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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/03

    ジュリーニは、イタリア人指揮者であるが、独墺系の作曲家による楽曲も数多く演奏した大指揮者であった。ブラームスの交響曲全集は2度も録音しているのに対して、意外にもベートーヴェンの交響曲全集は一度も録音していないところだ。これほどの大指揮者にしては実に不思議と言わざるを得ないと言えるだろう。ジュリーニは、最晩年に、ミラノ・スカラ座歌劇場フィルとともに、ベートーヴェンの交響曲第1番〜第8番を1991〜1993年にかけてスタジオ録音を行った(ソニー・クラシカル)ところであり、残すは第9番のみとなったところであるが、1989年にベルリン・フィルとともに同曲を既にスタジオ録音していた(DG)ことから、かつて在籍していたDGへの義理立てもあって、同曲の録音を行わなかったとのことである。このあたりは、いかにもジュリーニの誠実さを物語る事実であると言えるが、我々クラシック音楽ファンとしては、いささか残念と言わざるを得ないところだ。それはさておき、本盤におさめられたのは、1972年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音を行った交響曲第8番及び第9番である。他にライヴ録音が遺されているのかもしれないが、前述のように交響曲第8番はミラノ・スカラ座フィルと(1992年)、交響曲第9番はベルリン・フィル(1989年)と録音することになることから、それらの演奏の20年前のものとなる。1972年と言えば、ジュリーニの全盛期であるだけに、演奏は、諸説はあると思うが、後年の演奏よりも数段優れた素晴らしい名演と高く評価したい。何よりも、テンポ設定が、後年の演奏ではかなり遅めとなっており、とりわけ交響曲第9番においては、演奏自体に往年のキレが失われているきらいがあることから、私としては、これら両曲のジュリーニによる代表盤としては、本盤を掲げたいと考えているところだ。演奏の様相はオーソドックスなもの。後年の演奏とは異なり、ノーマルなテンポで風格豊かな楽想を紡ぎだしていると言える。そして、ジュリーニならではいささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な響きも健在であるが、いささかの重苦しさを感じさせることはなく、歌謡性溢れる豊かな情感が随所に漂っているのは、イタリア人指揮者ならではの面目躍如たるものと言えるだろう。いわゆる押しつけがましさがどこにも感じられず、正にいい意味での剛柔のバランスがとれた演奏と言えるところであり、これは、ジュリーニの指揮芸術の懐の深さの証左と言っても過言ではあるまい。ロンドン交響楽団もジュリーニの統率の下、名演奏を展開しており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると言える。いずれにしても、本盤におさめられた両曲の演奏は、ジュリーニならではの素晴らしい名演であるとともに、ジュリーニによるそれぞれの楽曲の演奏の代表的な名演と高く評価したいと考える。音質も素晴らしい。本盤におさめられた各演奏は国内盤としては長らく廃盤となっていたものであるが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤の発売は、ジュリーニによる名演の価値を再認識させる意味でも極めて大きいものと言えるだろう。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても圧倒的であり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ジュリーニによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/03

    ミサ・ソレムニスは交響曲第9番と並ぶベートーヴェンの最高傑作であるが、交響曲第9番には若干の親しみやすさがあるのに対して、晦渋な箇所も多く、容易には聴き手を寄せ付けないような峻厳さがあると言えるだろう。したがって、生半可な指揮では、名演など到底望むべくもないと考えられる。同曲には、クレンペラーのほか、ワルターやトスカニーニ、そしてカラヤンやバーンスタインなどの名演も存在しているが、クレンペラーによる本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。なお、クレンペラーは、その芸風が同曲と符号しているせいか、同曲の録音を本演奏のほか、ウィーン響(1951年)、ケルン放送響(1955年ライヴ)及びフィルハーモニア管(1963年ライヴ)との演奏の4種類遺しているが、音質面などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位は動かないものと考える。クレンペラーは悠揚迫らぬテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。そして、ここぞと言うときの強靭な迫力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っていると言える。演奏全体の様相としては、奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏と言っても過言ではあるまい。もっとも、同曲の壮麗さは見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた彫の深い演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。例によって、木管楽器の活かし方もクレンペラーならではのものであるが、それが演奏に独特の豊かなニュアンスを付加するのに大きく貢献している点も忘れてはならない。独唱陣も素晴らしい歌唱を披露しており、クレンペラーの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを行っているニュー・フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団に対しても大きな拍手を送りたいと考える。音質は、従来CD盤では高音域が若干歪むのが大いに問題であり、これは同時期のEMIの大編成の合唱曲の録音に多く見られる由々しき傾向であると言えるところだ(例えば、ジュリーニがフィルハーモニア管弦楽団ほかを指揮してスタジオ録音を行ったヴェルディのレクイエムなど)。したがって、その後リマスタリングされた従来CD盤を聴いても、その不満が解消されることは殆どなかったが、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤をはるかに凌駕していると評しても過言ではあるまい。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/02

    ショルティほど、実力の割に過小評価されている指揮者はいないのではないか。カラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを行ったショルティであるが、現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつあると言える。これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、ショルティの演奏を全く聴かないのはあまりにも勿体ないと言える。特に、ショルティによるマーラーの交響曲の演奏は、いずれも一聴の価値のある名演揃いであり、今般、ルビジウム・クロック・カッティングによる高音質かつ廉価で、一連の録音が発売されることから、いまだ未聴のクラシック音楽ファンにも是非とも聴いていただきたいと考えている。それはさておき、本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第7番がおさめられている。中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第7番は、第6番と同様に本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。それはさておき、演奏は凄まじい。これは、同じく1970年に録音された第5番や第6番と共通していると言えるが、正に強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤におさめられた第7番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、私はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。正に、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるインバル&フランクフルト放送交響楽団盤(1986年)又はインバル&チェコ・フィル盤(2011年)、そして、テンシュテット&ロンドン・フィル盤(1993年ライヴ盤)などにいささかも引けを取っていないと言える。あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮していると言える。かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質も英デッカによる1970年の録音当時としては総体として優秀なものであるが、例えば第1楽章のトゥッティにおいて音が割れる箇所が散見されるのは、おそらくはマスターテープに起因するものであると思われるところであり、こればかりは如何ともし難いところだ。なお、第5番が先般シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされたにもかかわらず、第7番が現在でもなおSHM−CD化すらされていないのはいささか残念な気がする。本演奏は、同時期の第5番や第6番と並ぶショルティならではの壮絶な名演であり、可能であれば、第5番と同様に、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/02

    これは素晴らしい超名演だ。アバドは、今では特定のオーケストラに縛られることなく、世界最高の指揮者として、特に若手の音楽家の育成を中心に活動を続けているが、ベルリン・フィルの芸術監督(1990〜2002年)をつとめていた時代、とりわけ癌により指揮活動の中止を余儀なくされた2000年頃までは、一部の例外はあるものの、鳴かず飛ばずの低迷期にあったと言えるだろう。前任のカラヤンの存在があまりにも大きかったということ、そして、カラヤン時代の旗本をつとめてきたスター・プレイヤーの代替わりの時期に重なったことなど、不利な状況に置かれたということもあるが、アバド自身も、レパートリーを広げるという高邁な理想を掲げたものの、王道とも言うべき独墺系の音楽において名演を成し遂げることができず、ただでさえ厳しい監視の目に晒されているベルリン・フィルの芸術監督としては、とても大方のクラシック音楽ファンを唸らせるような成果を上げることが出来なかったと言えるところだ(癌を克服した後のベルリン・フィルの芸術監督の離任間近の頃から、演奏に凄味と彫の深さが加わったことは何とも皮肉なことだ。)。しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の、特に1970年代から1980年代前半にかけてのロンドン交響楽団を主として指揮していた時代のアバドは、実に素晴らしかった。この時代の演奏のいずれも、殆ど例外なく、切れば血が噴き出してくるような凄まじいまでの圧倒的な生命力が随所のおいて漲っており、これにイタリア人ならではの歌謡性豊かな情感が込められた、いい意味での剛柔のバランスのとれた圧倒的な名演であったと言える。本盤におさめられたストラヴィンスキーの3つのバレエ音楽(春の祭典、火の鳥、カルタ遊び)も、そうしたアバドの全盛時代の超名演であり、前述のような剛柔のバランスに加えて、独特のシャープさを兼ね備えた稀有の名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。アバドは、ベルリン・フィルとはこの3曲を録音することは現在に至るまで行っていないが、それは本盤の演奏の出来に満足していたからに他ならないと言える。音質は、1970年代のアナログ録音であるものの、従来CD盤でも比較的良好な音質であり、数年前にはSHM−CD盤も発売されるなど、比較的満足できるものであった。ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、全盛期のアバド&ロンドン交響楽団による圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。そして、可能であれば、このコンビによるストラヴィンスキーによる他のバレエ音楽、例えば、ペトルーシュカやプルチネッラなどについてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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     2013/01/02

    押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。特に、本盤におさめられたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。本盤には、長大な楽劇「ニーベルングの指輪」からの抜粋、そして歌劇「タンホイザー」第3幕への前奏曲、舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕への前奏曲がおさめられているが、このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところだ。残念ながら、ライヴ録音も含め、現時点では全曲録音が遺されていないようであり、その意味では本盤の存在は極めて貴重なものと言えるだろう。本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言える。これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1960〜1961年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2013/01/02

    本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、「徒弟たちの踊りと親方たちの入場」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして楽劇「ニーベルングの指環」から「神々の黄昏」第3幕のジークフリートの葬送行進曲がおさめられている。諸説はあると思うが、私としてはクレンペラーならではの名演と評価したいと考える。押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。特に、本盤におさめられたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていたと言える。本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言える。これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2013/01/02

    フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、クレンペラーであった。クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。そうした巨匠クレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。特に、本盤におさめられたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。本盤には、歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲がおさめられているが、これら各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言える。これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、ワーグナーの音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2013/01/01

    本盤には、メンデルスゾーンの交響曲第3番及び第4番という人気交響曲がカプリングされているが、いずれもショルティならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。現在では、歴史的な名盤と評されているワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつあると言える。これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本盤の演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ないと言える。ショルティの様々な楽曲の演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかった。したがって、楽曲によっては、力づくの強引さが際立った無機的な演奏も散見され、それがいわゆるアンチ・ショルティの音楽評論家を多く生み出す要因となったことについて否定はできないと思われるが、それでも、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。本盤の両曲の演奏においても、そうした聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さには大なるものが存在していると言えるところである。スコットランドやイタリアの情景描写などとは無縁の、あくまでも絶対音楽としての交響曲を意識した演奏ではあるが、それだけに演奏全体の堅牢な造型美、そしてスケールの大きさには絶大なるものがあると言えるだろう。もちろん、両曲には、例えば第3番について言えばクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団による名演(1961年)、第4番について言えばトスカニーニ&NBC交響楽団による名演(1954年)など、他に優れた演奏が数多く成し遂げられており、本演奏をベストの演奏と評価することはなかなかに困難であると言わざるを得ないが、一般的な意味における名演と評価するにはいささかも躊躇するものではない。シカゴ交響楽団の巧さも特筆すべきであり、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。音質も、1985年のスタジオ録音であるのに加えて、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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     2013/01/01

    R・シュトラウスのアルプス交響曲は、1970年代の半ば頃までは作曲者と個人的な親交があったベームや、史上初めて交響曲・管弦楽曲・協奏曲全集をスタジオ録音したケンぺによる録音に限られていたところである。ところが、1979年にショルティ、そして1980年にカラヤンによるスタジオ録音が発売されるに及んで、一大人気交響曲の地位を確立した。演奏に相当の困難を要する交響曲であることから、各地のオーケストラの技量が格段に向上してきたということもあるが、それ以上に、CD1枚におさまる長さであることから、LP時代に存在した中間部での鑑賞の中断が全く不要になったことが極めて大きいと言えるのではないかと考えられるところだ。このように、ショルティによる本演奏は、今日での人気交響曲に発展成長していく過程での先駆けとなったものであるが、演奏自体は、他の演奏と比較して特異な性格を有していると言える。おそらくは、本演奏は、同曲演奏史上最速と言ってもいいのではないだろうか。同曲は、日の出から登山、登頂、下山、夕暮れといった情景描写を中心とした標題音楽であるが、ショルティは、こうした情景描写には特段の配慮を行っていないのではないかとさえ考えられるところだ。1年後のカラヤンの演奏と比較すると、例えば、嵐の前の描写にしても、カラヤンがゆったりとしたテンポで精緻に描き出しているのに対して、ショルティはそれこそ、嵐の前に既に嵐が来ているようなハイスピードで嵐に突入していく。したがって、同曲の標題音楽としての魅力を希求するクラシック音楽ファンには全くおすすめすることができない演奏であると言えるだろう。しかしながら、同曲には、作曲者R・シュトラウスによって「交響曲」という標題が付されているのであり、いわゆる絶対音楽として捉えるという考え方に立つとすれば、ショルティのアプローチは十分に説得力がある演奏であると考えられる。こうしたショルティのアプローチは、その後、爆発的に増加した同曲の演奏には全く受け継がれていないが、現在においても再評価がなされてもいいのではないかとも考えられる演奏であると言える。同曲の演奏に際して、シカゴ交響楽団ではなくバイエルン放送交響楽団を起用したというのも、ショルティが同曲を単なるオーケストラ演奏の醍醐味を堪能するだけの楽曲として捉えていなかったことの証左であると考えられるところだ。また、本盤には、シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲がおさめられている。同曲は、アルプス交響曲以上に演奏困難な曲であり、同曲の歴史的なスタジオ録音を遺したカラヤンでさえ、ある時期からはコンサートで採り上げるのをやめたほどの楽曲である。ショルティは、手兵シカゴ交響楽団を統率して、技量面においては完璧とも言うべき演奏を展開している点を高く評価したい。音質は、いずれも英デッカならではの極めて秀逸なものであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2012/12/30

    メロス弦楽四重奏団は、1965年にシュトゥットガルト室内管弦楽団の首席奏者などによって結成されたドイツの団体である。中心的なメンバーであった第1ヴァイオリンのヴィルヘルム・メルヒャーの死によって、2005年に惜しくも解散したが、ドイツの団体らしく重心の低い重厚な音色には定評があり、シューベルトの楽曲についても、弦楽四重奏曲も全集を完成させるなど得意のレパートリーとしていた。もっとも、アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは異なり、現代音楽は一切演奏しなかったことから、いかなる流行にも右顧左眄されることなく、ドイツ音楽の伝統に根差したオーソドックスな演奏を貫き通したという意味において、質実剛健な職人肌の名弦楽四重奏団であったとも言えるだろう。本盤の演奏も、メロス弦楽四重奏団の面目躍如たる重厚なドイツ正統派の名演。シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」を「天国的な長さ」と称して高く評価したのはシューマンであるが、本盤の演奏は、同曲の様々な団体による演奏の中でも、最も「天国的な長さ」を感じさせる名演奏と言えるだろう。シューベルトが指定した反復のすべてを実行するなど、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団が47分程度をかけて同曲を演奏しているのに対して、57分程度もかけて演奏しており、演奏時間からしても天国的な長さを大いに感じさせてくれると言えるところだ。前述のように、現代音楽は一切演奏しない団体であるだけあって、演奏は、前期ロマン派の作曲家であるシューベルトによる楽曲の範疇を逸脱しないオーソドックスなもの。曲想を精緻かつ重厚に描き出していく演奏は、清澄な美しさに満ち溢れた同曲の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献していると言えるだろう。同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、最もおすすめできる名演と言えるところであり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏の持つある種の現代的な革新性に抵抗感を覚えるクラシック音楽ファンには、最も受け容れられる演奏と思われるところだ。ロストロポーヴィチのチェロ演奏は、後年のエマーソン弦楽四重奏団との演奏と同様に、いささか雄弁に過ぎるというきらいもないわけではないが、心を込め抜いた情感豊かな演奏には抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えないのではないだろうか。エマーソン弦楽四重奏団との演奏との優劣については高い次元での比較の問題であり、クラシック音楽ファンの好みの問題に帰するものと考えられる。なお、本演奏はこれほどの名演であるにもかかわらず、国内盤は長らくの間廃盤であるという嘆かわしい状況にある。今後は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行うなど高音質化を施した上で、国内盤を再発売していただくことをこの場を借りて強く望んでおきたい。

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     2012/12/29

    カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤におさめられた交響曲第2番及び第3番を含む2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴であると言える。この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、正にこの黄金コンビの全盛時代である。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。本盤におさめられた交響曲第2番及び第3番においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていると言える。このような演奏について、例えば第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、ベーム&ウィーン・フィルによる名演(1975年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)などと比較して、その精神的な深みの追及の欠如などを指摘する者もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。本盤の2曲を含め、カラヤン&ベルリン・フィルによる2度目のブラームスの交響曲全集については、長らくに渡って高音質化の波から外れてきた。3度目の全集についてはSHM−CD化、最初の全集についてはリマスタリングが施されたにもかかわらず、これまで殆ど手つかずの状態であったというのは、演奏の素晴らしさからすれば、明らかに不当な扱いを受けてきたと言えるだろう(これは、ベートーヴェンの交響曲全集においても共通して言えることだ。)。しかしながら、今般、全集のうち交響曲第2番及び第3番に限ってということではあるが、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。そして、可能であれば、全集の中の残された交響曲第1番及び第4番、そして悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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     2012/12/29

    エリアフ・インバルは、現在でも偉大な遺産としてその名を轟かせているフランクフルト放送交響楽団とのマーラーの交響曲全集のスタジオ録音(1985〜1988年)に引き続いて、ショスタコーヴィチの交響曲全集のスタジオ録音に着手した。既に、フランクフルト放送交響楽団とともに交響曲第5番を1988年にスタジオ録音していたが、それとは別のプロジェクトとして、1990年から3年間かけて15曲の交響曲のスタジオ録音を行ったのであった。当該交響曲全集プロジェクトは、当初は、レニングラード・フィル(サンクトペテルブルク・フィル)の起用が予定されていたが、契約の関係で困難となり、ウィーン交響楽団の起用に落ち着いた。二流のオーケストラであるウィーン交響楽団を起用せざるを得なかった時点で、当該交響曲全集のいささか残念な運命は決定的になったと言わざるを得ないところだ。レニングラード・フィルが困難であったとしても、何故にフランクフルト放送交響楽団の起用が出来なかったのであろうか。この点は謎と言う他はないが、ショスタコーヴィチの交響曲を演奏する上での不可欠の要素とも言える、優秀な技量を有したオーケストラの起用が出来なかったことは、偉大な交響曲全集完成に際しての基盤そのものがと崩壊していると言っても過言ではあるまい。交響曲第10番は、1990年にウィーン交響楽団とともにスタジオ録音を行っているが、オーケストラの力量が今一つであり、必ずしも名演とは言い難い結果となっていた。このような中で、インバルは、昨年より、東京都交響楽団とともにショスタコーヴィチの交響曲第4番及び第5番の再録音を開始したところであり、両演奏ともに圧倒的な超名演との高い評価を勝ち得たところだ。とりわけ、交響曲第4番については、先般2012年度のレコード・アカデミー賞を受賞したところだ。そして、そのような中で、今般、満を持して東京都交響楽団との交響曲第10番のライヴ録音が発売された。本演奏は、1990年盤の演奏とはそもそも次元が異なる圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。インバルの本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻かつ丁寧に描き出すという純音楽的なスタイルを基軸としている。それでいて、いささかも単調には陥っておらず、インバルが得意としたマーラーの交響曲演奏においても顕著であると言えるが、ありあまるパッションを演奏全体の堅牢な造型の中に封じ込めるという過程においてはみ出してきたものが存在しており、それが本演奏をして、内容豊かなものとしていると言えるところだ。また、かつてのインバルの演奏に感じられた線の細さはなく、常に骨太の音楽が構築されている。随所における彫の深さ、懐の深さには出色のものがあり、正に大指揮者の風格十分であると言っても過言ではあるまい。そして、本演奏をして超名演たらしめるのに大きく貢献しているのは、前述のようなインバルの円熟の至芸に加えて、東京都交響楽団の圧倒的な名演奏であると言える。東京都交響楽団のブラスセクションや打楽器セクションは実に巧く、そして弦楽合奏の厚みのある響きは、ヨーロッパの一流のオーケストラに比肩し得るような力量を備えていると言ってもいいのではないだろうか。いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルによるスタジオ録音の演奏(1981年)、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるライヴ録音の演奏(1976年)、スクロヴァチェフスキ&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ録音による演奏(2003年)と並んで4強の1角を形成する、圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。そしてSACDによる超高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2012/12/24

    ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになった。これまで輸入盤で、しかもセットでしか手に入らなかっただけに、クラシック音楽ファンにとってはこの上ない喜びであると言えるだろう。ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。私も、ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを聴いたが、指揮者は知られざる者であったものの、見事な演奏を繰り広げていたのが強く印象に残っている。ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第5番やストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったと言えるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したいと考える。チャイコフスキーの交響曲第5番については、既に1994年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその7年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作であると言える。それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いと言えるが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしていると言える。演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、私としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1994年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。他方、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」については、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1978年)以来、9年ぶりの録音ということになるが、正に異色の名演と言える。親しみやすい旋律に満ち溢れるとともに、華麗なオーケストレーションで知られた名作であるが、ヴァントは陳腐なセンチメンタリズムに陥ることなく、そして、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。かなり緻密に楽想を描き出しているせいか、他の演奏では聴くことができないような音型を聴き取ることができるのも本演奏の大きなメリットと言える。同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1987年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものであると言える。もっとも、最近ではSACD盤の発売が一般的になりつつあるところであり、可能であれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/12/24

    グールドの類まれなる才能を感じさせる圧倒的な名演だ。グールドと言えばその代名詞はバッハのピアノ曲、そしてバッハのピアノ曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、ソニーによってSACD化されたグールドによる一連のバッハのピアノ曲の演奏を聴くと、あらためて、グールドとバッハのピアノ曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。それにしても、本盤におさめられたパルティータの演奏は超個性的だ。パルティータは、長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在していると言える。もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしいと言える。これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。いずれにしても、本盤のパルティータの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、他のバッハのピアノ曲がSACD化やBlu-spec-CD化される中で、リマスタリングが施される以上の高音質化がなされていなかったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることにより、見違えるような良好な音質に生まれ変わった。音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1960年代前半という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/12/24

    我が国のピアニストの大御所、横山幸雄のデビュー20周年を記念するアルバムの登場だ。曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の人気曲どうしの組み合わせ。いずれも、超絶的な技巧を要するとともに、ロシア風のメランコリックな抒情の的確な描出が必要不可欠な楽曲であるだけに、ピアニストの実力(それは技量においても芸術性においてもということになるが)が試されると言えるだろう。本盤におさめられた両曲の演奏は、横山幸雄にとって、グリーグのピアノ協奏曲以来の久しぶりの協奏曲の録音ということになるが、そうした長年のブランクをいささかも感じさせない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。両曲ともに、横山幸雄の超絶的な技量は冴えわたっていると言えるところであり、このような凄い演奏を聴いていると、あらためて横山幸雄こそは我が国のピアニストの中でもトップクラスの実力を誇っているということをあらためて窺い知ることが可能と言える。ライヴ録音というのが信じられないほどミスタッチは殆どないのが驚異的であり、持ち前のヴィルトゥオジティを如何なく発揮していると言えるだろう。もっとも、それでいて技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、両曲の随所に配されたロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、心を込めて情感豊かに歌い抜いていると言える。もっとも、両曲の場合、演奏によっては陳腐なセンチメンタリズムに堕するものも散見されるところであるが、横山幸雄の場合は、そうした懸念は心配ご無用。いかに抒情豊かな箇所に差し掛かっても、格調が高さを失うことがなく、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。また、持ち前の超絶的な技量にもよるところが大きいとも言えるが、強靭な打鍵による重量感溢れるピアノタッチから、繊細で消え入るようなピアノタッチに至るまでの表現力の幅広さは桁外れの凄さであり、これは正に両曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、横山幸雄のデビュー20周年を飾るに相応しい圧倒的な名演と高く評価したいと考える。こうした素晴らしい横山幸雄のピアノ演奏を下支えしているのが、小泉和裕指揮の東京都交響楽団である。このコンビは、両曲の随所に盛り込まれたロシア風のメランコリックな抒情に彩られた旋律の数々を情感豊かに描出しており、両曲の演奏として最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質も素晴らしい。音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、何よりも横山幸雄のピアノタッチが鮮明に再現されるのは見事。あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、横山幸雄、そして小泉和裕&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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