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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/11

    アバドの後を追ってベルリン・フィルの第6代芸術監督に2002年に就任したラトルであるが、就任から5年間ほどは、名うての猛者たちを統率することがままならず、新機軸を打ち出そうという気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返した。これは、アバドと同様であり、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の方が、よほど素晴らしい演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。しかしながら、本盤の一つ前の録音であるマーラーの交響曲第9番あたりから、漸くラトルならではの個性が発揮された素晴らしい名演を成し遂げるようになった。芸術監督に就任してから5年を経て、漸くベルリン・フィルを統率することができるようになったことであろう。本盤におさめられたベルリオーズの幻想交響曲、そしてカンタータ「クレオパトラの死」も、ラトルがベルリン・フィルを巧みに統率して、自らの個性を十二分に発揮し得た素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。幻想交響曲については、第1楽章冒頭からとてつもない気迫が漲っている。主部に入ってからも、テンポの振幅や強弱の変化を大胆に駆使して、熱き生命力に満ち溢れたドラマティックな演奏を行っている。ベルリン・フィルの管楽器奏者の巧さにはただただ舌を巻くのみである。第2楽章の格調の高い音楽は、ラトルが単なる勢い一辺倒の無内容な演奏をしていない証左とも言える。第3楽章は、静寂が漂う音楽であるだけに、全楽章の中での存在感を発揮させるのが難しい楽章であると言えるが、ラトルの場合は、ベルリン・フィルの卓越した奏者たちを見事に統率して、実にコクのある音楽を醸成させている。第4楽章は、冒頭はあまり調子が出ない(反復も忠実に実施)が、徐々に調子を上げていき、終結部においては、ベルリン・フィルの圧倒的な合奏力に物を言わせて、とてつもない迫力に満ち溢れた豪演を成し遂げている。終楽章は、ベルリン・フィルの猛者たちの技量は筆舌には尽くし難いところであり、これらの手綱を引き締めて見事な音のドラマを構築し得たラトルの指揮者としての円熟ぶりも特筆すべきであろう。カンタータ「クレオパトラの死」も、ベルリン・フィルを巧みに統率した名演であるが、ソプラノのスーザン・グラハムの名唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、これまでHQCD化が図られることなどによって十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとっても既発の従来CD盤やHQCD盤などとは比較にならないほどの極上の高音質であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルの名コンビが漸く軌道に乗った素晴らしい名演を高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/10

    R・シュトラウスの管弦楽曲の演奏史上でも最高の名全集とも評される歴史的な名盤(ただし、協奏曲集を除く。)がついにシングルレイヤーによるSACD化がなされることになった。ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじていると言える。芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR・シュトラウスの管弦楽曲全集であると言うのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋などもおさめられており、正に空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。ケンペによるR・シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR・シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、私としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している。)。むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。かかる演奏は、R・シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。本盤には、R・シュトラウス管弦楽曲全集第3集として、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や家庭交響曲、交響的幻想曲「イタリアから」、交響的断章「ヨゼフ物語」、そして楽劇「サロメ」から7つのヴェールの踊りがおさめられている。いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい。)。長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を活かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/09

    実に素晴らしいCDが発売された。アバドとピリスは若い頃から長年にわたって共演を行ってきたお互いを知り尽くした名コンビであると言えるが、その関係の更なる深化を十分に伺い知ることができる演奏になっていると言えるだろう。先ずは、アバドの近年の充実ぶり、そして円熟ぶりに目を見張らされる。ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、鳴かず飛ばずの低迷期に陥り、多くの音楽評論家から民主的とは名ばかりの「甘ちゃん指揮者」などといった芳しからざる綽名を付けられたものであるが、大役の心労から胃癌にかかり、それを克服した後は、それまでとは打って変わったような深みのある名演奏を成し遂げるようになった。ベルリン・フィルの芸術監督退任後は、主として若くて才能のある奏者とともに、それこそ自らが志向していた「民主的」という名の共に演奏を行うという基本的なスタンスが見事に花を咲かせたと言えるだろう。本盤においてオーケストラ演奏をつとめているモーツァルト管弦楽団も、2004年にアバドが設立した18歳から26歳までの若手奏者のみで構成される団体であり、アバドを心から慕う奏者とともに、実に楽しげに、そして時には真摯かつ緊張感を持って、モーツァルトの素晴らしい音楽を共に演奏を行っていることが素晴らしいと言える。そして、ピリスのピアノ演奏も見事。かつては、女流ピアニストならではの繊細が全面に出たピアニストであり、線の細さを感じさせたものであるが、近年のピリスには線の細さなどいささかも感じさせられることはない。それどころか、第20番におけるテンポの効果的な振幅を駆使したドラマティックな表現は、強靭な迫力を誇っており、演奏の持つ根源的な力強さは、かつての若きピリスとは別人のような堂々たるピアニズムであると評価し得る。第27番の澄み切った音楽も、ピリスは持ち前の表現力の幅の広さを活かし、センス満点の細やかなニュアンスを随所に織り込みつつ、きわめて濃密な表現を持って曲想を描き出すのに成功している。そして、このように真摯かつ彫の深い演奏を行いつつも、アバド&モーツァルト管弦楽団の演奏とともに楽しげに演奏をするという姿勢も失うことがないのである。いずれにしても、本盤の演奏は、円熟の境地を迎えたアバド、そしてピリス、そして若き才能のある音楽家が集まったモーツァルト管弦楽団が一体となって、音楽を奏でる楽しさを常に保ちつつ、共に良き音楽を作り上げようと協調し合ったことによって生み出された、珠玉の名演であると高く評価したいと考える。アバドが生涯に渡って追及し続けた演奏とは、正に本演奏のようなものであったであろうし、ピリスとしても、会心の出来ではないかと思われるところだ。音質も、ピアノ曲との相性抜群のSHM−CD盤であり、十分に満足し得るものであると評価したい。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/09

    EMIがここ数か月に渡って発売している一連のシングルレイヤーによるSACD盤の中でも、ルドルフ・ケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集は、名実ともに最高峰の歴史的名盤と言えるのではないだろうか。ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじていると言える。芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR・シュトラウスの管弦楽曲全集であると言うのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋などもおさめられており、正に空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。ケンペによるR・シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR・シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、私としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している。)。むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。かかる演奏は、R・シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。本盤には、R・シュトラウス管弦楽曲全集第2集として、交響詩「死の変容」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」や劇音楽「ばらの騎士」からのワルツ、そして一般には殆ど知られていないランソワ・クープランのハープシコード曲による舞踏組曲がおさめられている。いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。交響詩「ドン・キホーテ」のチェロの独奏を担当しているポール・トルトゥリエの演奏も、実に魅力的なものと評価したい。そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい。)。長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を活かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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     2013/02/03

    ヴァントは、いわゆる大器晩成型の巨匠指揮者として、1990年代に様々な名演の数々を遺したが、数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音も、その枢要な地位を占めるものであると言える。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。私も、ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートを聴いたが、指揮者は知られざる者であったものの、見事な演奏を繰り広げていたのが強く印象に残っている。ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。今般、国内盤として発売されるのは、ライヴ・ボックスの第2弾。待望の分売化と言えるだろう。本盤には、ヴァントが最も得意としたレパートリーでもあるブルックナーの交響曲第6番及び第8番がおさめられている。交響曲第6番については、既に、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1976年スタジオ録音)のほか、北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年)(DVD作品としては、翌年のライヴ録音(1996年)が別途存在している。)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在しており、本演奏は5つ目の録音の登場と言うことになる。本演奏を含め、いずれ劣らぬ名演であると言えるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、当該演奏の4年前の演奏ということもあって、同年に録音された北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそが正に彼岸の音楽であり、前述のようにミュンヘン・フィルとの演奏ほどの至高の高みには達していないものの、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしていると言えるのではないだろうか。第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、交響曲第8番については、ヴァントが最も数多くの録音を遺したブルックナーの交響曲であったと言える。ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、NHK交響楽団との演奏(1983年)、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の8度にわたる録音(北ドイツ放送交響楽団とのDVD作品を除く。)が既発売であるので、本演奏を加え、何と合計で9度にわたって録音したことになるところだ。本演奏を含め、いずれ劣らぬ素晴らしい名演であると評価したいが、この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、1年前の北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコア・リーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、本演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしも持たれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。いずれにしても、本盤におさめられた交響曲第6番及び第8番は、ブルックナーを得意としたヴァントならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質も、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものであると言える。もっとも、最近ではSACD盤の発売が一般的になりつつあるところであり、可能であれば、SACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/03

    本盤には、クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集のうち、交響曲第3番(1967年スタジオ録音)がおさめられている。本盤の録音当時は、近年のようなマーラー・ブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、極めて希少な存在であったと言える。そして、本演奏は、既に録音から40年が経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名演と高く評価したいと考える。本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味あわせてくれるわけでもない。クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。しかしながら、一聴するとやや早めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能であると言える。地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがあると言える。いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名演と高く評価したい。なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本演奏とほぼ同時期のライヴ録音が独アウディーテから発売されている。テンポも本演奏よりも早く、強靭な生命力や気迫においては、本演奏よりも優れた演奏と言えなくもないが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本名演の価値はなお不変であると考える。音質については、私は1989年に初CD化された全集を所有しており、それは現在でも十分に満足し得るものであると言える。しかしながら、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びとなった。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クーベリックによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、マーラーの交響曲全集に含まれる第3番以外の交響曲についても、今後、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることを大いに望んでおきたいと考える。なお、最後に一言。ユニバーサルは3年あまりにわたって毎月3〜5枚ずつのシングルレイヤーSACD&SHM−CD盤の発売を続けてきたが、2012年12月以降の新譜の発売予告が現時点においてない状況にある。中断であればいいが、仮に止めたというのであれば、クラシック音楽界にとって極めて残念なことと言わざるを得ない。今後は、価格をEMIなみに3000円程度にプライスダウンすること、パッケージを扱いにくい紙ジャケットではなく、通常のケースにするなどの改善を図って、一日も早いシングルレイヤーSACD&SHM−CD盤の発売の再開を、この場を借りてユニバーサルに対して強く望んでおきたい。

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     2013/02/03

    ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじていると言える。芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR・シュトラウスの管弦楽曲全集であると言うのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋などもおさめられており、正に空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。ケンペによるR・シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR・シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、私としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している。)。むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。かかる演奏は、R・シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。本盤には、R・シュトラウス管弦楽曲全集第1集として、交響詩「マクベス」、「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラはかく語りき」のほか、アルプス交響曲、メタモルフォーゼン、組曲「町人貴族」、そしてバレエ音楽「泡立ちクリーム」からの抜粋であるワルツがおさめられているが、いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい。)。長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を活かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2013/02/02

    ジャニーヌ・ヤンセンは今年で34歳になる若手女流ヴァイオリニストの旗手の一人とされる存在であり、ヴィヴァルディの四季やベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲など、超個性的でありながらも芸術性がしっかりと担保された圧倒的な名演を成し遂げるなど、着実に確固たるキャリアを積み重ねてきた。そして、今般、ジャニーヌ・ヤンセンの類まれなる芸術性の高さを証明するとともに、おそらくはジャニーヌ・ヤンセンのこれまでのCD中の最高傑作とも評価し得る決定的な名盤が発売される運びとなった。本盤に収録されているのは、シェーンベルクの浄められた夜とシューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調。ジャニーヌ・ヤンセンが、「室内楽史上もっとも美しい2作品」と語る傑作だ。この両曲の組み合わせは、もちろんジャニーヌ・ヤンセンの言うとおりなのであるが、それ以上にセンス抜群の意味深いものと言えるのではないだろうか。シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調は、音楽史で言えば、前期ロマン派の作曲家に属するシューベルトの最高傑作の一つではあるが、最晩年の作品であるだけに、その後の作曲家の作品に繋がっていくような、当時としてはある種の革新性を有していたと言えるところだ。そして、それは新ウィーン派の作曲家の旗手として、十二音技法を生み出したシェーンベルクの作品にも繋がっているとも言えるところであり、それ故にこそ、この両曲の組み合わせは意味深長なものと考えられるところである。シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の名演の一つとしてアルバン・ベルク弦楽四重奏団(第2チェロはハインリヒ・シフ)によるスタジオ録音(1982年)があるが、当該演奏は、同曲の美しい旋律を情感豊かに描き出す一方で、現代音楽にも繋がっていくようなある種の革新性も有していたが、本盤のジャニーヌ・ヤンセンによる演奏も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による演奏とは異なったアプローチではあるが、シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の持つ革新性を希求するとともに、その延長線上において、シェーンベルクの浄められた夜を捉えるという考え方においては通底していると言えるだろう。それにしても、ジャニーヌ・ヤンセンとその仲間たちのアンサンブルによる演奏は素晴らしい。ヴィヴァルディの四季の演奏も、同様のアンサンブルによる個性的な超名演であったが、本盤の演奏もそれに勝るとも劣らない超個性的、そして芸術性の高い超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の清澄な美しさを情感豊かに歌い抜くという基本的なアプローチは維持しつつも、随所にジャニーヌ・ヤンセンならではのスパイスの効いた個性的な解釈が施されており、それがいささかもあざとさを感じさせることなく、格調の高い芸術性への奉仕に繋がっているのが見事であると言える。そして、時として聴かれる切れ味鋭いリズム感は、前述のような現代音楽に繋がる革新性を感じさせるものとして、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏を彷彿とさせるものとも言えるだろう。シェーンベルクの浄められた夜も、シューベルトの弦楽五重奏曲と同様のアプローチによる名演であり、単なる美しさのみならず、随所に聴かれる芸術性に裏打ちされた個性的な解釈は、本演奏を聴き飽きたというクラシック音楽ファンにも清新さを感じさせるものと言える。いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、ジャニーヌ・ヤンセンの類まれなる芸術性と才能、そして今後の前途洋々たる将来性を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質もSHM−CD盤であることもあって、鮮明で十分に満足し得るものとなっていることも付記しておきたい。

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     2013/02/02

    本盤には、ブラスバンドに入ったことがある者であれば、誰でも一度は演奏したことがあるであろう有名曲がおさめられている。特に、ホルストの吹奏楽のための組曲第1番及び第2番、ヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲などは定番とも言える超有名曲であるが、意外にも推薦できる演奏が殆ど存在していない。それだけに、本盤の各演奏はきわめて稀少価値のあるものと言える。ヴォーン・ウィリアムズやホルストは、若干時代は活動時期は前後するものの、チェコのヤナーチェクやハンガリーのバルトーク、コダーイなどと同様に、英国の作曲家としての誇りをいささかも失うことなく、英国の民謡を高度に昇華させて自作に採り入れようとした。その結実こそは、イギリス民謡組曲、そして吹奏楽のための組曲第1番及び第2番なのであり、私としては、本盤におさめられたいずれの楽曲も、単なるブラスバンドのためのポピュラー名曲の範疇には収まりきらないような芸術性を湛えていると高く評価している。他に目ぼしいライバルとなり得る名演が存在しないだけに、吹奏楽の普及に多大なる貢献を行ったフレデリック・フェネル&イーストマン・ウィンド・アンサンブルによる本演奏は、本盤におさめられた各楽曲の唯一の名演とも言える貴重な存在と言える。ブラスバンドのための楽曲だけに、決して重々しくはならず、演奏全体の様相としては颯爽としたやや早めのテンポを基調としているが、各楽曲に盛り込まれた英国の詩情に満ち溢れた民謡風の旋律の数々については心を込めて歌い抜いており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演奏を展開していると言えるところだ。イーストマン・ウィンド・アンサンブルも、フレデリック・フェネルの指揮の下、これ以上は求め得ないような一糸乱れぬアンサンブルにより、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。いずれにしても、これぞまさしくブラスバンドによる演奏の理想像の具現化とも言えるところであり、本盤の演奏から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもなお本盤の演奏を超える演奏があらわれていないのも十分に頷けるところである。ホルストと言えば組曲「惑星」のみがやたら有名であるし、ヴォーン・ウィリアムズと言えばタリスの主題による幻想曲などが特に有名であるが、仮に、本盤におさめられた各楽曲を未聴であるとすれば、ホルストにしても、ヴォーン・ウィリアムズにしても、吹奏楽の分野において、このような偉大な傑作を遺しているということを、本盤を聴いて是非とも認知していただきたいと考えるところだ。音質は、1950年代末の録音にしては従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、今般のルビジウム・クロック・カッティングによって、従来CD盤よりも更に良好な音質に生まれ変わったと評価したい。

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     2013/02/02

    2002年よりベルリン・フィルの芸術監督に就任したラトルであるが、就任後の数年間は、オーケストラへの気後れもあったとは思うが、気合だけが空回りした凡演が多かった。そのようなラトルも、2008年のマーラーの交響曲第9番において、猛者揃いのベルリン・フィルを巧みに統率した奇跡的な名演を成し遂げ、その後は、殆ど例外もなく、素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。本盤におさめられたオルフのカルミナ・ブラーナの演奏は、2004年の大晦日のジルヴェスター・コンサートでのライヴ録音である。この時期は、前述のように、ラトルが未だベルリン・フィルを掌握し切れていない時期の演奏ではあるが、かかるジルヴェスター・コンサートという独特の雰囲気、そして何よりも、ラトル自身がオペラにおける豊富な指揮の経験により合唱や独唱者の扱いが実に巧みであることも相まって、当時のラトルとしては、例外的に素晴らしい名演を成し遂げていると言えるのではないかと考えられるところである。もちろん、本演奏においても、気合は十分であり、ラトルの得意とする合唱曲、そして現代音楽であるということもあって、思い切った表現を随所に聴くことが可能だ。テンポの効果的な振幅や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使するとともに、打楽器の鳴らし方にも効果的な工夫を施すなど、ラトルならではの個性が満載であると言えるところである。要は、当時のラトルの演奏の欠点でもあったいわゆる表現意欲だけが空回りするということはいささかもなく、ラトルの個性が演奏の軸足にしっかりとフィットし、指揮芸術の範疇を外れていないのが見事に功を奏していると言える。そして、ラトルは、前述のように合唱や独唱者の扱い方が実に巧いが、本盤の演奏においてもその実力が如何なく発揮されているとも言えるところであり、ベルリン放送合唱団、ベルリン大聖堂国立合唱団少年合唱団員を見事に統率して、最高のパフォーマンスを発揮させている手腕を高く評価したいと考える。ソプラノのサリー・マシューズ、テノールのローレンス・ブラウンリー、そしてバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルによる名唱も、本演奏に華を添える結果となっているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、ベルリン・フィルを完全掌握して、水準の高い名演の数々を成し遂げるようになった、名実ともに世界最高の指揮者である近年のラトルを十分に予見させるような圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤やHQCD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとっても既発の従来CD盤やHQCD盤とは比較にならないほどの極上の高音質であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィル、そしてベルリン放送合唱団をはじめとする合唱団、ゲルハーヘルをはじめとする独唱者による圧倒的な名演を高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2013/01/27

    ラヴェルやドビュッシーの管弦楽曲については、これまで様々な指揮者によって素晴らしい名演の数々が成し遂げられてきている。フランス系の指揮者に限ってみても、クリュイタンスやマルティノン、アンセルメ、プレートル、そして近年のデュトワなど、錚々たる指揮者による名演が存在しており、そうした多種多彩な名演の中にあっては、パレーによる名演は、残念なことでもあるが、前述の綺羅星の如き指揮者による名演とは異なり、今や知る人ぞ知る存在に甘んじているとも言える。しかしながら、演奏の内容については間違いなくトップクラスの水準を誇っており、今般の本演奏の高音質盤の低価格による販売を契機に、多くのクラシック音楽ファンの間で、本演奏について正当な評価がなされることを心より願うものである。それにしても、パレーの指揮芸術は、例えて言えば、書道における名人の一筆書きのようなものであると言えるだろう。テンポはやや早めであり、一聴すると淡々と曲想が進行していくような趣きがあり、いささかも華美には走らない即物的で地味な様相の演奏であると言える。しかしながら、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの薄味の演奏では決してなく、各旋律の端々には細やかなニュアンスが施されており、演奏に込められた内容の濃さにおいては、クリュイタンス盤と比較しても遜色はないものと思われるところだ。パレーについては、一部の音楽評論家がフランスのシューリヒトと称しているが、正に至言とも言うべきであり、その指揮芸術には、シューリヒトのそれと同様に、神々しいまでの崇高ささえ湛えていると言えるだろう。それにしても、本盤におさめられたラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や高雅にして感傷的なワルツ、ボレロ、そしてドビュッシーの夜想曲や小組曲の演奏における、淡々と進行していく各旋律に込められたニュアンスの独特の瀟洒な味わい深さには、フランス風のエスプリ漂う抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽の粋とも言うべきものではないかと考えられるところだ。もちろん、ボレロにおける圧倒的な高揚感など、強靭な迫力のおいてもいささかも欠けることがないことについては付記しておく必要がある。また、デトロイト交響楽団という、最もアメリカ的なオーケストラがこのようなフランス風のエスプリ漂うセンス満点の演奏を展開していることが大変な驚きであると言えるところであり、これはまさしくパレーによる不断の薫陶とともに、その類まれなる統率力の賜物であると言っても過言ではあるまい。音質は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のルビジウム・クロック・カッティングによって、極めて鮮明な音質に改善されたことも、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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     2013/01/27

    フランス系カナダ人の名チェリストであるジャン=ギアン・ケラスが、世界最高の女流ヴィオリストとも評されるタベア・ツィンマーマンや、古楽器演奏にも通暁したダニエル・セペックなど、各種ソロ活動でも実績のある3名のドイツ人弦楽器奏者とともに結成したアルカント弦楽四重奏団の結成10年を記念して、既発売の名演を集大成したシングルレイヤーによるSACD盤が発売された。前述のように、メンバー全員が世界的な若手一流弦楽器奏者で構成されており、ソロ活動に繁忙なこともあって、常にともに活動している団体ではないが、結成されてからの10年間にリリースされた本盤の演奏は、バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番や、ドビュッシー&ラヴェル等による弦楽四重奏曲などの演奏がレコード・アカデミー賞を受賞するなど、とてつもない超名演揃いであると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられた楽曲からも窺い知ることができるように、そのレパートリーは極めて広範なものがあり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団が解散した今日においては、準常設団体ながら、カルミナ弦楽四重奏団などと並んで、最も注目すべき弦楽四重奏団であると言えるところだ。バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番は、アルカント弦楽四重奏団のデビュー盤となった記念碑的な名演。とりわけ、第5番は、2002年の結成時にはじめて演奏した同団体にとっても大変に思い入れの深い楽曲であるだけに、演奏全体にとてつもない気迫と緊迫感、そしてどこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き生命力を有しているのが素晴らしい。他方、第6番についても、同様のスタイルではあるが、バルトークの弦楽四重奏曲の掉尾を飾るのに相応しい神々しいとも言うべき崇高さをも絶妙に表現しており、この団体が技量一辺倒ではなく、情感豊かな演奏をも成し遂げるだけの力量を備えていることがよく理解できるところである。ブラームスの弦楽四重奏曲第1番は、ドイツ風の重厚な演奏を行っており、この団体の多彩な表現力に圧倒されるのみ。ピアノ五重奏曲も、ジルケ・アーヴェンハウスの巧みなピアノ演奏も、本名演に一躍買っているのを忘れてはならない。そして、本盤の白眉は、何と言ってもドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽四重奏曲。驚天動地の名演であり、名演の前に超をいくつか付け加えてもいいのかもしれない。それくらい、弦楽四重奏曲の通例の演奏様式の常識を覆すような衝撃的な解釈、アプローチを示していると言える。ドビュッシーとラヴェルの有名なフランスの二大弦楽四重奏曲の間に、デュティユーの弦楽四重奏曲をカプリングするという選曲のセンスの良さも光るが、ドビュッシー&ラヴェルの弦楽四重奏曲が含有する奥深い内容への追及が尋常ではない。強弱の思い切った変化、極端とも言うべきテンポの振幅を駆使して、ひたすら両曲の内実に迫っていく彫の深いアプローチには、ただただ頭を垂れるのみ。それでいて、例えばラヴェルの弦楽四重奏曲の第3楽章の演奏などに見られる情感豊かな表現には、筆舌には尽くし難い美しさを誇っていると言える。また、
    デュティユーの弦楽四重奏曲の各楽章(部と言ってもいいのかもしれない)毎の思い切った描き分けは、難解とも言える同曲の本質を聴者に知らしめるという意味において、これ以上は求め得ないような理想的な演奏を行っていると言えるところである。それにしても、これらの3曲の演奏における4人の奏者の鉄壁のアンサンブルは、何と表現していいのであろうか。各奏者がいまだ若手であるにもかかわらず、単なる技術偏重には陥らず、常に作品の内面を抉り出そうと言う真摯な姿勢で演奏を行っていることに深い感銘を覚えるとともに、この団体の今後の更なる発展を予見させるものと言えよう。そして、最後におさめられているのがシューベルトの最晩年の傑作、弦楽五重奏曲ハ長調だ。第2チェロを、この団体のリーダー格のジャン=ギアン・ケラスの高弟、オリヴィエ・マロンがつとめている。同曲には、ウィーン風の抒情に満ち溢れた情感の豊かさに加えて、その後の新ウィーン派の音楽にも繋がっていくような現代的な感覚を付加させたアルバン・ベルク弦楽四重奏団による名演もあるが、本盤の演奏もその系譜に連なる演奏と言っても過言ではあるまい。第1楽章冒頭からして、切れ味鋭いシャープな表現に驚かされる。その後も、効果的なテンポの振幅や強弱の変化を駆使して、寂寥感に溢れたシューベルトの音楽の本質を鋭く描き出しているのが素晴らしい。細部における表情づけも過不足なく行われており、この団体のスコア・リーディングの確かさ、厳正さを感じることが大いに可能である。第2楽章は一転して両端部において情感豊かな表現を行っているが、耽溺し過ぎるということはなく、常に格調の高さを失っていない。中間部は、同団体ならではの切れ味鋭いシャープな表現が際立っているが、同楽章全体の剛柔のバランスの取り方が見事であり、各奏者の類まれな音楽性を感じることが可能だ。第3楽章は、非常に早いテンポによる躍動感が見事であるが、畳み掛けていくような気迫と切れ味鋭いリズム感は、この団体の真骨頂とも言うべき圧倒的な迫力を誇っていると言える。終楽章は、シューベルトの最晩年の心底に潜む闇のようなものを徹底して抉り出すような凄い演奏。終結部の謎めいた終わり方も、この団体にかかると、歌曲集「冬の旅」の作曲などを通して、「死」というものと人一倍向き合ってきたシューベルトの「死」に対する強烈なアンチテーゼのように聴こえるから実に不思議なものであると言えるところだ。いずれにしても、本盤の各楽曲の演奏は、アルカント弦楽四重奏団の実力が如何なく発揮されるとともに、今後のこの団体のますますの発展を予見させる超名演であると高く評価したいと考える。音質についても、いずれもハルモニア・ムンディならではの鮮明で良好なものであったが、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって更に圧倒的な超高音質に生まれ変わった。各奏者の弓使いが鮮明に再現されるとともに、その演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、室内楽曲を聴く醍醐味とも言えるところであり、今般のシングルレイヤーによるSACD化が、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2013/01/26

    今年はドビュッシーの生誕150年であるが、それを記念した素晴らしい名盤が登場した。我が国を拠点として活動し、現在、もっとも輝いているピアニストの一人でもあるイリーナ・メジューエワは、一昨年のショパン・イヤー、そして昨年のリスト・イヤーにおいても、極めて優れた名盤の数々を世に送り出したところであるが、今般のドビュッシーのピアノ作品集も、我々クラシック音楽ファンの期待をいささかも裏切ることがない高水準の名演であると言えるだろう。本盤には、ドビュッシーのピアノ曲中の最高傑作との誉れ高い前奏曲集を軸として、ベルガマスク組曲、2つのアラベスク、版画、喜びの島など、著名な作品の全てがおさめられており、ドビュッシーのピアノ作品集として必要十分な内容となっている点も評価し得るところだ。それにしても、メジューエワの演奏は素晴らしい。ショパンのピアノ曲の一連の演奏やリストのピアノ作品集も名演であったが、本盤のドビュッシーのピアノ作品集の演奏は、更にグレードアップした見事な名演奏を聴かせてくれていると言える。一音一音をいささかも揺るがせにしない骨太のピアノタッチは健在であるが、ゴツゴツした印象を聴き手に与えることは全くなく、音楽はあくまでも自然体で優雅に流れていくというのがメジューエワのピアノ演奏の真骨頂であり最大の美質。もちろん、優雅に流れていくからと言って内容空虚であるということはなく、HMVの説明にもあるように、透明感に満ちた音色、明瞭なフレージング、巧みなペダリングによる色彩の変化などを駆使した細部に至るまでの入念な表情づけも過不足なく行われており、スコア・リーディングの確かさ、そして厳正さを大いに感じさせるのもいい。技量においても卓越したものがあるが、技巧臭などは薬にしたくもなく、ドビュッシーの音楽の魅力を聴き手に伝えることのみに腐心している真摯な姿勢が素晴らしい。フランス系のピアニストのように、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいで勝負する演奏ではないが、演奏全体に漂う風格と格調の高さは、女流ピアニストの範疇を超えた威容さえ感じさせると言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤のメジューエワによる演奏は、本年に発売された、ドビュッシーの生誕150年を記念して発売されたピアノ作品集の中でも最右翼に掲げられるべき名演であると同時に、これまでの古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ作品集の中でもトップの座を争う至高の名演と高く評価したいと考える。そして、本盤も音質が素晴らしい。富山県魚津市の新川文化ホールの豊かな残響を活かした高音質録音は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。もっとも、DSDで収録されていることに鑑みれば、これだけの名演であるだけに、SACD盤で発売して欲しかったと思うクラシック音楽ファンは私だけではあるまい。

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     2013/01/26

    本盤には、パレー&デトロイト交響楽団によるフランクの交響曲ニ短調とラフマニノフの交響曲第2番の演奏がおさめられている。先ずは、フランクの交響曲ニ短調であるが、これは実に味わい深い演奏であると言える。フランスのシューリヒトとの異名があるパレーだけに、演奏全体の様相は意外にも抒情にはいささかも溺れることにないあっさりしたものであると言える。むしろ、演奏全体の引き締まった造型美を堅持しつつ、比較的早めのテンポで淡々と進行していく音楽であるとも言えるが、じっくりと腰を据えて鑑賞すると、各旋律の端々には独特の細やかなニュアンスが込められており、演奏内容の充実度には濃いものがあると言える。そして、そのニュアンスには、フランス人指揮者ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れていると言えるところである。このような老獪とも言える卓越した指揮芸術は、パレーだけに可能な圧巻の至芸と高く評価したいと考える。フランクの交響曲ニ短調の演奏のスタイルとしては、いわゆるフランス音楽的な要素を全面に打ち出したものと、ドイツ音楽にも通底するものとして、絶対音楽としての交響曲であることを強調したものに大きく分かれるが、パレーによる本演奏は、その折衷型の代表的な名演として極めて存在価値の高いものと言えるところだ。他方、ラフマニノフの交響曲第2番については、スヴェトラーノフなどに代表されるロシア系の指揮者による民族色濃厚な演奏とは一線を画した洗練された演奏スタイルであると言える。本演奏が1957年のものであることに鑑みれば、当時としては清新ささえ感じさせる演奏とも言えるところであり、デュトワなどをはじめとする現代においては主流となりつつある同曲の演練された演奏を先取りするものとして高く評価しなければならないと言えるところだ。同曲の演奏に、ロシア風のメランコリックな抒情を希求する聴き手には、ややあっさりし過ぎているとの印象を与えることも十分に考えられるが、現代において主流となりつつある同曲の洗練された演奏に親しんでいる聴き手にとっては、むしろ歓迎すべき演奏ということになるであろう。要は、聴き手によって好き嫌いが大きく分かれると言える演奏と言えるのかもしれないが、私としては、シューリヒトの偉大な指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と評価したいと考える。デトロイト交響楽団も、近年ではすっかりと鳴かず飛ばずの低迷期に入っているようであるが、パレーが音楽監督をつとめていた時代は全盛期とも言えるパフォーマンスを発揮していた。本盤の演奏を聴いてもそれがよく理解できるところであり、フランクの交響曲ニ短調など、アメリカのオーケストラがよくぞここまでフランスのオーケストラ顔負けのセンス満点の演奏ができるのかと、ただただ驚かされるのみである。音質は、ルビジウム・クロック・カッティングによって、従来CD盤よりも更に良好な音質に生まれ変わった。少なくとも1950年代末という録音年代に鑑みれば、十分に満足できる音質と評価したい。

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     2013/01/20

    フランスの名指揮者パレーの偉大な遺産とも言うべき素晴らしい名演だ。本盤のメインでもあるビゼーの劇音楽「アルルの女」第1及び第2組曲や歌劇「カルメン」組曲については、クリュタンス&パリ音楽院管弦楽団による素晴らしい名演(1962年)が遺されており、大方の音楽評論家からも、当該演奏こそは両曲の決定的な名演との評価がなされているところである。これに対して、本演奏は、当該クリュタンス盤の陰に隠れた、一部のコアなクラシック音楽ファンのみが高く評価している知る人ぞ知る名演の地位に甘んじているが、クリュイタンス盤にも十分に比肩し得るほどの高度な演奏内容を誇っていると言えるだろう。今般の本演奏の高音質盤の低価格による販売を契機に、多くのクラシック音楽ファンの間で、本演奏について正当な評価がなされることを心より願うものである。それにしても、パレーの指揮芸術は、例えて言えば、書道における名人の一筆書きのようなものであると言えるだろう。テンポはやや早めであり、一聴すると淡々と曲想が進行していくような趣きがあり、いささかも華美には走らない即物的で地味な様相の演奏であると言える。しかしながら、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの薄味の演奏では決してなく、各旋律の端々には細やかなニュアンスが施されており、演奏に込められた内容の濃さにおいては、クリュイタンス盤と比較しても遜色はないものと思われるところだ。パレーについては、一部の音楽評論家がフランスのシューリヒトと称しているが、正に至言とも言うべきであり、その指揮芸術には、シューリヒトのそれと同様に、神々しいまでの崇高ささえ湛えていると言えるだろう。それにしても、淡々と進行していく各旋律に込められたニュアンスの独特の瀟洒な味わい深さには、フランス風のエスプリ漂う抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽の粋とも言うべきものではないかと考えられるところだ。加えて、デトロイト交響楽団という、最もアメリカ的なオーケストラがこのようなフランス風のエスプリ漂うセンス満点の演奏を展開していることが大変な驚きであると言えるところであり、これはまさしくパレーによる不断の薫陶とともに、その類まれなる統率力の賜物であると言っても過言ではあるまい。カプリングされているビゼーの序曲「祖国」や、トマの歌劇「ミニョン」序曲や歌劇「レーモン」序曲も、パレーならではの老獪とも言うべきセンス満点の指揮芸術の魅力を十二分に味わうことができる素晴らしい名演と評価したい。音質は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のルビジウム・クロック・カッティングによって、極めて鮮明な音質に改善されたことも、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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