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meji さんのレビュー一覧 

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  • 12人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/11/12

    本曲録音史上最高の優秀録音の待ちに待ったシングルレイヤー化である。FIMのXRCD24は所有していたものの、国内ハイブリッド盤は買い損ねたため、今回の最新リマスターによるSACDには大きな期待に胸を膨らませパッケ−ジを開封した。そして再生ボタンを押すと同時にサーという心地よいヒスノイズとともに、超低域成分を含むキングスウェイホール特有の洞窟のような暗騒音が聴こえてくるはずであったが、残念ながら聴こえてこなかった。
    確かにスピーカから出てきたサウンドは、素晴らしく精緻でこの上もなく美しかったが、一方で綺麗に整理されすぎた余所余所しさを感じてしまうのには大いに戸惑った。
    デッカの御大K・ウィルキンソンによる定評ある録音は相変わらず素晴らしく、キングスウェイホールを満たした豊饒な音響をミニマルマイクで細大漏らさず掬いあげており、左右の音場はスピーカ間隔を越えて大きく広がり、
    奥行きはスピーカ背面の壁を突き抜け遥かかなたまで伸びていく。さらに個々の楽器のミクロディテールと豊かなホールアンビエンスのバランスは信じ難い高みに達しており、最新のDSD録音をもってしてもこれだけの情報が詰まったディスクを探し出すのは容易なことではない。しかし今回のリマスターでは、テープヒス成分のみならず、超低域まで伸びたホールの暗騒音成分までもを処理してしまった結果、本録音を特徴付ける演奏者の気配や臨場感は希薄になってしまたことは本当に残念である。確かにいかにもアナログライクなイコライジングが施されたXRCD24と比べて、ナチュラルでフラットな音色といい、ミクロディテールの情報量といい、SACDの優位性は揺るぐべくもなく、サウンド自体にはなんの不満も感じないが、楽音以外の重要なノイズ情報の欠落は大きなフラストレーションとして聴き手を悩ます。
    本シングルレイヤーシリーズも回を重ねるにつれ、リマスタリングエンジニアやリマスタリングポリシーが変化しているのかもしれないが、元が優秀なソースであれば、耳障りなドロップアウトや電気的・機械的なノイズのみを最低限補正するだけで良く、音質を変化させるフィルターやイコライジングは全く無用であり、あとは聴き手が好みの音色に再生機器をチューニングすれば済む話である。ついては今後のシリーズのサウンドについても注視して行きたい。
    なお先般ショルティの新しいリングBRディスクで話題になっている通り、
    〜60年代のオリジナルアナログマスターテープの劣化が相当進んでいるとのことである。ユニバーサル社には一日も早いデッカ黄金期のアナログ優秀録音全曲のハイレゾデジタル化を進めて欲しいし、80年代以降のデジタル録音においても(デッカはデジタル最初期から48khz-18bit収録)、J・ダンカーリーが収録したデュトワのモントリオール録音や、シャイーのコンセルトヘボウ録音といった超HiFiディスクのSACD化を強く要望する。

    12人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/11/06

    パーカー&ビショップコンビによるアビーロードスタジオでのセッションで、アナログ末期の録音となると、精緻でかつ目くるめく絢爛なブリティッシュサウンドを思い浮かべるが、発出のLPは残念ながら当時流行りのSQ4チャンネル用のミキシングがなされたせいか、スピーカから流れてきたアビーロードスタジオとは思えない過剰な残響と位相のずれた混濁したサウンドに大いに失望した記憶がある。
    今回のSACDは8CHのオリジナルマルチトラックマスターテープから新たにミキシングされており、パーカーによる「純正サウンド」とは別物になるわけだが、元のLPのサウンドイメージに最大限の敬意を払っての極めて良心的な仕事が行われており、洞窟を思わせる豊かな残響と深い奥行き感を生かしながらも、個々の楽器のディテールをしっかりと描き出している様は、
    後にデッカのJ・ダンカーリーがモントリオールでのデュトワ録音で成し得たような、デジタル成熟期の録音パターンを彷彿とさせる。
    全盛期のジュリーニの指揮もベストフォームを示しており、ディテール隅々までこだわりぬきながらもいささかのあざとさを感じさせず、晩年のACO録音で聴かれるような重苦しさとも無縁で、ボヘミアの高原を吹き抜ける清涼な空気に満ち溢れている。
    最後に、EMIジャパンのパッケージもライナーノーツも相変わらず最高に貧弱だが、今回はマスターテープの写真が1枚掲載されていたのは評価したい。録音場所にはNo.1、エンジニアはCPと簡略なサインが書かれているのを見るにつけ、かかる偉大な録音が現代ではすっかり途絶えてしまったことを憂うのみである。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 12人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/21

    国内版新全集は、ステレオサウンド誌の「オーディオファイルのための珠玉の音楽ディスク」にも取り上げられていたが、新しいリマスターであり、素晴らしくフレッシュかつナチュラルなサウンドに生まれ変わっている。比較的デッドなCBSスタジオでのセッションで、近接マイクによる直接音主体の録音はペダルやハンマーアクション、演奏者の呼吸といったノイズ成分と共に、演奏のディテールをリアルに切り取っており、自宅にクラウスを招いて小型のグランドピアノで演奏しているかのような錯覚すら覚える。これほどの音質改善を果たしながら、タスキにも解説にもリマスタリングに関する記載がどこにも見当たらないのは真に不思議なことである。下でカザルスKJ氏も書かれているが「金ダライを叩いているかのような音質」という宇野評にひきずられてこのディスクの購入を未だ躊躇しているファンが居るとすれば、本当にもったいない話である。本全集はマストバイだ。

    12人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/05

    音質については下のJhon Cleese氏のレビューに全面的に同意するものである。従来のG・ヘルマンスによる純正のミキシングとは全く異なり、オリジナルのマルチトラックマスターから新たなミキシングし直したものである。この特徴は以下の2点に集約される。**** @現代の流行に従ってメインマイクと残響を拾うアンビエンスマイクを主体とし、個々の楽器に向けられたピックアップマイクのバランスを低くすることで、できるだけ自然なサウンドステージの再現を狙っている。ASACDの広大なDレンジを最大限活用したノンリミッターミキシングで、特にティンパニやバスドラムの迫力が増大した。*** その結果従来のゴリゴリと押しまくる重戦車のようなベルリンフィルのメカニカルな迫力は薄れてしまった。果たしてこのようにカラヤンが承認したのはと明らかに異質なサウンドが、高音質SACDとして堂々と発売されることが許されるのかどうかについての議論は、リミックスには付き物だが、ここはひとつマルチマイクの悪い見本の象徴だった70年代のDG録音が、自然な姿で生まれ変わったことに対して賛同することとしたい。一方でアナログ後期のマルチトラックマスターに遡ってのリマスターでは、カラヤンの2度目の幻想交響曲のOIBPで鐘の音が別物に化けてしまったり、小沢のローマの松のSACD-SHMでナイチンゲールが欠落するといった瑕疵はつきものである。とは言ってもマニア向けの高額ディスクなのだから、ユニバーサル社はエミール・ベルリナースタジオのミキシング担当者名を明らかにすべきであるし、ミキシングのバランスを変更した理由やリミックスのコンセプトについても堂々とブックレットに明記すべきである。初出のLPから親しんできた名盤の待ちに待ったSACD化ではあったが、この辺りの情報の出し渋りを考慮し★4つとした。はたして天国のカラヤンはこのサウンドをどう評価するのだろうか?

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/15

    まずはK・ウィルキンソンによるアナログ末期の超ハイファイ優秀録音がこうしてSACD化されることに対してユニバーサル社に心より感謝の意を表したい。ウィルキンソンにとってショルティ&シカゴSOによるメディナテンプルでのセッションは73年から数えて3シーズン目を迎え、指揮者、オケ、ホール、エンジニア四者が互いの個性や特徴を知り尽くした状況での万全のセッションであったし、この月はウィルキンソン本人も絶好調であり、クリーブランド録音ではマゼールと「ローマの祭・松」を、シカゴ録音ではショルティと「さまよえるオランダ人」といった超優秀録音を立て続けに生み出している。本ディスクにおいても「牧神の」の冒頭ではフルートソロがスピーカの後方数mにピンポイントで定位し、その生々しいブレスノイズと相俟って奏者の口元まで見えるようだし、続くホルンがフルートの後方やや左よりからメロウで肉厚なフルボディサウンドでこれに応えると同時に、ステージの左奥からハープが艶めかしくも鋭い立ち上がりでぬうっと顔を出す部分の3次元的なパースペクティブは、ウィルキンソン録音の真骨頂であり、聴き手はスピーカの存在を忘れ、30数年前のメディナテンプルにワープする。このような超ハイファイサウンドで「牧神」を聴くと、20年後にパリの聴衆を騒然とさせたストラヴィンスキーの「春の祭典」は、冒頭のフルートこそファゴットに置き換えられてはいるが、この「牧神」を下敷きに作曲されたことを確信させられる。「海」も「ボレロ」も数多ある同曲録音の最高峰に位置する偉大な録音である。ショルティ&シカゴの演奏は恐ろしく精密なアーティキュレーションによりスコアに書かれた全ての音符の再現を試みているが、その結果これらの有名なフランス音楽が、フランスのオケによる定番の名演よりフランス的に聴こえてくるから不思議だ。SACDもこのような70年代のアナログ円熟期の超優秀録音でこそその本領を発揮できると考えるので、ユニバーサル社には是非ともマゼールの「ローマの祭・松」、メータの「トゥーランドット」、ショルティの「春の祭典」「幻想」「千人」といったウィルキンソン録音の最高傑作をシリーズに加えることで、オーディオファイルの長年の渇きを癒してほしいものだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/03

    SACD評。タスキには「オリジナルアナログマスターテープからのリマスタリングは今回が最後」などとマニア心を煽りに煽るキャッチコピーが記されて
    いるが、アナログマスターテープ特有の、羽毛の繊維の一本いっぽんまで識別できるかのようなミクロディテールの解像度と、いかにも柔らかな手触り
    の暖色系のトーンは、本演奏が有するのっぴきならない緊張感に加えて、天国的な平穏さをも聴き手に届けてくれる。今回クレスハイム宮以外の録音会
    場も初めて明らかにされたが、会場毎の音質差を明瞭に聴き取ることができるのもSACD再生ならではの楽しみだ。 第1巻では雀とおぼしき鳥の声が盛ん
    に聴こえるナンバーがあるが(6、8、10、12、23、24番。ヘッドフォン試聴なら他の曲でも聴きとれるかもしれない)、このベーゼンドルファーをシルクの紗でくるんだような、まるでミュートしたハープシコードを思わせる独特の響きと、木質調の豊かなホールレゾナンスは、第2巻では聴かれないことから、これがエリーザベト教会でのセッションと考えて間違いないだろう。改めて聴き直すとこの会場では荘重な短調のナンバーや、長調でもゆったりとした曲調のナンバーが多く収録されていることがわかる。リヒテルは演奏会場の雰囲気を重んじる演奏家だったので、緑と野鳥の声に包まれた(であろう)この教会の音響と雰囲気をよほど気に入っていたに違いない。なお第2巻ではウィーンコンツェルトハウス内のポリヒムニアスタジオも用いられている上、クレスハイム宮で収録されたと思われるナンバーにおいても、距離感にしろ間接音の取り込み量にしろ第1巻とは随分違う。このようにSACD再生ではアルバムとしての音質上の統一感の無さが露呈するが、聴いていて何の不満や違和感を覚えないのは、リヒテルというピアニストの強烈な個性によるものであろう。いずれにせよHMVレビュー件数において群を抜く名盤が決定的な音質で蘇ったことに快哉を叫ぶものである。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/04

    フィッシャーのマーラーチクルスも回を重ねる毎に深みと凄みを増してきた。今回の「巨人」は演奏、録音ともに間違いなくこれまでのベストであり、数ある同曲のディスクの中で最高位に掲げても異論を唱える人は居ないのではないかと思われる。ミクロディテールの表現から最強奏部におけるマスの迫力に至るまで、一音たりとフィッシャーの統率化に無いものはなく、その一糸乱れぬアンサンブルも凄いが、なによりも指揮者のマーラーの精緻なスコアに対する深い読みに感心させられる。恣意的とも思える部分も無いわけではないが、そこはさすが地元(?)の強みで、その表現にはある種の必然性を感じることができる。第2楽章のオクターブ跳躍するリズムひとつをとっても、スコアに忠実でありながら(タラッ、ラーでは無く、タラ、ラー)躍動感を全く失っていない演奏はめったにお目にかかれない。このように考えに考え抜かれた大人の演奏を聴くと、巷で評判のホーネックなどやんちゃ坊主の悪戯のように思えてしまう。さらに今度のDSD録音は深々とした超低域方向の伸びが著しく、どっしりとしたピラミッドバランスの上にフラットでブリリアントな高域が美しいホールレゾナンスを伴って再生される様は、往年のK・ウィルキンソン録音をも彷彿とさせる素晴らしい仕上がりだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 21人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/03

    本BOXの売りである「96khz-24bit super digital transfer」についてはブックレットにも少しばかり触れられているが、仕上がりは従来のレジェンズやオリジナルスと全く同等の仕上がりであり、まずは70年代のアナログ録音の極致ともいえる超ハイファイサウンドが、これだけまとまった量で、しかもこんなに安価で再発されたこと自体が驚きであるが、これらの録音の多くがDecca伝説の名エンジニア、ケネス・E・ウィルキンソン円熟期の名録音であることを考え併せると本BOXの持つ価値はまことに計り知れない。
    この当時のショルティ&シカゴといえば、アンサンブルの正確さと圧倒的なパワーにおいて「世界最高」の名を欲しいままにし、毎月のように発売される新譜は、演奏、録音共に最高評価を得ていたが、これがウィルキンソンの類まれなる録音技術に支えられていたことは、あまり知られていない。特にデジタル期に入るとこれらの優秀録音はほとんど無視され、高音質を売りにしたリマスターCDは「春の祭典XRCD」「第九XRCD」「夜の歌オリジナルス」「千人レジェンズ」等に限られ、その他多くのCDは、コピーにコピーを重ねた孫世代のマスターテープから安易にAD変換されたもので、その情報量は著しく少なく、生気のない混濁した音からは、演奏の正しい姿など到底知ることができない粗悪品ばかりであった。しかし今回の最新リマスターは、どれも最新のDSD録音ですら足元にも及ばないような優秀録音に生まれ変わっており、録音後40年近い時を経てようやくオリジナルマスターテープが有する膨大な情報の全てが明らかになったことに思いを馳せる時、リマスタリングという作業は、畢竟、考古学の遺跡発掘と同じであることを痛感した。
    本BOXにおけるショルティ&シカゴ録音のセッションでは、イリノイ大学クラナートセンターとシカゴのメディナテンプルに加え、ウィーン楽旅の際のゾフィエンザールがあるが、ウィルキンソンがこれら性格の異なる3つのホールのアコースティックと、シカゴ響のソリッドかつパワフルなサウンドの特徴をミクロディテールの域まで細大もらさずテープに収めきっているのを聴くと、改めてその鮮やかな手腕に感服する(ロンドンのオケを振りキングスウェイホールで収録されたナンバーの素晴らしさはすでに至る所で語りつくされているのでここでは取り上げない。)ウィルキンソンが担当したナンバーは、それこそ全てが優秀録音であるが、ここではその中の頂点に位置する「幻想交響曲」を紹介したい。
    CDをトレイに載せ、再生SWを押すと同時に聴こえてくる暗騒音からは、クラナートセンターの巨大な容積がリアルに伝わり、序奏の弱音器を付けたバイオリンと対話する低弦がこれほど豊かな量感で捉えられた録音は他には存在しない。この序奏だけでもDレンジの振幅とFレンジは気が遠くなるほど大きいが、ウィルキンソンは単にオケの音量差をテープに収めるのではなく、音量変化に伴う楽器の音色の変化や、ホールレゾナンスの変化をも細大逃さず捉えることにより、リスナーはホール内部の音圧の変化や空気の動きまでをも体感することができる。主部に入って惹きつけられるのが、バイオリンが奏する主題にユニゾンで付き添うフルートである。その音色や定位の正確さはもちろんのこと、音源が点ではなく、奏者の喉や管の共鳴も含めた三次元的なものであることがを、これほど実感させる録音はけっしてないし、薄気味悪いほどリアルな奏者のブレスノイズを聴く時、演奏者とリスナーの間にマイクやアンプやテープ等が存在することを全く感じさせない。これ以外にもゴム毬のような弾力と大砲のような迫力を併せ持ったティンパニ、音にならない地響きを伴ってリスニングルームを揺らすバスドラム、ホールの壁面まで共振させることで暴力的ともいえる低域のパワー感を高めた金管群など、本録音の特徴を挙げればきりがないが、全ての楽器が、幻想交響曲が持つ「熱狂」「狂気」「陶酔」「夢遊」「静寂」「獰猛」「冷酷」「情熱」「偏執」「豪華絢爛」といった支離滅裂な異常感情を伴って、巨大なスペクタクルでスピーカから飛び出してくる様は、ウィルキンソン録音の真骨頂だ。ショルティ&シカゴの演奏は、スコアに書かれている音符の全てを、極めて忠実かつ克明に描きだしているが、ウィルキンソンによるスペクタキュラーな優秀録音とあいまって、本ディスクを聴くという行為はこの曲の本質を理解することと等しいことが容易に理解できるだろうし、この演奏を「デリカシーが無い」とか「うるさい」とか「無機的」と評する人は、そもそも幻想交響曲には縁が無いと言わざるを得ない。
    最後にライナーノーツには、デッカの録音がマルチマイクの見本のように書かれているが、ウィルキンソン録音のややオフマイクでステージを捉えた、広大なパースペクティブを聴けば、誰もがこれが大きな誤解であることが理解できるだろう。また日本語訳も「何これ?」と思うような妙ちくりんな表現が多いが、これはこれでご愛嬌として許すとしよう。
    本BOXは、ショルティファンやオーディオファイルはもとより、ここに収録された曲の本質を理解したいと考える全ての音楽ファン必携の名盤なのである。

    21人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/29

    海外盤のハイブリッドは既に廃盤で巷では1万以上の値が付いており、待ちに待ってのSACD-SHMであったが、レイ・フォウラーが収録したステレオバージョンではなく、ジャック・ヒギンズが収録したモノラルバージョンでがっかり。しかし気を取り直してOJCの24bitリマスター(ステレオ)と比較してみると、キレは味鋭いサウンドとシャープな音像はステレオを上回り、ブレスノイズも豊かでSACDの有する情報量の違いを実感した。さすがにリスニングルームがそっくり録音会場と置き換わるようなナチュラルな臨場感は得られないが、これはこれで十二分に聴きごたえがある。しかしモノで聴いてもステレオで聴いても良いものは良い。さすがモンクだ!

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/27

    この日のN響の鳴りはいつもとは完全に別物だった。ブル8のチケットはとうに売り切れ、この日のチケットも残すところわずかであり、手にしたシートも3階席右という音響的にも視覚的にも劣悪な条件下ではあったが、当日NHKホールを満たしたサウンドはこのハンディを全く感じさせることなく、パワフルで明瞭なサウンドがステージからハイスピードで耳に飛び込んで来たことに大きな衝撃を覚えたものであった。指揮者の巨体からは強いオーラが発散され、いつもは一丁上がり的に済ましがちなN響も、この日ばかりは何ものかに憑りつかれたようなひたむきさで音楽に没頭しており、コンサートというより、神聖な儀式に立ち会っているかのような錯覚に陥った記憶がある。そして指揮者がまるで会釈するかのように太い右手を不器用に上げるやいなや、NHKホールの天井が吹き飛ぶ程の凄まじい音響に膨れあがり、指揮者、オケ、聴衆が三位一体となって演奏のクライマックスに向かって盛り上がっていく際の尋常でない緊張感と興奮は後にも先にも経験が無く、最後の音が鳴り終わると同時に涙が溢れ、指揮者の姿が滲んでしまったことが昨日のことのように思い起こされる。今回のSACDのサウンドは音の傾向は先に発売されたXRCDと同じであり、デジタルマスターも同一だと思われるが、情報量の違いは歴然であり、Dレンジの拡大も目覚ましい。この違いはボリウムを原音域まで上げていくとさらに顕著になり、マタチッチならではのテンポやダイナミクス表現上のデフォルメがリスニングルームにおいても明瞭に再現され、それがスコアにそう書いてあるかのように必然性を持って鳴り響くのを聴くとき、当日の記憶がみるみるうちに蘇る。第7に例をとれば、第1楽章序奏で高弦が高らかに序奏テーマを歌う箇所で、音程を1オクターブ高く奏するのには、いきなり度肝を抜かれ、序奏の余りに速いテンポに入りが遅れたオーボエがすかさず遅れを取り戻す場面のスリリングな展開に冷や汗をかき、序奏最後のアッチェレランドではこの先どうなるのかと固唾を呑んで前傾姿勢で構える。主部の主題を強奏する4本のホルンがステージの後壁をビリビリと振動させる迫力に思わず姿勢を正し、展開部のクライマックスで基本リズムをイ短調のトゥッティで刻む箇所では、トランペットの高A音の強奏に身体がのけ反る。コーダで次第にクレッシェンドしていくコントラバスによるオスティナートの地響きでは手にびっしょりと汗をかき、最後のホルンの獰猛な咆哮では風圧で吹き飛ばされないよう恥も外聞も捨てシートにしがみつく。スケルツォでは、トリオのクライマックスでの耳をつんざくようなトランペットの雄叫びに甘美な陶酔感に恍惚状態となり、終楽章展開部に入っての第一第二バイオリンとビオラ、低弦とのやりとりで、倍近くテンポを落として粘りに粘る部分に至っては、脳味噌がグチャグチャにかき回され、自分が何の曲を聴いているのかすら分からなくなる。そして最後に訪れる地を穿つようなティンパニの強打と、最高音域を最強音で吹き鳴らす金管群のこの世に限界など無いと言わんばかりのパワーに、NHKホールががらがらと音を立てて倒壊する。例によってトランペットの北村源三は最初の音からズッコケているが、その後は往年の輝かしい音色を取り戻し、まるで黄金時代のレニングラードフィルを聴いているかのような錯覚に陥る(誉めすぎ?)。特に終楽章コーダで赤鬼のような形相で最強音を発する北村源三のトランペットがパワー、輝き、厚みを失わずに再生される瞬間は本SACDの白眉だ。

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     2012/06/07

    いかにもヴァントらしい細部の細部まで磨き上げられた、荘重な「展覧会の絵」だ。弦や管のバランスは常に最上に保たれているが、ここぞ言う時の迫力は凄まじく、特にバスドラムの地を穿つような一撃には、背筋が凍りつくほどの戦慄を覚える。特にユニークなのは、随所にブルックナーのシンフォニーを彷彿とさせる響きが聴かれることで、冒頭プロムナードの金管の合奏は第5の序奏のコラールのようだし、カタコンブに至っては第9番のアダージョと見紛うばかりの深淵さだ。録音も地味ではあるが、楽音もホールレゾナンスも極めて忠実に収められており、マルチマイクを感じさせない自然なサウンドステージの再現性には好感がもてる。聴衆ノイズの処理も過度に陥ることがなく、今流行りの「無騒音ライブ録音」のような違和感は少ない。特筆すべきはバスドラムがノンリミッターで超低域までしっかり収録されていることで、ここにもエンジニアの良心を感じとることができる。
    この度のSACDは、初出CDと比べマスター由来の明確な音質差は感じないが、余裕あるDレンジと弱音部での情報量の増加が、演奏のゆとりの表出に大きく貢献しており、スケールが1回りも2回りも大きくなったような印象を受ける。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/06/06

    「この世に存在する無数のツァラトゥストラ録音の中で最高の一枚はなにか?」95年にエンジニア、J・ダンカーリーが録音した本ディスクはこの質問に対する極めて明快な回答だ。ツァラの名録音というと、デッカ伝説の名ミキサーK・ウィルキンソンが1975年に収録した、ショルティ&シカゴ盤が真っ先に思い浮かぶが、現状のCDのリマスタリングは万全とは言い難く、残念ながらマスターテープに収められた膨大な情報量の片鱗しか窺い知ることができない。このようにウィルキンソンのツァラが不遇な状況におかれている現在、本ディスクをもって「世界最高のツァラ録音」と言い切ることになんら躊躇を感じない。収録は95年3月であるが、この頃のダンカーリーは最も脂が乗り切っていた時期で、シャイーの「夜の歌」「火の鳥」、デュトワの「タコ5」といった超優秀録音を生み出しているが、その中でも本録音は、いかにも西海岸を思わせる明るく爽やかでカラフルなオーケストラサウンドが特徴であり、3D的なサウンドステージと相まって、R・シュトラウスの音楽の持つ魅力の全てをリスニングルームで満喫することができる。
    冒頭のオルガンペダルによる32.7Hzの超低音は、ほとんど感じとれない最弱音で開始されるが、3回目のファンファーレの途中から急激に盛り上がり、耳ではそうと認識できなくても、部屋の音圧が一気に上昇しリスニングルームの床や壁がぶるぶると震え始めることで、その尋常で無い音圧の高さを身体で感じることができる。トランペットのファンファーレはステージの遥か奥から聴こえてくるが、それがフルオーケストラで盛り上がった時、指揮者のやや後方におかれたリスニングポイントを中心に左右のスピーカーの外側まで広がったシネマスコープを思わすパースペクティブと、ステージの隅々までパンフォーカスされたシャープなピントに思わず息を呑む。またCDの限界を極めたかのような打楽器群の再現性も信じ難い高みに達しており、ヘッドの振動まで見えるかのようなティンパニのリアリティや、獰猛なまでの風圧でリスナーを襲うバスドラムの迫力は本当に鳥肌モノだ。
    しかしダンカーリー録音の本当の凄さは、どんなにオケが混み合い音量が膨れ上がっても、サウンドステージのパースペクティブがブレることが無く、全ての楽器が混濁とは無縁の見通しを確保し、シルキーでスウィートな音色を失わずに、涼しい顔をしてリスナーの前に次々と現れることであり、リスナーはまるでデイヴィスホールの最上席に座っているかのような甘美な錯覚に陥る。この一種独特の爽快感こそダンカーリー録音の真骨頂であり、師匠であるウィルキンソン録音をも凌駕する偉大な瞬間だ。
    なお本ディスクには92年にJ・ロックが同ホールで収録した「英雄の生涯」も収められているが、この録音がまた予想に反して素晴らしい仕上がりであるのが嬉しい。ロック録音の常として、個々の楽器の存在感とパワーを強調するあまり、ピックアップマイクをクローズアップ気味にミキシングしてしまう傾向があり、不自然なサウンドステージ、刺激的な高音、楽音とホールレゾナンスの分離、全奏部での混濁といった、マルチマイクの弊害の方が却って目立つケースが少なくない。しかしながら本録音では、メインのデッカツリーマイクとのバランスが極めて自然であり、ディテール、パワー、ホールレゾナンス共に高い次元で融合した、パワフルで濃密なオーケストラサウンドを満喫させてくれる。
    ブロムシュテットの指揮も彼のベストフォームを示しており、曲想の抉りも深く、ダイナミクスのコントロールもオケのドライブも完璧だ。この録音を聴いていると、長身を左右にリズミカルに揺らし、短く垂らした金髪の前髪をさらさらとなびかせながら、颯爽と指揮棒を振る姿がスピーカのすぐ後ろに見えてくるようだ。本ディスクは、オーディオファイルにとっても、R・シュトラウスファンにとっても、ブロムシュテットファンにとってもマストバイの世紀の名盤である。

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     2012/05/15

    74年にゾフィエンザールでゴードン・パリーによって収録されたアルバムである。ゾフィエンザールで室内楽のセッションが組まれること自体が非常に珍しいが、これをオーケストラのマッシブでパワフルなフルスケール再生を得意としていたパリーが録るとどうなるのか?非常に興味深いディスクである。弦楽合奏を彷彿とさせる分厚い響きは室内楽録音としては明らかに異質ではあるが、ウィーンフィルメンバーによる美音とゾフィエンザールの木質系の豊饒なレゾナンスによってまるでブルックナーの新しい交響曲を聴いているかのような甘美な錯覚に陥る。シュミットの五重奏曲でのマットで重厚なピアノ(恐らくベーゼンドルファーであろう)の響きも実に魅力的である。ブルックナーの音楽やウィーンフィルを愛す人にとってマストバイの一枚だ。

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     2012/05/01

    オケ版はアシュケナージ編曲とされているが、実際にはラヴェル編曲にアシュケナージが手を加えたものと考えるべきである。録音はJ・ダンカーリーで会場はキングスウェイホールとくれば、めくるめく超ハイファイ録音を期待したが、スピーカーが出てきた混濁気味のサウンドにがっかりした。尤もこれはエンジニアの問題ではなくアシュケナージによるオーケストレーションに責があると見てよいだろう。アシュケナージの編曲は音量のさらなる拡大を狙ってか、旋律をいくつもの楽器で重ねる傾向があり、おかしなところで打楽器も追加されている。ラヴェルの魔術的なオーケストレーションだけでも十分カラフルかつパワフルなのに、これでは却って音は濁り拡散してしまう。「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」と「リモージュの市場」の間のプロムナードも原曲通り復元しているが、ピアノ原曲では口直しになるこの曲は、オケ版となると冗長さを感じさせ、なぜラヴェルが割愛したのかの理由が、初めて解き明かされた思いだ。また楽器の改変もきわめて凡庸な発想から生まれており、古城をイングリッシュホルンで、ブィドロをホルンで、シュムイレをバイオリンソロに変えるなど聴く前からバレバレだし、カタコンブ前半やキエフの大門の終結部における打楽器の追加に至っては、音楽的センスを疑いたくなるような悪趣味さだ。ピアノソロの方は、原曲の改変を行わない範囲でシンフォニクな響きを目指したもので、特にダイナミクスの振幅が大きくとられている。ただし「グノムス」でのグロテスクさ、「古城」での寂寥感、「ブイドロ」での遠近感、「リモージュの市場」での喧騒、「カタコンブ」での冷気と神秘性、「キエフの大門」での敬虔な祈りといった、曲が持つ独自の雰囲気は全く伝わってこない。この時期のアシュケナージは、既にピアニストとしてのピークを通り越していたのかもしれない。ムーアフットによるデジタル録音も、「超絶技巧練習曲」の時のような「芯の強さ」「腰の粘り」を失い、まるでスタインウェイの骸骨が鳴っているようだ。

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     2012/05/01

    このディスクを単に「DG録音による気軽な現代吹奏楽集」と侮ってはいけない。ディスクをトレイに載せ最初の音が出た瞬間から、これがとんでもない誤解であることに気付き、聴き進むにつれ、これが究極のデモンストレーションディスクであるという大きな確信に変化していく。尤も最初に録音クレジットを確認してさえいれば、このモンスター級のサウンドが容易に想像つくわけで、プロデューサーはトーマス・モウリー、バランスエンジニアはマーク・オウボールという、録音界の名人同士の一期一会の邂逅によって生みだされた夢のような録音である。ここでモウリーとオウボールは、イーストマン吹奏楽団の高度な演奏技術と一糸乱れぬアンサンブルを、録音会場のシャープなアコースティクとクールなレゾナンス共々、最小限のマイクで空間ごと切り取ってリスナーの前に提供してくれる。原寸大のサウンドステージを俯瞰する広角のパースペクティブは実にスペクタクルであり、個々の楽器は、隣り合う奏者の左右前後の関係が間違いようもない正確さでピンポイントに定位する。そしてバスドラムやティンパニの一撃は地を穿ちリスニングルームをぶるぶると揺らす。三曲はどれも非常に高度なテクニックを要求するシリアスな音楽だが、様々な楽器と多様な奏法が生み出すカラフルな音響は本当に魅力的だ。本ディスクがこれまで巷で優秀録音として取り上げられ称賛された例を筆者は知らないが、ハイファイオーディオ再生に少しでも興味がある人にとっては挑戦し甲斐のある、まさにマストバイの一枚だ。

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