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wakei さんのレビュー一覧 

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  • 21人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/08/10

    バイロイト・エディションというのに、どうしてパルジファルだけ入っていないのか。最初何かの間違いだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。当初パルジファルは、バイロイト以外では上演禁止だったくらいの作品なのに。演奏は周知の優れたものだが、ボックスとしてどうか。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/10/10

    やっと全部聴き終わった。演奏は戦後の選りすぐりのものなので、文句を付けるものはない。そういう意味では、聴き応えのあるボックスだった。しかし、構成としては、不満がある。それは、選ばれていない指揮者がいること。総監督だったマゼールと、2番目に長く音楽監督を務めた小沢が、全曲だけではなく、2枚のハイライトのほうにも出てこない。ウィーン国立歌劇場の歴史の俯瞰という意味があるのに、これはないだろうと思う。音楽監督ではないのに、選ばれている指揮者が3人いるのに。ネルソンス、ティーレマン、コボスの3人だ。それから、カラヤンの選曲にも不満がある。個人の好みかも知れないが、「フィガロの結婚」は、ほぼ同じメンバーのセッション録音があり、そういう点なら「ドン・カルロ」にしてほしかった。歌手は重なっていても、オケがセッションのほうはベルリンフィルだからだ。聴き比べの妙は「トン・カルロ」のほうが大きい。それから、フィデリオではなく、「タンホイザー」にしてほしかった。カラヤンのフィデリオはあちこちの録音があるが、タンホイザーは唯一欠けたワーグナーで、海賊版のウィーンライブがあったが、正規音源で加えてあれば、これだけでも購入する人がいたのではなかろうか。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2019/08/27

     待ちに待った製品がやっと出たという感じだ。以前韓国ソニーが39枚組のセットを出したとき、本当にほしいのはコンプリートだと書いたら、賛同意見と共に、今のソニーはそんなことしないのではないか、というコメントがあったので、半ば諦めていたが、この長い期間は、リマスターのために必要だったのだということが、解説でわかる。ワルターのCDは音で散々批判されてきた。韓国ソニーのCDセットは、以前のものよりかなり音がよくなった気がしたが、今度は、ワルターが望んだような音になるのだろうか。早速注文した。とにかく期待したい。
     私は子どものころ、まだ家にあるレコードがSPで、ワルターのウィーンフィルの演奏でクラシック音楽を聴き始めた。その後LPでもワルターが中心だった。ニューヨーク・フィルの第九を散々聞いたが、CD化されたその演奏は、記憶にある演奏とはかなり違っていて、とくに音の潤いが消えている。だから、晩年のステレオもそうだが、とくにニューヨーク・フィル時代のベートーヴェンとブラームスのリマスターに期待している。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/06/28

    アバドのベルリンフィル録音のすべてと銘打っているし、箱にもcompleteと書いてあるが、ベルリンフィルとのベートーヴェンの交響曲全集は、2種類あるはず。アバド2度目、ベルリンフィルとしての初の全集が入っていないのは、どうしてなのか。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/12/20

    演奏については、今更いうことはないので、触れない。かなり重なってはいるが、偉大な指揮者に敬意を表して購入した。330枚のCDがどのようにはいっているのか、どのようにとりだせるのか、大いに気になったが、コンパクトにするために、かなり無理をして、便利とはいいがたい形態になっている。写真では上下2段になっているが、実は更に前後2段になっていて、合計4段につまっている。80枚程度の企画の場合、細長い箱にはいっているが、それが4個分になる感じであるが、箱は実際にはない。ということは、上下はいいとして、後ろ側のCDをとりだすためには、箱をひっくり返す必要がある。だから、棚に全体を収納しておくとすると、一度とりだして箱をひっくり返して、探す必要がある。これはかなり不便に感じる。それを避けるには、棚等に収納せずに、むき出しにしておく以外にはない。できたら4つの箱にいれて、それぞれ分解して収納できるようにしてほしかった。そうすれば、かなり利便性があがるような気がする。これだけたくさんのCDがあれば、探すだけで大変だし、とにかく重いのだ。不用意なもち方をすると、腰を痛めそうなほどだ。
    以前日本のグラモフォンがカラヤン全集を発売したときには、30万円以上して、大きな本棚のような棚にはいっていたような気がする。さすがにそれは購入しなかったので、正確ではないが、値段が3分の1になったのはよいが、やはり、利便性は大いに低下したと思う。
     それから驚いたのは、330枚という数のためだろう、CDもDVDも非常に薄い。こんな薄いDVDは始めてだ。折れやすいというようなことはないのだろうから、それだけスペースを配慮したのだろう。いろいろと工夫していることは感じた。
     この全集のことではないが、これだけカラヤンで関係各社がいまだに企画し、儲けている(のだろうと思う)のに、ソニーは一体何をやっているのだろうか。カラヤン晩年の映像は多くがソニー管理になっているはずであるが、カラヤン死後、まとまった全集の形ででていないと思う。多くは既にもっているが、入手しにくいものもあるので、ぜひ全集として出してと思う。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/09/28

     ベートーヴェンがLPで発売されたとき、早速聴いてみたが、オーケトスラの序奏部分の圧倒的な力感に打ちのめされたことをよく覚えている。もうずいぶん前のことになるが。ただ、ソロが入ってくると、何となくエキルギーが下がるような気がして、曲自体には感心しなかったし、今でもそれは変わらない。ところで、「写真」事件がいろいろな人によって書かれているが、私はかなり誤解があるのではないかと、ずっと思っている。当時のレコードには比較的詳しい解説があったのだが、このレコードは、録音の成立事情なども含めていろいろな逸話も載っていた。レコードそのものはもっていないので、詳しいことは覚えていないが、リヒテル、オイストラッフ、ロストロポーヴィッチの3人に、ソ連の録音関係者から、この曲の録音の提案があり、三人が指揮がカラヤンならOKという条件をだし、カラヤンが承諾して、実現したと書いてあった。カラヤン自身の発案ではなく、頼まれ仕事だったわけだ。だから、当初はカラヤンが普段録音しない会社から出たと記憶する。それから、録音中のトラブルについても書かれていた。それは、第二楽章に関して、リヒテルとオイストラッフが解釈上の違いが表面化し、本番テイクのあと、どちらかが取り直しを要求し、一方がいまやった解釈がいいのだといって、譲らなかったというのだ。(二人が取り直しを要求したのをカラヤンが無視したというのは、私の記憶では間違っている。)そこで写真の提案をしたと書かれていたかどうかは、記憶にないのだが、私の解釈では、結局、ふたつのまったく反対の要求をされたカラヤンとしては、どちらをとっても、他方の面目をつぶすことになってしまうので、裁定を避けたのだと思っている。正直、頼まれ仕事なのだから、どちらの解釈でもいいと思っていたのではないだろうか。カラヤンという指揮者は、そもそもこのレベルのソリストについては、相当自由な解釈を許すタイプであり、どちらかの解釈が自分に近かったとしても、ここではそれを明示することが、決してよい結果をもたらすものではないとして、「写真」という演奏に関係ないことを持ち出したのだろう。演奏より写真というようなことではなく、大人のトラブル対応をしたのだと私は思っている。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/03/20

    早速注文した。オーマンディのボックスを待っていたが、ソニーの20世紀やチャイコフスキー、シベリウスという「特殊」な曲目に限定したものではなく、こうした広範な曲のものを期待していた。しかし、本社ソニーの企画ではないことが多少残念だ。ここでは、既に著作権の切れた録音が選ばれているのだろう、1960年代前半までのものに限られている。しかし、ブラームスやベートーヴェンまで部分的ではあるが含んでいるのがよい。オーマンディのブラームスやベートーヴェンは評価しないという向きが多いようだが、来日のときに、「英雄」の最初のふたつの和音だけで、30分もフィラデルフィアのオケをしごいたというのは、有名な話だ。こうしたドイツものでも、オーマンディを聴きたかったのだが、残念ながら、「ピーターと狼」がないのが惜しまれる。私のオーマンディ初体験はこのプロコフィエフだった。4月発売ということだが、待ち遠しいし、オーマンディの再評価がなされることを期待し、60年代後半以降のボックスがもっと網羅的なものとして発売されることを期待している。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/26

     クレンペラーのモーツァルトであり、CDで聴くオペラだと感じた。最近はオペラはほとんど映像で視聴するので、ドラマ的要素や台詞、仕種などが大切だと思うが、CDでは純粋に音楽だけを聴くので、こうした演奏もありなのだろう。クレンペラー自身がオペラ劇場でこのような演奏をするのかどうか、興味深いところだ。そういう意味で最も成功し、かつ優れた演奏が「魔笛」だと思う。少なくとも私はドイツ語の台詞を聞いて楽しめるほどの語学力がないので、台詞の妙を楽しみたいときには、字幕付きの映像を選択するから、このように台詞カットはかえって鑑賞しやすくしていると感じる。演奏も数多い「魔笛」の中でもベストのひとつだろう。次にすばらしいのは「ドン・ジョバンニ」で、重い音楽が好まれたらしい19世紀にも、演奏され続けた数少ないモーツァルトが「ドン・ジョバンニ」だったようだが、そういう重さがクレンペラーにあっている。「フィガロ」は、楽しめたところもあったが、そうでない部分も少なくなかった。例えば、2幕で伯爵が夫人を詰問し、一転スザンナが現れて形勢逆転するところなど、音楽を聴いてもはらはらするところだが、そうした切迫感がまったくなく、ただりっぱに演奏している感じで、ドラマと無関係な音楽として楽しめれば、これもありなのかと思うが、やはり、有名な場面でもあり、どうしても物足りなく思ってしまう。それが全体的に現れたのが「コジ」で、そもそもこのオペラから笑いをとってしまったら、何が残るのかというほど、笑いと微妙な感情の移り変わりが大事なわけだが、とにかくまじめに演奏しているという感じで、おかしな落語なのに、しかめつらの講釈師が語るので、少しも笑えないというような演奏だ。
     要するに、今ならば、ライブ上演を記録するのが普通な時代であるが、そのような「今」でも、純粋に聴くべき音楽としてセッション録音されたCDとして考えれば、通常とは違う魅力を伝えてくれるものなのだろうと思う。非力な歌手は存在せず、すべてがりっぱに歌われている。そういう特別なモーツァルトだと思う。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 31人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/04/28

     このポリーニショパン集を評価するのは、実は音楽に何を求めるのかを問われることなのではないだろうか。若いころのポリーニは機械的だという評価と、近年円熟味を増して真に巨匠になったなどという評価は、個人的な受け取りだから、ありえないわけではないが、ポリーニが聞いたら驚くような、的外れなものだろう。
     ポリーニの若いころの演奏は、完璧な技巧だけではなく、作曲家に寄り添った高い音楽的解釈と、それを完全に表出するコントロール力という、すべての演奏家としての要素を極めて高いレベルで総合させた比類ないものだった。練習曲集につけられた「これ以上何をお望みですか?」というキャッチコピーはまさしく、この演奏を的確に表現したものだった。そのコピーが印刷された帯付きのLPレコードを購入し、散々聞いたものだ。しかし、そうした完璧さをもった演奏は、この中では4番目までである。5番目のスケルツォは過渡期であり、6番目のバラード以降は、ポリーニは全く別人になってしまった。しかし、それはよく書かれる練習不足とか、音楽家としての堕落では決してない。おそらく1990年前後、ポリーニの50歳代での腕の故障が原因である。私はプロの作曲家である知人から直接その情報を得たが、技術的な問題もそうだが、精神的な動揺が深刻であったという。その少し前だったと思うが、日本のテレビに登場していろいろと話をしていたのだが、ポリーニはとにかく時間がある限り練習をしており、すべての練習は作曲家の意思を正しく表すための解釈のためだと言っていた。この練習のしすぎが腕の故障の原因だろう。どんな人間でも決して逃れることのできない肉体的衰えと故障の時期が重なったために、さすがのポリーニも急速に技巧的な衰えを示すことになった。91年のスケルツォから99年のバラードまで、8年の空白があることが、この間のポリーニのもがき苦しむ精神を想像させる。ベートーヴェンなどはだしていたが、有無を言わせぬ名演は全く現れなくなった。

     私はポリーニ全盛時代にNHK交響楽団に登場したときのライブを実際に聴いたことがある。ショパンの2番の協奏曲であり、アンコールとしてバラード1番を弾いた。この演奏会は、人生の中でもっとも印象的な忘れることのできないものだった。カラヤンの第九やクライバーの薔薇の騎士、ボエームも聴いたが、感動の強烈さという点で、ポリーニの方が遥に上だった。あんなに美しいピアノの音は前にもあとにも聴いたことがないし、(数年間同じ席で様々なピアノ協奏曲と演奏家を聴いたが)特に第二楽章の夢見るような夜想曲には、恍惚となるような思いがした。そして、バラードは、神秘的な雰囲気の音から、強烈なダイナミズムまで、信じられないような完璧な技巧と解釈で惹きつけた。舞台上のオケの人たちが、完全に熱狂する聴衆と化してしまったが、あんなオケの人たちの反応は、映像を含めて一度もみたことがない。世界的な演奏家と頻繁に演奏している彼らがあれほど熱狂するのだから、そのすばらしさが想像できるだろう。
     しかし、私がCD時代になって買ったポリーニは、70年代の演奏ばかり集めた12枚組のボックスと、EMIのショパン名曲集だけだった。(LP時代には、練習曲集の他に、練習曲集・ポロネーズ・前奏曲の3枚組セットと18歳のときの協奏曲1番を買って、いずれもよく聴いていた。)これは、一枚とて駄作はなく、聴く者を圧倒するような演奏ばかりだ。しかし、80年代以降、特に90年代にはいってからの録音は、怖くて聴く気がせず、ずっと避けていた。故障後のポリーニの評価は散々であり、幻滅を感じたくなかったからである。
     しかし、バラード以降の演奏を好む人が少なくないこともあるが、私自身の大学での取り組みとして、「躓きと立ち上がり」というテーマでのゼミ活動を始めたことから、このセットを購入する気になった。50代で故障したポリーニには、決して以前のような完全な演奏ができないことは、本人も承知していただろう。生活に困ることはないはずだし、音楽大学の教授職はいくらでもあったろう。しかし、演奏家としての道を捨てず、罵倒のような批判を受けても、レコーディングもしてきた。その理由を探りたかったのである。

     このバラードを聴いたとき、自分が表現したいことを実現できない、もどかしさを感じているポリーニを強く意識せざるをえなかった。私が実演で聴いた1番のバラードの圧倒的な構えの大きさと繊細な表現を合体させた演奏に比較すると、多少スケールが小さいが、EMIの演奏は、ホロビッツ、アシュケナージ、アルゲリッチなどを寄せつけないほどのすばらしさだ。おそらく比肩するのは、ツィンマーマンだけだろう。99年のバラード1番は、EMIと比較すると、ポリーニの焦りがにじみ出た演奏になっている。表現意欲が空回りし、躓きそうになるのだ。

     世評の高い夜想曲集も、30代にいれてくれたら、ほんとうによかったと思う。超絶技巧を要求する曲ではないから、技術と表現意欲の破綻めいたところは感じないが、やはり、草書体的装飾句の滑らかさが破綻するところが少なくない。あまり違わない時期の同じグラモフォンでのピリスの夜想曲集の方がずっと魅力的だ。

     CD9には、唯一重なっているソナタ2番がはいっている。これも、84年の演奏では、実にきめ細かいニュアンス付けがなされているのに対して、そうしたコントロールが弱くなっている。

     結論的に、6以後のCDはポリーニという名前がなければ、会社が発売したかどうか、わからないと思う。だが、価値がないのか。演奏だけの価値なら、かなり低いといえよう。しかし、私たちが、音楽を聴くのは、単に演奏の純粋なすばらしさをえるためだけではないのかも知れない。
     ルツェルン音楽祭で、アバドとベートーヴェンの4番の協奏曲を演奏しているビデオをみたことがあるが、聴衆は本当に暖かい拍手を贈っていた。おそらくヨーロッパの聴衆、この会場には一流の演奏家もたくさんいたが、アバドも含めて身体的問題と闘ってきた二人の人生を知っている人も多いのだろう。そういう姿から、勇気を感じることができるのも確かだ。あれほど完璧な演奏家だった人が故障でどん底に陥り、以前の姿を取り戻すことは決してできないが、しかし、新しい何かを求めて努力している、その過程を示すものとであるがゆえに、確かに感動も与える、そういう性格のものなのだろう。

     このボックスはポリーニの栄光と挫折、そして、立ち上がりの苦悩の跡を確認するものとして、やはり大きな意味をもっているとと思う。

    31人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/02/26

     バラではほとんど出ていたものだが、今度まとまってボックス化されたので、早速購入した。まだ全部は聴き終わっていないが、子どものころの思い出が蘇った。実は私が初めてクラシック音楽を聴き始めたときには、まだSPだった。LPは既に出ていたが、家が貧しかったので、昔のレコードをまだ聴いていたわけだ。2、3年たって、LP用のセットを揃えて、LPレコードを買い始めたのだが、その前に聴いていたSPは、トスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルター、メンゲルベルクなどであり、とりわけ、このセットに入っているワルターが中心だった。その後、いろいろ聴いたが、ワルター・ウィーンフィルのSPのアイネ・クライネを凌駕する演奏には出会っていない。ここの読者諸氏で、SPを実際に聴いたことがある人は、極めて限られていると思うが、回転数が速いために、ノイズはあるものの、音そのものは、かなり艶があるものだったのだ。久しぶりにこのアイネ・クライネを聴いて、SPの雰囲気がすべて出ているとは思えないが、やはり、演奏のすばらしさはピカ一だと思う。とくにすばらしいのが、メヌエットのトリオだ。
     今回初めて聴いたのが、プラハなのだが、これにはびっくりした。ワルターはモーツァルト指揮者として有名だったから、主な曲は、SP、LPモノ(ニューヨーク・フィル)とステレオ(コロンビア交響楽団)と3種類があるのだが、大筋は似た雰囲気をもっており、クレンペラーのように、時期やオケによって、全く違う演奏をしたりはしない。ワルターはアメリカにわたって演奏に変化があったと言われているが、それでもワルターを思わせる部分は変わっていないように思う。しかし、3種類ある39番と41番は、少しずつ遅くなるが、1楽章を比較すると、最大30秒の範囲に納まっている。しかし、プラハだけは、ウィーンとコロンビアで1分半も違う。特に主部の速度がウィーンでは、ワルターとは思えないほど速いのだ。
     SP時代の録音は実に多くの制約があったわけだが、テンポの制約もその大きなひとつだったと言われている。SPの録音は、一面が5分だったために、5分ずつ切って演奏して録音したのだが、(ちなみに、本当かどうか知らないが、アイネ・クライネはこの5分の枠に入りやすい曲だったために、SP録音が始まって有名になったのだとか。)コロンビアの演奏だと11分だから2面に納まらない。ウィーンは9分20秒でやっているので、もしかしたら、二面に入れるために急いだのかも知れない。ワルターは、練習よりも、録音の本番になるとテンポが速くなるクセがあったと言われているが、それもこの5分の壁を意識していたのだろうか。
     ジュピターは、SPでは、展開部が終了して、再現部になるときに、音階がおりてきて、主題(ド  ソラシド、ソラシド)が帰ってくるのだが、一面の終了が、この(ド  ソラシド、ソラシド)で、2面がまた、(ド  ソラシド、ソラシド)というように、主題から入ってきたので、楽譜の読めない小学生としては、(ド  ソラシド、ソラシド)が2回繰り返される曲なのだと思っていた。LPになって、それがSP特有の録音の制約から生まれた苦肉の策だったことがわかり、昔は録音も大変だったのだと思いを新たにしたことを思い出す。だから、マーラーのライブというのは、SPではかなり奇跡的といってもいいほどの困難を実現したので、このように、残っていること、特にこのマーラーの9番は、ナチの台頭によってウィーンをも追われることになったワルターの歴史的な演奏会なわけだから、本当に貴重な記録といえる。また、ワルキューレは、ナチのために中途半端になったが、史上初めてワーグナーの全曲録音の計画で行われたものという意味でも貴重な記録だ。
     音やSPだったものだから、いいはずがないが、聴いているうちに、あまり気にならなくなったのは不思議だ。最初の体験がSPだったからというものあるかも知れないが。
     いずれにせよ、世紀の代指揮者ワルターの若いころの演奏で、ひとつの時代をつくったものであり、できるだけ多くの人に聴いてもらいたいものだ。音を考えれば、5つ星は無理だが、歴史的意味と演奏のすばらしさで4つの価値はあると思う。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/02/26

     やっと買えたという思いだ。中学生だったころだと思うが、まだLP時代で、25センチのLP3枚組のピアノ協奏曲集があった。フライシャー・セルのコンビによる皇帝とグリーク、フィリップ・アントルモンとバーンシュタインのチャイコフスキー1番という組み合わせだった。特に北欧的なひんやりとした味わいを出したグリークに惹かれていたが、皇帝も実に引き締まった感じの演奏で何度も聴いたものだ。ちなみにアントルモンとバーンシュタインのチャイコフスキーは、その後ほとんど話題にもならず、現在HMVのカタログに載っていない。しかし、非常に印象的な箇所があり、いまでも記憶している。1楽章の中間部あたりでティンパニーのトレモロのあとに、弦がユニゾンでゆったりしたメロディーを弾きだし、ピアノと掛け合う場面があるのだが、そこでティンパニーのトレモロの前と弦が入る前に、バーンシュタインはためがあるのだが、それが非常に効果的なのだ。しかし、他の演奏ではそうしたためをいれるのを聴いたことがない。ぜひあの演奏も復活させてほしいものだ。

     このレコードのあと、フライシャーの名前は全く聞かなくなり、そのうち手が故障したというニュースがあって、なかなかCDにもならず、諦めていた。すると、21世紀になって、回復したというニュースがあって、更に驚いたわけだ。レコーディングなどができるほどの復活ではないのだろうか。ぜひ、復活後の演奏も聴いてみたいと思う。
     この演奏だが、まず技巧がしっかりして、セルに埋没するわけではなく、しっかり自己主張しているが、音楽の方向がセルと全く一致しており、「協奏曲」の演奏はこういうものだという印象を受ける。若かったころのアバドとポリーニなど、これほど体質の違和感を感じさせない演奏は、それほどないと思う。そして、全体としてセルの伴奏のすばらしさが、このCDの最大の売りだろう。セルだから、意外性などはほとんどないが、こうあってほしい、あるべきだ、というイメージが実現している、それでは面白くない、と思いがちだが、しかし、実現している演奏がすばらしいので、「これだ!」という気持ちになる。そんな演奏だ。

     グリークとシューマンの演奏もすばらしい。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 13人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/09

     かなりの演奏をLP時代からもっているし、演奏がすばらしいことはいうまでもないことなので、星5つは当然だが、本当に待っているのは、コンプリートだ。今年はいよいよワルター没後50年。だからコンプリートが出るだろうという願いをこめて、昨年来ぼちぼち出ている、こうしたテーマ別ボックスを買うのを控えているのだが、トスカニーニの予告はあったのに、まだワルターが出てこない。その代わりにこのマーラーとEMI録音集成だ。
     もしコンプリートの予定がないなら、かなりだぶっても、処分してしまったLPもあるので購入するし、その価値は十分あるのだが。
     ソニーも世界企業なのだから、ファンのために十分な情報提供をしてほしい。小出しのあとに、コンプリートなんてのはなしにしてほしいと、多くの人が思っているはず。
     ただ、演奏は絶対推奨だ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/03/22

    有名曲ではないので購入した。もっともまだほとんど聴いていないが、録音はよさそうだし、近々じっくり聴きたいと思っている。できたら「セヴィリアの理髪師」はロッシーニではなく、他の作曲家(何人か作曲したはず)バージョンのがよかったし、ヴェルディは、改定されていまは演奏されないバージョンなど、もっと有名曲ではないものの方が、この企画の趣旨にはあっている。有名曲は、いくらでもあるので、この企画に拍手したい。

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