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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2020/03/11

    レコーディング・レパートリーとしては18世紀もしくは20世紀の作品を録音してきたアンサンブル・レゾナンツ。古い方ではC.P.E.バッハ、ハイドン『十字架上のキリスト最後の7つの言葉』に続いて18世紀器楽曲の最高峰、モーツァルトの三大交響曲に挑戦してきた。弦の編成は7/6/5/4/2、ホルン、トランペット、ティンパニ以外は現代楽器のアンサンブルだが、スタイルは完全なHIP。直接音の多い、なまなましい音の録り方がされているので、小編成でも全く量感の不足を感じない。リピートはすべて実施、リピートが省かれるのが普通のメヌエット、トリオ後の主部回帰部でも律儀にリピートしている。三曲とも素晴らしい出来だが、特に第40番が圧巻。表出力の強烈さでは、オノフリとディヴィーノ・ソスピーロに並ぶほどだが、こちらには繊細さもあるので、さらに一枚上手だ。オノフリとミナージ、二人ともイタリア生まれのバロック・ヴァイオリンの名手で、バロック音楽の修辞法に精通しているわけだから、彼らの演奏が似てくるのも当然だろう。両端楽章はもちろん非常に速いが(終楽章の方が第一楽章よりさらに速い)、どちらも第二主題になると少しテンポを緩める。こういうやり方は下手をすると両楽章の疾走感を損ないかねないところだが、実にうまくいっている。第一楽章展開部の強烈な不協和音のところでは思い切ってタメを作るなど、インテンポという概念が全くないかのようだ。アンサンブルの核をなす弦楽器奏者たちがとびきりの腕っこき揃いであることはシェーンベルク『浄夜』/ベルク『抒情組曲』(弦楽合奏版)の録音でも確認できたが、このモーツァルトでも弦はダイナミックかつ細やかで、彼らの腕の冴えは目覚ましい。第二楽章はきわめて音素材が節約された音楽で、オノフリの録音では酷薄な感すらあるが、一方こちらは実にデリケート。木管楽器が鳥の鳴き声のように呼び交わすニ連符単位の音型など、一回ごとに表情が違う。ちなみにクラリネットありの版で録音。メヌエット主部はすこぶる峻厳、トリオは心持ち遅くなる。
    これに対し、第39番と41番ではアレグロ楽章があまり速くない。第39番冒頭のファンファーレ音型での金管の凄まじい咆哮にはピリオド・スタイルに馴染んでいる聴き手もぶったまげるが、アレグロの第一主題はアーノンクール並みに悠然と歌う。終楽章では即興的なテンポの揺らしが絶妙。『ジュピター』第ニ楽章2小節目終わりのアクセント付きフォルテの一音をこんなにコントラストを付けて奏でた演奏は初めてだ。長年の演奏習慣を白紙に戻した解釈で、譜面を見ると確かにそうも読める。メヌエットでは冒頭の下降音型でヴァイオリンがポルタメントをかけるのも目新しい。両端楽章は着実なテンポでややもたれる感もあるが、終楽章では克明にポリフォニーを表出する。

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     2020/02/21

    来日直前に本拠地で収録された、昨年の日本公演と同じプログラム(ソリストのアンコールのみ違う曲だが)。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は独奏者にしっとりとした叙情的な歌い口と切れ味鋭いテクニックの両方を要求する難曲だが、スクリデはどちらも兼ね備えている。ただし、彼女の音楽は悪く言えば「蒸留水」的でクールなたたずまいを崩さない。第2、第4楽章ではアイロニーやエグ味がどうしても欲しいのだが、これはヒラリー・ハーンにあって彼女にはないものだ。
     チャイコフスキーの第5番は素晴らしい見物/聴き物。作曲者自身が一切、言葉による説明をしていなくても、明らかにプログラムを持った交響曲として聴くことができる作品だが、そのプログラムが眼前に見えるような指揮。たとえば第1楽章第2主題に入るときの、まるで音価が倍になるかのような思い切ったテンポの落とし方、一方、小結尾にかけてのアッチェレランド。完全に楽譜を編曲してしまうようなバーンスタインのやり方とは違って(実はこれも大好きなのだが)、ネルソンスの振り方ではこれらの部分が全く恣意性を感じさせずにドラマを語っている。ネルソンスはこの第5番について、『悲愴』に劣らぬ悲劇的な作品だということをしばしば語っていて、甘いカンティレーナになりがちな第2楽章も、この演奏ではひんやりとした感触が印象的。特に至難なピアニッシモを保持するホルン独奏には大拍手。第3楽章でもホルンのゲシュトップト音をしっかり効かせて、不穏な感じを演出しているが、最もきわだった解釈が聴かれるのは、一般には壮麗な凱旋行進のように奏でられる終楽章コーダ、モデラート・アッサイ以降の部分が極端に速く、突進するように演奏されること。運命「に対する」凱歌があげられるのではなく、まさしく運命「が」凱歌をあげるかのようだ。確かに2008年のバーミンガム市響とのライヴでも、この部分の解釈は同じなのだが、今回は全体が遥かに恰幅良いテンポになっているので、終楽章コーダの突進は印象が強いし、指揮者の考える個性的な解釈を刻印することに成功している。

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     2020/01/18

    アスミク・グリゴリアンの見事なまでの一人舞台。一時代前のナディア・ミヒャエル、さらにその前のキャサリン・マルフィターノも見た目は申し分ないサロメだったが、いずれも声量には限界があった。グリゴリアンも実年齢はそんなに若くないが、見た目は少女のようだし、この人の声はモノローグの最後の部分など、フルヴォリュームで鳴り渡るオーケストラを突き抜けるように響く。
    問題はカステルッチの演出。『サロメ』は「7つのヴェールの踊り」におけるストリップ、切られた首をかき抱いて歌うフィナーレなど、相当に下世話な所のあるオペラで、作曲者の生前からの大成功(ガルミッシュのシュトラウス邸が『サロメ』の興業収入で建ったのは良く知られた話)もそのせいだが、演出がまさにその下世話な部分を徹底的に拒否しようとしていることだけは、良く分かる。顔の下半分を赤や緑に塗った脇役達や黒塗りかつ太鼓を持ったシャーマンとして表象されるヨカナーンなど、なかなか面白いが、演出家の腕の見せ所であるはずの「7つのヴェールの踊り」では一切、サロメを動かさない。つまり、音楽にすべてを語らせようというわけだ。切られた馬の首、首のないヨカナーンの死体など、不思議なオブジェが出てくるが、サロメが馬の首と戯れるわけでもない。最後も「この女を殺せ」というヘロデの台詞が聞こえるだけで、サロメが実際に殺されるシーンはなし。煽情的な身振りを一切見せないヴェルザー=メストの端正な指揮が、演出とうまくシンクロしていることは確かだが、正直言って、あまりに高尚すぎて私には良く分からない。

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     2020/01/18

    予想通り、映像と手書きアニメーションを多用した舞台。第1幕第1場でヴォツェックが大尉の髭剃りをしているのではなく、映写機をいじっているのは全体のプロローグとしての意味があるのだろう。第2場でのアンドレスとヴォツェックも大尉のためのステッキを刈るわけではなく、瓦礫を積み上げたようなセットの中をただ歩いているだけだ。メトでの『ルル』では雄弁な映像に比べて歌手たちの演技がイマイチだと不満を述べたが、こちらは上述のようにアンチリアル路線が徹底しているので、これはこれで良いと思える。第2幕第4場や第3幕第3場のように人々が踊る場面では、彼らが人形のような動きをするのが面白いが、リーフレットに掲載されたインタビューでは、25年前にビュヒナーの原作戯曲の方を人形劇団のために演出したのが、自分の演出家としての初仕事だったとケントリッジは述べている。第3幕第2場でもヴォツェックがマリーをナイフで刺すような動作はなく、最終場は人形つかいの操るパペットとして表現されるマリーの子供が一人、舞台上にいるのみで、他の子供たちは暗闇の中から声が聞こえるだけ。この人形がガスマスクをつけているのは第一次大戦へのアリュージョン(例のインタビューで演出家自身がそう述べている)。
    歌手陣では歌、演技ともに目覚ましい新鋭グリゴリアンが大収穫。ゲルネの題名役はもちろん大変達者だが、チューリッヒのゲルハーエルが(演出も含めて)被差別者の悲哀を感じさせる役作りだったのに対し、こちらはむしろこの人物の「怒り」と「狂気」を前面に出した演唱。他にもダスザック、ジーゲル、ラーセンと芸達者を揃えている。ウィーン・フィル相手にびびった訳でもあるまいが、ユロフスキーの指揮は彼らしい尖鋭さがあまり聴かれず、手堅いまとめにとどまっているのは残念。

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     2020/01/11

    『蝶々夫人』の演出はスカラ座のミラノ初演版や蝶々さんの子どもを文楽人形が演じるメトのミンゲラ演出のようにアンチリアルな方向の舞台がある一方で、これはきわめてリアルなタイプのもの。使われた楽譜はごく普通の改訂版(ブレーシア版)。時代を第二次大戦後に移すとともに第1幕の舞台を丘の上の家からゴローの結婚斡旋所に変えているが、米兵の現地妻を募るためのすこぶる差別的な映像を投影したいがためだろう。一方の当事者である日本人としては、何ともやるせない舞台。たとえ明治時代でもピンカートンの振る舞いはひどいものだが、ましてこの時代では免責の余地もあるまい。それ以外に大きな読み替えはないが、ここぞという所での映像投影を含めて、なかなか細かい工夫がある。最後はほぼ定型通りだけど。
    エキゾチックな容貌のブズィオクは15歳は無理としても、日本人に見えないこともない。歌は細やかさにはやや欠ける感があるもののドラマティックな力があり、悪くない。一方のゲレーロは逆にまだ線が細いが、若くいかにも無思慮そうに見える見た目は役に合っている。脇役ではヤオ主演、パッパーノ指揮のコヴェントガーデン版にも出ていたデションが素敵。サミュエルは存在感薄いが、シャープレス自体がそういう人物だから仕方ないか。ウェルバーの雄弁な指揮は相変わらず素晴らしい。最終場の表現主義など前代未聞の壮絶さだ。テンボを自在に揺らす指揮だから、オケの中だけでも縦線が合いにくいし、歌手とも綿密な打ち合わせが必要なはずだが、リハーサル時間が長くとれるグラインドボーンならではの成果と言える。

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     2019/11/10

    ミンコフスキのHIPを踏まえた指揮はとても良い。アン・デア・ウィーン劇場での上演で、フランス勢とオーストリア勢のコラボになっているが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の合唱も見事。主役二人はほぼ半年後にマドリードでのエラス=カサド指揮、オッレ演出版に出た同じメンバーだが、現状では望みうるベストの歌手だろう(ブリンベルイはあちらほど年増に見えないのもありがたい)。
    ただし、演出がイマイチなのは残念。序曲冒頭から登場している「悪魔」、つまり歌のパートのない演者が随所でストーリーにからんでくるのだが、この黙役の使い方があまりうまくいっていない。第3幕の幽霊船員たちの歌の場面では、全裸まで披露しているのだが、カメラが自制してアップにしたりしないので、インパクトはさほどでもない。この初稿版こそまさにクプファー流の読み替えにふさわしいと思うのだが、エンディングを故意に曖昧なままにしているのはそれなりの見識としても、ト書きと違うのは第2幕冒頭の娘たちが糸紡ぎではなく歌の練習をしていることぐらいで、演出家は積極的な読み替えに踏み込もうとはしない。回り舞台を活用して、一度も幕を降ろさない三幕通し版を手際よく見せてはくれるが、幽霊船らしきものを舞台上に出さない抽象化された演出ではある。

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     2019/10/27

    これじゃ歌じゃない、語りに傾きすぎているという批判は当然あるだろう。しかし、ここまでの壮絶な表現主義的演奏は前代未聞。「オブセッションの分析」という副題のあるボストリッジの『冬の旅』についての著書は読んでいる。あれだけの蘊蓄を踏まえてのここでの演奏とはいえ、やはりこれは恐るべき録音だ。それでも前半12曲は、随所にはっとするような切り込みはあるものの、やや抑え目。後半になってからの「霜おく髪」「村にて」といった比較的地味な曲が特に凄いが、その頂点は極度に遅いテンポ(3:36)をとった「からす」。しかし終盤になると、F=ディースカウの録音のうち最も表現主義的なバレンボイム伴奏盤が猛烈に粘っている「宿屋」などはむしろ諦観を感じさせる落ち着いた演奏。「辻音楽師」も浄化されたような淡々とした演奏で、第2部前半に頂点を持ってこようという計算であることが分かる。前回録音では、悪くはないがやや安易な抒情に流れがちなアンスネスのピアノに災いされた感があり、ドレイクのピアノによるDVDの方を好んでいたが、ここでのトーマス・アデスの鋭い譜読みは全く素晴らしい。ブリテン、バーンスタイン、ライマンなど作曲家がしばしば卓越した歌曲伴奏者であるという前例通りだ。

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     2019/10/27

    チューリッヒでのアーノンクール指揮の演出もとても良かったユルゲン・フリム、今回の新演出版は近年のトレンド通り、1)時代設定を現代に近づけ(20世紀前半の海辺のリゾート地が舞台)。2)歌のパートのない人物が数多く登場(たとえば「恋とはどんなものかしら」を歌うケルビーノの前に恋人のバルバリーナがいたりする)。3)第3幕冒頭のスザンナと伯爵の二重唱、第4幕フィナーレのスザンナとフィガロの二重唱などは、かなり直接的にエロい。全体としてはオケピット前の前舞台を活用したなかなか洒脱な演出。
    ドゥダメルの指揮はHIPを踏まえたものではないが、曲の性格に合ってはいる。歌手陣はすこぶる強力。プロハスカ、クレバッサはそもそも当たり役だが、大変見事。コヴェントガーデンのマクヴィカー演出ではセリア寄りの役作りだったレシュマンも、ここでは三の線のキャラになっていて達者なコメディエンヌぶりを見せる。威張り散らしているが、実は間抜けな伯爵は今やダルカンジェロの十八番。フィガロはやや軽めのキャラに作られていて、ひと頃はやった伯爵との階級闘争などはあまり前面に出ないが、これはこれで結構。日本語字幕が相変わらず間違いだらけのまんまなのが唯一、残念。

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     2019/10/26

    来年のベートーヴェン・イヤーにかけて発売されるであろう、あまたの交響曲全集の中でも最右翼と言うべき鮮やかな出来ばえ。少なくとも、懸念された通りの「もっさり」型演奏で、それなりに柄(スケール)の大きさはあるし、ウィーン・フィルは気持ち良さげに弾いているが、スコアに対する追い込みが全く足りないネルソンス/ウィーン・フィルよりは断然上だ。素晴らしいモーツァルト交響曲全集を録音していたこのコンビ、ベートーヴェンに対するアプローチも基本的には同じ。第5番スケルツォ以外すべてのリピートを実施、快速テンポ、ティンパニや金管が雄弁な声部バランスなど。おいおい、そんなベートーヴェン全集は今や掃いて捨てるほどあるぞ、という声が聞こえそうだが、彼らはその先が一味違う。8型前後と思われる弦楽器もきわめて尖鋭で、機動性が高い。加えて、モーツァルト全集でもすこぶる魅力的だった指揮者の間のセンスの良さ。たとえば、第7番両端楽章など14:01/8:49(どちらも提示部反復あり)と物理的にはそんなに速いテンポではないのだが、裏拍がしっかり刻まれているためにオフビートの躍動感がめざましい。
    曲ごとに言うと、最も素晴らしいのは第8番。第1楽章では勢い良く出る第1主題に対して、第2主題は心持ちテンポを緩めるのだが、こういう小技が随所で効いている。第2楽章トリルの騒音効果はかつてないほど強烈だし、メヌエットはもう少し遅いテンポが好みだが、終楽章はガーディナーほど飛ばしてはいないとしても、指揮者の間のセンスが冴えまくる。添付のリーフレットで指揮者は、8番は厄介な曲だと思っていたと述べているが、第1番と並んで全集中で最初に録音されたのは、彼にとっての課題が克服された証拠だろう。ついでは第1番。終楽章コーダ、ゲネラルパウゼ後の譜読みの冴えなど、快哉を叫びたくなるほどだ。この2曲に関する限り、この演奏が史上最高の名演と断言してはばからない。以下、第2、4、3、7番まではすべて良い(これが録音された順番通りなのは驚きだが)。最も不出来なのは残念ながら第9番。HIPや室内オケでは太刀打ちできない「怪作」であることを、改めて思い知らされる。指揮者もかなり意識していて、終楽章では故意に遅いテンポを採用し、第3楽章までと落差をつけているのだが、これは逆に失敗。快速テンポで押し通した方がまだ良かった。

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     2019/09/15

    ベートーヴェンとの組み合わせで出た最初の何曲か、特に第5番/6番/10番の不甲斐なさに見限りたくなった全集だったが、全部出てみれば、そんなに悪くない演奏も含まれている。少なくとも今世紀に入ってからの全集ではヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィル、目下録音進行中のネルソンス/ボストン響の次ぐらいには位置しそうな出来ばえ。番号順に気に入った曲を列挙すると、まず第4番。欲を言えば、もっと尖鋭さが欲しいが、構えの大きな演奏で、曲の破格のスケールはちゃんと感じ取れる。第7番「レニングラード」は皮相などんちゃん騒ぎに終わりがちな曲だが、地に足のついた着実な解釈は好ましい。第8番も両端楽章など非常に丁寧な演奏、後はここぞという所での爆発力があれば。第9番第1楽章では故意にひっかかるようなフレージングで、単なる擬古典交響曲ではない、屈折した作品であることを分からせてくれる。
    そして最後の3曲がとても良いのが、この全集の取り柄。第13番ではエストニア国立男声合唱団が見事だし、ミハイル・ペトレンコの独唱も理想的。陰鬱な曲だが、こういう所ではこの指揮者、とてもうまい。次の第14番もいい。元チェリストだった指揮者だけに弦楽合奏の扱いに慣れているようだし、パスティルチャクのヴァルネラブル(被虐的)な歌い方は「自殺」などで大いに映える。イヴァシュチェンコも少し粗いが、立派な声だ。お父さんの得意曲だった第15番も細やかな神経のかよった素晴らしい出来。これが全集最後の録音だけにオケもすっかりショスタコの書法に馴染んでいる。

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     2019/09/13

    ネトレプコが出ているドレスデンでのティーレマンの指揮には、きれいごとに過ぎないかと文句を言ったが、これは名誉挽回にふさわしい、素晴らしく彫りの深い演奏。どうやら指揮者を触発したのはヴァルトラウト・マイアーであるようだ。衰えを見せるどころじゃない、凄まじい演唱と舞台上の威圧感。ハルテロス、ベチャワ、コニェチュニー、ツェッペンフェルト、他の四人もすべて万全で、演奏に関しては全く隙がない。
    一方、妖精の国に「光」をもたらそうとした電気技師が受け入れられず帰って行くという読み替え演出は、最後まで無理無理感を払拭できない。見どころは第1幕終わりの決闘が「空中戦」になるところ(もちろんワイヤー吊りで戦うのは歌手本人じゃないけど)。第3幕でローエングリンが電気コードでエルザを縛ってしまうという演出には、やはり時代の推移を感じる。女は男の言うことに黙って従えばいい、というようなポリシーは、たとえワーグナー・オペラの舞台上でも、もう許されない時代になったということだ。

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     2019/09/13

    主要キャストの面々はこのままザルツブルクに移動して、スタイアー演出の舞台に出たようで、三人ほどが共通している。歌手陣ではやはりカルクが抜群。素晴らしいパミーナだ。シャギムラトヴァもこちらの方が一段と安定している。フォークトも良い。タミーノはパパゲーノに比べて明らかに作者たち(台本作者と作曲家の両方)に愛されていない不幸な役だが、過度にドラマティックにならず丁寧に歌っていて、好感が持てる。まさかビリャソンがパパゲーノに回るとは思わなかったが、これは微妙。キャラとしては合っているのだが、まだバリトンの声ではないし、台詞もしっかり喋られてはいるのだが、やはりシャリンガーのようなウィーン訛りが懐かしい。ゼーリヒは今や舞台上では珍しくなった、品行方正なザラストロ。これはこれで大変結構。
    ネゼ・セガンの指揮も悪くはないのだが、ザルツブルクで振っていたカリディスがあまりに素晴らしかったので、残念だが聴き劣りする。繰り返し聴くには、このぐらい穏健な方が良いかもしれないけど。

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     2019/09/12

    序曲の間に見せられるのは20世紀初頭、第一次大戦前あたりのブルジョワ家庭の夕食風景。ここにオペラの主要人物が既に顔を揃えている。ザラストロ(いかにも旧世代の家父長らしい父親、食事の間に家を出て行ってしまう)、夜の女王(それを見てヒステリーを起こすお母さん、夫婦仲は険悪そうだ)、三人の侍女(この家のメイドさん達)、パパゲーノ(血のついた前掛けをつけた肉屋)、パパゲーナ(その伴侶)、モノスタトス(父親を訪ねてきた御用聞き?)、そしてパミーナは食堂にかかっている、おじいさんの伴侶だった人の若き日の肖像画として表象される。そしてオペラ本編は食事が終わってベッドに入った三人の孫たち(オペラ内でも彼らのパートを歌う)におじいさんが語るメルヒェンとして展開してゆく。おじいさん役のブランダウアーは2003年チューリッヒでの『後宮』でも素晴らしいセリム・パシャだったが、一段と渋くなって実に素敵。したがって、オリジナルの台詞はほぼ全廃。ザラストロの露骨な人種差別発言など、今となっては扱いにくい元の台詞をやめて、見通しのよい視点から物語を語り直そうという意図かと思ったが、必ずしもそうではない。確かにモノスタトスはもはや全く黒人ではないが、演出家は夜の女王のみならず、怪しげなサーカス団長といった風のザラストロに対しても十分に批判的。特にエンディングで啓蒙主義=ザラストロの暴力性を痛烈に暴いてみせるので、テレビ中継の行われた初日には夏のザルツでは珍しい盛大なブーを浴びたが、アメリカ生まれの女性演出家、スタイアーの意気や大いに良し。ただ一つ、2018年が第一次大戦終戦百周年であることが意識されていたのだとしても、火と水の試練がありきたりな第一次大戦映像の投影になってしまったのだけは残念。
    カリディスの指揮が圧巻の出来だ。ベルリン・フィル・デビューの演奏会(2019年6月)でも素晴らしいモーツァルトを聴かせているが、HIPスタイルでウィーン・フィルを存分に引き回して実に痛快。歌手陣ではまずカルクを誉めよう。情愛細やかな、しかし現代的な自立した女性像を描いていて、歴代パミーナの中でも屈指の演唱。シャギムラトヴァはコンディション万全でなかったかもしれないが(初日はドタキャン)、さすがに現在の第一人者。デセイの演技力と比べたりしなければ、まずは満足できる夜の女王だ。ペーターは生硬ではあるが、おもちゃの兵隊風に作られたキャラにうまくはまっている。ブラチェトカは鈍重なタイプで、私の好みのパパゲーノではないが、まあ及第点か。ゲルネのザラストロは問題作。まず声から言って、無理な配役だ。ザラストロ名物の超低音はひどくわざとらしく響くが、モーツァルトはこの人物をからかうために超低域で歌わせたのだという説も唱えられている。そう考えれば、なかなか面白い配役。演技としては半ば悪役風に演じられているのも納得。

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     2019/08/29

    ティーレマンの指揮はここでも見事。『トスカ』はプッチーニ諸作の中でも特殊なキャラクターのオペラなので(アバドはさすがに振らなかったが、この作曲家をあまりやらないムーティもレパートリーにしていた)、R.シュトラウスと同じような振り方で押し切ってしまえる。歌にぴったりつけるテクニックもさすがだ。歌手陣ではテジエが出色。一見、紳士的だが実はすこぶる陰険な悪役を的確に表現している。ハルテロスも声楽的には非常に高度だが、この人物の演技性人格の表出という点ではオポライスの方が一枚上手。「歌に生き、愛に生き」のようにしっとりと歌い上げる部分は全く見事だが、スカルピア刺殺シーンなど激烈な部分の演じ方がちょっと型通りで嘘っぽい。アントネンコは相変わらず立派な声だが、演技も含めてひどく鈍重で、私のイメージするカヴァラドッシとは違う。
    第1幕冒頭は地下駐車場での銃撃戦から始まる現代化演出だが、以下の一点を除けば特に見るべきところはない。バーデンバーデンのヒンメルマン演出に比べると、オペラへの「現代」の取り込み方が全く下手だ。その一点と言うのは、第1幕から出ている教会付き寄宿学校の生徒の一人が第3幕冒頭の牧童の歌を歌うのは当然としても、カヴァラドッシ銃殺シーンでも少年たちが銃を持たされ、銃殺の役割を担わされるという場面だ。中東やアフリカで問題化している少年兵問題をアピールしたということだろう。最後の「どんでん返し」については一応伏せるが、幕切れ直前の「スカルピアが殺された」ほか、幾つかの台詞を無効にしてまでやる意義のある読み替えとも思えない。

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     2019/07/14

    演奏だけなら大変充実した公演だが、なぜかまだレビューがありませんね。ティーレマンはすでにバイロイト(2008)とウィーン(2011)で『指輪』全曲をライヴ録音。バイロイト版は『ワルキューレ』のみ2010年に録画もされている。したがって指揮は緻密で、こなれている。もう少しアグレッシヴに行っても良い気がするが、今回の落ち着いた印象はドレスデンのオケのせいだろう。歌手陣はクリスタ・マイアのフリッカがめり込み気味なのを除けば、ハルテロス、カンペの両ソプラノ以下、ティーレマンの関わった『ワルキューレ』では過去最高の陣容。特にカンペの初々しい感触は貴重。両ソプラノが並ぶと、ブリュンヒルデの方が声はドラマティックであっても、ジークリンデの方が人生経験を積んでいるように見えるべきだが、この演奏ではちゃんとそうなっている。ザイフェルトも見た目を気にしなければ(ボータよりは幾らかマシ)、まだまだ素晴らしいジークムント。コワリョフは確かにホッター、アダム、モリスのようなカリスマ性はないが、『ラインの黄金』での権力欲ギラギラの家父長とは違って、『ワルキューレ』のヴォータンは人間的な(?)弱さを見せるべきキャラなので、これもまた悪くないと思う。少なくともこれまでティーレマン指揮で歌っていたドーメンよりは遥かに良い。ツェッペンフェルトの性格的な悪役ぶりも相変わらず見事。
    シュナイダー=ジームセンの半世紀前の装置をそのまま使うという「縛りプレイ」を引き受けた奇特な演出家はネミロヴァ(つまりカラヤン演出の舞台ではないので、お間違いなく)。もちろん盛大にプロジェクション・マッピングを投入すれば、舞台の印象を全く変えることができるだろうが、さすがにそれはいけないだろうというわけで、最小限に自粛。幕切れなどはナマの火を使うことにこだわって見せたが、印象は何ともしょぼい。フンディング家での露骨なDVの有り様など(略奪結婚だから、これで当然)、女性演出家ならではの視点もあるが、これは2012年にフランクフルトで録画されている彼女演出の『指輪』全曲ですでに見られるもの。そこでの演出に比べると、やはり「縛りプレイ」の制約がはっきり見えてしまう。それでもバイロイトの、箸にも棒にもかからないドルスト演出に比べれば断然良いけれどね。

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