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OWL ふくろう さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/18

    モノラルながらよく音を捉えている。ステレオ盤に何ら劣らない。むしろ、演奏の質は1960年のセッション録音のステレオよりワンランク上だ。
    これを聴いてしまったらセッション盤が聴けなくなるほどの内容がある。
    朗々とチェロを鳴らしているという印象だ。深夜じっくりと聴くのが良い。
    そうすれば、この演奏の意義が理解できるはずである。フルニエ氏が渾身の
    体で黙々とチェロを弾いている姿が目に浮んでくる。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/09

    今迄、ラフマニノフのピアノ協奏曲でどの演奏にも満足したことは一度もなかった。ラフマニノフを、ベートーヴェンやその他の作曲家のピアノ協奏曲と比較したとき名曲の作曲家と思えたことは一度としてなかった。
    ところが、この演奏に接して初めて、その考えが誤りであることを知った。
    ピアノのリズムといい、それに呼応して奏されるオケのリズムといい、なんと絶妙な必然性に満ちた音を奏でていることか、それを徹底的に教えてくれる演奏である。
    アシュケナージの演奏もハイティンク率いるコンセルトヘボウの演奏も、これがラフマニノフだと言わんばかりにハマッた演奏に没入していて、いったんCDをかけたらわが聴く耳を捉えて離さなくなる。
    ラフマニノフはこんな風に演奏してはじめて本領を発揮する音楽だということを、この盤によって学んだ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/25

    私は、ラヴェルの曲では、ピアノ協奏曲の2楽章にだけ主に関心を持って
    いる。
    1930年代のラヴェル自身の指揮による演奏と、1950年代のミケランジェリ
    のピアノ演奏を聴きたくて、このBOXを賈った。安いだけあって、BOX外観
    は立派だったが、中味の方は、解説もなし、CDがやっと取り出せるような
    窮屈なサイズの厚紙CDケースと雑な仕様である。
    肝心の演奏の方であるが、ラヴェル指揮の方は、意外と平凡な内容で拍子
    抜けだった。ラヴェルの指揮と知らなければ、全く注目されることはない
    だろうと思われるレベル。
    これに対して、ミケランジェリのピアノ演奏の方は、ピアノの一打一打が
    まことにきめ細かくコントロールが利いていて、しかもそれが自然な流れ
    を保っているので、非常に聴き応えがある内容となっている。しかも、
    古い録音にしては音が良く、ステレオである。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/03

    アルルの女第2組曲が、特に印象深かった。例のごとく、スローテンポで、全く別の曲を聴いているかのように演奏している。同曲「Intermezzo」は、別れを告げているかのように響いてきて、自分の心境によくマッチングしていて心持良い。とは言うものの自分で命を断つつもりはない。根本的に、人はお分れする。つねにそういう気持を持ってむしろ前向きに生きている。それにしても、純粋に美しい演奏だ。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/02

    聴きどころは、終楽章ソロと合唱。今まで何とストレスに満ちた、不自然で無理な発声の演奏を聴いていたんだろうと思うほど、ケーゲル氏指揮のこの演奏には、自然な音楽の流れが感じられる。今までこの音楽を、無理やり聴かせられていたかのような感がある、そのことに気付かせてくれる。全ての旋律、フレーズが、既成観念を超えて再構築された結果、必然した演奏と印象する。これは、奇をてらったり、うけをねらったりするその種の軽さとは無縁のものである。純粋に音楽を追及してきた氏のひとつの大きな成果であると思う。今後、この演奏は、新しい規範として大なり小なり後発の指揮者に影響をおよぼすことになると確信している。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/02

    聞き飽きた同曲を、今更ながら購入するのは勇気のいることだ。同日の前半演奏された「レオノーレ」と「田園」を以前聴いたとき深い感銘を受けていたのと、他のレヴューワーの感想に後押しされようやく購入。
    まず「運命」だが、「田園」のときと同様、非常に透明感のある響きがしている。また、聴き慣れたなじみの旋律やフレーズに、新しい発見をもたらしてくれたのも「田園」のときと同様である。氏の楽譜の読み込みが、幾重にもイメージしつくされた究極の演奏と印象する。しかも、翌年には同氏が悲劇的な終りを遂げることになるという指揮者自身が精神的な緊迫性を背景にもってなされた演奏であるから、いろんな意味で究極の演奏と言えるものである。
    次に「G線上のアリア」だが、なんと心のこもった演奏だろう。ぐっとくるものがある。「自分の葬儀のときにはこの演奏を流してもらいたい」とかいうレヴューがあったが、気持がよくわかる。
    ケーゲル氏の演奏を、一言で言えば、「まごころ」である。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/16

    ジャケットの表に、曲名だけが記入されている。開けてみてやっと演奏家名を確認できる。表の人物は、演奏家とは無関係なモデル。演奏の質はというと、他のレビューにあるのとだいたい同じ。ただ、強烈ではなく、しっとりとしているから、大変聴きやすい。音質も良い。チャィコフスキーの同曲のアクの強さに辟易していたが、それに対してこの演奏はホッとする内容で、詩情を感じられる場面もあってよかったですよ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/14

    この演奏ですね。尋常な演奏ではないですよ。他の演奏にはないスローテンポの間から聴えてくるものは、本当に人間の深い悲しみを知った者だけが出せるしんみりとした情感なのですね。しかも、それが、凄く美しく響いてくるのですね。この音が聴えるか否か、は、本当に瀬戸際を味わった者であるか否かに関わってくると思うのですよ。考えてみて下さい、シューべルトがこの曲を作曲したときに置かれていた状況、そしてまた、ケーゲル氏にやがて悲劇がやってくるという事実。死の境界、あるいは諦観の上に立って紡ぎ出された音楽、それを、ケーゲル氏は見事に演奏してのけた、ということです。深刻過ぎる批評と思われるかも知れませんが、そのような音楽、またそのような演奏、そしてまた、こういう鑑賞の仕方もあるということです。私には、この演奏は、老いの入ロに向いながら出会えた、音楽の深さをあらためて味わえた名演です。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/09

    カラヤンという指揮者が、ライブでは、セッション録音とは全く異なる魅力を有しているということに気付かせてくれる典型的な盤だと思う。私自身、この演奏によってカラヤン像が180度変った。そして、これをきっかけとして、セッション録音についても見直せるようになった。そして、晩年の録音でも、やはり、ウィーンフィルではなく、彼自身がしごき上げた(これがやがてトラブルとなったとしても)べルリンフィルのものが優れていると気付くようになった。ベルリンフィルの音は、彼自身がイメージした音を最大限表現できるいわば彼自身の楽器なのである。ウィーンフィルは、優れてはいるがあくまで借り物の楽器である。音の鳴り方の自然さという点に注目するとき、その違いは歴然としている。彼の完全主義が、セッション録音では、マイナスに働いているケースが多いと思う。音が隙もなくきっちりと出てくることで、演奏の完成度は高くなっても、生々とした音楽の伝達としては、マイナスに働いているのである。そういう意味で、このブラームスNo.1 は、カラヤン演奏の優れた面が、100パーセント聴けるものだと考える。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/07

    N響ライブ盤のシューべルト「未完成」で、すっかりケーゲルという指揮者のファンになった。聴き飽きたはずの同曲が、新しい深みをもって演奏されていた。さて、マーラー通でない私が、他のレビューを読んでこのNo.7を購入した。他のマーラーの曲はなじみだがこの曲だけは初体験である。一回目、二回目と聴く。どうも、先行レビューワーの書かれている意味がさっぱりピンと来ない。ところが5回目、6回目あたりで、他のマーラーの交響曲とは全く異なる印象をやっと得られるようになった。ケーゲルという指揮者によるこの曲が、テーマのメロディが基準となって朗々と鳴る様子が、耳を放せない魅力を有しているのがわかるようになった。今6回目の鑑賞となるが、5回目よりさらに良くなって、何と生々とした音楽だろう。飾らない音出しが素晴らしい。透明感のある清々しいすばらしいサウンドだ。他のレビューとは、かなり異なる感想のように受止められると思うが、これについては、先行のレビューワーも賛同してくれると信ずる。録音状態も抜群で、都響の演奏にも海外の有名オーケストラと比べて何ら遜色は感じない。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/03

    いままで聴いた同曲の演奏の中で、ダントツの内容。はじめてこの曲を、いい曲だと思った。たった1.000円ほどで、この盤が手に入るとは、一票の格差じゃないけど、不公平(しかしありがたい不公平)ですな。何度もこの曲を聴いたけど、聴いたことのない麗しい音が響いているではないか。ケーゲル氏のN響による「未完成」でも、聴き慣れた同曲に関して同じ経験をした。このような演奏に接するとき、彼の悲劇的な死は、まことに残念に思う。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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