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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/06

    歌劇「オテロ」は、ヴァルディの数あるオペラの中でも最もショルティの芸風に合ったものと言えるのではないだろうか。というのも、ショルティの芸風は切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さであり、緊迫感にはらんだ劇的な要素を持った歌劇「オテロ」の性格との相性抜群のものがあるのではないかと考えられるからだ。また、本盤の演奏は1991年のライヴ録音。ショルティも最晩年の1990年代に入ってからは、自らの指揮活動の集大成とも評すべき円熟味溢れる懐の深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においても、前述のような持ち味の鋭角的かつ明晰な芸風に加えて、かような円熟味溢れる彫の深い表現を聴くことができるのが素晴らしいと言える。ショルティと同様に米国を拠点に活躍をした先輩格のハンガリー人指揮者、ライナーやセル、オーマンディなどとは異なり、オペラをレパートリーの中核としていたショルティではあるが、本演奏は、正にオペラの演奏に自らの半生を捧げ、多大なる情熱を持って取り組んできたショルティの集大成とも言うべき至高の名演に仕上がっているとも言えるところだ。それにしても、同オペラの演奏において、これほどまでにドラマティックで、重厚かつ強靭な迫力を有した演奏は、かのカラヤン&ウィーン・フィルほかによる超名演(1961年)に比肩し得るほどであると評し得るところであり、このような演奏を聴いていると、ショルティこそは、20世紀後半における最高のオペラ指揮者であったカラヤンに対抗し得る唯一の存在であったことがよく理解できるところだ。そして、強靭な迫力と言っても、1970年代頃までに時として散見されたショルティの欠点でもあった、力づくの強引さは薬にしたくもなく、どこをとってもその音楽に奥行きのある懐の深さが感じられるのが素晴らしい。各登場人物の細やかな心理の移ろいの描き方も万全であり、これぞまさしくオペラを知り尽くしたショルティならではの老獪ささえ感じさせる卓越した至芸と言えるだろう。本オペラの演奏に際して、手兵のシカゴ交響楽団を起用したというのも功を奏しており、前述のような重厚にして強靭な迫力は、本演奏の当時スーパー軍団とも称されたシカゴ交響楽団の面目躍如たるものがあると言える。歌手陣も、ショルティが指揮するオペラならではの豪華な布陣であり、特に、ルチアーノ・パヴァロッティがオテロ役をつとめているというのが本演奏の最大の魅力であるとも言える。また、デズデモーナ役のキリ・テ・カナワやイアーゴ役のレオ・ヌッチ、そしてカッシオ役のアントニー・ロルフ・ジョンソンなどの歌手陣、そして、シカゴ・シンフォニー・コーラスやメトロポリタン歌劇場少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。音質も、英デッカによる見事な高音質録音であるのも素晴らしい。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/06

    本盤におさめられたR・シュトラウスの楽劇「アラベラ」は、ショルティがウィーン・フィルとともにワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の歴史的な初のスタジオ録音(1958〜1965年)を開始する直前の演奏である。楽劇「ばらの騎士」や「サロメ」などと比較するとあまりにも録音の点数が少ない楽曲、そして、世界で最も掌握しづらいオーケストラであるウィーン・フィルを指揮して、このようなスタジオ録音を行ったという点に、若きショルティの並々ならない意欲とR・シュトラウスに対する深い愛着があらわれていると言えるところだ。同曲は、R・シュトラウスの楽劇としては、「サロメ」や「エレクトラ」のような革新的、前衛的な要素はあまり存在しておらず、むしろ、「ばらの騎士」などの路線に立った後期ロマン派的な楽劇と言える。ショルティの楽曲への基本的なアプローチは、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明瞭さであると言えるが、このようなアプローチは、「サロメ」や「エレクトラ」には適していたとしても、同曲にはあまり相応しいものとは言えないとも考えられる。しかしながら、ショルティが「ばらの騎士」でも名演を成し遂げたのと同様に、同曲でも素晴らしい名演を成し遂げることに成功していると言えるだろう。確かに、随所に聴かれるトゥッティにおいて、ショルティならでは迫力満点の強靭さも存在していると言えるが、この当時のウィーン・フィルが有していた美しさの極みとも言うべき美音が演奏全体を支配し、ショルティのいささか鋭角的な指揮ぶりに適度の潤いと温もりを付加させるのに大きく貢献していると言えるのではないだろうか。ショルティとウィーン・フィルの関係は、とても良好なものとは言い難かったが、本演奏においては、むしろ、ショルティの方がウィーン・フィルに歩み寄っているような印象も受けるところであり、その結果として、このような素晴らしい名演に仕上がったとも言えるところだ。同曲には、ベーム盤以外に強力なライバルが存在していないのも本盤にとって大きな追い風になっているとも言えるところであり、本演奏は、同曲演奏の一つの規範として現在でもなお輝きを失うことのない素晴らしい名演と高く評価したいと考える。歌手陣も豪華であり、特に、リーザ・デラ・カーザのアラベラ役は当時最高の当たり役。ズデンカ役のヒルデ・ギューデンやマンドリーカ役のジョージ・ロンドン、そしてワルトナー伯爵役のオットー・エーデルマンなど、超一流の歌手陣が最高の歌唱を披露しているのも、本演奏を聴く最高の醍醐味であると言える。そして、今は無きゾフィエンザールの豊かな残響を活かした英デッカによる名録音も、今から50年以上の前とは思えないような極上の高音質を誇っていると言えるところであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/06

    フルトヴェングラーの代名詞と言えば、ベートーヴェンの交響曲であるが、9曲ある交響曲の中でも第1番を除くいわゆる奇数番の交響曲については、自他ともに認める十八番であったと言えるだろう。それら4曲の交響曲については、かなりの点数の録音が遺されているのも特徴であり、近年になっても新発見の録音が発掘されたり、あるいはより音質のより音源の発見、さらにはSACD化などの高音質化が図られるなど、フルトヴェングラーの指揮芸術に対する関心は、没後50年以上が経っても今なお衰えの兆しが一向に見られないところだ。フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第9番の名演としては、諸説はあると思うが、これまでのところ、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団とのライヴ録音(1951年)と、最晩年のフィルハーモニア管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が2強を形成していたと言える。もちろん、これら2つの演奏自体が圧倒的な素晴らしさを誇っているのであるが、それ以上に、両名演についてはSACD化が図られているというのも大きいと言えるのではないだろうか。フルトヴェングラーの録音は、演奏が素晴らしくても音質が良くないというのが定評であり、逆に、これまであまり評価が高くなかった演奏がSACD化によって、高評価を勝ち取ることもあり得るところである(例えば、1947年5月25日のベートーヴェンの交響曲第5番のライヴ録音)。本盤におさめられた1952年の交響曲第9番についても、今般のSACD化によって、そのような可能性を秘めた名演と言えるだろう。これまで、とりわけトゥッティにおいて音が団子状態になったり、不鮮明で聴き取りにくい箇所が極めて多かったのが大幅に解消され、前述のバイロイト盤や1954年盤にも十分に対抗できるような良好な音質に生まれ変わった意義は、極めて大きいことであると言える。本演奏は、かのバイロイト盤の1年前のものであるが、それだけに気力・体力ともに更に充実したフルトヴェングラーによる至高の指揮芸術を、これまでとは違った良好な音質で堪能することができるようのなったのは実に素晴らしいことと言えるだろう。第1楽章冒頭の他の指揮者の演奏の追随を許さない深遠さ、その後のとても人間業とは思えないような彫の深さ、第3楽章の誰よりもゆったりしたテンポによる演奏の神々しいまでの崇高さ、そして終楽章のドラマティックな表現など、フルトヴェングラーだけに可能な至芸は、我々聴き手の深い感動を誘うのに十分であると言える。オーケストラがウィーン・フィルであることも、本演奏の大きなアドバンテージであると言えるところである。いずれにしても、SACD化によって、これまでとは格段に良好な音質に生まれ変わるに至った本盤の演奏は、バイロイト盤や1954年盤とともに3強の一角を占めるとも言うべき至高の超名演に位置づけられることになったと言えるところであり、本SACD盤の登場を大いに歓迎したいと考える。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/02

    本盤にはブラームスの交響曲第1番と第3番がおさめられているが、このうち第3番についてはかつてBBCレジェンドレーベルから発売されていた音源の再発売であり、本稿においては、第1番を中心にレビューを書かせていただきたい。さて、その交響曲第1番であるが、テンシュテットは、本演奏以前に3度に渡って同曲の録音を行っている。最初の演奏は1976年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ録音。次いで、ロンドン・フィルとの1983年のスタジオ録音。そして、3度目の演奏はロンドン・フィルとの1990年のライヴ録音。特に、手兵ロンドン・フィルとの演奏はいずれも名演であり、とりわけ3度目の演奏については、圧倒的な超名演と言えるものであった。本盤の演奏は、更にその2年後のライヴ録音。演奏は、1990年の演奏よりもさらに壮絶とも言うべき豪演と言えるだろう。テンシュテットは、1985年頃に咽頭がんを発症した後は、体調がいい時だけに指揮活動が制限されるという厳しい状況に追い込まれた。それだけに、一つ一つの演奏がそれこそ命がけのものとなったことは必定であり、テンシュテットはそれこそ持ち得る力を全力で出し切るという渾身の演奏を行っていたところだ。1993年の終わり頃には、ついに指揮活動を停止せざるを得なくなるのであるが、それまでの間の演奏は、いずれも壮絶の極みとも言うべき圧倒的な演奏を展開していた。特に、マーラーの交響曲については、そうしたテンシュテットの鬼気迫る芸風が、他の指揮者の追随を許さないような超名演を生み出すことに繋がっていたと言えるが、他の作曲家による楽曲についても、我々聴き手の心を揺さぶるような凄みのある演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。ブラームスの交響曲第1番についても、1990年の演奏もそうであったが、本盤の1992年の演奏は更に凄まじいまでの気迫と生命力に満ち溢れており、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き情感が込められているとも言えるだろう。テンシュテットは、おそらくは間近に迫る死を覚悟はしていたとも言えるが、本演奏には、自らの命のすべてをかけるような凄みがあると言えるところであり、そうした命がけの大熱演が我々聴き手の肺腑を打つと言える。病状はかなり進行していたと思われるが、そうした中で、ここまでの渾身の演奏を成し遂げたテンシュテットの指揮者としての凄さ、偉大さにはただただ首を垂れるほかはないところだ。このような超名演を聴いていると、テンシュテットのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとって大きな損失であったことを、あらためて認識させられるところだ。カプリングのブラームスの交響曲第3番については、咽頭がん発症前の1983年の演奏であり、交響曲第1番ほどの迫力はないが、それでも実演ならではのテンシュテットの熱のこもった名演と高く評価したいと考える。音質も、1983年及び1992年のライヴ録音ではあるが、両者の音質にはあまり大差がなく、いずれも最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/12/02

    先般発売されたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番(1947年及び1954年)に続く、RIAS音源のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾の発売である。今般は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレイト」、そして、ブルックナーの交響曲第8番だ。フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演としてはウィーン・フィルとのスタジオ録音(1950年)が有名であり、EMIよりSACD盤が発売されたことから、現在までのところ随一の名演との地位を獲得していた。他方、交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演としては、戦前のベルリン・フィルとのライヴ録音(1942年)、そして戦後のベルリン・フィルとのスタジオ録音(1951年)がタイプが全く異なる名演の双璧とされ、とりわけ、後者については、ベルリン・フィルの団員がフルトヴェングラーと成し得た最高の名演との高評価をするほどの名演であった。それ故に、本盤におさめられた両曲のライヴ録音は、数年前にRIAS音源によるCD化が行われるまでは、音質の劣悪さもあって、一部の熱心なフルトヴェングラー愛好者以外には殆ど無視された存在であったが、RIAS音源によるCDが素晴らしい音質であったことから、俄然注目を浴びる存在となったことは記憶に新しい。そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化は、フルトヴェングラーによる両曲演奏の代表盤の一つとしての地位を獲得するのに大きく貢献することに繋がったと言っても過言ではあるまい。交響曲第8番「未完成」については、1950年盤と同様に、濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫の深い演奏であると言えるが、ライヴ録音ということもあって、とりわけ第1楽章においては、ドラマティックな表現が聴かれるのがフルトヴェングラーらしいと言える。もちろん、そうした表現が、いわゆる「未完成」らしさをいささかも損なっておらず、むしろ、表現の濃密さは1950年盤以上であり、実演でこそ真価を発揮するフルトヴェングラーの指揮芸術の真骨頂が本演奏には存在していると言えるだろう。交響曲第9番「ザ・グレイト」については、1951年盤の深遠な表現に、1942年盤が有していたドラマティックな表現を若干盛り込んだ、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演と言えるのではないだろうか。同曲の演奏は、私も常々論評しているように極めて難しいと言えるが、1942年盤のようにベートーヴェンの交響曲に続くものとして演奏するタイプ、1951年盤のようにブルックナーの交響曲の先達として演奏するタイプが両端にあると思われるが、本盤の演奏はその中間点を模索したものとして十分に説得力のある名演に仕上がっていると評価したい。それにしても、本盤の音質はフルトヴェングラーのCDとしては極上の高音質と言ってもいいのではないだろうか。とりわけ低弦の生々しいまでの重量感溢れる響きや、高弦の艶やかな響きは、既にSACD化されている音源を除いて、これまでのフルトヴェングラーのCDではなかなか聴くことが出来ないものであり、かかる高音質が本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/12/02

    バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、マーラーの交響曲についてもコンサートで頻繁に採り上げるとともに、ライヴ録音などを含めると相当数の録音を遺しているところである。交響曲第6番についても複数の録音が遺されており、ベルリン・フィルとの演奏(1966年(ライヴ録音))、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1967年(ライヴ録音及びスタジオ録音(本盤)の2種))の3種の録音が存在している。今後も、更に録音が発掘される可能性は否定できないが、これら3種の録音はいずれ劣らぬ名演であると言える。この中で、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤は、オーケストラがベルリン・フィルとニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いがあるものの、演奏全体の造型やテンポ、そしてアグレッシブな豪演などと言った点においてはほぼ共通するものがあると言える。これに対して、本演奏は、バルビローリにとっても同曲の唯一のスタジオ録音ということもあるが、これらの2種のライヴ録音とは、その演奏の性格が大きく異なっているところだ。そもそもテンポが大幅に遅くなっている。トータルの時間でも10分以上の遅くなっているのは、前述のライヴ録音盤がいずれも約73分であることに鑑みれば、大幅なスローダウンと言えるだろう。それだけに、本演奏におけるバルビローリの感情移入の度合いには尋常ならざるものがあると言える。バーンスタインやテンシュテットなどに代表されるドラマティックな演奏や、はたまたブーレーズなどによる純音楽に徹した演奏などとは異なり、滋味豊かな情感に満ち溢れるとともに、粘着質とも言うべき濃厚な表情づけが特徴であると言える。ここぞという時のトゥッティにおける強靭な迫力にもいささかも不足はないが、そのような箇所においても独特の懐の深さが感じられるのが、バルビローリによるマーラー演奏の性格をより決定づけているとも言えるだろう。本演奏でもかかるアプローチは健在であり、ゆったりとしたテンポによるこれほどまでの濃厚で心を込め抜いた演奏は、かのバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1988年)ですらすっきりとした見通しの良い演奏に感じさせるほどであり、聴き終えた後の充足感には曰く言い難いものがあると言える。なお、バルビローリは、近年ではマーラーの最終的な決定を尊重するという意味で主流になりつつあるが、当時としては珍しい、スケルツォ楽章(第2楽章)とアンダンテ楽章(第3楽章)を入れ替えるバージョンで、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤では演奏を行っていたが、本演奏では従来どおりの入れ替えないバージョンで演奏を行っているのは実に興味深いと言えるところだ。また、バルビローリの濃厚で粘着質な指揮に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団も必死で喰らいつき、持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのも素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、バルビローリの同曲への深い愛着と思い入れを感じることが可能な入魂の名演と高く評価したいと考える。併録のメタモルフォーゼンも、いわゆるバルビローリ節が全開の名演であり、各フレーズを心を込めて情感豊かに感動的に歌い上げているのが素晴らしい。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の弦楽合奏の卓越した技量も大いに賞賛したいと考える。音質は、1967年のEMIによるスタジオ録音であり、従来盤については今一つ冴えない音質であったと言えるが、ARTリマスタリングが行われたことによって、若干ではあるが音質改善が見られたように思われるところだ。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/12/01

    シェーンベルクの歌劇「モーゼとアロン」については、既にブーレーズやケーゲルによる現代感覚溢れる切れ味鋭い名演が存在している。ブーレーズの演奏(1974年)は、劇的で晦渋とも称される同曲を徹底したスコア・リーディングの下に解析するとともに、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な演奏を行っていた。これに対して、ケーゲルの演奏(1976年)は、スコアに記された音符の背後にあるものに徹底してメスを入れ、楽曲の心眼とも言うべき精神的な深みに鋭く切り込んでいくとともに、それらを現代人の持つ感覚を持って、一切の情感を排して冷徹に描き出すというとてつもない凄みを有していた。これら両演奏に対して、本盤のショルティによる演奏は、十二音技法を徹底して駆使しているとされる同曲の複雑な曲想を、圧倒的な技量を有したスーパー軍団であるシカゴ交響楽団を巧みに統率して、精緻かつ完璧に描き出すことに成功した演奏ということが言えるのではないだろうか。おそらくは、シェーンベルクが記した複雑な同曲のスコアを完璧に再現し得たという意味においては、オーケストラの技量を含めて考えると、ブーレーズの演奏以上の出来ではないかとも考えられるところだ。もっとも、新ウィーン派の傑作オペラと評される歌劇「モーゼとアロン」の含蓄のある内容を徹底して突き詰めていく演奏を希求するクラシック音楽ファンにしてみれば、内容空虚で浅薄な演奏との誹りは十分に想定されるところであるが、少なくとも、傑作と評される割には録音の点数があまりにも少ない同曲の魅力、特に、必ずしも広く親しまれているとは言い難いシェーンベルクの十二音技法による楽曲の素晴らしさを、多くのクラシック音楽ファンに知らしめることに成功した演奏という意味においては、本盤の演奏も相応の評価が必要ではないかと考えられるところだ。とりわけ、シカゴ交響楽団の合奏能力の凄さは、とても人間業とは思えないようなレベルに達しており、複雑で晦渋とも言われる同曲の曲想を明瞭に紐解くことに大きく貢献していることを忘れてはならない。歌手陣も、ショルティが選び抜いたキャスティングだけに、なかなかの顔ぶれが揃っており、モーゼ役のフランツ・マツーラ、アロン役のフィリップ・ラングリッジの主役2人の歌唱には目覚ましいものがあると言える。また、祭司役のオーゲ・ハウグランドや少女役のバーバラ・ポニー、そしてシカゴ・シンフォニー・コーラスやグレン・エリン児童合唱団員なども最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。そして、特筆すべきは、英デッカによる極上の高音質録音であり、同曲のシェーンベルクの精緻なオーケストレーションを精緻かつ完璧に再現するというショルティのアプローチをCDを通して貫徹するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/12/01

    決定的な超名演の登場だ。本盤は、当初は本年9月の発売が予定されていたが、製造過程において不備があったとのことであり、3か月の延期を経て漸く発売に至ったものであるが、待ったかいがあったと言うべきであろう。私がレビューを行うCDについては、一部を除いて、皆さんに是非とも聴いていただきたいという気持ちで記述しているが、本盤についてはその気持ちは百倍。ラフマニノフの交響曲第2番を愛する者であれば、必聴の超名演盤であると考えるところだ。スヴェトラーノフは同曲を十八番としており、これまで発売されているCDを録音年順に並べると、最初の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたソヴィエト国立交響楽団との演奏(1963年)、次いで、ソヴィエト国立交響楽団とのライヴ録音による演奏(1978年)、そして、2度目の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたロシア国立交響楽団との演奏(1995年)、晩年の来日時のNHK交響楽団とのライヴ録音による演奏(2000年)が存在しており、加えて、私は未聴でCDも所有していないが、ボリショイ劇場管弦楽団との演奏も存在しているとのことである。要は、既に5種の録音が存在していたところであり、これらに、6種目の録音として本盤が加わったということになる。私としては、これまで1995年盤と2000年盤がスヴェトラーノフによる同曲の双璧とも言うべき最高峰の超名演と考えてきたところであるが、本演奏は、それら両超名演に冠絶する名演で、超の前にいくつ超をつけても足りないほどのとてつもない決定的超名演と言っても過言ではあるまい。第1楽章冒頭の低弦による幾分ソフトな開始からしてただならぬ雰囲気が漂う。その後は、スヴェトラーノフならではの重厚かつ粘着質な音楽が構築されていく。それにしても、これほどロシア悠久の広大な大地を思わせるようなスケール雄大で、なおかつ濃厚な味わいの演奏は他に類例を見ないと言えるのではないだろうか。ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた魅力的な旋律の数々を、スヴェトラーノフはこれ以上は求め得ないほどの濃厚さで徹底して歌い抜いており、そのあまりの美しさには涙なしには聴けないほどだ。ここぞという時のブラスセクションの咆哮やティンパニの轟わたる雷鳴のような響かせ方は、人間業を超えた強靭な迫力を有していると言える。こうした演奏の特徴は、1995年盤や2000年盤においても顕著に聴かれたところであるが、本演奏には、それら両演奏には聴かれないような気迫や強靭な生命力が随所に漲っており、とりわけ終楽章の誰よりも快速のテンポによる畳み掛けていくような迫力満点の進行にはもはや戦慄を覚えるほど。そして終結部の猛烈なアッチェレランドの壮絶なド迫力。聴き終えた後の充足感は、筆舌には尽くし難いものであり、本盤にも記録されているが、演奏終了後の聴衆の大熱狂も当然のことであると思われるところだ。いずれにしても、本演奏は、ラフマニノフの交響曲第2番を十八番としたスヴェトラーノフによる6種の演奏の中の最高峰の名演であり、そして、諸説はあると思うが、私としては、同曲の様々な指揮者による多種多彩な名演に冠絶する決定的な超名演と高く評価したいと考える。カプリングのバーンスタインの「キャンディード」序曲も、バーンスタインによる自作自演盤以上に濃厚な味わいを有した迫力満点の超名演だ。音質は、基本的に良好で鮮明であるものの、トゥッティにおいて若干音割れがするのが残念ではあるが、本盤の価値を損ねるほどのものではないことを指摘しておきたい。前述のように、ラフマニノフの交響曲第2番を愛するものであれば、約1500円という廉価で手に入るということもあり、本盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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     2012/12/01

    フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏については、必ずしも評価が高いとは言い難い。一部の熱心なフルトヴェングラーの愛好者はともかくとして、フルトヴェングラーの演奏を聴く場合には、独墺系の作曲家による交響曲については、先ずはベートーヴェン、次いでブラームスというのが相場ではないかと思われるところだ。とりわけ、1990年代に入って、ヴァントや朝比奈がいわゆるインテンポを基調とする崇高な名演の数々を成し遂げるようになってからは、テンポの振幅を大胆に駆使したフルトヴェングラーによる演奏は、音質の劣悪さも相まって、時代遅れの演奏としてますます影の薄い存在となっていったところである。しかしながら、EMIが1949年の演奏(ライヴ録音)をSACD化するに及んで、とりわけブルックナーの交響曲演奏の生命線でもある低弦の重量感溢れる響きや、ブラスセクションのブリリアントな響きなどが、決して団子状態にならず、かなり鮮明に再現されるようになったことにより、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏が再び脚光を浴びることになったのは記憶に新しい。そして、今般、優秀な音源として知られるRIASのマスターテープから、シングルレイヤーによるSACD化が行われる運びとなり、ついに当該演奏が決定的とも評価し得る圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。今般のシングルレイヤーによるSACD盤の登場は、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲演奏の再評価への決定打になるのではないかとさえ考えられるところだ。それにしても、こうして良好な音質で聴くと、演奏はさすがに素晴らしい。徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1949年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これは圧倒的な超名演である。第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの交響曲第9番のバイロイト盤(1951年ライヴ録音)の第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達していると言える。終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫の深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

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     2012/12/01

    今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲を東京都交響楽団と再録音している。いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第3弾として、満を持して人気交響曲である交響曲第7番が登場した。とにかく素晴らしい名演。これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。同曲は、かの朝比奈隆がブルックナーの最も優美な交響曲と称したが、インバルも、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されていると言える。このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。本年発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。録音も超優秀。SACDによる鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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     2012/11/25

    ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。私も、ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを聴いたが、指揮者は知られざる者であったものの、見事な演奏を繰り広げていたのが強く印象に残っている。ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになったのは、クラシック音楽ファンにとってもこの上ない喜びであると言える。このうち、本盤におさめられているのは2種(1992年及び1994年)のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と、リハーサル風景(1992年のみ)である。ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏と言えば、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。その他のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と言えば、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともに行ったライヴ録音が存在している。本盤におさめられた演奏は、同年の演奏と更に2年後の演奏ということになり、とりわけ1994年の演奏については、現時点において、ヴァントによる両曲の最後の録音ということになる。そして、演奏自体も、もちろん1992年の演奏も優れてはいるが、1994年の演奏、それも交響曲第6番が格段に優れた名演と言えるだろう。前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。それに対して、本盤の1994年の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、とりわけ、ベートーヴェンの交響曲第6番については、ヴァントによる数ある同曲の演奏の中でも、総決算とも言うべき最高の名演と高く評価したいと考える。もちろん、交響曲第5番や、1992年の両曲の演奏についても、前述のように優れた名演であることは言うまでもないところである。リハーサル風景も、ヴァントの厳格な音楽作りを窺い知ることができる貴重なものだ。音質は、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものであると言える。もっとも、最近ではSACD盤の発売が一般的になりつつあるところであり、可能であれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/11/25

    素晴らしい演奏だ。グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演揃いであるが、本盤におさめられたインヴェンションとシンフォニアも実に素晴らしい。収録順も、他の大方のピアニストのように第1番からの順番ではなく、グールドなりに考え抜かれた順番に並び替えられており、こうした点においても、グールドの同曲への並々ならない拘りが感じられるところだ。同曲は、もともとはバッハによる教育用の音楽と考えられていたところであるが、グールドによる個性的な演奏によって、他のピアノ曲と同様の一流の芸術作品として見られるようになったとも言えるだろう。それにしても、演奏は超個性的。グールドの演奏の場合は、次の楽曲においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、聴き手を片時も退屈させないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在していると言える。もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしいと言える。これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。いずれにしても、本盤のインヴェンションとシンフォニアの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、かなり以前にシングルレイヤーによるSACD盤が発売され、それは素晴らしい高音質であったが、ややピアノの音が硬質であるという欠点もあった。数年前にBlu-spec-CD化がなされ、これによってピアノの音に比較的柔らかさが宿ったとも言えるが、総体としては、SACD盤を凌駕するには至っていなかった。そのような中で、今般、ついに新たなDSDマスタリングに基づいたSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。残念ながらシングルレイヤーではないが、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1964年という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/11/25

    テンシュテットと言えば、近年発掘された様々な壮絶な名演によって、ますますその人気が高まっているが、いわゆるマーラー指揮者のイメージが強いと言えるのではないだろうか。確かに、これまでに発売されたマーラーの交響曲の圧倒的な超名演の数々を考えてみれば、それは致し方がないことと言えるのかもしれない。しかしながら、テンシュテットは、ブルックナーの交響曲の録音もかなりの点数を遺している。すべての交響曲を録音しているわけではないが、第3番、第4番、第7番、第8番については、自らのレパートリーとしてコンサートでもたびたび採り上げていたと言えるところだ。そうした4曲の交響曲の中でも、テンシュテットが最も採り上げた交響曲は第4番であったと言える。最初及び2度目の録音はベルリン・フィルとのスタジオ録音及びライヴ録音(1981年)、3度目の録音は、本盤におさめられたロンドン・フィルとの来日時のライヴ録音(1984年)、そして4度目の録音がロンドン・フィルとのライヴ録音(1989年)となっている。これから新たなライヴ録音が発掘されない限りにおいては、交響曲第4番は、テンシュテットが最も録音したブルックナーの交響曲と言えるであろう。テンシュテットによる同曲へのアプローチは、朝比奈やヴァントなどによって1990年代にほぼ確立された、いわゆるインテンポを基調とするものではない。テンポの振幅や思い切った強弱の変化を施すなどドラマティックな要素にも事欠かないところであり、テンシュテットが得意としたマーラーの交響曲におけるアプローチに比較的近いものと言える。したがって、こうしたテンシュテットによるアプローチは、交響曲第7番や第8番においては若干そぐわないような気がしないでもないが、第4番の場合は、相性がいいのではないかと思われるところだ。4つの演奏のいずれも名演であるが、やはり演奏の持つ根源的な迫力という意味においては、第1に1989年盤、そして第2に本盤の演奏を掲げるべきであろう。本盤の演奏におけるテンシュテットのアプローチも、比較的ゆったりとした曲想の進行の中に、前述のようなドラマティックな要素(とりわけ第3楽章)を織り交ぜたものとなっている。もっとも、スケールが小さくなることなど薬にしたくもなく、ブルックナーの本質をいささかも逸脱することがないというのは、テンシュテットの同曲への深い理解と愛着の賜物と言えるところだ。オーケストラは、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルではあるが、テンシュテットの圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルにも比肩し得るような見事な名演奏を展開しているのが素晴らしい。いずれにしても、本盤の演奏は、テンシュテットならではの圧倒的な名演と高く評価したいと考える。カプリングのシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、ブルックナーの交響曲第4番とは一転して、いかにもドイツ風のオーソドックスな名演だ。音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質であったと言えるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤を聴いて大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/11/24

    ショルティは、先輩格のハンガリー人指揮者で同様に米国を舞台に指揮活動を行ったライナーやオーマンディ、セルなどと異なり、オペラの分野において極めて幅の広いレパートリーを有していたことで知られている。とある影響力の大きい某音楽評論家の酷評によって、その実力の割には不当に貶められているショルティであるが、同時代に活躍した史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンにも比肩し得るほどの数多くのオペラ演奏・録音を行った功績は、もっと広く知られてもいいのではないかとも考えられるところだ。ショルティは、その芸風との相性があまり良くなかったということもあって、モーツァルトの交響曲については、わずかしか演奏・録音を行っていないが、オペラについては、主要4大オペラのすべてをスタジオ録音するなど、確固たる実績を遺していると言える。本盤におさめられた歌劇「フィガロの結婚」の演奏は、そうした一連のモーツァルトの主要オペラの録音の頂点に立つものと言えるだろう。ショルティの芸風は、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明晰さであるが、オペラ、とりわけモーツァルトのオペラを演奏する際には、そうした芸風を全面に打ち出すことをやや抑制しているような印象を受ける。それは、特に歌手陣への配慮によるところも大きいと言えるところであり、オペラを熟知したショルティの深謀遠慮と言った側面もあるのではないかと考えられるところだ。加えて、1980年代に入ると、前述のような芸風に円熟味や奥行きの深さが加わってきたとも言えるところであり、その意味においては、本盤の演奏は、ショルティによるモーツァルトのオペラ演奏の一つの到達点とも言うべき名演と言えるのかもしれない。もちろん、本演奏においても、楽想を明晰に描き出していくというショルティならではのアプローチは健在であり、他の指揮者による同曲のいかなる演奏よりも、メリハリのある明瞭な演奏に仕上がっていると言えることは言うまでもないところだ。そして、本盤で素晴らしいのは、何と言っても歌手陣であると言える。さすがはオペラを熟知したショルティならではの考え抜かれた的確なキャスティングと言えるところでであり、伯爵夫人役のキリ・テ・カナワ、スザンヌ役のルチア・ホップ、ケルビーノ役のフレデリカ・フォン・シュターデ、フィガロ役のサミュエル・レイミー、伯爵役のトーマス・アレン、バルトロ役のクルト・モルなど、当代一流の豪華歌手陣が最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、ショルティの確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開している点も高く評価したい。音質も、英デッカによる見事な高音質録音であり、1981年のスタジオ録音とは思えないような鮮度を誇っているのも素晴らしい。

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     2012/11/24

    マーラーの交響曲第5番が凄い演奏だ。これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。いずれにしても、数年前にCD化されて話題を独占していたテンシュテット&ロンドン・フィルの1984年来日時におけるマーラーの交響曲第5番のライヴ録音が、ついにシングルレイヤーによるSACD盤として発売されることになったのは、クラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、交響曲第5番についても複数の録音を遺している。最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1978年)、次いで本盤の来日時にライヴ録音された演奏(1984年)、そしてその4年後にライヴ録音された演奏(1988年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1988年の演奏であることは論を待たないところだ。というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。したがって、1988年の演奏には、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。次いで、本盤におさめられた1984年の演奏が続くのではないだろうか。テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施していると言える。かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない。)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。本盤の演奏は、さすがに前述のように、1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでもテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、正にテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。カプリングのモーツァルトの交響曲第35番は名演の範疇には入ると思われるが、テンシュテットとしては普通の出来と言える。音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質であったと言えるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤を聴いて大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるようなとてつもなく鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、テンシュテットによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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