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     2018/04/18

    19世紀ウイーンに登場したワルツの大成者の書いた、ほぼ全ての作品をあますことなく集成および録音した、その偉業ぶりを記念して出されたマルコポーロ盤からのナクソス盤への移行的転売リリースによる廉価によるボックス・セットの再登場である。1999年にワルツ王シュトラウス2世の没後100年のアニヴァーサリー・イヤーであった際に、愛知県のアイヴィー社より鶴間圭監修の別冊の日本語解説書2000円と併せて7万円を超える高価格帯でのボックス・セットであったのものが、1987年の会社設立当初より市場価格の設定の安いナクソスから再発売となったという出自を持つ経緯だ。どの作品も均一的で嫌味のない安定感がバランスよく配合されている感じが強く、その点が当ボックス・セットの人気と需要を根強く物語っている様だ。例外的に当ボックスのVol・26巻と27巻は本家本元のウイーンのORF交響楽団の演奏によっているのが嬉しい魅力。その他、特記すべくは、この作曲家が1872年に当時の新世界国アメリカへと遠征興行した時の作品たちや、死後に遺作として補筆完成され発表・出版されたワルツや交響詩などの作品番号の無いナンバーが納められている点が当ボックスの素朴な特典と言えようか。何よりも30年前の話では、この様な企画が発想として市場に出されたこと自体「寝耳に水」であったろう。この考え方は今ではさほど新鮮には感じられなくなったが、その後、弟のヨーゼフ・シュトラウスや、ワルツの父ヨハン・シュトラウス1世の全集がプロジェクト達成され、ますますマルコポーロ・レーベルへのクラシック愛好家の関心と注目が冷めやまぬ熱の入り様となったのは言うまでもなかろう。願わくば、第三の矢「ハンサム・エディ」と19世紀のウイーンの女性より、ダンディな風貌で評判の高かったエドゥアルト・シュトラウス1世やその長男ヨハン・シュトラウス3世のコンプリート・エディションが出されることを心待ちにして嘱望したいと思う。カール・ミヒャエル・ツィーラーの作品たちは、近年、オーストリアのプライザー・レーベルがコンプリート盤を目指している精を出している昨今だし、ヨーゼフ・ランナーの作品はまだ手が付けられていない未開の状況が惜しい現実か。いずれはマルコポーロ、いやナクソスがやってくれるだろうという期待感は捨てられないが、どこまでやるかは過度な期待感はないというのが本音だ。当52枚のボックス・セットは、今後のクラシック愛好家の世代にも引き続いて聴き継がれてゆくだろう。ワルツやポルカ、カドリーユといった形式の音楽は、19世紀当時も今現在でも人気の高いジャンルだけに、今後のリリースがどういう次元へと発展を遂げてゆくのか、にますますクラシック音楽愛好家諸氏の関心が集まりそうである。当ボックス・セットは一家にワンセットは持っていて損はないはず。ヨーゼフやヨハン1世のCDもナクソスへと移行販売およびボックス化してほしいと思う今日この頃だ。よって星評価は最高に一歩及ばず4つ星としたく思う。もう少し、特異な刺激やニコチンが効いた演奏でもよかったという未練が残るからだ。だが、ここまでやる指揮者やオケは世に存在するかどうかもわからないというのが正直な話だ。なによりも、19世紀で最も人気と需要のあった大作曲家ヨハン・シュトラウス2世のコンプリート全集を市場に出そうと考えたマルコポーロおよびナクソスのクラウス・ハイマン社長の奇抜で大胆な発想が今でも広く世界的に支持されているゆえんであろう。今後もマルコポーロおよびナクソスの出すユニークなプロジェクトがどの様に発令され動き出すのか、今から心待ちにしてゆこうと楽しく思う次第だ。

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     2017/08/24

    兄のヨハン2世よりも音楽的才能が優れていたことを証明するための作品集としては、当盤第25集の価値は大変珍しい作品が集中的に揃っており、古典的で東洋的な響きや味わいが優勢なレア物・珍曲が納められている。小生が特に引き付けられたのは、1866年1月28日の夜にウイーンのホーフブルク王宮の<レドゥーテンザール>での工業舞踏会で、兄ヨハン2世の名作ワルツ<ウイーンのボンボン>やヨーゼフの大らかで優雅なワルツ<ドイツの挨拶>と共に初演された、古典的で旧き時代の名残をとどめるポルカ・マズルカ<パウリーネ>の第1作(=Op・190a)が聴けることがまず最初の強い印象に浸らされた。我々日本人が聴けば「これは日本民謡を使った曲か?」とでも自然な疑問を抱かされてもなんらの不思議はない東洋的、中国的な厳格な情感が流れていることに驚かされた。さらには、兄のヨハン2世も編作した試みと重なるが、シャルル・グノーの同名のオペラのモチーフで構成したカドリーユ<ファウスト>も冒頭開始のパンタロンから生命力の強いメロディーラインに心が躍り出したくなる活力の大胆さが耳に効果的で愉快である。その他にも、1862年2月26日に、ウイーンの第2区に当時存在していた舞踏会場<ディアーナザール>でのヘスペルス舞踏会で初演された、古典的かつ東洋風な味わいが醸し出される総演奏時間に11分以上も要する大曲ワルツ<ヘスペルス舞踏会の踊り>の存在の大きさだ。我々日本人がこれを聴けば「これも日本人が作ったか?」とでも問い直したくなるオリエンタルな情緒が前景に出ており、ここまでに古典的な情感をワルツの形式で紡ぎ出すことができたのは、古典的趣味・気質の持ち主であったに違いないヨーゼフ・シュトラウスにのみ作曲可能な「職人技」であったと言い切れるに違いない。当盤トラック番号1番の1867年作曲のポルカ・シュネル<つむじ風>と当盤トラック番号11番の1861年作曲のポルカ・シュネル<スーブレット(=小間使い)>は曲想がよく似た楽しい胸が興奮するウインナ・ポルカに仕上がってもいる。その他にも、1859年作曲の美しいメロディーの宝庫でもあるワルツ<貸し方と借り方>、1866年初演のウイーン的な快楽な内容のワルツ<治療法>など、聴き直すたびに新鮮で嫌味や飽きの来ない充実の文句なしの内容で楽しめる古典的な音楽に浸りたいならば、このヨーゼフ・シュトラウスのマルコポーロ・エディション第25巻を迷わず熱心なクラシック音楽ファンに薦めたいレア曲の連なった厳格かつ東洋的なメロディー続出の作品で構成されたコンテンツによるユニークな1枚であったと言えるものがあろう。演奏の方もデジタル録音で違和感がなく、最初から最後まで均一の演奏水準で聴き心地よく楽しめる1枚だ!!「古典的な」ヨーゼフ・シュトラウスが聴きたい人にはうってつけの内容による1枚だろう!!ワルツやポルカの伝統形式にならい、それを順守しながらも、そこにヴァーグナーやリスト、シューマンなどの当時のドイツ・ロマン主義の前衛的音楽の味わいを盛り込むことで、ウイーン音楽の可能性と水準を最大限になるまで高め上げ、古典的なメロディーを多用させた実力で曲を創り上げる手法の多くを作曲上模索していただろう「舞踏音楽のシューベルト」の打ち出した傑作揃いを押し並べた魅力と聴き応えのある至宝たちとも言うべき上質な内容の1枚となっているので、当たりはずれのないことは当盤第25集を聴けば納得がゆくことだろう!!決して有名すぎるワルツ<うわごと>やワルツ<天体の音楽》にとどまり終わらない内容の、珍しい作品世界に浸りたいウイーン音楽愛好家諸君には是非とも最後まで聴き進めていただきたい優れたナンバー揃いの多彩で豊富なコンテンツである。よって星評価は最高のファイブ(=5)としたく思う心地だ。

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     2017/04/25

    当アルバムは、作曲家モーツァルトの天性および旋律の持つ天衣無縫がよく味わえる上質な1枚である。「交響曲第19番変ホ長調」は、現存する作曲者の手になる自筆譜の表記によれば、1772年の夏(=7月)に神童・天才の生地ザルツブルクで作曲・完成された純オーストリア風=純ザルツブルク風な音楽が楽しめるチャーミングな生命力と美しい宗教性を讃えた名作であり、第1楽章のアレグロの持つ張りの強さ。2種類の異稿のある第2楽章の透明感あふれる旋律的なアンダンテでは、当時ザルツブルクで人気のあったと伝わる宗教曲からの引用が、その旋律素材に活用されていると言う。第3楽章のメヌエットも歯切れがよく、「イタリアの夏」を思わせる歌謡性が聴き所。フィナーレのアレグロも、先行する3つの楽章の豊かさに相応させた単純・明快なガヴォット風なコントル・ダンス形式による、聴いていて心が和む優しく柔軟なハッピーな音楽だ。途中の短調に変わるエピソードもそれなりに美しい鮮やかさ・厳かさを添えていて、作曲者の創意工夫ぶりが窺える。続く「交響曲第20番ニ長調」は、「第19番」と期を同じくして、1772年の夏にザルツブルクで作曲・完成された充実した音楽であり、現存すると言うモーツァルト自身の自筆譜の草稿の表紙には単に「ザルツブルクにて、1772年7月」と書かれているらしい。このことから、作曲者が第2次イタリア旅行から帰省後に間もなく筆を取って一気に完成に至ったものと察せられる。第1楽章のアレグロは、この作曲家のトレードマーク・商標とも言うべき、典型的な18世紀中期風の「歌うアレグロ」の勢いのある推進力に貫かれた快速で明朗・快活然とした輝かしい楽想が聴き所の、この頃にモーツァルトが書いた音楽の中でも最も完全で非の打ち所のない、胸が躍る活気・バイタリティに富んだ音楽となっている。背景・バックでは、16〜17世紀初頭のヴェネツィア派の作曲家として音楽史にその名が残されてもいるガブリエーリの金管のためのソナタとカンツォーナの様な趣きのトランペットの響きが厳かさを添えて一層の充実さをあますことなく示している。第2楽章のアンダンテも、心地の良い、オブリガード・フルート1本が、あたかもフルート協奏曲の緩徐楽章かと錯覚するかの様に、涼しげで「イタリアの春ないし夏」を想起させる清澄な響きを折り込んでいる。それをバックで支える弦楽器の響きも柔軟で美しい至福の音楽を構築してもいる。続く第3楽章にメヌエットも、「イタリアの夏」を思わせる印象的で、牧歌的な平明な楽想がどことなくイタリア風な響きの余韻・旋律美を残している。フィナーレのアレグロでは、「第19番」と同じく、先行する3つの楽章の要素を有機的な連関でもって統一化させた、この充実したシンフォニーの結びとして相応しいだけの充実度をもって快速に流れる心躍る、輝かしいイタリア風な情緒を持った聡明な音楽だ。「第19番」と「第20番」の完成度の高さ・オリジナリティは、どちらも本質的に歌謡的なイタリア風のシンフォニアの流れと伝統的書法を守った甲乙付け難い力作であると言えるに違いない。1772年と言えば、南ドイツ=バイエルン地方やウイーンなどの都市部で、「シュトルム・ウント・ドラング(=疾風怒濤)」と呼ばれた自然主義的で主観的な激しい感情を押し出して表現する劇的で暗い風潮・パラダイムの影響が生々しく顕著であった頃だが、上記の「第19番」と「第20番」の音楽・性格にはその様な影響や要素はほとんど見て取れず、典型的なメヌエット楽章を加えた、ウイーン古典派中期の4楽章のソナタ形式と響きを追求した姿勢程度しかあまり表面には感情やパッションの表現は後退して鳴っておらず、あくまで聴き心地の良い歌謡的シンフォニーと言う規模と器にちょうど良い音楽水準で納まっているのがその特性として指摘できるに留まっている。最後のトラックに納められた「交響曲第37番ト長調」は、第1楽章のモーツァルトの宿命的調整である、ほの暗い不穏な雰囲気を讃えた「ト短調」のアダージョ・マエストーソの序奏・イントロのみがモーツァルトのオリジナル作で、後は、同郷のザルツブルクで活躍した親しい友人のミヒャエル・ハイドン(*あの大作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの実弟)が書いたと言われるが、かつては「モーツァルト旧全集」で「交響曲第37番」として扱われ、「ケッヒェル番号:K・444」がナンバリングされ割り振られていたが、今日では「偽作」として扱われ、「モーツァルト新全集」の出版目録および出版譜からは除外されている様だ。「第37番」に関しては、これまでにCD化された録音や音源も殊のほかに少なく、高い音楽水準で演奏されている当ナクソス盤は、値段も1000円程度とお手頃・低コストで、演奏の質も良く、その上に、貴重な音の資料と言う付加価値としてもレアーでお宝物として引き合いに出されるべき強い独自の魅力を生んでいると言える。肝心な音楽の方は、第1楽章のモーツァルト作のの序奏の後に表れるアレグロ・コン・スピリートは、先の「第19番」や「第20番」と性格的に似通った輝かしいイタリア風の楽想が、流れる様な速度で全面展開する生命力の張りと強さが最後まで一貫して維持・持続しているのが聴かれる楽しいチャーミングな音楽だ。第2楽章のアンダンテ・ソステヌートも、緩やかで穏やかな気配・ムードによって包まれた心の慰めの様な、聴いていて気分が和らぎ、心温まる豊かで静穏な至福の天国的音楽を創り上げてもいる。フィナーレのアレグロ・モルトも、作曲者らしく、軽めの調子で小気味よい旋律で愛らしさを強調させている、やはり聴いていてリラックスできる柔軟な女性的音楽がここには見い出せることだろう。以上の3つのシンフォニーを1枚のディスクに、上質で高尚な秀演・快演により、スタンダード水準で均一な音楽性でもって納められて、手軽・気軽にプレイヤーやオーディオなどの媒体技術を介して再生していつでも限りなく聴けるのは、今日の文明の発達の成果の良き範例・好例を示して体現していると言えるに違いない。おまけにステレオではなく、デジタル録音で収録されているので、鑑賞する上で、問題や違和感・嫌味がなく、最後まで安定して気持ちよく聴けるのがなんとも嬉しい売りだろう。そうした意味において、当ディスクには心満ち足れりという点を強調視したく思い、5つ星評価を付させていただいた次第だ。恐らくは。「第19番」と「第20番」、それにミヒャエル・ハイドン作の「第37番」演奏の決定盤と見做してなんらの語弊・誤謬はないだろう。モーツァルト音楽ファンには、無条件で一押しして強く推薦・おススメできる、大変レアーで、大人の魅力をも併せ持った上質なモーツァルトCDだ!!

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     2016/07/15

    一聴した後の感想としては、とにかく最初から最後までフル・オーケストラがやるような豊かさは感じられないが、優雅で聴き心地がよく耳によく馴染む演奏と言えば適論かと思わされた。ピアノ連弾なので、重厚な表現力に富んでいて、派手な曲にはオケの様な大胆さを、落ち着いて平穏な曲には室内楽でやる様な静かな思いにさせてくれる安堵感を耳の中にもたらしてくれる違和感のない演奏であったと思う。録音の質もデジタルでなんら問題はない。小生の感想では、特にOp・72の有名な第2番ホ短調のマズルカや第8番変イ長調のワルツなどクライスラーのバイオリン編曲版が存在する曲の解釈が美しい感動的なもので、このアルバムの中でも最もスラヴ魂とボヘミア情緒を感じさせてくれる満ち足りた表現力で演奏している好例だろうという印象を持った。ナクソスはドヴォルザークの全ピアノ作品をCDに音源化しているが、そのどれもが一流の演奏に恥じない名演であると高く評価できるものがある。その傾向はこの有名な作品集に対しても同じことが当てはまる。1000円程度の市場価格で出せる魅力は存分に発揮されてもいると思った。当盤の両ピアノ演奏者は聞きなれないドイツの地方出身の奏者だが、演奏の方の出来栄えは文句なしのプロの腕前のレベルにあったと思う。ピアノ連弾なのでフル・オーケストラでやる様な表現力の迫力や印象の強さを求めるのならばまだ不十分なサウンドと言えようが、室内で家庭音楽として聴き楽しむのであれば管弦楽でやる場合のそれと比較してみても表現上の必要な音は全て拾ってあるので、耳に最後まで旋律の余韻が残るほどの充実した音楽をもって語りかけてくるスラヴ人のソウルが感じられた演奏に仕上がっている様に思わされた標準的な表現力で過不足ない上質さで最後まで均一に堪能させられた様に思う。この作品集はドヴォルザークの筆になる音楽の中でも最も詩的情緒豊かなロマン的で民族的なスラヴ人の誇りとする彼ら特有の響きで満たし描き切られた傑作集であるがゆえに、当アルバムもその点を強調したスパイスの効いたチェコの民族料理を味合わせてくれるかの様な芳醇で絶妙な味加減に仕上げられた1枚になっているという印象を抱かさせられた録音でもあった。間違いなく誰が聴いても歓迎される現代感覚のボヘミアの田舎臭くない都会的な演奏で楽しむベストな曲集盤と言えるだろう。ピアノ音楽好きにはたまらなく喜ばれる味わいがそこかしこに鮮烈に耳に響く1枚であったと言える。

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     2016/04/29

    今日シュポーアという作曲家の作品の認知度は演奏会で実演で聴く機会にはほとんど恵まれてはいないが、幸いにも海外の主要なレーベルでその作品の多くが体系的に録音され、手軽にCDプレイヤーで再生できることは嬉しい話だが、実はそんな彼も生前にベートーヴェンも顔負けといった感があるくらいの素晴らしいグレイト・シンフォニストであったことはクラシック通以外にはほとんど知られていないのが現状という所に留まっており、21世紀今日では余りその生前ほどに及ぶ評価は定着していないというのが事の実際でもある。交響曲も10曲も書いており、オーケストラの入念で気の利いた扱いや処理もかなりの実力あるシンフォニストであったかを裏付けさせる興味深いものとなっている。当盤冒頭の<バビロンの陥落>序曲の、作曲者らしい不穏な半音階的なクラリネットによる導入部で始まり、生気を帯びてアレグロに終止する音楽展開の妙もこの作曲家の陰の実力ぶりを知る上での今後のクラシック・コンサートでの恰好なコンサートピースになろうことも大いに期待できうるものがある。交響曲第3番も、ベートーヴェンの傑作である第5番<運命>からの意識的とも見て取れる調整選択と重厚な響きに覆われ、演奏効果も高い優れたナンバーであることの確かさは拝聴すれば耳に明らかに印象付けられ焼付くことだろう。1828年4月6日の復活祭(=イースター)に日曜日に、作曲者が宮廷楽長の座・ポストを得て間もない頃のカッセルの地で、作曲者自身の指揮で、レオの<ミゼレーレ>やベートーヴェン<第九>となど共にプログラム上で初演され大変に好評に終わったとされるいわくつき作品であると同時に作風様式の記念碑的到達点を作曲者にもたらした野心に満ちた力作・労作でもあった。その評価は初演以後19世紀の至る所でのコンサートで素早くスタンダード・ピースとして人気・演奏需要が定着化し、メンデルスゾーンやワーグナーも好んで自身のコンサートで当作をその解釈者として取り上げたと言われる、シュポーアの生前から大変に不動な人気ぶりを博した成功作であった様である。当盤の演奏も、壮大で重厚な表現力はやや後退してはいるが、その分、細部の目立たない響き・部分を強調視させ、柔軟で聴きやすい耳に心地よい室内楽的と呼んでも差し支えのない演奏ぶりを披露している創意工夫と姿勢ぶりが強く窺える。1839年頃に、ロンドンのフィルハーモニー協会からの委嘱で生れ出たとされる交響曲第6番の方も、第3番ほどではないにしろ、過去のバロック・古典派の巨匠たちの作品への賛美とオマージュというユニークで魅力溢れる作品に仕上がっており、4つの副題の付いた各楽章は、内容的にも構成的にも興味深く、そこに聴かれる和声表現およびそこから醸し出される響きの妙は、紛れもなく当時功なり名を遂げた作風の円熟の絶頂期・最盛期にあっただろうシュポーア自身の個性でありオリジナリティそのものの輝きであったと言えるものがあろう。第3番と第6番の組み合わせによる音源はかつてマルコポーロ盤があったくらいで、それと当盤を比較する時、耳に心地よく入り込んで柔軟性に富んだ音楽作りをしていると思わせられるのが当盤に聴かれる方であり、マルコポーロ盤の様な余りにも過度に強烈な印象の音楽演奏をしている様子は窺えないが、シュポーア音楽の特徴であるおおらかな和平さに満ちた古典的で、その生前の作曲上の偶像的模範であったとされるモーツァルトの音楽の持つ単純でいて質の高い音楽作りを意識的に行っている良い好例であると言えるものが認められる。生前にシュポーアの音楽は19世紀当時相当な影響力を持ち、後の世代の作曲家たちに絶大なる印象を誇ったと言われるが、作曲者自身の死と時代の変遷によってその音楽は次第に忘れ去られていったというのは実に21世紀現在の音楽史的観点からみると惜しい音楽的・文化的損失であったと言えなくもないが、そうした作曲家の例は、なにもシュポーア一人に限定されるものではなく、死後に急送に廃れて忘れられていったという例は時代を問わず、17世紀にも18世紀にも、そして19世紀にも無数に相当数存在したはずである。そんな中でも、シュポーアは当時最高のバイオリニストと評価され、名声・実力共にベートーヴェン以上であったことは確かな事実である様だ。21世紀現在、彼の作品表の中で機会的に演奏されるのは、ヴァイオリン協奏曲第8番<劇唱の形式で>や、いくつかの目立たない管楽器と弦楽器による室内楽作品程度のものであり、いまだもってこの作曲家の全ての姿・真価が高く評価されて頻繁に顧みられているとは言い切れず、それは今後の未来の演奏家たちや演奏事情の発展に期待するしかないものと言えるものがある。ある意味でシュポーアという作曲家は保守派の代表・重鎮でもあり、当時自作に半音階的な響きを取り入れて、当時の一般市民・音楽ファンを驚かせもしたというが、オペラにワーグナーに先立ってライト・モチーフを取り入れ、弦楽四重奏を2組編成にしたり、オーケストラを2重表現したり、自身が考案したと言われる「指揮棒」を使って指揮をしたりなどユニークな当時の誰もが気が付かなかった常に新しい試みを多少のリスクは覚悟で堂々と意識的にやってのけたという目覚ましい作曲家はシュポーア特有の、強い作曲家としての気鋭な前衛ぶりを誇ったユニークな発想を多く持っていた時代の寵児として今後もその作品の評価が高く顧みられる時代を迎えてほしいと、当盤に収録されたこの作曲家の意欲旺盛ぶりな力作・労作の存在から意味深長ですらある個性的なスピリチュアルメッセージを感じ取ったまでである。そうした意味でも、当盤はシュポーアの最も聴いて楽しい音楽所産ですらある第3番と第6番の交響曲を一枚にカップリングしてくれてあるので、コンパクトでいつでもどこでも手放さずに携帯して、時間があれば手軽に聴いて楽しみたいと思わさせられる重宝する演奏・質の両点で高評価できるベストな一枚であると言い切れるものがあろうと悟らされたのであった。今後とも、シュポ―アという多作家の、この素晴らしいシンフォニストとしての再評価が期待されてゆくことを願うのみである。

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     2015/11/25

    バルト海にのぞむラトビア生まれのロシア人名指揮者ヤンソンスの振った最初のニューイヤー2006年度。初登場とは言え、さすが巨匠とだけ高く評価される人望の厚みを感じさせもする、ニューイヤーコンサートの重要性と定義を完全に知り尽くしている感が否めない素晴らしい選曲のニューイヤーとなった。2006年はあの天才モーツァルトの生誕250年の節目に当たったアニヴァーサリーイヤーであった。モーツァルトの言わずと知れた名作歌劇<フィガロの結婚>序曲や、大変珍しいウインナワルツの祖ヨーゼフ・ランナーの筆になる隠れた傑作とも言うべき内容のワルツ<モーツァルト党(=モーツァルティアン)>をプログラムの中で豪快に演奏して、この年2006年度のモーツァルトイヤーの重要性を強調視させる工夫を堂々と行った。その他にも、モーツァルトの有名な交響曲第40番第1楽章のため息のモチーフを取り入れた鮮烈に響く内容の<芸術家のカドリーユ>や、粋でノリノリなテンポのギャロップ<愛のメッセージ>や、あまり頻繁には演奏される機会の少ないオペレッタ<二ネッタ公爵夫人>の第3幕で演奏すべく作曲された<新ピッチカートポルカ>、優雅でシンフォニックな曲調の<スペイン風行進曲>、壮大な目まぐるしい転調の連続によって大胆・豪壮で独自の音楽空間を造り上げた<狂乱のポルカ>、聴衆の笑いを受け狙いしたとも見て取れる携帯電話の着信を取り入れた滑稽な演出で表現した<電話のポルカ>、名作オペレッタ<ベネチアの一夜>のモチーフで固めた着想豊かで突きることのない楽しいメロディー続出の<入り江のワルツ>では、曲の聴かせ所となるさびの部分でチェロの対旋律を織り込んで優雅にうっとりとしたウイーン音楽の世界を独自な解釈で見せつけもした。その他にもプログラム第1部では、言わずと知れた名作ワルツ<春の声>と<芸術家の生涯(=芸術家の生活とも)>を聴かせてくれるのが嬉しいプログラム選曲内容となって充実さを増している姿勢が窺える。初登場にしては意欲的で素晴らしすぎる選曲演奏であるが、その点こそが巨匠ヤンソンスの初めからたくましく輝く個性の独自の主調とオーラの輝きでもあるのは誰もが否定できない事実であろう。まさにウイーン音楽を聴く極め付けのこれまでのニューイヤーでは決してありえなかった出来映えに仕上げられた名演の数々に酔わされた瞬間であったと思う。やはり新年最初のおめでたい元日の夜はウイーンフィルのニューイヤしかないとー考えさせられもした内容豊かで楽しい一夜であったとヤンソンスの精力的な指揮ぶりとウイーンフィルの団員奏者のえ演奏をこうしたまとまった形で教えられた様に思う。細部の細部に至るまで徹底してこだわり抜いたコンサート・ドラマツルギ―の圧巻を見る様な光景と演奏であった。これ以上にはないシュトラウス・ファミリーやランナー作品で構成された素晴らしいコンサートであったと改めてここで再高評価したい思いにさせられる今日この頃にある次第である。きっと2016年のニューイヤーでもヤンソンスの素晴らしい芸術的音楽感性がきらびやかに舞うシュトラウス・コンサートを造り上げてくれるのはほぼ間違いないと心から早くも期待してもいる。また個々の作品の演奏の質もウイーンフィルの名手たちの腕前と技術を最大限に発揮させて素晴らしいものになるであろうことが予測されるというものである。やはり「一年の計は元旦にあり」という格言がピタリと当てはまる思いにさせてくれるコンサートの体裁を新たな趣向と魅力で料理して世界中70ヵ国4億人のお茶の間の心に届く祝賀の会を造り上げて新年最初の日の一夜を盛り上げてほしいと希望するまでである。

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     2015/09/24

    ヤンソンス2度目の再登板となった2012年の元日を奏でぞめしたウイーンフィルのニューイヤー。選曲も大変素晴らしくこれまでのニューイヤーの中でも最高の名演に酔わされたといっても過言ではない意欲的なスパイスの効いたコンサートに仕上がった。1890年1月12日にウイーンの環状道路沿いに落成した新市庁舎での舞踏会のために作曲された世紀末の香りが色濃く漂うワルツ王シュトラウス2世の愛する故郷ウイーンの街に捧げられた、事実上のオーストリア第2の非公式の国家であるワルツ<美しく青きドナウ>を効果的に引用させた優雅なワルツ<市庁舎舞踏会>と、当時シュトラウスの最高のライバルと目されたツィーラーの勇壮で優雅な曲調のワルツ<ウイーンの市民>の対比による1890年1月12日の新市庁舎の大ホールでの歴史的舞踏会の演奏の再現や、、同じくシュトラウス2世の有名ワルツ<楽しめ人生を>とヨーゼフ・シュトラウスのフランス風ポルカ<芸術家の挨拶>の1870年1月15日のウイーン楽友協会落成の歴史的式典コンサートの演奏の再現、恐らくニィーイヤーコンサート史上初の試みとなる<ピッチカート・ポルカ>の打楽器の加わるオリジナル・バージョンでの演奏、1987年の伝説的とも言われたニューイヤーでの帝王カラヤンの演奏に接近した名演を展開したヨーゼフ・シュトラウスの傑作の真髄であったワルツ<うわごと>や、1992年のカルロス・クライバーのニューイヤーでの演奏にこれまた接近した大胆な解釈を見せるポルカ・シュネル<雷鳴と電光>など、これまでの過去のニューイヤーの数々の伝説的を創り上げたマエストロたちの演奏を乗り越える野心的な演奏など、これまでのニューイヤーに見られない独自の斬新な工夫と解釈で描き切られたシュトラウス王朝の名曲にまとまって触れられる待望のきっかけを創り上げた巨匠ヤンソンスの演奏ぶりはとても清潔感に富んでいて、聴き手の期待を裏切らない、いずれの曲を取ってみても従来のニィーイヤーの壁を大きく乗り越える特有な魅力と特徴、音の伝統を併せ持った演奏ぶりとなった。こうした演奏が可能にたらしめたのも、ヤンソンスのシュトラウス音楽への愛着と造詣の深さ、思い入れの度合いが顕著なまでに強かったからであろう。ヤンソンスの繰り広げる解釈と要求に機敏に応えるウイーンフィルの団員の融通の利いた柔軟な演奏もこの2012年のニューイヤーの大きな聴き所・見せ場でもあった。2006年の最初の登場の時よりも格段に成長・進歩したロシア人指揮者ヤンソンスの姿を随所に確認できた2012年の初めを飾る楽しいニューイヤーとなった。その他にも、1991年のクラウディオ・アバドのニューイヤーのプログラムの終盤で演奏されたエドゥアルト・シュトラウスが、ジョルジュ・ビゼーの名作オペラ<カルメン>の動機を巧妙に織り込んで鮮烈に響く様に意図的に工夫を施し編曲した<カルメン・カドリーユ>なども、一音一音慎重に音符を確認しかみしめるかのような姿勢の音の運びとテンポで存分に聴かせてくれたのもなんとも言い様のない見事な職人芸的造形ぶりが窺える演奏となった。来年2016年に3度目のニューイヤーの指揮者に内定している巨匠ヤンソンスの凝った選曲と演奏ぶり、および独自の野心が輝く足音が早くも今から聴こえてきそうな期待感に満ちた予感を漂わせているような雰囲気がある。きっと世界の聴衆たちの耳を満足させ唸らせる艶やかなゆとりのある筆致の演奏になる味わい深い極上のコンサートのドラマツルギ―を行ってくれるに間違いないと心から期待してこのレビュー文章の筆を置こうと思う今日この頃にある。

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     2015/01/26

    かくも多くのシュトラウス王朝の名曲の数々を正統な演奏水準で録音した魅力溢れるウインナワルツのベスト・セレクションと言うべき、指揮者の帝王カラヤンの遺した貴重な名演の至宝の数々である。ウイーンフィルよりも重厚なドイツ最高のオケであるベルリンフィルと円熟の頂点にあったであろう晩年期のカラヤンのコンビネーションによるウイーンの大衆音楽に対する造詣の深さを堪能・咀嚼できる何度聴いても退屈させない聴かせ上手なものばかりである。ウイーンフィルの演奏が女性的で繊細とすれば、ベルリンフィルの演奏は男性的で重厚・シンフォニックですらある。兄のヨハン2世よりも音楽的才能があり、兄以上の美しいメロディーラインを書きえたとされる夭折した不世出の才人であったシュトラウス家の2番手ヨーゼフ・シュトラウスの名作であり続けているワルツ<天体の音楽>や<うわごと>などの演奏も文句無しの理想的に釣合のとれた好演と言えるだろう。この様な演奏を可能たらしめている支柱および背景には、カラヤンの音楽哲学観および美学とその最も崇高で完全な体現者である手兵のベルリンフィルの名手たちの存在があったからだと言えるだろう。ベルリンフィルの演奏もいつもと異なりウイーン的な遊び心および音楽をすることの楽しみにもたけているのがこの2枚の価値あるディスクの随所に聴かれ溢れ出ている点が窺える。選曲も名曲ばかりでワルツの大成者ヨハン・シュトラウス2世の最も完全で美しい陶酔美を放つ歴史的な時代にウイーンという音楽の聖地で生まれ出たものばかりで、その演奏ぶりは至極見事の一言に尽きる。この当ディスクに収録された多数のウイーン舞曲の存在によって、今まさにかつて19世紀という激動の時代に放たれたウイーン音楽所産の本質美が形を変えてよみがえることを勉強させられる魅力をも併せ持っているのは何と楽しい生きる喜びと生気に満ちていることだろうか?まさに持っていて決して損はしないウイーン音楽通の必聴・必携のアイテムだと言えるに間違いない!大迫力でワルツやポルカなどのウイーン音楽を楽しみたい人には絶対にうける演奏だろう点に間違いはい。

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