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mimi さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/03

    自分のようなBachファンでも滅多に出会う事のない、素晴らしい無伴奏チェロ組曲と思います。楽器のことはさておき、決して器用でも流麗でもない演奏で、楽想に呼応した細かなテンポの揺れ、強弱の細い上下、ヴィブラートなど、人によってはアクが強いと感じられるかも知れません。しかしながら、それが全く恣意的な印象を受けず自然なのは、近年多い他の主情的な演奏と異なり、バディアロフ氏の演奏が、古楽器製作者・古学研究家/演奏家として、この時代の(おそらく)音楽だけでない幅広い社会・文化を研究し、その紹介・再現を実践してきた経験を、あくまで基盤としているからではないでしょうか。Bachがこの曲集で語りたかった思想を十分に理解した上で、それを自分の言葉として訥々と時間をかけて語り尽くす様が、例えようもなく感動的で、それはまさに、この曲集を世界で初めて発掘したカザルスが、行った作業に他なりません。最後の大規模な6番など、これだけの内容を聞ける演奏は滅多にないと思います。Spallaという楽器の正当性については、専門的に語る資格を有しませんが、確実に言えることは、聞いていて「やっぱりチェロの方が...」という想いは一度も浮かびませんでした。これはバディアロフ氏の師のKuijken、先輩(多分)の寺神戸氏の同じSpallaによる無伴奏チェロ組曲の演奏ではなかったことで、正直、この楽器を自在に扱い表現することにかけては、この二人を完全に越えていると思います。Spallaによる演奏にマイナスイメージを持つ方にも、ぜひ一度聴いてみて欲しいですね。楽器の問題を超えて、数多ある無伴奏チェロ組曲の中でも(30数種類位しか聴いてませんが)、決して多くはない、「Bachに忠実な」素晴らしい名盤ではないかと思います。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/01

    Chick Coreaが今現在も変わらぬ活動を続けていることが、Jazzにとっていかに幸せなことか、しみじみと感じさせる作品です。このCD(1枚目)、タイトル、曲名、演奏形態、曲の構成、どれをとっても単なる再会・再結成・同窓会的セッションのようですが、一度聴き始めるととんでもない。一見新しいことなどないような外形に、此れ程までに新鮮な音楽が盛り込まれているのは驚き以外の何ものでもありません。Coreaの言葉にあるように、彼らはBeBop以来の、モード、Fusion、ロック....己が今までに辿ってきたあらゆる音楽的要素をアコースティックな演奏に注入して、これらのありふれたナンバー、ありふれた演奏形態を全く新しい音楽芸術に昇華させる。昨今の若手のJazz奏者の多くが、ジャズの古様式を忠実に再現することに腐心するのと対称的に、このCD(1枚目)には、どこをとっても、後ろ向きな部分がありません。ラスト3曲の白熱ぶり、特に’No Mystery’~’Senor Mouse’の2曲は、たった3人でありながら、まるで全盛期のGil Evans Orchestraを聴いているような錯覚にとらわれる。Jazzがもしかすると到達していたかもしれない、最も高い音楽がここに聴かれることは、長年Jazzにつきあってきたものとして心から幸せです。70歳を前にして、なおも前進し続けるCoreaとその仲間たちに、最大の感謝と尊敬を捧げたいです。CD2枚目の位置づけはBonus CDで、1枚目の真剣勝負とはうってかわってリラックスした演奏ですが、全く違う意味で物凄く質の高い演奏の連続で、価値の高い記録と思います。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/28

    正直、もともと同じ曲であるとは言え、決して気軽に聞き流せるものではないミサ曲を2枚組、4曲は重いのではないか、と思っていましたが、聴き始めるといつの間にかOckeghemの魔術にはまり、次から次へと聞き通してしまいました。’Missa Cuiusvis Toni’は、Ockeghemのミサ曲としては一曲一曲は小規模ですが、その音楽的内容の充実たるや大変なもので、さながら万華鏡が移り変わっていくようなめくるめく聴体験、最後の第4旋法によるCredoの終結部など、あまりの音楽の充実に、身動きできない程の感動を覚えます。自分の乏しい知識ではCD時代以降、4旋法すべて全曲収録したのは、この盤が初めてではないかと思うのですが、Ensemble Musica Novaの演奏は下声部をがっしりと組み立てた上で、精緻な線を紡いでいくやり方で、過去の演奏、例えば現役盤のClerk’s Groupなどの上声部中心に線の明確さを重視した演奏より、重厚なOckeghemの音楽に適合しているように感じられました。遥か500年以上前の音楽にこれほどに感動できるなんて、人間の文化・歴史の不思議さ・深さをしみじみと感じますね。ルネサンス以前の音楽に興味を持たれる方にとって、必聴の名盤と思います。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/13

    生演奏を聴いたことがないので軽々しく言えないのですが、現役の日本人チェンバリストの中で、これ以上に質の高い演奏が出来る人は、いないのではないでしょうか。リュッカースの名器を完璧に鳴らし切り、バッハ音楽の再現として全く正統的で揺るぎがない。数十年に亘って、バッハのみならず、幅広いルネサンス・バロックの作曲家・作品に深く関わって来られた経験が、難曲であるPartita Nr.4の細部に亘るまでの確信を持った再現を支えているのだと感じました。質的に自分が知る日本人のバッハ・チェンバロ演奏の最高であるのはもちろん、国際的にもトップクラスの演奏と思います。唯一、文句があるとすれば、CD企画内容で、とても名曲集を一枚出せばそれで終わりというレベルの奏者ではありません。会社は、ぜひこんなCDで終えず、パルティータ全曲、各種組曲全曲などを企画していただきたいですね。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/28

    自分の深く尊敬する音楽評論家M氏の表現を借りれば、まさにこれは「Monteverdiの心をすくいとったような」名演。遥か400年前の巨大な作品が、これほどに隅々まで生き生きと必然性を持って蘇ったことは無いのではないでしょうか。Concerto Italianoの演奏は、古いConsort of Musickeなどに比較すると対位法的な精密さでは一歩譲るとしても、とにかくこんなに歌と喜びに満ちあふれ、しかもそれがすべて聖母マリアを褒め称える目的のみに奉仕するVesproは、自分の知る限りでは有りません。ルネサンス音楽から脱皮して人間の素直な感情の発露へと、歴史を切り開いて行ったMonteverdiの心がまざまざと実感できます。イタリア人でなければなし得なかった演奏かもしれませんが、美しく喜びに満ちあふれた、光り輝く名盤です。歴史的なM.Corboz盤に唯一、匹敵するのではないかと思います。西洋音楽をお聴きになる方なら、(値段はやや高いですが)是非とも一度は触れて頂きたいですね。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 12人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/27

    自分が最初に聴いたAbbadoのMahler Nr.1は、1983年(だったかな?)ザルツブルク音楽祭でのVPOとのLive録音・NHK-FMでした。Tennstedtで初めてこの曲を知って好きになり、複数の指揮者の録音を、まだプレーヤーなど持ってない貧乏学生の身でエアチェックで集めまくっていた頃ですが、Abbadoの演奏は他の誰とも違う、限りなく若々しく情熱的でありながら、一切の低俗さを許容せず、ひたすら高みをめざしていく高潔な音楽で、それまで確たる印象を持たなかったAbbadoに、一夜でファンになった思い出の曲です。それからほぼ30年、Abbadoは言うまでもなく、仕事に、家庭に、そして自分の健康に、様々な困難な道を歩んできたのでしょう。今回のDVDで、Mahler Nr.1としても、こんなに瞑想的で美しい第1楽章はやはり若者の音楽ではないし、第3楽章の「若人」旋律が涙が出るほど味わい深いのも、年齢の裏返しかと思います。1983年にはひたすら前を向いていたAbbadoも、一人ではもはや前を向いて前途を信じる事は出来ないのかも知れません。DVD映像の指揮姿だけみると、もうAbbadoには力など残ってないようにすら思えます。しかしながら、その痩せて老いたAbbadoの姿から想像できないくらいの、終楽章をはじめとする力強く気高い音楽は、現在のAbbadoがもはや自分一人で音楽をやることをある意味放棄した -- メンバーの総意によって音楽を成り立たせることに専念したことによって、初めて生まれ得たもので、その意味でこのDVDは、Abbadoの音楽ではなく、Abbado/Lucerne fest.o.の音楽と言えるのではないでしょうか。一人では前を向けなくても、皆の力でなら前を向いて歩いて行ける。そんなAbbadoの心境が伝わってくるような名演奏と思います。Live特有の傷、アンサンブルの乱れ、など毎度のことですが、こんなに指揮者・奏者一人一人が幸せそうに演奏しているMahlerは自分は知りません。終わりのない物事も出会いもありませんが、それでもこの幸福な演奏者達にこれからも出会っていけたら、と心から思います。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/23

    おそらく多くの聴き手にとっても、「フーガの技法」をどの演奏形態で聴くか、は永遠の懸念ではないでしょうか。音楽学的には現在、ほぼ鍵盤楽器用の作品であることが支持されるようになっていますが、どの鍵盤楽器を使用しても、これで充分というものはない。一方でこの作品を純粋に抽象的音構造物ととらえるなら、電子楽器含めてどんな楽器、組み合わせでも許容される。大井浩明氏の立場は、意図する音構造を充分に提示するために、現代ピアノより歴史的楽器が選択されるというもので、作品の歴史的背景をことさらに強調したものでありません。それはいいのですが、歴史的楽器、特に演奏習慣の解明もおそらくまだまだのクラヴィコードなどを使用する場合に、ルネサンス・バロック以来の複数の地域・時代にわたる鍵盤音楽の作品・演奏史の上に立った演奏が欠かせないにもかかわらず、あまりにその点が希薄です。現在廃盤になっているLeonhardtの「フーガの技法」奇跡的名演(DHM)にしても、彼が若い頃からフレスコバルディ、スウェーリング、フローベルガーといった幅広い名演を残してきた基礎の上に立ったものであるわけで、現代楽器の奏者がいきなり(ではないのかも知れませんが)歴史楽器に向き合っても、これだけの味しか出せない例と言えるのではないでしょうか。加えて、大井氏のライナー記述からは、チェンバロでなくクラヴィコードでなければどうしてもいけなかった理由が、今一つ強く伝わって来ません。相当に技術的には腕の立つ方なのでしょうが、現時点では「フーガの技法をクラヴィコードで演奏した」という以上の、音楽的価値は高くないように感じました。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/22

    J.S.Bachの作品中で、珍しくほぼ2段チェンバロのためと確定しているGoldbergを、あえてクラヴィコードで演奏する意図はさておき、相当の技術的困難を克服しての録音であったのは容易に想像できます。その意味では演奏者の技術と苦労には拍手をおくるべきでしょうが、残念ながらCDに刻印された演奏はその苦労に充分報いたものとは言い難いようです。恐ろしく古い話ですが、Bachのかなりな作品をクラヴィコードで録音し、名演を残したR.KirkpatrickでもGoldbergとイタリア協奏曲はチェンバロで録音してますが、その意味がこのCDを聴くと逆によく判った気がしました。誠実な演奏と思いますが、存在意義は資料的な価値に留まると思います。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/17

    これはまた何という魅力的なGoldberg変奏曲なのでしょう!。不勉強にしてJ.Macgregorは初めてですが、彼女にはAfricanの血も入ってるのでしょうか?そう思わせるほど、このGoldbergからは様々な響きが聞こえてきます。そこらへんの古典派・ロマン派中心の、あるいは「バッハまでは弾く」現代ピアニストと違って、ルネサンス・バロック音楽の様式・音型・リズムに通暁してなければ表現できない部分を見事に音化してるのはもちろん、後の時代、現代の様々な音楽、さらには西洋音楽以外の多種多様な地域の音楽の姿すらこの演奏からは時折現れては消えて行きます。しかもとても重要な事は、J.Macgregor自身はあくまで忠実に、厳格にBachの音楽構造を再現することのみに集中した結果、奏者の持つ音楽的背景・資質が自然と露になってきていることで、換言すればGoldbergという音楽作品がどれだけ多種多様な時代・地域の音楽にその姿を投影し得るか、という驚異的な作業がJ.Macgregorを通じて行われてるようなものです。とにかく全く正統的でありながら、これだけGoldbergという傑作の世界が大きく自由に見える演奏は、自分の乏しい経験では(Pianistでは)Gouldの新旧録音以外には思い当たりません。Bachを愛する人できるだけ多くに聴いて欲しい、素晴らしく意義深いGoldberg演奏と思います。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/28

    これはほとんど絶対的な名盤です。これまで世界中の幾億人かわからない位の人々が、聴き、くちずさみ、演奏し、愛してきた「メヌエット」の原曲が、Leonhardtの何一つ余計なものは入れないけれど、限りない歴史の中に息づく滋味深い演奏で聴かれます。他にも平均律があったり、フランス組曲の原形があったり、その全てが最上の演奏で収録される。特に終わり近く、E.Amelling,Leonhardtで聴かれるカンタータ82番の’Schlummert ein’は、カンタータがバスのアリアであるため、この盤でしかAmellingの歌唱は聴かれず、しかもそれが自分が知る限り、この曲の全ての演奏の中で最高の絶唱ではないかと思います。若い頃LP盤で幾度聴いたか判らないくらいですが、現在聴きかえしても、こんなに素晴らしいこの曲集はおそらく今後も現れないでしょう。音楽を愛する人全てに必ず楽しんでもらえる、永遠の名盤です。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/22

    ロ短調ミサは西洋多声音楽の総決算としての傑作ですが、マタイ受難曲は異文化人たる我々にとって、西洋キリスト教文化の根源を理解する鍵となる作品です。従ってNr.1 ’Kommt’から、裏切り、捕縛、裁判、拷問、処刑を経て、Nr.65のアリアまで、螺旋状に駆け上がって行くこの世にも不思議な物語に、音楽によって聴き手を導いてしまう力を持つ演奏でなければ、本来的な意味を持ち得ないものだと思います。S.Kuijken/La Petit Bandeの演奏は、本当にすべてが美しい、マタイ受難曲ってこんなに美しい曲だったか、と思わせてしまう程。それもネオンサインのような人工的な華美さと対極の、たとえばクリスマス深夜ミサのロウソクの一つ一つのゆらめきのような、あるいは路傍の草花のような、信仰と真心以外からはでてこない美しさに満ちあふれています。演奏形態の議論には深入り出来ませんが、Nr.20のアリア、Nr.27、終結のレシタティーボと合唱など、OVPPでなければ絶対に出せなかったであろう、新しい美しさが随所に発見できますし、なによりこの形態のマタイの中で、これほど演奏の精緻なものはロ短調ミサの時と同様史上初めてでしょう。La Petit Bandeの演奏はロ短調ミサを上回る素晴らしいもので、これも20数年前のLeonhardtの記念碑的名盤以来です。もしかすると、S.Kuijkenのキャリアの頂点ではないでしょうか。J.S.Bachの音楽の、そして西洋キリスト教文化の奥深さに、深い感動とともに心が誘われる尊い、稀有な名盤と思います。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/03

    この演奏の手触りは粗く、またおそらく表現も未完成な部分が多いのでしょうが、それを越えてなお現代に生きるBachを生みだす、清新な魅力に溢れていると思います。演奏形態の問題は今後もまだまだ決着の着かないものでしょうし、この形態によって失ったものも多々あるのでしょうが、他面この形態で初めて見えてくるものも多くあります。なにより、Bach生涯最後にして最大の作品というに留まらず、グレゴリオ聖歌以来の西洋音楽史の総決算としてのこの傑作の演奏様式は、決して過去の一時期に固まってしまったものであるはずはなく、常に問われ続け、改革し続けて現代さらに未来に生き続けていくべきものと思います。その意味でミンコフスキのこの盤は、現代に生きるロ短調ミサの演奏として、多少の未完成さはあれ、ロ短調ミサという傑作の存在に相応しいものであると感じられました。現在Kuijken盤と共に最も注目すべき演奏の一つと思います。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/03

    オリジナル楽器による、合唱使用のスタイルでの、近年のロ短調ミサのCDでは、おそらく最も精緻で演奏の質の高いものではないでしょうか。独唱者の歌唱もほぼ十全であり、器楽ソロも全く様式的に正しく上質なもので、18c.orchの質の高さは驚異的としか言いようの無い、さらにこれがLive演奏であることがまた一層、驚くべきことで、Liveによる同曲の演奏としては史上最高の質と言えるのでは。ブリュッヘンの旧盤は熱気に溢れた演奏として名高いものですが、その熱気がいったいいかなるものに向けられたのか不明な部分があり、その意味でやや空回りの印象が拭えませんでした。今回の演奏では、その点表層に現れた過激さは後退し、本当にブリュッヘンの求める(宗教的?)情熱が無理なく表現されてるように思われます。おそらくこの20年の、ブリュッヘン自身の信仰の深化がもたらした自然な変化であり、その意味でKarl Richterの演奏に匹敵する、現代最も宗教的なロ短調ミサと言えるかも知れません(Richter同様あくまで演奏者の信仰告白であり、某指揮者のような教化的演奏ではない)。もちろん文句無く五つ星、ただロ短調ミサの演奏思想としては、未解決の課題をあくまで切り開いていく要素はなく、演奏が過去に向かって閉じた印象は否めません。その点だけが本当に現代のロ短調ミサがこれでいいのか、という気持ちはどうしても払拭できないのですが.....。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/28

    今から30年前、このCDが初発売される数年前にNHK-FMで放送されたD946(このCDにも収録されてます)の、あまりにも美しく優しい演奏にて、自分のPolliniに対するイメージは大きく決定づけられました。Kempffがその美しい一文で述べるように(Shubert ピアノソナタ全集の解説)、Shubertの演奏に必要なのは、おそらく技量とか解釈とかでなく、Schubertの音楽をどれだけ愛してついていくか、です。ここで聴くPolliniの演奏は、彼の一般的なイメージからすれば、むしろ粗いのではと思えるくらいに無造作な演奏にも聴こえますが、反面Schubertの音楽に頭でなく自然に寄り添える人間でなければ、Schubertを心から大切に思う人でなければ、こんなにも優しく心のこもった演奏はできないでしょう。Polliniがこの録音に寄せた短い一文を読んでも判ります。歴史に残る大名演ではないかも知れませんが、Schubertの音楽を心の奥底に密やかに持ち続ける一人として、いつまでも大切にしたいアルバムの一つです。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2010/04/19

    解釈どうこう以前にチェンバロの音があまりに汚い。まだ世界の一流に伍して語るレベルの奏者ではないのでは。

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