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ひとみ さんのレビュー一覧 

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     2015/08/28

    インバル&都響 2015/3/18 ノヴァーク 1878/80 改訂稿によるライヴ収録演奏をエクストンのCDで聴いた。刺激的な全強奏が耳に付かない配慮だろうか、リミッターをかけたような音響。耳を凝らして聴くと、いつもは良く通るインバルの声も、ごく微かに、圧縮されて聴こえた。1970年代半ば、NHKのFM番組を頻繁にエアチェックした頃、ソニーの平置き型のカセットデッキで、リミッターをかけて録音したら、こんな音になったのを思い出した。
    インバル、フランクフルト放送響と初稿譜でのブルックナー4番録音は、1982年9月。今回のノヴァーク1878/80稿での新盤は、実に33年ぶりとなった。
    インバルは、初稿譜のブルックナーについて、レコ芸1999年7月号、諸石幸生氏のインタビューに答えて、「これほどワイルドで、アヴァンギャルドで、斬新なブルックナーはまったく予想もしていませんでした」と、具体的に述べている。2015年3月、地方公演を含む3回のブルックナー4番の演奏会と録音で、インバル&都響は、革新的な初稿譜ではなく、敢えて、一般的なノヴァーク改訂稿を用いて、クナッパーツブッシュやベームらに代表される、スローで鈍重な旧来のブルックナー像を一新してしまった。2015年3月の演奏会に立ち会った何人もの人々の演奏会評からも、インバルが指摘した「非常にワイルドで、速くて、強い音楽としてのブルックナー」を窺い知ることができたが、この録音を通じて、ブルックナーが意図した交響曲第4番の実像が、初めて明らかとなった。インバルは、1987年のフランクフルト放送響初来日の際、レコ芸、諸井誠氏のインタビューでも、「ヴィヴァーチェをアダージョのように演奏する」旧来のブルックナーの演奏スタイルを、「悪しき伝統」として批判していた。
    ブルックナーの4番は「アレグロの交響曲」である。1874年初稿では、T: Allegro U : Andante quasi allegretto V : Sehr schnell ・ Trio :Im gleichen Tempo W : Allegro moderato 1878/80年 ノヴァーク第2稿では、T: Bewegt. nicht zu schnell U : Andante quasi allegretto V : Scherzo. Bewegt W : Finale. Bewegt. doch nicht schnell アレグロ allegroとは、元来、vivace ヴィヴァーチェ と同義で「陽気」「快活」を意味した。ブルックナーは、改訂稿では、「アレグロ」の代わりにドイツ語の「べヴェークト」を使用。ブルックナーの4番は、インバルの言う通り、アダージョではなく、ヴィヴァーチェで、「生き生き」と「快活に」演奏されなければならない。
    インバル&都響のブルックナーの4番は、60分を切り、同曲演奏では、ほぼ最短の59:44。物理的には最短でも、決して、速すぎるわけではない。ブルックナーの指示通り、「生き生きと」「速すぎずに」演奏されていた。全般に、速くて、強靭でありながら、「スケルツォ」は、繊細で、愛らしく、「殆どアレグレットで」と指示された「アンダンテ」の第U楽章は、十分にロマンティックだった。かつてフランクフルト放送響で、初めて、ブルックナーの初期交響曲を聴いた時のような、清新な、清々しい気分が甦ってきた。
    インバル&都響のブルックナー4番。インバルという現役最高の指揮者が、四半世紀、ともに切磋琢磨して創り上げた東京都響という最高のオーケストラと、ノヴァーク改訂稿という一般的な版を使用して、革新的でありながら、望みうる最高のブルックナー・サウンドを実現している。

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     2015/01/10

    果たして、オーケストラが、これほどまでに美しい音楽を奏でたことが、嘗て、あっただろうか?自由自在・融通無碍の境涯に達した、インバルの指揮に、プラチナ・シルバーの光沢を湛えた、純粋・透明、硬質なヴァイオリンが、終始、高音域を貫いて、ブリリアントな(インバル)、輝かしいマーラー節で応える。マーラー最晩年の心象風景を、見事に描き切ったヴィオラ。時に甘く囁き、時に優しく語りかけ、時に轟々と雄叫びを上げる低弦。随所で、さりげなく、美しい独奏を聴かせてくれた木管。インバルが11音だという、あの不協和音さえ、濁りなく、美しく、重層的に、響き渡らせた金管。透明にして濃密、正真正銘の、インバル・サウンドが、ここに繰り広げられる。このディスクは、東京都交響楽団、TMSO、自家薬籠中の「マーラー表現法のパレット」 (インバル)によって、「混沌から最も繊細な表現に至るまで」 (同)完璧に再現された、マーラー未完の交響曲第10番クック版、厳密には、「デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏用ヴァージョン」5楽章、全曲演奏のレコードである。本ツィクルス、前作の9番と、この10番とを、連続して再生してみるとよい。この10番が、いかに出色、特別か、自ずから、顕かとなるだろう。この10番のディスクは、再生装置を選ばない。どのような聴き方をしても、ホールで聴く、実演奏の響きと、雰囲気を、そのままに再現してくれる。これほどの録音もまた、未だ嘗てなかった。但し、「ライブ収録」とは、記載されていないように、2014年7月20日 、21日両日の、サントリーホール・マチネーも含め、複数のテイクを編集したレコード、つまり、当日の演奏会とは必ずしも一致しない「録音芸術」と見做すのが、妥当だろう。同じホールを、2日続きで使ったメリットが、最大限に活かされた結果だ。事実、この10番以外は、2つ、もしくは、3つの演奏会場で収録されていた。日本経済新聞、池上輝彦氏は、このインバル&都響の演奏会を通じて、マーラーの交響曲第10番を「マーラーの最高傑作」と位置付けた。これまでにも、マーラー自身の手で完成されていたら 、「最高傑作となっていたであろう」という評価は、見受けられた。しかしながら、「交響曲第10番はマーラーの最高傑作」という評価は、インバル&都響の演奏によって、おそらく、今回、初めて、もたらされたものだろう。これは、それほどに、画期的・記念碑的な演奏だったのだ!インバルのマーラーを初めて聴いて30年。この東京都交響楽団との、クック版、マーラー交響曲第10番の全曲演奏は、間違いなく、インバルのベスト・レコード、代表作である。マーラー演奏の到達点として、オーケストラ演奏の到達点として、世界中の音楽愛好家に聴いてもらいたい演奏である。

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     2013/11/26

    コンセルトヘボウのエリアフ・インバル マーラー第10番 クック版全曲演奏会
     インバルのファンなので、コンセルトヘボウでのマーラーの10番については動画サイトを通じて既にその演奏に接していた。マーラーの生誕150年、没後100年記念の全曲演奏会、その大トリが件の10番である。2009年から2011年にかけて番号順に9人の指揮者によって演奏され、現役首席指揮者のヤンソンスのみ2番、3番、8番の独唱と合唱付き交響曲を3曲指揮、ヨーロッパでも非常に注目されたツィクルスである。元首席のハイティンクも9番を指揮、6番のマゼール、7番のブーレーズもマーラー演奏のビッグ・ネームである。因みに、2011年6月30日、この10番演奏時のインバルの肩書は、東京都響プリンシパルの他、チェコフィル首席、ベネツィアのフェニーチェ歌劇場音楽監督、フランクフルトのHR交響楽団名誉指揮者である。
    インバルは現役最高のマーラー指揮者、故に、このツィクルスの指揮者陣に名を連ねても何ら不思議ではない。しかし、インバルはコンセルトヘボウの常連指揮者ではなく、同じクラスのベルリンフィル、ウィーンフィルの常連でさえない。ネット上の記事によると、インバルは、2002年8月のプロムスで、コンセルトヘボウとマーラーの3番を演奏、また2011年11月にはバイエルン放送響を指揮、いずれも急病でキャンセルしたシャイーの代役とのこと。6月のこの10番も、元首席のシャイーの代役扱いと見做して相違あるまい。
    本シリーズHMVのセールスポイントに「特にインバルの第10番は驚異的な美しさ」と謳われている。どなたかのレビューにも、インバルの10番はこのシリーズの「白眉」で、この1枚だけでも購入の価値アリとあったが、1番から順番に聴いてみて、まったくその通りだと思った。同じホール、同じオーケストラ、同じ録音環境での比較ゆえに異論の余地はない。
    映像を見れば一目瞭然だが、インバルとオーケストラが、最高のマーラー演奏という目標に向かって、渾身のエネルギーを傾注して突き進む姿は、それだけでも感動ものだった。実際、他の10曲の演奏との比較で、インバル指揮の10番のみ、全く別次元のサウンドが奏でられており、コンセルトヘボウの常連で耳の肥えた聴き手なら、なぜインバルが首席指揮者にならなかったのか、訝しく思ったのではあるまいか。バーンスタインとベルリンフィルのマーラー9番は、一期一会的な名演として音楽史に残るが、このインバルとの演奏も、後にそのように評されるのかもしれない。少なくとも、奏者と聴衆の胸には深く刻まれたことだろう。インバルが首席指揮者として、コンセルトヘボウを自分のオーケストラとして鍛え上げたら、一体どのような演奏が可能なのだろうか?と想像が掻き立てられた。
    1楽章のアダージョの他は未完成、一部のマーラーファンでさえ、クック版での全曲演奏には首を傾げたくなるオーケストレーション。マーラー自身の筆が最も希薄なはずの補筆完成版スコアによる10番の全曲演奏が、シリーズ随一の、最も濃密で感動的なマーラーになるとは!しかも代役扱いのインバルの手で!
    随所での木管・金管のソロはどれも極めて魅力的だったが、全曲を通じて弦楽器、とりわけバイオリンの音が水際立ち、絹の質感と称えられた90年前後のあのフランクフルトHR交響楽団の演奏が甦ったようだった。すべての奏者が正しい音程に細心の注意を払いつつ指揮者の要求に応えた結果だろう。コンセルトヘボウで、コンセルトヘボウオーケストラが、インバル・サウンドを奏でた記念碑的演奏会だった。
    1936年イェルサレム生まれのインバルは、イスラエルでの青年時代、陸軍とユースの合同オーケストラを率いてオランダを訪問、パリ音楽院留学時には、ヒルフェルスムで、フランコ・フェラーラの指揮セミナーの受講生だった。そして1963年のカンテッリ指揮者コンクール優勝後は、メジャーレーベルのフィリップスに在籍して、ドビュッシーの海と前奏曲をコンセルトヘボウオーケストラと録音していた。インバルによれば、長いリハーサルの後、迂闊にも休憩を入れてしまい、ディレクターに叱られたのだとか。このオーケストラの金管楽器は、くたくたに疲れた時に最高の音を出すのだから。
    75歳、老境にさしかかったインバルが、思い出のオランダで、全身全霊を傾けて紡ぎ出した究極のマーラー。フランクフルトのHR交響楽団との録音で、初めて10番のフィナーレを聴いたとき、赤い夕焼けに染まる黄昏の景色が浮かんで来たが、この演奏でもまったく同じ光景が目に浮かんだ。マーラーのツィクルスでは9番、大地の歌、10番をひとつの纏まりとして聴くことが出来る。10番のアダージョは、精神的には、9番アダージョや大地の歌の告別と同一の世界をなすものだが、2楽章のスケルツォ以降、曲想は一変し、ショスタコーヴィチが旧ソ連の体制下で強いられたような副業としてのメロドラマ、BGM的映画音楽と化し、それは終楽章のアダージョで最も顕著となる。しかも、赤い夕陽の景色は、マーラー自身の人生の黄昏であると同時に、クラシック音楽の黄昏、そしてさらに、この演奏においては、インバルの指揮者人生の黄昏とも重なり合うものである。そのような意味においても、この10番の映像は、将来、彼の業績を回顧するための貴重な資料となり得るものだろう。HR響の他、イタリアのトリノRAI響、フランス国立放送フィル、N響等、各国の公共放送のオーケストラとの演奏を数多く行ってきたインバルゆえに、相当数の放送用映像が残されたと推察されるが、今回の企画のような形で、彼のマーラー指揮者としての到達点が記録されたことを、ファンのひとりとして心から嬉しく思う次第でもある。
    マーラーに限らず、初稿譜のブルックナーであれ、ベートーヴェンであれ、インバルの指揮者としての姿勢は、徹頭徹尾、楽譜の最適なリアライゼーションにある。最も楽譜を読み解く能力に長け、最も優れた耳でオーケストラを調律し、音符一つひとつに固有なテンポを与えて、実際の音としての音楽を創造する。こうして紡ぎ出される音楽は、生き生きとして瑞々しい歌に満ち溢れ、老いてなお、その音楽は若々しい。
    皮肉なことに、イスラエルでインバルを見出し、外国での勉強をアドバイスし、奨学金の手配までして、プロの指揮者へと後押ししたバーンスタインは、究極の興行家・エンターテイナーであり、翻訳家・インタープリターに徹したインバルとは対極の人であった。バーンスタインは、ウィーンフィルとのマーラー5番、9番の演奏・収録に合わせたインタビューで「マーラーを聴いていると自分の音楽のように感じるので手を加える」と公言していた。つまり、バーンスタインのマーラーは、ジャズピアノの即興アレンジのように、精確には、バーンスタイン編曲のマーラーなのだ!
    コンセルトヘボウとの本シリーズで、最も聴衆受けしたのは、ガッティ指揮の5番だったと思われるが、バーンスタイン張りの編曲著しい演奏で、楽譜にはない恣意的な休止符が何か所も挿入され、自然な音楽の流れが随所で寸断された醜悪な演奏だった。インバル以外では、9番のハイティンクの演奏が秀逸だった。オーケストラを完全に制御して鳴らしている様子がはっきりと見てとれた。どれほど歴史のある優れたオーケストラであろうが、指揮者に十分制御されないままのオーケストラは、原石状態のダイヤモンドと大差ない。それはコンセルトヘボウといえども決して例外ではない。このツィクルスは、そのことを見事に実証するものである。現役首席のヤンソンスについては、3番は素晴らしかったが、2番は弛緩の連続で、2番を十分理解出来ずに演奏している感が否めなかった。この企画がインバル&コンセルトヘボウオーケストラによるマーラーツィクルスであったならどんなに素晴らしかっただろうか!本シリーズ、全11ディスクを視聴・鑑賞した率直な感想である。

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