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タイガー哲 さんのレビュー一覧 

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     2009/11/19

     たしかに録音はよくない。最近リリースされたナキソス盤は聴いていないが、35年ぐらい前に購入した米オデッセイ盤のLPのほうがましな音がすると感じるのは小生だけか?
     →「気品のある」「高貴な」「清冽な」「ノーブルな」「エレガントな」「凛とした」「graceful」といった修辞のどれもが当てはまり、どれもがそれで言い尽くせない演奏といえる。その上に、死を間近にした「裂帛の気迫」といったものが、すべての演奏を通じて感じられる。それは決して表面に出てこない。演奏の中の随所にあるが、それを感じられるか否かが、このCD集を高く評価するか否かの分かれ目になると思う。
     →ワルツ集はかねてから世上の評価の高いものであるが、まことにエレガントでこれを聴くと他の奏者のものは聴く気がしないというのが本音である。とくに左手のワルツのリズムが、たゆたうように揺れ動くところは絶品といわなければならない。これを聴かせようと意識してやると鼻持ちならないことになる。そこがリパッティのリパッティたる所以である。1950年代から60年代のVPOの演奏するウィンナワルツにも同様のことが言える。あの二拍目が微妙に長いウィンナワルツのリズムを、他のオケがまねしようものなら、持ちも下げもならないことになるのはいうまでもない。
     →グリーグをはじめとするコンチェルトももちろんよい。LP時代ショパンのコンチェルトの指揮者がクレジットされていなかったのはなぜだろうか。この当時の指揮者たちは合わせ物がうまかった。グリーグのガリエラやこのショパンのアッカーマンはまさに職人といった趣がある。
     →心静かに聴くバッハ、これもまたよし。小生の知らない優れた演奏はたくさんあるのだろうが、まあ一度リパッティを聴いてみてください。目が洗われる思いがすること間違いない。  矢印は段落を示します。

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     2009/09/24

     どなたも注目されないので、レビューを書く。晩年のVPOとベートーベンの交響曲全集を録音したころのベームとはまったく違う気合の入り方。ライブではないセッションなのだが、熱気の伝わり方が違う。特に第2幕第13曲から始まり第2幕のフィナーレまでは、全体がクレッシェンドしているようなうねりがあり、耳にするものの心を打つ。レオノーレ第3番の序曲も良い。第3幕のコーラスも愛情を持って夫婦を見守り、絶賛する。指揮者、オーケストラ、ソリスト、コーラスが一丸となって、恐るべき熱気を持って演奏に取り組んでいると評価してよい。→
     1944年、ナチによる全劇場の閉鎖命令を請け、そのメモリアルとしてこの録音が企画実行されたという。ライナーノーツ(福原信夫筆)によるとセッションは密かにムジクフェラインで行なわれた。そういう背景を知るとスタッフをはじめ全員が命がけでこのセッションに取り組んだという強烈な意思が、聴くものの心に激しく迫ってくるというのも理解できる。こういう録音を命がけで残し、かつ戦後の混乱期(ウィーンは英・米・仏・その4カ国共同管理であった)にも散逸させずに世に出すという、文化の底力の違いといったことにも感動する。ヒトラー好みのワグナーならまだしも、自由礼賛のフィデリオを録音するというのは、当時本当に命がけだったろうと思う。→
     小生の所持するのはこのCDではなく、1973年コロンビアからHRシリーズとして発売された3枚組3000円のセット。当時の学生には高価な買い物で、必死にアルバイトをしてレコード店(たしか京都の十字屋)に駆け込んだ覚えがある。上記したライナーノーツもこれによる。
     録音は成約のある条件下で行なわれたもので、★二つ。トゥッテイでは音が割れるし、歪んでいるところも各所にある。しかし、演奏は現在でも★五つと評価する。セッションでありながらすでに述べた事情によりほとんど一発録りだったのではないかと思われる。それがこのソフトの大きな魅力となっている。近年のライブといいながら、ゲネプロを含めて数種類の録音からいいとこ取りをしたものの迫力のなさにはうんざりする。そういう思いをお持ちの方にはお勧めする。ついでながら、同じベームの日本公演のフィガロのソフトには国歌演奏やカーテンコールの画像がない。アーカイヴにかける文化、意気込みの違いといってしまえばそれまでだが、残念至極である。NHKサン、今後こういうことのないようにしてください。→

    ※→は段落を示します。

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     2009/09/14

    幻想といえばミュンシュ、モントゥー、クリュイタンスで決まり、とりあえずここらを聴いていれば問題なしと思っていたが、どうしてどうして。クレンペラー老は一貫してインテンポ、しかし曲の持つ混沌、情熱の表現はこれらに優るとも劣らない。通常フィナーレはテンポを上げていってなだれ込むような演奏が多いが(クリュイタンスの東京ライブがその典型)、クレンペラーは泰然自若、しかしその熱狂のボリュームたるや聴き込むほどに聴き手を圧倒する。
     例によってヴァイオリンの両翼配置は効果的。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンあたりならまだしも、ベルリオーズで両翼配置となるとヴァイオリン奏者がつらかっただろうなと思う。オーケストラがぎゅうぎゅう絞られたあとが歴然。聴くほうにとっては今までとはまったく違った感興が沸いてくる。第二楽章におけるコルネットの採用も効果的。
     この録音の存在を知ったときは「クレンペラーの幻想??」と思ったし、そもそもモントゥーのサンフランシスコSOの幻想が聞きはじめだっただけに,モントゥーのエレガントさとは対極にある演奏に驚いた。しかし聴きこむととその面白さは随一といってもよい演奏。ベートーベンの交響曲全集でもコメントしたが、50代を超えて聴くとこの演奏の面白さが本当に分かってくるような気がする。30代のころに聴いていたら、きっと捨てていただろうなぁ。

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     2009/08/15

     朝比奈隆が理想としていたものに近い。楽譜を信頼する(ただしエロイカの第1楽章のファンファーレなど例外あり)、fやffの金管は目いっぱい鳴らす、低弦の刻みはごまかさない、テンポをフルベンのように動かさないなどなど。朝比奈が90年代にしきりに言っていたことがすでにクレンペラーによって60年代初頭に実現されている。
     聴きはじめはオーボエの音がチャルメラのようで異様な感じを受けたが、聴きこむとまったく気にならなくなる。ヴァイオリンの左右振り分けはまことに魅力的。スコアを読みながら聴く時にはありがたいが、それ以上に演奏が非常にチャーミングとなる。低弦の定位は悪く、曲によって、楽章によって動くときがある。
     基本的にリピートはすべて演奏している(と思われる)。よって7番のスケルツォなどまことに長大なものになり、同時期に録音されたカラヤンのものなどとは演奏時間が大きく違う。凡庸な指揮者がやれば聴くに堪えないものとなるが、クレンペラーでは逆にそれが大きな魅力となる。確か70年代の初頭にブーレーズが5番のリピートをしたレコードを出して、音楽雑誌などで話題となったが、すでにクレンペラーが実行していたのだ! 批評家連もこのあたりをきっちり説明をしてもらわねば困る。ベートーベン交響曲の理想の演奏を求めて、30年以上大回りをしてしまった。
     録音時期は50年代後半から60年代初頭であるが、立派なものと評価したい。通勤時にカーステレオで聴いているがなんの不足もない。
     協奏曲はすでに多数コメントされているように交響曲に比べればまったく魅力に欠ける。バレンボイムはルービンシュタインのピアノに合わせるときはすばらしいのに、このころは若かったせいかどうにもならない。それよりも聴きものはレオノーレの序曲の1〜3番である。これがおまけとは思えない上々出来で、この演奏によって序曲1番、2番の良さが分かったと告白せざるを得ない。
     ベートーベン交響曲の理想の演奏を求めておられる方にはぜひ一聴をお勧めしたい。ただしあなたの年齢が50代以上でないとこの良さは本当に分からないかもしれない。

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