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タイガー哲 さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/11/11

    かっては「ラ・ボエーム」のセカンドチョイスとして必ずといってよいほど取り上げられていた名盤。RCAビクターオーケストラとされているが、内実はメトロポリタンのオケとコーラス。レーベルの関係かあるいは当時強かった(いまも強い)ユニオンの関係でこういう名称にしたと思われる。→聴きものはなんと言ってもビーチャムの指揮にある。リリシズムいっぱいの演奏で、ステージ上の若者たちに寄り添って行く(実際に歌っているのは若者ではないにしても、これは青春のオペラなのだ)。かといって決して軟弱なわけではなく、ドラマティックに盛り上げるところもある。これがモノラルではなくステレオ録音であったなら、今でもベストバイの一つとなっているだろう。→ビョルリンクのロドルフォはいうことなし。この人、映像で見るとすごくオッサンくさくて見ていられないが、オーディオだけなら文句なし。実に若々しい青春そのものの歌を聞かせる。ロス・アンヘレスのミミもチャーミングである。声楽陣でなによりの聴きものは、男性陣。メリル=マルチェルロ、リアドン=ショナール、トッツィ=コリーネ、ブノアとアルシンドロ=コレナとそろったらなんにも言うことがない。メットで普段から顔を会わせて演奏している組がそのままレコーディングセッションに臨んだようなもので、うまくゆかないはずがない。ボエームのファンの方には一度ぜひお聴きになることをおすすめする。→ムゼッタをルシーン・アマーラという人が歌っている。この人もメット専属みたいな人だったはず。このムゼッタは可もなし不可もなしというところだが、メットが最初の引越し公演をやった時のカルメンのミカエラを歌った。これが最悪。17,8の娘役を50歳を過ぎたオバハンにやらせるか!? マリリン・ホーンのカルメンも最悪、名前は忘れたけどドン・ホセもほとんどオッサンだし、ヘンリー・ルイスというそれ以降名前を聞かない指揮者もダルな指揮で、日本の聴衆は完全にメットとプロモーターになめられていた。S席で3万円ぐらいしたはずだが、いまでも金を返せといいたいほどのひどいでき。それでもプラス評価をするバカ評論家が多数いた。以後も知ったらしい評論をしているのを見るとまことに腹立たしい。こういう連中はみんなの力でご退場願わねばならない。メットはこの時にやはり批判が届いたのであろう、以降のメンバーはましになった。→メットに対して苦言を呈したが、このソフトはまともなのでご心配なく。カラヤンやセラフィンをはじめとしていろいろ聴いたが、小生のラ・ボエーム鑑賞の原点ともいうべき音源となっている。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/02

     フリッチャイ指揮の魔笛のCDのレビューにも書いたが、オペラ映画(ライブとは違い)としては抜群の出来である。→
     序曲の間に映し出される子供たちの表情がとてもよい。音楽そのものはセッション録音されたものにかなうものではないが、なにより「魔笛」ではなく「まほうの笛」である、大人も子供も楽しめるメルヘンであるというコンセプトの下に作られており、そのコンセプトは十分にこの映画の中で実現されている。タミーノ・パミーナは美男美女。パパゲーノはひょうきんそのもの、パパゲーナは可憐でかわいい。三人の侍女は豊満な熟女たち。これでなければオペラの冒頭に失神したタミーノを三人が奪い合うことの意味が明らかにならない。見始めると退屈するまもなく、ぐいぐいと引き込まれる。ベルイマンの映画監督としての力量が理解できる。→
     ちょっとエッチなところがいくつもあるが、それはそれとしてぜひ子供たちにも見せたい映画である。学校で上映会をすればよいのにと思う。→
     映画監督としてのベルイマンを知る人は、彼がこういう映画を作れる人とは考えないだろう。小生も最初見たときは、通常とは違う意味で衝撃的であった。
     

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/01

     別のCDのレビューにも書いたが、このソフトの欠陥はディースカウがパパゲーノを歌っていること。この優等生的な真っ正直な歌いぶり(うまいというほかない歌いぶり)は、パパゲーノがこのジングシュピールの狂言廻しであることを忘れてしまっている。ディースカウが魔笛で歌うのなら、ショルティ盤のように弁者しかない。すこし年代が違うが、やはりプライあたりの歌で聞きたかった。→
     のっけから苦言を呈したが、このパパゲーノ以外のキャストは言うことがない。特筆すべきは夜の女王を歌うリタ・シュトライヒ。この人の夜の女王を聴くと他のものは聴く気がしなくなる。一時期グルベローバの評価が高かったが、その無理のない発声、コロラトゥーラの技巧、dictionのいずれをとってもかなわない。いまやリタ・シュトライヒも完全に過去の人になったが、もっと評価されてしかるべき人である。小生に言わせれば、この人の夜の女王を聴かないで、魔笛の演奏をあれこれ論じるのは論外。リタ・シュトライヒを聴くためだけに持っていたいCDである。→
     フリッチャイの指揮ぶりも聴いていて心地よい。テンポも妥当、オケが前に出ることも引っ込むこともない、まず十全のタクトといえる。RIASOから非常に柔らかな響きを紡ぎ出すことに成功している。モーツアルトのオペラ、特にメルヘンである魔笛には木管を中心として、柔らかな、聴くものを包み込むような響きがなにより重要であると思う。DGのベルリンセッションであるから、おそらくイエス・キリスト教会が使われていると思われる。この録音場所の選択もこのCDが成功した一因である。→
     冒頭、ディースカウのことをくさしたが、一つだけ救われているところがある。それは終幕近くのパパゲーナと歌う「パパゲーノ、パパゲーナ」のデュオ。リーザ・オットーが生気はつらつとしてまことに可憐な歌いぶりで、ディースカウもそれまで死に体だったものが、一気によみがえったようなところがある。リーザ・オットーに救われたといってよい。→
     ジングシュピールというので、せりふを役者が演じている。この頃のDGはジングシュピールというと、この方法を取って録音しているが、はっきり言って成功しているものはない。この魔笛のものは残響などを考慮して行なわれていて、まだましな方である。もっとひどいものがいくつもあった。プロデューサーの見識が問われるところである。出演者はみんなオペラをやっている人であり、この程度のセリフがしゃべれないで、オペラが歌えるはずもない。→
     Die Zauberfloteを「魔笛」と訳すのは、日本人の悪しき教養主義のなせる業。日本人、特に音楽評論家はやれザラストロは哲学を語っているだの、モーツァルトとフリーメーソンの関係を論じるところから、このオペラを語ろうとするからそうなる。このオペラは子供も見て楽しめる「メルヘン」なのだ。だから魔笛などとせず、「まほうの笛」とでもしておけばよいのだ。そうすれば、もっといろんな人が、それこそクラシックなどを一度も聴いたことがないという人でも、聴くかもしれない。→
     それを念頭において映画を作った人がいる。イングマール・ベルイマン。この人の映画は、人の心をえぐるような深刻な映画ばかりなのだが、なぜかこのオペラを映画にしている。魔笛はメルヘンであるというコンセプトの下に作られた映画といってよい。DVDになって発売されているので(廃盤かもしれないが)、ご覧になることをおすすめする。オペラハウスのライブ物よりずっと楽しめること請け合いのソフトである。なによりタミーノ・パミーナが美男・美女(この監督は面食いだった)。三人の次女も豊満な熟女ばかり。幕開きでタミーノが失神しているときに、三人でタミーノを取り合いすることの意味がこれでハッキリとする。モーツァルトはわいせつな人間で、自分の作中の登場人物にも、わいせつなことをさせたり、語らせたりしているが、そういったこともこの映画ではしっかりと作りこまれている。序曲の演奏中、このオペラを見る子供たちがスクリーンに映し出されるが、その子供たちの表情もすばらしい。ぜひご覧になっていただきたい。→
     小生がオペラの全曲レコードを買ったのは、このフリッチャイの魔笛が最初だったと思う。日本DGの廉価レーベルだったヘリオドール、3枚組3000円。当時LPは1枚2300円から2500円していたから、助かった覚えがある。この値段でもちゃんとボックス入りで対訳もついていた。当時の日本DGは良心的だったのだ。生涯初のオペラ全曲ということだけでなく、リタ・シュトライヒの夜の女王を聴くために、これからも残しておきたいソフトである。モノラルであることも気にならないレベルの出来。  →は段落を示します。 

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/09/30

     このパリにおけるフェアウェルコンサートはすばらしいが、なかでもアンコールで演奏された第1番第2楽章が空前絶後の出来栄えとなっている。これだけは比較の対象とするものがない。テンポをやや遅めにしてスタートし、チェロのアタックが楽団員全員の慟哭の情を切々と表現する。ライブであるがゆえにその情感はスタジオセッションではつむぎ出せないものがある。もちろん最近のライブ物がよくやるゲネプロまで含めて数回の演奏会のものを継ぎはぎして作るという偽物ではなく、正真正銘の一発録り。感銘の度合いが全く違う。
    →アルバンベルクカルテットのメンバーもアマデウスの数十年の不動のメンバーの中にあっても全く違和感を感じさせず、それも大いに評価したいところである。この第1番第2楽章だけを聴くためだけに持っていたいといえるCDである。→余談となるが昔(といっても70年代の末か80年代の初頭という記憶がある)NHKで藤竜也主演「その人の名を知らず」というドラマが放映された。日中戦争期の中国を舞台にして、日中人民の和解のために努力しつつ、志半ばで不慮の死をとげる男の物語だが、その主要シーンでこのブラームスのセクステットがバックに流されていた。まことに当を得た選曲であったと今でも評価している。中国の協力を得て現地でロケーションが行なわれたにもかかわらず、完成作品に対し中国からクレームがあったようで、再放送は一切されなかったし、NHKのアーカイブからも抹殺されたようである。ビデオをお持ちの方はぜひお知らせをいただきたいと思う。
    →は段落を示します。

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  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/14

    ベームのテンポが遅いだの、プライのフィガロが年を取っているだの、ヤノヴィッツの伯爵夫人がやはり老けているだの、みなさんいろいろ感想をお持ちのようだ。想像するところ、いずれのレビューライターも若年で、当時のことをよくご存じないようだし、ご存知の方も残念ながらFMでエアチェックをしているぐらいで、実際のステージをご覧になった方は数名のようである。→
     80年当時は、現在から比較するとツアー料金も相対的に高く、気軽にウィーンへ出かけてシュターツオパーでオペラを鑑賞するということは、なかなかできなかった。そういう時に、完全な引越し公演、歌手は全て現役で脇役までそろっている、コンサートマスターにはちゃんとゲアハルト・ヘッツェル(故人)が座っているというレベルの公演は、ウィーンでもプレミアなどは別にしてそうたびたびお目にかかれなかったのではないかと想像する。現在は映像メディアが以前に比べて大普及しているので、これを超える公演の記録もあるのだろうが、上に述べたような時代の状況を鑑みて比較しないと意味がない。→
     歌手陣にはほとんど文句がないが、ヤノヴィッツの伯爵夫人がもう少しおきゃんであればよかったし(伯爵夫人ということに惑わされてはいけない、彼女はセヴィリァの散髪屋に出てくるロジーナそのものなのだ)、みなさんの評価の高いポップのスザンナも歌唱・演技には文句がないけど、容姿がふっくらしすぎていて、DVDの映像で見ると少しつらいところがある(これはぜいたくな感想であると自分でも思う)。実際のステージではそういうことはほとんど感じさせないが、それがウィーンの宮廷歌手の称号を持っている所以でもあろう。スザンナについては、同時期のベルリンのシュターツオパー日本公演(1977年、ズイトナー指揮)で歌っていたレナーテ・ホフの方を評価したい。彼女もやはり宮廷歌手だった。余談だが、このときのキャストは伯爵夫人=トモワ・シントゥ、フィガロ=ジークフリート・フォーゲル、伯爵=アダム、マルチェリーナ=アンネリーズ・ブルーマイスター、ケルビーノ=インゲボルク・シュプリンガーとそろっていた。ただ、ズイトナーとベルリンのシュターツカペレはモーツァルトでは相性が悪く、レコードで聴いていたドレスデンのものほど感銘は受けなかった。→
     少々脱線したが、小生にとってこのベーム指揮の映像は現在もベストで、30年たった今も古さを感じさせない。→
     実際のステージをご覧になった方も、一部マイナス評価をしているようだが、それは悪名高い東京文化会館というホールでお聴きになったからではないか。小生に言わせれば当時の東京文化会館の雰囲気は最悪で、とても一流のオペラの引越し公演を楽しめるようなものではなかった。入口のチケットチェックは場末の映画館のようにスモック(スモックなんて今や死語かもしれないが、当時はそうだった)を着たおばちゃんが、にこりともせずに半券を切るし、ロビーへ入ったら上野精養軒がやっているコーヒーショップのマネージャーが大声で呼び込みをやっている、ベンチで握り飯を食べている客がいる。数万円も出してオペラを楽しむのだから、少しはおしゃれをすればよいものを、ドレスコードなどどこ吹く風という客がたくさんいる。関西中華思想が抜きがたくある大阪出身の小生にあえて言わせてもらえば、当時の大阪のフェスティバルホールは、東京の諸ホールに比べて客のグレードもホールのソフトのグレードも高かった。ホール内のコーヒーショップはグランドホテルの直営だったし、なによりホテルと直結しているため、オペラの幕間にはホテルのコーヒーハウスやバーがホールから流れてくるドレスアップした客で満員となっていた。終演後、ホテルのバーには指揮者やオケの連中がなだれ込んでくる。現に小生はベルリンシュターツオパー公演のとき、そのバーでズイトナーにサインをもらっている。ステージだけでなく、その場の雰囲気を楽しもうという客が当時の大阪にはまだまだたくさんいたということである。アリアなどに対する拍手も節度あるもので、その代わり最後のカーテンコールはオケピット前に聴衆が押し寄せるというものであった。そのように客がホールの雰囲気を良きものにこしらえているところで聴くのと、そうでないところで聴くのとでは大きな違いがある。指揮者もオケも歌手もやりやすかったと思う。ただし30年たった現在、どうなっているかは知らない。→
     余談その2。バルセロナのリセオ劇場(消失する前)でモンセラ・カバリエがタイトルロールを歌う『サロメ』を聴いた時のこと。バルセロナ入りをした当日にチケットを買ったため、天井桟敷(確か日本円換算で400円くらい)しか手に入らなかった。劇場の向かいにある有名な「CAFE DE LA OPERA」というカフェでお茶を楽しんでから劇場に入場しようとすると入れてくれない。天井桟敷の入口は正面とはまったく別のところにある。民主化で入口を別にするのはいかがという意見もあるだろうが、小生は正解と思う。天井桟敷の客は服装をかまえない貧乏学生もいるわけで、彼らに遠慮なく劇場に入場できるようにという配慮と考えるべきである(退場時は正面から出ることができる)。これがヨーロッパの文化であり、このことがすんなり理解できないというのは、日本の悪しきモノクラス化した劇場文化との違いと考えるべきであろう。このサロメ、七つのベールの踊りのシーンでカバリエのストリップを見せられるのかと心配したが(今はなき大阪グランドホテルのロビーでお目にかかったことがあるが、相撲取りのような体格)、これは杞憂。新演出で、芝居は全てバレエダンサーがやっていて、カバリエは歌うだけであった。その代わり見事なプロポーションのダンサーのストリップを見ることができた。→
     蛇足めいたことをあれこれ書いたが、要するにクラシックを楽しむのにCDやDVDといったメディアからのみ楽しむのではなく、優れたハード(劇場)と優れたソフト(オペラであり、シンフォニーであり、バレエであり)を数多くライブで楽しむべきであろうという考え方を披瀝したかった。入場料を払ってライブで楽しむことをしないと、国家財政が窮迫している昨今、日本のオペラもシンフォニーもバレエも演劇も補助金を断ち切られて、あっという間に崩壊してしまうだろう。国立オペラ劇場(第二国立劇場)を初台のような場末(初台近辺にお住まいの方には失礼だが)に建設したのは大間違い。丸ノ内の東京フォーラムの敷地を都庁移転時にさっさと東京都から買収して建設しておけば、ソフトはさておきハードはいいものができたであろうに。→
     最後にこのDVDに苦言を一つ。みなさんも書いておられるが、カーテンコールをまともに収録していなかったこと。おそらく当時のNHKのクラシック番組のディレクターが官僚的発想でやったに違いない。文化ということについて考える力も知識もない奴に、こういうプロジェクトを任すことが大間違い。いまさら言い訳めいたことをライナーノーツに書くのは、見当違いもはなはだしい。当時の上司を含めて責任を取れといいたい。→
    ※矢印は段落を示します。
     

    14人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/08

     50年代後半から60年代にかけての、ボスコフスキー=VPO絶頂期の録音。VPOの音色のすばらしさもさることながら、ゾフィエンザールと思われるホールトーンのすばらしさがなんとも言いがたい。こういうリマスタリングを聴くとほっとする。→
     6枚セットのうち、「ウィーン気質」の入っている4のディスクは、おそらく50年代の録音で、明らかに他の5枚のディスクとは味わいが違う。VPOの響きがやや鄙びた感じであるにもかかわらず、エレガントさはぴか一である。特に木管の響きのすっとぼけた鳴り方は、これぞウィーンフィルと大喝采したい。おそらくエンジニアも他の5枚とは違っていたのではないかと思われる。英デッカのLPできいてもその違いが明らかなので、これはデジタル化によるものではないことはハッキリしている。世上ウィンナワルツの名演・名盤といわれるクラウス=VPOの時代の響き具合とよく似ている。この時期のVPOは不思議なオケで、このようなたゆたうようなゆったりとした演奏をするかと思えば、ワルターとの大地の歌のように、非常のメリハリの利いたすばらしい演奏もできる。オケの包容力が現在とは段違いであったということか。→
     ボスコフスキーの指揮について、昔からクラウスの棒と比較して云々という記事が多く見られた。これはないものねだりというもので、ステレオで次から次へと現れる美しいワルツのメロディーや溌剌たるポルカのリズムに身を任せて、心楽しく聴くというのがこのセットの楽しみ方というべきである。→
     残念ながらこのセットにはこうもりの序曲やジプシー男爵の序曲が収録されていない。その代わりこうもりのカドリーユやチクタクポルカ、入江のワルツが収録されているので、文句を言う筋合いではない。→
     とにかくあまり目くじらを立てて聴くセットではない。私は確か2000円もしない価格で購入した覚えがあるが、少し高くなっている。もう少し安くなれば、友人たちへのプレセントに絶好のアイテム。
      →は段落を示します。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/21

     ここでの聴き物はなんと言っても、ビリー・エクスタインのボーカル。見事にサラをリードしサポートしている。このうまさたるや比較の対象がないといってよいほどである。彼のバリトンに近い深みのある声が、なんとも言えず良い。→
     それに対するサラは彼女を象徴する例の低い声ではなく、非常にかわいらしい、どちらかというと「乙女チック」なといってよいほどの声で歌っている。サラがこういううたい方のできるシンガーだとは、この音源を聴くまで不覚ながら気がつかなかった。ジャケットを見ないで聴いていると、全く別のニューフェースがエクスタインにリードされて歌っているようにさえ思えるほどである。→
     アーヴィン・バーリンの曲はいずれもスインギーでかつ心地よいものばかりである。アレンジがそれをよりいっそう引き立てている。バーリンやコール・ポーター、ガーシュインなど20年代から30年代にかけて活躍した作曲家のソングブックはいずれも佳品ぞろいだが、これはその中でone of bestと評価してよいと思う。未聴の方はぜひ一度耳にされることをお勧めする。心うきうき、ホンワカすること請け合います。価格もとっても安くなってます。タバコ3箱の値段で手に入るのだから、買わなきゃ損。こう書いたからといって、決して「エマーシィー」の回し者ではありません。
     →は段落を示します。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/21

     このジャケットを見よ。おそらく八ッセルブラッドかローライで撮られている。ヘレン・メリルの歌いぶりが髣髴する写真といわねばならない。この音源はこのジャケットを入手するためだけにLPを入手すべきだ。CDのジャケットサイズではこの写真の真価はわからない。→
     クリフォード・ブラウンをはじめとするバックも申し分ない。あまり評価されていないようだが、ジョーンズのアレンジのうまさがこれまた絶品。これがなければ作品として成立しなかったといってよい。ヘレン・メリルのベストフォームというべき。→
     私が聴いているのは未だに70年代前半に「エマーシィー」レーベルの復活時に、必死になって買い集めた中の一枚。もちろんLPである。メリルをこれから聴こうという人はぜひこれから、とお勧めしたい。→
     ふだんクラシックのレビューに投稿しているが、それを見ていて思うのはぜひ年齢欄も記入して欲しいと言うこと。書いている人の年代が分かればよりその人の想いが理解できるというものである。ジャズも同じだと思う。
     →は段落を示します。
     

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     2010/03/21

     これは絶対の聴き物、見もの! 確かに演奏そのものの優秀さということで言えば、50年代のウィーンのコンツェルトハウスやバリリのアンサンブルにはかなわない。しかしそれを超えて聴くものに訴えてくるものがある。それは演奏者の若さの発露であり、青春の覇気であり、演奏を楽しむということが、手に取るようにわかるということである。→
     メンバー全員が20代前半から半ば、ようやく世に認められ、自分たちが表現したいと思うものが山のようにある、そういうことが手に取るように分かるのがおもしろいところである。これがもう少しすると、それぞれの音楽性、芸術性ということに差が出てきて、こうも素直にアンサンブルに臨むことができなくなったであろう。→
     リハーサルから本番、本番後にリラックスした表情までとらえられており、ドキュメンタリーとしてもおもしろい。これを企画したプロデューサーはおもしろくて仕方がなかっただろう。こういう仕事に立ち会ってみたいものだと思わせる。そしていつも言うことだが、こういうソフトを商品として、そしてアーカイブとして残すという、文化の違いを痛感する。
     →は段落を示します。

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     2010/02/21

     音楽的にはなんの不足もない。というところがこのCDの欠陥といえば欠陥かな。いずれの歌手も余裕綽々の歌いぶり、シュヴァルツコップなぞ、うますぎることが問題といってよいほどである。聴き物はクンツのダニロ。本来テナーの役回りだが、軽めのバリトン飄々とで歌いこなしている。→
     アッカーマンの指揮は他のオペレッタもそうだが、これが正調のウィンナオペレッタといわんばかりの楽しさと美しさをフィルハーモニアのオケから引き出している。
     録音はモノラルとしては十全と評価するが、いかんせんセリフのところが全てオンマイクで取られており、劇場的雰囲気を阻害しているのが不満。→
     「メリーウィドウ」はぜひ画像入りで見たい。というより劇場へ足を運んで見たい。それでないと真価は分からないといってよい。ウィーンフォルクスオパー日本公演(1982年、第2回来日時)のCDがいつのまにか廃盤になっている。第1回来日(1979)初演は空席だらけだったのが、口コミでその楽しさが伝わり最後は満席続きだったと聞くが、ベートーベンやブラームスを額に皺を寄せて聴くのが音楽鑑賞の王道だといっていた、わけの分かっていない評論家連を、音楽ファンが一挙に乗り越えた瞬間として、私は快哉を叫んだものである。このCDのハンナはイーロッシュ、ダニロがミニッヒというベテラン。本当はもっと若手がやるほうがおもしろいし楽しい。ハンナも私が大阪で見たマルテッィケという人のほうが歌がうまいし、美人で立ち居振る舞いに男心をとろかせるような色気があった。こういうことはオペレッタでは歌のうまさもさることながら重要なのです。バランシエンヌもCDで聴くメラニー・ホリディが確かに美人で力演だったのだが、これも私が聴いたダクマール・コラーという人のほうが一枚上。この人、歌がうまい上に芝居がうまい。それに加えてバレーができる(ホリディもできたのだが)。例のフレンチカンカンなど、アンコールを含めて4回もやる大サービス。あとでこの人が来日当時ウィーン市長夫人だと聞いてビックリした事を思い出す。ウィーンフォルクスオパーの第1回来日のときには、草月ホールで特別コンサートをやっている。これがまたすばらしく(NHKで放映された、どなたかビデオを持っている人はぜひダビングさせていただきたい)、一挙にフォルクスオパーに肩入れをすることになった。→
     オペレッタでもう一つ重要なのは、狂言回し。こうもりの牢番フロッシュ、このメリーウィドウでいえばニエグシュ。この役がへたくそだと見れないし聴けない。年季の入ったベテランが必要。→
     もう一点オペレッタについて書かせていただくと、メルビッシュ音楽祭の各公演が良いと推薦しておきたい(NHKで毎年放映していたが、最近はやらないようだ、ぜひ復活してほしい)。基本的に若手で実力のある歌手が出演している。毎年違う曲をかけているが、メリーウィドウは少なくとも2回、違うキャストで見ている。私が見たのではカーレスのハンナ(すでにベテランだった)、エーデルマン(オットー・エーデルマンの息子?)のダニロの時が素敵だった。指揮はここ20年ぐらいほとんどルドルフ・ビーブルが振っている。この人80年代初頭のフォルクスオパー日本公演にも同行している。いったい年はいくつになるのだろう、今でも若々しい指揮ぶりだし、歌手を生かすのがうまい。アッカーマンもそうだが、こういう指揮者がいないとオペレッタは成立しないといってよい。メルビッシュの公演記録は、屋外ステージのライブとは思えないすばらしさ。録音はアフレコしたのではないかと思うほどの出来。歌手たちは美男美女がそろっているし歌もうまい。衣装も華麗。ステージのセットも夏の短期公演とは思えないほどに手が込んでいるし、自動車や馬車、船は本物を使っている。オペレッタなんぞと毛嫌いせず、ぜひあなたも一度ご覧になってはいかが。その楽しさにはまること請合います。
      →は段落を示します 

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     2010/02/21

    なんでこのCDを販売終了にするの? レハールの自作自演(指揮)、これがまことに雰囲気豊かで今の若いモンにはできないワザ。チューリッヒ・トーンハレのオケもよくついている。二曲だけVPOの演奏になっているが、どっちがVPOか分からないほどの出来である。もちろんオリジナル音源はSPだが、DUTTONのマスタリングがすばらしく、聴いていてゆったりとした気分が味わえる。
     演奏の良さもさることながら、マスタリングの良さにブラヴォーといいたい。

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     2010/01/11

     エヴァ・リントもアンドレア・ロストも美人で美声、二人ともオペレッタを歌わせたら、なんともいえない色気があって、男心をとろかせる。お召しになっている衣装も言うことなし、バードイシュルというリゾート地向きのお姿。それに対して男性陣のドミンゴはまだあそび心が感じられて許せるが、カレーラスは額にしわを寄せてしゃかりきになって歌っている。病気をして以降、この人にはこういうコンサートでも余裕を持って歌うということがなくなってきた。例の三大テナーの各公演のDVDを見てもそうである。→
     残念なのはこういうオペレッタのアリアをもっと余裕を持って歌って欲しいこと。かろうじてエヴァ・リントが曲を自家薬籠中のものにしているなと見えるだけで、他の三人は必死で楽譜を追いかけている(NHKが放映した)。ほとんどリハーサルもやっていないと見えるほど。それが面白いといえば面白いのだが、プロの歌手ならもっと歌いこんでこいよな、と言いたい。80年代のはじめごろだったと記憶するが、ドミンゴがローレンガーとザルツブルグ音楽祭で、サルスエラのアリア、デュオを歌ったCDがあって、これは映像がなくてもしっかり歌いこんでいるなということが分かるし、歌いこんだ上でのライブでのスリリングさが感じられて、まことに面白い音源であった。
            →は段落を示します。

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     2010/01/01

     このDVDのユーザーレビューを読んでいると、みなさん「クライバー、クライバー」とかまびすしい。カルメンの指揮で言えばカラヤン=VP0にとどめをさすといわねばならない。63年のデッカ全盛期の録音、ゾフィエンザールでのセッション、オケがVPOとくれば、それで出来上がりという気がする。主役二人はもちろんのこと、脇がうまい。クライバー盤でみなさん不満たらたらのエスカミリオがロバート・メリル。闘牛士の歌ではカラヤンがレガートをいっぱいつけてオケを引っ張っているが、歌がそれに負けない迫力。けど不自然さは感じない。ライヴではこうはいかないだろうなぁ。役者の違いというほかない。→
     クライバー盤での不満は録音のひどさ。オケとヴォーカルのバランスが悪すぎる。特に弦はオンマイクでデッドに録られており、余韻が全然ない。いかなウィーンのシュターツオパーのオケでも、こういう録り方をされると身も蓋もないというか、美点の表わしようがない。いつも言うようにホールも楽器の一つであり、それを生かす録音を行わないと、その音源の価値を大いに減ずることになる。他の音源を聴いていても、シュターツオパーはソフィエンザールやムジクフェラインに比べるとあまり音響は良くないようだ。収録はORF(オーストリア放送協会)が行っているが、商品化することなど考えないで録っているとしか思えない。それにしても放送(放映)だって放送局にとって見れば商品なのにね。その上、ウィーのシュターツオパーがこのDVDの商品化をオーソライズしていることがまた信じられない(しっかりマークがジャケットに印刷されている)。こういう音を聴いて指揮がすばらしいだのオケが良いだのと評価することが理解できない。映像があるから救われているが、これがCDで音源だけだとすると、これだけの評価を受けるとはとても思えない。クライバーの流麗かつ美麗な指揮ぶりにごまかされているのではないか。ユーザーレビューでのみなさんの評価が高かったので入手してしまったが、あらかじめ試視聴できていたら絶対に買わなかったと思う。別項で書いたトスカニーニの諸音源よりひどいのだから、どうしようもない。クライバーが生きていたら商品化を許可したものかどうか、それさえ疑問となる。あるCD購入案内本でF氏がこのDVDをトップ評価としているが、他の項目で録音のことをあれこれコメントしているくせに、一体なにを聴いているのかといいたい。→
     こう書いたからといってクライバーを評価しないというのではない。74年のバイエルンのシュターツオパー日本公演のバラの騎士はすばらしかったし、同じプロダクションのDVDやCDで聴くこうもりも文句を言う筋合いのものではない。オリジナル音源が残っているはずだから、もう少しましなリマスタリングができないものか。
     →は段落を示します。

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     2009/12/27

     ホールが楽器の一部であることについて。ユーザーレビューを読んでいると、よくマスタリングのことが議論されている。確かに芸術性のかけらもないマスタリングもあるのだが、それよりもオリジナルの音源を問題とすべきであろう。→
     この全集(協奏曲は除く、これについてはコメントしない)のホールはリーフレットによるとKingsway HallとAbbey Road Studiosとなっている。どちらのホールもどのようなものか、写真さえ見たことはないが、適度な残響時間があり、残響そのもの美しい。これはレコーディングプロデューサー及びエンジニアの勝利といわねばならない。クレンペラーの録音で言えば「荘厳ミサ」もKingsway hallでセッションが行われており、演奏の立派さもさることながら、ホールの選択及びそれを生かしきった録音スタッフも評価されるべきと考えている。→
     カラヤン=BPOの録音が当初のベルリンイエスキリスト教会からカラヤンサーカスにセッションを移したとたん、演奏のよしあしは別として、一挙に魅力を失ったことを思うと、その意を強くする。DGGにはギュンター・ヘルマンスというカラヤンお抱えのようなエンジニアがいて、BPOの美しい録音を多数残しているが、その彼でもどうにもならなかったようだ。ドイツのオケで言えば、ドレスデンのシュターツカペレはルカ教会を使用しており、その美しい響きをいや増す成果を挙げている。→
     余談だが小生の弟がアマチュアオケでトランペットを吹いているが、そのオケのホームグラウンドが横浜のみなとみらいホール。アマチュアであるからその技量においてプロのオケにかなうものではないが、ホールトーンの美しさに助けられて、随分得をしている。ただしこのホール、空間ボリュームが小さいためかどうか原因は不明だが、サンサーンスの3番のシンフォニーを聴いたときは、オルガンの音が飽和してしまって、聴きづらいことになっていた。→
     ことほど左様にセッションを行うホールの選択、そしてその響きを生かすことは重要で、CDやDVDの評価を行うときは、そのポイントをはずしてはならないと思う。ただしトスカニーニ=NBCだけは別で、指揮者の嗜好が大いに反映していて、非常にデッドな録音となっている(特に8Hスタジオでの録音)。トスカニーニの場合は一貫しているので、これは聴き手が自分の耳で補正をしてやるしかないだろう。これをマスタリングの際に変な残響付けをしたりすると、ややこしいことになってしまう。
     →は段落を示します。

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     2009/09/21

     フィデリオの初体験は60年代後半にNHKで放映されたハンブルグオペラのプロダクション。ルートヴィッヒの指揮、まだ20代のアニア・シリアのフィデリオであった〈もちろんモノクロ、モノラル〉。第2幕大詰めの「妻から殺せ!」のシーンで拳銃を突きつけられたフィデリオが帽子を取ると肩まで届くような長い髪が流れ出てくる演出が忘れられない。このバーンスタインのウィーンライブはそれに次ぐと評価する。→
     ヤノヴィッツのフィデリオは危地に陥った夫をなんとしても救い出そうとする、妻の愛情、やさしさといったところが発揮された情感豊かな歌唱。第2幕大詰めで音をはずすのはご愛嬌。→
     バーンスタインの指揮はヤノヴィッツ・コロの夫婦の情愛を情感を込めてサポートする一方、レオノーレ第3番の序曲から第3幕にいたるところでは腰の据わったオーケストラドライブを行なっている。「ウィーンの養子」を言われたバーンスタインとオケの相性もよく、演奏終了後袖へ引き上げるときにティンパニ奏者の肩に手をおき「今晩一杯やろうぜ」とでも声を掛けているシーンがなんとも微笑ましい。→
     録音もグラモフォンにいたギュンター・ヘルマンスが担当しており、ライブの制約を感じさせない立派なものであると評価したい。同時期のORF収録によるクライバーのカルメンライブは弦がデッドにオンマイクで録音されており、非常に聴きづらかった。→
     歌手がそろっていること、指揮・オケがよいこと、カラー・ステレオであること、なによりライブならではの一発録りの緊迫感があることがこのソフトの魅力である。→
     ついでながらフィデリオを得意としていたベームにはドレスデンでのセッション、日生劇場のライブとあるが、1944年のシュターツオパー閉鎖寸前の時期に録音されたコネツニ=フィデリオ、ゼーフリート=マルツェリーナほかのものが、第2幕大詰め以降の緊迫感が、時代超えて胸に迫ってきてお勧めである。これを聴きだすとモノラル、SP録音なんてことはまったく気にならなくなる〈小生が所持しているのはコロンビアのHRシリーズのLP)。→
     ※ユーザーレビューの文字数が増えてありがたいが、段落の表記ができない。矢印が段落です。

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