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mimi さんのレビュー一覧 

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     2018/03/11

    まさに珠玉の名演と言えるのではないでしょうか。そもそも本盤は、渡邊順生氏にとって、本盤で使用した2台のチェンバロ製作者である故柴田雄康氏への追悼盤としての録音のようですが、おそらくそれと同時にどうあっても避けて通れないのが、まさにFrescobaldi, Frobergerの歴史上(おそらく)最高の再現者であった、師のGustav Leonhardtの演奏でしょう。実際にこの盤の収録曲のいくつかは過去にLeonhardtの録音がありますし、若い頃からその死の直前まで、Leonhardtの最も近くにおられた愛弟子である渡邊氏なら、ここでの収録曲のほとんどを師の演奏で聴いておられるのではないでしょうか? 従って、自分らにとってどうしてもあのLeonhardtの名演の数々との比較が避けられないのはやむを得ません。特に中世以来の対位法技術の極とバロック音楽としての緩急自在の変化を融合し、後世の鍵盤音楽の基礎を築き上げたFrescobaldi,において、Leonhardtの一点一画も疎かにせずに細部から全ての構造を築き上げていく圧倒的な演奏に同等に並べられる演奏は現時点でも存在せず、この点においてはいかに愛弟子の渡邊氏の演奏であっても未だ及ばない部分があるのは、渡邊氏自身が誰よりも解っておられると思います。しかしながらそれでも、ここでの渡邊順生氏の深く曲構造を考察し、それをあくまでルネサンス・バロック時代から古典派にかけての幅広い時代の音楽理解を背景に、堅実に再現していく様は例えようもなく魅力的であり、実際海外の多くの奏者のFrescobaldi演奏と比較しても、これほど滋味溢れ幾度も聴きたくなる演奏は稀です。特に前半の終わり、Leonhardtも名演を遺しているCapriccio 12 sopra l’Aria di Ruggieroと、Cento Partite sopra Passacagliは渡邊順生氏の数多くの名演奏の頂点と言っても差し支えないのではないでしょうか。そして、渡邊氏がより親近感を覚えると言われる後半のFrobergerは、前半をも超える名演奏。Frobergerにおいてもすべての音符、すべての瞬間に意味付けがなされた晩年のLeonhardtの圧倒的な名演奏が存在しますが、渡邊氏の演奏は時に多くの奏者において重々しくなりがちなFroberger演奏(特に組曲)において、メランコリックではあっても全く重さは感じさせず、あくまで柔らかく繊細な響きによってFroberger独特の和音をしみじみと紡いでおり、この滋味と繊細さにおいてはひょっとして師をすら超えているかもしれません。Frescobaldi, Frobergerいずれにおいても、現在世界の古楽界の頂点に位置する演奏であり、ルネサンス・バロック音楽を愛好する者にとっては、宝石のようなアルバムです。日本のみならず、ぜひ、世界の多くの方々に聴いていただきたいですね。

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     2018/02/25

    数あるロ短調ミサの録音中でも、そう多くは出会う事のない良演ではないでしょうか。Hosannaの2重合唱でSopranoを2名ずつ、総勢10名の合唱によるOVPP方式を基本としており、MinkowskiやJunghanelと同等人数、器楽は27名のやや小編成で、いずれも現在のOVPPとしてほぼ標準的な演奏規模と考えられます。昨今、OVPPによる演奏もすっかり珍しくなくなりましたが、一方でOVPPによるロ短調ミサの名演奏、と呼べるほどのものはまだ決して多くはありません。その中にあって、Lars Ulrik Mortensen/Concerto Copenhagenのこの演奏は、ひょっとすると(S.Kuijken/La Petite Bandeを別格としても)Minkowskiを凌ぐ好演盤と言えるかも知れません。近年のいくつものConcertoの名演奏でも明らかなように、Mortensenという指揮者は決して自らの個性を強烈に打ち出すタイプではなく(それこそMinkowskiとは正反対)、どうかすると指揮者の存在すらあまり感じられないような瞬間も多いのですが、それでいてBachの音楽に欠かせない、リズム、テンポ、音色の、声部間・楽器間の理想的なバランスをあまりにもさりげなく、いつの間にか実現してしまいます。それは声楽が入ることによって、より一層困難な課題となる声と器楽の自然なバランスにおいても、かなりなレベルの再現を実現できているように思います(晩年のLeonhardtほどに理想的な回答を見いだしているわけではありませんが)。とにかくこのロ短調ミサは、OVPPであることも相まって、一切威圧的でなく、あまりにも自然で美しい演奏です。もちろん、J.S.Bachの全作品中、最大傑作であるロ短調ミサにおいては、最も重要なのは多声音楽としての全体から細部にいたるまでの、網目のようにはりめぐらされた音構造であり、その再現においてはこの好演盤といえども、全体も細部もまだまだ厳格な構造再現に甘さを感じる部分は多々あります。それでもこの演奏は、他の大部分のロ短調ミサ演奏が全く実現できていない(過去、唯一理想的な再現がなされたのは、おそらくLeonhardt盤のみ)、演奏に何らの熱も力も必要としない、純粋にJ.S.Bachの音楽構造のみによる感動に近づける可能性を感じる意味で、他の多くのロ短調ミサ演奏の一段上の可能性を秘めているように思われます。まだまだ未完成の部分も多いでしょうが、他のBach作品における演奏とともに、今後のMortensen/Concerto Copenhagenの演奏に大きな期待をかけずにいられません。現時点で決してめだつ演奏ではありませんが、紛れもなく最高レベルのロ短調ミサ演奏として、多くのBachファンにお薦めしたいですね。なおCD裏面をみますと録音時期は、HMVホームページに記されてる2011年は誤りで、2013年5月21~25日のようです。

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     2018/02/23

    大編成合唱団・管弦楽団(ピリオド)によるロ短調ミサであり、形式的に新鮮なところはありませんが、その演奏スタイルにおいては粗いところが全く無い、非常に引き締まったまとまりのよい演奏と思います。楽曲楽曲の再現において、決してロ短調ミサ演奏の最前線に居るとは言えず、正直現代のレベルとしては、中途半端で曖昧な部分も多いのですが、それでもこれだけ演奏の全体としてのまとまりが良いのは、ひとえに合唱指揮者としてのRademannの能力の高さ故と思われ、その意味ではまさにH.RIllingの正統的な後継者と言えるかも知れません。現在の世界のBach研究の最先端である、U.Leisinger校訂の最新版(Dresdenパート譜を全面的に採用)による初めてのCDという、歴史的意義も高い演奏であり、近年のロ短調ミサの中で決して目立たないながら好演の一つと言えるのではないでしょうか。

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     2018/02/20

    Jordi Savallとしては、意外にも珍しい、ルネサンス・フランドル楽派の本格的な作品集ですが、CD冒頭の器楽ファンファーレでびっくりしました。Savallのライナーにも楽曲解説にも何も触れられてませんが、この”Palle,palle”は、Guillaume Dufayの名シャンソン”Se la face pale”の旋律を元に作られており、Josquinの同時代人であるHeinrich Isaacも、この旋律によるパロディ創作を行っていた事を初めて知りました。CD全体は、いかにもSavallらしい、一本のコンセプトの元にIsaacの生涯を紡いでいくようになっており、様々な形式の曲を織り交ぜながら、決して飽きさせないように作られてるところはさすがです。しかしながら、主な部分を占める Isaacの多声モテットにおいては、やはり日ごろのレパートリーとは異なるからか、近年数多あるルネサンス音楽を専門にする合唱団体に較べると、どうしても声部声部の厳格さ、独立性、そして楽曲構造の再現のクリアさが今一つで、ここらへんはIsaac yearで近年出た、Cantica SymphoniaやEnsemble Gill Binchoisなどの強烈に透徹した声楽表現には、この巨匠といえど、明らかに及んでいません。やはり畑の違いは如何ともし難い、というところでしょうか。ただその代わり、高名な「インスブルックよさらば」はそれこそ、涙の出るほどの美演で、これだけでも購入の価値はあるかも知れません。バロック・ルネサンス音楽ファンなら持っておかれてよい佳演盤と思います。

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     2018/02/16

    古くから、バロック以前の古楽で、これほどに録音の多い作品もないでしょうし、当然、自分はその数分の一くらいしか聴けてないですが、自分の乏しい聴体験から思うに、これまでのどのVesproとも異なる演奏ではないでしょうか。実は過去の演奏とあまりに印象が違うので、未だこの演奏の真価は正直、測りかねている部分もあるのですが、印象としてS.Kuijken/La Petite Bandeの徹底的に少人数に拘った盤(それはこの曲においては必ずしも成功とは言えなかったかもしれません)以来の、個性的な演奏と感じます。不勉強にしてLa Compagnia del Madrigaleの演奏を聴くのは初めてですが、実質のMusical directorを務めるGiuseppe Malettoは、言うまでもなくCantica Symphonia(この録音にも参加)のリーダーとして、あの驚嘆すべきMotet全集を始めとする、Guillaume Dufayの名演奏の数々(Cantica Symphoniaが無ければ実際に聴けない名作・傑作も多い!)を我々に送り届け続けてくれた名歌手・音楽学者であり、おそらく過去にVesproを手がけたどの指揮者よりも、中世以来の西洋多声音楽の歴史と演奏実践に深い知識と経験を有しているのは想像に難くない。そのようなG.Malettoがリーダーとなって再現するMonteverdi/Vesproが、これまでのどの演奏とも異なる独自の存在感を放つのはあまりにも当然と言えるかも知れません。輸入盤解説(英語で読みました)でMalettoが述べているように、おそらくこの決して演奏史も浅くはない、演奏者も聴きてもある意味慣れきった名作を、隅々まで光を当て直して行った演奏であり、その特徴はとても簡単に説明できないのは言うまでもありませんが、自分の印象としてこの演奏の過去の演奏の数々と決定的に異なる点の第一は、解説の最後でMalettoが述べている”legato”の重視ーテンポの問題ではないかと思います。誰しも印象的な冒頭合唱からすでに、これだけゆったりしたテンポでじっくりと歌い進めた演奏は前代未聞で、その差異は特に過去多くの演奏で劇的に急速なテンポ変動を強調されることが多かった詩編各曲で顕著で、第2曲Dixit Dominusで2分30秒、第4曲Laudate pueriで2分15秒も、あの決定盤と名高いGardiner新盤より長い演奏時間を要しており、正直まるで違う作品に接するようです。Monteverdi/Vesproが500年以上前の古楽であるにもかかわらず、これだけ現代の我々に人気があり演奏されてきたのは、この作品に内蔵された現代性の故であると思われ、その重要な一要素が、詩編各曲における現代的なテンポと目まぐるしいリズム変動にあったと思うのですが、ここでの演奏者が採用している、あくまでlegatoを重視したゆったりしたテンポでは、そういった現代的にきびきびしたテンポやリズム変化の妙味はあまり感じることは出来ず、それよりも声部声部の絡みと縦の線における多声性の正確さが重視され、聴き手によってはVesproにこれまで感じていた魅力が減じる印象を持つ可能性があるかも知れません。しかしながら、G.Malettoは解説で、これまでの多くの演奏者は”many experts in 17th- and 18th century music tend to have a positive bias towards setting a rapid pace, and often, a hasty one”と述べ、このような再現が16〜17世紀のMonteverdiの音楽に本当に相応しいのか?と問題提起しています。過去のこのような多くの演奏が、現代的な急速なテンポとアクセント(イタリア的よりは北ヨーロッパ的である、とも)を強調する結果、この時代の音楽のそもそもの精緻な構造と魅力が曖昧にされることを、Malettoは最も懸念しており、Monteverdi自身の手紙も引用して、この演奏解釈にいたった経緯を詳細に述べています。個人的には、正直これまでの多くのVesproとあまりに印象が違うので、G.Maletto/La Compagnia del Madrigaleのこの解釈が、本当に正しいのか、まだ確信が持てない部分はありますが、少なくともこれまで数多の演奏者が気付いてこなかった多くの部分に新たに光を当てて再考を迫る重要な演奏であるのは確かで、それを行っているのがあの複雑きわまりないDufayの作品から、見事な音楽を引き出し続けたG.Malettoならば、その見解と主張に十二分な歴史的裏付けがない訳はありません。30〜40年以上前に、まだ大規模合唱と管弦楽による威圧的なBach再現が主であった時代にOVPPを初めて聴いた時は、感動よりも違和感と当惑の方が誰しも大きかったものですが、今では何の違和感もなくなったことを考えれば、今回のVesproに接した時の自分の違和感もこれから乗り越えていくべきものなのかも知れません。過去の華々しい多くのVesproに比較して、決してより華やかでもより刺激的でもありませんが(Gardiner盤はじめ、Vesproの名盤とされるものはたいていそういう演奏でした!)、間違いなく深い学識と経験をもった一流の演奏者達が、過去にとらわれずに一から音楽を考察し直して世に問うた重要盤と考えます。万人にお薦めするのはあまりに渋いかも知れませんが、少なくともバロック以前の音楽に興味をお持ちの方は、一度お聴きになられることをお薦めしたいですね。

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     2018/02/02

    いい演奏ですね。M.Esfahaniの演奏は、意外とその真価を明らかにしづらいC.P.E.Bach演奏において、現時点で望み得るベストな再現の一つと言えるのではないでしょうか。疾風怒涛期の代表的な作曲家として、C.P.E.Bachに求められるのは、確実な技術による生命力に溢れた演奏でしょうが、一方で、ともすると単調で勢いだけの音楽に聴こえかねない。M.EsfahaniはC.P.E.Bachの、どちらかと言えば若い時代のこの曲集を、深い理解と心からの共感を持って、生き生きと、そして細部を疎かにせず繊細に演奏しており、これがこの盤に並のC.P.E.Bach演奏にはめったにみられない、ある種の気品、高貴さを与えています。確かにこれは現代音楽に至るまで、あれだけの名演を成し遂げる能力を持ったM.Esfahaniにして、初めて実現できたことなのでしょう。実はM.EsfahaniのJ.S.Bach演奏には、未だに十分満足できたことはないのですが、このC.P.E.Bachは文句なしの良演と言えると思います。決して目を見張るような派手さはありませんが、古典派以前、古楽、バロック音楽に親しむ方なら、お聴きになって損はないと思います。

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     2018/01/28

    まず自分は決してKeith Jarrettのファンではなく、特にStandards Trioなどは、そのJazzとしての質の高さは否定しようもないものの、Keith独特のあのねっとりしたまとわりつくようなピアノからくる、彼の音楽の体臭のようなものが生理的?に受け付けず、結局買ってもいつか聴かなくなっていました。星の数ほど発売されているKeithのSoloも、その十分の一も聴いてないでしょうから、全く偉そうなことを言う資格はありませんが、それでもこの最初のSolo Performanceだけは、大人になってすぐにCDを購入して以降、繰り返す引っ越しにもずっと離さず持ち歩き続けていました。今回ふとしたきっかけで、数十年ぶりに引っ張りだしてみると、CDのツメは一つ残らず折れ、Disc自体も長年の傷のためか全く再生できなくなってたので、思い切ってKoln, SunBearと同時に購入し直しました。Keith Jarrettの音楽全般にはついに親近感は持てず(その割に長年CDはかなり購入してる)、正直、現在に至るまでの歩みにもついていっていない自分ですが、このBremen-Lausanneだけは特別です。Koln Concertの項でも記しましたが、Keith Jarrett音楽の最大の魅力は、彼のルーツであるBlack musicに根ざすあくまで素朴で土臭い(Jazzとしての)旋律・リズムに、ヨーロッパ近代ピアノ音楽歴史の高度な技法が高い次元で衝突した時に現れると思うのですが、このBremen-Lausanne、特に最初の完全即興performanceであるLausanneは、その後のKoln, Sunbear, Scaka, Bregenz-Munchenなどと較べても、土臭い強烈なビートを土台にしたリズムが主体になっています。この上に、Keith独特の夢見るような旋律が絡まっていきますが、ある意味ともすれば通俗に堕しかねないような甘い旋律であっても、Koln以降にみられるような、ロマン〜印象派のパクリではなく、あくまで彼のルーツに根ざす素朴さ・純粋さから逸脱しないものであり、その結果としてこのLausanneのPart2からラストにかけては、あくまでBlack musicとしてのジャズでありながら、同時に西洋古典音楽の最良の魅力も兼ね備えた、史上ちょっと類をみない音楽時間が現出します。Beethovenのピアノ・ソナタ32番の終楽章を想像すると言ったら、褒めすぎでしょうか? 初めてのSolo performanceとして、その後にみないような、躊躇いや逡巡、突発的な変更などが伺われる部分も(特にBremenにおいて)時折散見され、この盤の全てが傷のない完璧なものではないかも知れませんが、それでもこの盤の大部分、特にLausanne後半は、普通なら一人の音楽家が一生かかっても実現できない音楽が実現できた、希有な瞬間です。ここで時間が終われば、Keith Jarrettの今に至る人生も、全く苦しむことはなかったのでしょうし、逆にこの奇跡的演奏を出発点とした(せざるを得なかった?)事が、Keith Jarrettの悲劇かも知れません。ともあれ、自分が知る限りにおいて、Keith Jarrettファンでなくとも、あるいはJazzファンでなくとも、(現代ピアノが嫌いでなく)音楽の好きな方ならばお薦めできる、数少ないJazz名盤の一つと思います。

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     2018/01/25

    J.S.Bachのヴァイオリン協奏曲は、たった3曲しか完全な形で残されていないにもかかわらず(BWV1060Rは原曲がオーボエ主体)、またほぼヴィヴァルディを代表とするバロック時代の協奏曲形式に忠実に拠っているにもかかわらず、その内包する音楽内容の充実度において、バロック協奏曲の枠を大きく超える傑作揃いですが、決して名演に恵まれているジャンルではありませんでした。その理由の第一は思うに、Bachの管弦楽作品が抱える最大の課題、管弦楽作品としての各要素 ー 旋律、和声、リズム、速度、音色(これが非常に重要で、現代楽器を使用してはほぼ解決不能!)、ソロとトゥッティ、など ー の理想的なバランス、特に全体が複雑に入り組んだ多声音楽としてのバランスの理想的な姿を見いだすのが、ほぼ不可能に近いくらい困難であるからで(最近のR.Goebelのように、その解決自体を放棄してしまったような演奏もみるくらい)、古今の名演奏でもこの真の解決に迫り得たのはほとんど一つ二つ、あるかないかくらいではなかったかと思います(個人的にはヴァイオリン協奏曲においてはS.Kuijken, Pinnockがようやく、くらい?)。当然の事ながら、この問題に最も重要な役割を果たすのは独奏者やオーケストラ個々の能力ではなく、指揮者がいかにJ.S.Bachの音楽構造に深く迫れてそれを体現できるか、ではないかと思うのですが、この盤にみるLars Urlik Mortensenは、チェンバロ協奏曲全集でもそうであったように、決して目立たないながらあまりにも自然な音楽構造のバランスを実現しており、それがこの協奏曲演奏の全体に極めて強固な土台を提供しています。チェンバロ協奏曲全集の時も書きましたが、Trevor Pinnock/English Concertがその最後期に実現していたJ.S.Bach管弦楽作品演奏における、理想的なバランスに近い姿をこのMortensen/Concerto Copenhagenにも感じることができるのは、ある意味大きな驚きで、やはりPinnockの同志としてともに歩み学んだ環境が生み出すものでしょうか?。独奏者、オーケストラすべて、非常に優秀ながら、特に目立つような腕利きというわけではなく、全く余計な装飾や感情を付与せずある意味素っ気ないくらいに簡素な演奏ですが、全くJ.S.Bachが書いた音楽構造に寄り添ってこれを体現することのみに徹底しており、それがためにBWV1043のLargoなどもともとの曲本来の美しさ、純粋さ以外感じられず、却って計り知れない感動を覚えます。チェンバロ協奏曲全集同様、派手ではありませんが、J.S.Bach協奏曲演奏において、確実に現在最も素晴らしい盤で、すべてのBach愛好家に一度は聴いていただきたいですね。J.S.Bachの音楽を、日々生きる糧とする者の一人として、今後のMortensen/Concerto Copenhagenの活躍がとてもとても、楽しみです。

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     2018/01/21

    おそらく多くの方同様自分も、この作品のLP初発売時、若くて貧乏だったので手が出ませんでした。Solo Concert, Koln Concertは、幸いつてがありテープに録音してくれる方のご好意で全曲聴けたのですが、さすがにこの10枚組ばかりは、所有しておられる方は身近にはおらず、FMで放送されたKyoto, Sapporoの一部(だったか?)のみが、このLPで自分が知っていた全てでした。今回、あるきっかけでBremen-Lausanne, Kolnを(再)購入した機会に、思い切って過去に聴けなかったこの作品も購入。2週間かけて繰り返し全部を聴きました。で、感想ですが、Keith Jarrettの最初の完全?ImprovisationによるPiano Solo Concertが、Lausanneで1973年3月、Kolnが1975年1月で、この日本公演が1976年11月で、この頃になると、最初のBremen-Lausanneの頃と較べると、随分Keith Jarrettの姿勢およびその演奏内容が微妙に変わってきてるのがよく解ります。おそらくSoloを始めた最初の頃は、試行錯誤の連続で、おそらく演奏途中での戸惑いや予定変更などで、意図した音楽がちゃんとできない事も多かったでしょうが(Bremenや特にKolnでそういった瞬間は多くみられるようです)、この1976年11月頃になると、一口で言うとかなりまとめ方が手慣れてきているようで、そういった瞬間は少なくなってきており、全体の構成面でのまとまりは向上しているようです。今回これだけKeith Jarrettに付き合って解ってきたことは、マスコミに当時から流布されてたイメージと異なり、Keith Jarrettがかなり観客に対して律義に、サービス精神旺盛に、対しているらしい、と言うことで、どんな日にもとりあえず、与えられた時間をきちっと弾いて楽しんで聴いてもらおうとする姿勢が、結構痛い程感じられます(一般に流布してたような孤高の人なら、こんだけきっちり時間通り弾いてくれる事はあり得ないでしょう)。従って、この5ヶ所のどれも、ピアノ音楽としてそれなりのまとまりと水準は保とうとしてくれてます。ただ、出てきた音楽の質は、まとまりとか構成の良さとは独立したものなので、Tokyoの後半や、Kyotoの後半のように比較的良い内容がラッキーにもみられる時(特に前者)もありますが、その一方でOsakaの大部分やNagoyaの部分のように、形的にはある程度まとまってても、音楽内容は信じられんくらい凡庸でつまらない瞬間も多々あります。公平にみて、この5ヶ所の公演記録の中で、これは、と思えるくらいの素晴らしい瞬間は決して多くなく、その意味で構えて真剣に聴こうとすると、だんだん演奏内容のつまらなさに耐えられなくなってくる事も非常に多いと言わざるを得ません。ここらへんは、会場で聴く時はまだそこまで思わんのでしょうが、LP/CDでの繰り返しの聴体験に耐え得る演奏は、そう簡単にできるものではないのでしょうね。しかしながら、どの公演も、Jazz pianistとしては極上のテクニックを有し、Jazzから西洋クラシックの古典〜ロマン〜印象派まで幅広い引出をもつKeith Jarrett、響いてる音自体は不快な瞬間は少ないため、なまじ真剣に聴こうとせず、何か仕事や単純作業をしながら流しておくと結構快適に付き合えるように思います。本質的にBGM、と言って悪ければ環境音楽、それ以上でもそれ以下でもない。レビュアーの中でKeith Jarrettのソロをガラクタばかり、と酷評された方がおられましたが、その言い方は言いすぎとしても、言わんとする気持ちはよく解ります。もともと現代ピアノの音が堪らなく好きで、かつKeith Jarrettのピアノの音がそんなに嫌いでない(嫌いな方もいます)方には、時と場所にもよるけど、結構いいBGMとしてならお薦めできると思いました(BGMとしては値段高すぎ、コスパ悪すぎかも知れませんが)。

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     2018/01/19

    S.Kuijken/La Petite Bandeは、これでJ.S.Bachの4大宗教曲に加えて、教会カンタータ年鑑の5大シリーズをOVPPで完成させました。言うまでもなく前人未到であり、そしてOVPPによる教会カンタータ全集がこれほどに揃う見込みが他の団体(リチェルカーレ・コンソートなど含めて)に未だ無い事を考えれば、控えめに言っても、しばらくは超える者の無い偉業、と言えるのではないでしょうか。しかもこの5大シリーズ全てがOVPPで統一されていることだけでも凄いのに、この5大シリーズの演奏は、現在私たちが聴き得るJ.S.Bach声楽作品演奏の、明らかに最高レベルのものばかりであるというのがさらに驚嘆すべき事実と思います。もちろん、聴き手によって、この演奏形式に対する好みは大きく分かれるでしょう。私たちが音楽を消費する側としてあくまでとらえるならば、自分に心地よくない演奏は好みでない、とすれば良い。しかしながら、この教会カンタータ年鑑(と4大宗教曲)において、S.Kuijkenが(師のLeonhardtから引き継いで)一貫して追求し続けているのは、あくまで「当時の音楽、演奏の姿はどうであったか」「J.S.Bachが意図していた演奏の姿は真に何か」という地道な研究と実践の成果に他ならず、それが私たちにどれだけ「うける」かは二の次、三の次です。これは昨年秋の来日公演でも顕かで、その追求の姿勢は決して止まることを知らず、常に自分たちが本当は知らないJ.S.Bachの音楽・演奏は何か、を過去の自分たちの成果には目もくれず新しいアプローチを試行し続けていました。従って、このOVPPによる教会カンタータ年鑑の完成(完成で無いと文句を言う方もおられるようですが)も、S.Kuijkenにとっては、長い長い追求途上の一里塚かも知れません。しかしながら、S.Kuijken/La Petite Bandeの意図がどうであれ、確かに言えることは、J.S.Bachのまとまった教会カンタータ集で、これだけ素朴で美しく、純な演奏は空前絶後であることで、そこには人を威圧するような堅苦しい大げさな音楽は皆無。ヨハネ受難曲やクリスマス・オラトリオの時にも強く感じましたが、まるで自分のご近所さんが集まって歌っているような、実際の生活に根付いたもの以外は存在しないような、身近で親しみやすい音楽ばかりが詰められており、演奏形態に対して好みはあるかもしれませんが、ここにある演奏の姿こそが、当時のLeipzigで日々の人々の生活・教会の営みの傍らをそっと支え続けたBachの音楽の、真の姿に(現時点で)最も近いのではないか、と(個人的には)強く感じます。この64曲の教会カンタータ演奏が全てに遜色の無い演奏ばかりとは言えないかも知れず、若く無名の演奏者を多く起用しているためか、部分部分でもちろん、過去の名演奏に及ばない演奏も多々あるでしょう。けれども多少の演奏の質のむらはあれ、総じて現在われわれが望み得る最も理想的なBach再現に近づいた演奏を、S.Kuijken/La Petite Bandeは(OVPPによるロ短調ミサ以来)実現しており、その演奏精度はやはり驚異的と言わざるを得ません。いくつかの記念日の曲が含まれておらず、また教会カンタータ年鑑の曲の選択もRichterなどに較べると、どちらかと言えばあまり有名でない地味な曲(S.Kuijkenの全ての曲に対する愛ゆえか?)が多いかも知れませんが、それでもこれだけ純で美しく愛らしく、そして最上質の演奏の教会カンタータ集は皆無です。決して派手でも華やかでもありませんが、古楽、バロック音楽、J.S.Bach音楽のファンだけでなく、すべての音楽を愛する人たちにお薦めできる最高の名盤と思います。

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     2018/01/08

    自分は普段、古典〜ロマン派の音楽を聴く人間でなく、最近ではBeethovenの交響曲も1年に1度も聴きません。交響曲全集に至っては5−6年に一度も聴かないのですが、そんな自分がこの全集の購入を思い立ったのは、ひとえにHerbert Blomstedtという音楽家に対して、これまでSKDで、SFSで、そしてN響で接した演奏において、非常な敬意を感じてきたからでした。特にSKDとのMozart、Brucknerは、いまだにあれ以上の演奏を知りません。近年は上記のようにあまりオケを聴かないので、Blomstedtとゲヴァントハウスの演奏を聴くのも初めてなのですが、全曲を聞き通して、ここまで響きの純度の高い、透徹したBeethovenの交響曲演奏は、いかにオーケストラ技術の進歩した現代でも、稀なのではないかと感じました。とにかく全曲どの部分にも、曖昧な部分が一瞬もなく、理知的に考え抜かれ整理され切った音楽であり、常に醒めた冷静な目で見通され、忘我とか熱狂とかから最も遠い構築的な名演奏と思います。こういったBlomstedtの音楽で最も感銘を受けるのは疑いなく、曲そのものが一種の哲学とさえ言える第9番であり、その崇高さ・気高さは他に類をみないものです。次いで、第8番の、超厳格な音楽構造に詰められた諧謔とユーモアのバランスが絶妙で、SKDの全集を遥に超える老巨匠の至芸が素晴らしい。これに対して、中期の4〜7番は、やはり透徹した、音楽構造をあくまでクリアに提示して、そのものに音楽を語らせる極めて客観的な演奏で、同じく名演奏ですが、これについては素晴らしい(クラシック以外の)音楽が世界中に溢れている現代において、果たしてこのように何も思い入れや感情を付与しない、Beethovenの音楽構造のみを提示する音楽がどこまで存在意義をこれからの世界で有していくのか、不安に思う瞬間が無くはありません。これは特に「田園」について強く感じ、とにかく隅々まで整理された教科書に載せるような美しい演奏ではありますが、一方で常に醒めた目を感じる冷静な音楽であるため、我を忘れた喜びや恐れ、感動や感謝といった感情は、聴き手によっては感じ難いかも知れません。とはいえ、初期の第1〜3番を含めて、これ以上ないくらいの磨き抜かれた響きによる名演奏ではあります。今日に生きる現代の聴衆にとって、本当に必要なBeethoven交響曲演奏は、未来に生き残っていくBeethoven交響曲演奏はどんなものか、Blomstedtのこの全集がその回答をどれだけ前向きに与えてくれるかは、難しいところかも知れませんが、それでも演奏レベル的に現在の最新のBeethoven交響曲全集としても(響きの純粋さと厳格さにおいてはRattle/BPOの新盤も凌駕する)最高のセットの一つであることは間違いないのではないでしょうか。

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     2018/01/03

    アルペジョーネ・ソナタは、Schubertの室内楽曲中の代表作であるのみならず、西洋古典音楽中でも、Schubert以外決して書けなかった傑作です。自分はこの作品を、この録音のFMエアチェックで初めて知り愛聴していたため、その後にチェロやヴィオラ、コントラバス、フルートなどで聴いても、どうも(特にモダン・チェロ)作品の味わいが殺されてるようで、他の楽器の録音は買う気になりませんでした。今回入手困難だったシュトルク/コンタルスキーの演奏の復刻CDが発売されてるのをみつけて、飛びついたように購入。久しぶりに聴くと、確かにチェロ演奏などに較べると、表現の拙さは否定しようもありませんが、一方でこの独特の軽くて浮遊するような滋味は替え難いものです。歴史的価値を越えた貴重盤として、残しておくべきものでしょう。ちなみに、すべての古楽器復興にみられた現象ですが、現在アルペジョーネの演奏技法はこの録音の頃より進歩していることは、いくつかの録音で証明されており、それらの盤に聴く「アルペジョーネによるアルペジョーネ・ソナタ」は、他楽器ではもはや聴きたくない、と想わせるレベルに近づきつつあることを、申し添えておきます。

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     2018/01/03

    この名高い盤は、40年近く前にテープで聴いていました。当時貧乏学生で、2枚組LPなど購入する余裕はなく、たまたま所有されていた友人の上司に頼んでもらって、録音してもらいました。今回、久しぶりにBregenz/Munchen3枚組を購入した機会に、(安くなってたので)初めてCD購入、それこそ30年ぶりくらいに聴き直しましたが、当時も前作のBremen-Lausanneに比較すると今一つであった印象を再確認した想いです。結局、K.Jarrettの音楽の魅力は、彼のルーツ(アメリカ黒人?)に根ざす土臭さ(素朴さ、純粋さ)と西洋音楽の伝統の高度なピアノ技法が、高い次元で衝突した時に現れ、Bremen-Lausanneの最終章(LP時代の第6面)はそれが最高潮になった希有な瞬間だったと思うのですが、このKolnはそういったルーツに根ざす土臭さは希薄で、代わりにほぼ、ショパン、ドビュッシー、ラベル、サティといったロマン〜印象派のピアニズムの最も安っぽい旋律・和声の模倣と、ブルックナーゼクエンツ風の反復進行が全体を覆っています。正直これだけロマン派・印象派のパクリの積み重ねなら、本家のクラシック作品を聴いた方がよほどましなのでは? ホテルや高級バーで流す高級BGMに流すのとしてはこれ以上はないのかも知れませんが、真剣に向き合うに耐えるだけの音楽ではない、というのが偽らざる印象です。この後K.Jarrettが自分の音楽に悩み続け、(決して一流の域にはなれないのに)BachやMozartを録音し、また一時期はピアノ演奏ができなくなるのも、ここにみる自分の音楽の価値が(彼自身の言葉とは裏腹に)よく解っていたからではないでしょうか...

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     2017/10/18

    最大級の絶賛を呈する宣伝とレビューに動かされ、またGardinerの新録音を購入してしまいましたが、予想通りが半分、予想外が半分、といったところでしょうか。予想通りなのは、合唱団としてもはや歴史的に越えるもののない伝統を誇る、モンテヴェルディ合唱団の演奏が手堅くまとまりがよいこと、さらにGardinerの演奏がやはり手堅く、誰にも文句のつけられないような最大公約数的、優等生的演奏であること。従って、どんなにまずい時でも平均的演奏以下に落ちることはまずあり得ません。しかしながら、それは同時にやりつくされ、型に嵌まった再現に傾く危険と裏腹で、実際この演奏からは新鮮さや緊張はほとんど感じられず、「ああ、またいつものマタイだな」という印象です。この西洋音楽史上の最高傑作であると同時に最大の問題作において、聴き手を新たに揺さぶってくる要素は極めて少ない演奏なのです。予想外なのは、ライブであることも大きいかも知れませんが、この超一流演奏者にして、ここまでに、というくらい演奏に粗さが目立つことで、合唱やソロのリズムが揃わないこと、バランスが崩れることが非常に多いことで、これは10年以上前のヨハネのライブを上回ります。ライブだけに非常に激しい場面の盛り上げは意図的に行われていますが、反面粗さが目立つために、何か非常に締まらないだらっとした印象を受ける場合が多いのです。ライブ会場ならこのような激しいけど粗い演奏も、感動に結びつくのかも知れませんが、CDとして聴いてみると素直に感銘を受けるのは難しいです。自分は決してGardinerのファンではなく、若い頃のGardinerのMonteverdiやBach演奏にみる、非常に鋭角的で前のめりなリズムがバロック音楽のものとしてはやや独特過ぎるようで馴染めませんでしたが、生命力に富んだ精緻で隙の無い演奏は、やはり替え難いものであったと思います。この10年くらいのGardinerの演奏は、上記の独特の「くせ」が影を潜め、どんなBachファンにも違和感のないような普遍的(常識的?)な外観をみせるようになった反面、次第に次第に演奏の精緻さ、厳しさは後退し、可もなく不可もない「型に嵌まった」平均的な演奏になっていくように思えます。偏見と言われればそれまでですが、やはり「老い」という言葉を思い浮かべざるを得ない、と言うのが正直な感想です。公平にみて、マタイの数ある演奏の歴史では、特筆するところのない、平均的な出来、というところではないでしょうか。

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     2017/10/15

    毎月毎月、次々に発売されるGoldberg変奏曲の、たぶん一部も把握できていないので全く偉そうなことは言えませんが、近年のGoldberg新録音中でも(特にチェンバロによるものの中で)最も新鮮なものの一つではないでしょうか。M.Esfahaniの録音中でも、おそらく初めてのJ.S.Bach本格的録音であり、そしてたぶん最も素晴らしい演奏の一つ(ラモーやC.P.E.Bachを未聴ですが)かも知れません。前作のW.Byrd, A.Scarlattiなど、ルネサンス・バロック作品における未だ食い足りない部分は、この録音においても、もちろん散見され、これまでの名匠達にみる時代的歴史的背景をしっかり踏まえた演奏には、まだまだ及んでいません。そもそも、Esfahani自身がチェンバロ演奏によって目指しているものが、現在に至る厳格で誠実な古楽演奏復興とは視点が違った、チェンバロによる過去から現在まですべての生きる音楽の演奏という要素が主眼である以上、当然ながら歴史的要素は希薄でしょうか。それでもこれだけ魅力的な演奏になるのは、M.Esfahaniの好演ももちろんですが、それ以上にGoldbergというとてつもない包容力を有した作品であることが大きいと思われます。J.MacGregorの演奏などでも強烈に感じましたが、この演奏ではGoldbergの各再現の向こうに、現代音楽から(ひょっとしたら)彼自身の生まれた非西洋世界、そして生まれ育った新大陸に及ぶ、非常に多様な音楽のルーツが見え隠れするような印象を持ちます。それは時とすると、バロック音楽としてのGoldberg再現には相応しくない要素もあるかも知れず、それが前々作の音楽の捧げ物などでは、ややマイナスに働いていたと思うのですが、ことGoldbergとなると、こういった異文化的な要素が加わることで、作品の魅力がさらに輝きをますように思われるのは、これまで幾度か経験したとは言え、改めて驚異的です。曲構造の再現、特に全体構造の再現において、未だに満足できない部分も皆無ではなく、今後も進化していくべき演奏、奏者であり、採点もやや甘いかと思いますが、それでも近年の新鮮なGoldberg好演として、Bachファンには一聴をお薦めしたいですね。

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