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QBE さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/10/18

    共感覚を持ち合わせていない私だが、メジューエワの音からは豊かな色彩が感じられる。妙な弾き崩しで誤魔化さず安定したリズムを刻む彼女だからこそ、なおさら多彩な音色が際立つのだろう。これまで耳にした誰よりもカラフルなピアノのドビュッシーである。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/07/12

    メジューエワが日本コンサートデビュー20周年を記念して東京文化会館小ホールで行ったリサイタル・シリーズのライヴ録音。それぞれベートーヴェン、ショパン、そしてリストとラフマニノフ、メトネルを取り上げた計三回の公演である。彼女は今年末に同じ会場でドビュッシーの前奏曲集第1巻と第2巻、映像を弾くことになっているが、こちらもライヴ収録されることを期待したい。ドビュッシーは以前にセッション録音しており、また当CDセットに収められた各曲にしても、ラフマニノフのソナタを除き複数の録音歴がある。彼女の著書を読めば容易に想像できるが、リサイタルの曲目一つ一つに緻密なアナリーゼを施したことを窺わせる楽曲の構造が浮き彫りになった演奏ばかりだ。このセットを聴く者は、彼女の拍子感と和声感が西欧音楽の保守本流を受け継いでいることに気づくだろう。要はウィーン古典派の時代に確立された感覚に則っている。一方、第二回で弾かれたショパンの音楽、とりわけマズルカはポーランドのお国訛りが強く、ウィーン古典派の感覚とは異なるものだ。同様に第三回で弾かれた、純ドイツの家系ではあるがハンガリーに生まれ異国の音楽環境の中で育ったリストの作品には、ドイツ・オーストリアの感覚から外れた要素が紛れ込んでいる。彼女のドビュッシー録音も優れた出来栄えだったが、所謂フランス的な演奏とは似ても似つかぬものだ。このようにアジアやアフリカといった諸国の民族音楽は勿論のこと、ヨーロッパに限ってみても地方毎に異なった音楽語法が存在する。それは、例えば西洋五線譜に記された記号の通りに弾いても上手くいかない場合があるということだ。その意味でメジューエワのアプローチは一面的に過ぎ、昨今はやりの「多文化共生」の流れに逆行していると言えるかもしれない。とはいえ彼女以外のいったい誰が、様々な国の古典から近現代に至る広大なレパートリーを一人で弾きこなすことが出来ようか。もしも彼女のこうした実験的試みが悲観的にならざるを得ないとしたら、それはルネサンス期以降、普遍的な能力で他を圧倒してきた西欧文化の一党支配が終わりを迎えようとしていることの一つの象徴かもしれない。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/12/04

    メジューエワは、ピアニストをショパン弾きとリスト弾きに分けるなら自分は前者だと自著で述べているが、どうしてこのリスト・アルバムは侮れない出来栄えだ。クラシック音楽愛好者の中にはリストを大袈裟だの虚仮威しだのと敬遠するケースが少なくないが、そういう人にこそこのCDを聴いてほしい。リストが書いたスコアを虚心に読み解いて音化すれば、こんなにも豊かで多様性に満ちた世界が立ち現れるのだから。メジューエワが愛する日本文化、たとえば歌舞伎の世界では優れた先人の芸を受け継いで私心を加えず後世に伝えることを尊ぶ。それは古典芸能に限らない。則天去私(漱石)や無私(小林秀雄)の精神もこのアプローチに連なるものだ。そして現代の日本でこの伝統を見事に体現しているのがメジューエワなのではなかろうか。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/09/09

    当盤はメジューエワがベーゼンドルファーを如何に弾きこなしているかが味噌醤油味の素。7月にリリースした二枚のCDではそれぞれスタインウェイとヤマハを弾いており、その違いを味わってもらおうという趣向だ。しかし、実演ならまだしも、セッションを組んで録音し整音処理されたCDの音でピアノ・メーカーの特徴をちゃんと聴き分けられるか甚だ心許ない。そもそも50歳を超えて聴覚が衰えた今、どこまで高い音が聴こえるのか。スマートフォンのアプリ「耳年齢チェック」で試したら14,000ヘルツ以上は全く聴き取れなかった。こんな塩梅だからベーゼンドルファーの音がどうのこうのと偉そうなことは言えない。ただ、彼女の紡ぎ出す音楽そのものを十二分に堪能したことを記しておく。録音に使われた楽器は相模湖交流センターが保有する一台だろう。その地で彼女は毎年のようにリサイタルを催しており、今年の1月は「テンペスト」を含むベートーヴェンのソナタ4曲を弾いた。このCDはその「テンペスト」を軸にシューベルト、リスト、ドビュッシー、ラフマニノフとレパートリーの広い彼女ならではのプログラム配列になっている。リスト作品はオリジナル曲のほかシューベルトとワーグナーを編曲したものが入った。7月の一枚もリスト・アルバムだった。リストは共感覚者として知られるが、残念ながら共感覚を持ち合わせていない小生にはリストが意図するところを十全に理解できそうもない。そういえば、ルービンシュタインのピアノ録音を聴いた作曲家(兼批評家)Sが、自分には高音域がキンキン耳障りに感じたのに対して若い録音技師には輝かしい音に聴こえたことで聴覚の老化を意識したと書いていた。晩年のリヒテルは音高が狂って聴こえたという。しょせん各人に固有の感覚フィルターを通してしか音を聴き取れないのなら、老化現象もまた自然なこととして付き合っていくしかあるまい。(-_-;)

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/08/04

    同じ日に発売されたシューベルト・アルバムとはピアノの音が明らかに違う。シューベルトではヤマハを弾いたライヴ録音だったが、このリストはスタインウェイのセッション録音できらびやかな音作りだ。とはいえ、一昔前のテクニックをひけらかすノー天気なリスト演奏とは一線を画している。いわゆるピアノの速弾きが今ではほとんど意味をなさなくなった。初音ミクをはじめボーカロイドが人間には不可能な速さで楽曲を歌いこなす。ピアノ演奏もしかり。この先ピアニストに求められる資質はコンピュータには真似できない身体性となろう。生きている身体と密接に結びついたリズム感覚、和声感覚であり、それに根差したデフォルメ表現である。メジューエワはリズム、和声とも鋭敏な感覚の持ち主だし、ときに大胆な表情付けを厭わない。このCDを聴く者はさまざまな作曲家を思い起こすだろう。ロマン派保守本流にとどまらない。第1曲から調性の安定しない箇所が頻出するが、のちのロシア・アヴァンギャルドや新ウィーン楽派の無調音楽まであと一歩だ。部厚い音の積み重なりは彼女が愛してやまないメトネルやラフマニノフに連なるものだし、第4曲「エステ荘の噴水」がフランス印象派音楽に影響を与えたことはつとに知られる。しかも彼女は、ドビュッシーやラヴェル、ベルクからルリエまでこれらの音楽をことごとくレパートリーに取り入れているのだから説得力がある。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/07/27

    レパートリーの広いメジューエワだが、中でもシューベルトと相性が良い。D946、D960とも実に三度目の録音で、今回はヤマハを弾いたライヴを収録したもの。いつもながらライヴの彼女は端正な造形の中に鬼気迫るものを秘めている。これほどの出来栄えなら同じ曲を何度リリースしてもらって構わない。フルトヴェングラー等に比べればものの数ではないし、演奏スタイルの違いとその背景に思いを馳せるのもまた格別である。ところで一昨日深夜のテレビ番組にライゾマティクスのメンバーが出ていた。ライゾマはPerfumeのライヴを演出して名を上げたが、Perfumeのライヴは予めエフェクトをかけて録音した歌唱に合わせて口パクし、プログラミングされたビジュアルエフェクトを用いて会場を盛り上げる。あれもまたライヴだとしたら、私たちがメジューエワを聴くクラシカルなスタイルとは随分かけ離れてしまった。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/05/23

    初期ロマン派のウェーバーからロシア近代のプロコフィエフまで、キッチリとキープされた拍節感覚から生み出されるダウンビートのスイングが、ジャズのそれとは違えど聴く者の心と身体を揺り動かす。他方で、変幻する和声とメロディラインが歌い上げるロマン的な感情のほとばしりは、ときに拍節の枷を壊して溢れ出そうな勢いだ。そのせめぎあいがギリギリのところでバランスしている稀有な演奏。こんなことが可能なのは心技体がピークにある現在のメジューエワなればこそだろう。彼女の貴重なライヴ録音を提供し続けている若林工房には感謝の言葉もない。さらに望むとすれば、ライヴ盤のブックレットにコンサート当日の様子がわかる写真をた〜くさん載せてください。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/03/20

    本盤のライナーノートで平野篤司氏はニーチェを引用してメジューエワを語っている。音楽の神アポロンの原理と、これに対立するデュオニュソスの原理の両方を兼ね備えた彼女のショパンは、聴く者に新しい認識を切り開く可能性を与えてくれると。しかしわれわれはアポロン的原理に対立するもう一つの原理、同じく音楽の神であるヘルメスが表象するものを知っている。アポロンの理性、デュオニュソスの熱狂に対して、ヘルメスは異化。音楽の異化作用に長じたピアニストといえば、彼女が私淑するリヒテルであり、またホロヴィッツである。アポロンとデュオニュソスという相反する要素を併せ呑んで大きくなったメジューエワのショパンだが、現時点ではヘルメス的なるものをそこに聴き取ることはできない。二人の偉大な先達にこの先彼女はどう対峙していくのだろうか。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/01/29

    昨年9月のライヴ録音。これとほぼ同じプログラムを同じ9月に別会場で聴いている。その時の感銘が蘇ってくることを期待して耳を傾けたが、願いは叶わなかった。録音会場である京都のホールよりずっと大きなハコで、ステージから離れた席だったこともあって、ここに記録されているような演奏の細部まで聴き分けられなかったのは確かだ。とはいえ同じ月に弾く曲の解釈そのものが大きく異なっていたとは思えない。このCDを聴く者は現役ピアニストが弾く最高レベルのショパンだとわかるだろう。どこが優れているのかもはや多言を要すまい。数年来彼女の演奏はずっとそうなのだし、同じ賛辞の繰り返しになってしまう。だからこそ実際に聴いた演奏がどのようなものだったのか思い出せないことがもどかしいのだ。もしも収録された会場に居合わせたとしてらどうだったろうか。感動したという事実は覚えているが、それを再現することが叶わないのは、私の耳がボンクラなのか。再生装置に限界があるのか。あるいは音楽を聴くという体験が元々そういうものなのか。

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     2016/10/31

    これは素晴らしいマズルカ全集だ。微に入り細に渡るスコアリーディングに基づいた一点一画もゆるがせにしない打鍵に加えて、生き生きとしたリズム、一瞬の変化も見逃さない鋭敏な和声感覚が備わったその演奏はまさに現代のスタンダード。半世紀前に録音されたルービンシュタインの名盤に匹敵するスグレモノだ。しかしながら、彼女のノクターン全集やワルツ全集を聴いたときにも感じたのだが、この五十数曲を数えるマズルカ全集を通しで聴くことにどれほどの意味があるのだろう。作品番号単位ならともかく、そんな聴き方は作曲したショパン自身思いもよらないはずだ。むしろ、納得がいくまで録り直したセッション録音は、ピアニストの基本的な楽曲解釈を参照するための辞書(データベース)として捉えるべきではないか。他方でライヴは、演奏会ごとに異なるプログラムのどこに配置されるかで、その曲の弾き方が変わる。ビートルズの名言にならって、彼女の解釈を知りたければセッション録音で、生身の彼女を聴きたければライヴコンサートで、とでもいうべきか。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/10/05

    6年前にリリースされたセッション録音と比較して、採用した版に異同はあるものの解釈自体に大きな変更はない。もっとも、当然のことながらセッションでは一曲づつ丁寧に録音するのに対し、ライヴでは作品番号単位に連続して弾かれたものを収録する。また、休憩をはさんだ前と後がそれぞれ一連の流れでプログラミングされるため、複数の曲を一つの塊として俯瞰的にとらえる視点がそこに加わる。さらに、居合わせた聴衆の反応や会場の大きさといった演奏会のつど異なる環境にも影響を受ける(9月に催されたミューザ川崎でのコンサートは明らかに空間が広すぎた。)。こうしたことから、全曲を聴き通しての印象は旧盤とずいぶん異なるものになっている。新盤の一貫した流れの良さは見事なものだが、旧盤の目の詰んだ演奏も捨てがたい。こうしたセッションとライヴの違いを先鋭に意識化したのがグールドであった。ライヴコンサートをドロップアウトした彼は、スタジオにこもってテイクを繰り返し、それらをつなぎ合わせて一つの作品に仕立て上げた。あれから半世紀を経て、今やコンピュータ(人工知能)がレンブラントの筆致と見紛うばかりの絵を描く時代を迎えている。10年ほど前には、グールドが弾いたゴルトベルク変奏曲の旧盤をコンピュータで解析し、彼ソックリに自動ピアノで弾かせた録音が出た。当時は賛否が分かれたが、今の技術を使えばもっと上手くやれるはずだ。日進月歩のコンピュータは芸術の分野にまで適用範囲を拡げつつある。そして、コンピュータとの親和性が高いのはライヴよりセッション録音の方だろう。この先、完全性を求めるセッション録音にコンピュータの関与が進む一方で、ライヴの一回性、祝祭性の価値はいや増すに違いない。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/06/28

    19世紀ロシアの四季折々の風物が一曲あたり僅か数分で慎ましやかに描かれたミクロコスモス。神は細部に宿るがごとく聴く者の心を癒してくれる。先行盤が表情たっぷりに歌っているのに比べて、村の古老が昔話を語るようにメジューエワは淡々と弾く。しかし、耳をすませば和声の繊細な推移を聴き取れる。この平静さがかえって失われた世界へのノスタルジアを掻き立てるのだ。ハリウッド映画に代表されるグローバル時代の過剰な演出に対するアンチテーゼ。遡ればシューマンやシューベルトにたどり着く初期ロマン派の正統な後継である。

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     2016/04/08

    ピアノ・ソナタ全集の掉尾を飾るアルバム。ソナタが素晴らしいのは予想通りだが、意外な聴きものが「サリエリの主題による6つの変奏曲」だった。こんなにもロマンティックな味付けが濃いモーツァルトは近頃珍しい。変幻自在なアーティキュレーションで変奏を重ねる毎にガラリと表情が変化する。それが実に自然なのである。程度の差はあれ同じことがソナタの変奏曲楽章にも見て取れる。こんなものを聴かされると、そろそろディアベッリ変奏曲あたりを録音してほしくなるのが人情だ。旧ソ連出身のアファナーシェフが言うことに、自由を求めて西側に亡命したけれど、西側は西側で商業主義に振り回されて真に自分のやりたい音楽ができない、ソ連は不自由ではあったが、純粋に芸術面を考えると悪いことばかりではなかった云々。その果てに彼は片田舎にひきこもることになる。音楽ばかりではなく美術においても同じような事情がある。20世紀の商業主義に毒されてしまった西側に比べ、ロシア革命が起きて以降交流が絶たれた東側には古き良き伝統が温存されていた。その一つが19世紀的なロマンティシズムではないか。メジューエワがピアノを学んだのは、まだ旧ソ連が崩壊する前のことだった。少し年長のキーシンや、米国ニューイングランド地方にひきこもってしまったフェルツマンの演奏にも古風なロマンティシズムが見え隠れする。そこにわれわれが魅了されるのだとしたら歴史の皮肉である。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/03/26

    性格の異なる二台のピアノを弾き分けたアルバム。Disc1はスタインウェイ、Disc2は100年前にチェコで製造されたペトロフが使われている。スタインウェイで弾かれるのはショパンとブラームス。彼女が過去にセッション録音したものが大半だが、ライヴらしいテンションの高さが改めて曲の魅力を明らかにしてくれる。とりわけ特徴的なのが深く打ち込まれた強音だ。鍵盤を叩いているといった方が的確かもしれない。そこから表出される感情の生々しさこそロマン派音楽に求められるものであろう。ただし、叩くといっても恣意的にブッ叩いているわけではない。楽曲の構造を見極めて、ここぞという音を強調するのだ。それがブラームスのリズムに対するこだわりを解き明かすことにもなっている。他方ペトロフは、スタインウェイに比べると倍音成分が少なく、メロディラインがクッキリと浮かび上がる。この楽器で弾いたモーツァルトとシューベルトは、ロシアンスクール出身らしい歌心に溢れた演奏だ。ウィーン古典派から初期ロマン派まではペトロフの方が向いているように思う。こうした配慮が出来ることがメジューエワの特長のひとつ。彼女は以前、ベルクのソナタ、シューベルトの第13ソナタ、シューマンのアレグロ、ブラームスのバラードを順に弾くという興味深いCDを作っている。かくのごとく考え抜かれた楽曲配列はリサイタルなら普通に行われているが、彼女ならではのプログラム・ビルディングでCDを録音できないものだろうか。○○全集みたいなありきたりの中身よりずっと興味をそそられる。販売戦略上難しいのか。(-_-;)

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/01/07

    まさに三拍子の競演といった趣のある一枚。このピアニストにしては珍しくルバートを多用しますが、うまくアタックを効かせているため拍子感が崩れません。どこぞの国の演歌歌手がルバートしまくった挙句、ほとんど無拍子の様相を呈してしまうのとずいぶん違います。昨年彼女がリリースしたゴルトベルク変奏曲も三拍子。あそこですべてのリピートを実施しながらリスナーを飽きさせることが無かったのは、ダイナミクスとハーモニーのコントロール、そして何より精妙なリズム感覚の賜物でしょう。今回のワルツ集もそれと同じです。ルバートが気に入らないという意見があるようですが、渡辺和彦氏に倣って彼女のワルツをスイーツに譬えると、濃厚なクリームや匂い立つ香料をふんだんに使った洋菓子といったところ。こうした欧州伝統の美食はしかし、人によっては胃にもたれるかもしれません。彼らはカロリーの高い洋菓子よりさっぱりとした和菓子の方が良いのでしょう。とはいえ、この贅を尽くした味覚を楽しまないのはモッタイナイ。

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