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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/14

    ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第9番と同時発売の第9番の登場を持ってついに完結した。全集のセット版も同時発売されるようであるが、これまで一枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。第2番がブロムシュテットによる初録音であるのに対して、第9番は、1995年のゲヴァントハウス管弦楽団との録音以来、16年ぶりの再録音。これまでのレビューでも記したように、旧録音が同じゲヴァントハウス管弦楽団との演奏であっただけに、再録音しない可能性についても言及してきたところであるが、ブロムシュテットは待望の再録音を行ってくれた。旧盤の演奏も優れた演奏ではあったが、本盤の演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、さらに優れた名演に仕上がっていると高く評価したい。何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献していると言える。ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。そして、旧盤の演奏よりも優れているのは、各楽想の描き出すに際しての彫の深さであると言えるだろう。音楽自体に何とも言えない深みがあるということであり、これはブロムシュテットの円熟であるのみならず、ブロムシュテットが晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地のあらわれと評しても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の中でも、最も優れた名演の一つに掲げられる至高の名演と高く評価したいと考える。そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/14

    第二次大戦後、長らく指揮活動から遠ざけられていたフルトヴェングラーの待望の復帰コンサート(1947年5月25日〜27日)は、敗戦に打ちひしがれていたドイツ国民にとっても復興への希望をつなぐ歴史的な演奏会であったのではないだろうか。そうした当時の聴衆の熱気、そしてフルトヴェングラーの指揮活動への渇望もあって、現時点でCD化されている初日(5月25日)、第3日(5月27日)の演奏は、フルトヴェングラーの、
    そしてコンサートの演目でもあったベートーヴェンの交響曲第5番、第6番、「エグモント」序曲の最高の名演と評価する識者も極めて多いと言えるところだ。長年にわたって一般的であったのは第3日の演奏であり、これはDGより逐次高音質化の努力が行われ、昨年にはついにシングルレイヤーによるSACD化も行われたところであるが、それでも完全に満足できるレベルの音質には至っていないところである。これに対して、第1日の演奏は、ターラレーベルなどから発売はなされていたものの、音質がさらに今ひとつで第3日の演奏に比して目立たない存在であったが、一昨年に、アウディーテレーベルから発売されたRIASの音源によるCDが信じ難いような高音質であったため、俄然注目を浴びる存在となった。聴きようによっては、第3日の演奏のSACD盤よりも優れた音質とも言えるところであり、演奏内容の質にも大差がないこともあって、現時点では、一部には異論があるかもしれないが、第1日の演奏の方をフルトヴェングラーの代表盤と評する見方が今や支配的になってきたと考えられるところである。そして、今般、当該アウディーテ盤がついにシングルレイヤーによるSACD化がなされる運びとなり、これをもって、当該盤は揺るぎない玉座の地位を占めるに至ったと評しても過言ではあるまい。演奏内容、そして音質のいずれの面においても、フルトヴェングラーの数ある演奏の中でも最高峰と言える。これ以上は求めえないような重厚にしてドラマティック、そして彫の深い表現が駆使された交響曲第5番、「田園」としてはいささか重い表現と言えるが、深沈とした味わい深さにおいては他の演奏の追随を許さない交響曲第6番、いずれもフルトヴェングラーの両曲の最高の名演であり、様々な意見はあると思うが、私としては、交響曲第5番については、様々な指揮者による名演の中でも随一の超名演と高く評価したいと考える。それにしても音質の素晴らしさは、戦後間もない1947年のライヴ録音ということに鑑みれば、殆ど驚異的であると言えるだろう。フルトヴェングラーの大半のライヴ録音は、とりわけトゥッティなどにおいて音が団子状態になり、各楽器セクションの動きが不明瞭になるという欠陥が多々存在しているところであるが、本盤においてはそのようなことは殆どない。田園の第1楽章冒頭からしばらくの間はやや音が前に出てこない感もないわけではないが、それ以外の箇所については、フルトヴェングラーの他の演奏盤のいずれと比較しても、各楽器セクションの分離の明瞭度は比較的優れており、シングルレイヤーによるSACD化により、さすがに最新録音のようにはいかないものの、この当時の演奏としては最高水準の音質に仕上がったと評してもいいのではないだろうか。いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/13

    カラヤンはR・シュトラウスを得意としていたが、その中でも楽劇「ばらの騎士」は特にお気に入りの楽曲であったということでよく知られているところだ。ザルツブルク祝祭大劇場のこけら落とし公演にカラヤンが選んだ曲目も同曲であるし、その後も同音楽祭で何度も採り上げてきた演目であった。CDとしての録音もフィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音(1956年)、そして本盤のウィーン・フィルとのスタジオ録音(1982〜1984年)の2度に渡って行われているし、DVD作品も2種(前述の1960年のザルツブルク祝祭大劇場こけら落し公演の収録、1984年のザルツブルク音楽祭ライヴ収録)遺されている。これはカラヤンが同曲を深く愛していたことの証左であると考えられるところだ。DVD作品は別として、CDとしては、1956年の旧盤の方が永遠の歴史的名盤として極めて高い評価を受けている。確かに、当該演奏は、壮年期のカラヤンならではの颯爽とした音楽性豊かな指揮ぶり、そして歌手陣の豪華さは圧倒的であり、特に、有名な第3幕の「ばらの騎士の三重唱」は、もはやこの世のものとは思えないほどの抗し難いほどの美しさを湛えていた。それでは、本盤の演奏が1956年盤に劣っていると言えるのかと言うと、必ずしもそうとは言い切れないのではないだろうか。本盤が録音された1982年〜1984年と言えば、ベルリン・フィルとの関係に亀裂が生じるとともに、健康状態も悪化していたこともあって、カラヤンとしても心身ともに好調とは言えない時期に相当するが、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ならではの円熟の指揮ぶりは、明らかに旧盤をはるかに凌駕していると言える。旧盤では、あくまでも比較の問題であるが、オクタヴィアンとゾフィーの若きカップルの幸せの方に焦点が当たっていたものが、本盤では、元帥夫人の諦観に焦点が当てられた演奏となっており、カラヤンの指揮は、自らに忍び寄る老いを自覚しつつ、若きカップルの幸せを温かく見守るという元帥夫人に同化しているような趣きさえ感じさせるところだ。そう思って聴くと、本演奏における「ばらの騎士の三重唱」は、数々のオペラの名演を成し遂げ、名実ともにオペラ界の頂点を極めた巨匠カラヤンの現世への告別のようにも聴こえるところであり、涙なしには聴けないほどの抗し難い感動を呼び起こす畢生の名演奏に仕上がっていると評価したい。歌手陣は、カラヤンの旗本とも言うべき歌手陣が配されており、1956年盤と比較すると若干落ちるとは思うが、元帥夫人のトモワ・シントウ、女たらしのオックス男爵にクルト・モル、オクタヴィアンにアグネス・バルツァ、ゾフィーにジャネット・ベリーという豪華な布陣。このうち、元帥夫人については、さすがに旧盤のエリザベート・シュヴァルツコップと比較するといささか線の細い気もしないではないが、シュヴァルツコップの巧さが鼻につくというクラシック音楽ファンの中には、本盤のトモワ・シントウの歌唱の方を好ましいと思う者がいても何ら不思議ではない。ウィーン・フィルの演奏も美しさの極み。当時のカラヤンは、前述のように、ベルリン・フィルとの関係が決裂しており、ウィーン・フィルに指揮活動の軸足を移していた。ウィーン・フィルは、そうした傷心のカラヤンを温かく迎え、カラヤンとともに渾身の名演奏の数々を成し遂げていた。本演奏もその一つであり、どの箇所をとっても、カラヤンと一体となって、オペラ指揮者としての集大成とも言うべき名演奏を成し遂げようと言う気構えが感じられるところだ。正に、指揮者とオーケストラの関係の理想像の具現化とも言えるところであり、指揮の巧さだけをとれば旧盤ということになろうが、本演奏こそは、カラヤンによる同曲の演奏の、そしてカラヤンがこれまで行ってきたあらゆるオペラ演奏の集大成とも言うべき至高の超名演と高く評価したいと考える。なお、カラヤンの最も優れた伝記を執筆したリチャード・オズボーン氏によると、カラヤンは、本盤の録音の際、「菓子屋の店先を離れようとしない子どもと同じ」ように、既に完璧な録音が終わっている長い箇所についても敢えて何度も録音し直したとのことである。カラヤンは結果として本盤の録音に3年もの期間を要しているが、カラヤンとしても、このオペラ演奏の桃源郷とも言うべき世界にいつまでも浸っていたかったに相違ないと考えられるところだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/13

    何と言う素晴らしい演奏であろうか。これは名演揃いのクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも、本盤におさめられた第7番の演奏は、第5番と同様に2トップを形成する至高の超名演だ。このような歴史的な超名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカプリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤の第7番の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。本演奏において、クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。テンポの振幅などは最小限に抑えるなど、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、演奏全体の造型は極めて堅固であると言える。スケールも雄渾の極みであると言えるが、とりわけ終楽章の超スローテンポによる演奏には、巨木のような風格と仰ぎ見るような威容が備わっていると言えるだろう。第7番のこれまでの名演としては、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる2種の至高の超名演(1943年及び1950年)、そしてカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1978年ライヴ、パレクサレーベル)が掲げられるところであり、当該名演とは対照的な本演奏であると言えるが、前述のようなスケールの雄大さや巨木のような威容、崇高さにおいては、フルトヴェングラーやカラヤンよる超名演にもいささかも引けを取っていないと高く評価したい。なお、クレンペラーは1968年にも交響曲第7番を録音しており、当該演奏は、本盤の演奏を更に超える至高の超名演であることもこの場を借りて指摘しておきたい。本演奏にいて、クレンペラーの確たる指揮にフィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能であるとともに、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の歴史的な超名演と高く評価したいと考える。併録の「献堂式」序曲についても、交響曲第7番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。音質は、1960年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであると言えるところであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/13

    チェコの名指揮者であったノイマンの得意のレパートリーは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコの作曲家による楽曲や、ボヘミア地方で生まれたマーラー(チェコ出身の指揮者はそれを誇りとしており、クーベリックや近年のマーツァルなど、チェコ出身の指揮者には、マーラーをレパートリーとした者が多い。)の交響曲であったと言えるが、それ以外の楽曲、とりわけベートーヴェンの楽曲についてはなかなかの名演奏を遺しているところだ。本盤におさめられたベートーヴェンの序曲集は、そうしたノイマンの得意としたレパートリーの一つと言えるだろう。こうして、エクストンが、最晩年のノイマンとの録音を行ってくれたことは大変に素晴らしいことであったとも言える。ノイマンによる各序曲集の演奏は、聴き手を驚かすような奇を衒った解釈を施しているわけではない。楽想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチに徹していると言えるところであり、それはあたかもノイマンの温厚篤実な人柄をあらわしているかのようであるとも言える。もちろん、ノイマンの演奏が穏健一辺倒のものではないという点についても指摘しておかなければならないところであり、ベートーヴェンの楽曲に特有の強靭にして力強い迫力においてもいささかも不足はない。それでいて、無機的で力づくの強引な演奏など薬にしたくもなく、常に奥行きのある音がなっており、ベートーヴェンの楽曲を単なる威圧の対象として演奏するという愚には陥っていない。豊かな抒情に満ち溢れた情感豊かな表現も随所に聴かれるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているとも言えるところだ。聴き手によっては、ベートーヴェンの序曲集だけに、よりドラマティックな表現を期待する者も多いとは思うが、聴けば聴くほどに味わい深さが滲み出てくる、いわばいぶし銀の魅力を有する本演奏は、ノイマンとしても最晩年になって漸く成し得た大人の指揮芸術の粋とも言えるところであり、私としては、ノイマンによる遺言とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。当時、トランペットのケイマルやホルンのティルシャルなど、一流のブラスセクションを擁していたチェコ・フィルの演奏も秀逸であり、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。そして何と言っても音質も素晴らしい。このエクストンのゴールドラインシリーズは、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、かつて発売されていたSACD盤(ただし、当該盤にはマルチチャンネルが付されており、その意味では単純な比較はできないかもしれない。なお、レオノーレ序曲第1番及び第2番が本盤では省略されている。)やDVD−audio盤よりも数段グレードの高い音質に仕上がっていると言える。いずれにしても、ノイマンの最晩年の至高の名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/13

    ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第2番の登場を持ってついに完結した。全集のセット版も同時発売されるようであるが、これまで一枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。第2番は、先般発売された第1番と同様に、ブロムシュテットにとっての初録音でもあり、その意味においても極めて貴重な演奏と言えるだろう。第2番の場合、第3番などと同様にどの版を採用するのかが大きな問題となるが、ブロムシュテットが選択したのは第3番と同様に何と初稿。第3番のレビューにも記したように、何故にブロムシュテットが初稿を採用したのかは疑問が残るが、ブルックナーの当初の作曲の意図が最も表れているものとも言えるところであり、ブロムシュテットもそうした点に鑑みて、初稿を採用したのではないだろうか。かつては、初稿はブルックナーを研究する音楽学者の学究的な関心事項でしかなかったが、近年では、インバルやティントナー、シモーネ・ヤングなどの初稿を尊重する指揮者によって、芸術的にも優れた名演が数多く成し遂げられるようになってきたことから、今日では初稿のグレードが大いに上がってきていると言える。本盤の演奏もブロムシュテットの円熟ぶりを窺い知ることが可能な大変優れたものであり、本演奏によって、第2番の初稿のグレードはさらにアップしたと言えるだろう。何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献していると言える。ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。第2楽章の聖フローリアン教会の自然の美しさを感じさせるような抒情豊かな演奏も抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているとも言えるところだ。同曲の近年の初稿による名演としては、シモーネ・ヤングによる名演が存在しているが、本演奏は当該名演と同格か、あるいはオーケストラの優秀さを勘案すれば、それ以上の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、同曲の初稿による演奏としては、最も優れた名演の一つに掲げられる至高の超名演と高く評価したいと考える。そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/10/13

    クレンペラーならではの深沈とした趣きのある名演だ。EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカプリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤の交響曲第6番の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。本演奏において、クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。テンポの振幅などは最小限に抑えるなど、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、演奏全体の造型は極めて堅固であると言える。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の名演としては、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア響による演奏(1958年)、そしてベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1971年)が3強を占めており、これらの演奏と比較すると、クレンペラーによる本演奏は、立派な演奏とは言えるが、演奏の様相は武骨とも言えるかもしれない。しかしながら、演奏の端々から漂ってくる情感の豊かさ、奥深さは、これぞまさしくベートーヴェンの交響曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演と高く評価したいと考える。併録のレオノーレ序曲第1番についても、交響曲第6番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。音質は、1957年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであると言えるところであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/10/08

    本盤には、カラヤンがスタジオ録音を行った唯一のシューマンの交響曲全集がおさめられている。カラヤンは、第4番については、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃(1957年)と最晩年(1987年)にスタジオ録音を行っていることから、本盤におさめられた演奏は、3度にわたる同曲の録音中2度目のものに相当する。また、第2番については、ローマ・イタリア放送管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が存在することから、本盤におさめられた演奏は、2度目の録音ということになる。第1番と第3番については、現在のところ他の録音は遺されていないことから、本盤におさめられた演奏がカラヤンによる唯一の録音ということになると言える。このようなカラヤンによる他の録音の有無はさておき、本盤の演奏も全盛期のカラヤンならではの素晴らしい名演と高く評価したい。本盤の演奏は1971年であり、これはカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最も輝いていた時期であると言える。カラヤンが芸術監督に就任して以降に入団した名うてのスタープレイヤーがその実力を如何なく発揮し始めた頃でもあり、鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックによって極上の美音を振り撒く木管楽器群、そして本演奏の前年に入団したフォーグラーによる雷鳴のように轟きわたるティンパニの強靭な迫力。これらが一体となった当時のベルリン・フィルは驚異的な合奏能力を有していたと言えるところであり、カラヤンはこれに流麗なレガートを施して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき極上の名演奏(いわゆるカラヤン・サウンド)を行っていたと言える。このような演奏に対しては、とある影響力の大きい某音楽評論家などが精神的な深みの欠如を云々しているが、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、そうした酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。本盤の演奏においても、このような音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆる美しさの極みとも言うべきカラヤン・サウンドに満たされていると言える。もっとも、第1番であればクレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1965年)、第2番であればシノーポリ&ウィーン・フィル(1983年)、第3番であればシューリヒト&パリ音楽院管(1953年)またはジュリーニ&ロサンゼルス・フィル(1980年)、そして第4番であればフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953年)などと言った、音楽内容の精神的な深みを徹底して追及した名演があり、我々聴き手の心を揺さぶるのもこれらの名演であると考えるが、本盤の演奏のように極上の美しさを誇る圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を比較することは、演奏のベクトル自体が異なるものであり、そもそもナンセンスであると考えられる。もっとも、第4番については、最晩年の枯淡の境地があらわれた味わい深い1987年盤の方がより素晴らしい名演であると言えるところであり、本盤の演奏も名演ではあるが、第4番に限っては1987年盤の方を採りたい。音質は従来CD盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がベストの音質であったと言える。もっとも、現在はSHM−CD盤は入手難であるが、カラヤン全盛期の演奏の素晴らしさを満喫することが可能な名演でもあり、当該SHM−CD盤の再発売、可能であればSACD化を図るなど、さらなる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2012/10/08

    これは名演揃いのクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも、本盤におさめられた第5番の演奏は、第7番と同様に2トップを形成する至高の超名演だ。このような歴史的な超名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカプリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤の第5番の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。本演奏において、クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。テンポの振幅などは最小限に抑えるなど、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、演奏全体の造型は極めて堅固であると言える。第5番のこれまでの名演としては、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる至高の超名演(1947年)が掲げられるところであり、当該名演とは対照的な本演奏であると言えるが、そのスケールの雄大さや巨木のような威容、崇高さにおいては、フルトヴェングラーによる超名演にもいささかも引けを取っていないと高く評価したい。フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能であるとともに、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の歴史的な超名演と高く評価したいと考える。併録の「コリオラン」序曲についても、交響曲第5番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。音質は、1957、1959年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであると言えるところであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/10/08

    クラシック音楽ファンにとって、クレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全集がシングルレイヤーによるSACD盤で発売されるというのは、大変喜ばしいことであるが、本盤にはその第4弾として、交響曲第4番と劇音楽「エグモント」から序曲ほかの抜粋がおさめられている。EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、今般のシングルレイヤーによるSACD化に際しても同様に、LP時代のカプリングやジャケットにも強いこだわりを有しており、それ故に本盤の収録曲としてはいささか物足りないCDとなっているものと思われる(とは言っても、交響曲第4番のみを収録した昨年発売されたクライバー&バイエルン国立管弦楽団によるSACD盤よりは少しましと言えるが)。価格面も含め、そうした不満は否めないが、演奏自体はクレンペラーならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。加えて、ベートーヴェンの交響曲第4番の旧スタイルの名演としては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる名演(1973年)や、前述のクライバーによる名演(1982年)など、早めのテンポによる颯爽とした様相の演奏が高く評価されているが、本盤のクレンペラーによる演奏は、そうした名演とも一線を画していると言える。悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に持ち溢れており、ベートーヴェンがスコアに記した音符の一つ一つを徹底的に鳴らし切りるなど、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れていると言える。テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、それでいて木管楽器を効果的に活かすなど格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを利かせるなど、必ずしもウドの大木のような演奏にはいささかも陥っていない。ベートーヴェンの交響曲の一般的な演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、前後に高峰として聳え立つエロイカや第5番などに行うようなアプローチで交響曲第4番の演奏に臨むことによって、同曲をスケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演と高く評価したいと考える。併録の劇音楽「エグモント」からの抜粋についても、往年の大歌手ビルギット・ニルソンの名唱も相まって、交響曲第4番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。音質は、1957年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであると言えるところであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/10/08

    モーツァルトのレクイエムについては、近年ではジュスマイヤー版の編曲による壮麗な演奏が主流ではなくなり、他の編者の版によるもの、そしてピリオド楽器やピリオド奏法を駆使した軽妙な演奏が多く行われるようになってきている。時代考証的な見地からすれば、確かにそうした演奏は正鵠を射ているのかもしれない。そして、モーツァルトを研究する学者からすれば、非常に評価の高い演奏と言えるのかもしれないが、果たして大方のクラシック音楽ファンを感動させる演奏がどれくらい存在しているのであろうか。モーツァルトの数多くの楽曲の中でも、レクイエムは多分に未完成であったことにも起因しているとは思うが、作曲者の慟哭が聴こえる異色作ではある。どんなに悲しい時であっても、楽想は寂しげに微笑んでいるのがモーツァルトの楽曲の美質であったが、レクイエムだけはあからさまに嘆き悲しんでいると言えるだろう。いや、生涯の最後に、モーツァルトは自らの本音を曝け出したとも言えるのかもしれない。それだけに、私見ではあるが、レクイエムの真の魅力を引き出すためには、小手先だけの演奏では不可能ではないのか。近年主流のピリオド楽器やピリオド奏法を駆使した軽妙浮薄な演奏では到底真の感動は得られないと言うべきであろう。そのような中で、同曲のジュユスマイヤー版を使用した壮麗かつ重厚な代表的な演奏として、ベーム&ウィーン・フィルほかによる超名演(1971年)が存在しているのであるが、本盤におさめられた全盛期のリヒターによる1960年の演奏も、その前座に位置する素晴らしい名演と評価したいと考える。ミュンヘン・バッハ管弦楽団による演奏だけに、ウィーン・フィルによる演奏と比較すると、若干ではあるが重厚さに欠けるが、演奏全体の引き締まった造型美やただならぬ緊迫感は、聴きようによっては本演奏の方が上とも言えるところだ。本演奏の当時は、リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、マタイ受難曲をはじめとした歴史に残るようなバッハの楽曲の超名演を成し遂げていた時期でもあり、本演奏には、そうしたモーツァルトの大先達であるバッハの偉大な宗教曲の片鱗を感じさせるような峻厳さと崇高さが備わっていると評しても過言ではあるまい。マタイ受難曲などで圧倒的な名唱を披露してくれたミュンヘン・バッハ合唱団は、本演奏でも圧倒的な合唱を展開しており、4名の独唱者ともども最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質は、1960年のセッション録音ではあるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることになり、見事は音質に生まれ変わったと言える。さすがに録音年代が古いだけにテープヒスが気にならないわけではないが、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところだ。いずれにしても、リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほかによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/10/08

    これは凄い演奏だ。エロイカにしても「フィデリオ」序曲にしても、クレンペラーの巨大とも言える音楽を満喫することが可能な圧倒的な名演と評価したいと考える。このようなクレンペラーによる至高の名演について、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカプリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤のエロイカの演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。そもそも冒頭の2つの和音からして胸にずしりと響いてくるものがある。その後は悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出して行く。クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、隙間風が全く吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。木管楽器をやや強めに演奏させるのはいかにもクレンペラーならではのものであるが、これによって演奏がウドの大木になることを避ける結果となっており、演奏のどこをとっても彫の深さが健在であると言える。演奏全体の造型はきわめて堅固であると言えるが、スケールは極大であり、重厚にして重量感溢れる音楽が構築されている。エロイカには、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる1944年盤(ウラニア)及び1952年盤(EMI)という至高の超名演が存在しており、この2強を超える演奏を成し遂げることは困難を極めると言える(私見ではあるが、この2強を脅かすには、カラヤンのように徹底した音のドラマの構築という、音楽内容の精神的な深みを追及したフルトヴェングラーとは別の土俵で勝負する以外にはないのではないかと考えている。)が、クレンペラーによる本演奏は、そのスケールの雄大さや仰ぎ見るような威容、演奏の充実度や重厚さにおいて、前述の2強に肉薄する素晴らしい名演と高く評価したい。クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。併録の「フィデリオ」序曲についても、エロイカと同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。音質は、1960年前後のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであると言えるところであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/10/07

    ショパンのピアノ名曲集やベートーヴェンのピアノ・ソナタ集、ラヴェルのピアノ曲全集、そして何よりも忘れ難いバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の名演で名高いピアニスト、エル・バシャによる待望の新譜の登場だ。曲目はシューベルトの即興曲集であるが、コンサートではたびたび採り上げてきた得意のレパートリーであるだけに、満を持してのスタジオ録音ということが言えるだろう。同曲には、様々なピアニストによる多種多彩な名演が目白押しであるが、本盤のエル=バシャによる演奏は、その中でも最も美しい名演と言えるのではないだろうか。「ベヒシュタインD−280」という使用しているピアノによるところも大きいとは言えるが、それ以上に、エル=バシャによるアプローチが素晴らしいと言える。スコアに記された音符を一音たりとも蔑ろにしない精緻な演奏を基軸としているが、いわゆる人工的な技巧臭とはおよそ無縁の演奏であり、どこをとっても楽曲の美しさだけが描出されているのが見事である。もちろん、エル=バシャによる演奏が、表面上の美しさだけを追及したものでないことは言うまでもない。シューベルトのピアノ曲は、親しみやすい旋律には満たされているものの、どこをとっても独特の寂寥感が満ち満ちている。したがって、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏では、楽曲の美しさを表現することができても、シューベルトが同曲に込めた意味合いや楽曲の真の魅力を描出することは不可能であると思われるところだ。スコアに記された音符の行間に込められた楽曲の心眼にまで徹底して目を行き届かせた演奏をすることが必要不可欠となってくると言えるが、エル=バシャによる本演奏は、かかる点においても何ら問題はなく、各旋律における表現の彫の深さにおいてもいささかも不足はないと言えるだろう。その意味においては、エル=バシャによる本演奏は、美しい中にも内実をともなったものと言えるところであり、正にシューベルトのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも評価し得るものと言える。前述のように、同曲には海千山千のピアニストによって多種多彩な名演が成し遂げられているが、エル=バシャによる本演奏は、それらの名演と比較しても十分に存在価値のある偉大な名演と言えるのではないかと考えられるところだ。いずれにしても、本演奏は、エル=バシャが、その実力を余すことなく発揮した素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質も素晴らしいの一言。エル=バシャによる美しさの極みとも言うべきピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。このようなエル=バシャによる素晴らしい名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/10/06

    ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。本盤におさめられているショパンのピアノ曲は、私の記憶が正しければ、4つのマズルカを除けば、ポリーニにとって2度目の録音ということになる。メインの前奏曲集については、ポリーニの名声を確固たるものとした1974年のスタジオ録音以来、約35年ぶりの再録音。2つの夜想曲は、2005年の全曲録音以来6年ぶりの再録音。スケルツォ第2番は、1990年の全集の録音以来、約10年ぶりの再録音。マズルカ集については、本盤におさめられた諸曲は初録音であるが、第22〜25番を2年前に録音しており、マズルカ集の録音としてはそれ以来となる。とりわけ、録音の間隔が空いたメインの前奏曲集については演奏内容の差が歴然としており、本盤の演奏内容の素晴らしさ、見事さは圧倒的であると言えるだろう。前回の1974年の演奏は、少なくとも技量においては凄まじいものがあった。研ぎ澄まされた透明感溢れるピアノタッチという表現が当てはまるほどであり、古今東西のピアニストによる前奏曲集の演奏の中でも巧さにおいては群を抜いた存在であるとも言えた。ただ、音質がやや硬質でもあったリマスタリングやSHM−CD化がなされていない従来CD盤で聴くと、ピアノの硬質な音と相まって、機械的な演奏に聴こえてしまうきらいがあり、聴きようによっては、あたかも機械仕掛けのオルゴールのようなイメージもしたところである。ところが、本演奏は、そのような問題はいささかも感じられない。超絶的な技量においては、老いても綻んでいるとことは殆どないと言えるが、何よりも、演奏全体にある種の懐の深さを感じさせるのが素晴らしい。スコア・リーディングの深みも大いに増しているとも思われるところであり、細部におけるニュアンスの豊かさ、心の込め方には、尋常ならざるものがあると言える。このような含蓄のある演奏を聴いていると、今やポリーニは真に偉大なピアニストになったと評しても過言ではあるまい。ついで、スケルツォ第2番が素晴らしい。前回の演奏では、ほぼ同時期に録音されたポゴレリチの演奏が衝撃的であったせいか、今一つ喰い足りないものを感じさせたが、今般の演奏は、それを補って余りあるほどの偉大な演奏に仕上がっていると言える。卓越した技量を披露しつつも、彫の深さ、内容の濃さにおいては近年のピアニストを寄せ付けないだけの高み達しており、おそらくは現代のピアニストによる同曲の演奏の中でも最高峰の名演と評しても過言ではあるまい。他の併録曲もいずれも素晴らしい名演であり、本盤こそは、ポリーニの円熟と充実ぶりを大いに感じさせる名アルバムと高く評価したいと考える。音質は、ピアノ曲との相性が抜群のSHM−CDであり、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献していることも忘れてはならない。

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     2012/10/06

    広範なレパートリーを誇るとともに、余人を寄せ付けないような膨大な録音を遺したカラヤンであったが、マーラーの交響曲については、必ずしも主要なレパートリーとしては位置づけていなかったようだ。カラヤンが録音したマーラーの交響曲は、第4番、第5番、第6番、第9番、そして「大地の歌」の5曲のみであり、これに本盤におさめられた少数の歌曲が加わるのみである。同時代の大作曲家であるブルックナーの交響曲全集を録音した指揮者にしてはあまりにも少ないし、むしろ、クラシック音楽ファンの中には、カラヤンの指揮するマーラーの交響曲全集を聴きたかったと思っている者も多いのではないだろうか。そうした比較的数少ないカラヤンの録音したマーラーの交響曲の中で、今般、第6番のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。私としては、第9番の1982年のライヴ録音のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を期待したいところであるが、いずれにしても、カラヤンの芸風が色濃く表れた稀少なマーラーの交響曲演奏の一つがSACD化されたことについて、大いに喜びたいと考える。マーラーの交響曲第6番の名演としては、バーンスタイン&ウィーン・フィルによるライヴ録音(1988年)やテンシュテット&ロンドン・フィルによるライヴ録音(1991年)などが、ドラマティックな超名演として第一に掲げるべきであろうが、本盤のカラヤンによる演奏は、それらの演奏とは一線を画する性格を有していると言える。何よりも、当時蜜月の関係にあったカラヤン&ベルリン・フィルが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。うなりをあげるような低弦の迫力、雷鳴のようにとどろきわたるティンパニ、ブリリアントに響き渡るブラスセクションなど、凄まじいまでの迫力を誇っていると言える。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは、もはや人間業とは思えないような凄さであり、加えて、カラヤンならではの流麗なレガートが演奏全体に艶やかとも言うべき独特の美しさを付加させているのを忘れてはならない。もちろん、そうした美しさが、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演にあった強靭な迫力をいささか弱めてしまっているというきらいもないわけではないが、他方、第3楽章における徹底して磨き抜かれた耽美的とも言うべき極上の美しさには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。我々聴き手の肺腑を打つ演奏と言えば、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演を掲げるべきであろうが、聴き終えた後の充足感においては、本演奏もいささかも引けを取っていないと言える。私としては、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの磨き抜かれた美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。このような極上の美酒とも言うべき名演が、今般シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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