演奏もラフマニノフのロシア的雰囲気とはズレてはいても一聴は楽しいですね。彼女のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番演奏盤はこのライブ演奏が唯一なのか確認しておりません。併録のネルソン・フレイレとの共演である二台ピアノの組曲第2番(同20’45)は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/08

    ムソルグスキー「展覧会の絵」は彼の友人であった画家の遺作展での10枚の絵画の印象を音楽に仕立てたものでオリジナルはピアノ曲であり、もう一つはクーセヴィツキー依頼によるラヴェル編曲のオーケストラ版があります。この二つの聴き比べは中々楽しいものでありクラシックにあまり詳しくなくても何かの機会で聴いた人は多いと思います。私はピアノ曲から聴き始めそれはリヒテルのソフィアでのライブ演奏LPで音色は貧しくてもライブの緊迫感・迫力感は忘れられません。そのピアノ版を本盤は24歳のアリス=紗羅・オットが2012年に弾いたこれもライブ演奏(タイム35’03)でこの後彼女は日本でもこの曲を引っさげて演奏会をあちこち開いた様で概ね好評であったらしいです。何より凛として端麗な容姿の美人であることがプラス要素であることは間違いはなく私もややミーハー的ではありますがそれに乗っているのでしょう(別コンサートでの画像サンプルで彼女のルックスも・・・)。とは言うものの演奏は強打鍵による迫力と繊細に紡ぎ出される緊張が中々ライブならではの聴き処であります。スタートのブロムナードはやや硬めにゆっくり目でしっかり踏みしめて行きます・・・以降の何回か出て来るプロムナードはその時折の弾き分けを聴きましょう。「小人」では不気味に間を取って強い当りで音の構成感を明確に表しています。「古城」はもう少しニュアンスを強調して欲しくはありましたがこの辺りが敢えて抒情性というものから距離を置いたこの演奏の特徴なのかも・・・そして「テュイルリーの庭」での子供の騒々しい喧嘩の様子や「ビドロ」の重々しい様子では音の透明感に触れた思いです。「卵の殻をつけた雛の踊り」での滑稽さに続けて「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では恐い者と弱い者との対比をちゃんと表し〆は思い切り鍵がたたかれます。賑やかに「リモージュの市場」を過ごして間を取りながらの「カタコンベ」からブロムナード変奏的に「死者への呼掛け」に入って行きます。「鶏の足の上に建つ小屋」からいよいよラスト「キエフの大門」へは一つ一つ音を押し出しつつ迫力を増しながらゆっくり大きく間と溜めをとってクライマックス化してやや力技的に曲は閉じられます・・・海外でのライブの割りには割りとすぐに拍手が入りこのリサイタルの白熱的雰囲気が把握されました。まぁ、先のリヒテルやホロヴィッツと言った大家、ポゴレリチ、ウゴルスキ等中堅の男性陣演奏とは別の立ち位置で残って行くであろう(本盤は高音質盤としても)素晴らしい演奏かと思いました。シューベルトのピアノ・ソナタ第17番(タイム@9’07A11’08B8’27C9’00)他は聴いておりませんので★一つ保留しています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/07

    ムソルグスキー「展覧会の絵」は彼の友人であった画家の遺作展での10枚の絵画の印象を音楽に仕立てたものでオリジナルはピアノ曲であり、もう一つはクーセヴィツキー依頼によるラヴェル編曲のオーケストラ版があります。この二つの聴き比べは中々楽しいものでありクラシックにあまり詳しくなくても何かの機会で聴いた人は多いと思います。私はピアノ曲から聴き始めそれはリヒテルのソフィアでのライブ演奏LPで音色は貧しくてもライブの緊迫感・迫力感は忘れられません。そのピアノ版を本盤は24歳のアリス=紗羅・オットが2012年に弾いたこれもライブ演奏(タイム35’03)でこの後彼女は日本でもこの曲を引っさげて演奏会をあちこち開いた様で概ね好評であったらしいです。何より凛として端麗な容姿の美人であることがプラス要素であることは間違いはなく私もややミーハー的ではありますがそれに乗っているのでしょう(別コンサートでの画像サンプルで彼女のルックスも・・・)。とは言うものの演奏は強打鍵による迫力と繊細に紡ぎ出される緊張が中々ライブならではの聴き処であります。スタートのブロムナードはやや硬めにゆっくり目でしっかり踏みしめて行きます・・・以降の何回か出て来るプロムナードはその時折の弾き分けを聴きましょう。「小人」では不気味に間を取って強い当りで音の構成感を明確に表しています。「古城」はもう少しニュアンスを強調して欲しくはありましたがこの辺りが敢えて抒情性というものから距離を置いたこの演奏の特徴なのかも・・・そして「テュイルリーの庭」での子供の騒々しい喧嘩の様子や「ビドロ」の重々しい様子では音の透明感に触れた思いです。「卵の殻をつけた雛の踊り」での滑稽さに続けて「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では恐い者と弱い者との対比をちゃんと表し〆は思い切り鍵がたたかれます。賑やかに「リモージュの市場」を過ごして間を取りながらの「カタコンベ」からブロムナード変奏的に「死者への呼掛け」に入って行きます。「鶏の足の上に建つ小屋」からいよいよラスト「キエフの大門」へは一つ一つ音を押し出しつつ迫力を増しながらゆっくり大きく間と溜めをとってクライマックス化してやや力技的に曲は閉じられます・・・海外でのライブの割りには割りとすぐに拍手が入りこのリサイタルの白熱的雰囲気が把握されました。まぁ、先のリヒテルやホロヴィッツと言った大家、ポゴレリチ、ウゴルスキ等中堅の男性陣演奏とは別の立ち位置で残って行くであろう素晴らしい演奏かと思いました。シューベルトのピアノ・ソナタ第17番(タイム@9’07A11’08B8’27C9’00)他は聴いておりませんので★一つ保留しています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/06

    イタリア・オペラ界でアバドやムーティの後釜としてシノーポリ亡き現在随一の存在位置にあるR.シャイーのレコーディング・レパートリーで意外とマーラーに重きが置かれていた様で結果としてRCOを振ったマーラー交響曲集が残っており本盤はその内の一つ1995年シャイーが42歳の時演奏した交響曲第1番「巨人」(タイム@16’34A8’24B11’03C21’00)でこの曲に求め勝ちになる・・・例えばバーンスタイン/RCOで聞かれる様なユダヤ的激情型の演奏とは少し路線を異として豊かな色彩感で歌謡性を明るめに施した独特の雰囲気を持った演奏でその演奏方法によるのか録音方法によるのか私には分りませんが個々の楽器・・・特に管楽器の鳴りがクローズフップされる感じで他の演奏では聴き取れない音型も浮かんで面白かったですね。第1楽章はやや粘り勝ちにスタートしますがすぐにその管の浮かびが聴き取れます。移行部は美しく流れて行きますがメリハリ感が今一で混沌さを強調する辺りは何か行き当たりばったり的な追い込みというかライブ的な印象を受けました。第2楽章では邪魔なくらい管が動きまわりますが中間部はゆっくり目に焦点をずらせない様に底力を見せつつ進みそして〆はテンポアップ。第3楽章でも生々しい個別楽器のセクションが鮮明に分離して聞えました・・・少し不自然かなと思いつついや中々効果的にも感じた次第であります。最終楽章はドタンバタンの例のスタートからなし崩し的に進めここではシャイーの歌謡的要素がドラマチックに展開されます。何回か溜めてピークがあり迫力を増しつついよいよ最終コーナーはたっぷり墨を含んだ大筆でテンポを速めに揺らせつつキンキン音に鳴るくらい一気に画き上げた演奏であります。まぁシャイーが言いたい放題の時間を充分かけた私にはユニークな演奏になりました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/05

    チャイコフスキーと言えばバレエ音楽とか交響曲なら「悲愴」を含む後期三交響曲そしてピアノ協奏曲・ヴァイオリン協奏曲等が作品として挙げられ聴かれる機会が多いのですがチャイコフスキーには珍しい本盤ピアノ独奏曲「四季」は比較的私達の生活感覚に近い曲として私は全曲(1月「炉辺」、2月「謝肉祭」、3月「雲雀」、4月「雪割り草」、5月「五月の夜」、6月「舟歌」、7月「刈入れ」、8月「収穫」、9月「狩猟」、10月「秋の歌」、11月「トロイカ」、12月「クリスマス」)を本盤マツーエフ演奏で初めて聴きました。雑誌の企画依頼により毎月の季節風物感へのロシア詩人による題材作品をヒントに作曲されたもので私などは6月「舟歌」や11月「トロイカ」位しか今まで聴きかじってはおりませんでしたが今回本盤演奏に接して中々地に着いた作品だという事が先ず正直な感想であり勿論他の演奏との聴き比べなどは出来ておりません。本盤演奏は2005年マツーエフ30歳の時の録音(トータルタイム41’45)で若いのにも拘わらずロシア音楽のルーツを思わせる深く内省的な表現が各月に夫々展開され、マツーエフが単なる技巧派のピアニストではなく真のヴィルトゥオーゾであることを示した演奏となっているのではないでしょうか。マァ、何れの月もその風物感をロシアン・ピアニズムにより慈しむ如く表現されておりこの作品の「普遍性」を高めております。このチャイコフスキー「四季」とある意味対照的な併録されたストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」からの三曲「ロシアの踊り」(2’26)、「ペトルーシュカの部屋」(4’28)、「謝肉祭の日」(8’16)は迫力あるタッチとそのアクロバット的テクニックが前面に打ち出された演奏でこれはこれで本来的なロシアのエネルギーが味わえる物と思いました。ただ私にとってはマツーエフという若者が私達に身近な季節を正統的に運び扱った「四季」が最高ランクになった次第です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/04

    本盤はヴァンスカとラハティSOによる交響曲シリーズの第二弾で1996年ヴァンスカが43歳の昇り調子にある頃の第2番(タイム@9’17A14’28B5’58C14’57)と1997年録音の第3番(同@10’15A11’12B8’51)の演奏であります。私は第2番の方を聴いておりましたので感じた事を述べさせていただきます。第1楽章スタート・・・若干篭ったというか濁った音色の弦と大らかな管が先ず特徴として捉えられます。展開部ではその弦が高い音で美しく変化し北欧的な野性味も出して行き、特に中段のゆっくりした進め方にスリリングさも込めたドラマチックな味わいを表します。強かなテンポの動かし方にも要注目ですね。第2楽章はじっくりと思い入れたっぷりに長い息つぎを入れつつ中々立体的な感じです。第3楽章以下では管メロディから引っ張られる様にあのピーク感を予感させ比較的テンポは速く過ぎたりゆっくりする処をよりゆったりと構え北欧ムードを炊きつけて行きます。決して荒々しくもならずに且つダレずに〆に向かって管楽器の咆哮に結びつけますが何となくそう単純ではなくこのコンビの演奏の繊細さを見た思いです・・・この辺りのニュアンスは聴いてみないと分らないかも知れませんね。そういう面では新鮮さもある演奏で全体として地元の強さを示してこのオーケストラが本来持ち合わせているであろうローカルな特色を巧く使った演奏で素晴らしいと思いました。ヴァンスカには後年2011年ミネソタOを指揮した第2番(同@9’11A16’28B5’47C14’38)収録もあるそうです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/03

    確かモーツァルト弾きとして日本デビューを果たしたピリスにとって本番ピアノ協奏曲第20番、第27番の収録は二度目で2011年録音演奏、ピリスはもう67歳になっており伴奏はこれまた80歳前のアバド指揮するモーツァルトOで最近リリース物からすれば何となく高齢者?コンビ(そう言えば今日は雛節句・・・年月の過ぎるのは早いものですね)の演奏であります。まぁ、甘いも酸いも噛みわけた両者であり特に作為に走るわけではなく所謂モーツァルトらしい流麗さはあるものの私には分厚めの音響仕上がりになっていると思いました。聴きようによってはちょっとマトモ過ぎて面白みに今一歩と感じる向きもあるかもしれませんがこの年齢からもたらされる独特の深みに触れる感じは味わえるのではないでしょうか。ピリス/アバドによるモーツァルトのピアノ協奏曲の収録は1990年代初めに四曲ほど行われたきりとなっており約二十年ぶりの再開?なのかとにかくビジネスベースではない処に彼らの思いを窺う事が出来ます・・・アバドにとってBPO責任者からの解放的意味合いもある様に思いました。第27番(タイム@13’39A6’23B8’51)の方はこの曲によぎる「枯れ」というものは余り感じられない演奏で硬い響きのピアノタッチが瞬間に溶けてしまうテイストが独特なのでしょう。この辺りの感触が第20番(同@14’48A8’24B8’07)により出ておりこの曲の「悲劇的切迫感」が軽減されHMVレビューを借りれば「暗く劇的な緊張感に奇跡のような光を織り交ぜた」充実感に満ちています。何れも昨今のライト級の演奏ではなくミドル級以上の我々世代には分かり易い最高ランクの演奏であります。ピリスの一回目の録音は1977年A.ジョルダン/ローザンヌCOバックで行われておりタイムは第20番(@14’46A9’39B8’13)、第27番(@14’06A8’04B9’14)と夫々中間楽章が長めになっておりました。又アバドは1970年代グルダ、1980年代ゼルキンのピアノでこれらの協奏曲伴奏指揮を行っております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/02

    マンゼとエガーのコンビによる演奏盤は何枚かリリースされておりお互い気心の知れた両名がまだ三十代の2001年(マンゼ36歳、エガー38歳)に収録したバッハの一台チェンバロの為の協奏曲を中心に収めたCDです。バッハのチェンバロ協奏曲集と言えばレオンハルトとかコープマンがすぐ浮かびますが本盤演奏は全体派手さを抑えて割りとゆったりした雰囲気を込めた感じになっています。闊達自在さのあるマンゼ/AAMのバックに乗って繊細で時として迫力感をエガーはチェンバロで披露して行きます。私は本盤収録曲の一部しか聴いていませんが大抵こうしたチェンバロ協奏曲集を聴き通すには進むにつれて単調さというか退屈感に襲われる場合が無いと言えば嘘になってしまいます。さて、代表曲として雄大なスケールのBWV1052チェンバロ協奏曲第1番を取り上げてみます。この曲はオリジナルは多分ヴァイオリン協奏曲だったのでしょう・・・力強く情熱的なテーマの第1楽章からして印象的でバッハ自身も気に入ってカンタータ・シンフォニアに転用したりして晩年チェンバロ協奏曲に編曲されたものでこの演奏(タイム@7’25A7’25B8’03)のその第1楽章出だしやや切れ々に時に弦にアクセントポイントを入れたりスラーに流したり強かに表現幅豊かでかつ現代風になっています。この楽章に絶対要求されるアグレッシヴさと表現の揺れ幅は素晴らしく思いました。中間楽章は若干重たげにたゆといます、そして最終楽章は再びアクセントのある楽章ですがチェンバロの即興さも噛まして単調に陥らず簡潔なバックサポートの効き目も良く音楽性がしっかり保たれております。全体としてそんなにチャラチャラしない出来上がりで録音もチェンバロ・ソロがそんなに浮き立つ程クローズアップされていませんが私のレベルでは満足です。他の収録曲のタイムデータをメモしますとBWV1044(トータルタイム22’25)、BWV1053(同20’10)、BWV1054(同16’51)、BWV1055(同13’59)、BWV1056(同9’17)、BWV1057(同15’49)、BWV1058(同13’34)といったところです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/01

    サヴァリッシュ、アラン、クライヴァーンと続けて我々世代が親しんだ演奏家が亡くなってしまって・・・本盤は彼らよりもっと古い演奏家であるA.ブッシュその他のメンバーによるバッハのブランデンブルグ協奏曲(1935年録音)と管弦楽組曲(1936年録音)の復刻CDで私は以前その内ブランデンベルグ協奏曲第4番、第5番が主に入った別CDを聴いていました。更に先日偶々住んでいる市内で開催されたSPコンサートで当該ブランデンブルグ協奏曲第4番(タイム@6’42A4’39B4’14)と第5番(同@11’14A6’19B5’27)を聴きました。そのSPコンサートの主催者の方の説明では当該SPは同市に住んでいたかの貴志康一が以前聴いていたコロンビア盤そのものだそうで何か感慨が倍加する様な気になりました。私のようなオールドにとってさえ演奏そのものがもう古い化石みたいな位置づけでSP盤を約四分毎に裏表とっかえひっかえターンテーブルにおいてプレイヤーハンドルを各回まわして針も交換してスピーカーから出て来る古色蒼然な音色に聴き入りました。私には第5番の方が各演奏者の動きが捉えられて良かった様です、演奏者はA.ブッシュ(指揮とヴァイオリン、当時44歳)、M.モイーズ(フルート、同46歳)そして若きR.ゼルキン(通奏低音ピアノ、同32歳)その他で当時楽壇の誇るメンバーを集めての録音は「演奏家の時代」らしく今世紀初頭の「ノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)」の演奏様式と古楽復興運動の最良の遺産となっておる様で昨今のセカセカした演奏とは一線を画す結構活き活きと元気の良い分かり易い演奏かと思いました。ゼルキンは私のLP時代にも健在な演奏家でこの演奏では若手でもあるのか遠慮気味に或いはたどだとしくさえ(勿論奏法上の一つのテクニックです)聞える時もあったものの第1楽章後段でのカデンツァではゆったり進めて後段テンポをアップ気味に動かして清冽なバッハを展開しており深沈たる趣の第2楽章ではブッシュ、モイーズ等との緊張感は中々のものでした。まぁ、とにかくロマンチックな第5番でSP盤の六回での取替え(ブランデンブルグ協奏曲の第5番を聴く為には盤6枚の各A面をかけないとならないものらしく)での中断にも集中力を欠かさず取替え間の独特の沈黙雰囲気も味わえた次第です。第4番の方も各楽器・・・ここでは特にモイーズ親子フルートが活躍する第1楽章が素晴らしいですね。私には少しダレ気味に聞えた中間楽章は〆で充分引っ張って網膜に残る映像感覚となり、その代わり最終楽章は速いテンポでシンフォニックな響きが特徴となっています。本CDの他の収録曲・・・ブランデンブルグ協奏曲第1番(トータルタイム21’58)、第2番(同12’58)、第3番(同9’11)、第6番(同21’28)、管弦楽組曲第1番(同22’09)、第2番(同20’58)、第3番(同20’08)、第4番(同20’58)・・・は聴いておりませんがSPコンサートで感じた事に引っ掛けてコメントさせていただきました。素晴らしいランクとしますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/02/28

    昨年2012年はショルティ生誕百年ということで本盤リリース意図もあったのか確かなことは知りませんが元々の企画がハイドン没後二百年記念の為に十年がかりでLPOを指揮して収録した所謂ザロモン・セットと呼ばれる12の交響曲で各曲の録音年、演奏タイムは終わりの方のメモを参考にしていただきたいと思います。どの曲も大体二十分強の親しみ易いハイドンならではの作品ではありますが意外と演奏は難しくオーケストラ、指揮者間の緊密な連携がより要求される様です。ショルティとハイドン交響曲との結びつけが私などのようにとにかくオーケストラを豪快に鳴らせてその強引さばかりが印象として根付いてしまっている向きには少し視点を新たにする必要がありました。ただ代表曲を幾つか聴いてみて序奏等での骨々しい遅さと展開部への大層な運びそして迫力感に満ちた〆はやはり彼らしい処が満載でベートーヴェン以降のシンフォニック・サウンドも過ぎりましたがザロモン・セットに相応しいオーケストラのお陰もありきびきびとした雰囲気も盛り込まれて、こうして聴き進みますと階段を一段上がった様に彼の良さに近づけた気になったものです・・・特に昨今の尤もらしく軽々しい演奏と比べますとオールドファッシヨンには違いありませんが・・・。実はショルティのDECCAからの指揮デビューは1949年同じLPOを振っての第103番「太鼓連打」その他でありハンガリーの指揮者としてドラティ同様ハイドンは重点項目になっていたのではないでしょうか。第93番(1987年、タイム@7’32A5’53B4’56C5’51)、第94番「驚愕」(1983年、同@8’24A5’43B5’30C3’50)、第95番(1985年、同@6’43A5’34B5’20C3’50)、第96番「奇蹟」(1981年、同@7’06A6’08B5’31C3’39)、第97番(1989年、同@7’11A6’42B4’01C5’15)、第98番(1991年、同@6’58A5’22B5’40C8’39)、第99番(1986年、同@8’37A9’01B6’25C4’30)、第100番「軍隊」(1983年、同@7’59A5’51B5’07C5’16)、第101番「時計」(1981年、同@8’46A7’06B8’18C4’41)、第102番(1981年、同@8’31A7’10B6’40C4’34)、第103番「太鼓連打」(1981年、同@8’49A9’57B4’56C4’42)、第104番「ロンドン」(1985年、同@8’39A7’35B5’22C6’43)・・・以上12曲が本盤収録分であり、前回の録音分は第100番「軍隊」(1954年、同@6’01A5’39B4’14C4’15)、第102番(1954年、同@8’17A7’17B5’38C4’19)、第103番「太鼓連打」(1949年、同@8’03A7’54B4’21C4’48)の3曲であります。又、第104番「ロンドン」には1996年VPOを指揮したライブ演奏(タイム未確認)も残っているそうです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/02/27

    本盤はティーレマン/PHOによるシューマン交響曲集の内2001年収録の第1番「春」(タイム@12’19A7’04B6’15C9’24)及び第4番(同@11’56A4’59B6’20C10’31)です。ティーレマンは歌劇場をマスターした純粋ドイツ指揮者として次第に活躍の場を広げて本シューマン交響曲はそのハッキリした個性で存在感を益々高めつつある彼が42歳の頃の演奏です。オーケストラがPHOだけに対応能力も高くドイツ的感触?が巧く打ち出されております。先ず第4番の方を聴いて感じた事をメモしますと第1楽章、分厚めのハーモニーでスタートし確かなどっしりした足取りで進めて、コーダも充分効果的に収めます。この楽章演奏がこの曲中一番説得性があった様にも・・・。第2楽章は遅めのテンポで運びつつソロのVも穏やかに入れます。ただ私の聴き違いかも知れませんがゆっくりし過ぎた箇所でのアンサンブルをもう少し詰めて欲しかった気がしました。第3楽章はギスギスせず且つ重量感あるサウンドが最終楽章の軽快さを強調した結果となりました。第1番「春」の第1楽章は若干音色が篭った感じでもう少し開放的であってもと思いました。その反動なのか最終楽章は結構堂々としたスケール感がありタイトル通りの華やかな雰囲気が伝えられた様に思いました。どちらの曲も演奏アイデンティティ・・・一貫性から物足りない処もありまだ若かったティーレマンの演奏スタイルの一過程なのかも知れませんね・・・PHOの良すぎる対応性も要因の一つかも??。OKランクにさせて下さい。押し出しの立派な本格派指揮者としてこれから五十歳代後半〜六十歳代への実績積み上げが楽しみであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/02/26

    先日サヴァリッシュが亡くなった記事が新聞に載っていました。サヴァリッシュと言えば私がクラシック音楽を聴きだした頃「史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、きわめて才能のある指揮者として将来を嘱望されている」触れ込みで注目されていた指揮者で1960年代からNHKSOを振った指揮姿がよくTVでオンエアーされていた事もありNHKSOの心意気を巧く引き出しコントロールした日本に大変馴染みある演奏家の一人でした。立ち回りが不器用なところもあったのかBPOとかメトロポリタンには縁薄く超一流の域には達せず・・・2006年には引退していた、とは言っても亡くなってしまうとやはり寂しいものですね。本盤VSOを振ってのブラームス交響曲はLPでもよく聴いた演奏で決定盤とまでは評されなくても知情バランスがよくとれて揺ぎ無い構築感で仕上げられた演奏かと思います。データ的なものをメモいたしますと本盤に入っている第2番は1959年録音でタイムは@14’46A9’37B5’11C9’26で、第4番は1963年録音タイムは@12’03A10’38B6’04C9’54となっております。先ほど述べた様に割と早くから接していたもので懐かしい音色のVSOを指揮しての若きサブァリッシュ・・・ある意味では夢も希望もある時代だったのかもしれません。交響曲全4曲ともソレナリの水準に達した音作りで私はサヴァリッシュ36歳の若さ、溌剌さから1959年録音の第2番を筆頭に採ります。知的ルックスから破綻の決して無い論理的で丁寧な演奏はスケール感?にもう一つ乏しい印象が残るものの冒頭述べましたように息の長い盤には違いありません。なお、サヴァリッシュは後年別のオーケストラでブラームス交響曲集を再録しており第2番は1971年ライブ録音NHKSO(タイム未確認)、1989年収録LPO(同@15’15A9’56B5’10C9’33)そして第4番の方は1975年ライブ録音NHKSO(同@12’20A11’12B6’21C10’42)、1989年収録LPO(同@12’39A12’12B6’27C10’27)といった具合でタイムを見ても何れも比較的ブレの少ない安定型演奏であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/02/25

    パガニーニとブルッフのヴァイオリン協奏曲には私は若い頃フランチェスカッティの演奏LP盤で聴いていたのですが曲自体の華やかさと演奏テクニックの華やかさに正直マァ私の好みから少し距離を置いた曲になっておりました。勿論他の演奏者の分もつまみ食いしたものの若い頃の先入観って中々消滅しないものです。そうした状況で本盤演奏を聴く機会があって先ず石川静というプラハ近辺に活動拠点を置いた日本の・・・しかも若い女流ヴァイオリニストが弾いた両曲演奏に先の距離感を少し縮め得る印象を持ったのでした。パガニーニのヴァイオリン協奏曲の方は1975年収録で彼女がまだ21歳でありバックがコシュラー(当時47歳)/プラハCOという組合せはバックのしっかりした運びに彼女も乗り易かったのではないでしょうか、勿論歌う様なVの美しい音色は満ち満ちてはいますが決してこれ見よがしの技巧の華やかさはなく真摯な初々しさがブレンドされ演奏タイム@20’31A5’55B10’46とフルタイムに聴く体勢を正した次第です。同年収録の同じメンバーによるチェコの作曲家スラヴィークのヴァイオリン協奏曲第2番(タイム12’13)は初聴きですが堂々としたテーマを展開する分かり易い曲でありました。1978年収録のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(同@8’02A8’38B7’25)はビエロフラーヴェク(当時32歳)/ブルノ国立POのバックでの演奏でこれもこの曲にすれば着実過ぎる演奏展開が面白みからすればいろいろ好みが出てくるとは思います。しかし弦楽器国であるチェコでの彼女の位置づけが高まりつつある頃でもあって過度なロマンティズムを抑制した正攻法の演奏は私は好感を持ちました。なお、石川は後年2002年このブルッフのヴァイオリン協奏曲を再録しておりバックは飯森/ヴェルテンベルクPOの演奏(同@8’30A8’46B7’53)であります。何れにしても本盤はまだ二十歳代の女性の演奏だったからという点は甘い評価につながっているかも知れませんが素晴らしいランクに・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/02/24

    本盤は日系ヌルメニアの若き女流ヴァイオリニスト、カテリーナ・マヌーキアンが同じアルメニア系のハチャトゥリアン作曲のヴァイオリン協奏曲を弾いたもの(タイム@15’25A12’55B9’39)で2005年収録というから彼女がまだ24歳の頃の演奏、バックはこれもまだ三十代の若き指揮者E.トプチアン率いるアルメニアPOであります。この曲は1940年に同作曲家からあの大ヴァイオリニスト、オイストラフに捧げられた曲で同年勿論オイストラフにより初演されたもので以前私は彼の演奏盤でこの曲に接していたのであります・・・そうした印象前提からすれば本盤彼女の演奏は第1楽章から当たりが幾分ソフトでありメロディを強調している様に聴きました。CDジャケットに見る彼女のエキゾチックな容姿が魅力的でアルメニアの民族性とのフィット感が素晴らしいですね。従って全体テンボは決して急がずオーケストラも着実に運んで行きます。併録のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番(同@13’04A6’41B14’08C4’55)では更に彼女の深い感傷的な旋律美が活きて特に第1楽章及び第3楽章の沈鬱な表現が印象的でありますね。まぁ、どちらの曲もアルメニアという国の文化的位置づけがクラシック音楽に独特の雰囲気を醸し出した演奏かと思います。なお、これらの演奏者の若さとローカル性が厳しい競争世界でいつまで持ち上げられるか・・・に今後懸かってきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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