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mimi さんのレビュー一覧 

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     2017/10/13

    2014年秋(でしたか)に発売予告され、すぐ予約したものの、繰り返す発売日延期の末に、いったん発売中止の告知までされてたMinkowskiのヨハネ受難曲が、3年経ってようやく陽の目をみました。すったもんだの事情がなんだったのか、一切説明が無いので判りませんが、ミサ曲ロ短調で、粗削りながら非常に新鮮な演奏であっただけに、聴けるようになったのは喜ばしい限りです。演奏は基本的に全集版に依拠しており、ロ短調ミサの時もそうであったように(あの時は歌手10人でした)、OVPPに準じながら、各パート二人まで許容して、コラールや群衆合唱などはかなり声部に厚みを持たせており、数年前に出たHaller/La Chapelle Rhenane、Pierlot/Richercar Consortなどとほぼ、同じ方式です。Minkowskiは特にHallerと同様、かなり群衆合唱の効果を重んじているようで、正直、OVPPとはほぼ言えない位の補強をしているようにも感じられます(同じフランスだからでしょうか?)。実は演奏の方向性もHaller盤と同一のようで、徹底的に劇性を第一にして、特にヨハネで特徴的な群衆合唱の連続を山として、非常に激しいテンポ変動、強弱、リズムの煽りを持って、ヨハネに多く含まれる狂奔とも言える場面を強調していきます。当然の事ながら、EvangelistやJesusの言葉の静的な部分は影を潜め、群衆の狂奔に対抗するかのような感情的な語りが前面です。こうしたヨハネは、もちろんOVPP以前からも多くあったし、それを好まれる聴者も多いようですが、一方であくまで聖句の性格と内容を伝えることに専心した静的なヨハネ受難曲(それはとりもなおさずヨハネ福音書の本質でもある)の美しさと感動は、到底望むべくもありません。音楽的にみても、群衆合唱で多用されるフーガ形式を中心とした、多声的構築が全く表出されず、すべてがまるで一部のハードロックのような勢いだけの音楽になってしまっており、同じOVPP(各パート一人だった!)によるKuijken盤の、全く外見上の激しさはなくとも、まるでまるでルネサンス時代のマドリガーレのように精緻で美しい群衆合唱(そこにあるのはただただ聖句のテキストに内在する秘められた激しさのみ!)とはあまりにレベルが違いすぎます。もちろん他の部分においても、独唱、合唱、器楽演奏すべて、部分的に美しさはあっても、全く縦の線の揃わない、Bach音楽構造の再現が二の次の粗い演奏です。マタイと並ぶBachの西洋音楽史上の遺産としてのヨハネ受難曲の真価には、少なくともまだ遠く及ばないのではないのでしょうか。「ヨハネ受難曲」にあくまで劇性のみを求める方向きの演奏かと思われます。

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     2017/10/08

    Wigmore Hall Liveに続く、そして同様に非常に意欲的なアルバムです。”La Follia”をテーマとするバロック音楽と、現代音楽を交互に配し、最後をJ.S.BachのBWV1052で締めくくるという構成で、前作程の統一性のあるプログラムには感じなかったものの、確かにルネサンス・バロック変奏曲とMinimal musicの繋がりは共通の根をもっているのかも知れません。プログラム中では、ライヒのPiano Phaseが、作曲者自身の言葉にもあるように、まさに圧倒的な名演奏で、ついでやはりグレツキの協奏曲が水を得た魚のようなこれも名演奏です。反面、J.S.Bachを含むバロック音楽の演奏は(C.P.E.Bachはバロックとしてよいか?)、演奏細部の掘り下げがまだ十分でない部分が多いためか、過去の名匠の演奏に比較して、あまりにまだニュアンスに乏しく一本調子で、とても現代音楽における名演と比較できないのが辛いところです。M.Esfahani自身はチェンバロの現代復興を使命と考え、Leonhardt以降の現代のチェンバロ奏者が、現代のチェンバロ音楽を弾かず古楽復興に専心したことを批判的にとらえているようですが、彼自身が肝心要のルネサンス・バロックのレパートリーにおいて、Leonhardtら過去の巨匠に、とてもまだ較べられるレベルでないのが痛いところでしょうか。とは言え、今はすっかり名匠となったTrevor Pinnockも、デビュー時は技術のみでニュアンスの乏しい演奏をすることもあったことを思えば、M.Esfahaniも今後にまだまだ期待すべきなのでしょう。J.S.Bachを含むバロック作品の演奏水準としては、公平にみてまだ平均レベルですが、ライヒ始め現代音楽における超名演があるため、評価はやや甘くさせていただきました。ちなみにコンチェルト・ケルンの演奏は、以前からのこの団体の演奏同様、手堅いがやや重々しく、古楽オーケストラとしては平均以上ではないと思われました。

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     2017/10/07

    非常に意欲的で、かつ意義のあるアルバムと思います。16世紀のW.Byrdから21世紀のLigetiまでが、明確な一本の線で結ばれ、そこに500年以上の時代が隔てられたことによる違和感は全くありません。現代音楽に至る、西洋音楽の流れが確かに確固たる根を共有することによって移り変わってきたことを、このまだ若い、しかも西洋出身でないチェンバロ奏者が見事に示してくれたことには、感嘆しかありません。演奏に関して言えば、Ligetiの生命力溢れる見事な演奏がさすがに最も素晴らしい。Byrdの演奏は、生き生きとして美しいものの、過去に様々な巨匠たちの一瞬一瞬に無限のニュアンスが込められた名演に数多く接した耳には、未だ一本調子で味わいがあまりに乏しい。3声・6声のリチェルカーレも、一音一音、声部の意味付けが非常に雑な割に、意味不明なテンポ変動(決してルネサンス・バロック音楽ではあり得ないような)が頻出するやや特殊な演奏で、若い世代でもM.Borgstedeなどの厳格で極めて構造的な演奏に較べると、Bachの音楽構造の真価の半分も、まだ表出はできていないと思います。ただ、特にByrdの音楽などは、このようなひろいコンサート会場での再現にそぐわない面も多いと思われ、できたらスタジオ録音でこのプログラムをじっくり聴いてみたいと思いました。ともあれ、、今後に大いに期待したいできる素晴らしい若い才能であり、月並みな言い方で恐縮ですが、ルネサンス・バロック音楽が全く今日、現代を生きる音楽として確固たる存在であることを示す好企画です。ルネサンス・バロック音楽ファンにもぜひ一聴をお勧めしたいですね。

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     2017/10/05

    昨年末に購入して以来、折りに触れて数回聴いてきました。この現在、世界的に最高のBach演奏家としての名声を得ているA.Hewittに対して、これまで自分は決してよい聴きてではありませんでした。1999年のGoldberg旧録音についても、かなり以前にiTunesで購入していましたが、演奏の外形はさすが当代一と言えるくらいに美しくまとまっていても、その中身に意外な程詰まったものが少ない音楽に、いつしかライブラリから削除していました。この最新録音、A.Hewittにとっては、もはや彼女の代名詞であるFAZIOLIによる再録音、という意味が大きいと思われ、事実世間的な評価もそれを越えるものでは無いようです。しかしながら、この半年ばかり聴いてきた自分の印象では、これはこれまでのA.HewittのBach演奏で最も優れたものではないでしょうか。確かに演奏外形上は、旧盤と一聴して違いは判り難いかも知れませんが、聞き込むにつれ、その違いが明らかです。決して新鮮なGoldbergとは言えず、G.Gouldによって確立されたモダンピアノによるGoldbeg演奏の方法論上に、特に新しいことは何もやってないのですが、曲の細部、声部と声部のバランス、それによって構成される多声音楽としての曲構造、何よりもBach演奏の永遠の課題である、至適なリズム、テンポ、バランスを見いだすことにおいて、旧盤とは比較にならない程、進歩しています。そう、同じカナダ出身のGouldが新旧2種のGoldberg名演で、全く例をみない方法で辿り着いた理想的なBach再現法に、まだ並んだとは言えないが、彼女の数十年のBach演奏キャリアを経てやっと近づくことができつつあるように思います。思えば同国出身で、同じくBachを主要レパートリーとするGouldに対してHewittも、旧盤や他の文章で当然のことながら意識と尊敬をこれまでも表現しているようですが(ここはGouldに対する敬意と屈折、反感が同じくらい、言葉と演奏に表れるA.Schiffと違う)、一方でHewittの背景がGouldと大きく異なるのは「フーガの技法」を近年までBoringと感じていたのが端的なように、はなからルネサンス・バロックの多声音楽的要素に(たぶん)馴染まなかった点ではなかったでしょうか。Gouldは自分の音楽のルーツは、中世に端を発するルター派のコラールである、と述べ、バード、ギボンズから現代のシェーンベルク、ウェーベルンに至る、あくまで声部声部が独立して対等である音楽を身上とし、その上に立って、やはり多声的音楽構造がその本質であるJ.S.Bachの音楽構造を生涯をかけて愛し再現しましたが、その点がまさにA.HewittのこれまでのBach演奏のWeak pointに一にも二にも繋がっていたように思います。8年前の平均律新盤では、まだあまりにも恣意的な古典派的ロマン派的解釈とその一方で、最高のフーガにおける構造再現がとても未熟な姿であったことを思えば、HewittのこのGoldberg新盤のすべてのバランス(その核になるのが声部間の多声構造であるのはいうまでもありませんが)が理想に近づく演奏を実現できたのは、おそらく彼女が数年前に、それまで避けてきた「フーガの技法」の演奏に初めて取り組んだ事が大きいのではないでしょうか。その演奏自体はクラシックマスコミの持て囃しとは裏腹に、まだ決して一流の「フーガの技法」レベルには遠いものでしたが、それでもそれを体験し通過することにより、A.Hewittの演奏はそれまでの彼女のものとは明らかに変貌しつつあるように感じます。GoldbergはBachの作品中でも、類をみない幅広い包容力を有しており、演奏者の背景、音楽的思考、歩みが如実に反映される傑作ですが、ここにいたって、A.Hewittが真の意味でのJ.S.Bach演奏家となりつつある事を示した、記念すべき盤ではないでしょうか。決して新鮮でも驚くような内容でもありませんが、Goldbergの普遍的再現(それは一つではありませんが)に近づき得た演奏として、Bachファンにはお薦めしたいです。個人的には、ぜひ平均律の三度目の録音にもチャレンジして欲しいですね。

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     2017/10/05

    基本的に、横の旋律線の流れ(しかもかなり気侭なテンポの揺れ動きを伴った)の組み合わせで構成された演奏であり、縦の線の厳格さは全く実現されておらず、また音色(これはモダン・ピアノによる場合、相当な難題)、リズムの声部間のバランスも、よく言えば即興的、悪く言えば深く考察されたものでないので、一つ一つの曲においても、曲集全体においても、「フーガの技法」のすべてと言ってもいい厳格な音楽構造が全く見えてきません。まだ曲初の基本からSimple fugeあたりはそれほど違和感がないのですが、曲集が進むにつれ、全体の曲構造が見えづらいのがじわじわ顕になってくるため、長い曲集を集中して聞くのが次第に苦痛になってきます。未完の三重フーガなどは(これがこの曲集の一部かは未だに決着がついていませんが)、どちらかと言えば主旋律をロマンティックに追うだけの音楽になってしまっており、「フーガの技法」の名演にみる、巨大な音楽建造物を前にした痺れるような感動が全く感じられません。自分がこれ以前のA.HewittのJ.S.Bach演奏にどうも馴染めなかった理由が、この演奏を聞き通して、よく判ったように思います。「フーガの技法」の演奏として(ピアノによるものであっても)とても一流には数えられないレベルの演奏ですが、Hewittが(これまで避けていたようですが)このJ.S.Bachの音楽の核とも言うべき曲集にアプローチした事で、彼女の中で少なからず変わったものもあったのではないでしょうか。今後の活動に期待したいと思います。

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     2017/09/29

    平均律の演奏(新盤)に較べ、相当に現代ピアノとしての表現に抑制を加え、己の自我を出さず、極力客観的な再現を心がけている点でかなり好感が持てる演奏です。しかしながらGoldberg変奏曲は、その優れた演奏に接すると必ず、眼前に鳴っている音楽から、その演奏者の有する音楽的背景がさながらパノラマのように実感される点で、J.S.Bachの全作品中はもちろん、西洋音楽史上でも類をみない幅広さを持った傑作と思います。まるで西洋音楽史の一大パノラマを実感させるようなG.Leonhardt、Bachの音楽構造の徹底的な分析に己を完全に無にして捧げたG.Gould、演奏から中世〜近現代から西洋以外のまるで第三世界のリズムまで聞こえてくるようなJ.MacGregor、そして古典派〜ロマン派に至る西洋古典音楽の伝統から離れ、まるでポピュラー音楽の一部を聴くような錯覚に陥るようなA.BacchetiなどのGoldbergは、聴いていてそのスリルに時間を忘れますが、このHewittのGoldberg演奏は非常に美しくまとまって、誰にも文句のつけられないような標準的外形をみせていても、演奏の背後に感じられるものが、意外な程乏しく、そのため、慣れ親しんだ音楽の姿が過ぎていっても、いつの間にか退屈して眠くなっている自分を発見します。ピアノによるGoldbergに、上記の名演・好演群のような驚嘆すべき感動体験を求めず、流しておく美しいBGMで十分な音楽ととらえるなら、これ以上はないお得な演奏かも知れませんし(確かに安いし)、そういうGoldberg演奏を愛聴されるのも全くありでしょうが、少なくともGoldberg演奏史上最高の演奏とはとてもとても言えないのではないでしょうか。

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     2017/09/14

    Mortensen/Concerto CopenhagenのJ.S.Bachチェンバロ協奏曲全集の第3集、完結編ですが、実は自分が彼らのこの素晴らしい演奏集を知ったのは、この最新盤がきっかけ、Trevor Pinnockのフォローをしていたからでした。それまでは不勉強にして存在だけ知っていたのみで、この盤に接して初めて、Pinnock以上にConcerto Copenhagenの素晴らしさに感銘を受けたのです。J.S.Bachの音楽の再現の最も難しい点の一つは、特に(モテットを除く声楽作品の大部分含め)管弦楽作品における、各楽器、各声部のバランス ー ハーモニー、リズム、テンポおよび音色のすべて ー の正しいあり方を見いだすことがあまりにも難しいことにあると思うのですが、Mortensen/Concerto Copenhagenの演奏はその点において、現時点までで最も理想的な解答に近づき得た一つの姿である、Pinnock/English Concertの(後期)演奏を彷彿とさせる、全く演奏者の我を感じさせない、透明で自然なバランスに近づいています。もちろん、これは今回の第3集で全面的な共演者として裏方を演じているPinnockの存在も大きいでしょうが、Pinnockのいなかった第1,2集でもすでにこの自然な演奏が実現できていたことを思えば、修業時代からの盟友であるMortensen、Pinnockの両者に共通する(教育?)基盤からこの素晴らしい演奏が生み出されたと考えられるかも知れません。特に1台のチェンバロのための協奏曲と異なり、チェンバロ自体も管弦楽の一部としての色合いが濃い、この複数台チェンバロのための協奏曲の数々は、奏者間、および奏者とオーケストラ、指揮者のバランスがうまくいくことは稀ですが(どこか一部が突出したり、ソリストの誰かがやたら目立ってしまう場合は多い)、この演奏はCD2枚通じてすべて非常に美しいまとまりで統一されており、ここにMortensenの指揮者としての並々ならぬ手腕が感じられます。実はあまりにまとまりが良いため、やや優等生的で、それこそ若きPinnock,MortensenらとEnglish Concertの演奏にあった、弾けるような推進力が懐かしい瞬間もないではありませんが、それでもこの自然で透明で美しいチェンバロ協奏曲全集は、疑いなく現代のピリオド楽器によるJ.S.Bach演奏の頂点の一つと思います。いまや大御所のPinnockの演奏が素晴らしいのは言うまでもありませんが、他の若手ソリストもすべて技術的にも音楽的にも、ベテランに全く劣らない素晴らしい演奏を聴かせています。第1,2集を含め、すべてのJ.S.Bachファンにお薦めできる好演盤です。

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     2017/09/04

    第1集より3年後、1台のチェンバロのための協奏曲全7曲の録音が完成しています。第1集の演奏と全く同じく、決して演奏者の個性を強調せず、しかしながらJ.S.Bachの管弦楽作品に必要なものをほぼすべて備えた模範的な演奏ではないでしょうか。だからと言ってMortensen/Concerto Copenhagenの演奏は、微塵も硬さがなく、まずBachの音楽の大前提である心から自然な生命力に溢れています。BWV1056のLargoがもう少し、情緒が欲しい部分もないではありませんが、ともすると現代的な演奏が実は内実ロマン派の亜流に堕しがちな事を考えると、清潔で時代様式にあくまで厳格な演奏として貴重と思います。第2集はどうしても、他の曲集との同曲が多くなりますが、それを感じさせない誠実で魅力的な演奏です。Bachファンなら揃えておかれて決して損の無い盤と思います。

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     2017/09/03

    J.S.Bachのチェンバロ協奏曲は、古典派以降のピアノ協奏曲の輝かしい伝統を生み出す歴史的重要性と、(たとえ他楽器の協奏曲よりの編曲物が大部分としても)圧倒的な音楽的充実度にも関わらず、決して名盤に恵まれた曲集ではありません。この曲集の演奏史を変えたのは、疑いなく若い頃のTrevor Pinnock/English Concertの協奏曲全集(LP Boxで4枚組だった)で、その目の覚めるような鮮やかな演奏技術と、あくまで歴史的再現でありながら、それまでの古楽演奏を一挙に過去に押しやってしまうような現代的感覚に満ちた演奏で、J.S.Bachのチェンバロ協奏曲の価値自体を再認識させた名盤であったと思いますが、それ以降に良い演奏が目白押しかというとそうなりません。Pinnock以降、著名なチェンバロ奏者でこの曲集の録音は決して少なくありませんが、どれもEnglish Concertを越えるような決め手には欠けた演奏ばかりでした。Lars Ulrik Mortensenは、まさにPinnock/English Concertの全集に、K.Gilbertに次ぐ第三チェンバロ奏者として参加しており、英語版を読むと、修行時代をまさにPinnockの盟友(弟分?)として過ごしたようですが、ここでの演奏には今までPinnock/English Concertの全集にしか聴けなかった、Bachの音楽に則した非常にに自然なテンポ、楽器間のバランスが確かに存在します。Mortensenのチェンバロは、若い時代のPinnock程に推進的ではありませんが、一切余計な自己主張をせず、Bachの音楽構造を再現することに集中しており、これまでにKoopmanやStaierといった腕利きの奏者が、何か我の強く結果としてアクの強い協奏曲集にしてしまったのと、全く対称的に水のように透明で、それでいて生命力にあふれた演奏を実現しています。Concerto Copenhagen の非常に技術的に素晴らしい演奏も特筆もの。Pinnock/English Concertを越えるかどうかは分かりませんが、現時点で録音を含めてこの曲集の数少ないお薦めできる演奏ではないでしょうか。

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     2017/08/27

    J.S.Bachの鍵盤パルティータ全集は、接すればするほど、その規模、とてつもない多様性、歴史的重要性、そして音楽内容のあまりの奥深さに圧倒される曲集であり、正直、この曲集の一人の奏者による十全な再現など夢物語ではないかと感じます。若い頃のGouldやRoussetのような天才でさえ、パルティータ全集に関しては名演というにはほど遠い不満足な録音であったと思うし(ぜひ、Roussetの再録音を希望したい!)、現代ピアノにせよピリオド楽器にせよ、これほどお薦めできる録音が少ない傑作もない状況でした(個人的にはLeonhardt、Pinnockの新盤がやっと理想的再現に近づけた希少な例かと思いますが)。今回のR.Egarrの録音も、この巨大な曲集全体を見渡せば、いくつも不満がないわけではありません。それでも、この盤は現在チェンバロで聴ける現役奏者のものの中で、Pinnockに次いでお薦めできる良演ではないかと思います。数カ月前録音のフランス組曲と同様、R.EgarrはJ.S.Bachの生きた時代を挟む、広範な歴史的音楽の知識と経験の基礎の上に、演奏のすべてを組み立てており、そこに根拠の曖昧な、恣意的な姿勢は皆無、あくまでこの時代の音楽を現代に忠実に再現することのみに奉仕しています。6曲すべてが、曲構成が異なり、ベースにしている音楽的背景もはるか以前のルネサンスから、Bachの息子やMozart,Haydnの古典派に近づく時代までものすごく広範にまたがるパルティータの演奏は、おそらくちょっとやそっとの歴史的知識・古楽再現経験では太刀打ちできない難しさがあると想像されますが、R.Egarrは完璧とまではいかないかも知れませんが、かなりなレベルまでその課題を見事に解決しています。これはBachだけでなく、Couperin全集などで音楽学者としても深い実績を残しているR.Egarrにして初めて可能になったことと思われます。それに加えて、J.S.Bachの音楽構造再現に際して常に伴う、本当に至適なテンポ、リズム、バランスを見いだす困難さにおいて、Egarrは現在の他のほとんどの鍵盤楽器奏者に比較しても(Pinnock新盤ほどでないかも知れませんが)誰にも納得できる再現をみせており、それが曲集全体を聞き通した際に感じる、この上ない自然さに繋がっています。これはおそらく、フランス・イギリス組曲や平均律といった鍵盤音楽の録音だけでなく、R.Egarrが指揮者として、管弦楽組曲やヨハネ・マタイ受難曲といった声楽大曲に近年積極的に取り組んできた経験(そのひとつひとつは必ずしも満足できるものばかりでなかったかも知れませんが)が大きく寄与しているのではないでしょうか。パルティータ4番Allemandeの、あまりにも自然で美しいテンポ、リズムなど、長年Bachの音楽全般に地道に深く関わって来なければ、決してできない音楽と思います。平均律と全く異なる意味でのJ.S.Bach鍵盤音楽の最高峰であるこの曲集の、現在入手できる最良の盤の一つであることは間違いありません。J.S.Bachのファンならば一度聴かれる価値があると思います。

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     2017/08/06

    これはR.Egarrの演奏するBachの中で、良演に属するのではないでしょうか。外見上の典雅さ、柔和さとは裏腹の強固な音楽的構造を有し、一方でバロック組曲としての時代的背景・要素が存分に含まれたフランス組曲は、たとえ歴史的楽器で演奏したとしても、二重、三重に課題を内包しており、その結果、現代ピアノでなくチェンバロで演奏しても、名演と呼べるものは、実は録音数に比してごくごく僅かと思います。自分の思いつく限りでも、Leonhardtの歴史的録音以外では、今よりもう少し若い頃のRoussetの天才的な録音ぐらいしか、これといったチェンバロ録音は思い浮かびません。「古楽のバーンスタイン」や「鬼才」といったキャッチーな宣伝文句とは対称的に、実は非常にナイーブで誠実、どちらかといえば地味な本質を備えたR.Egarrの音楽は、あくまで歴史的音楽の歴史的再現という基本から全く遊離することなく、ルネサンスからバロックに至る広範な音楽史の無数の遺産の一部として、このフランス組曲を再現しており、調律、装飾音、リズム、テンポなどすべてが歴史的音楽の幅広い知識と経験のもとにしっかりと組み立てられています。RoussetやGouldのような、天才的な直感は希薄かも知れませんが、己を主張することなく、音楽の本来の形での再現に奉仕する姿勢は、実は今は亡きLeonhardtに最も近いかも知れません。特に後半の3曲において、Egarrの演奏に時折感じる、楽曲構造面での甘さを感じる瞬間が皆無ではありませんが、それを差し引いてもフランス組曲でこれだけの良演はやはり稀ではないでしょうか。バロック音楽としてのBachがお嫌いでないなら、一度耳にされる価値は十分ある好演盤と思います。

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     2017/07/30

    つまらない前置きで申し訳ありませんが、ここに聴くAshkenazyのピアノ演奏は、おそらく70年代、80年代のものに較べると演奏の各所緩みが生じている可能性はあり、Ashkenazyの熱心なファンの方ほど、満足できない部分があるかもしれません(それでも80歳の演奏とはとても思えませんが)。それを正直に認め、レビューとしてはやや甘い点はあるかもしれませんが、それでも、このディスクはAshkenazyが単なる名ピアニストと格の違う、20世紀を代表する巨匠であることを証明する演奏と思います。平均律録音以来の、これまでのAshkenazyのBach演奏の流れと同じく、このフランス組曲も、決して歴史的奏法や解釈、チェンバロ演奏を意識したものでは(皆無ではないかもしれませんが)なく、全くモダン・ピアノとしてのBachにほかなりません。それでいてこの演奏は、自分のように常時ピリオド楽器を聴き続けている者にも、ほとんど違和感のない、紛れもない「真正な」フランス組曲です。この演奏の鍵となるのは、ライナーノーツに記されたAshkenazyの(少ない)言葉にあるようで、”I dont like to talk about mood...”, ”...where there are lower bass lines, and a more involved texture.” ーこの演奏は、ほとんどの現代ピアニストが足をすくわれているフランス組曲の美しい旋律や柔和な情緒には目もくれず、この曲集の低音部を中心とした強固な多声構造とそれを中心として構成された、曲全体の構築をあくまで主眼としています。4,5,6番の緩徐楽章など(最近ちょうど出たPerahiaなど、こういった部分は思い切り旋律を強調して際立たせてました)、おそれく聞き手によっては不満を持つかも知れないほどあっさりと全体の再現の中に埋没させて経過します。しかしながら曲を聞き通し、全体の複雑で深い音楽を実感した時の感動は量り知れません。モダン・ピアノでこのような厳格なフランス組曲演奏は、自分の知る限り、G.GouldとJ.MacGregorくらいしか思い当たりません。Ashkenazyの再現法の一部はこの2者と酷似している部分もあるため、当然この2者からの影響も考えられるでしょうが、自分は個人的に思うに、おそらくAshkenazyは、歴史的文献的考察や他からの影響ではなく、純粋にBachの音楽構造を考察した結果、期せずして前2者と同様な構造的再現に辿り着いたのではないでしょうか(さきのAshkenazyの言葉がそれを裏書しているように思います)。実は数年前のパルティータ全集には、全く満足できなかったので(パルティータは、今から思えばあまりに時代的歴史的に制約の多い曲集でした)、正直あまり期待せずに聴き始めたのですが、自分の貧弱な予想を大きく裏切る素晴らしい演奏でした。非常に俗物的な言い方で恐縮ですが、やはりそんじょそこらの名ピアニストではない、歴史に残る巨匠の証明と思います。Ashkenazyの全キャリアの中では必ずしも最高の仕事ではないかも知れませんが、ピアノによるフランス組曲演奏では本当に数少ない、「真正な」演奏の一つです。ピアノによるBach演奏が好きな人も嫌いな人も、是非一度聴いてみていただきたいです。

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     2017/07/28

    自分のごく若い、まだCDなぞなかった頃、East Windレーベルの富樫雅彦で、唯一購入してなかった作品でした。Jazz/Rockに傾倒し、同時に富樫雅彦の作品にのめり込んでいましたが、そんな貧乏学生にとってもこの作品(完全パーカッション・ソロ、多重録音駆使、2枚組LP)は、色々な意味でハードルが高すぎて...(笑)。今回40年ぶりに初めてCDで購入。富樫さんのこの手の作品としては、この5−6年?後に、「Face of Percussion」という、やはり完全ソロ、多重録音使用の名盤があり(ジャケットが秀逸だった!)、そちらの方は比較的早い時期にLPで購入しておりましたが、今回この「Rings」を聴き、両者の大きな違いに少し驚きました。「Face of Percussion」は非常にActiveでDynamicな印象であるのに対して、この「Rings」は徹底的にStatic。多重録音と言っても、同時に鳴っている楽器はたかだか2種類まで、その背後に信州で録音されたという自然の音がかすかにかぶり、LP2枚(CDは1枚)を通じて、ほとんどフォルテのないピアニッシモの世界。それでいながら、あまりにも安らかで美しい世界が、刻々と変化して流れていきます。これはもう、Jazzというしがらみから完全に自由になった、富樫さんの心象風景-それは明らかに、富樫さんにしかできない、音楽による(日本の)自然のすばらしいスケッチです。思えば、「Spiritual Nature」「Song for Myself」「Song of Soil」「Words of Wind」など、活動再開後の富樫さんの代表的傑作は、常に自然を描くことが中心であり、それは他でもないたぶん富樫さんがこよなく愛し続けた日本の風土の姿でした。ここに聴く12のスケッチは、その最も直接的で端的な作業であり、それはこれだけ自然と空間を自分の音楽として常にとらえ続けた、富樫さんにしかできない美しい成果ではないでしょうか。お世辞や誇張一切抜きで、音楽を愛する人ならどなたでも(もちろんジャズのジの字も全く知らない人にも)お薦めできます。

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     2017/07/28

    Perahiaが10年前に録音したパルティータ全集は、多彩な各曲にひとつひとつ向きあう誠実なアプローチと、厳しい自己抑制によって、モダン・ピアノによる演奏としては最上位に属するものであり、ゆえに今回非常に期待して聴きましたが、印象としてやや違和感の多いものでした。70歳になったPerahiaのこの人にしか無い美音は(パルティータ全集時より明らかに各所に緩みがみられますが)健在であり、その意味では大したものではあります。しかしながらフランス組曲は、Bachの鍵盤組曲中、最も柔和で美しい印象(モダンピアニストがよくアプローチするのはそのためでしょうが)とは裏腹に、ひょっとすると平均律に次ぐ位に、厳格な対位法と曲構造を有し、ともすると演奏外見の美しさは却って曲の感動を削ぐことになり兼ねません。Perahiaのこの美しい演奏、各所において、低音部旋律とそれに基づく曲の対位法構造が曖昧で、それを右手の旋律と美音がマスクして、きれいだけれど、全体としてもわっとした音楽に残念ながらなっています。その最も典型的なのは組曲2番のGigueで、Perahiaは上声部の一音一音を独立させず快速に一つの美しいフレーズとして弾きとばすために、低音部とのきわめて幾何学的で美しい対位法が全く提示されません。もちろん、5番、6番の各所など、これ以上ないくらいの美しい響もいっぱいあるのですが、現代、ピアノが美しいフランス組曲なら、実は山ほどあって、その中で、この曲集の深くて大きな構造もしっかり提示してくれる演奏は稀です。良演ですが、名ピアニストをしてもこのレベルにはまだ遠かったかな、というのが偽らざる感想でした。

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     2017/05/26

    富樫雅彦さんが亡くなって今年でもう10年、活動休止されて15年になります。自分が音楽を聴き始めた青春時代から、常に側にあって馴染み、感銘を受け続けてきた、この不世出の音楽家について、とてもまだまだ詳しく、冷静には書けないのですが、たまたま久しぶりにこの晩年のライブ(活動休止直前)を購入しました。疑いなく富樫雅彦にとって、生涯で最も心の近くにあった佐藤允彦さんとのデュオ、もう何百、何千回とやったか解らないでしょうし、CDになってるものだけでも十数枚はくだらないでしょう。富樫さんのすべてのライブが最上のものだったかどうかはわからないでしょうが、少なくとも、ここには常に「静寂」と「空間」を追い求め続けた希有の芸術家の生涯最後の(それでも決して変わらない)姿が、非常にリラックスした雰囲気のもとに記録されています。もう亡くなって10年以上になるけど、おそらくプライベートのなんやかやで、まともな伝記はおろか特集すら組めない富樫雅彦という、日本(ジャズ)音楽界にとって、唯一無二の存在の、美しい音楽が今もまだ手に入るのは、ある意味奇跡的です。5.Walz Step,6.Valenciaなど、他の誰にも生み出し得ない永遠の美の世界と思います。

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