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meji さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/09/20

    場所も年代も異なる寄せ集めライブとは言え、過剰なマルチマイクと過剰なポストプロダクションにより、セッション録音と区別のつかない均一な仕上がりにすることはわけも無いDGのことであるし、通常CDに加えSHM-CDにアナログLPと鳴り物入りでの登場だったので、大きな期待を抱きながらCDをトレイに乗せたが、スピーカーから流れてきたサウンドは客席ノイズにまみれ、ピアノの音像、音質、Dレンジ、Fレンジは曲毎に異なり、中には膝上隠し録りレベルの品質のものまである体たらくだ。RCAレーベルではトニー・フォークナーらによる優秀録音を次々と生み出していたキーシンだけに、アルバムの音質には相当こだわっていたのではと思い込んでいたが、その後のEMI、今回のDGと録音品質は下がる一方で極めて残念だ。演奏はソナタは全滅で、32の変奏曲だけは壮絶な名演だ。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/10/01

    ネルソンス&BSOのショスタコーヴィチシリーズがきっかけで最近のショーン・マーフィーの仕事を調べていたら偶然本ディスクがマーフィー録音であることを知り早速購入した。ご存知の方も多いと思うがショーン・マ−フィーの録音の特徴は、デッカのジョン・ダンカーリー録音に代表される、シネマスコープを思わす広大なサウンドステージ、楽音とホールレゾナンスとの巧みなブレンド、さらには羽毛を拡大鏡で覗いたかのような繊細で柔らかなディテール再現に加えて、同じくデッカのケネス・ウィルキンソン録音に代表される、個々の楽器のソリッドな実在感と底無しのパワー、そしてサウンドステージの隅々までクリアに見渡せるトランスペレンシーを併せ持つもので、「現代最高の録音」とはマーフィーのために用意された言葉といえる。一方、シカゴのオーケストラホールといえば、1904年の建設当初から音響的に評判が悪いホールであり、歴史的に何度も部分改修が行われてきたが、97年10月には造り変えに近い大規模改修工事が行われ、ルーフ高さとステージの幅、奥行きが大幅に拡大された。しかしながらその結果もけっして満足できる域には達しておらず、ドライでソリッド過ぎる音響こそ多少は改善されたものの、欧米の名ホールのような豊穣なレゾナンスは得られなかった。ちなみに大規模改修工事前のホール音響の特徴は、デッカのジョン・ダーカーリーが95年に収録したショルティのバビ・ヤールに顕著に表れている。この録音もオーケストラホールのキャラクターをありのままに原寸大でリスナーの前に届けてくれる優秀録音であるが(豪エロクァンスで今でも容易にCDの入手が可能だ)、ここで聞かれるホールの残響はまるで日比谷公会堂のようにデッドで、ステージ上のオーケストラの奥行きは浅く、個々の楽器のサウンドは溶け合うことなしにダイレクトにリスナーの耳に飛び込んでくる。
    さてマーフィーによる本ディスクであるが、けっして豊かでないオーケストラホールのレゾナンスは最大限取り込まれており、楽音とのバランスや溶け合いもナチュラルだ。また、大きく拡大された半円形のステージのパースペクティブ再現も申し分無く、個々の楽器は継ぎ目無く定位し、相互の位置関係も間違いようがない。実演奏のDレンジは明らかに圧縮されてはいるが、ppは痩せず、ffのパワーはいささか削がれることはなく、往年のデッカの名エンジニア達が録音中にリアルタイムで操作した卓越したフェーダーテクニックを思い起こさせる。唯一の不満は、打楽器の立ち上がりスピードや、ホルンやトロンボーンのパワー感だが、これはホールの音響特性に起因するものだと考えられる。とはいえ本ディスクが改修後のオーケストラホールで収録された全てのディスクの頂点に位置する優秀録音であることに異論を挟む人は居ないと思われる。ムーティのロミジュリにはフィラデルフィア時代のEMI録音もあるが、指揮者の円熟、オーケストラの技量、そしてマーフィー録音というスリーカードが揃ったこの新盤の魅力に魅せられない人など居るのだろうか?

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/09/15

    本ディスクは近年のクラシック優秀録音の中でも特筆大書すべき超ハイファイサウンドであり、対象をクラシック録音史全域に広げても頂点の一角を形成することは間違いない。それもそのはず、サウンドエンジニアとしてクレジットされているのはショーン・マーフィーだ(ボストンの公共ラジオネットワークWBURのHPに本録音での彼の姿が掲載されている。検索サイトでWBUR、shawn murphyと打ち込めば容易に辿りつける)。まず全てのリスナーは、第9番冒頭の弦楽合奏の最初の一音だけで、スピーカーの前に忽然と現れる原寸大のサウンドステージと、楽器やホールレゾナンスのリアルさに腰を抜かすことになる。そして最初の瞬間こそ、まるで異次元にワープしたかのような非現実的な感覚に戸惑うものの、やがてこの録音がマーフィーが信奉するDecca往年の名エンジニア、ケネス・ウィルキンソンのベストフォームすら凌駕するパワー、遠近感、トランスペアレンシー、ディテール解像度を有していることに気付き始めるに違いない。ブックレットには録音時のステージの一部の写真が掲載されているが、当然ながらライブの制約により、マーフィーお気に入りのノイマンのヴィンテージマイクは用いられていないし、デッカツリーに則ったマイクセッティングもなされていない。何よりオーケストラの配置変更は絶望的だ。しかしながらここで聴かれるサウンドはライブの制約を一切感じさせないばかりか、マーフィーがアビーロードスタジオでセッション収録した一連のスターウォーズサントラすら易々と超えた仕上がりとなっている。ここで、例によって月並みな語彙を集めて録音の素晴らしさを述べたとしても、この録音の凄さは絶対に読者に伝えきれないと思うので差し控えるが(失笑)、敢えてマーフィーの神業を二つだけ紹介させて頂く。一つ目は、ライブ以上の臨場感だ。本録音は最後に盛大な拍手が入る正真正銘のライブ収録だが、最近のライブ録音の常として客席ノイズはきれいに除去されるが、その際暗騒音成分のみならず、ホールトーンや楽音のディテール情報までもが失われ、のっぺりとした生気のないサウンドに化けるのが常だが、マーフィーはシンフォニ−ホールの豊かなホールレゾナンスを十二分に取り込むと共に、フルート奏者の生々しい息継ぎを初めとする演奏ノイズを余すところ無く収録することで、生以上に臨場感溢れるコンサートプレゼンスの再現に成功している。二つ目は、ライブ以上のパワー感だ。近年フェーザー操作やリミッター/コンプレッサーを用いずに生のDレンジをそのままディスクに収める「原音Dレンジ」を売りにした録音が多く、こうした録音では「トゥッティでボリュームを合わせるとppは痩せ細るか或いは全く聞こえない」といった事態に陥りがちである。しかしマーフィー録音では(いかなる操作が行われたかは知る術がないが)、再生途中でボリュームを動かす必要性は全く生じなかった。ラトルのベルリンフィルライブがトーンマイスターによる不自然な音量操作でリスナーの耳を傷めるのとは何たる違い!デジタル録音を取り巻く技術がいくら進歩しても、音の良し悪しを決めるのはサウンドエンジニアその人の技術とセンスであることを改めて実感した次第である。ネルソンスとBSOの演奏は極めて洗練されたスマートなもので、秋風のような爽やかさが特徴だ。人によっては「今更若手現代路線のショスタコなんて」とか「もう何種類もの名盤を所有しているから」と言って本ディスクを敬遠する向きも多いと思われるが、こんな理由でマーフィーによる超ハイファイサウンドの魅力に出会う機会を逸することはあまりにもったいない話だ。いずれにせよ、メジャーレーベルのクラシック録音にもその仕事範囲を拡大したショーン・マーフィーの今後の動向は、全てのオーディオファイルにとって定期的に監視しなければならない楽しみのひとつとなった。ちなみに本ディスクは前出の第10番と併せ、96-24のハイレゾ音源の入手が可能だ。もし本CDのサウンドに腰を抜かされた方で、まだハイレゾ再生環境を構築されていない方がおられたら、ただちに構築されることをお勧めする。現代オーディオが有するとてつもないポテンシャルに打ちのめされること請け合いだ。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/08/31

    ジュリーニ&シカゴによるEMI録音といえば、ビショップ&パーカーによるブルックナー9番という極めつけの優秀録音があるのに、なぜ71年の巨人をSACD化するのか理解に苦しむ(DGやSONYへの再録音が無いからだとは思うが・・・)。SACDのサウンドは従来CDよりも鮮烈でDレンジも大きいが、その反面元の録音の悪さが露呈しており、強奏時の混濁や高域の硬直は致命的だ。本録音の1年前に同じくメディナテンプルでデッカがショルティ&シカゴのマーラー5番を録音しており(エンジニアはゴードン・パリー)、ユニバーサルからシングルレイヤーSACDが発売されているが、サウンドクオリティには月とスッポンほどの差がある。また76年にはDGが同じくメディナテンプルでマーラー9番他を収録しているが、これらCDと比較しても本SACDの音は大きく劣っている。パッケージも相変わらずお粗末だ。スーパージュエルボックスやデジパックでないのにはさすがに慣れたとはいえ、解説にマスターテープの出処やマスタリングに関する情報が一切掲載されていないのは、業務放棄も同然ではないか?。往年のアナログ名録音のSACD化には多いに賛同するが、高値で売り出す以上は「元が高品質録音であること」にもっとこだわるべきだし、マスターテープやマスタリングに関する詳細情報を積極的に情報提供すべきである。本来なら星2つとすべきであろうが、今後のワーナーの販売戦略が先細りしないよう大甘で星3つとした。繰り返すが「元の録音品質が悪いアルバム」はSACD化のメリットは無く、CDフォーマットで十分にポテンシャルを出し切れる。ワーナーにはビショップ&パーカーやS・エルザムらによる、EMI黄金期のアナログ優秀録音を中心にSACD化を図って頂くよう切に希望する。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 18人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/07/30

    60年も前の録音であり物理特性上のアラを指摘することは容易だが、それをさし引いても楽音の倍音やミクロディテールの情報量やゾフィエンザールの臨場感の再現性はCD(国内キング盤やクラシックサウンズシリーズ)より向上している。ステレオ録音最初期の神々の黄昏からの2曲は、ワルキューレと比較するとかなり音が丸くなっているがこれはマスターの劣化によるものと思われる。肝心のマスタリングだが、録音年代を考慮すればヒスノイズはもっと盛大に聞こえるはずだし、当時の録音機材ノイズや会場の暗騒音等、中低域のノイズもマスターテープにはもっと入っているはずである。ソフトがいかに進化したとはいえ、ノイズ処理を通して「奏者の気配」や「臨場感」をもたらすミクロディテール情報の欠落は不可避であり、このあたりに関するマスタリング方針には首を傾げざるを得ない。ブックレットにもマスターテープ情報やマスタリングに関する情報は一切書かれていないこともリスナーの不信感を助長させる。この場を借りて何度も繰り返していることだが、かかる歴史的録音の高品質リマスターを購入する人は、「オリジナルマスターテープの音をそのまま聞きたい」「オリジナルLPに刻まれていたサウンドをそのまま聞きたい」という目的に大枚を叩いて同じアルバムを何種類も購入するわけで、マスタリングエンジニア個人の嗜好など一切視野にはない。そこで提案だが、シングルレイヤーで収録時間はたっぷり余っているのだから、「マスターテープのまま」「+耳障りなノイズのみ処理」「+オリジナルLPのサウンドに忠実なイコライジング」の3種類を収録してはどうだろうか。大衆向けに処理したものは廉価のCDで出せば済む話だと思うが…

    18人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/30

    今や最長老巨匠指揮者の筆頭格の地位を占める存在となったプレヴィンであるが、
    ロンドン響時代は異分野からクラシック界に入ったばかりの駆け出し指揮者として見なされ、
    EMIに入れた夥しい量の録音も軽視されるぐらいならまだましで、むしろ無視されるものが多い。

    しかし筆者はこのロンドン時代のプレヴィンこそ、
    若き日にジャズピアニストとして培ったリズム感と、ハリウッド映画の作曲を通して身に付けた音楽のわかり易さと手際良さ、
    そして指揮法の師であるモントゥー譲りのオーケストラを自在に操るテクニックとが一気に開花した絶頂期にあったと考えており、
    リズムの切れ、音色とダイナミクスの多彩さ、テンポや表情付けのメリハリ、オケのまとめ方どれをとっても、
    その後の録音を大きく凌駕していると考えている。
    もちろんその理由のひとつとしてロンドン響との録音の多くが、プロデューサー:クリストファー・ビショップと
    バランスエンジニア:クリストファー・パーカーによる超優秀録音であったともまた見逃せない。
    ひょっとすると、EMIの録音が、後のフィリップスやテラークやDG録音とは比べ物にならないほど素晴らしいので、
    演奏もこれに引きづられて素晴らしく聴こえるだけなのかもしれないが、
    レコードやCDのような再生芸術においては、鳴っている音が全てであり、これを持って判断するのが正しいと考える。

    このカルミナ・ブラーナもトゥーランガリラ交響曲同様、SACD化が待たれていた優秀録音である。
    ワーナーミュージックの常としてリマスタリングに関する情報は一切書かれてないが、
    手持ちの97年デジタルリマスターのCDと比較したところ、
    サウンドステージの広がりと開放感、空間の再現性、ディテール情報量において、
    大きく差をつけており、この演奏の真の素晴らしさはSACDで聴かないと分からないかもしれない。
    本SACDの聴き所はそれこそ随所に現れるが、
    13曲目の最後でテューバの一吹きの生々しさに思わず息を呑み、
    14曲目の男性コーラスの薄気味悪さすら感じさせるささやきと木管楽器の点滅が次第に大きく膨れ上がていく凄みに鳥肌が立ち、
    15曲面で左スピーカのはるか外側後方から姿を現す児童合唱のリアルな距離感にはただ呆然とすることしか許されない。

    プレヴィンのカルミナといえば後のVPOとの再録音ばかりが取り上げられるが、
    若き日の才気溢れる指揮、ロンドン響のややダーク調の音色と重心の低い響き、
    キングスウェイホールの魅力的なアコースティク、
    ビショップ&パーカーによるアナログ末期の優秀録音、
    アビーロードスタジオでの最新リマスタリングによるSACD・・・
    この抗し難い魅力を振り切って、
    敢えてDG版を取り上げる合理的な理由などどこにあるのだろうか?

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/30

    アナログ録音が最後の輝きを放っていた70年代、EMIのバランスエンジニアの総帥C・パーカーと共に、レーベルを代表する優秀録音を生み出していた名手S・エルザムによる収録である。そして、どちらかというとバーミンガムやボーンマスなどでのオーケストラ録音が多かった彼としては、本拠地アビーロードスタジオで室内楽を収録した珍しくも貴重なディスクだ。
    XRCDのリマスタリングエンジニアはJVCの小鐵徹氏。First Impression MusicのXRCD「ルプーのグリーグ&シューマンのコンチェルト」で、
    K・ウィルキンソンによる超優秀録音を、キングスウェイホールの下を走る地下鉄のランブルノイズを一切処理することなく、マスターテープ情報をそのまま全て引き出した業績は、その後ユニバーサルによるSACD-SHMが発売された今においても色褪せることがない。このXRCDで聴かれるサウンドも、今風のデジタルサウンドを意識した、繊細でブリリアントな方向に傾きがちな現代のリマスタリング風潮とは一線を画した最小限のイコライジングによる誠実な音作りが大変好ましい。
    ここでパールマンは四季がバロック音楽であることなど全く意識せずに、ベートーヴェンやブラームスのコンチェルトを演奏するのと同じように楽器を豊かに鳴らしながら、やや遅めのテンポで伸びやかに歌わせている。従ってエルザムにとっても、これがヴィヴァルディの四季だからといって、サウンドステージをこじんまりとまとめたり、宮殿のサロンもどきの残響を付加したりと、いかにもバロックぽく録音する必要は無かった。ロンドンフィルによる室内オーケストラはパールマンのソロより少し後方に広めに展開するが、編成が大きいせいか、夏の嵐では低弦がゴウゴウと唸りを上げるし、秋の狩ではブラームスを思わすぶ厚い響きが聴かれる。エルザムの録音はこれらを原寸大のフルボディサウンドで我々に届けてくれる。室内オーケストラは左右スピーカの間隔の中に展開するが、その外側には広大なアビーロード第一スタジオのエアーがはっきりと感じとれる。リスナーはソリストのテクニックや解釈、楽器や演奏様式など、細かいことなどは気にせず、アナログ円熟期の黄金のブリティッシュサウンドにただ身を任せれば良い。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/26

    下の七海耀氏のレビューに全面的に賛同するものであるが、この素晴らしいディスクを出来るだけ多いの人にも聴いて頂きたいという思いで、若干の補足説明を投稿させて頂くこととした。ブルックナーの0番といえば、余程のブルックナー好きでない限りディスクを購入しようとは思わないだろうし、ディスクを購入したとしても、第一楽章の冒頭から主題らしい主題が現れないまま、フレーズが途切れ途切れに先へと進んでいくのについて行けず、一度聴いただけで放り出す人が多いに違いない。しかし最晩年のブルックナーが、この曲を「演奏するに値しない」としながらも、廃棄せずに0番の称号を与えたことは事実であるし、スクロバチェフスキと読響による演奏は、この理由を我々にわかり易く説明してくれる。この曲は、第一楽章では調性が同じ第3交響曲を思わすようなオーケストレーションや和声進行が随所に聴かれ、続く第二楽章では晩年の第9番のスケルツォの第二トリオのモチーフや、第9番のアダージョを彷彿とさせる低弦の和声進行が突如として姿を現す。さらに終楽章では第5や第8のフィナーレを先取りしたかのようなブラスのシンフォニッックな響きを聴くことが出来る。そしてスクロバチェフスキは、これらの部分をここぞとばかり強調することで、「この曲があったからこそこの後の傑作が生まれたのだ」
    というメッセージを我々に伝え、読響の全身全霊を傾けた演奏が、聴き手を理解と確信へと導く。そしてこのことはこの指揮者が90歳を超えて、敢えてこの0番に帰ってきた理由としても、合理的に説明がつく。録音はDENONの伝統に根ざしたディテール解像度が極めて高く、やや淡白だが透明で美しい微粒子サウンドである。ブックレットにはライブの写真が掲載されており、サイズが小さいので断定はしかねるが、天井吊りのサラウンド用ワンポイントメインマイクの他に補助マイクとしてティンパニの両側に置かれた2本が目を引く。そしてエンジニアがこの位置に補助マイクを立てた意図は、ティンパニのパワーと粒立ちや、ブラス(特にバストロンボ−ン)の量感に明確に表れており、まるで往年のDecca(ウィルキンソン)録音を聴いているかのような錯覚すらもたらす。
    演奏、録音共に国内盤における久々の秀作だ!

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/31

    録音エンジニアのエンノ・メーメッツといえば、セ−ゲルスタムのシベリウス録音での目覚ましい仕事ぶりでオーディオファイルの注目を浴びた現代の名エンジニアの一人であり、筆者もその後の仕事ぶりに注目していたが、オンディーヌから次々とリリースされるディスクは、馴染みの無い北欧の作曲家の作品ばかりで、なかなか購入に踏み切れなかった経緯がある。
    ところがここに来て、リントゥによるメシアンやマーラー作品がリリースされたので、大きな期待を込めて購入したわけだが、今期は首をかしげざるを得ない結果となった。もちろんマイクセッティングのセンスの良さや録音の物理特性の高さは十二分に感じられるのだが、何と言ってもホール自体のサウンドの魅力の無さが大きなマイナスであり、まるでサントリーホールでのライブを聴いているかのような感覚に陥ってしまった。セッション会場はヘルシンキのミュージックセンターとあり、ブックレットの写真によるとワインヤード型の最新のホールのようだ。その音響は、最近良く聴かれる、所謂現代ホール特有の、クセも無いが個性も無い暖色系の無難な音で、音のヌケが悪くサウンドステージの解放感が全く感じられない。例えて言えば「良くできたスタジオ」といった雰囲気である。ネットで調べてみると、有名な日本の音響設計事務所によるものであることが分かり納得した。現代のホールは(録音で聴いても)総じて同じような響きがするが、これはまず遮音性が極めて高いため外部ノイズは完全に遮断するが、その代わりにホール内の音エネルギーもホール外に一切漏れ出すことがない。そこで楽器から発せられた音は、専らホールの内装材の共振によってエネルギー変換させたり、椅子で吸音させながら減衰させることになり、これがサウンドステージの閉そく感につながる。さらに、どの客席でもフラットで均一なサウンドで聴こえることを目指す代償として、最高の音が聴かれるスウィートスポットも無いし、ホール固有のサウンドカラーも薄れてしまう。オケ、指揮者、ホール、エンジニア、レーベルと全て北欧で固め、しかも最高の布陣で臨んだセッションのサウンドから北欧の空気を感じさせないことは、何とも寂しい限りだがこれが現代の主流なのかもしれない。演奏は所々に指揮者の細部への拘りを見せるが、総じて手際よくオーソドックスにまとめており、全体としての印象はややクールであり、このクールさが唯一北欧の雰囲気の片鱗を感じさせてくれた。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/29

    クレンペラーのブル6SACDとは「ワーナーも渋いところを突いてきたな」と期待して購入した。比較対象となるのが、2003年にアビーロードスタジオでイアン・ジョーンズによってリマスタリングされたART−CDである。結果としてCDとSACDとの器の大きさの違いによるトゥッティでの頭打ち感で差が生じているものの、目立った音質改善は見られないようだ。ケースのタスキには「2015年最新リマスター」と銘打ってはいるが、解説にはリマスタリングに関する情報は一切掲載されておらず、改めてアナログマスターテープを回してリミキリングしたのか?リマスタリングの機材が変更されたのか?従来のARTとのリマスター方針の違いは何か?など全くもって不明だし、そもそも2003年のARTリマスターにおいても96-24録音機を用いていたはずであり、今回の音源も当時のPCM音源を用いた可能性すらある。解説は、音楽批評界の重鎮M氏によるものだが、恐ろしく内容が空虚で、こと音質に関する記述に至ってはピントが外れまくっており「聴かなくても書ける」レベルの内容だ。これならHMVの常連レビューアー諸氏の方が間違いなく正確で内容も的確だ。以前クレンペラーのマタイでも主張したが、かかる名盤SACDを大枚をはたいて購入する人の興味は、オリジナルのアナログマスターにいかに近いかに尽きるわけで、言うなれば演奏を買うのではなく、音質を買うのである。M氏によれば「ロバート・グーチはアナログ時代を代表するバランス・エンジニア」とあるが、キングスウェイホールでパーカーやウィルキンソンらが収録した一連の優秀録音と比べると、グーチの仕事は、サウンドステージの広がりや奥行、豊穣なホールレゾナンス、トランスペアレンシーにおいて劣っており、全体として窮屈な印象が否めず特に全奏時の混濁感は致命的だ。とはいえ、クレンペラーのパーカー録音はテスタメントのペトルーシュカぐらいしか無いし(他にあれば是非情報を頂きたい)、グーチにパーカーやウィルキンソンのようなサウンドを期待する方が間違っているわけで、筆者も元の録音の優劣をどうこう言うつもりはない。今回のSACDがオリジナルのマスターテープに最も忠実かどうかが知りたいだけだ。ワーナーミュージック・シャパンにはその説明責任があると思う。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2015/12/29

    同時発売のオン・テレビジョンが「初出音源」と「DVD」という2つの目玉があるのに対し、こちらのヒストリックリターンは既に無編集版がCDで発売されていることから、SACDによる音質改善のみが評価のポイントとなる。こちらのアルバムでもリマスタリングエンジニアであるアンドレアス・K・マイヤー自身による解説が掲載されており、最終編集版については、今回新たに3トラックマスターからリミキシングし、無編集版は2003年のCD初出時のDSD音源から再度リマスタリングを行ったと「正直に」告白している。最終編集版の音源の方は、ミスの少ないセッションからの切り貼りであるため、無編集版と比べるとイコライジング+ダビングによる音質劣化が認められる。そこで当然気になるのが、無編集版の従来CDと今回のSACDとの音質差であるが、バッハのトッカータ冒頭の有名なミスタッチに続く、速いスケールのパッセージにおける音の粒立ちで早くも大きな差がついている。解説によるとホロヴィッツはこの演奏会のために新しいスタインウェイを特注したとのことだが、実に透明で丸くて美しい響きが、ハンマーアクションの音にならない動作音と共にしっかりと捉えられている!筆者はホロヴィッツのピアノに対する「浅いアクションとフェザータッチでハンマーは薬品で硬くしていた」などといった噂を、LPの音を裏付けとして信じてきたが、このサウンドを聴くとそれが間違いであったことを痛感する。全体を通して、3本のマイクによる自然なサウンドステージと余計なイコライジングやノイズリダクションを最小限にとどめた良心的なリマスタリングが耳に心地よく、音場再生型のスピーカで再生すれば、リスニングルームが50年前のカーネギーホールと置き換わる体験が可能だ。同額のオン・テレビジョンと比べると割高感は否めないが、これだけの音質を手にすることができることを考えると、やはり本ディスクは「買い」である。

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     2015/12/29

    ホロヴィッツが亡くなってから既に四半世紀が経ったが、最新のリマスタリング技術による鮮明なSACDと、鮮明なDVD画像によって、初めてホロヴィッツの生身の姿に接することができた思いだ。
    まずはオン・テレビジョンのデジタルリマスターDVDが嬉しい。最晩年の老醜をさらした80年代の映像とは異なり、最も完熟した60代前半の颯爽とした演奏姿に触れることができるかけがえのない映像だ。これに加えて、これまで日の目をみなかったリハーサル音源や当日の無編集音源が、オリジナルマスターテープからのDSDリマスタリングによって、目の覚めるようなリアルな音質で聴くことができる。またこれらの情報を比較することで、当時のLPがTV収録時の演奏そのままではなくリハーサルやゲネプロや追加セッションを素材に、夥しい切り貼りによる編集がなされていたことも明らかになった。
    購入者にとって何よりも気になるのがSACDの音質であろう。日本語解説には、リマスタリングエンジアであるアンドレアス・K・マイヤーによる詳細なレポートが掲載されており、「最終編集版も無編集版もオリジナルの3トラックマスターからリミックスした」とある。しかしながら、最終編集版については、彼自身が拍手の音や、聴衆のノイズ、演奏のミスをもとに編集箇所を推測したような記述になっていることから、どうやらハサミが入った編集マスターテープまではたどり着けず、そのコピ−マスターからデジタル化したと思われる。このことは、編集最終版のサウンドが2種類の無編集ディスクと比べ、間違いなく音質が劣化していることからも証明される。
    そして肝心なリマスタリングの出来であるが、テレビカメラがステージ上を動く際に発生したと思われる超低域のノイズがそのまま収録されていることから、余分なノイズリダクションは行わずにオリジナルに忠実な音作りがなされていると考えられる。また65年に同じくカーネギーホールで収録されたヒストリックリターンの音質と比べると、オン・テレビジョンの方は、ピアノの音色がやや硬めでディテールのクリアネスにおいてやや劣っているが、前者はテレビカメラ用にステージ床を補強した結果であり、後者はTV画像にマイクを映さないようにするため、マイクがピアノから離れた場所にセッティングせざるを得なかったことが原因だと推測される。RCAからCBSに移籍した後のホロヴィッツはついぞ優秀録音には恵まれなかったが、今回のオン・テジビジョンやヒストリックリターンのSACDを聴いた限りでは、悪かったのは元の録音ではなく、夥しい編集とそれに伴うテープダビング、ホロヴィッツの好みを反映した硬質トーンへのイコライジング、薄っぺらで粗悪なLPプレスに原因があったと考えられる。
    なお、演奏だけを取り出せば、長年馴染んだ最終編集版が最も完成度が高いが、無編集の2種類のディスクもそれぞれ異なる味わいがあり、ミスタッッチは多いものの、演奏の流れが自然で好ましいし、何といっても音質の優位性は何物にも代えがたい。
    最後に、ソニー・ミュージックエンタテインメントの丁寧なパッケージングを評価したい。詳細な録音データ、リマスタリングエンジニアによる解説、DVDリマスタリングエンジニアによる解説、3種類の演奏の客観的な比較評、アメリカでのLP初出時の解説、日本でのLP初出時の解説、セッションやライブ時の写真、マスターテープの写真…とどれもマニア心をくすぐるものばかりで、ページをめくるのが本当に楽しい。貧弱で救い難い解説が一向に改善されないワーナー・ミュージックジャパンには是非ともソニーを見習ってもらいたいものである。本アルバムは正直高いが、金額なりの価値は十分ある。マストバイだ。

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     2015/12/25

    Deccaのバランスエンジニア、ジョン・ダンカーリーによるデュトワ&モントリオール録音のスタイルは、第一弾となったダフニスとクロエ(1980年7月)から最後のセッションとなったピアソラ(2000年10月)に至る足掛け20年の間で、基本的な変化は見られずワイドなサウンドステージとスウィートなテイストは終始一貫して保たれているが、そんな中において1990年頃を境にオーケストラがややオフ気味になり、ホールレゾナンスの取り込みもさらに増加し、サウンドステージがより自然に再現されるようになる。この理由としてはコンソールやレコーダー等を始めとするデジタル機材の技術的進歩が大きく貢献していることは言うまでもないが、より微細なディテール情報まで克明に収録できるようになるにつれて補助マイクの数も減らしていったのではないかと推測される。
    「1990年頃を境に」と書いたが、筆者は90年6月に録音されたこの「悲愴」がその転換期に位置していると考えているが、実際に無数あるダンカーリー録音の中でも少しばかり異質なサウンドと言える。「異質さ」とは、ほとんど補助マイクに頼ることなしにメインマイク5本(ツリー3本とアウトリッガス2本)の信号だけでミキシングされたかのような、いつにも増してナチュラルで継ぎ目の無いサウンドステージや、生演奏そのままのダイナミックレンジであり、多少のアウトフォーカスやリヴァーブコントロールの詰めの甘さも気にしない潔さである。
    特にダイナミックレンジの大きさは、一般家庭での再生には向いておらず、通常のボリューム位置では第一楽章冒頭の低弦や提示部終わりのバスクラリネットは全く聞こえないし、展開部冒頭ですら音量不足を感じさせる。従ってこの録音の持つポテンシャルを全て開放させるには、序奏の主題を吹くファゴット奏者のブレスノイズが聴き取れるまでボリュームを上げることが不可欠であり、この際トゥッティの音量は、コンサートホールでの原音量となり、近所から苦情が来るのは必至だ。当然ながらアンプにもスピーカーにも高いSN比と解像度、さらには広大なダイナミックレンジが要求されるが、その条件が満たされた場合に得られるサウンドは恐怖感さえ感じさせるリアリティに満ちている。
    ではなぜこのような録音が突然変異的に生まれたのか?新しいハイビットレコーダーが導入されその能力を試したのかもしれないし、ソロ奏者のミスやオーケストラの乱れが修正されていないことから「生演奏の勢いを尊重し・・・」というデュトワの意向が反映されたのかもしれない。或いは同時期に録音された「キージェ中尉」や「アレキサンドル・ネフスキー」が従来同様のサウンドに仕上がっていることから、誤ってマスタリング途中でリリースされてしまったのかもしれない。どんな理由があったにせよ、セッション時のダイナミックレンジをそのままCDで聴くことができるという点で、ダンカーリー録音の中でも唯一無二のディスクであることは間違いない。
    余談になるが、このようなやっかいなノンリミッター録音に対して、ここではDeccaのミキサーになったつもりで、積極的にアンプのボリュームを操作しながら聴くというのはいかがだろうか?ショルティのリングのセッション映像でも、ミキサーがリアルタイムでコンソールのフェーダーを細かく操作していることがわかる。ちなみに筆者も時々やってみるが、曲と演奏が頭に入っていれば意外なほど違和感無く再生できることに我ながら驚く。しかしこれに本当にハマると、次はコンソールが欲しくなってくるので要注意だ。

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     2015/11/01

    本アルバムは「コンサートの完全無編集収録」といった記録的な観点で語られることが多いと思われるが、筆者はむしろ「ホロヴィッツの全ディスク中最高の音質」であることを評価するものである。解説の冒頭で、ソニーミュージックレーベルズ自身が、当時のホロヴィッツのライブアルバムは、何種類ものコンサート録音からの継ぎ接ぎで作られていたことを明言しているが、これは取りも直さず「従来のアルバムの音質はもともと悪い」ことを告白したようなものだ。つまりコンサートで回していた文字通りのオリジナルマスターテープ(第1世代)から、ただちにセフティーコピー(第2世代)がつくられる。これがアルバムの素材となるわけだが、後で継ぎ接ぎした際、音響条件の異なるホールで収録されたサウンドを違和感無く揃えるために、イコライジングによる整音が不可欠だ(第3世代)。そしてこのテープを用いて演奏ミスや、観客の咳などの無い箇所を継ぎ接ぎしたのがアルバム用のマスター(第3世代の継ぎ接ぎ)であり、このマスターテープからもただちにセフティーコピー(第4世代)がとられたはずだ。LPのカッティングにこのセフティーコピーが用いられれば良いのだが、実際にはさらなるコピー(第5世代)がとられ、これが各国に配られたと考えられる。このことは、当時の国内LPで聞かれた盛大なヒスノイズや転写はもちろんのこと、なによりも本CDとの決定的な音質差が裏付けている。本CDは文字通り無編集のマスター(第1世代または第2世代)から、ダイレクトにデジタル化しており、f特性、Dレンジは大きく拡大し、ダビングで失われたミクロディテール情報も蘇っている。そしてバックグラウンドにあったヒスノイズレベルがぐっと下がったことで、客席や演奏家が発するノイズやピアノの微妙な音色の変化やホールトーンがしっかりと聞き取れるようになった。さて演奏の方だが、文字通りの「無編集」だけにミスタッチは多いし、コンサート毎のコンディション差も大きく、信じ難いほどミスだらけの演奏すら散見される。しかしながら、オリジナルのマスターテープには、繊細にコントロールされた打鍵とペダリングによる微妙なニュアンスの変化と、pppからfffに至る広大なDレンジが忠実に記録されており、ホロヴィッツのピアニズムの真髄は、本アルバムをもってして初めて明らかになったと言っても過言ではない。さらに従来のアルバムでは余計な音としてわずらわしくまとわりついていた「客席ノイズ」も、ここでは「ホールの臨場感」と化して、コンサートの異常な熱狂をリスナーに届けてくれることも見逃せない。なお、日付の近いコンサートも生真面目ともいえる姿勢でそのまま収録しているため、リスナーは同じ曲を本当に何度も聴かされるハメになるが、以上の理由でこれが本アルバムの価値を下げるものではけっして無い。パッケージは嵩張るし、紙ジャケがきつくディスクの出し入れがしづらい等の問題はあるが、中身は世界文化遺産級といえるし、当時の高額なチケットと入手の困難さを考慮すれば本アルバムは十分に安くマストバイだ。年末にはヒストリック・リターンやオン・テレビジョンの無編集バージョンがSACDで発売されるがこれも非常に待ち遠しい。

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     2015/06/24

    例によってテンポは異常に遅いが、ベートーヴェンの三大ソナタとはいえ、初期〜中期の作品ではさすがに彼の超スローテンポに応えるのに十分な中身を有しておらず、遅く弾かれても、曲の構造が解きほぐされるとか、通常では聴こえない音や旋律が意味を持ってくるとか、聴き手を深い瞑想へと引き込むといった効果がもたらされず、正直なところやや退屈な76分であった。ただし思わぬ発見だったのが、アファナシュエフの演奏がホロヴィッツに非常に良く似ているということだ。もちろん外見上は、ホロヴィッツの速いテンポ(HJリムのように物理的に速いわけではないが…)、軽くて明るい音色、考え抜いた結果とは思えない即興性に対し、アファナシェフは全て反対路線を行っているのだが、ルバート表現、ダイナミクス、スタッカートとマルカートとレガートの使い分けからペダルを踏んで離す箇所に至るまで、聴けば聴くほど本当にそっくりなのである。そう思いながらDVDを見てみると、椅子を低くセットし、肘位置を鍵盤より下げ、指の腹で鍵盤を叩くアファナシュフの演奏スタイルがホロヴィッツと実に良く似ていることに気付いた。尤もここで、その理由を詮索しても何の意味も無いし、だから何だと言われても回答の術を知らないが、少なくとも言える事は、アファナシェフも伝統にとらわれずに、ベートーヴェンのスコアを分解し、自らの美意識でゼロから再構築したことにおいて、ホロヴィッツやムラヴィンスキー同様ロシアの大地が生んだ類まれなる天才の一人であるということだろう。皆様も、彼の遅いテンポとライナーノーツに掲載された難解なエッセーに惑わされることなく、どうか冷静にご判断頂きたい。
    最後に録音についてひとこと。プロデューサーはDENON時代からお馴染みのゲルハルト・ベッツである。付録のDVDにはベートーヴェンザールでのセッション風景が収録されているが、ピアノの前方、人の背の高さにNEUMANのマイク(TML49と102か?)が2セットと約3mの高さにSCOEPSと思しきマイクが1セット、そしてピアノから少し離れた高い位置にもアンビエンスマイクのスタンドが2台設置されていることから、計8本のマイクを使用しているようだ。ピアノの音はディテールに至るまで克明に収録されているしホールトーンとの溶け合いも自然だが、マルチマイクの弊害で、スピーカーの前にDVDの映像にある通りのサウンドステージが広がらないのがなんとも残念だ。

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