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一人のクラシックオールドファン さんのレビュー一覧 

検索結果:2357件中91件から105件まで表示

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     2013/09/01

    以前レビューを入れておりますがデータを追加メモさせていただきます。西側セッション録音で神秘と言われたリヒテルの当時天下を睥睨しつつあるカラヤンとのチャイコフスキー協奏曲共演舞台。曲自体派手な物なのにこの共演者は競争するというか時には攻撃的とも思われる場面も感ぜられ今となっては大時代的でもありましたが冒頭から面白く聴け名盤にカウントされていたのも肯けました(VSOも往時は元気!)。カラヤン伴奏のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番としては本盤演奏(タイム@22’07A6’55B7’09)が比較的初期のもので1962年ですからリヒテル47歳、カラヤン54歳とまだ若い頃で覇気溢れる感じです。以降1970年収録はワイセンベルク/パリO(タイム@23’20A8’50B7’36)、1975年ベルマン/BPO(同@22’00A8’01B7’31)、1988年キーシン/BPO(同@23’49A8’34B8’55)の様な演奏がCD盤として残っているのですが個人的には本盤演奏がリリース上素晴らしいと思っております。。ロストロボーヴィチのチェロによる1968年収録の「ロココ風の主題による変奏曲」(タイム18’53)は未聴なのですがその評判を勘案してトータル素晴らしい盤と思います。このジャケット写真はLP時代から馴染みあるものですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/31

    本盤は現在販売されていないのですがデータメモしておきます。本盤はクリップスがまだ五十歳代になる前後の1950年代に収録したモーツァルト三大交響曲で第39番LSO(1951年、モノラル、タイム@8’55A8’21B4’14C4’11)、第40番LSO(1953年、モノラル、同@7’58A7’39B4’09C4’36)そして第41番「ジュピター」IPO(1957年、同@8’30A7’57B5’07C6’36)であります。LSOを振ったものはモノラルですが彼がLSO首席指揮者の時期の頃の収録の為か何となく引き締まった演奏で緊密なアンサンブルが披露されております。IPOを振ったものは私の所有盤はステレオなのですがIPOが恰も小編成オーケストラの如くで「ジュピター」という曲の割にはスケール感が今一歩と感じました。しかし、とにかく本盤にはクリップスというウィーン子がイギリス、イスラエルのオーケストラから曲がりなりにもモーツァルト・サウンドを引き出している手腕に注目するとしておきましょう。まぁ、クリップスのモーツァルト交響曲だったら晩年少し「力の抜けきった」ゆったりムードのARCOとの1972年彼が70歳の時の指揮演奏が晩年味を示しており演奏タイムも第39番(同@9’03A8’15B4’18C4’18)、第40番(同@9’36A7’34B4’44C7’14)、第41番(同@12’32A8’15B5’24C6’49)と夫々幾分長めになっております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/30

    HMVレビューにもあるように西側セッション録音で神秘と言われたリヒテルの当時天下を睥睨しつつあるカラヤンとのチャイコフスキー協奏曲共演舞台。曲自体派手な物なのにこの共演者は競争するというか時には攻撃的とも思われる場面も感ぜられ今となっては大時代的でもありましたが冒頭から面白く聴け名盤にカウントされていたのも肯けました(VSOも往時は元気!)。カラヤン伴奏のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番としては本盤演奏が比較的初期のもので以降1970年収録はワイセンベルク/パリO(タイム@23’20A8’50B7’36)、1975年ベルマン/BPO(同@22’00A8’01B7’31)、1988年キーシン/BPO(同@23’49A8’34B8’55)の様な演奏がCD盤として残っているのですが個人的には本盤演奏がリリース上素晴らしいと思っております。1959年ピアニストは同じくリヒテルでバックがヴィスロッキー(当時38歳)/ワルシャワ・フィルにより収録されたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(タイム@11’13A11’54B11’43)は男っぽいリヒテルの骨太さ・・・結局は派手なのでしょう・・・が楽章により私の好みとマッチ、アンマッチを鮮明に感じた次第で更に加えるならばバックのヴィスロッキー/WPOのフォローが鄙びた粘着性を帯びてトータル素晴らしい盤となってます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/29

    このヴァイオリニスト・・・V.フラングと指揮者T.センデゴーは本盤収録曲を2009年演奏時どちらも24歳頃・・・若いですね・・・。私はシベリウスのヴァイオリン協奏曲(タイム@16’17A8’19B7’17)を聴いていますので感じた事をメモさせていただきました。彼女はあのムター気に入りのノルウェー出身のヴァイオリニストであり強い表現意欲が第1楽章カデンツァではテクニック一辺倒ではなくじっくり攻められる事によって確認はされますがどうもバックのケルンRSOの音色が低めになって抜けが冴えず篭り気味なのがヴァイオリン音色をセーブして冷たさを発露する結晶感触がトーンダウンしてしまったのは残念です。中間楽章は底深いところからゆっくり落ち着いて語られて行きます。そして最終楽章での連打ティンパニーが自然の不気味さを表しつつクロージングヘ・・・。表現意欲の為か少し個性的な面をどう受け取るかが問題ですが若い人が優等生的演奏に陥らず存在感を示してくれている事には拍手を送りたいと思います。併録のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(同10’06A3’51B8’10)、シベリウスのフモレスケ第1番(同3’42)、第2番(同2’09)、第5番(同3’48)は何れも未聴ですので本盤全体当面OKランクにおいておきましょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります) 。

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     2013/08/28

    何回か収録されたカラヤンのチャィコフスキー後期交響曲集、1960年半ばに各曲が収録された本盤、これ以前にもPHOとのセッション収録等はあるもののこの頃の録音演奏が彼の原点とまで思われ軸足が定まったしなやかな筋肉質な演奏残る第5番を先日聴く機会がありましたので少し追加レビューさせて下さい。カラヤンのチャイコフスキーの録音暦は沢山種類がありこの第5番も1952年PO(演奏タイム@15’54A14’08B6’53C13’00)、1971年BPO(同@15’46A14’24B6’22C12’39)、1975年同じくBPO(同@15’51A14’40B6’35C12’38)、1984年今度はVPO(同@15’55A13’40B6’31C12’05)とあり本盤は1965年BPOとのカラヤン57歳の時の演奏(同@15’00A15’15B6’00C12’33)であります(他にも別の演奏が有るようです)。さて、本演奏例の如く第1楽章リガート気味に進み心地よく経過・・・よく歌い上げ終わりはじっくり、第2楽章のホルンがこれまた美しい・・・緩徐章の最たる印象、絶対荒れない・・・ピーク後のたっぷりした弦のピチカート、後半管楽器サポートはやや単調。細かいニユアンスの第3楽章を経て最終楽章・・・ここも流し気味にカラヤン節たっぷりで中ほどややダレた印象も後半スピードアップで挽回・・・あの行進テーマがしつこくありません。第4,6番と結局は1960年代BPOとの収録での同一軌道の素晴らしい演奏です。カラヤンのチャイコフスキー後期交響曲は録音を重ねる毎に次第に華麗になっている様で聴き比べも楽しいのではないでしょうか。併録のバレエ組曲「眠りの森の美女」(1971年録音、タイム5曲トータル22’02)は未聴です(タイムについては盤により多少異なる場合があります) 。

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     2013/08/27

    シノーポリが亡くなりアバドは勿論ムーティがそろそろ老域に入りつつある現在シャイーはイタリア出身オールラウンドプレイヤーとして舞台映をしたルックスで演奏活動も充実し大曲揃いのブルックナーに続けてマーラーの交響曲を全曲収録完了しております。1986年シャイー33歳の時の録音分第10番だけはオーケストラがBRSOで残りは彼が首席指揮者を務める事となったRCOで残りの九曲プラス第2番第1楽章の初稿・・・交響詩「葬礼」を含め最終的に2004年に第9番でまとめていますがまぁコマーシャルベースとしても随分息長いプロジェクトであり歴史に名を残すべき意欲満々といった処です。本盤はそのマーラー交響曲の内作品としても聴き応えある第2番「復活」を2001年に録音したもの(タイム@23’03A10’52B10’47C5’34D37’27)に前述の交響詩「葬礼」(1999年録音、タイム23’09)を併録したものです。物珍しい方の交響詩「葬礼」は確かに「復活」第1楽章と若干のオーケストレーションの違い(小節数、使用楽器種類等も含めて)はあっても筋運びはほぼ同様でマニアならば聴き比べも楽しいかと思います。本体「復活」交響曲の方はRCOの芯円やかな音色が幸か不幸か録音の良さに加わり例えばバーンスタインの様なギリギリに追い詰めた熱風感とは異なった少し湿度ある「復活」世界を展開しております。確かに曲の性格上エネルギッシュには違いないのですが例えば第1楽章での明と暗・生と死の闘いの掘り下げが我々素人からすれば薄味で・・・さりとてシャイーならもっと「歌って」欲しい部分が無きにしも有らずでありました、この楽章のラスト〆の段々をゆっくり降りる処等は面白かったのですが・・・。この演奏の特徴は第2楽章での旋律優先に活かされてホッとする第4楽章での「子供の不思議な角笛」テーマのアルト独唱もP.ラング(録音当時39歳)の抑制の利いた声色が気に入りました。最終楽章は透明感に定評あるプラハ・フィルハーモニーCHOを起用してソプラノには最近先のアルトのP.ラングとコンビを組む事の多いM.ディエナー(同34歳)とでトーンの統一性を図って実に丁寧な進め方を行っています。管弦の左右・遠近感も明確化してバランスもポイントを押えつつ意欲的な取り組みを実現していますがただ若干「間」の取り様では一気呵成な迫力感を期待する向きには消化不良が残るかもしれません。この「復活」に限りませんがシャイーがマーラーの様々な交響曲録音を三十歳代から着手し一応完了したのが約二十年後ということはその間当然彼の解釈観等にも変化が想定される事から自身の演奏歴の最終結果とはし得ていない事とは推察されます。しかしながら本演奏は彼ら欧米人の宗教的感動・・・これは我ら東洋人には如何ともし難い・・・の「確かな一面」を少なくともシャイーを通して発露した素晴らしいものと受け止めます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/26

    生粋のウィーン子だったクリップスは私の若い頃はその海坊主・怪入道の様なちょっと指揮者とは思えぬルックスとコンサート・ホール盤での少しスター指揮者とは異なった存在に記憶が飛び何か替え難き懐かしさに誘い込まれます。CDになってからはモーツァルト交響曲等で偶に聴いてはいましたがその濃密で温暖的な演奏は独特の個性に結びつきドイツ的重量感とは違って巧く言えないですがローカル的な雰囲気すら放ったものでありました。本盤シューベルト交響曲もアプローチとしてはその延長線上にあり第9番「グレート」は1958年クリップスが56歳の頃にLSOを指揮して収録されたものです(演奏タイム@13’56A13’42B9’49C11’53)。私にとってLSOの「グレート」はそんなに多く聴いてはおりませんでしたが器用なイギリスオーケストラでもありウィーン的響きらしいものは感じました。第1楽章からやや輪郭のはっきりした展開具合で表裏の無い表情付けはDECCA録音の特性も寄与しているのでしょう。この楽章のクライマックスもゆったり堂々たるものです。第2楽章ではそうした方向性に「含み」を持ってもらいたいとも個人的には思いましたが明快性は続く楽章でも堅持され最終楽章での緊密なアンサンブルを映えさせる効果となって〆ら結びつけられます。シューベルト「グレート」交響曲と言えばフルトヴェングラーかベームの諸演奏盤が定番的位置に居座って久しいのですが余り小難しい事を求めなければ決して長大さも感じさせない本盤の様なじんわりしたエネルギーでの楷書的演奏も聴くのも・・・。クリップスは結構この「グレート」交響曲を種類録音しており気のついた演奏だけでも列挙しますと1952年ACO(モノラル、タイム@13’41A13’39B8’44C11’18)、1954年フランス国立放送O(モノラルライブ、トータルタイム47’38)、1972年VSO(ライブ、同@14’09A13’41B9’38C12’42)等であります。1969年VPOを指揮しての交響曲第8番「未完成」(タイム@15’02A11’51)もクリップスは、特に弦の節回しはVPOの美しさを保持しながら実に硬軟部分のメリハリをつけ反復も加えてゆったりと進めています。彼の指揮した「未完成」交響曲としては1950年LSO(モノラル、タイム@10’36A11’38)、1962年VSO(トータルタイム22’25)、1965年ウィーン音楽祭O(タイム未確認)等が残っているようです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/25

    生粋のウィーン子だったクリップスは私の若い頃はその海坊主・怪入道の様なちょっと指揮者とは思えぬルックスとコンサート・ホール盤での少しスター指揮者とは異なった存在に記憶が飛び何か替え難き懐かしさに誘い込まれます。CDになってからはモーツァルト交響曲等で偶に聴いてはいましたがその濃密で温暖的な演奏は独特の個性に結びつきドイツ的重量感とは違って巧く言えないですがローカル的な雰囲気すら放ったものでありました。本盤(但しLP)シューベルト交響曲もアプローチとしてはその延長線上にあり第9番「グレート」は1958年クリップスが56歳の頃にLSOを指揮して収録されたものです(演奏タイム@13’56A13’42B9’49C11’53)。私にとってLSOの「グレート」はそんなに多く聴いてはおりませんでしたが器用なイギリスオーケストラでもありウィーン的響きらしいものは感じました。第1楽章からやや輪郭のはっきりした展開具合で表裏の無い表情付けはDECCA録音の特性も寄与しているのでしょう。この楽章のクライマックスもゆったり堂々たるものです。第2楽章ではそうした方向性に「含み」を持ってもらいたいとも個人的には思いましたが明快性は続く楽章でも堅持され最終楽章での緊密なアンサンブルを映えさせる効果となって〆ら結びつけられます。シューベルト「グレート」交響曲と言えばフルトヴェングラーかベームの諸演奏盤が定番的位置に居座って久しいのですが余り小難しい事を求めなければ決して長大さも感じさせない本盤の様なじんわりしたエネルギーでの楷書的演奏も聴くのも・・・そしてそれも冒頭申し上げた「懐かしさ」を増長させるLPフォーマットで・・・。クリップスは結構この「グレート」交響曲を種類録音しており気のついた演奏だけでも列挙しますと1952年ACO(モノラル、タイム@13’41A13’39B8’44C11’18)、1954年フランス国立放送O(モノラルライブ、トータルタイム47’38)、1972年VSO(ライブ、同@14’09A13’41B9’38C12’42)等であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/24

    朝比奈隆は確かカラヤンと同年生まれの指揮者だったのですがブルックナー、ベートーヴェンを主なレパートリーに入れてその重厚な容姿と相俟って演奏も何となくスケール感が伴っておりました。まぁ、遅いテンポを保って、腰の据わった恰幅のよい音楽を展開するのでマーラーの大規模な交響曲にも適性を示す場合があり殊に交響曲第2番「復活」はマーラー交響曲群でも比較的親しみ易い曲だけに何かイベント時に演奏される曲として朝比奈もしばしば取り扱っております。本盤を語る前に今手元に個人的な昔の知人で大フィル合唱団のメンバーを通して入手したその人が参加したコンサートでの偶々朝比奈が指揮する1976年演奏の「復活」・・・独唱は樋本栄(S、当時48歳)と大藤裕子(MS、同27歳)の自主制作LP(タイム@22’42A10’27B10’00C4’50D33’56)盤を何回か聴いたのを思い出しました。多分そのコンサートも大フィル三十年記念的なイベントのものでしたが決して録音が優れているわけではなく果たして演奏も朝比奈がマーラー独特の雰囲気にマッチしているとはお世辞にも言えず・・・多分宗教的灰汁の強さとは別の世界というかドイツ交響曲の一つの記念曲の切り口で攻めているからなのでしょう。本盤1987年ライブも大フィル四十年記念コンサートで独唱は豊田喜代美(S、当時36歳)と伊原直子(A、同42歳)、合唱は武庫川女子大合唱団と関西学院大グリークラブ他と完璧な布陣での演奏で演奏タイムは@22’07A10’32B12’23C4’35D34’53と若干の異同はありますが朝比奈らしい安定ペースです。少し遅い目で展開する第1楽章では意外な全楽器休止を挟んで変化をつけたり第2楽章での起伏感を進める内に割りとゆったりした「間」の入れ方は面白いです。最終楽章もスケール感は感ぜられるものの徒に高揚一辺倒ではなく従ってマーラーの宗教的カタルシスに今一インパクトが及ばないのは正しく朝比奈のマーラーだからでしょう。録音では楽器遠近感は上記のLPよりはきちっと把握されていると思いました。この1987年演奏会の盤は何種類かあるようです。自主制作盤として完全記録されているものをリストアップしておきます→1969年大阪PSO、アサヒコーラス、岡田晴美(S)、長野羊奈子(A)。→1986年新星日本SO、同コーラス他、大倉由紀枝(S)、辻宥子(A)。→1995年大阪PSO、武蔵野コーラス他、井岡潤子(S)、竹本節子(A)。とにかく分かり易い曲ではあるので宗教的感動とは別でも良いから御大の指揮に触れるのも感動かと思われます、素晴らしいランクとします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/23

    購入不可商品になっておりますが聴いていましたので書き込みさせていただきました。アンセルメは若い数学者から三十歳過ぎた頃ディアギレフが率いるロシアのバレエ団の指揮者へ転向した為かフランス音楽と同じ様にロシア音楽を重要なレパートリーにしており、特に化学者だったボロディンの作品を演奏するのに両者何処か異業種からの変転に相通じるものがあるのでしょう・・・本盤は1954年アンセルメが71歳の時手兵SROを指揮して収録した交響曲第2番(演奏タイム@7’17A5’32B6’38C6’28)と第3番(同@7’10A8’42)がメインプログラムであります。どちらの曲も原色的な管弦楽の扱いが特徴的でボロディンのロシア臭がアンセルメの西欧風の美感におきかえられている処が聴くポイントでもありましょう。第2番第1楽章で貫かれて使用される冒頭主題・・・これもよくTVニュースのバックで流されていました・・・も本演奏ではやや当たりがあっさりソフトに感じました。第2楽章はちょっと遅めのテンポでのどかです。哀愁を含んだ緩徐楽章の第3楽章から第4楽章フィナーレへは熱気を帯びて雪崩れ込んで行きますが通して聴くと何となくその展開の「取り留めなさ」に今一頼りない感じはします。二楽章形式の第3番の方はボロディンの手が中途半端で若いグラズノフが譜面を整理しリムスキー=コルサコフが初演指揮したという作品で私自身このアンセルメ演奏盤以外は知りませんがまぁ有名な音楽家が多く係わった作品なのですね。憂いのある第1楽章からロシア色がより濃い作品となっていますが正直ファン必携とまでは入れ込み出来ませんでした。ボロディン歌劇「イーゴリ公」序曲(同10’34)もグラズノフがボロディンが弾いたピアノを覚えていて作った、という怪しげな曲なのですがこういう交響詩的な雰囲気はよりアンセルメに合っているみたいです。同年収録のバラキレフ交響詩「タマーラ」は濃密なオリエンタリズムを柱に妖女タマーラを描写した音楽で妖しげな雰囲気を大いに楽しみたいものであります。初期ステレオ録音の割には聴き易いのはDECCAだからでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/22

    アンセルメは若い数学者から三十歳過ぎた頃ディアギレフが率いるロシアのバレエ団の指揮者へ転向した為かフランス音楽と同じ様にロシア音楽を重要なレパートリーにしており、特に化学者だったボロディンの作品を演奏するのに両者何処か異業種からの変転に相通じるものがあるのでしょう・・・本盤は1954年アンセルメが71歳の時手兵SROを指揮して収録した交響曲第2番(演奏タイム@7’17A5’32B6’38C6’28)と第3番(同@7’10A8’42)がメインプログラムであります。どちらの曲も原色的な管弦楽の扱いが特徴的でボロディンのロシア臭がアンセルメの西欧風の美感におきかえられている処が聴くポイントでもありましょう。第2番第1楽章で貫かれて使用される冒頭主題・・・これもよくTVニュースのバックで流されていました・・・も本演奏ではやや当たりがあっさりソフトに感じました。第2楽章はちょっと遅めのテンポでのどかです。哀愁を含んだ緩徐楽章の第3楽章から第4楽章フィナーレへは熱気を帯びて雪崩れ込んで行きますが通して聴くと何となくその展開の「取り留めなさ」に今一頼りない感じはします。二楽章形式の第3番の方はボロディンの手が中途半端で若いグラズノフが譜面を整理しリムスキー=コルサコフが初演指揮したという作品で私自身このアンセルメ演奏盤以外は知りませんがまぁ有名な音楽家が多く係わった作品なのですね。憂いのある第1楽章からロシア色がより濃い作品となっていますが正直ファン必携とまでは入れ込み出来ませんでした。ボロディン歌劇「イーゴリ公」序曲(同10’34)もグラズノフがボロディンが弾いたピアノを覚えていて作った、という怪しげな曲なのですがこういう交響詩的な雰囲気はよりアンセルメに合っているみたいです。併録の「ダッタン人の踊り」(1960年録音、タイム11’17)及び「中央アジアの草原にて」(1961年録音、同6’43)は聴いておりません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/21

    フルトヴェングラーのブルックナー7番はHMVでは5種類確認され全てBPOとの収録、内この本盤演奏はフルトヴェングラー63歳の時・・・1949年聴衆なしの放送用モノラル録音分(演奏タイム@19’26A21’02B9’43C11’59)で私も擬似ステレオLPにより馴染んだ盤です。ブルックナーの音楽に対するには全く己を空にして絶対音楽として音そのものを「感ずる」事が「コツ」ということで特に当該曲の第2楽章アダージョにはじっくり耳を傾け味わえる事と続く楽章とのバランスにおいてこのフルトヴェングラー盤は技術的処理CDにより安心出来る更なる秀逸盤となっていることでしょう。版の違いは例えば打楽器の有無とからしいですが聴くサイドは都度対応すれば・・と思っています。本演奏はBPOの素晴らしいアンサンブルをベースに厚みのあるサウンドが往年の抜きん出たBPOの存在感を偲ばせます。特に第1楽章から聴かせる豊潤&芳醇な弦の流れ音にどっぷり浸かる事からこの演奏の鑑賞が始まりましょう。個人的には本演奏で前述第3楽章のダイナミックなリズムの動きは音質の程度を超越してこのスケルツォ楽章に真実味を受け止めました。それと最終楽章の諸テーマを夫々性格付けして緩急濃淡表現に注力して行く過程に私はフルトヴェングラーのスケールを感じ取ると共に当時のBPOの反応力レベルの高さを聴き取った次第です。多分この7番では他のフルトヴェングラー演奏も考慮してもベストなのでは・・・。その他の彼の演奏分の内全楽章収録の代表的なものの演奏タイムをメモしておきますね・・・1951年カイロライブ分@19’03A21’57B9’39C11’38、同年ローマライブ分@19’58A21’33B9’40C11’57・・・。併録のD.フィッシャー=ディスカウが歌うマーラー「亡き子を偲ぶ歌」は聴いていないのですが多分1955年ケンペ/BPOのバックで収録したもの(5曲トータルタイム24’18)で名唱にあげられています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/20

    購入不可商品になっておりますがDGのLP盤を聴いていましたので書き込みさせていただきました。1944年録音ブルックナー交響曲第9番はフルトヴェングラー58歳の時のBPO指揮によるものです・・・演奏タイム@23’30A9’26B25’23は他の指揮者比較からしますと全体各楽章短めの印象を持ちました。この演奏の異盤は何種類かある様ですが演奏自体としては特に私は第3楽章が気に入っております。神々しいまでのエンディングに到る入魂ぶりは「流石!」、その運びぶりは瞑想的ですらあります。たヾ第1楽章の主題展開までのテンポ・・・これは本楽章後半繰り返しも同様・・・は何かこの指揮者の恣意ぶりが鼻につき不自然とまで聴きました。大きなウネリが寄せては返し正しく緊迫・弛緩の繰り返しがまぁここまでする必要があるのかという感触に終始しました。第2楽章スケルツォもスタートテンポがイージーに思え少なくとも私には納得というか消化できないものを感じました。フルトヴェングラーファンは必聴演奏であることをお伝えしたかったのですが好みからその演奏は録音状況(勿論モノラル)も含めOKとします。なお、フルトヴェングラー指揮のブルックナー9番は本演奏のみの様ですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/19

    以前レビューを書いた者ですがデータ中心に再書き込みさせていただきます。とにかくユダヤの血がこれだけの1963年名演をさせた事は認めざるをえません。他の指揮者の力づくの間に合わせや感情移入とは明らかに異なる何かがあります。ちょつとした音符・休止にもこの指揮者の創造の奔りが何と鮮烈に聴こえることでしょう。第1楽章出だしから終楽章の圧倒的全管弦楽・合唱の復活テーマまでへのなだれこみはこの盤の若いバーンスタイン(マーラー作曲年代とほぼ同じ45歳頃)において他はないでしょう。オーケストラは心得たNYPO、独唱はL..ヴェノーラ(S、当時31歳)とJ.トゥーレル(MS、同63歳)そして合唱はカレッジエートCOの面々で演奏タイムこそ@23’35A11’35B10’05C5’26D33’59と後年再録分と比べますと短めなのですが若い気迫の空転も分かった上で最高ランクに評したいですね。HMVでのバーンスタインのCDカタログリストを見ますとマーラー作品の収録分が多くマーラーの作品を世に広めるために若い頃から尽力し続けたバーンスタインが指揮したその時々での入魂の演奏記録として永く聴かれるべき演奏の一つなのでしょう。彼の「復活」指揮分は他に1958年フランス国立放送O(モノラル・ライブ、タイム@23’08A10’55B10’10C5’34D33’49)や1973年LSO(タイム@23’45A12’05B10’50C6’00D36’49)そして本盤と同じオーケストラNYPOで1987年(同@24’52A11’58B11’23C6’15D38’33)演奏盤があり珍品としては1967年イスラエルPOを指揮してのヘブライ語による第5楽章のみのライブ分も残っている様です。いずれにしても彼の熱っぽい真底ある演奏はどれも替え難いものと私にはなって久しいです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/08/18

    販売終了となっていますがユダヤの血がこれだけの1963年名演をさせた事は認めざるをえませんので念押しレビューをさせていただきます。他の指揮者の力づくの間に合わせや感情移入とは明らかに異なる何かがあります。ちょつとした音符・休止にもこの指揮者の創造の奔りが何と鮮烈に聴こえることでしょう。第1楽章出だしから終楽章の圧倒的全管弦楽・合唱の復活テーマまでへのなだれこみはこの盤の若いバーンスタイン(マーラー作曲年代とほぼ同じ45歳頃)において他はないでしょう。オーケストラは心得たNYPO、独唱はL..ヴェノーラ(S、当時31歳)とJ.トゥーレル(MS、同63歳)そして合唱はカレッジエートCOの面々で演奏タイムこそ@23’35A11’35B10’05C5’26D33’59と後年再録分と比べますと短めなのですが若い気迫の空転も分かった上で最高ランクに評したいですね。HMVでのバーンスタインのCDカタログリストを見ますとマーラー作品の収録分が多くマーラーの作品を世に広めるために若い頃から尽力し続けたバーンスタインが指揮したその時々での入魂の演奏記録として永く聴かれるべき演奏の一つなのでしょう。彼の「復活」指揮分は他に1958年フランス国立放送O(モノラル・ライブ、タイム@23’08A10’55B10’10C5’34D33’49)や1973年LSO(タイム@23’45A12’05B10’50C6’00D36’49)そして本盤と同じオーケストラNYPOで1987年(同@24’52A11’58B11’23C6’15D38’33)演奏盤があり珍品としては1967年イスラエルPOを指揮してのヘブライ語による第5楽章のみのライブ分も残っている様です。いずれにしても彼の熱っぽい真底ある演奏はどれも替え難いものと私にはなって久しいです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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