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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2019/11/10

    ミンコフスキのHIPを踏まえた指揮はとても良い。アン・デア・ウィーン劇場での上演で、フランス勢とオーストリア勢のコラボになっているが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の合唱も見事。主役二人はほぼ半年後にマドリードでのエラス=カサド指揮、オッレ演出版に出た同じメンバーだが、現状では望みうるベストの歌手だろう(ブリンベルイはあちらほど年増に見えないのもありがたい)。
    ただし、演出がイマイチなのは残念。序曲冒頭から登場している「悪魔」、つまり歌のパートのない演者が随所でストーリーにからんでくるのだが、この黙役の使い方があまりうまくいっていない。第3幕の幽霊船員たちの歌の場面では、全裸まで披露しているのだが、カメラが自制してアップにしたりしないので、インパクトはさほどでもない。この初稿版こそまさにクプファー流の読み替えにふさわしいと思うのだが、エンディングを故意に曖昧なままにしているのはそれなりの見識としても、ト書きと違うのは第2幕冒頭の娘たちが糸紡ぎではなく歌の練習をしていることぐらいで、演出家は積極的な読み替えに踏み込もうとはしない。回り舞台を活用して、一度も幕を降ろさない三幕通し版を手際よく見せてはくれるが、幽霊船らしきものを舞台上に出さない抽象化された演出ではある。

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     2019/10/27

    これじゃ歌じゃない、語りに傾きすぎているという批判は当然あるだろう。しかし、ここまでの壮絶な表現主義的演奏は前代未聞。「オブセッションの分析」という副題のあるボストリッジの『冬の旅』についての著書は読んでいる。あれだけの蘊蓄を踏まえてのここでの演奏とはいえ、やはりこれは恐るべき録音だ。それでも前半12曲は、随所にはっとするような切り込みはあるものの、やや抑え目。後半になってからの「霜おく髪」「村にて」といった比較的地味な曲が特に凄いが、その頂点は極度に遅いテンポ(3:36)をとった「からす」。しかし終盤になると、F=ディースカウの録音のうち最も表現主義的なバレンボイム伴奏盤が猛烈に粘っている「宿屋」などはむしろ諦観を感じさせる落ち着いた演奏。「辻音楽師」も浄化されたような淡々とした演奏で、第2部前半に頂点を持ってこようという計算であることが分かる。前回録音では、悪くはないがやや安易な抒情に流れがちなアンスネスのピアノに災いされた感があり、ドレイクのピアノによるDVDの方を好んでいたが、ここでのトーマス・アデスの鋭い譜読みは全く素晴らしい。ブリテン、バーンスタイン、ライマンなど作曲家がしばしば卓越した歌曲伴奏者であるという前例通りだ。

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     2019/10/27

    チューリッヒでのアーノンクール指揮の演出もとても良かったユルゲン・フリム、今回の新演出版は近年のトレンド通り、1)時代設定を現代に近づけ(20世紀前半の海辺のリゾート地が舞台)。2)歌のパートのない人物が数多く登場(たとえば「恋とはどんなものかしら」を歌うケルビーノの前に恋人のバルバリーナがいたりする)。3)第3幕冒頭のスザンナと伯爵の二重唱、第4幕フィナーレのスザンナとフィガロの二重唱などは、かなり直接的にエロい。全体としてはオケピット前の前舞台を活用したなかなか洒脱な演出。
    ドゥダメルの指揮はHIPを踏まえたものではないが、曲の性格に合ってはいる。歌手陣はすこぶる強力。プロハスカ、クレバッサはそもそも当たり役だが、大変見事。コヴェントガーデンのマクヴィカー演出ではセリア寄りの役作りだったレシュマンも、ここでは三の線のキャラになっていて達者なコメディエンヌぶりを見せる。威張り散らしているが、実は間抜けな伯爵は今やダルカンジェロの十八番。フィガロはやや軽めのキャラに作られていて、ひと頃はやった伯爵との階級闘争などはあまり前面に出ないが、これはこれで結構。日本語字幕が相変わらず間違いだらけのまんまなのが唯一、残念。

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     2019/10/26

    来年のベートーヴェン・イヤーにかけて発売されるであろう、あまたの交響曲全集の中でも最右翼と言うべき鮮やかな出来ばえ。少なくとも、懸念された通りの「もっさり」型演奏で、それなりに柄(スケール)の大きさはあるし、ウィーン・フィルは気持ち良さげに弾いているが、スコアに対する追い込みが全く足りないネルソンス/ウィーン・フィルよりは断然上だ。素晴らしいモーツァルト交響曲全集を録音していたこのコンビ、ベートーヴェンに対するアプローチも基本的には同じ。第5番スケルツォ以外すべてのリピートを実施、快速テンポ、ティンパニや金管が雄弁な声部バランスなど。おいおい、そんなベートーヴェン全集は今や掃いて捨てるほどあるぞ、という声が聞こえそうだが、彼らはその先が一味違う。8型前後と思われる弦楽器もきわめて尖鋭で、機動性が高い。加えて、モーツァルト全集でもすこぶる魅力的だった指揮者の間のセンスの良さ。たとえば、第7番両端楽章など14:01/8:49(どちらも提示部反復あり)と物理的にはそんなに速いテンポではないのだが、裏拍がしっかり刻まれているためにオフビートの躍動感がめざましい。
    曲ごとに言うと、最も素晴らしいのは第8番。第1楽章では勢い良く出る第1主題に対して、第2主題は心持ちテンポを緩めるのだが、こういう小技が随所で効いている。第2楽章トリルの騒音効果はかつてないほど強烈だし、メヌエットはもう少し遅いテンポが好みだが、終楽章はガーディナーほど飛ばしてはいないとしても、指揮者の間のセンスが冴えまくる。添付のリーフレットで指揮者は、8番は厄介な曲だと思っていたと述べているが、第1番と並んで全集中で最初に録音されたのは、彼にとっての課題が克服された証拠だろう。ついでは第1番。終楽章コーダ、ゲネラルパウゼ後の譜読みの冴えなど、快哉を叫びたくなるほどだ。この2曲に関する限り、この演奏が史上最高の名演と断言してはばからない。以下、第2、4、3、7番まではすべて良い(これが録音された順番通りなのは驚きだが)。最も不出来なのは残念ながら第9番。HIPや室内オケでは太刀打ちできない「怪作」であることを、改めて思い知らされる。指揮者もかなり意識していて、終楽章では故意に遅いテンポを採用し、第3楽章までと落差をつけているのだが、これは逆に失敗。快速テンポで押し通した方がまだ良かった。

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     2019/09/15

    ベートーヴェンとの組み合わせで出た最初の何曲か、特に第5番/6番/10番の不甲斐なさに見限りたくなった全集だったが、全部出てみれば、そんなに悪くない演奏も含まれている。少なくとも今世紀に入ってからの全集ではヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィル、目下録音進行中のネルソンス/ボストン響の次ぐらいには位置しそうな出来ばえ。番号順に気に入った曲を列挙すると、まず第4番。欲を言えば、もっと尖鋭さが欲しいが、構えの大きな演奏で、曲の破格のスケールはちゃんと感じ取れる。第7番「レニングラード」は皮相などんちゃん騒ぎに終わりがちな曲だが、地に足のついた着実な解釈は好ましい。第8番も両端楽章など非常に丁寧な演奏、後はここぞという所での爆発力があれば。第9番第1楽章では故意にひっかかるようなフレージングで、単なる擬古典交響曲ではない、屈折した作品であることを分からせてくれる。
    そして最後の3曲がとても良いのが、この全集の取り柄。第13番ではエストニア国立男声合唱団が見事だし、ミハイル・ペトレンコの独唱も理想的。陰鬱な曲だが、こういう所ではこの指揮者、とてもうまい。次の第14番もいい。元チェリストだった指揮者だけに弦楽合奏の扱いに慣れているようだし、パスティルチャクのヴァルネラブル(被虐的)な歌い方は「自殺」などで大いに映える。イヴァシュチェンコも少し粗いが、立派な声だ。お父さんの得意曲だった第15番も細やかな神経のかよった素晴らしい出来。これが全集最後の録音だけにオケもすっかりショスタコの書法に馴染んでいる。

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     2019/09/13

    ネトレプコが出ているドレスデンでのティーレマンの指揮には、きれいごとに過ぎないかと文句を言ったが、これは名誉挽回にふさわしい、素晴らしく彫りの深い演奏。どうやら指揮者を触発したのはヴァルトラウト・マイアーであるようだ。衰えを見せるどころじゃない、凄まじい演唱と舞台上の威圧感。ハルテロス、ベチャワ、コニェチュニー、ツェッペンフェルト、他の四人もすべて万全で、演奏に関しては全く隙がない。
    一方、妖精の国に「光」をもたらそうとした電気技師が受け入れられず帰って行くという読み替え演出は、最後まで無理無理感を払拭できない。見どころは第1幕終わりの決闘が「空中戦」になるところ(もちろんワイヤー吊りで戦うのは歌手本人じゃないけど)。第3幕でローエングリンが電気コードでエルザを縛ってしまうという演出には、やはり時代の推移を感じる。女は男の言うことに黙って従えばいい、というようなポリシーは、たとえワーグナー・オペラの舞台上でも、もう許されない時代になったということだ。

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     2019/09/13

    主要キャストの面々はこのままザルツブルクに移動して、スタイアー演出の舞台に出たようで、三人ほどが共通している。歌手陣ではやはりカルクが抜群。素晴らしいパミーナだ。シャギムラトヴァもこちらの方が一段と安定している。フォークトも良い。タミーノはパパゲーノに比べて明らかに作者たち(台本作者と作曲家の両方)に愛されていない不幸な役だが、過度にドラマティックにならず丁寧に歌っていて、好感が持てる。まさかビリャソンがパパゲーノに回るとは思わなかったが、これは微妙。キャラとしては合っているのだが、まだバリトンの声ではないし、台詞もしっかり喋られてはいるのだが、やはりシャリンガーのようなウィーン訛りが懐かしい。ゼーリヒは今や舞台上では珍しくなった、品行方正なザラストロ。これはこれで大変結構。
    ネゼ・セガンの指揮も悪くはないのだが、ザルツブルクで振っていたカリディスがあまりに素晴らしかったので、残念だが聴き劣りする。繰り返し聴くには、このぐらい穏健な方が良いかもしれないけど。

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     2019/09/12

    序曲の間に見せられるのは20世紀初頭、第一次大戦前あたりのブルジョワ家庭の夕食風景。ここにオペラの主要人物が既に顔を揃えている。ザラストロ(いかにも旧世代の家父長らしい父親、食事の間に家を出て行ってしまう)、夜の女王(それを見てヒステリーを起こすお母さん、夫婦仲は険悪そうだ)、三人の侍女(この家のメイドさん達)、パパゲーノ(血のついた前掛けをつけた肉屋)、パパゲーナ(その伴侶)、モノスタトス(父親を訪ねてきた御用聞き?)、そしてパミーナは食堂にかかっている、おじいさんの伴侶だった人の若き日の肖像画として表象される。そしてオペラ本編は食事が終わってベッドに入った三人の孫たち(オペラ内でも彼らのパートを歌う)におじいさんが語るメルヒェンとして展開してゆく。おじいさん役のブランダウアーは2003年チューリッヒでの『後宮』でも素晴らしいセリム・パシャだったが、一段と渋くなって実に素敵。したがって、オリジナルの台詞はほぼ全廃。ザラストロの露骨な人種差別発言など、今となっては扱いにくい元の台詞をやめて、見通しのよい視点から物語を語り直そうという意図かと思ったが、必ずしもそうではない。確かにモノスタトスはもはや全く黒人ではないが、演出家は夜の女王のみならず、怪しげなサーカス団長といった風のザラストロに対しても十分に批判的。特にエンディングで啓蒙主義=ザラストロの暴力性を痛烈に暴いてみせるので、テレビ中継の行われた初日には夏のザルツでは珍しい盛大なブーを浴びたが、アメリカ生まれの女性演出家、スタイアーの意気や大いに良し。ただ一つ、2018年が第一次大戦終戦百周年であることが意識されていたのだとしても、火と水の試練がありきたりな第一次大戦映像の投影になってしまったのだけは残念。
    カリディスの指揮が圧巻の出来だ。ベルリン・フィル・デビューの演奏会(2019年6月)でも素晴らしいモーツァルトを聴かせているが、HIPスタイルでウィーン・フィルを存分に引き回して実に痛快。歌手陣ではまずカルクを誉めよう。情愛細やかな、しかし現代的な自立した女性像を描いていて、歴代パミーナの中でも屈指の演唱。シャギムラトヴァはコンディション万全でなかったかもしれないが(初日はドタキャン)、さすがに現在の第一人者。デセイの演技力と比べたりしなければ、まずは満足できる夜の女王だ。ペーターは生硬ではあるが、おもちゃの兵隊風に作られたキャラにうまくはまっている。ブラチェトカは鈍重なタイプで、私の好みのパパゲーノではないが、まあ及第点か。ゲルネのザラストロは問題作。まず声から言って、無理な配役だ。ザラストロ名物の超低音はひどくわざとらしく響くが、モーツァルトはこの人物をからかうために超低域で歌わせたのだという説も唱えられている。そう考えれば、なかなか面白い配役。演技としては半ば悪役風に演じられているのも納得。

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     2019/08/29

    ティーレマンの指揮はここでも見事。『トスカ』はプッチーニ諸作の中でも特殊なキャラクターのオペラなので(アバドはさすがに振らなかったが、この作曲家をあまりやらないムーティもレパートリーにしていた)、R.シュトラウスと同じような振り方で押し切ってしまえる。歌にぴったりつけるテクニックもさすがだ。歌手陣ではテジエが出色。一見、紳士的だが実はすこぶる陰険な悪役を的確に表現している。ハルテロスも声楽的には非常に高度だが、この人物の演技性人格の表出という点ではオポライスの方が一枚上手。「歌に生き、愛に生き」のようにしっとりと歌い上げる部分は全く見事だが、スカルピア刺殺シーンなど激烈な部分の演じ方がちょっと型通りで嘘っぽい。アントネンコは相変わらず立派な声だが、演技も含めてひどく鈍重で、私のイメージするカヴァラドッシとは違う。
    第1幕冒頭は地下駐車場での銃撃戦から始まる現代化演出だが、以下の一点を除けば特に見るべきところはない。バーデンバーデンのヒンメルマン演出に比べると、オペラへの「現代」の取り込み方が全く下手だ。その一点と言うのは、第1幕から出ている教会付き寄宿学校の生徒の一人が第3幕冒頭の牧童の歌を歌うのは当然としても、カヴァラドッシ銃殺シーンでも少年たちが銃を持たされ、銃殺の役割を担わされるという場面だ。中東やアフリカで問題化している少年兵問題をアピールしたということだろう。最後の「どんでん返し」については一応伏せるが、幕切れ直前の「スカルピアが殺された」ほか、幾つかの台詞を無効にしてまでやる意義のある読み替えとも思えない。

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     2019/07/14

    演奏だけなら大変充実した公演だが、なぜかまだレビューがありませんね。ティーレマンはすでにバイロイト(2008)とウィーン(2011)で『指輪』全曲をライヴ録音。バイロイト版は『ワルキューレ』のみ2010年に録画もされている。したがって指揮は緻密で、こなれている。もう少しアグレッシヴに行っても良い気がするが、今回の落ち着いた印象はドレスデンのオケのせいだろう。歌手陣はクリスタ・マイアのフリッカがめり込み気味なのを除けば、ハルテロス、カンペの両ソプラノ以下、ティーレマンの関わった『ワルキューレ』では過去最高の陣容。特にカンペの初々しい感触は貴重。両ソプラノが並ぶと、ブリュンヒルデの方が声はドラマティックであっても、ジークリンデの方が人生経験を積んでいるように見えるべきだが、この演奏ではちゃんとそうなっている。ザイフェルトも見た目を気にしなければ(ボータよりは幾らかマシ)、まだまだ素晴らしいジークムント。コワリョフは確かにホッター、アダム、モリスのようなカリスマ性はないが、『ラインの黄金』での権力欲ギラギラの家父長とは違って、『ワルキューレ』のヴォータンは人間的な(?)弱さを見せるべきキャラなので、これもまた悪くないと思う。少なくともこれまでティーレマン指揮で歌っていたドーメンよりは遥かに良い。ツェッペンフェルトの性格的な悪役ぶりも相変わらず見事。
    シュナイダー=ジームセンの半世紀前の装置をそのまま使うという「縛りプレイ」を引き受けた奇特な演出家はネミロヴァ(つまりカラヤン演出の舞台ではないので、お間違いなく)。もちろん盛大にプロジェクション・マッピングを投入すれば、舞台の印象を全く変えることができるだろうが、さすがにそれはいけないだろうというわけで、最小限に自粛。幕切れなどはナマの火を使うことにこだわって見せたが、印象は何ともしょぼい。フンディング家での露骨なDVの有り様など(略奪結婚だから、これで当然)、女性演出家ならではの視点もあるが、これは2012年にフランクフルトで録画されている彼女演出の『指輪』全曲ですでに見られるもの。そこでの演出に比べると、やはり「縛りプレイ」の制約がはっきり見えてしまう。それでもバイロイトの、箸にも棒にもかからないドルスト演出に比べれば断然良いけれどね。

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     2019/07/05

    南西ドイツ放響とは通常の4楽章版で録音していたロトだが、5楽章版の録音にはレ・シエクルを起用。相変わらず楽器の選び方に対するこだわりは半端ない。世紀転換期頃のドイツ系楽器が集められていて、普段フランス式のバソンを吹いているファゴット奏者など、ドイツ式ファゴットに適応するのは容易ではないと思われるが、大したものだ。ただし、楽器へのこだわりに反して、楽譜の選択が何とも安易なのは残念。すでに通常版で録音しているのに、何で二度目の録音にこのマーラー協会版を選ぶかな。確かに第1楽章最初のファンファーレはクラリネットではなくホルンだし(ヘンゲルブロックと同じく舞台裏ではなく普通にオケの中で吹いているようだ)、終楽章になってもダブル・ティンパニにはならないが、それ以外では通常版との違いはほとんどない。ちゃんと校訂されている楽譜だから、以前のハンブルク稿に比べれば信頼性は高いだろうけど、オケの編成も普通の四管だし、ホルンも(メンバー表が正しければ)8人いる。演奏自体も叙情的な部分の歌い方など、ノン・ヴィブラートに固執して、ちょっとぎこちない所が面白かった前回録音に比べると、ずっと普通のスタイルに近づいている。確かに普通はマスクされがちな中低音域の動きが良く聴こえるあたりは、さすがロトと思うけど、もともと極度にポリフォニックな5番と違って、1番でこれをやられても、あまり有難みがない(その点ではギュルツェニヒ管との3番も不発だったと思う)。行くところ可ならざるはなしという感があったロトも、ドイツ系レパートリーに関しては無敵とは言えないな。

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     2019/06/22

    第14番以降の6曲から始まった、このコンビによるモーツァルト/ピアノ協奏曲シリーズもいよいよ20番台に突入。全集になるかどうかは分からないが、第22番以降の6曲は間違いなく録音されるだろう。モダン・ピアノによる録音だが、ピリオド・スタイルは十分に踏まえられている。第21番では両端楽章でフリードリヒ・グルダのカデンツァを用いているが、これが実に素敵。緩徐楽章の旋律装飾はきわめて大胆だが、ここでもグルダのアイデアが踏襲されていることが分かる(アバドとの録音ではなく1962年録音のスワロフスキー指揮の方。ただし、この盤でグルダがやっているように、ピアノが通奏低音を担当してオケ・パートに加わることはない)。『ドン・ジョヴァンニ』序曲は演奏会用の結尾をつけた版の方。最後の第20番もベートーヴェン作のカデンツァの表現力などさすがだが、バヴゼはそんなに強烈な個性を刻印するタイプのピアニストではないので、ドビュッシーでも初期の作品では端麗な造形と美しいタッチが魅力的だが、さすがに『前奏曲集』あたりになると、もう少し何か主張してほしいという不満が出てくる。第20番も模範的な演奏だが、オケの表出力ともども、少し前に出たチョ・ソンジン/ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内管の方が一枚上手。けれども、リーフレットの中で第2楽章中間部の旋律について、バッハの『ヨハネ受難曲』の一節に由来し、シューマンのピアノ・ソナタ第3番終楽章でも繰り返されているとピアニストが言っているのは、なかなかの卓見。マンチェスター・カメラータは10型ぐらいの編成と思われるが対向配置ではなく、近年では珍しくチェロが指揮者の右横にいるのが面白い。

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     2019/06/08

    先のレビュアーによれば『悲愴』の第1、第3楽章のクライマックスでリミッターがかかるということだが、わが家の安物装置では全くそんな気配もない。アンプのスピーカー保護機構が働いているのではないか(わが家のアンプは無理な入力があると音量を下げたりせず、音そのものを遮断してしまうが)。もっとも、ネルソンスの録画としては必ずしも最上の出来とは言い難いが。モーツァルトは「昔懐かしい」ふっくらしたスタイルではなく、かなり鋭角的な、もちろんHIPを踏まえた演奏。第2楽章の「あえぐ」ような息苦しさなど出色だと思うが、ヴィブラート控えめとはいえ弦楽器の数が多すぎて、解釈が徹底しきれていない。トランペットもティンパニもないこの曲の場合、8型以下でも全く構わないと思うのだが、オケ側としては室内オケのように扱われては困るという事情もあるのだろう。ちなみに、クラリネットありの版で演奏。管楽器は全く倍管なし、リピートはすべて実施。
    『悲愴』は両端楽章がかなり遅いが、バーンスタイン(DG録音)などに比べれば、形式の崩れはほとんどない。細部までこだわりまくりのクルレンツィスを聴いてしまうと、こういう超名曲を王道路線で征服するのは難しいなと痛感する。思い切って情念に身を委ねるか、解釈としてはどちらかに極端に振れてほしいところ。ゲヴァントハウスとの録画では何といってもブルックナー7番が圧巻だったし(これも遠からずディスク化されるのではないか)、同じチャイコフスキーでも来日公演で振った第5番がチャイコフスキー流の感傷を残しつつも、きわめてマッシヴかつ堅牢(つまりバーンスタインとは真反対)な解釈で断然、印象的だった。

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     2019/06/07

    最初に演奏されたのは昨年が生誕百周年だったツィンマーマンのトランペット協奏曲。1950年代の前衛音楽とジャズ風の曲調をミックスした音楽で単一楽章、15分ほどの曲。黒人霊歌「誰も知らない私の悩み」をパラフレーズした作品でもあるので、マーラー2番の前に演奏するのにふさわしい。世界中でこの曲を吹いているハーデンベルガーのソロも堂に入ったもの。マーラーの2番は全5楽章で演奏時間90分を超える、遅いテンポで細密に描いた演奏。第1楽章展開部真ん中のゲネラルパウゼの長いこと、その後のコントラバスに始まる葬送行進のもったいぶった入りなど、やたら「巨匠風」な解釈は嫌いな人には嫌われそうだ。けれども、スケルツォの緩急の付け方など、ウィーン・フィルの流儀に合わせて「なだらか」になりすぎた感はあるものの、マーラーのなかでは現在のネルソンスのスタイルに最も合った曲であるのは確か(3番もたぶん良いだろう)。バイエルン放送合唱団の神経の行き届いた細やかな歌唱もお見事。12月のベルリン・フィル定期で歌ったライプツィヒ放送合唱団と互角の勝負だ。目下、ベートーヴェン交響曲全集を録音中のウィーン・フィルとも息ぴったり。ティーレマンと並んで、最もウィーン・フィルに好かれそうな指揮者であるのは間違いない。ちなみに、カメラワークはとても細かく、アップを多用していて指揮者の映像も意外に少ない(近年のネルソンスのアクションが以前よりは抑制気味なせいか)。でも祝祭大劇場の客席からは絶対にこういう角度では見られないので、これもまた面白い。

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     2019/06/06

    近年の在京オケによるマーラー第9では2019年2月のチョン・ミョンフン/東フィルが圧倒的な名演だったが、これはそれに次ぐ出来。カンブルラン時代の読響ではマーラー1、5、6、7、9番を聴かせてもらったが、6番とこの9番が断然良かった。最近のカンブルランの常で、余裕のあるテンポをとるので、第3楽章の狂騒はだいぶ後退しているが、逆にこの楽章最後のストレッタでも音がダンゴ状態にならず、音楽の構造を明晰に聞き取れるのが、この指揮者の強み。第1楽章展開部末尾のクライマックスでもほとんどテンポを上げないが、トロンポーンの暴力的な強奏から始まる序奏素材の回帰はそれゆえ一段と冷徹、無慈悲だ。終楽章も陰々滅々たる「滅び」の音楽には全く聴こえず、むしろ明るい「新生」の音楽のように響くのは、演奏のクール・ビューティーゆえであろう。すなわちシェーンベルク以下、20世紀音楽の側から振り返ったマーラーで、過去の録音を引き合いに出せばジュリーニ/シカゴやブーレーズ/シカゴに近いアプローチだが、とりわけ後者寄りと言えようか。
    読響の演奏は輝かしく申し分ない。特にこの日は指揮者の指示によるのだろう、随所で通常の声部バランス以上の強奏を披露していたホルン・セクションには大拍手。もちろんドゥダメル/ロサンゼルス・フィルなどを聴くと「上には上がある」ことを思い知らされるが、彼らの演奏はあまりにスムーズで、マーラーがこの曲に盛った新機軸とソナタ形式という古い革袋が衝突して生ずる「きしみ」が聴こえなくなるという贅沢な不満もなきにしもあらず。カンブルランは逆に「きしみ」をはっきり聴かせるように振っていたと思う。望むらくば、当日の休憩前に演奏された20分ちょっとのアイヴズ『ニューイングランドの三つの場所』が一緒にCD化されれば、なお良かった。マーラー第9に対するカンブルランの接近の方向を端的に示す秀逸なプログラミングだったので。なお、リーフレットに載った松浦一生氏の曲目解説がきわめて優れた力作であることを付記しておこう。

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