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一人のクラシックオールドファン さんのレビュー一覧 

検索結果:2357件中241件から255件まで表示

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     2013/03/25

    早くから作曲家ディーリアスと親交があり彼の作品の紹介・擁護につとめたビーチャムはRPOやLPOを振って早くからタイトル付き管弦楽曲集を収録しておりました。特にポピュラーとは言えないけれどディーリアスの作品は何処か懐かしさを想い起こす流麗で自然なメロディが特徴で短調部分が少ないだけにそのとらえ処が無いとりとめ無さ故に映画音楽を私は聴き流すというより取り組んでいるというのが正直な現状であります。ディーリアスはイギリスというよりフランス、アメリカでの活動が結構長くその諸作品はタイトル名からその各地場面での風景、情景が水彩画の様に眼前に浮かびヒーチャムの演奏には更に達観の域にある「大人」の雰囲気がイギリスの価値観と共に感ぜられもします。本盤は主に1930年代、ビーチャムがまだ60歳にも達していない頃の演奏で勿論モノラル、一般的には後年1956〜1957年収録のステレオ分がお奨めなのですがビーチャムのディーリアスに対する軸のしっかりした姿勢をうかがうには適した演奏盤かとは思いました。収録曲の録音年、オーケストラ等順不同ですがメモしておきますね・・・夜想曲「パリ、大都会の歌」(1934年・LPO・21’38)、幻想曲「夏の庭で」(1936年・LPO・13’42)、小管弦楽「川辺の夏の夜」(1928年・RPO・5’26)、交響詩「むかし、ある時」(1934年・LPO・15’30)、幻想序曲「丘を越えてはるかに」(1936年・LPO・13’29・・・なお、この「丘を越えてはるかに」の他演奏として1950年・RPO・13’45及び1957年・RPO・12’55があります)(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/24

    ホルスト「惑星」と言えばすぐに数々の録音繰り返しを行ったボールト指揮がそしてオーケストラも何回もこの曲演奏では常連のBBCSOが思い浮かびますが英国指揮者としてサージェントもボールトの後継のようにこの曲を三回録音しておりマァ私達が聴き慣れた手本的なボールト盤が慎重派として比べればサージェントの典型的イギリス紳士ルックスからはちょっと外れたイレギュラーというか若干「流れ」から唐突というか戸惑う表現もあって面白く思いました。「戸惑う」と言っても私の場合はボールト演奏盤の耳残りからの感想に過ぎませんので念のため・・・それから遠い管楽器の扱いも面白く聴きました・・・この辺りがサージェントの独特のバランス感覚なのかも知れません。本盤は1965年BBCSO他を指揮したライブ演奏(タイム6’45+8’18+3’15+7’16+8’42+5’27+7’04))はこの前回1957年同じBBCSO他でのスタジオ録音(同6’49+9’04+3’26+7’39+9’29+5’57+6’55)と比較しますとタイム上で金星と土星が速めになって色彩トーンも明るくなっているのが特徴でこれもライブからの要因なのでしょうか。ポピュラーな木星の中ほどアンダンテ・マエストーソもだれずにしっとりさを感じさせつつ引き締まった仕上がりで・・・全体として一つ一つの星を今まで以上に明瞭に丁寧に描き分けていたと思います。なお、一回目の録音としては1954年LSOを指揮したモノラル演奏録音(同6’25+8’51+3’36+7’45+7’54+5’37+6’11)があったそうです。まぁ、とにかくやや伴奏指揮者イメージが強かったサージェントの本盤は73歳の時の英国音楽本領発揮の素晴らしい一枚かと思います。併録の「ベニ・モラ」(同14’01)は聴いておりません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/23

    早くから作曲家ディーリアスと親交があり彼の作品の紹介・擁護に当たったビーチャムが収録した管弦楽曲集ですが本盤の内容は未確認で私が聴いた別盤のビーチャム指揮ディーリアス作品の演奏からのデータ・感想等を書き込みさせていただきます。特にポピュラーとは言えないけれどディーリアスの作品は何処か懐かしさを想い起こす流麗で自然なメロディが特徴で短調部分が少ないだけにそのとらえ処が無いとりとめ無さ故に映画音楽を私は聴き流すというより取り組んでいるというのが正直な現状であります。しかしながらディーリアスはイギリスというよりフランス、アメリカでの活動が結構長くその諸作品はタイトル名からその各地場面での風景、情景が水彩画の様に眼前に浮かびヒーチャムの演奏には更に達観の域にある「大人」の雰囲気がイギリスの価値観と共に感ぜられます。例えばダウソン詩による「日没の歌」は愛の幻滅に寄せる恋する者のレクイエムで全曲がエレジー風で物思いに沈んだ基調に貫かれており歌詞自体は英語で管弦楽中心の諸収録曲ではメリハリをつけている様に思いました。以下にビーチャムが何回か再録した各曲で小生が把握しているデータ・・・録音年・オーケストラ・タイム・・・をメモしておきますので何かの参考にして下さい。小生の取り組んでいる正直な現状はさておき一般的には安心して差し支えない演奏でありましょう。「丘を越えて遥かに」(1936年・LPO・13’29、1950年・RPO・13’45、1957年・RPO・12’55)、「そりすべり(冬の夜)」(1956年・RPO・5’25)、「ブリッグの定期市」(1928〜1929年・スタジオO・13’48、1946年・RPO・16’11、1956年〜1957年・RPO・15’47)、「フロリダ」組曲(1956年・RPO・34’48)、「奇想的行進曲」(1946年・RPO・3’33、1956年・RPO・3’50)、「ダンス・ラプソディ」第2番(1956年・RPO・7’37)、「夏の夕べ」(1949年・RPO・5’42、1956年・RPO・6’18)、「春を告げるかっこうを聞いて」(1927年・旧RPO・6’25、1946〜1948年・RPO・6’29、1956年・RPO・6’57)、「川辺の夏の夜」(1928年・旧RPO・5’26、1949年・RPO・6’06、1957年・RPO・6’33)、「夜明け前の歌」(1949年・RPO・5’25、1956年・RPO・6’01)、「フェニモアとゲルダ」間奏曲(1936年・LPO・4’30、1956年・RPO・5’08)、「イルメリン」前奏曲(1938年・LPO・4’17、1946年・RPO・4’36、1956年・RPO・4’59)、そして「日没の歌」(1957年・RPO・29’25)。内容未確認分があろうかと思いますので★一つ保留しておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/22

    来月マゼールがミュンヘンPOを率いての日本各地でコンサートが予定されていますが彼ももう83歳・・・その割にはエネルギッシュなルックスは頭の回転の良さと共に相変わらずといった感じですね。そのマゼールがまだ28〜29歳の1958年頃BPOを指揮して収録したレスピーギ交響詩「ローマの松」(タイム@2’35A6’23B6’38C4’51)、ムソルグスキー交響詩「はげ山の一夜」(同9’58)、リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」(同1’13+4’47+1’11+4727+3+10)が本盤演奏曲目であります。この頃はマゼールが指揮者としてデビューして間もない時期でBPOやベルリンRSO他を振って結構多くの録音を残しておりシャープな演奏が印象的で本盤ではフルトヴェングラー色からカラヤン色へと移行する合間のBPOを「快刀乱麻」の如くとまでは行かないけれど彼の意図は充分反映させた覇気ある演奏に仕上がっています。勿論BPOの堅固な合奏力が大いに寄与しこの仕上がりの重要な要素になってはおり殊に「ローマの松」での幾分重心低く目のサウンドが聴き処でありましょう。「はげ山の一夜」はテンボ速くに過ぎ若干愛想ないけれどラスト「スペイン奇想曲」は曲の色彩感を鮮やかに押し出し強く打ち出し民族性も溢れた演奏で中ほどの曲でのVソロは多分シュヴァルベだったのでしょう・・・艶やかですね。何れにしても若いマゼールの意気込みが素晴らしい演奏だと思います。なお、マゼール指揮の「ローマの松」については1973年クリーヴラントO(同@2’56A6’58B6’38C4’41)や1994年ピッツバーグSO(同@2’42A7’10B7’25C4’55)のものがあり「スペイン奇想曲」にも1979年クリーヴランドO(1’14+4’47+1’17+4’31+3’06)のものその他がCDであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/21

    ドヴォルザークの交響曲第8番をカラヤン/VPOの1961年録音DECCA盤(タイム@9’53A11’09B6’07C9’35)で親しんだ方は多いと思われ私もその覇気ある演奏を長く聴いております。この曲は英国で出版された為「イギリス」という副題がつけられている事を知ったのも本演奏でありました。カラヤンがまだ若い53歳の頃の演奏なので後年再録分と比べると味わい的なものには及ばないかも知れませんが逆にVPOの歌い方が当時の潤った美感を余す事なく発揮されそうした処にカラヤンが上手くしなやかに乗った形になって私たちには実に分り易い演奏仕上がりとなっています。カラヤンはこの曲を1979年BPOを振っても録音(同@9’38A11’19B5’39C9’46)し、そして三度目が再びVPOを振って1985年録音演奏したもの・・・タイム@9’43A11’16B5’35C10’02・・・がありますが何となく「覇気」からは縁遠く良く言えば余裕を見せた演奏となるのでしょうか・・・何れの演奏も民族的味わい・土着色は薄くスマートになっているのですが、やはり本盤演奏にはストレートな分り易さがあります。正直第1楽章はちょっとした弾き込みに伸び切れない処があるのですが少しタイム的に充分とった第2楽章以下はホントにぞっこん惚れ込むくらい。早いテンポで活き活きとし且つ切ない表情の第3楽章は美しい民謡風メロディが魅力的ですがそこにカラヤンの精妙さがより活きている印象を受けました。最終楽章は筋肉質的な処が又カラヤンらしい(一番最後のティンパニー連発がもうひとつインパクトが無いようですが・・・)ですね。併録のチャイコフスキーの幻想的序曲「ロメオとジュリエット」(1960年録音、タイム20’30)もカラヤンらしいドラマチックさを内包した演奏運びでまるでロマンチックストーリー映画を眼前でリアルに見ている様であります。この「ロメオとジュリエット」もカラヤンには他の収録盤があり手元資料では1946年VPO(タイム20’44)、1966年BPO(同21’22)そして1982年同じくBPO(同22’08)等でありますので又聴いてみたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/20

    LP時代には余り知られていなかった・・・私だけが知らなかったのかも・・・オレグ・カガンはオイストラフの愛弟子であり特に1960年代末からリヒテルと多くの室内楽共演を行っており又ライブ中心に数々の演奏を残しております。彼は存命ならまだ現在60歳代なのに「残しております」となったわけで本盤曲を収録した1974〜1975年では彼はまだ20歳代で当時の60歳頃のリヒテルとは親子ほどの年の差での共演となっております、まぁ、それだけもう当時巨匠域に達していたリヒテルから高い評価を得ていたのでしょう。各曲演奏はカガンの若き強靭なテクニックと流石オイストラフ譲りの内側からの情感はうかがえるものの所謂共演で聞かれる「丁々発止」雰囲気には到っていないというのが第一印象でした。リヒテルの方は西側デビューした1960年から年月を経ての演奏スタイルの微妙な変転過程にもあってデビュー頃のどぎつい個性よりおそらく古典派各曲に因るのでしょう・・・そのタッチの硬質な面があくどく主導するよりサポートに徹している様にも思いました。基本的に過剰な物々しさは避けて音楽そのものの推進力に託した自然体の感じであり従って両者結果的にはあるバランスの上に立った演奏仕上がりとなったのではないでしょうか。タイムデータ(ライブ分は拍手込みもあります)をメモしておきましょう→モーツァルト ヴァイオリン・ソナタK306(@10’49A10’43B6’44)、K378(@13’05A7’37B3’59)、K379(@12’38A10’20)、K404(3’52)、K372(2’20)、ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第4番(@6’47A7’57B6’14)、第5番(@10’08A6’43B1’09C6’36)といった処です←なお、後年1982年このコンビでのライブ演奏のモーツァルト ヴァイオリン・ソナタK378(@12’52A7’23B4’17)、K379(@12’51A9’22)のCDも出ているようです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/19

    オーマンディにはちょっと珍しいブラームス交響曲の演奏収録分で本盤は1959年・・・彼が丁度60歳の時録音した第1番(タイム@13’15A9’43B4’30C16’57)は厚みある管弦を豪華絢爛に鳴らして一部オーケストレーションの改編を行ってのフィラデルフィア・サウンドは実に堂々たるものです。このイメージは後年1968年三回目の録音(同@13’40A9’53B4’44C17’07)にも引き継がれております。なお、第1回目は1950年のモノラル録音(同@12’25A9’05B4’25C16’50)だそうです。さて、第1楽章分厚いマッシブな感じでスタートし展開部はゆっくり入って行きピークでのテンポもそんなに変えず何か音の洪水先行の印象を持ちました。第2楽章もじんわり・どっぷりで管とVのソロもがっちりしています。第3楽章は反復して急がず特に管の目立った活躍に注目されます。こうして旋律をソロ楽器で浮かび上がらせる手法を効果的に取り入れられているのが特徴になって最終楽章でのホルンも然り・・・、その最終楽章はトスカニーニが改編したオーケストレーションやオーマンディのティンパニー扱いが生きた演奏でちょっと鳴りっ放しというかフィナーレ・クライマックスでの圧倒的なファンファーレからの雪崩れ込みは聴きものではあります。とにかく全体としてはこのオーケストラの派手で緊密なアンサンブルはオーマンディが音楽監督に就任して約二十年経た一つの成果・・・時代的な処も含めて・・・をあらためて確認する演奏には違いありません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/18

    マイスキーのドヴォルザーク・チェロ協奏曲には1988年録音のバーンスタイン/IPO伴奏のやや粘っこいライブ演奏盤(タイム@16’39A13’21B13’43)がありましたが(なお、マイスキーのこの協奏曲には最近リリース物に1988年スイトナー/NHKSOバックのライブ演奏CD(タイム未確認)やその他DVD盤も何種類かあります)本盤は2002年メータ/BPOバックのライブ盤(同@14’33A10’58B11’35拍手抜き)で全体としてタイム上はこじんまりまとめた感じです。丁度一回り年齢差のメータ(当時66歳)、マイスキー(同54歳)・・・両名の信頼関係がライブの割りに熱っぽく運ばないで淡々さがいい意味でも悪い意味でも窺える演奏です。あくまで1988年盤の執拗さ?からの先入観もあるのかも知れません。第1楽章はBPO前奏からテンポの割に結構強い押出し・・・BPOらしい威容でシンフォニックなアプローチです。チェロのアタックはソフトに展開しています。中間楽章は堂々のバック・オーケストラに乗ってチェロはじっくり進めていますが私としては所謂望郷感からは離れているという印象を持ちました。ただタイムとか執拗さが必ずしもこの曲の郷愁や憧憬の詩情豊かな表現への結びつき成否に関わるものではありませんね。最終楽章は各パート音をやや強めに打ち出すオーケストラのワンパートになりかねないチェロも頑張っていました。マイスキー自らオルフェウスCOを指揮した併録のシューマンのチェロ協奏曲(1997年演奏録音、タイム@10’57A3’54B8’46)は残念ながら聴いておりません。当面OKランクで・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/17

    本盤はLP時代「鉄のカーテン」と言われた共産圏で「幻のピアニスト」と名打たれていたリヒテルが西側にデビュー進出した頃1960年彼が45歳の時の演奏でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」と第12番「葬送」をステレオ収録したものです。私もLPでは何回か聴いて特に「熱情」ではまるでリストの様な正しく情熱的な印象は忘れられませんが言葉を選ばずに言うと果たして例えばバックハウスやケンプ等の演奏の如く繰り返して聴くにはどうかなとは思っておりました。まぁ、演奏行為自体何も繰り返し聴く記録媒体の為では本来ないわけでありますから後は好き嫌いの領域に突っ込まざるを得ないわけです。「熱情」(演奏タイム@10’42A5’56B7’06)は第1楽章ゆっくりテーマスタートし月影の斑の様に挿入される繊細な弱音の運命動機の序奏から強靭な叩き付け展開に豹変する辺りで先ず聴く方はのめり込んで行きます。第3楽章ではこの曲のタイトル以上の圧倒的迫力での一気呵成の熱情奔流に身をまかせざるを得ません。リヒテルのCDはHMVカタログリストで見ますとベートーヴェンが件数トップであり古典派よりちょっと屈託・叙情感のあるロマン派の曲に向いていると思っていた私には意外でもありましたが結構この「熱情」も他の演奏が残っておりピックアップしますと1959年モノラルライブ(同@10’16A5’52B7’48)、1960年モノラルライブ(同@10’17A6’06B7’11)、1992年(同@11’45A6’49B8’34)等があります・・・晩年に近い演奏は幾分タイムが各楽章長めなのが分りますね。「葬送」(同@7’05A2’53B6’11C2’17)の方は「熱情」ほど個性が表れていないのは曲自体にも因るのとベートーヴェン・ピアノ・ソナタ群では初期グループの古典派色が濃い為かリヒテル・アプローチとのマッチングが今一とは思いつつ第1楽章をはじめその演奏完成度は流石であります。この「葬送」にも幾つか異演があり例えば1959年モノラルライブ(同@6’56A2’51B6’07C2’57)などが思い浮かびました。とにかく本盤は先ず「熱情」第一で聴きましょう。最高ランクとしましょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/16

    イタリア・オペラ界でアバドやムーティの後釜としてシノーポリ亡き現在随一の存在位置にあるR.シャイーのレコーディング・レパートリーで意外とマーラーに重きが置かれていた様で結果としてRCOを振ったマーラー交響曲集が残っており本盤はその内の一つ1995年シャイーが42歳の時演奏した交響曲第1番「巨人」(タイム@16’34A8’24B11’03C21’00)でこの曲に求め勝ちになる・・・例えばバーンスタイン/RCOで聞かれる様なユダヤ的激情型の演奏とは少し路線を異として豊かな色彩感で歌謡性を明るめに施した独特の雰囲気を持った演奏でその演奏方法によるのか録音方法によるのか私には分りませんが個々の楽器・・・特に管楽器の鳴りがクローズフップされる感じで他の演奏では聴き取れない音型も浮かんで面白かったですね。第1楽章はやや粘り勝ちにスタートしますがすぐにその管の浮かびが聴き取れます。移行部は美しく流れて行きますがメリハリ感が今一で混沌さを強調する辺りは何か行き当たりばったり的な追い込みというかライブ的な印象を受けました。第2楽章では邪魔なくらい管が動きまわりますが中間部はゆっくり目に焦点をずらせない様に底力を見せつつ進みそして〆はテンポアップ。第3楽章でも生々しい個別楽器のセクションが鮮明に分離して聞えました・・・少し不自然かなと思いつついや中々効果的にも感じた次第であります。最終楽章はドタンバタンの例のスタートからなし崩し的に進めここではシャイーの歌謡的要素がドラマチックに展開されます。何回か溜めてピークがあり迫力を増しつついよいよ最終コーナーはたっぷり墨を含んだ大筆でテンポを速めに揺らせつつキンキン音に鳴るくらい一気に画き上げた演奏であります。まぁシャイーが言いたい放題の時間を充分かけた私にはユニークな演奏になりました。なお、併録のベルクのピアノ・ソナタ管弦楽版(タイム12’34)は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/15

    私は交響曲第3番、第4番セットのマズア60歳・・・1987年録音盤で聴いていましたので少しコメントさせていただきます。メンデルスゾーンと縁あるLGOを振っての交響曲は他の指揮者の演奏盤もあり最近では私は版こそ違えシャーイの2009年収録した第3番に注目もしました。マズアはこの両曲を1971年頃にも録音しておりその時の演奏タイムは第3番@13’25A4’30B8’15C10’20、第4番@11’15A6’45B6’20C6’00と各々なっており本盤収録の第3番@14’39A4’18B9’23C9’30、第4番@11’12A6’03B5’43C5’51と比べると違いがあると言えばあるのでしょう。二つの曲で私は第3番「スコットランド」の方が気に入っております。やや本演奏盤残響の伴ういぶし銀の音色もさることながら全体べたつかず第1楽章などそっけない処もありもう少し情感を・・・と思う場面もあるのですがクライマックスの激しさを考慮するとそういう指揮者の設計かなと納得もします。第2楽章も速めで「ダレナイ」コンセプトにつながりメリハリある第3楽章から最終楽章もLGOサウンドでダレず他の演奏で時々見られるこの楽章独特の「濁り」も抑制され最後コラール風な箇所も曖昧さなくフィナーレに持つて行く腕前はあまり演奏評価が高いとは思われないマズアとは思えません・・・素晴らしいです。第4番「イタリア」は第1楽章青空への突き抜けこそないですが「憧れ」が感じられ続く楽章では遠くを見るようなメロディ主体のどうしても退屈に陥るこの楽章をピチカートの動かし方を生々しくすることで救い・・・最終楽章はあのトスカニーニの凄さこそ無いけれど潤いあるプレストで乱れず経過的に盛り上げて効果ある最終に仕上げています。1987年演奏と1971年演奏分と混同している向きもあるかも知れませんがとにかく素晴らしいランクとしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/14

    本盤は偶然クレンペラーが指揮した二つの交響曲第4番を収録したモノラルCDで私達が通常聴いているクレンベラーとは少し異なった雰囲気を味わう事となりました。1950年クレンペラー65歳の時コンセール・ラモールOを指揮して演奏したシューベルトの方の「悲劇的」交響曲(タイム@6’47A8’51B3’09C7’10)は音質は今一なのですが第1楽章と最終楽章の大変激しい進め方が聴き処です。第1楽章での展開部の悲劇的テーマの攻撃性は素晴らしいです。第2楽章はシューベルトらしい優しい雰囲気なのでがややベッタリしてしまいました。重たい第3楽章を経て前述の最終楽章はマタマタ緊迫感に満ちた仕上げです。クレンペラーはこのシューベルト交響曲第4番を別演奏が残っておりそれは1957年コンセルトヘボウOを指揮した演奏(同@9’28A8’59B3’05C7’21)です。1951年VSOを指揮してのメンデルスゾーン「イタリア」交響曲(同@10’13A6’01B6’02C4’28)も両端楽章の熱演が素晴らしいです。第1楽章、覇気のあるスタートから次々被せて行くちょっとした忙しさは時折「しゃくり上げ」を噛まして生々しいアンサンブルを聴かせます。やや速く第2楽章を経て特にしっかりとした管楽器の存在感が目立つ第3楽章からいよいよ最終楽章・・・混沌とした忙しさの中で進んで行き何時落とし処となるかに注目していましたが〆への間断の無い被せ方は息継ぎが大変でオーケストラの力演(本HMVのタイトルにはVPOとなっていましたが明らかにVPOサウンドでは無くVSOなのです)も素晴らしいです。なお、このクレンペラー「イタリア」交響曲には後年1960年PHOを指揮した演奏(同@8’24A6’22B6’22C6’14)もあることは周知の通りです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/13

    弦楽八重奏曲というジャンルはハイドン、シュポーア等の作品では第二カルテットが第一カルテットを伴奏する形態をとって本盤の様に複弦楽四重奏曲という名称を付されているのですが、メンデルスゾーンはこのジャンルに僅か16歳の時に進出ししかも二組のカルテットが単に協奏するのではなく交響曲風に演奏されるべき室内楽最大の効果をあげる様に工夫し若い頃の習作の域を超えたものとして扱われてきております。ただ私はそんなにこの曲を多くの種類の演奏を聴いているわけではありませんが後半二楽章はやはり「若書き」の印象を受けてしまっております。さて、本盤演奏(タイム@15’29A6’41B4’53C6’09)は現代フランスを代表するヴァイオリンの大家アモイヤル(当時54歳)が、自ら教鞭をとるローザンヌ音楽院の俊英たちと結成したアンサンブル・・・カメラータ・デ・ローザンヌ・・・が2003年収録したもので曲にも因るのか若干地味な仕上がりになっているように思いました。第1楽章若々しいテーマを取っ掛かりにして穏やかに展開されて行きます。渦巻く感情のうねりの山場にはVが結構活躍しV協奏曲の様な感じにも・・・。反復もあったり短調のパッセージが挟まれたりしてクライマックスは結構聞かせます。第2楽章はニュアンス含みでゆったり粛々と重奏的趣意がより活きた楽章で静かな終始もあって第1楽章と好対照を成しております。第3楽章はメンデルスゾーンらしいスケルツォ世界ではあるもののこっそり終わったりするなど「まとまり的」には今ひとつ明快さが欠けた感じで続く最終楽章は二つのモチーフが絡み合って次第に姿を現して来る様なアプローチでストーリー展開としては面白い処なのでしょう・・・二つのカルテットの効果もあって盛り上がって〆へ・・・。併録の珍しいシュポーアの複弦楽四重奏曲(同@9’53A4’37B2’52C6’24)は聴いておりませんので当面OKランクとさせていただきましょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/12

    ムソルグスキー「展覧会の絵」は彼の友人であった画家の遺作展での10枚の絵画の印象を音楽に仕立てたものでオリジナルはピアノ曲であり、もう一つはクーセヴィツキー依頼によるラヴェル編曲のオーケストラ版があります。この二つの聴き比べは中々楽しいものでありクラシックにあまり詳しくなくても何かの機会で聴いた人は多いと思います。私はピアノ曲から聴き始めそれはリヒテルのソフィアでのライブ演奏LPで音色は貧しくてもライブの緊迫感・迫力感は忘れられません。そのピアノ版を本盤は24歳のアリス=紗羅・オットが2012年に弾いたこれもライブ演奏(タイム35’03)でこの後彼女は日本でもこの曲を引っさげて演奏会をあちこち開いた様で概ね好評であったらしいです。何より凛として端麗な容姿の美人であることがプラス要素であることは間違いはなく私もややミーハー的ではありますがそれに乗っているのでしょう(別コンサートでの画像サンプルで彼女のルックスも・・・)。とは言うものの演奏は強打鍵による迫力と繊細に紡ぎ出される緊張が中々ライブならではの聴き処であります。スタートのブロムナードはやや硬めにゆっくり目でしっかり踏みしめて行きます・・・以降の何回か出て来るプロムナードはその時折の弾き分けを聴きましょう。「小人」では不気味に間を取って強い当りで音の構成感を明確に表しています。「古城」はもう少しニュアンスを強調して欲しくはありましたがこの辺りが敢えて抒情性というものから距離を置いたこの演奏の特徴なのかも・・・そして「テュイルリーの庭」での子供の騒々しい喧嘩の様子や「ビドロ」の重々しい様子では音の透明感に触れた思いです。「卵の殻をつけた雛の踊り」での滑稽さに続けて「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では恐い者と弱い者との対比をちゃんと表し〆は思い切り鍵がたたかれます。賑やかに「リモージュの市場」を過ごして間を取りながらの「カタコンベ」からブロムナード変奏的に「死者への呼掛け」に入って行きます。「鶏の足の上に建つ小屋」からいよいよラスト「キエフの大門」へは一つ一つ音を押し出しつつ迫力を増しながらゆっくり大きく間と溜めをとってクライマックス化してやや力技的に曲は閉じられます・・・海外でのライブの割りには割りとすぐに拍手が入りこのリサイタルの白熱的雰囲気が把握されました。まぁ、先のリヒテルやホロヴィッツと言った大家、ポゴレリチ、ウゴルスキ等中堅の男性陣演奏とは別の立ち位置で残って行くであろう(本盤は高音質盤としても)素晴らしい演奏かと思いました。シューベルトのピアノ・ソナタ第17番(タイム@9’07A11’08B8’27C9’00)他は聴いておりませんので★一つ保留しています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/03/11

    本盤はアルゲリッチが弾くラフマニノフとチャイコフスキーのピアノ協奏曲ライブ盤で色々反復して出ている様です。先ずその彼女が41歳の1982年に収録したラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(タイム@15’35A10’50B13’35)でバックはまだ若き30歳前のシャイー指揮ベルリンRSOでのライブ収録であります。全体タイム的には比較的短い感じになっていますが第1楽章淡々ながら少し含みのある出だしですぐにあのアルゲリッチ節が次第にヒートアップしつつやっぱり達者に炸裂します。オーケストラはシャイーなのかゆったり目に潤いを持って進みますがピアノに引きずられ気味は否定出来ません。第2楽章も傾向としては同様でしっとりメロディ優先のオーケストラに続いて切り込み豪華絢爛なピアノとの対照がライブそのもので面白いと言えば面白いですがちょっと不自然な域にも思いました。最終楽章は驀進一途にピアノは更に本性を表し弾きまくりオーケストラとはドタンバタン・・・まぁ、こういう演奏もラフマニノフのロシア的雰囲気とはズレてはいても一聴は楽しいですね。彼女のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番演奏盤はこのライブ演奏が唯一なのか確認しておりません。次にアルゲリッチの弾くチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番には数種類の録音盤がありどれも彼女の熱っぽい凄さが特色となったものです。本盤はそれらの内で1980年コンドラシン(当時66歳)/バイエルンRSO分がバックでタイムが@19’13A6’19B6’55(拍手込み)のライブ録音のものです(因みに他の代表的な演奏盤をサンプリングしますと1970年(1967年?)デュトワ/RPO分が@21’16A7’30B6’56、1994年アバド/BPO分が@19’10A6’28B6’26などとなっております)。ライブ雰囲気が満ち満ちて第1楽章割とホール反響が大きい処は別として彼女の音は生々しく飛び跳ね管楽器の切り込みも活きて来ます。いつかの本演奏に「その時ピアノは火を噴いた」というキャッチコピーが付けられていた様ですがカデンツァはもっと彼女なら暴れる処こじんまりした感じに聴きました。中間楽章は管との対話で比較的抑えめにピアノは進み意外と繊細抒情的な面が味わえます、この楽章は美しく弾いているなっていう感じです。いよいよ第3楽章・・・冒頭のちょっとした彼女の怪しいタッチもライブならではのご愛嬌。行け行けドンドンでの迫力は素晴らしいです。溜めを効果的に噛ましつつ暴れに暴れて燃え立った演奏をバックが見事にコントロールしているのは流石コンドラシン在っての事だと思いました。最終コーナーコーダ寸前のピアノは多分アルゲリッチ世界そのもので凄かったです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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