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和愚練庵 さんのレビュー一覧 

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     2015/07/13

    商品は4枚入りジュエルケース2セットが、紙製BOXに入れられています。2セット目のケースのフタが、スリムケースのフラップ状になっていて、裏表にDisc FiveとDisc Sixが納められているので、5枚収納となっています。
    ディスクはカラフルな9色のヴィヴィッドカラーに印刷されており、トレイにのせては取り替えるという作業に楽しさを演出しています。 曲はほぼ通し番号の順に収録されており、しかもライブ録音という特性を活かして、演奏終了後の拍手を入れてあるので、ながら聴きでも何曲目が終わったのか?程度のナビゲーターの役割をしてくれるので、何番が何楽章で構成された曲なのか?どんな曲調、イメージの曲なのかというのを、繰り返し鑑賞することでアタマに入り、大変有用な配慮、イギリス人らしい気配りだと感心した次第です。
    セッションでフォルムが整えられた録音を聴き慣れた耳には、時としてタッチのミスや、指の回りがまだるっこしいと感じる場面もありますが、聴衆を前にしての感興に乗った演奏というのは、このリサイタルに参加しているかのような愉悦を感じさせてくれます。 ミケランジェリが得意にしていた4番やリヒテルの7番などにくらべると、ずいぶん男性的で思い切りのよいタッチ、骨太な演奏に一種清々しさすら感じました。 演奏家にとってベートーヴェンの全曲演奏会という、少なからぬ決意を表明した舞台を、良好な音質で記録されたというのは、ファンにとって誠に喜ばしいことです。

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     2013/01/19

    意味深長なカップリングだと思わせるディスクで、その印象は演奏によって助長されました。 作品131の第一楽章、ノイヴィーナーシューレの作品をかけてしまったのかと、錯覚に陥らせるような世紀末的不安を感じさせる始まりは、【そうでなければならぬのか?】と問いかけて来るようであり、終楽章の輝かしいばかりの楽句は 【そうでなければならぬ】と謂わんばかりの、決然とした音楽で終わりますが、作曲者によって記されたと伝えられているこれらの語句は、併録された作品135のスコアに書かれていたものだそうですが、第九の終楽章で前三楽章の調べが否定され、”An die Freude” に至る産みの苦しみを知る我々にとって、残された語句は、晩年を迎えたベートーヴェンの、須らく作品に込めていた自問自答が、作品に残影となって顕れたような印象を持ちました。
    レコーディングエンジニアの腕が優れているのでしょう、ヴァイオリン二挺の対抗配置が生きた素晴らしい録音で、この団体が作品に抱くイデーを余すところなく伝えてきます。 コペンハーゲン、リディアン、サイプレスなど、最近では後期セットのみをリリースする団体が散見される中で、この古典弦楽四重奏団のディスクは、演奏、録音共に、ひときわ優れたセットとして記憶に残ることでしょう。 
    Hi-Price設定のため、今ではこの価格だと過去の名演奏の全集が手に入る時代になりましたが、それでも尚、このディスクの価値は少しも減じられることは無いほど素晴らしいと思います。 弦楽四重奏の録音としては、テラークのクリーヴランド盤がTOPランクの素晴らしいサウンドを提供してくれましたが、このディスクはそのセットを過去のものにしてしまいました。

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     2013/01/10

    ドイツの四重奏団とは謂え、実質トップのプリシュペンコはパガニーニコンクールで優勝した経歴を持つロシア人で、団体としての誕生の地がドイツというだけで、東京カルテットがアメリカの団体という事実と何ら変わりはなく、奏法や表現にドイツらしさを嗅ぎ出そうとしても意味はありません。 【収録内容】に記載されている通り、曲によってトップを交代で務めているところに、この団体の特異性が見られますが、単に回り持ちで交代しているのか、スコアの解釈を分業制にすることで、より多様性のある掘り下げを目的としているのか、ディスクから再生される音楽だけでは判然としません。 ただ、実質的なトップが女性のプリシュペンコらしいことは想像できます。 アルバン・ベルクSQに二度も師事していたり、数学、物理学、歴史などのワークショップにも参加しているだけあって、アメリカのアレキサンダーQSや、英連邦のアングロサクソン系などの第五世代のSQに見られるニュートラルでストレートな表現とは異なり、細部にまで目配りが行き届いた読みが演奏に現われており、アルテミスとしての独自性がそこかしこに感じ取ることができます。 特に作品95あたりから明瞭に聞き分けることが出来るでしょう。 カルテットのような最小限のユニットになると、録音面でも分離が良くなり、楽器が雄弁に語りだすものですが、ハフのブラームスのコンチェルトに感じたようなアドバンテージが感じられなかったのが残念です。 それにしても、メンバーの写真を切り張りした、コラージュにもなっていない、明度と彩度の低いボックスデザインは最低だと思います。
     

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     2012/12/16

    著者は自らヴァイオリンを演奏し、作曲もこなすという多才の人で、SP時代からの弦楽四重奏のディスクを収集し、来日アーティストのコンサートにも足繁く通って、生きた情報とディスク評を織り交ぜながら、演奏団体のメンバーの変遷や、同時代の団体との交流を通した貴重な情報を、少ない紙数の中で要領よく、完結に纏められており、未知の団体ばかりでなく、既知の団体でも鑑賞の際に手許に置いてチェックするには、必要にして十分な内容となっています。 特にブダペスト、ジュリアード、ファイン・アーツ、クロノスなど活動期間の長い団体では、メンバーチェンジによって第一期〜第八期などに分け、その折々に録音されたディスクの傾向や、来日時の印象なども簡単に添えられているので、日本語解説の添付されない輸入盤や、廃盤になってしまった過去のディスクの情報を立体的に得られるので、演奏者や演奏に対して、より親近感が得られます。 各団体の紹介には、筆者が所持するディスクのジャケット写真が掲載されており、CD化されていないアナログVinyl盤は、そのジャケット写真になっています。 各団体の小見出しにはカナと英語が併記されていますが、巻末にA〜Zで纏めて一覧表記されているので、ネット検索する際には便利でしょう。  本の体裁は価格と見合うものではなく、需要が見込めないとは謂え、大学時代に半強制的に売りつけられた?レジュメといった趣を感じさせるところが痛いところ。 この【アメリカ篇】では、Jack Quartetなどクラシックの範疇というより、コンテンポラリーやクロスオーバー専門の最新の団体も丹念に拾われていて、非常に資料性が高い編集になっていることを付け加えておきます。 クワルテット・ファンは座右に必携の書としてお薦めします。

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     2012/03/30

    ジャケットには2001年テル・アヴィヴでのライブ収録と記載されています。ジャケットには『ルスランとリュドミラ』序曲、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、シューマン:交響曲第1番『春』と記載されていますが、実際はピアノ協奏曲が3番目に収録されています。 コンチェルトの第3楽章では、静かな箇所で『ゴドン』とマイクヘッドにヴァイオリン奏者の右手が当たったような鈍い衝撃音が入っていて驚かされます。スタンドマイクがあちこちに立っているので、誰かが粗相したのでしょう。 ピアノ協奏曲が目当てで購入しましたが、演奏自体はスケール感もあって立派なものですが、音質が信じられないくらいチープで、奥行きも広がりも感じられません。 ヤルヴィの指揮は、明確で溌剌とした若さがあるものの、イスラエル・フィルは平均年齢の高そうな楽員が8割方を占めていて、しなやかさを欠いたルーティンな演奏で、聴いていて心弾む瞬間は皆無(ルスランに於いてすら)でした。 ブラームスのピアノ協奏曲第2番を鑑賞するには、クーベリックかチェリビダッケ盤をチョイスし、このディスクは避けた方がお金の節約になります。

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     2012/03/19

    このディスクの興味の中心は、ヨッフムのライブということと、ソリストがラローチャという点でした。 ヨッフムは既にギレリスと素晴らしいセッションを残しており、ブルックナーで時おり見せてくれたライブでの大化けが、ブラームスの合わせ物でも現れるのか?そこが焦点でした。 先ず驚いたのが第一楽章冒頭でのピアノ。ここ一ヶ月40種ほどの同曲を聞き比べてきましたが、ラローチャのように2拍目にタメを入れて弾いているのは彼女だけで、ナイ、ヘス、バッカウアー(2種)、ブリュショルリ、シュミットなど他の女流はすべて表情はつけていないので、エキセントリックに感じました。 全曲通しての印象は、他の女流と同じで、打鍵が強く、ピアノ独奏付き交響曲などという渾名を払拭するかのように、ズシンと響く重厚な表現を目指しているように受け取れました。また、ライブというシチュエーションが、感興によって一層の力強さ、いざとなればトゥッティに張り合えるだけのチカラ技を持ってるのよと言いたげなほど堂々と渡り合ってる演奏で、優秀な録音がピアノとオケのセパレーションと融合を見事に再現させています。
    第二楽章のアパショナートもメリハリのついた素晴らしい演奏でしたが、ここで使ったスタミナは第三楽章では回復せず、終楽章後半の早いパッセージでは息切れで指の回らない箇所が幾つか出てしまったのは、ライブ故にスタミナ配分を忘れての熱演、ご愛嬌と云うところか。 ヨッフムの指揮は、ギレリスとのセッションでは男性的な第1番に比べて、2番は穏健で大人の余裕を感じさせるものでしたが、当ディスクはライブだけにラローチャの挑発的とも云えるピアノに対して、熱い血のたぎり(特に第1、第2楽章)すら感じさせる迫力あるサポートで、こうした演奏に出会えるのが、正に聞き比べの醍醐味と云えるでしょう。 プライスと内容で考えると、アンゲリッシュやハフ盤、ワンコインに近いトムシック、ナヌート盤、スグロス、タバコフ盤に比べて、積極的にお奨めできるディスクではありません。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/16

    理想的なホルンの音色に誘われてピアノが入り、柔らかいが芯のある木管が弦のフレーズに輪郭をつける、古いライブ音源では聴くことの出来ない、完璧にコントロールされた序奏に驚かされました。
    カツァリスの非凡なテクニックが、アーティキュレーションに彩り豊かなグラデーションを添え、隠れていた曲の魅力を次々に花開かせます。
    ブラームスには、時おり逡巡とも停滞とも感じる【流れ】を阻害する一瞬があり、演奏家も同様に感じているのか、特にライブなどでは、その一瞬に躓きを感じることが間々あるのですが、ここでのカツァリスとインバルの演奏には、そんな一瞬は微塵も感じさせることなく、ヴェルベットの肌触りを維持しています。
    特に早いパッセージでのピアノの粒立ちが、カツァリスらしく一音一音立っていて、優秀な録音が更に引き立てていてキラキラと輝いています。
    このディスクで最もウレシク感じたのは、第一楽章や第二楽章で、活き活きとした推進力、勢いを感じられたこと。テクニックが先行した計算高さが見えなかったこと、曲に対するリスペクトが顕れていたことなのです。
    カツァリスというネームバリューの高さに、今まで聴くのを避けてきましたが、これまでのオソーリオ、トムシック、スグロフ盤の評価を下げざるを得ない事態に立ち至ったことを恥じる次第です。

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     2012/03/14

    コンチェルトは1966年のスタジオ・セッションとのことですが、音質は大戦中のフルヴェンを思わせるような解像度の低さで、放送用のモノラル録音特有のミッドレンジを膨らませた音のため、ティンパニのロールが入ったトゥッティでは、ドロドロと団子状のカタマリに聞こえます。 バルビローリは後年バレンボイムとのセッション同様、男性的で力強いバックで立派なブラームスを再現していますが、肝心のオグドンは第一楽章の入りからモタついた感じでオケに乗れず、第二楽章のアパショナートでも特に力強い打鍵で惹きつけるでもなく、特徴も閃きも感じさせないまま全曲を終えていて、ワンコインのトムシック、ナヌート盤の足元にも及びません。 このコンチェルトのコンプリートを目指している方以外はスルーした方が、お金の節約になるでしょう。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/11

    ロジェストヴェンスキーの指揮した2番のコンチェルトは、確認できる限りでは当ドレミ盤が最も古く、次に1970年チャイコフスキー・コンペティションで優勝した英人ピアニストのジョン・リルをサポートしたDGG盤、90年代半ばに奥さんのポストニコワと録れたメロディア盤の三種です。
    ロシア人演奏家のブラームスを探して最初に聴いたのがメロディア盤でしたが、冒頭のホルン・ソロが微妙にヴィブラートをかけていて驚き、特に第一楽章では焦点の定まらないユラユラとした足取りの演奏で、往時の面影は鳴りを潜めた凡演でした。
    このドレミ盤は、オイストラフの還暦祝いにモスクワ音楽院大ホールで、映像も収録された大名演のチャイコフスキーを聞かせてくれた同じ年に当たり、そこを期待して購入しましたが、才気煥発、気力充実の演奏を繰り広げていて、特に第2番はブラームスに不相応な爆演ぶりで、ロジェベンの面目躍如といった感じ。
    しかしここでもホルンがイヤらしいヴィブラートをかけており、メロディア盤と違って容赦なく、明らかに確信犯として演奏しており、生理的嫌悪感を催さずにはいられません。 これは1番でもホルン・パートに現れます。このホルンさえクリアできれば、アンゲリッシュやハフからは感じられない野生的な躍動感が楽しめます。 併録のピアノ・ソナタも同時期のリサイタルからの音源らしく、コンチェルト同様の覇気と生命力が横溢してました。 ブラームスの演奏としては名演とは最も遠いベクトルに位置するディスクだと思いますが、ドーパミン出まくりの、なりふり構わず演奏に打ち込む姿には、看過し難い魅力があります。 埋もれていた珍盤復活とのことなので、大いに寿いで★5つです。 音質ですが、トゥッティの高域でビビリが入りますが、総じて抜けが良いので、鑑賞で不満に感じることはないでしょう。

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     2012/03/04

    ジャケットはデジパック仕様になっています。CDの印刷面がラベンダーに赤紫の文字で印刷しているため、何が書いてあるのか判読に苦労するという、凝り過ぎた意匠が失笑ものです。
    封入されていたパンフによると、2003年5月31日、ロイヤル・フェスティヴァルホールでのライブ録音となっており、演奏後に拍手が収録されていました。
    アンゲリッシュやハフの超名演、優秀録音が手に入る現在、アウトプットレベルが低く、レンジも狭くて解像度に欠けた当ディスクを積極的に選ぶ理由は見つかりません。
    第三楽章などはデリケートで、「ハッ!」とするような美しい瞬間もありますが、ワンコインのナヌート盤の方が遥かに優れています。
    ベルグルンドは、シベリウスの2種のコンチェルトでもそうでしたが、積極的にオケをドライブして、ソリストをリードするでもなく、終始サポート役に徹している感じで、『伴奏』というイメージを超えるものではありませんでした。
    同じライブだと、ブロンフマン、メータ盤よりはマシかな?と云った程度の差にしか聞き取れませんでした。

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     2012/02/12

    演奏、録音ともに最高評価に価する素晴らしいディスクです。 この一ヶ月、過去の名盤と謳われ続けてきたモノからワンコインで買えるモノまで30種ほど集めて集中的に聞き比べて来ましたが、この曲のリファレンスとして十分に堪える内容です。 ライブでもディスクでも、曲を知れば知るほど内声や木管、金管に注意が向けられ、その結果コンマ数秒という間にソリストや指揮者、オケの合奏力やソロパートのデキ不出来を瞬時に判断し、その集積が総合的な判断に繋がっていると思われるのですが、この録音はマイクセッティングが秀逸であるばかりでなく、コンソールでの作業がリスナーのそうしたメンタリティを配慮し、ピアノや木管の分離の良さ〜聞こえるように加工しているという意味で〜を不自然に感じさせること無く、しかも聴力を満足させるカタチで、極めて高い次元のバランス感覚で達成していると感じました。 8つの小品はソロにも関わらずオンマイク過ぎて音がダンゴ状で、セパレーションも劣るように感じました。 

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     2011/01/20

    二昔ほど前に、海賊盤のLPで一度リリースされたことがあり、聞く機会がないままになってましたが、CDで安く出ていたので購入しました。 当時は53年盤と勘違いをしているのだろう?と言われるほどマボロシの存在だったのですが、聴いてみると素晴らしい演奏で満足しています。 フルヴェンの第九と言えばバイロイト盤が先ず浮かびますが、祝祭的な感興がフォルムをスポイルしているとも云え、このVPOとの52年盤は最も原型を保った演奏ではないかと思っています。 演奏内容もさることながら、バイロイト盤のように多くの業者によって板起こしの洗礼を受けていないところが、私にとって清々しさを感じる所以でもあります。

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     2011/01/20

    この第九は73年の大晦日に教育テレビで放送されたのを見た記憶が鮮明に残っています。 9時前後だったかな、家族は紅白歌合戦を見たいのを押し退け、肩身の狭い思いをしながら画面に見入ってたものです。
    テナー独唱の出る前、木管と大太鼓の行進曲調で始まるところは、マタチッチが右手を前方に差し出して、鍵穴に差し込んだキーを左右にひねるような指揮が、とても風変わりだったので鮮明に覚えてます。 2年後にも年末にマタチッチの放送があったので、この仕草をチェックしてたところ、この時は普通の指揮になっていたので、指揮者のモーションというのは即興的な側面があるのだと知りました。
    当時は視覚情報に幻惑されて、冷静な判断ができず、フルヴェン熱にうなされた子供としては、貧相な演奏に聞こえたものでしたが、改めてディスクで鑑賞すると、骨太で男性的な演奏だったんですね。感動しました。
    しかしバスの岡村さんはまだしも、テナーの丹羽さんのトランス状態のようなテンションの歌いぶり、前につんのめりそうになりながらの歌唱は、あの「地獄のオルフェ」を思い出してしまいました。  値段ですが、NHKの放送音源は高いのが難点ですね。BBCレジェンドですらマルチバイ特価で2000円を切っているのですから、1500〜1800円程度で提供されると、購入の優先順位も上がるのですが・・・。 マタチッチのような大物の場合、残っていればDVDでリリースして欲しいものです。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/12

    チャイコフスキーは新世界レーベルのレコード時代からの愛聴盤で、AB両面をタップリ使った贅沢なカットのものでした。
    当時の解説によると、1968年のオイストラフ60歳の誕生記念演奏会を、モスクワ音楽院大ホールで催したときのライブ音源とのことでした。
    第一楽章でのオケは静かにゆっくりと静かに入りますが、旋律線は明確で確信に満ちた音で進んでいくのが心地よく、そこにオイストラフのソロが余裕を持って入って来るのですが、恐らく何百回と弾いてきたであろうこの曲を、完全にコントロールしているという深さが全てに感じられます。
    終楽章コーダでの、オケとの丁々発止の鍔迫り合いは、何十年聴いてきても胸躍る快演です。
    なお、この演奏は、当時ビデオ収録もされていたのでEMIがリリースしているDVDで、モノクロながら動画で鑑賞することもできます。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/05

    調べてみたら、コントラルトのピッツィンガーは、同レーベルのラミン「マタイ」1952年全曲盤に参加しており、テナーのルートヴィヒはリリックとして有名だったのか、プライザーからアルバムが出てました。ご参考まで
    フルヴェンもこの時代の録音となると、歴史的な背景を想像しないで聞くのは難しくなってきますね。
    この演奏が収録された3週間後にはあのチェンバレンが首相に就任し、翌年の宥和政策によってズデーテンラント割譲を容認して、ヒトラーにポーランド侵攻を決意させたわけで、前々年からのRINGツィクルスや、手兵を率いての第九公演など、ナチスドイツの文化政策の一環だったと思わずにいられません。
    42年盤と遜色ない音質から考えると、帝国放送局の録音スタッフが随行し、現地からドイツに向けて中継放送し、ドイツ国民の志気を大いに高らしめていたんじゃないだろうか・・・そんなことを考えながら聴いてました。
    政治音痴な大音楽家が、ゲッペルスの「文化交流」という美名の下に関わらざるを得なかった歴史の1ページを切り抜いたような録音・・・そんな想いで聴くと、その後両国が辿った運命の悲劇と、のどかな第三楽章の調べに、人間の業の深さに思いを致さずにはいられません。

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