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つよしくん さんのレビュー一覧 

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     2012/11/24

    本盤におさめられた交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤におさめられた交響曲第4番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、私の知る限るでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第4番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きいと言える。バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。併録の大学祝典序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/23

    今般、ソニーはグールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音のSACD化を行ったところであり、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤におさめられたイギリス組曲も素晴らしい名演だ。1971年から1976年の6年もの歳月をかけて録音を行っているが、他のピアニストの演奏のように、第1番から番号順におさめるのではなく、おそらくはグールドなりに考えた配列でおさめているというのも、グールドのイギリス組曲への並々ならない拘りが感じられる(グールドは、実演をやめ、スタジオ録音のみに活路を見出していたところであり、本盤のような楽曲のおさめ方は、単に、収録時間の関係ではないと私は考えている。)。それにしても、本演奏は個性的だ。イギリス組曲は、全体としては比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在していると言える。もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしいと言える。これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。いずれにしても、本盤のイギリス組曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、数年前にBlu-spec-CD化がなされたところであり、それでも十分に満足できるものであった。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/11/18

    ビゼーの最高傑作でもある歌劇「カルメン」は、舞台となったスペインのエキゾチックとも言うべき名旋律に溢れた作品であるだけに、そうしたスペイン風の雰囲気を十分に活かした演奏が多い。そして、そのようなスタイルの演奏こそが、歌劇「カルメン」を演奏する際のアプローチの王道ともなっているが、ショルティによる本盤の演奏は、それとは一線を画するタイプのものと言えるだろう。ショルティは、もちろん、同曲の随所に散りばめられたスペイン風の情緒溢れる旋律の数々を情感豊かに歌わせることを全く行っていないわけではない。ただ、そうした旋律を歌わせることよりもむしろ、同オペラを一つの壮大な交響曲と見做して、絶対音楽として描き出しているような趣きがあると言えるだろう。ショルティの演奏の特徴でもある切れ味鋭いリズム感と明瞭なメリハリは、本演奏においても最大限に発揮されていると言えるところであり、後世の様々な作曲家にオーケストレーションを激賞されたとされるビゼーがスコアに記した音符の数々、そして旋律の数々を、他のどの演奏よりも明晰に描き出すのに成功していると言える。したがって、前述のように、スペイン風の情緒溢れる旋律の数々の歌わせ方が若干犠牲になっているという側面も否定できないところであり、このあたりが、本演奏に対するクラシック音楽ファンの好悪を分ける最大の分岐点であるとも思われるところだ。なお、ショルティは、同オペラを録音するに当たっては、当時音楽監督をつとめていたシカゴ交響楽団ではなくロンドン・フィルを起用しており、その分だけ1970年代のショルティの演奏において時として聴かれ、そして欠点ともされている力づくの強引さが薄められているとも言えるが、それでも前述のようなリズムの鋭さやメリハリの明晰さは健在であると言える。このように、クラシック音楽ファンにとっては、好悪が大きく分かれる演奏とは思われるが、私としては、あまりにも有名過ぎて手垢にまみれているとも言える歌劇「カルメン」の演奏に対して、ある種の清新さを付加したという意味において、十分に存在意義のある名演と評価したいと考える。歌手陣も、ショルティならではの考え抜かれたキャスティングであり、何と言ってもカルメン役のタティアナ・トロヤヌスの迫真の絶唱が圧倒的な存在感を示している。また、ドン・ホセ役のプラシド・ドミンゴ、エスカミーリョ役のヨセ・ヴァン・ダム、そして、ミカエラ役のキリ・テ・カナワなど、録音当時全盛期を迎えた超一流の歌手陣が一同に会するというこれ以上は求め得ないような超豪華な布陣であり、それらの布陣が最高のパフォーマンスを発揮しているというのは、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質も、英デッカによる見事な高音質録音であり、1975年のスタジオ録音とは思えないような鮮度を誇っているのも素晴らしい。

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     2012/11/18

    バルビローリという指揮者がいかに懐の深い指揮芸術を有していたのかを再認識させる素晴らしい名演だ。バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤におさめられた交響曲第3番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、私の知る限るでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれていると言える。それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。本盤におさめられた第3番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っていると言える。交響曲第3番の冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっていると言える。音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/18

    本盤におさめられた交響曲第2番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、第4番と並んで最も優れた名演だ。バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤におさめられた交響曲第2番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、私の知る限るでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第2番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きいと言える。バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ(数年前に、交響曲第2番、悲劇的序曲、大学祝典序曲をカプリングして、ESOTERICがSACD盤を発売したが、当該ESOTERIC盤との優劣については議論が分かれるところだ。)。いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/17

    メータの演奏が、ユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズに登場するのは、ウィーン・フィルとのマーラーの交響曲第2番(1975年)に次いで、今回が2枚目のアルバムということになる。近年では円熟の境地を迎えたものの、かつての光彩をすっかりと失ってしまったメータであるが、ロサンジェルス・フィルの音楽監督をつとめていた時代は凄かった。当時は、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を繰り広げていたアバドや、ボストン交響楽団の音楽監督に就任して世界に羽ばたこうとしていた小澤などと並んで、新進気鋭の指揮者として次代を担う存在と言われたものであった。かの巨匠カラヤンも、将来のクラシック音楽界を背負う指揮者としてアバド、小澤とともにメータを掲げていたこともあり、メータが当時、いかに華々しい活躍をしていたかを窺い知ることが可能であると言えるところだ。本盤におさめられたロサンジェルス・フィルとのホルストの組曲「惑星」とJ・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」組曲は、メータのロサンジェルス・フィルの音楽監督時代の代表盤の一つであるのみならず、メータの全盛期を代表する圧倒的な名演盤と言えるのではないだろうか。私としては、両演奏ともに、メータの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。メータは、組曲「惑星」についてはその後もニューヨーク・フィルとともに録音を行っている(1989年)が、とても本演奏の持つ魅力には達し得ていないと言えるところだ。組曲「惑星」については、とにかく、冒頭の「火星」からして凄まじいド迫力だ。どこをとっても切れば血が噴き出てくるような力感が漲っており、随所に聴かれる畳み掛けていくような気迫や生命力にはただただ圧倒されるのみである。「木星」における壮麗にして雄大なスケールの音楽も見事であり、他方、「金星」や「海王星」などにおける繊細な美しさにも出色のものがあり、必ずしも若さ故の勢い一本調子の演奏に陥っていないことに留意しておく必要がある。全盛期のメータは、その巨大な体躯から力づくの演奏をする指揮者とのイメージも一部に持たれているようであるが、本演奏のようないい意味での剛柔のバランスのとれた演奏を行うことができるというある種の器用さも兼ね備えていたところであり、これはメータがいかに類まれなる豊かな音楽性を備えていたのかの証左とも言えるだろう。いずれにしても、本盤の組曲「惑星」の演奏は、前述のように、メータの全盛期を代表する圧倒的な超名演と高く評価したい。併録のJ・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」組曲も、組曲「惑星」と同様に、いい意味での剛柔のバランスのとれた全盛期のメータならではの素晴らしい名演だ。そして、本演奏の凄さは、英デッカによる極上の高音質録音と言える。英デッカは、その録音の素晴らしさで知られているが、本演奏もそうした定評をいささかも覆すものではないと言える。したがって、従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にSHM−CD化がなされ、それによって、更に良好な音質になったところであり、私としてもこれまでは当該SHM−CD盤を愛聴してきたところだ。ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やSHM−CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。両曲ともに華麗なるオーケストレーションを誇る楽曲であるが、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、メータによる圧倒的な超名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/11

    ヴァントは、徹底したリハーサルを繰り返すことによって自ら納得できる音楽作りを追及し続けたことから、起用するオーケストラを厳選していた。長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団が第一に掲げられる存在と言えるが、その他のオーケストラとしては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団が掲げられるところだ。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。私も、ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを聴いたが、指揮者は知られざる者であったものの、見事な演奏を繰り広げていたのが強く印象に残っている。ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第6番やモーツァルトの交響曲第40番は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったと言えるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したいと考える。チャイコフスキーの交響曲第6番については、既に1991年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその3年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。本盤におさめられた演奏についても、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、私としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1991年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。他方、モーツァルトの交響曲第40番については、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1959年)、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1994年ライヴ録音)が既発売であることから、ヴァントによる3種目の録音ということになる。本演奏については、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ない。テンポはかなり早めであり、一聴すると無骨とも言えるところであるが、各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、北ドイツ放送交響楽団との演奏ほどではないが、ヴァントの晩年の澄み切った境地が示された名演と高く評価したいと考える。音質は、1988年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものであると言える。もっとも、最近ではSACD盤の発売が一般的になりつつあるところであり、可能であれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/11/11

    バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤におさめられた交響曲第1番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、私の知る限るでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれていると言える。それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。本盤におさめられた第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っていると言える。冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/10

    本盤には、シューリヒトが晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行ったブルックナーの3曲の交響曲のうち第3番がおさめられているが(他は、第8番及び第9番)、久しぶりの発売であるとともに、待望のシングルレイヤーによるSACD化と言えるだろう。というのも、第8番や第9番がシューリヒトの、引いてはそれぞれ両曲の演奏史上でも特筆すべき名演だけに、いささか影が薄い存在であるということもその理由に掲げられると言えるのかもしれない。シューリヒトの死の2年前の録音ということもあり、第8番や第9番と比較すると、シューリヒトの統率力にいささか衰えが見られることに加えて、当時は一般的であった改訂版の使用も相まって、大方の音楽評論家があまり芳しい評価をして来なかったという側面も否定できない。しかしながら、果たして、そうした低評価だけで片付けられるような演奏と言えるのであろうか。確かに、早めのテンポで燃え盛るようなドラマティックな生命力溢れる力演を聴かせてくれた第8番や、深沈たる彫の深い表現を聴かせてくれた第9番の演奏と比較すると、いささか統率力が弱まり(ブラスセクションが荒削りになっている点において顕著)や彫の深さに欠けた演奏とも言えるが、それでも巨匠シューリヒトならではの至芸は随所に表れているのではないかと考えられる。演奏全体の引き締まった造型美には殆ど問題はないし、淡々と流れていく曲想の端々には、独特の奥深い情感が込められているのは、シューリヒトならではの指揮芸術の賜物と言えるところであり、死の2年前ということもあり、それはあたかも人生の辛酸をなめ尽くした巨匠の至純・至高の境地と言っても過言ではあるまい。そして、本演奏の魅力は、何と言ってもウィーン・フィルによる美演であると言える。ウィーン・フィルはシューリヒトを崇敬していたとのことであるが、本演奏でも崇敬するシューリヒトを指揮台に頂き、渾身の名演奏を繰り広げている点を高く評価したい。いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのベストフォームにある演奏ではないことについては否定しないが、ウィーン・フィルの好パフォーマンスも相まって、シューリヒトの最晩年の清澄な境地が表れた素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、手元に第8番及び第9番と組み合わさったセット盤を所有しているが、当該従来CD盤が今一つ冴えない音質でやや問題があったと言える。第8番や第9番がHQCD化、ついでハイブリッドSACD化され、圧倒的な超高音質に生まれ変わったにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、シューリヒトによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/10

    本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第6番がおさめられている。中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第6番は本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。それはさておき、演奏は凄まじい。これは、同じく1970年に録音された第5番や第7番と共通していると言えるが、正に強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤におさめられた第6番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、私はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。正に、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1988年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1991年ライヴ盤)にいささかも引けを取っていないと言える。あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮していると言える。かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質も英デッカによる1970年の録音当時としては極めて優秀なものであるが、第5番が先般シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされたにもかかわらず、第6番が現在でもなおSHM−CD化すらされていないのはいささか残念な気がする。本演奏は、同時期の第5番や第7番と並ぶショルティならではの壮絶な名演であり、可能であれば、第5番と同様に、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/11/10

    ヨッフムがバンベルク交響楽団とともに来日した際の待望のライヴ録音の登場だ。近年では、ベートーヴェンの交響曲の演奏様式も当時とは大きく様変わりし、小編成オーケストラのピリオド楽器による演奏や、大編成のオーケストラによるピリオド奏法による演奏などが主流を占めつつあり、いまやかつての大編成のオーケストラによる重厚な演奏を時代遅れとさえ批判するような見解も散見されるところだ。昨年発売されたティーレマン&ウィーン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集は、そうした近年の軽妙浮薄とも言うべき演奏傾向へのアンチテーゼとも言うべき意地の名演であったが、それも少数派。一部の音楽評論家や音楽の研究者は喜んでいるようであるが、少なくとも、かつての大指揮者による重厚な名演に慣れ親しんできたクラシック音楽ファンからすれば、あまり好ましい傾向とは言えないのではないかとも考えられるところだ。パーヴォ・ヤルヴィやノリントン、ジンマンなどによって、芸術的にもハイレベルの名演は成し遂げられているとは言えるものの、私としては、やはりどこか物足りない気がするのである。そうした中にあって、ヨッフム&バンベルク交響楽団による演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは私だけではあるまい。もちろん、ヨッフムは何か特別な解釈を施しているわけではない。奇を衒ったようなアプローチは皆無であり、バンベルク交響楽団のドイツ風の重厚な響きを最大限に活かしつつ、曲想を丁寧に描き出していくというオーソドックスな演奏に徹していると言えるところだ。もっとも、交響曲第7番について言えば、第3楽章中間部のロマンティシズム溢れる表現や第4楽章の決して急がないテンポによる演奏など、ヨッフムならではの独自の解釈も見られないわけではないが、演奏全体としては正にドイツ正統派とも言うべき重厚な演奏に仕上がっていると言えるだろう。もちろん、交響曲第6番について言えば、ワルター&ウィーン・フィル(1936年)やワルター&コロンビア交響楽団(1958年)による演奏、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1971年)、そして、交響曲第7番について言えば、フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1943年)やフルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1950年)による演奏、クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団等による演奏(1960年及び1968年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1978年パレクサ盤)などの超名演があり、これらと比較すると強烈な個性に乏しいとも言えるが、ベートーヴェンの交響曲第6番や第7番の魅力をダイレクトに表現しているという意味においては、本盤のヨッフムによる演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。カプリングの「エグモント」序曲も、ヨッフムならではの円熟の名演だ。音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質であったと言えるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤を聴いて大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/04

    ショルティは、マーラーの交響曲を得意としており、数多くの録音を遺しているが、その中でも最良の遺産とされているのは、シカゴ交響楽団との全集(1970〜1983年)であるというのは論を待たないところだ。ところが、既に発売されている全集(輸入盤)には、何故か「大地の歌」が含まれていない。本盤におさめられた演奏は、ショルティにとってシカゴ交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1972年)以来、2度目の録音である。本盤の演奏は1992年のライヴ録音であることから、ショルティにとって何と20年ぶりの録音ということになる。第1番〜第4番と第9番については、1980年代前半に再録音を行ったのに対して、大地の歌を同時期に再録音しなかった理由は定かではない。最初の録音によほど満足していたのか、それとも「大地の歌」を録音する時間がなかったのかはわからないが、それはさておき、本演奏はそうした長年の渇きを癒すのに十分な素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。正に満を持しての録音と癒えるものであり、あたかもショルティが録音の絶好のタイミングを伺っていたのではないかとさえ思えるほどだ。ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、1980年代、特にその後半以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。したがって、1992年の演奏は、より一層円熟味と風格が高くなったとも言えるところであり、ショルティならではの鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、旧演奏と比較して、前述のような聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さには大なるものが存在していると言える。加えて、オーケストラにシカゴ交響楽団ではなく、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用したのも功を奏しており、同オーケストラの北ヨーロッパならではの幾分くすんだ響きが、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることを忘れてはならない。アルトのリポヴシェクやテノールのモーザーも見事な歌唱を披露しており、ショルティの確かな統率の下のコンセルトへボウ・アムステルダムともども、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。いずれにしても、本演奏は、ショルティの円熟を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1992年のライヴ録音であるのに加えて、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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     2012/11/04

    ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ・チクルス第2弾が、今般、国内盤で、しかも分売で発売されることになったのは、演奏水準の高さからしても、多くのクラシック音楽ファンにとって大朗報と言えるだろう。ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。私も、ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを聴いたが、指揮者は知られざる者であったものの、見事な演奏を繰り広げていたのが強く印象に残っている。ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。本盤におさめられた、ハイドンの交響曲第76番、モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、ヴァントの知られざるレパートリーであったと言えるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したいと考える。本盤のメインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」については、手兵北ドイツ放送交響楽団との1999年のライヴ録音が存在していることから、本盤の演奏はその4年間の演奏、ヴァントにとって現時点で2種目の録音ということになる。ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントはこれら両曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。それだけに、本演奏においてもたどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。テンポはやや早めで一環しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、正に老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっていると言える。ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、私としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したいと考える。なお、1999年の演奏との違いは、オーケストラの音色以外に殆どなく、聴き手の好みによる問題と思われるところだ。ハイドンの交響曲第76番は、ヴァントがブルックナーの交響曲第6番との組み合わせで、コンサートで頻繁に採り上げていた。CDとしてはケルン放送交響楽団との演奏(1973年)が存在するとともに、DVD作品としては北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1996年)が存在する。本演奏は、その前年の1995年の演奏ということになるが、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、CDとしては、ヴァントによる同曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演と評価したい。モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」については、1990年の北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音が存在していることから、本演奏は5年後のものと言うことになるが、演奏自体はハイドンの交響曲と同様であり、ヴァントによる同曲演奏の掉尾を飾るに相応しい素晴らしい名演と評価したいと考える。音質は、1995年のライヴ録音であり、十分に満足できるものであると言える。もっとも、最近ではSACD盤の発売が一般的になりつつあるところであり、可能であれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/11/04

    グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカプリングしたCDはあまた存在しているが、本盤のルプー、そしてプレヴィン&ロンドン交響楽団による演奏は、おそらくは最も透明感溢れる美しさを誇るものと言えるのではないだろうか。何と言っても「千人に一人のリリシスト」と称されるだけあって、ルプーのピアノ演奏はただただ美しい。グリーグのピアノ協奏曲は、どこをとっても北欧の大自然を彷彿とさせるような抒情豊かな美しい旋律に彩られた楽曲であるが、ルプーは、透明感溢れるピアノタッチで曲想を描き出しており、その清澄な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。いかなるトゥッティに差し掛かっても、かかる美しさを失わないというのは、美音家ルプーの面目躍如たるものがあると言えるだろう。もちろん、ルプーのピアノ演奏には、特別な個性を発揮するなど奇を衒ったところはなく、あくまでもオーソドックスな演奏に徹していると言えることから、聴き手によってはいささか物足りないと感じる者も少なくないと思われるが、同曲の持つ根源的な美しさを徹底して追及するとともに、その魅力をピアニストの個性に邪魔されることなくダイレクトに聴き手に伝えることに成功した演奏とも言えるところだ。その意味においては、ルプーは音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとも言えるところであり、徹底した美への追及も相まって、聴き手が安定した気持ちで同曲の魅力を満喫することが可能であることに鑑みれば、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。他方、シューマンのピアノ協奏曲については、その旋律の美しさのみならず、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」をいかに的確に表現することができるのかが鍵となると言える。ルプーは、例によって、曲想を透明感溢れるピアノタッチで美しく描き出して行くが、そこには巧そうに弾いてやろうという邪心は微塵もなく、ただただ音楽の根源的な美しさを聴き手に伝えることに腐心しているようにさえ思われるところだ。したがって、ルプーの表現に何か特別な個性のようなものを感じることは困難ではあるが、そうした虚心坦懐な真摯な姿勢が、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」が演奏の随所から滲み出してくることに繋がり、結果として同曲の魅力を聴き手に十二分に伝えることに成功したと言えるのではないだろうか。いずれにしても、本演奏は、同曲の数ある名演の中でも、徹底してその美しさを追及した素晴らしい名演と評価したいと考える。両曲のルプーのピアノ演奏のサポートをつとめたのはプレヴィン&ロンドン交響楽団であるが、ルプーの美しさの極みとも言うべきピアノ演奏を際立たせるとともに、聴かせどころのツボを心得た見事な名演奏を展開しているのを高く評価したい。音質は、英デッカによる優秀録音であるのに加えて、リマスタリングが行われたこと、更にSHM−CD化(現在では入手難)が図られたこともあって、十分に満足できるものであったと言える。なお、本盤については、かつてハイブリッドSACD盤やXRCD盤などが発売(現在はいずれも廃盤)されており、私も中古CD店などに足繁く通って探してはいるが、いまだに入手できず未聴である。このような中で、今般待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ルプーやプレヴィン&ロンドン交響楽団による素晴らしい超名演を、望み得る最高の音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/04

    ズヴェーデンは、エクストン・レーベルに対して、オランダ放送フィルとともにブルックナーの交響曲の録音を行っており、既に第2番、第4番、第5番、第7番、第9番の5曲の録音を終了している。第2番(2007年)以降の録音が途絶えていたところであり、既に発売された各交響曲の演奏のいずれもが水準の高い名演であることに鑑みれば、このコンビでブルックナーの交響曲全集を完成して欲しいと思っていた聴き手は私だけではないとも思われるが、今般、エクストン・レーベルではないが、ついに、続編である第8番(2011年録音)が登場したのは実に慶賀に堪えないところだ。ズヴェーデンは1960年生まれで未だ50歳になったばかりでもあり、是非とも今後残る交響曲の録音を行っていただき、全集を完成していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたいと考える。ズヴェーデンのブルックナーの交響曲へのアプローチは、これまでに録音された交響曲の演奏でもそうであったが、ヴァントや朝比奈などの数々の名演によって通説となりつつある、いわゆるインテンポを基調とする演奏スタイルを原則として採っていると言える。もっとも、インテンポによる演奏を基調とはしているが、随所においてテンポを微妙に変化させることによって、演奏に効果的なスパイスを利かせていることも付記しておく必要がある。そして、各旋律の歌わせ方には、ロマンティシズムの香りが漂っており、加えて、細部にわたって独特の表情づけを行うなど、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、常に含蓄のある豊かな情感に満ち溢れた演奏を行っているのが素晴らしいと言える。したがって、演奏全体としては、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失っておらず、とりわけ第3楽章の清澄な美しさなど、抗し難い魅力に満ち溢れていると評価したい。本演奏の当時のズヴェーデンはいまだ50歳であるが、指揮者としては若手であるにもかかわらず、これだけの風格のある、そして彫の深い演奏を成し遂げたということ自体が驚異的であり、ズヴェーデンという指揮者の類稀なる才能を感じるとともに、今後さらに大化けしていくことも十分に考えられるところだ。いずれにしても、本盤におさめられた交響曲第8番の演奏は、第2番の録音以来4年が経過しているにもかかわらず、ズヴェーデンがブルックナー指揮者として健在であることを世に知らしめるとともに、残された他の交響曲(第1番、第3番、第6番)の演奏にも大いに期待を抱かせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。また、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。最近では、エクストン・レーベルを筆頭にして、SACD盤を積極的に発売しても、マルチチャンネルから撤退するケースが多いようであるが、本盤のような、各楽器セクションの配置が明瞭にわかるような臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、是非ともマルチチャンネル付きのSACDを復活させていただきたいと切に願わざるを得ないところだ。そして、かかるマルチチャンネル付きのSACDによる圧倒的な高音質録音が、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのも忘れてはならない。

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