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宇野珍会長 さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/03/13

    意外なことに★3つの評価が多いが、実はぼくもその一人だ。ジュリーニの「田園」はいくつも録音があるが、もちろん最晩年のスカラ盤が最も近い。テンポはたとえもたれようがしっかり踏みしめて歌いこんでいき、対称的に自然描写された音符は浮かび上がらせていく。大河のほとりを散歩するかのように堂々としており、しかも充実しきっている。これが第二楽章まではうまく行っているが、残念ながら後半はスタミナが切れてしまったようだ。特にフィナーレは縦の線どころの話でなく、生気が皆無だ。ユースオケということで仕方がないのだろうが、商売としてリリースされている点を考えると複雑な心境になるといえよう。ただ逆にフィナーレの出来をみてしまうと、前半楽章におけるジュリーニ渾身の仕事が浮き彫りになるので愉しさのきわみだ。

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     2016/03/05

    ファウストは言うまでもないだろうが、超一流奏者だ。一般的に女性ソリスト足りないといわれる、敏感な繊細さがある。水が滴る様を具体的に捉えたような繊細さだ。また楽器の鳴らし方が多弁でかつ恐ろしいほど美しい。譜面もよく読み込んでいるようで、モチーフの弾き方を都度変化させている。大した演奏家だと褒めちぎった上だが、ぼくの好みではない。特にオネエ系の髪型ファッションには。。でも良いものは良い。これは間違いないといえよう。さてハイティンクだが、相変わらず左右の手が滅多なことで同時に動かない不器用な指揮だ。出てくる音も不器用極まりない。いっぽうでアナリーゼは大家の芸だ。特にボリューム系は唸らされる箇所が連発する。クレシェンドの作り方など、巷の指揮者では絶対に真似ができない。モチーフの作り方も勿論老練のきわみ。第2楽章など至芸の御馳走だ。4楽章は一見淡々とした嵐だ。ところがインテンポの嵐は我々に恐怖を与える。空は何を以ってしても変えられないのだ。フィナーレは前の不可変を引きずりつつも、動的要素をじわりと仕込み、感動のコーダに導く。ハイティンクは無常と無情を同居させたような田園を我々に示したといえよう。これは天晴だ。

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     2016/03/01

    若手の注目株P.ジョルダンということで期待して聞いた。スイスとはそういう血なのか、ぼくにはアンセルメに聞こえてしまった(又はシェイナ)。これにヤンソンスのしなやかさが加わる印象だ。とにかく演奏は特徴的なアクセントやクレシェンド施し、テヌートを駆使して響きは引き締める。まるでクライツベルクのパントマイム風指揮をそのまま音化したかのようだ。しかしクライツベルクのような流麗さや厳しさはなく、とてもいびつな感は拭えない。音の形はとてもシェイプされているが、響きと言った点ではどうだろうか。提示部と再現部だけ取ったとしても、同じ響きで進むのには飽きてくる。3楽章もそうだが、トリオに入っても同じ調理法だ。P.ジョルダンはオペラ指揮者としては間違いなく有能で、特にワーグナーについては大技小技を用いて真髄を我々に叩き付ける。それほどの指揮者なので、コンサートにおいては今後に期待だ。

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     2015/12/11

    近年のムーティは仙人っぽくなっている。かつて見せた大胆で情熱的な表現は後退し、それを僅かに表現するだけで心に響いてくるのだ。つまり無駄がなく見通しが大変よくなっているのだ。しかも全パートにいのちを吹きかけているので、冗長な音は皆無だ。「運命の力」序曲を聞いたとき、それを確信したのだが、、、、イル・トロヴァトーレになって合唱が入った瞬間、やはり血が騒いでしまったようだ。鍛冶の音に乗ってジプシーが歌うテンポは、ぼくにとっては流麗すぎて速い。もはやムーティのお約束と見るしかない。テンポの問題がクリアされれば、やはり超が付く逸品だ。ところで「ナブッコ」序曲を演奏するとき、ムーティは原典版?を用いることがある。確かソニーに録音したものがそれだ(打楽器が特に違う)。しかし別の演奏では流通している譜面を使用したり、折衷版も用いたり流動的だ。今回は原典版のようだ。ここの根拠はぜひ知りたい。ケルビーニ管についてだが、ぼくが聞いた限りでは、ムーティの手兵としてはウィーンに次いで2番目ではなかろうか。リハーサルの時間が十分に取れたり、ムーティを尊敬して入団する奏者が多いからであろうが。。もちろんシカゴより安価な楽器を使っているので限界はあるが、表現は濃厚だ。ムーティを聴くならケルビーニ管だ。

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     2015/11/11

    ぼくの印象では、曲を追うに従って出来が悪くなっている。よって「海」が最も良い。ヤンソンスならではのしなやかなフレーズは絶品だ。テンポやリズムが安定しているので、大船に乗った気分でいられるのも大きい。特に2曲目までは文句の付けようがないのではないか。デュティユーも良い。フランス音楽なので綺麗に鳴らすのが前提になり、これはツボにはまっている。箇所によってはもう少し伴奏に悲劇的要素があってもよいが、それを言えば贅沢になってしまうといえよう。一口に言えば無調の現代音楽だが、比較的管理された配列を採っているので聞きやすい。むしろぼくは美しさにため息だ。デュティユーはとても感覚的な作曲家だが、構造がしっかりしているのだ。従ってヤンソンスが取り上げたのも頷ける。いっぽう一番残念はラヴェルだ。コンセルトヘボウはもともとラヴェルの経験が豊富とは言い難く、むしろドビュッシーのほうが得意な印象だ。従って妙なフレージングやバランス、リズムが散見され、ヤンソンスらしくないのだ。もっともラヴェルのもつ凶暴性はしっかり表現できているところはさすがだが、音量に頼った感は否めない。ヤンソンスの下でラヴェルの土壌を万全にして欲しかったので、辞任はまこと残念のきわみといえよう。ところでデュティユーを聞いていると、ブーレーズ後期の曲と共通する点が散見される。例えばレポンとかアンテームだ。ブーレーズは「影響を受けた」とは絶対に言わないだろうが、私としては興味が尽きないところだ。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/11/04

    このディスクを誰かに「スカラ・フィルの幻想だぞ」として聞かせてみると、半分は騙されること請け合いだ。すなわち、それだけシカゴ響がムーティの要求に応えているといえよう。明るくスッキリとした歌は、本当にジュリーニ以来だ。お決まりの金管楽器は、押さえに押さえバランスが最上だ(もちろん断頭台は「待ってました!」だが)。幻想はよいとしてレリオが面白い。幻想交響曲のモチーフが登場するので、譜面だけ追っても連続演奏の意義はもちろん重要だ。むしろこの2枚組みを聞き、幻想で奏でた響きを、そのままレリオまで維持する必要性をぼくは感じたのだ。ムーティは曲の解釈をレクイエム寄りに捉えたようで、極上の響きによってフォーレのレクイエムさえも彷彿とさせてくれる(実況でベルリオーズのレクイエムも聞いたが、同じようなバランスだった)。そうなるとベルリオーズがいかに革新的な音楽を書いていたかが浮き彫りになるのだ。と、「幻想曲」の途中まで聴いて確信したのだが、12分過ぎたあたりでオペラっぽくなってくるのだ。そして最後の数小節は・・・これは完全にヴェルディだ。ムーティはここの数小節がやりたくて選曲したのか、とさえ感じてしまうほどヴェルディになっているのは痛快だ。そういう観点で見ると、フォーレのレクイエムからヴェルレクまで話が広まってしまうのだ。ムーティは何でもイタリアとヴェルディに結びつけるのを得意とするので、これは自他共にヴェルディの使途と認めるムーティが、ベルリオーズへのオマージュとして演奏したのでは、と感じてしまったといえよう。もちろん異論はあると思うので、様々な角度からこの演奏を味わっていただきたい。

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     2015/10/30

    聞く前から腹を括っていたが、やはりオケはいまいちだ。大雑把で下手なのだが、それをマタチッチが強引に動かすので、興味を持って聞き続けることは可能だ。マタチッチは響きにまとまりや密度を求めることより、アクセントの配置やテンポの変化で曲に命を吹きかけている。その結果指揮者のやりたいことが手に取るようにわかるのだ。大技も小技も満載で、ルーティンな箇所は皆無、マタチッチの至芸を愉しめる一枚といえよう。冒頭でオケは下手だとと書いたが、賢明に指揮者の棒に喰らい付く姿勢には感心する。歌わせたら逸品だ。なお録音は「まぁ、(当時のRAIとして)こんなもんでしょう」といえよう。お勧めは第5を筆頭としたい。イタリアらしくオペラ手法で演奏しきったものだ。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/09/23

    背景にあるものは考えず、演奏の出来のみ記したい。チェコ・フィルはいつものまとまりの良さがなく、かなりちぐはぐな印象を受けた。演奏ミスは目をつぶったとして、細部の仕上げは雑で練習不足は否めない。従来クーベリックはよく肘を使ってテンポを落とすようだが、この演奏ではオケが勝手にテンポを引きずってしまう箇所が散見され、いつものそれとは明らかに違う。録音がよくないせいか、バランスも珍妙だ。特に新世界は閉口してしまう。悪いところを並べればきりがないが、いっぽうチェコ・フィルはクーベリックの節回しによく応えており、燃焼度の高い演奏になっている。録音が悪い中でもダイヤの原石を思わせるような眩しい音色が随所にあり、これは聴き応え十分だ。「新世界」だけで比較するなら、2年後のノイマン盤の圧勝だが、やはりこの演奏は腐っても鯛であり、クーベリックの本領はよく出ているといえよう。ちなみに前半の「プラハ」はそこまで悪くないので、演奏順に従ってオケが疲労してきた可能性が考えられる。それともテンポの動かないノイマンに慣れているチェコ・フィルが戸惑ったのだろうか?

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     2014/08/06

    この中で「こうもりのカドリール」は初出か初回以来ではなかろうか。演奏はかなりオケ任せに近く、アクセント等を指揮者がちょっと味付けしたような感じだ。「ウィーンの市民」はあまり演奏されない曲だ。リズムが極端に固い場所と柔らかい場所を対比させ、市民の気質を強調しているところは興味深い。フランスものはマゼールならではの変態度満点だ。「まるでディズニーランドの音響」と(グラモフォンかディアパゾンに)評されたスペイン狂詩曲、テンポを自在に操った「ラ・ヴァルス」「ボレロ」はウィーン・フィルの適応力を如実に示したといえよう。かつてフィルハーモニア管とも録音していたが、新録音はふてぶてしいテンポ設定をしているので、マゼールがニヤニヤしながら指揮しているのが目に浮かぶようだ。「海」はさらに独自の解釈を押し出し、聴いたことがない「海」を聞かせてくれる。脱力しきった柔らかいフレーズから一転、阿修羅ごときフォルティッシモが襲い掛かったりマゼールの世界を堪能できる。ラヴェルでは管弦楽法を強調したようだが、ドビュッシーでは描写を強調したようだ。そう考えれば変態ではなく素直な解釈なんだろうが、実際に出てくる音は変態なんだからユニークのきわみだ。フランスものは間違いなく推薦、特薦だ。

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     2013/10/29

    グレートのみ聞いたので書いておきたい。第一楽章の序奏はたっぷりとした歌とテンポが光る。これが主部に入ると一転し、漲る生命力に圧倒されてしまうのだ。オケのガッツはかなりのもので、どれだけレヴァインが慕われているのかが明らかだ。レヴァインの演奏は総じて士気が高いが、こんなMETは見たことが無い、というほどのテンションだ。加えて、アメリカのオケとは思えないほど細部が流麗なのも特筆だ(もっともオペラオケだが)。そんな流れが主部以降継続し、フィナーレの再現部までは聞きとおせるのだが、コーダになると話は変わる。前向きにイケイケで押してきたので、ただでさえ盛り上がるコーダの頂点が、効果的に盛り上がらず間抜けになってしまったのだ。すなわち「グレート」はレヴァインの解釈に耐えられなかったといえよう。とはいえ、これだけの生命力は比類が無いので、星は大盤振る舞いしたい。

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     2013/10/28

    まるでピリオド+フルトヴェングラーのような「グレート」だ。第一楽章冒頭のホルンから深遠な世界を描こうとしている。その後もフルトヴェングラーのような表現が連続し、思わずニヤリとしてしまう。フィナーレ冒頭の間はその最たるものではなかろうか。ただD.B氏とは違い、堂々と真似している上に響きが充実しており、ぼくはヘンゲルブロックを採りたい。とはいえ真似ばかりではない。拍動感はフルヴェンより物理的であり、テンポは構造を重視して変化をつけている(これもフルヴェンっぽいが)。また終結部で粘らないのはヘンゲルブロックならではの個性といえよう。とにかく各楽章の冒頭は聞きものだ。

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     2013/10/10

    ジュリーニといえば、ぼくならこの「40番」だ。某評論家が「三島由紀夫的な儚さ」と評したが、言い得て妙といえよう。ジュリーニは出来不出来の激しい指揮者で、特に管打が活躍する曲には弱いイメージがある。この「40番」は金管も打楽器もないので、ジュリーニの独壇場になる。いつもの「濃厚なのにすっきりした歌」の裏側に、大理石を積み重ねたような堅固な構成力、いやゴシック建築か。そう書けば情感が控え目っぽく聞こえてしまうが、実際は「儚さ」を押し出して「40番」のもつ悲劇を描ききっている。数ある下降していく音程を、ここまで劇的かつ美しく表現した例をぼくは知らない。いっぽう「41番」は管打が結構あるためか、時折コントロールしきれていない音響が続出してしまう。ジュリーニは一筆書きの芸術家なので、対位の処理も褒められたものではない。とはいえ第3楽章の高級感には平伏してしまうのだが。。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/10/10

    ドヴォルザークは推薦だ。落ち着いたテンポからいつものジュリーニ節が全開で、のめり込む美しさがある。3楽章冒頭など「いったい何が始まったのか」といわんばかりのテンポとすっきりとした歌心、これぞジュリーニの特徴といえよう。響きはまるでスカラのような明るさで、コンセルトヘボウとは思えないくらいだ。いっぽうラヴェルは準推薦だ。大筋はドヴォルザークの魅力と一致するのだが、所々テンポが上滑りになってしまったり、響きのまとまりがアマチュアっぽくなるのだ。もっともジュリーニのレベルになれば「ナニと天才は紙一重」ともいえるのだが。。。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/09/21

    ベルリン・フィルは意外と「くるみ割り」を録音しており、比較できるのは嬉しい。しかしラトルは全ての項目において満点を叩き出したのに驚く(ただし管弦楽曲としてみた場合)。ラトルは今でもぎこちないテンポやあざとい表現が見受けられるのだが、この演奏はまったく自然に響いているのだ。それはラトルの言う「魔法を掛けられたような」を徹底したことに尽きるといえよう。もちろんベルリン・フィルは王者らしい響きを紡いでいくのだが、昔と違い各ソロが嫌味っ気なくきまっていく様は耳のご馳走だ。「クララと王子」に至っては、これはラヴェルかと疑うような精緻さだ。「くるみ割り」といえばデュトワの面取りされた演奏が有名だが、ぼくの好みはラトルだ。

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     2013/08/06

    ムーティ4種類の中で、ぼくはこれをベストに推す(2004年と同点だが)。ようやく3回目の登場で余裕が出たのか、絶品ともいえる響きが堪能できる。特に気に入ったのは「酒・女・唄」の通常省略される序奏だ。これは貴族的な響き、胸を抉るような切なさ、夢見るような儚さ、もう耳のご馳走といえよう。スッペの「ウィーンの朝昼晩」はウィーン・フィルが絶好調に達しており、終結に向けての追い込みがビシバシ決まる(DVD音源のほうでは若干の加速が認められる)。クライバーと比較したくなってしまう「パズマン」「とんぼ」「ハンガリー万歳」では、引き締まったリズムから凛とした響きが伺える。ただ、ポルカになると若干粗暴なffが出てしまうのが惜しい。できれぱ実直なDVD音源のほうが魅力はより伝わるのだが、CDでも97年盤よりだいぶ音が良化したので是としたい。

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