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SS さんのレビュー一覧 

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/02/08

    発売予定日から3か月も遅れて、ようやく昨日(2020-1-31)発売された、デッカ原盤によるバックハウスのピアノ演奏集大成を聴くことができて大変悦ばしい。かつて名演奏の誉れ高かった、モノーラルのベートーヴェンのソナタ全集で、唯一出ていたイタリア・デッカ盤も廃盤になって久しい。私にとってこの38枚の集成を入手した理由が、このモノ―ラルの全集が目当てであることは、まぎれもない事実だ。
    これと現役のステレオの同全集という二本立て(ただし周知のように「ハンマークラヴィール」大ソナタはステレオでは録音できていない)を中心に、バッハ、ハイドン、モーツアルト、シューベルト、シューマン、ブラームス、ショパンという具合で、コンチェルトも全録音が揃っている。
    なお、本集成の録音は24bit/96kHzでリマスタリングされているが、従来のバックハウスのレコード、CDでは、録音が優秀だというデッカの評判にしては、いささか冴えない録音のような気がしてならなかった。それ故、音質がさらによくなる「…代(しろ)」または「マージン」がきっとあるだろうと思っていたところに、果たして、本セットは、2019年に24bit/96kHzでリマスタリングと明記されていたのだ。
    さて、ベートーヴェン初期のソナタのモノ―ラル録音からかけてみる。昔、モノのLP(廉価盤だった)で聴いたときの混濁とか、やや荒れた感触が消えて、壮年期のバックハウスの雄渾の相がはっきりした形で示されているように感じられる。およそ、ここでモノ―ラルの不具合などカウントしようにも、ないのだから仕様がない。ステレオの方も音質改善幅が大きく、ふっくらした響きで、さすがデッカの録音だ。さらに中期ソナタの充実ぶりには舌を巻くほかない。モノ―ラルの「アパッショナータ」では、かれの驚異のテクニックが好ましい形で現れている。まことにピアニズムの粋を示す爽快な演奏だ。
    それでもピアノだけでは音質改善も限定される。もちろん、ほぼ完璧で満足のいくレヴェルなのだが、合わせものになると、さらに改善の効果が相乗的に現れ、たいへん聴きごたえがある。バックハウスが合わせもの(室内楽)の名手だなんて、今回初めて知ったようなものだ。
    たとえば、ピエール・フルニエとのブラームスの二曲のチェロソナタでは、曲の良さを教えてもらうというありさまだ。このCDは最近国内盤を入手して聴いていたのだが、ブラームスの室内楽の名品で、中期と晩年の気分が横溢している。もちろん音がよいのは今回の輸入盤が際立っている。かれらなら、細かいところをいじらなくとも、自然な形で最善の姿が現出してくるが、バックハウスが大きな枠組みをしっかり定めて、その中で情緒的なチェロが最高度の美音で、大きな自由度を以ってロマン的だがやや渋い旋律を奏でるのだ。
    さらにコンチェルトでは、まずバックハウスの大得意な曲、第4で、モノ―ラルながら私が最も愛聴する、クレメンス・クラウスがヴィーンフィルを振って円熟(「枯淡」では決してない)の境地を示した録音を聴いた。これは、以前の盤ではオケが高音になるとキンキンして、やや耳障りになることがあり、ピアノもオケも柔軟さが不足していたのだが、いずれにも「切った貼った」の痕跡もなく見事に修復されていて、ありがたい。この場合のリマスタリングの成功は、やはりデッカが録音時に将来、改善可能な余地を残していた(結果として)からだと再確認できた。またヴィーンの絃や木管の再現にデッカ録音のプラットフォームが実に効果的だ。ソフィエンザールはデッカの専用スタジオと化し、ジョン・カルショウ、ヴィクトル・オルフらの名プロデユーサが采配を振るい、ショルティの「指環」(ヴァーグナー)の全曲録音をはじめとしたヴィーンフィルの名録音を生み出した場所だ。ここでの録音の好ましい成果が、本集成のステレオのコンチェルトシリーズに現れている。ハンス・シュミット・イッセルシュテットの指揮は、まず第1で、若々しい清新な演奏を聴かせる。晩年のバックハウスも余裕がある。実に楽しめる演奏と上質な録音を満喫できた。最後の、「皇帝」は、二人ともベートーヴェン中期のこの大作に対し音楽的総力を動員して、大金字塔を打ち立てたの感がある。聴いた後の充足感は、途轍もない大きい。

    ところで、かれのベートーヴェンの新旧のソナタ全曲アルバムを聴いて、それも、かつての権威の象徴だった、あるいはスタンダードとして広く聴かれていた、アルトウール・シュナーベル(これは2種類のリマスタリングで随分聴いたものだ、演奏はまさに表現主義の申し子だ。)、エドヴィン・フィッシャー、ヴァルター・ギーゼキングといった面々に加え、ヴィルヘルム・ケンプやエミール・ギレリスを経てフリードリヒ・グルダといった今風のものまで聴いてきて、バックハウスの「ぶっきらぼう」さ、ないしは強靭な精神とでもいうべきか、吉田秀和は、「強靭な本能の働き」と言っており、ときに「詩味」がほしくなると述べている。しかし、私はこれこそバックハウスの魅力の最たるものだと考える。詩味はベーゼンドルファーの音色で十分補えるのではなかろうか。さらに吉田は、バックハウスの演奏は、要するに曲が良ければよいほど演奏もよくなると言っているが、全く同感だ。
    ところが、バックハウスの演奏が認められるようになったのは第二次大戦後のことで、1920年代には、すぐれた批評家、音楽家のヴァルター・ニューマンはバックハウスのあらゆる側面を賞賛しつつも、「アカデミックな技術家であり新古典主義的音楽家にとどまる」とし、「音楽のニュアンスの微妙さに欠け、幻想力の飛翔、様式感の把握に弱い」とまで断じている。その頃は、シュナーベルの権威が最高であって、バックハウスなどは比較にならなかったのだ。
     それからブラームスの大人的なスケールの大きさは立派なもので、今回リマスターに助けられ、晩年の小曲集の印象を確かなものにした。そして第2コンチェルトの録音ポテンシャルは、かくも良好だったのか、第一楽章劈頭の柔らかいホルンソロの部分と、第三楽章始めで、チェロの独奏が息の長い旋律を美しく表現しているところで、それに加え絶妙なタイミングで、オーボエソロが、チェロの音色の上に乗ってニュアンス豊かに表情を加えるあたり、デッカの同演奏の最新盤をさらに上回るのは確実な、とても良好な音質だった。それにしても、この第三楽章の楽想が、ベートーヴェンの第九の同緩徐楽章によく似ていて、ブラームスのこの先輩への傾倒ぶりをよく示していると思う。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/09/14

    とりわけ15番=シューベルト最後のカルテットでは、晩年のかれのヴォキャブラリのほとんどが総動員される。その規模たるやハ長調の大交響曲や弦楽五重奏にも匹敵すると言ってもよいだろう。したがって、すぐれた四重奏団の試金石になる。普段はヴィーン・コンツェルトハウスで聴くが、アルバン・ベルク四重奏団の新しいライブ録音が見事であった。スケルツオのトリオでの精緻な美しさと、ものすごいスピード感がかえって情緒あふれる旋律を強く印象つける効果があることを初めて知った。しかも古式に倣いポルタメントをかなり利かせているのも異例であるが、その魅力には抗しがたい。これにはかなり高度なテクニックが必要であろう。私は、世評が?かったアルバン・ベルク四重奏団のモーツアルトやベートーヴェンを、あまり好きになれなかったが、この演奏で見直した次第である。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 19人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/06/03

    スヴャトスラフ・リヒテルが最もよい演奏を聴かせてくれたのは、やはり何といっても1970年代であろう。楽譜の読みの深さ、幻想的な味わいと明快な輪郭、すぐれた技巧と迫力あるピアニズム等々、いずれもかれのベストコンディションを示している。今回、14枚のCDで出たが、うち、シューマンの「交響的練習曲」と「色とりどりの小品」、ベートーヴェンの27番とブラームスのOp.118から、についてはLP時代に私の愛聴盤であったとりわけリヒテルのシューマンは、かれの若い時分から得意であったが、ここに円熟の極みを聴くことができる。リヒテルの天賦の才は、ほとんどシューマンに捧げられたかにみえる。真正のロマンティシズムが、これほど雄弁に、しかも余裕をもって弾かれるのを、かれ以外では一寸聴いたことがない。

     「平均律」第一、第二は、これまたLPから大事にしてきた演奏である。CDになってからは、オリジナルマスターをドイツBMGソノプレス・スタジオで、アンドレアス・ト―クラーが、24bit/96kHzリマスターしたものを聴いてきた。抜群の録音としてよみがえったのだが、強弱の対比がものすごく、少しオーバーアクション気味ではなかったか。今回の14枚については、オリジナル・アナログ・マスターを、タカハシユキオ氏が24bit/96kHzリマスターしたとあるが、音質改善は十分で、「平均律」では強弱が抑制されて、より好ましい状態であるといえるだろう。LPの時は、ザルツブルグのクレスハイム宮の残響が、音像を崩さんばかりであったが、リマスタリングで粒立ちのよい音像になったことは大きな改善点だった。
     スケールというよりキャパシティが途轍もなく大きいシューベルト晩年のソナタ二曲では、リヒテルが生み出す、さらに大掛かりな、構成力に満ちた建築のように、さらにダイナミックこの上ない演奏が再生されるのだ。

     ブリューノ・モンサンジョンの「リヒテル」(2000)で初めて公開された「音楽をめぐる手帳」で、リヒテルの自分自身の録音や、楽しみのために名演奏家の録音を聴いた時の率直な感想が書き綴られている。批判精神に満ちていて、とりわけ自らの録音についての批評はきびしいものがある。
     前述のシューマン、ベートーヴェン、ブラームスについて「手帳」ではこう書かれている。
    「ずいぶんと働いた。その結果が3枚の新譜となった・・・。
    今回の録音は完全にプロの仕事という感じだ。おかげで音楽家や一緒に仕事をした録音技術者たちからもよい仕事だと認めてもらえた。スタジオ録音にもかかわらず、本物の雰囲気と生き生きとした躍動感が出ている。成功だと言ってよいだろう。
    仕事をした録音チームの面々を感謝の気持ちと共に思い出す。<後略>」

     シューベルトのハ短調と変ロ長調のソナタの演奏は、リヒテルらしい壮麗なもので、しかもリマスタリングで曲想の立体感やシャープな立ち上がりが得られ、オリンピアレーベルとは雲泥の差というべきであろう。リヒテルは「手帳」でこう言っている。
    「この二つのシューベルトの遺作のソナタの録音は、欠点よりも美点が勝っている。特に変ロ長調の方の第一楽章は、私見では、最後まで適正なテンポを持続させている。」

     なお、この「手帳」には、コンチェルトの録音に自己批判が集中している。たとえば、カルロス・クライバ―とのドヴォルザークのコンチェルト、マゼールとのブラームス第2コンチェルト、さらに、ベートーヴェンの「三重協奏曲」におけるカラヤンの欺瞞の告発など興味深い。一方で、ロヴロ・フォン・マタチッチとのグリークの協奏曲の録音は、私の「正真正銘の成功例のひとつ」とした。全く同感である。

     今回のオイロディスクのセットで、ラフマニノフの「13のプレリュード」が圧倒的であった。ピアニズムの本質を完全に把握している、つまりかれ自身がヴィルトゥオーゾであったラフマニノフならではのこの難曲をどう料理するかはピアニスト次第だ。スケールの大きさと、ロマンティックな中身の充実がリヒテルならではで、しかも音質も改善されていっそう聴き映えのする演奏となった。60年頃の録音に較べると円熟の極みであることもわかる。しかし、ラフマニノフは24の前奏曲というバッハに連なるコンポジションを目指したが、柴田南雄によれば、「ドイツ音楽と異なり、フレージングやアーティキュレーションは一般に散文的で、アウフタクトにあっても和声的に律動的に強制されていない」ので、ロシアのピアニストでないと難しいのであろう。
    さらにラフマニノフの「音の絵」とチャイコフスキーは、なかなか聴くチャンスがないが、80年代の滋味あふれる演奏であった。ベートーヴェンとショパンにまで触れられなかったが、悪かろうはずはない。
     よってこの14枚のCDは、リヒテルの真価を知るにはうってつけのセットであることに間違いない。

    19人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 18人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/10/02

    グールドの全CDは、20bit・SBM盤で聴いてきたが、音質改善の余地は感じていて、新シリーズの期待が大きかった。バッハの鍵盤作品では、まず、揺るぎない安定性、つまり、正確で、メリハリのあるタッチ(アヴァンギャルドでマニエリスティックなグールドの演奏の基幹部分)の再現が要求される。それが従前では十分でなかったようだ。さて、バッハでは、多義的な解釈が許容されるので、ストレートなグールドの行き方はことごとく成功している。まるでかれがバッハの修辞法を知り尽くして演奏に臨んだかのようだ。ベートーヴェンのヴァリエーション、バガテルにも同様なことが言える。
    ソニーはハイレゾオーデイオ開発に注力し、そのノウハウのリマスタリングによる音質向上への寄与が推察され、DSDリマスタリング適用に大きな期待がかかる。
    何枚かを早速プレーヤーにかけてみた。「イタリア協奏曲」、「パルテイータ」第1番、2番は、元来、安定した録音であるが、リマスタリングにより、粒立ちのよさと良い意味での軽さを感じた。最初期、1955年の「ゴールドベルク」も同様で、聴きやすくなった。ノイズで重くなった録音で遭遇する疲労感を感じさせない。コンチェルトでもピアノの粒立ちのよさは認められる。さらに、初期のグールドの詩情が最大限込められた(吉田秀和氏が「手垢のつかないロマン主義の小妖精」と言った)、ブラームスの「間奏曲」集は、幾分色あせた秋の情景を感じさせるものだったが、今回、わずかであるが、淡彩画のような美しく明るい色彩感が加わった、これは素晴らしい。
    ただし、冴えなかった「インヴェンションォニア」だけは、根本的な改善には至っておらず、鈍いタッチが残る。これは残念であった。後半、音量を大きめに聴くと粒立ちの改善は確かに聴き取れる。これに次いで、締まりのよくなかった「平均律」第一巻は見事に改善され、グールドらしいタッチとなっていた。名盤ひしめく中で、この演奏の価値は、このリマスタリングによって、いや増したというべきであろう。それから、曲によっては賛否両論があるモーツアルトは、どれもアヴァンギャルドで面白く聴けた。それほどのグールドだからシェーンベルクの演奏も堂に入っていることは言うまでもない。
    そのような今回の改善効果を一言で譬えれば、ノイズなどで汚れたピアノの一音、一音を、清水で洗ったかのようで、損なわれた透明感もしくは、鈍化したエッジが適度に復元されるが如くである。このさじ加減は難しいところで、度が過ぎると「整形美人」になってしまう。グールドのノンレガート奏法、クラヴィコードのような、乾いた、切れのよい、時には引っかかるようなタッチは、透明度が高く、多声部の聴き分けも容易になったようだ。大方に強く推奨したい。

    18人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/03/16

    ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、初期、中期、晩年のかれの動向やら精神のあり方が直接感じられる室内楽の金字塔である。四重奏団たるもの、これらへのチャレンジに絶対的な注力を怠らないのは当然のことである。
    カペー、ブッシュ、バリリ、ブダペスト(3種)、ジュリアード(2種)、アマデウス、スメタナ(2種)、アルバン・ベルク、そして東京(2種)という具合に、入手できた録音は全部聴いている。いずれも定評があり、語り尽くされた感があるが、カペーの幽玄さ、ブッシュのドイツ精神の正統、バリリのヴィーン風音色の美、ブダペストの楽譜に忠実、といったところに落ち着いてしまう。一方で、最近の四重奏団では満足できる演奏を聴かせてくれることが難しくなっているのは残念である。アルバン・ベルクなど、どこが良いのかわからないくらいである。

    東京カルテットは、早くから高い実力が言われており、遅まきながら入手した2005〜8年録音のSACDでの全集は、立派な演奏(とりわけ初期作品は)であることは認めるが、どこか疲労感のようなものが漂っていて、残念ながら期待していたほどではなかった。
    そんな筈ではないと、ソニーに90年代初めに録音した全集−これはバジェット盤であるが、24bitのリマスタリングがされている−を入手して聴いてみた。これは目からウロコが落ちるがごとく、初期から晩年まで全曲が説得力のある演奏であることがわかった。とくに中期作品の密度が高い、と同時にこのキレの良さはどうであろう。ラズモフスキー第3は驚くべき快演であって、それでいて情緒面も十分である。それから、録音のせいなのか、四つの楽器のバランスが実に良いのである。とくにチェロが朗々と響き、安定感が抜群であり、ベートーヴェンが編み出した新機軸である、骨組みがしっかりした印象を与えている。テクニックの使い方、合目的性がはっきりしていることが成功の秘訣であろう。
    それから、この全集の嬉しい点がもうひとつ、かつてSP時代のブダペストにだけあったヴィオラ二本の弦楽五重奏曲(ハ長調、Op.29)が含まれていることである。初期ブダペストの演奏では、四重奏曲ほど練れておらず、微温的とでもいうべき段階に留まっていた。東京カルテットでは構成力が倍増して、神経の通った、しかもよく歌う素晴らしい演奏となった。これほどの曲であったとは・・・、ひとつベートーヴェンに名曲が増えたことは、私にとって劃期的な事件だと言いたい。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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