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金山寺味噌 さんのレビュー一覧 

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     2014/10/24

    2013年11月に開催された『本田美奈子.メモリアルコンサート』に出演した安倍なつみ(なっち)、その歌唱に感銘を受けた日本コロムビアからのオファーによって制作されたアルバム。クラシカル・クロスオーバーという新たなジャンルに進出し、ヴォーカリストとしてまた一段ステージを上げたようだ。MVで白いドレスを着てオーケストラを従え朗々と歌うなっちの姿には歌姫としての貫禄すら見える。スッときれいに伸びる高音、力強い低音の響き、いずれもモーニング娘。時代からは遥かに成長している。表現力もさらに深まっていて、娘。を卒業してから10年間ミュージカルやコンサートなどで積み重ねてきた研鑽と実績がムダではなかったことをなっちは自らの歌声で実証してみせた。ジャンルがジャンルなのでおなじみの「ハロプロ歌唱」ではなく、よりクラシック寄りの歌唱法に切り替えており、ヴォーカリストしての新境地を開拓したと言える。

    トップアイドルからミュージカルへ進み、さらにクラシカル・クロスオーバーまでやってきたというなっちの軌跡は、その道の先輩であった故・本田美奈子.さんの軌跡と酷似しており、それゆえに比較されることも多いだろう。しかし、歌手としての個性やスタンスの点で、本田さんとなっちは大きく異なっている。豊かな声量と3オクターブの音域を駆使したドラマティックで叙情的な歌唱で聴衆を魅了した本田さん。アイドル扱いされることは好まず、純粋にヴォーカリストとして評価されることを望んでいた。「私は歌と結婚したから、今生では幸せにはなれない」と生前語るほどストイックに歌と向き合い、命を燃やすように歌っていたことを思い出す。一方のなっちはと言うと、歌唱力や表現力は格段に成長したが、根本的な部分は娘。時代とは変わってはいない。優しくてしなやかでなめらかで、温かみのある歌声。童女のように無邪気な”なっちスマイル”も健在で、33歳となった今でも十分に「アイドル性」を残している。卒業して10年経たとは言え、今でも彼女はモーニング娘。の看板を背負っていて、後に続く後輩たちのことも気に掛けながら活動をしている。そしてなっちは明らかに今でもアイドルでいられることを楽しんでいて、ファンもそんななっちを支持し応援している。歌手としてはとても幸せで恵まれた環境にいると思うが、それは全てこれまでの努力と実績の賜物なのだろう。

    クラシカル・クロスオーバーという新ジャンルにおいても輝きを放つなっち、この才能がモーニング娘。から生み出されたということを永年応援してきたヲタのはしくれとして嬉しく、誇りに思う。

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     2014/10/22

    道重さゆみ卒業記念盤。ソロ曲『シャバダバドゥ〜』のMVは必見!以前出した道重さゆみ 写真集 『 Sayuminglandoll 』の世界観を思わせる、遊び心満点のプリティで華やかな作りが楽しい。彼女のこれまでの歩みを回想するような内容の歌詞、軽快で洒落たジャズ風のアレンジに乗っていたずらっぽく歌いかけるウィスパーボイス、よく工夫された楽曲で、つんく♂氏からさゆへ送られた「卒業証書」とも言うべきもの。表情、服装、動きなど、さゆが12年間かけて磨きぬいたアイドル・パフォーマンスの集大成。

    道重さゆみはハロプロメンバーはもちろんのこと、他グループの多くのアイドルたちからも尊敬され、その卒業を惜しまれている。彼女が尊敬される理由、それは青春の全てをモーニング娘。に捧げ、それ以外の事を考えなかったから。彼女は芸能人になりたかったのではなく、モーニング娘。になりたかった人。その一途さが他のアイドルにも伝わるのだろう。歌割りの乏しい後列メンから努力でのし上がり、ついにリーダーにまでなったサクセスストーリーに憧れるアイドルの女の子も多いだろう。「頑張っていればきっと誰かが見ていてくれる」と言う言葉を地で行くようなアイドル人生。そう考えると彼女が卒業後休業に入るのも理解できる。全てを出しきり、一息つきたいのではないか。しっかり休んで、また元気に戻ってきてほしい。

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     2014/10/20

    『豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー)』と同様のコンセプトの本である。誤解され、軽視されてきた人物の復権の書。本書の主人公は鎌倉幕府3代将軍源実朝である。実朝は古くから無力で文弱、幸薄い悲劇の将軍という見方が有力だった。生母北条政子と執権北条義時に実権を奪われ、和歌・蹴鞠に耽り官位の向上のみを楽しみとした貴族趣味の持ち主で、最期は甥で猶子(養子)の公暁に暗殺され26年の短い生涯を終えた。彼の死によって源氏将軍は断絶し、幕府は北条氏専制の時代へと移っていく。実朝には非力で無能な歌人将軍というイ
    メージが定着していった。本書はこれまでの負のイメージを取り去り、政治家としての実朝の再評価を試みた一冊である。

    実兄の2代将軍頼家の非業の最期を受けて将軍職を継いだ実朝、12歳の少年であったため生母政子や外祖父で執権の北条時政・義時らが政務を担ったが、成長するにつれ実朝も親裁を行うようになっていき、時政が失脚し義時が執権となってからは徐々に増えていく。実権が北条氏側にあったのは変わらないが、実朝も政務に意欲を示していたことを著者坂井氏は資料を紐解きながら説き起こしていく。当初は実朝のことを青二才と軽視していたらしい義時も一目置くようになったという。生母である「尼御台所」政子にはさすがに頭が上がらなかったようだが、それでも実朝は少しづつ独自色を打ち出していった。

    実朝は歌人として優れた才能を発揮し、当代一の歌人藤原定家からも高く評価され『小倉百人一首』の一人に選ばれたほどであった。それゆえに「文弱」のイメージも付きまとったのだが、坂井氏はそれを否定する。歌集『金槐和歌集』をはじめ実朝の残した和歌を丹念に調査し「文弱」に見えて実はしたたかな政治家実朝の実像を炙り出していく。実朝が和歌に打ち込んだ真意、それは当時朝廷の「治天の君」であった後鳥羽上皇に範を求め、その上で幕府の長として朝廷の長である上皇と渡り合うためのツールとするためであった。当代随一の総合文化人であった上皇から伝統文化を吸収し、もって御家人たちの上に君臨し、さらに朝廷とも向き合う。官位を追い求めたのも幕府統治に必要だと考えたからであり、決して貴族趣味などという軟弱な理由によるものでなかった。

    しかし、実朝の前途は多難であった。緊密な関係にあった幕府の重臣和田義盛が執権義時の度重なる挑発を受けて挙兵、いわゆる「和田
    合戦」によって一族全滅となる。これにより義時は幕府に揺るぎない権勢を確立するが、その義時に担がれて幕府軍の象徴となった実朝
    の権威も向上していく。実朝の官位は右大臣にまで上昇、将軍親裁の強化が図られていく。この頃実朝は唐突に渡宋計画をぶち上げ幕府
    重臣で義時派の大江広元を慌てさせる、という行動をとる。従来この渡宋計画は実権を失い厭世的になった実朝の気まぐれ、現実逃避で
    はないか、と考えられてきた。しかし坂井氏は「将軍を支持するか否かをみきわめる試金石」であり「将軍親裁に抵抗する勢力への強力な
    示威」ではないか、と指摘する。また実朝は「必ずしも自分の子孫が将軍職を継がなくてもよい」と発言するなど、なかなかしたたかな一面
    を見せている。

    歴史では実朝の死後、京都から摂関家の子弟や皇族を将軍に迎えるようになっていくが、元々の発案者は実朝その人であった。坂井氏は公暁の受けた衝撃は大きかったはずだ、と見る。自分が実朝の養子として次の将軍になれると思い込んでいたはずの公暁にしてみれば、ハシゴを外されたようなものだ。そして1219年、ついに公暁は鶴岡八幡宮において実朝を襲撃し殺害、自身もその日の内に討ち取られ、かくて源氏の嫡流は断絶することとなった。この暗殺事件については北条義時黒幕説、三浦義村黒幕説などがあったが、坂井氏は両説とも
    否定、追い詰められてヤケを起こした公暁の単独犯行と結論づける。いずれにせよ、実朝は志半ばで無念の横死を遂げたのである。

    「文弱の人」と見られてきた実朝のイメージに一石を投じた最初の人は正岡子規であった。子規は実朝の残した和歌に「文弱」では説明できない剛毅な精神性を感じとり「古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤なるべく、北条氏を憚りて韜晦せし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候」と書いている。実際は子規の見立て以上にしたたかで積極的な君主であったわけだが。

    きわめて真面目な学術書であり、和歌の解釈に多くのページを割いているのでスラスラと読み通せる本ではないが読み応えは十分な一冊である。

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     2014/10/20

    好きな芸人への愛情あふれる批評、嫌いな芸人への「これでもか」と言わんばかりのぶった斬り、どちらもこの人らしくて面白い。ただ、立川談志と立川流への肩入れぶりは批評家としてどうかな、という気がした。顧問だからしょうがないのかもしれないけど。「私の落語美学が許さない」などと偏狭な目線で言い捨てたりとか自分の著書を臆面もなく自薦したりとか、彼が嫌う「田舎っぺえ」みたいな行為を自分でやってるのはいかがなものか。インターネットへのむき出しの嫌悪感はいかにもこの人らしい。良くも悪くもアナクロニズム全開の批評集。

    快楽亭ブラックのことを「外人」と読んで中傷しているのはいくらなんでもやりすぎだ。もちろんブラックもとんでもないヤツなんだけど、そんなヤツを面白がってたのはどこの誰だ?と言いたくなる。

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     2014/10/17

    『Top Yell』誌にて連載されていた、モーニング娘。’14の中学生コンビ、佐藤優樹(まーちゃん)と工藤遥(くどぅー)の「まーどぅーコンビ」が記者としてハロプロの先輩にインタビューする企画が待望の書籍化。2012年6月号から2014年3月号まで、全15回にわたって連載された記事をまとめたもの。『Top Yell』誌のスタッフのフォローを受けながら、「まーどぅーコンビ」が先輩たちに根掘り葉掘りつっこんでいる。

    まずはまーちゃんのフリーダムぶりが面白くて仕方がない(笑)。「好きな木はなんですか?」と意図不明の質問をしたり(自分の好きな木は説明できない)、言い間違いや勘違いは当たり前(ピノキオを「キノピオ」、『あまちゃん』の”じぇじぇじぇ”を『ゲゲゲの鬼太郎』と間違える)、ボキャブラリーも余り豊富でないので何を質問しているのか理解できず、くどぅーに通訳してもらうなど、破天荒にもほどがある(笑)。一方、しっかり者のイメージのあるくどぅーもやはり幼さは隠せず、随所でミスが出てしまう(「一期一会」を「一期一生」とドヤ顔で間違える、先輩そっちのけでまーちゃんと口論する、など)。はっきり言ってグダグダなのだけれど、そのグダグダぶりこそがこの企画の狙いでありキモでもある、ということを踏まえた上で楽しむべき本である。

    「まーどぅーコンビ」に翻弄されつつも、かわいい後輩のために親身になってアドバイスするハロプロの先輩たちが頼もしい。
        「エッグ時代は泣きながらホテルで語り合ったこともあった。10期も本音で語り合うことが大事だと思う」(真野恵里菜)
        「今は2人とも吸収できる年齢。いろんなアーティストのライブを観たほうがいい」(菅谷梨沙子)
        「身長に限らず、年頃の女の子は身体のことで絶対に悩むはず。でも、それを受け入れられたら、もう大丈夫だよ」(熊井友理奈)
        「一番のコツは歌を好きになることだよ」(福田花音)
        「今の自分のポジションを大事にして、自分の新しい可能性も探しつつ、しっかり頑張ってほしいな」(中島早貴)
        「一番大事なのはベストな状態でファンの前に出ること。体型がどうとかは二の次の話だと思うんです」(徳永千奈美)

    ハロプロメンバー内部の人間関係の一端もチラリと見えたりもして、興味深い発言も多い。ハロヲタ必読の一冊であろう。

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     2014/10/09

    先日、Juice=Juiceのライブを見に行ってきたが、ちょっと見ない間にさらに成長してきているのを実感した。佳林、さゆべぇ、かなともといった実力者たちは相変わらずキレキレだったが、リーダーゆかにゃんとあーりーが目覚しく伸びてきている。デビュー当初は若干危なっかしいところもあったが、今ではもう安心してみていられる。あーりーの輝くような美貌とゆかにゃんの癒しのキャンディーボイス
    は今やJuice=Juiceにとって必要不可欠なパーツである。成長は止まらないし、さらに進化(あるいは深化)を続けている。

    『背伸び』は文字通り背伸びした恋愛をしている女の子の激しい求愛を切なく歌ったナンバー。特にかなともの独特の声質による艶っぽい歌声が絶妙のアクセントになっている。『伊達じゃないよ うちの人生は』は切れ味鋭いEDMロックチューン。不動のセンター佳林の存在感が頼もしいし、トリッキーに動き回るさゆべぇが面白い。

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     2014/10/09

    豊臣秀吉の遺児、豊臣秀頼は歴史上有名な存在でありながらその実像はほとんど知られていない。大坂冬の陣・夏の陣において為すすべなく敗れ、自害に追い込まれた惰弱な凡君というイメージが広く流布してきた。またその生母淀殿も淫乱かつ愚かな悪女とされてきた。これらのイメージは勝者である徳川幕府のプロパガンダによるものであることは言うまでもない。本書はそうした秀頼と淀殿の負のイメージを取り払い、より正確な実像に迫ることを目的とした評伝である。

     秀頼はその出生から負のイメージが付きまとっていた。小柄で風采のあがらなかった秀吉に比べ、秀頼は身長197cmという堂々たる体格の偉丈夫であった。このため、秀頼は秀吉の実子ではなく、淀殿と別の男との不倫によって生まれた子だと噂されてきた。しかし著者福田氏は同時代の資料を徹底的に調べ上げ、この噂を否定する。秀頼は豊臣家の世継ぎとして大変大事にされ重んじられたことを実証していく。また、生母淀殿は単なる側室の一人ではなく、北政所と並ぶもう一人の正室であったことも明らかにしていく。淀殿のことを「淀君」と侮蔑的な名で呼び、側室扱いしたのは江戸時代になってからの資料によるものだが、もちろんそこには徳川幕府の意向があったことはいうまでもない。なお、秀頼の体格については母方からの遺伝、ということで説明がつく。祖父浅井長政・祖母お市の方・生母淀殿、いずれも当時としては希に見る長身であった。

     秀吉死後、関ヶ原の戦いを経て天下の主導権は家康へと移っていく。豊臣家は大坂一帯を治めるだけの一大名に転落した、というのがこれまでの常識であった。しかし秀頼は右大臣という高位に上ってゆき、関白任官まで窺うまでになっていた。豊臣家は依然として天下人としての家格を保っており、秀頼は成長するにつれ天下人への地歩を固めていたと福田氏は指摘する。そして有名な二条城での秀頼と家康の対面。これは単なるセレモニー的な対面ではなく、老いた天下人家康と、若き天下人候補秀頼との火花散る激しい対決であった。ここで秀頼は堂々たる態度で家康に対応し、天下人候補に相応しい大器の片鱗を見せる。しかし福田氏はそれこそが秀頼の命取りになったとみる。家康は秀頼を「賢き人なり」と評したが、それは警戒の言葉であった。家康は豊臣家を完全に滅亡させる決意を固め、権謀術数の限りを尽して秀頼を追い詰めていき、ついにその総仕上げとして大坂冬の陣・夏の陣で攻撃を仕掛け、豊臣家を滅亡へと追い込んでゆく。一歩も前線に出ず大坂城に閉じこもっていたとされていた秀頼だが、冬の陣では自ら出馬して前線の士気を鼓舞し、夏の陣でも前線に出ていたという。豊臣家の敗因は秀頼や淀殿というより、重臣間の意思決定の分裂、特に大野治長の無能によるところが大きいようだ。また、淀殿が豊臣家内部において大きな発言力を持っていたのは確かだが、必ずしも絶対的な存在ではなかったらしく、淀殿に公然と反抗する重臣もいたという。最終決戦の日に秀頼が出馬を断念したのも淀殿の反対によるものではなく、出馬するタイミングを失ったこと、徳川方の流した偽情報によって妨害されたのが原因だった。

     結局大坂城は落城し、秀頼や淀殿らは自害する。しかし秀頼の首は見つからず、秀頼生存説が生まれるきっかけともなった。秀頼の首と見られる頭蓋骨が発見されたのは死後365年経た1980年のことで、大変大事に埋葬されていたという。これもまた秀頼という人物の何事かを伝えるエピソードであろう。なお、表紙に掲載されているのは秀頼が真田幸村に与えた掛け軸に描かれていた秀頼の肖像画で、生前の秀頼の風貌を伝える貴重な肖像画である。

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     2014/10/09

    今年度のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』での明智光秀と本能寺の変の描写に思わず「うーん」とうなってしまった。本書の記述と共通する描写がかなり多かったからである。天皇と朝廷を崇敬する光秀は公家の吉田兼和(兼見)と親しく、朝廷と信長の間を取り持つような動きをしている。一方信長は自分の家臣を使い捨ての道具としてしか見ず、裏切りを絶対に許さない独裁的な君主。天皇や朝廷への崇敬心などかけらもなく、むしろその権威を踏みにじるかのような行為を何度も行う。光秀はその行為に心を痛め、信長に諫言するが聞き入れられない。それどころか信長は「この日の本に王は2人も要らぬ」と嘯くに至る。ついに光秀は信長打倒を決意し、本能寺に宿泊していた信長をう・・・・と、こんな感じである。

    脚本家の前川洋一氏が本書を読んでいたかは寡聞にして知らないが、あるいは偶然だったのかもしれない。ドラマの描写は本書よりもかなりざっくりしたもので、重要人物の一人である誠仁親王は登場しないし、著者井尻氏が唱えている「細川幕府」説も採ってはいない。それでも、信長・光秀と朝廷の関わりをここまで時間をとって描写したことはこれまでになかったことである。

    井尻氏は現在の保守論壇を代表する論客で、信長・光秀が本拠地を構えた近江の豪族佐々木源氏の末裔でもある。彼は自身の立場から光秀と信長、そして本能寺の変を分析し、「本能寺の変は天皇、朝廷を信長の魔手から守る為に起こしたテロ」と結論づける。井尻氏が資料として着目した『明智軍記』はこれまでの歴史学の常識では誤謬の多い悪書とされ資料価値はほとんどないとされてきた。井尻氏もその誤謬の多さを認めつつ、『明智軍記』がわざわざ書かれた理由を考えなければならないと指摘する。記述のいくつかに、明智家の内情を知っていた人でないと知りえないものが含まれているからである。『明智軍記』には明智家中の末裔らしき事情通が編纂に関与している形跡がある、との指摘もなされており、光秀の死後100年ほど経ってから書ける事柄もあったと思われる。井尻氏は『明智軍記』の表面的な誤謬よりも編者(氏名不詳の人物)の思いを重要視し、その記述を参考にして「テロ説」を組み立てていったのである。

    井尻氏は光秀最大の誤算は盟友細川藤孝の裏切りにあった、と見る。光秀は足利将軍家の一族出身で姻戚関係にあった藤孝を擁立して「細川幕府」をつくることをひそかに考え、本能寺の変を起こしたのではないか、と井尻氏は主張する。いくつかの傍証もあり、決していいかげんな憶測ではない。しかし藤孝は日和見を決め込み光秀を裏切る。当時朝廷の実権を握っていた皇太子誠仁親王も光秀の行為を「謀反」と断定する。光秀は山崎の戦いで秀吉に破れ滅んでいく。逆賊の汚名を着せられて。

    しかし井尻氏は光秀の思いは正親町天皇にまで届いていた、と考える。信長から退位を迫られ、様々な嫌がらせを受けつつも粘り強く抵抗していた天皇の存在は無視できない。この天皇の存在が無かったら光秀の名は歴史からほとんど消されていただろう、と。「すめろぎの道」に生きた武人であった光秀の名が消えることなく現在まで残った理由はそこにあるのかもしれない。

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     2014/10/02

    東京・渋谷を拠点に活動するインディーズ・アイドルグループ、PPP! PiXiONのマキシシングル。普段僕はアイドルというとハロプロ系しか聴いてこなかったので、このグループのことは正直知らなかった。先日、某野外イベントに遊びにいって偶然にステージで歌っている彼女たちを見かけた。自分たちの出番が終わると舞台衣装のまま物販ブースに行って自ら売り子としてCDやグッズを売っていた。その後自らビラ配りをしていて、たまさか通りかかった僕はメンバーの子(鈴木えりかちゃん)からビラをもらいちょっとだけ話をした。つい先ほどまでステージで歌っていたアイドルが自分でビラ配りをする光景はなかなか新鮮で、彼女たちの健気さに打たれ、CDを買ってみようかと思い注文してみた。

    『#拡散希望~見つけて!私達~』と『戦国時代』は共にインディーズという立場から上へと昇っていこうという決意を込めたPPP!PiXiONのマニフェストとも言うべきナンバー。さすがにちょっと発展途上というか、歌声の線の細さは否めないのだけれど、現時点での自分たちの精一杯のパフォーマンスをしようという雰囲気は伝わってきていて好感が持てる。後はメンバー個々の個性をもう少し打ち出せるようになればな、と思った。どこまで行けるかは努力次第、がんばれ!

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     2014/09/19

    『名曲のたのしみ、吉田秀和』書籍化シリーズの一環で、1980年4月から1987年2月にかけて、約7年間にわたって放送された「モーツァルト その音楽と生涯」の書き起こしシリーズの第2巻。1981年7月12日放送の第53回から1982年10月10日放送の第102回まで、モーツァルト16歳から20歳までの青年期の軌跡
    と作品が語られている。この時期はモーツァルトはイタリア留学、ウィーン旅行と忙しく各地を巡っていた頃で、様々な知識を吸収し楽嚢を豊かにしていった。その詳細を吉田氏が説き起こしてゆく。

    読んだ印象は、第1巻のレビューで書いたのとほぼ同じである。30年以上前の放送内容なので、番組内で紹介されている音盤や吉田氏の楽曲解説は現在の視点からすると一時代前のものになっている感は否めない。西川彰一プロデューサーもまえがきで「しかし本書はモーツァルトの研究書ではない。あくまでも吉田さんが八〇年代のリスナーに語りかけ、日本のモーツァルト・ファンを育てた一時代の記録」と書かれており、情報の斬新さというよりは吉田氏の含蓄の深さ、視野の広さ、そして表現の豊かさを楽しむための本であろう。

    選ばれた演奏家はおなじみのカラヤン、ベームのほかミュンヒンガー、アンダ、グリュミオー、ケーゲル、スウィトナー、ボスコフスキーなど今となっては懐かしい顔ぶれが並んでおり、年季の入ったクラシックファンにはたまら
    ないだろう。付録のCDには当時の放送録音がそのまま収録されている。当時70歳前後の吉田氏の口調には活気があって楽しく、第1巻と同様に懐かしく聴いた。

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     2014/09/14

    かつて朝日新聞の幹部は「ウチが安倍内閣の葬式を出す!」と豪語し、ありとあらゆるネガキャンを駆使して第1次安倍内閣を倒した。しかし状況は今や完全に逆転した。朝日新聞は息も絶え絶え、瀕死の状態に陥っている。安倍
    首相が唱える「戦後レジームからの脱却」、まさにこれこそが朝日が安倍首相を憎む最大の要因である。戦後レジームに乗っかり、甘い汁を吸い続けた多くの敗戦利得者の内の尤なるものが朝日だからである。戦後レジームの終了
    =自分たちの終了であるからこそ、朝日は恥も外聞もなく安倍攻撃を行うのだ。田母神氏はその事を客観的事実を持って鋭く指摘していく。朝日はこの指摘に応えられるのか?無理だろうな。 たぶん朝日は安倍首相だけでなく田母神氏のことも憎くてしかたないはずだ(笑)。実際、田母神氏が都知事選に立候補した際、朝日とその子分のテレビ朝日は悪質なネガキャンを行ったが、田母神氏はそれに屈せず約61万票を獲得した。すると今度は田母神氏に投票した有権者に「ネット保守」「ネット右翼」「反知性主義」というレッテルを貼ってゆく。これは民主主義に対する侮辱であり、朝日お得意のダブルスタンダードであろう。

    田母神氏はこう書いている。「ジャーナリズムが情報を歪め、本当のことを報道しない国は、滅びていくに違いない。この病理の追究と真実の解明なくして、日本を真に取り戻すことはできないのだ」「日本人が政治判断に迷った時、左翼と朝日新聞の逆を行けば、間違うことはないだろう。朝日は常に惚れ惚れするほど間違っている」「ここ数年新聞離れと経済低迷で広告収入が減っていたのに、『アベノミクス』の好況で逆に広告収入が増え続けている。それでもなお安倍叩きに走るのだから、左翼とは面妖なものである」(いずれも本文より)

    今度は我々国民が朝日新聞の葬式を出す番である。

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     2014/09/14

    シューマンは1流の作曲家のなかではそのオーケストレーションの技術が低く評価されてきた人であった。曰く楽器を重ね過ぎる、メロディーが聴こえにくい、などなど。確かに聴いてみると彼の管弦楽曲というのは流れがギクシャクしていて、どこに向っているのかよく分からなくなるように感じることがある。シューマンは本来ピアノ曲・歌曲・室内楽など小編成の作品を得意としていた人であり、交響曲などの大編成の作品は元々得手ではなかったらしい。このため、少し前くらいまでの指揮者たちは当然のように、演奏の際は楽譜に多少の手を入れるのが通例であった。かのフルトヴェングラーも「指揮者たるもの、シューマンを指揮する際は自分独自の楽譜を持つべきだ」と主張していたという。大作曲家にして1流指揮者であったマーラーもそうした考えの持ち主で、彼の編曲版は一時期広く使用されていた。原典主義が行き渡った現在ではシューマン本人の手になるオリジナルの楽譜が使用されることが通例となっており、マーラー版は使われなくなっていたのだが、わざわざそれを使用して録音するというのがいかにもシャイーらしい。

    聴いてみると確かにオリジナル版のギクシャク感は後退し、音楽の流れは随分スムーズになっている。重ねすぎと批判されていた楽器の扱いも整理整頓されたようで、さすがは交響曲の達人で指揮の名手でもあったマーラーの手腕である。でもシューマンならではの独特の個性を聴きたいファンとしてはマーラー版はスッキリしすぎだと感じるかも。シューマンの一見不器用でぶっきらぼうだけど熱意のある音楽もいいものだ。シャイー&ゲヴァントハウスの演奏はブラームス全集の演奏と同様、清新で颯爽としており、よく鍛えられたアンサンブルが聴き応えあり。

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     2014/09/14

    グリーグの作曲した『抒情小曲集』は全10集、66曲からなる大作である。グリーグが若い頃から晩年に至るまで、折に触れてまるで日記帳のように書き続けていた、かなりパーソナルな内容の作品群である。タイトルにふさわしく抒情豊かな、親しみやすく愛すべき小品(「あなたのおそばに」「おばあさんのメヌエット」などのサブタイトル付き)が並んでいる。

    このギレリス盤は1974年6月、ベルリン、イエス・キリスト教会での収録。強烈な打鍵で「鋼鉄のタッチ」とあだ名されたギレリスだが、ここではしっとりと優しい。曲の内容が内容なのでバリバリと弾きまくるような演奏はふさわしくないが、ギレリスは曲の内容に寄り添い、柔軟かつ繊細なアプローチで反応している。だからと言って決してナヨナヨはしておらず、背筋がピンと通った所はちゃんとあるのがいかにも硬派ギレリスらしい。音質良好。

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     2014/09/14

    カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・フレーニ主演の『蝶々夫人』のアルバムは万人に薦めうる名盤なのだが、同時期に撮影された映画版のほうは、なんとも評価に困る、不思議な作品になってしまっている。演奏はとにかく
    素晴らしい。フレーニの可憐で叙情的な蝶々さん、パヴァロッティから交代したプラシド・ドミンゴの明朗で華やかなピンカートン、ルートヴィヒのいぶし銀のようなスズキ、そしてカラヤンによる流麗豪華な伴奏。

    ただ、ジャン=ピエール・ポネルの演出がどうにも・・・・・ 時代設定は原作では幕末維新期だがこのポネル版では第一次大戦後ということになっている。ピンカートンがTシャツでうろうろしているのもそのためなのだが、やや滑稽に写る。そして蝶々さんの顔だけを真っ白に丸く塗ったメイクとか、蝶々さんの住んでる家が日本のような中国のような朝鮮のような(そしてそのどれでもない)、なんちゃって東洋風みたいな意匠になってるのも脱力もの。そして冒頭でいきなり登場するドミンゴ(ピンカートン)の障子破り脱出!!これは衝撃的なラストシーンとつながっているのだが、まるでドリフのコントのようだ(笑)。よくこれでカラヤンはOKしたなぁと思うが、イギリスの批評家リチャード・オズボーンはこのポネル版のことを「すべての感情が納得できる」「フレーニの演技はLP版より深く激しいように思われる」と絶賛していたりするので、日本人と西洋人とでは感じ方が違うのかなぁ。

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     2014/08/28

    朝日の記事取り消しを受けて緊急大特集を組むとは、さすがは花田編集長、というところか。こうしたフットワークの軽さはWiLLの持ち味であり、重厚さが持ち味の『正論』とはまた違った良さであろう。錚々たる保守の論客たちがそれぞれの立場、見識に基づいて今回の朝日報道問題を論じているが、一廉の保守の論客と認められている人たちというのは、大体において年季の入った朝日ウォッチャーでもある。朝日関係者以上に朝日の報道姿勢や傾向について精通している人たちであり、不勉強な朝日の連中では到底歯が立たないだろう。

    例えば、元新聞記者で早稲田大学教授の重村智計氏は「なぜ、慰安婦報道で失敗したのか。運動家の主張を信用し、事実の確認をせずにそのまま書いたからだ。新聞記者は、ウソを疑うのが仕事だ」(142ページ)と指摘している。思い込みと怠慢、驕りの産物ということか。しかも朝日は記事を取り消すとは言ったものの、謝罪したわけではない。それどころか、自分たちも吉田清治に騙されていた、と被害者ヅラをしてみせる。謝罪をするということはメンツ丸つぶれになるのでしない、できないのだろう。産経新聞の湯浅博氏はこうした朝日の対応を佐瀬昌盛氏の意見を引用して「精神的便秘状態」(70ページ)と喝破する。一方、山際澄夫氏はウソの張本人、吉田清治についての論考の中で、その生涯を「ウソで塗り固めた人生」(241ページ)と指摘。この男の出自は極めて怪しげで、どうも日本人であるかどうかすら疑わしいところがある。2度の入獄経験があり、朝鮮人を養子にしその後戦死したと説明していたがそれもウソだった。ソ連のエージェントだった可能性すらある。こんな奇怪な男の「主張」を朝日は真実だと信じ、そのウソを30年にも渡って撒き散らし続けたのである。そんな朝日が今更被害者ヅラなど笑止千万であろう。

    こんな朝日を韓国の各紙は右派も左派も関係なく全面擁護している。それどころか、「韓国政府に対して”闘いの仲間である朝日新聞を助けろ”と露骨に要望」(84ページ)する主張も現れている。他国の新聞を手助けするように政府に要求するなど普通では考えにくいが、それが韓国のマスコミのクオリティと言える。また、室谷克実氏は韓国の知識層全般がマルクス主義的世界観に染まり切っている事情について「それは韓国の教育界が日本の日教組とは比べ物にならないくらい強力な左翼である全教組(全国教職員労働組合)に握られているためだ。全教組教育の優等生が新聞記者になるのだ」(80ページ)と指摘、これは初めて知った話で、勉強になった。

    慰安婦報道では記事取り消しに追い込まれた朝日だが、ここで追撃の手を緩めてはならないだろう。藤岡信勝氏は「南京大虐殺についても捏造記事を取り消すことだ」(99ページ)と指摘している。南京についても状況としては拗れてしまっているがその状況を作りだしたのは朝日の看板記者、本多勝一であることは忘れてはなるまい。闘争はむしろこれからだ。

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