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meji さんのレビュー一覧 

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/29

    ホロヴィッツが亡くなってから既に四半世紀が経ったが、最新のリマスタリング技術による鮮明なSACDと、鮮明なDVD画像によって、初めてホロヴィッツの生身の姿に接することができた思いだ。
    まずはオン・テレビジョンのデジタルリマスターDVDが嬉しい。最晩年の老醜をさらした80年代の映像とは異なり、最も完熟した60代前半の颯爽とした演奏姿に触れることができるかけがえのない映像だ。これに加えて、これまで日の目をみなかったリハーサル音源や当日の無編集音源が、オリジナルマスターテープからのDSDリマスタリングによって、目の覚めるようなリアルな音質で聴くことができる。またこれらの情報を比較することで、当時のLPがTV収録時の演奏そのままではなくリハーサルやゲネプロや追加セッションを素材に、夥しい切り貼りによる編集がなされていたことも明らかになった。
    購入者にとって何よりも気になるのがSACDの音質であろう。日本語解説には、リマスタリングエンジアであるアンドレアス・K・マイヤーによる詳細なレポートが掲載されており、「最終編集版も無編集版もオリジナルの3トラックマスターからリミックスした」とある。しかしながら、最終編集版については、彼自身が拍手の音や、聴衆のノイズ、演奏のミスをもとに編集箇所を推測したような記述になっていることから、どうやらハサミが入った編集マスターテープまではたどり着けず、そのコピ−マスターからデジタル化したと思われる。このことは、編集最終版のサウンドが2種類の無編集ディスクと比べ、間違いなく音質が劣化していることからも証明される。
    そして肝心なリマスタリングの出来であるが、テレビカメラがステージ上を動く際に発生したと思われる超低域のノイズがそのまま収録されていることから、余分なノイズリダクションは行わずにオリジナルに忠実な音作りがなされていると考えられる。また65年に同じくカーネギーホールで収録されたヒストリックリターンの音質と比べると、オン・テレビジョンの方は、ピアノの音色がやや硬めでディテールのクリアネスにおいてやや劣っているが、前者はテレビカメラ用にステージ床を補強した結果であり、後者はTV画像にマイクを映さないようにするため、マイクがピアノから離れた場所にセッティングせざるを得なかったことが原因だと推測される。RCAからCBSに移籍した後のホロヴィッツはついぞ優秀録音には恵まれなかったが、今回のオン・テジビジョンやヒストリックリターンのSACDを聴いた限りでは、悪かったのは元の録音ではなく、夥しい編集とそれに伴うテープダビング、ホロヴィッツの好みを反映した硬質トーンへのイコライジング、薄っぺらで粗悪なLPプレスに原因があったと考えられる。
    なお、演奏だけを取り出せば、長年馴染んだ最終編集版が最も完成度が高いが、無編集の2種類のディスクもそれぞれ異なる味わいがあり、ミスタッッチは多いものの、演奏の流れが自然で好ましいし、何といっても音質の優位性は何物にも代えがたい。
    最後に、ソニー・ミュージックエンタテインメントの丁寧なパッケージングを評価したい。詳細な録音データ、リマスタリングエンジニアによる解説、DVDリマスタリングエンジニアによる解説、3種類の演奏の客観的な比較評、アメリカでのLP初出時の解説、日本でのLP初出時の解説、セッションやライブ時の写真、マスターテープの写真…とどれもマニア心をくすぐるものばかりで、ページをめくるのが本当に楽しい。貧弱で救い難い解説が一向に改善されないワーナー・ミュージックジャパンには是非ともソニーを見習ってもらいたいものである。本アルバムは正直高いが、金額なりの価値は十分ある。マストバイだ。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/12/25

    Deccaのバランスエンジニア、ジョン・ダンカーリーによるデュトワ&モントリオール録音のスタイルは、第一弾となったダフニスとクロエ(1980年7月)から最後のセッションとなったピアソラ(2000年10月)に至る足掛け20年の間で、基本的な変化は見られずワイドなサウンドステージとスウィートなテイストは終始一貫して保たれているが、そんな中において1990年頃を境にオーケストラがややオフ気味になり、ホールレゾナンスの取り込みもさらに増加し、サウンドステージがより自然に再現されるようになる。この理由としてはコンソールやレコーダー等を始めとするデジタル機材の技術的進歩が大きく貢献していることは言うまでもないが、より微細なディテール情報まで克明に収録できるようになるにつれて補助マイクの数も減らしていったのではないかと推測される。
    「1990年頃を境に」と書いたが、筆者は90年6月に録音されたこの「悲愴」がその転換期に位置していると考えているが、実際に無数あるダンカーリー録音の中でも少しばかり異質なサウンドと言える。「異質さ」とは、ほとんど補助マイクに頼ることなしにメインマイク5本(ツリー3本とアウトリッガス2本)の信号だけでミキシングされたかのような、いつにも増してナチュラルで継ぎ目の無いサウンドステージや、生演奏そのままのダイナミックレンジであり、多少のアウトフォーカスやリヴァーブコントロールの詰めの甘さも気にしない潔さである。
    特にダイナミックレンジの大きさは、一般家庭での再生には向いておらず、通常のボリューム位置では第一楽章冒頭の低弦や提示部終わりのバスクラリネットは全く聞こえないし、展開部冒頭ですら音量不足を感じさせる。従ってこの録音の持つポテンシャルを全て開放させるには、序奏の主題を吹くファゴット奏者のブレスノイズが聴き取れるまでボリュームを上げることが不可欠であり、この際トゥッティの音量は、コンサートホールでの原音量となり、近所から苦情が来るのは必至だ。当然ながらアンプにもスピーカーにも高いSN比と解像度、さらには広大なダイナミックレンジが要求されるが、その条件が満たされた場合に得られるサウンドは恐怖感さえ感じさせるリアリティに満ちている。
    ではなぜこのような録音が突然変異的に生まれたのか?新しいハイビットレコーダーが導入されその能力を試したのかもしれないし、ソロ奏者のミスやオーケストラの乱れが修正されていないことから「生演奏の勢いを尊重し・・・」というデュトワの意向が反映されたのかもしれない。或いは同時期に録音された「キージェ中尉」や「アレキサンドル・ネフスキー」が従来同様のサウンドに仕上がっていることから、誤ってマスタリング途中でリリースされてしまったのかもしれない。どんな理由があったにせよ、セッション時のダイナミックレンジをそのままCDで聴くことができるという点で、ダンカーリー録音の中でも唯一無二のディスクであることは間違いない。
    余談になるが、このようなやっかいなノンリミッター録音に対して、ここではDeccaのミキサーになったつもりで、積極的にアンプのボリュームを操作しながら聴くというのはいかがだろうか?ショルティのリングのセッション映像でも、ミキサーがリアルタイムでコンソールのフェーダーを細かく操作していることがわかる。ちなみに筆者も時々やってみるが、曲と演奏が頭に入っていれば意外なほど違和感無く再生できることに我ながら驚く。しかしこれに本当にハマると、次はコンソールが欲しくなってくるので要注意だ。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 13人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/11/01

    本アルバムは「コンサートの完全無編集収録」といった記録的な観点で語られることが多いと思われるが、筆者はむしろ「ホロヴィッツの全ディスク中最高の音質」であることを評価するものである。解説の冒頭で、ソニーミュージックレーベルズ自身が、当時のホロヴィッツのライブアルバムは、何種類ものコンサート録音からの継ぎ接ぎで作られていたことを明言しているが、これは取りも直さず「従来のアルバムの音質はもともと悪い」ことを告白したようなものだ。つまりコンサートで回していた文字通りのオリジナルマスターテープ(第1世代)から、ただちにセフティーコピー(第2世代)がつくられる。これがアルバムの素材となるわけだが、後で継ぎ接ぎした際、音響条件の異なるホールで収録されたサウンドを違和感無く揃えるために、イコライジングによる整音が不可欠だ(第3世代)。そしてこのテープを用いて演奏ミスや、観客の咳などの無い箇所を継ぎ接ぎしたのがアルバム用のマスター(第3世代の継ぎ接ぎ)であり、このマスターテープからもただちにセフティーコピー(第4世代)がとられたはずだ。LPのカッティングにこのセフティーコピーが用いられれば良いのだが、実際にはさらなるコピー(第5世代)がとられ、これが各国に配られたと考えられる。このことは、当時の国内LPで聞かれた盛大なヒスノイズや転写はもちろんのこと、なによりも本CDとの決定的な音質差が裏付けている。本CDは文字通り無編集のマスター(第1世代または第2世代)から、ダイレクトにデジタル化しており、f特性、Dレンジは大きく拡大し、ダビングで失われたミクロディテール情報も蘇っている。そしてバックグラウンドにあったヒスノイズレベルがぐっと下がったことで、客席や演奏家が発するノイズやピアノの微妙な音色の変化やホールトーンがしっかりと聞き取れるようになった。さて演奏の方だが、文字通りの「無編集」だけにミスタッチは多いし、コンサート毎のコンディション差も大きく、信じ難いほどミスだらけの演奏すら散見される。しかしながら、オリジナルのマスターテープには、繊細にコントロールされた打鍵とペダリングによる微妙なニュアンスの変化と、pppからfffに至る広大なDレンジが忠実に記録されており、ホロヴィッツのピアニズムの真髄は、本アルバムをもってして初めて明らかになったと言っても過言ではない。さらに従来のアルバムでは余計な音としてわずらわしくまとわりついていた「客席ノイズ」も、ここでは「ホールの臨場感」と化して、コンサートの異常な熱狂をリスナーに届けてくれることも見逃せない。なお、日付の近いコンサートも生真面目ともいえる姿勢でそのまま収録しているため、リスナーは同じ曲を本当に何度も聴かされるハメになるが、以上の理由でこれが本アルバムの価値を下げるものではけっして無い。パッケージは嵩張るし、紙ジャケがきつくディスクの出し入れがしづらい等の問題はあるが、中身は世界文化遺産級といえるし、当時の高額なチケットと入手の困難さを考慮すれば本アルバムは十分に安くマストバイだ。年末にはヒストリック・リターンやオン・テレビジョンの無編集バージョンがSACDで発売されるがこれも非常に待ち遠しい。

    13人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/06/24

    例によってテンポは異常に遅いが、ベートーヴェンの三大ソナタとはいえ、初期〜中期の作品ではさすがに彼の超スローテンポに応えるのに十分な中身を有しておらず、遅く弾かれても、曲の構造が解きほぐされるとか、通常では聴こえない音や旋律が意味を持ってくるとか、聴き手を深い瞑想へと引き込むといった効果がもたらされず、正直なところやや退屈な76分であった。ただし思わぬ発見だったのが、アファナシュエフの演奏がホロヴィッツに非常に良く似ているということだ。もちろん外見上は、ホロヴィッツの速いテンポ(HJリムのように物理的に速いわけではないが…)、軽くて明るい音色、考え抜いた結果とは思えない即興性に対し、アファナシェフは全て反対路線を行っているのだが、ルバート表現、ダイナミクス、スタッカートとマルカートとレガートの使い分けからペダルを踏んで離す箇所に至るまで、聴けば聴くほど本当にそっくりなのである。そう思いながらDVDを見てみると、椅子を低くセットし、肘位置を鍵盤より下げ、指の腹で鍵盤を叩くアファナシュフの演奏スタイルがホロヴィッツと実に良く似ていることに気付いた。尤もここで、その理由を詮索しても何の意味も無いし、だから何だと言われても回答の術を知らないが、少なくとも言える事は、アファナシェフも伝統にとらわれずに、ベートーヴェンのスコアを分解し、自らの美意識でゼロから再構築したことにおいて、ホロヴィッツやムラヴィンスキー同様ロシアの大地が生んだ類まれなる天才の一人であるということだろう。皆様も、彼の遅いテンポとライナーノーツに掲載された難解なエッセーに惑わされることなく、どうか冷静にご判断頂きたい。
    最後に録音についてひとこと。プロデューサーはDENON時代からお馴染みのゲルハルト・ベッツである。付録のDVDにはベートーヴェンザールでのセッション風景が収録されているが、ピアノの前方、人の背の高さにNEUMANのマイク(TML49と102か?)が2セットと約3mの高さにSCOEPSと思しきマイクが1セット、そしてピアノから少し離れた高い位置にもアンビエンスマイクのスタンドが2台設置されていることから、計8本のマイクを使用しているようだ。ピアノの音はディテールに至るまで克明に収録されているしホールトーンとの溶け合いも自然だが、マルチマイクの弊害で、スピーカーの前にDVDの映像にある通りのサウンドステージが広がらないのがなんとも残念だ。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 28人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/06/01

    録音5+解説1=総合4。予めお断りしておくが筆者はマタイの熱心な聴き手ではないし、クレンペラーによるこの歴史的な名盤の購入もこのたびのSACDが初めてとなる。過去のLPやCDとの音質比較もせずにレビューを投稿することには気が引けるが、パッケージングについて改善を望むべくキーボードを叩かせて頂いた。
    かかる歴史的名演をSACD化されたと言って大枚をはたいて購入する人は、LP時代から本演奏に親しみ、CDもリマスターされるたびに買い足してきた熱心なファンに限られるはずである。そしてこのようなコアなファンにとって「欲しい情報」とは、月並みな曲目解説や提灯持ち評論文であるはずはなく、「マスタリングエンジニアは誰か」「どこにどう保管されていたどのマスターテープを使ったのか」「テープブランドはどこか」「テープの保存状態はどうだったか」「オリジナルは何トラックに収められていて、どういうバランスでトラックダウンしたのか」「オリジナルマスターテープの情報量はどれほどだったのか」「使用マイクや配置等の情報は残されていたのか、そこには何が書かれていたのか」「再生にはどのメーカーのどの機種のデッキを用いたのか」「アナログ信号はどのよういにデジタル化したのか?」「ノイズリダクションや修正はどこまで行なったのか」「何を基準に何を目指してどのようにイコライジングしたのか」「リミッター、コンプレッション、デジタルリヴァーブなどの処理は行なっていないか」「国内でさらにマスタリングしていないか、誰が何をやったのか」「CD層の音作りはどうしたのか」「プレスはどの工場で行なわれたのか」といった録音〜マスタリング〜ディスク製造に関する詳細であるはずだ。「どの部分のどの楽器が何と比較してどうだった」といった視聴比較も基本的に不要であろう。オリジナルのマスターテープに忠実にリマスターされたことを実証する情報さえあれば、購入の可否判断には十分足りるし、こんな比較は他人から言われなくても自分の耳で聴けばわかることである。
    しかるに本ディスクにはこれらの詳細情報が一切記載されていないばかりか、「原稿執筆時点ではテストプレスのCDしか聴けていないが、以前より良くなっているのでSACDも期待できる・・・」といったトンデモ解説が平然と掲載されている。かつてのEMIジャパンもこのようなことには本当に無関心だったが、前回のSACDではアビーロードスタジオのエンジニアによるマスタリングレポートが掲載されていたし、シリーズ後半では使用したマスターテープの写真や、箱の裏面のメモ書き、さらにはマイク配置に関する手書きメモの写真が掲載されていたものもあった。ワーナーには、かかる購入者のニーズを適切に把握頂いた上で、それに応える良心的なサービスを心がけて頂きたいものである。
    最後に3年前にSACD化された一連のアルバムとの比較において、今回のリマスター方針に変化は見られず、若干のテープヒスの除去と、古い録音にありがちな高域方向のピークをほぐした痕跡こそ感じられるものの、過度なノイズリダンクションやイコライジング、コンプレッション類の処理はなされていない良心的なリマスターだと評価できる。なお、録音会場としてキングスウェイホールとアビーロードスタジオの2箇所の記載があるが、曲ごとにサウンドの違いを指摘することはできなかった。当時の録音機材の技術的な限界かもしれないし、テープの経年劣化でミクロディテール情報が欠落してしまったのかもしれないが(或いは聴き手の体力と精神力が持続できなかっただけかもしれない)、マスタリングエンジニアからのコメントを聞きたいところだ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/05/04

    70年代のDGレーベルといえば「ドイツ古典〜ロマン派の名曲に重点を置いたプログラミング」「ドイツ系の巨匠を一同に集めたアーチスト陣容」「間接音よりも直接音を重視し隈取がはっきりしたメリハリあるサウンド」が当時の日本人の嗜好に合致し、大いにもてはやされたものだった。この当時のDGは過剰なまでのマルチマイク、マルチトラック路線を推し進めており、音決めはマルチトラックマスターテープをスタジオに持ち帰ってから行なわれていた。その結果オーケストラも合唱も全て横一列平面に並び、楽器同士が干渉することなく分離し、楽音とレゾナンス成分さえ分離して聴こえる独特のハウスサウンドからは、オーケストラの違いやピアノやバイオリン等ソロ楽器の銘柄の違いはもちろんのこと、録音エンジニアの違いや録音会場の違いすら聴き分けることが難しいものが多い。尤も当時の家庭にあったオーディオ装置や再生環境のもとでは、このようなサウンドの方が良い音に聞こえたことも事実であり、こうしたDGの音作りをDGのエンジニアの責に帰すようなコメントは差し控えたい。さてこのディスクは、プロデューサー、トーマス・モーリーの手によるものであるが、DGレーベルであってもサウンドはけっしてDGのものではない(詳細はバーンスタインのカルメンや小澤の幻想に書いたので、ご興味のある方はそちらをお読み頂きたい)。SACD再生が始まると同時に聴こえるホールの暗騒音だけでこの録音が信頼置けるものであることを確信させられるが、皇帝冒頭のオーケストラの広がりと奥行きや、ボストンシンフォニーホールのナチュラルなリヴァーブ、ハンマーやペダルのアクションノイズまでもがリアルなピアノの音を耳にすれば、この録音が2年前にK・ウィルキンソンがシカゴで収録した、アシュケナージ&ショルティ盤(Decca)に引けをとらないレベルに達していることに容易に気付くはずだ。星四つに留めたのは、エッシェンバッハのピアノがややデリカシーを重視するあまりppが弱すぎ、楽音が有するメッセージのみならず美しさまでもが希薄になりがちなことと、若かりし日の指揮者の芸不足により、ベートーベン特有の鳴らないオーケストレーションの各所において、鳴りきらないもどかしさを感じさせることが理由である。ところで今回のシリーズは、高音質を売りにした割には、ブックレットにマスタリング機材やマスターテープに関する詳細情報が書かれていないし、第3番コンチェルトの録音情報が間違っていたり、オリジナルジャケット写真すら掲載されていないなど、完成度の低いパッケージングには改善を望みたい。最後に、ユニバーサルからは小澤やバーンスタインのシングルレイヤーSACD-SHMが発売されるようだが、演奏も録音も首を傾げたくなるものが多い上に値段が高すぎる。フィリップスからDGへとSACDリマスタリングの仕事を広げてきたペンタトーンには、次はDeccaやEMIの優秀録音を手がけてほしいものだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/04/28

    このたび70年代のアメリカでトーマス・モーリーがプロデュースした一連のDG録音がペンタトーンからSACD化されたが、DGのトーンマイスターが誰であってもその録音品質が同時代のウィルキンソン(Decca)やパーカー(EMI)に引けをとらない水準に達しているのには目を瞠る。残念ながら今回のシリーズには含まれていないようだが、69年にモーリーがプロデュースし、エリートレコーディングスのマーク・オウボールが収録した、文字通り奇跡的な出会いがもたらした夢のようなディスクがあることは意外に知られていない。ドナルド・ハンスバーガー指揮のイーストマン・ウィンド・アンサンブルによるペンデレツキや黛敏郎の吹奏楽作品を収録した一枚だ。DGレーベルながら、DGのハウスサウンドとは似ても似つかない録音史上最高峰に位置する優秀録音であり、オーディオファイル必携のデモンストレーションディスクだ。あいにくHMVではもう入手できないようだが、中古市場でも安いはずなので再発を気長に待つよりは、探しに出る価値は十分にある一枚だ。いきなり話が逸れたが、今回のペンタトーンのシリーズではこのモーリー作品がめじろ押しであり、彼の手による優秀録音が最新技術で現代に蘇り現代のオーディオファイルにその鮮やかな名人芸を再認識させた意義は非常に大きい。
    さて当時のDG録音でセッション時に回っていたマスターテープは当然ながらマルチトラックである。今回のSACDはこのセッションマスターにまで遡ってのミキシングだと銘打っており、2トラックステレオへトラックダウンする際のチャンネルバランスやイコライジングバランスはペンタトーン(=ポリヒムニア)のスタッフが受け持っている。You TubeにはペンタトーンによるPRビデオが掲載されており、そこではエンジニアのジャン・マリー・ゲイセンがSTUDER-A800で1インチのマルチトラックテープを回す場面に加え、2トラックのSTUDER-A807で1/2インチテープを回している場面も収録されている。ゲイセンが操作するデジタル・オーディオ・ワークステーションの画面では、8つのトラックのレベルと波形をモニターしていることが確認できることから、ゲイセンがオリジナルの8トラックのセッションマスターをDSDで取り込む一方で、当時モーリーによって2chステレオにミックスダウンされた(はずの)LP用マスターテープを再生し、チャンネル間のバランスや周波数のスペアナを確認しながらリミキシングしたものと思われる。その成果はなによりもSACDのサウンドそのものが物語っているが、このカルメンはLP発売当時から優秀録音の折り紙つきの名ディスクであり、屋上屋を架すような批評をするために、広辞苑を紐解いて目新しい形容詞を探してくることは自粛し、簡単な比較結果を書かせて頂く。丁度アナログフリークの友人がオリジナルLPを所有していたので、手持ちのCDと併せて今回のSACDとを比較試聴した。その結果は「もともとヒスノイズは少ないが今回も過剰なノイズ除去は行なっていない」「周波数イコライジングカーブはオリジナルLPに忠実(一方のCDはメリハリ重視)」「音の鮮度はLPと遜色ない」「LPの盤面ノイズが無い分pp部分でのディテール再現性が大幅に向上」であり、当時のLPの出来もさることながら、今回のSACDも「オリジナルマスターのサウンドに敬意を払っての忠実な音づくり」という大方針のもとで、最新技術を駆使してオリジナルマスターのポテンシャル全てを引き出していることを確認できた。
    まだプロデューサー、トーマス・モーリーの名人芸を耳にされたことの無い方は是非ともこの機会にペンタトーンのリマスターSACDを購入されることをお勧めする。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/04/27

    巷に無数にある幻想交響曲の名録音の中から、敢えて小澤の73年盤を取り出して、しかも五つ星評価を与えることについては、誰もが訝しんでおられるのではなかろうか?オリジナルLPを所有する友人からも「LPは相変わらずの箱庭サウンドで、お世辞にも優秀録音とは言えないよ」と怪訝な顔を向けられる有様だ。しかしながら今度のペンタトーンによるSACDは途方も無く素晴らしい。その理由はプロデューサーのトーマス・モーリーによる目も覚めるようなハイファイサウンドと、ポリヒムニアのエンジニアによる丁寧かつオリジナルに忠実なリマスターにある。
    1970年代のDG録音といえば、過剰なマルチマイクと低域カットの弊害による平面的で実在感に欠けた骨と皮だけのような貧相なサウンドが特徴だが、ここで聴かれるサウンドは明らかにこれとは異質であり、広大なサウンドステージといい、フラットに伸びていく低域の量感といい、ナチュラルな音色といい、デッカやEMIの優秀録音とゆうに肩を並べるレベルに達している。トーンマイスターはDGレギュラーメンバーの一員、ハンス・ペーター・シュバイクマンだが、今回ペンタトーンによるモーリープロデュースのDG作品を聴いた限りにおいては、DG独自のサウンドカラーを創出していた主導者はトーンマイスターではなくプロデューサーであったことは間違いなく、またマイクをセットしテープに収めるという行為においてはDGのエンジニアらも、デッカやEMIのエンジニア同等の技量を有していたことを窺い知ることができる。
    ペンタトーンの公式PRビデオによるとマスタリングエンジニアはポリヒムニアのジャン・マリー・ゲイセン。過度なイコライジングやノイズリダクションを控え、モーリーが描いたサウンドイメージを素直に引き出そうとする基本姿勢には非常に好感が持てる。
    さて、ボストンのシンフォニーホールは、聴衆の居ないセッション録音においてはその過剰なレゾナンスが録音の足枷になることは良く知られている。このようなホールでサウンドの明瞭度を保つためにはどうしても補助マイクが増やすことになるが、マイクの本数を増やせば増やすほど、ホールレゾナンスと楽音とが分離し、サウンドステージは消失していってしまう。このことは、同じ小澤&ボストンでも、モーリー以外がプロデュースしたDG録音やデジタル期に入ってからのフィリップス録音を聴けば容易に理解でき、平面的で作為的なサウンドは耳を傷めるばかりだ。
    モーリーがこれまでシンフォニーホールでの録音経験がどれほどあったのかは分からないし、使用マイクやセッティングに対しどこまでDGのエンジニアに注文をつけていたのかは知る術が無いが、このホールからこれほど魅力的なサウンドを引き出し、テープに収めた手腕は只者とは言えず、RCAのルイス・レイトン以来の快挙といえよう。
    聴きどころとして、ここでは終楽章の怒りの日を紹介したい。ファゴットとチェロ、コントラバスがpppまでディミヌエンドしながら最低音域まで下降したあと、闇の中から突如として鐘が鳴り響く有名な箇所である。まず鐘がステージの左奥から、かなり大きな音で鳴らされる。リスナーはそのリアリティにまず度肝を抜かれるが、やがて手を伸ばせば触れることができるようなパルパビリティーや、楽器の口径や肉厚さえも見えるかのようなミクロディテールの再現性に、これが普通の録音でないことに気付き始める。続いて右奥からテューバとそのやや手前でファゴットが怒りの日のテーマを吹き始める。ここでも、まるで奏者がそこで吹いているかのような感覚に襲われるが、テューバの肉厚なマウスピースに吹き込まれた唇の振動が管の内で大きく増幅され、上方に開いたベルから巨大な音波と風圧と化して放出された後もホールの後壁を震わせ、さらにその上部にあるパイプオルガンのチューブを共鳴させながら、獰猛なまでのパワーを持ってリスナーに迫ってくる恐怖感に打ちのめされることになる。左奥で鳴らされる鐘と右奥のテューバとの距離感とパワーバランスは、こうでなくてはという必然性に満ち、小澤が鐘をかなり強く叩かせた意図もここで明らかになる。
    若き日の小澤の指揮は、軽快なスピード感が特徴で、ベルリオーズがスコアに書き込んだ細かなダイナミクスの変化に対して俊敏な身のこなしで切り抜けている。実際にテンポはパレーやミュンシュ並みに速いが、オーケストラを一糸乱さずにコントロールするバトンテクニックは両巨匠よりも秀でており、ルノー・アルピーヌでダートのコーナーをドリフトさせながらアクセル全開で攻め込んでいくような痛快さが魅力だ。
    幸いながらペンタトーンのモーリープロデュース作品は、幻想以外にも数多くリマスターされており、中には小澤のファウストの拷罰やバーンスタインのカルメンといった大作も含まれるが、どれか一枚と言われればこの幻想を推すことに なんの躊躇も感じない。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2015/01/19

    この曲には、最晩年のモントゥーがシカゴ交響楽団を振った極めつけの名演を、RCAの名人ルイス・レイトンがそのサウンドをオーケストラホールの空間ごとテープに収めた夢のようなリヴィングステレオ盤が、他の全てのディスクの存在価値を無きものにせんと最高峰に鎮座している。モントゥー盤だけをもって最高とすることには異論があるかもしれないが、クレンペラーが曲の構造をまるでX線を照射したかのような医学的アプローチで深く切り込んだEMI盤は、箱庭のような窮屈サウンドがなんとももどかしいし(せめてアビーロードスタジオではなくキングスウェイホールで録音してほしかった)、パレーによるF1マシーンのような速さとパワーが充満するマーキュリー盤は、いかんせん音質が硬直気味で古めかしい(手許の国内盤CDが悪いだけかもしれない)。一方デジタル録音ではどうかというと、一般の評判の高いデュトワ盤では、演奏が常識的で面白みに欠け、聖ユスターシュ教会の豊か過ぎるレゾナンスがフランクのオーケストレーションとマッチしなかったのか、J・ダンカーリーとしては平凡なサウンドに終始している。そうなるとアナログ録音の円熟期に収録されたこのマゼール&クリーヴランド盤がモントゥー盤に継ぐ名盤ということで俄かにクローズアップされることになる。こんなことを言うと誰もが「若いマゼールがモントゥーやクレンペラー、パレーに比肩しうる演奏なんてできるわけがない」と極めて無邪気な疑念を抱くに違いない。もちろん細部にこだわれば未熟な解釈を見つけ出すことは容易だが、ここで特筆すべきは御大ケネス・E・ウィルキンソンによる録音の素晴らしさであり、録音の優秀さがマゼールの演奏をモントゥー盤に肉薄するほどの高みに引き上げているというのが正しいかもしれない。ウィルキンソンのアメリカ大陸での録音といえば、ショルティ&シカゴのメディナテンプル(初期はイリノイ州立大学クラナートセンター)での一連のセッションがあまりに有名だが、これ以外にも数は少ないもののドラティ&ナショナル(orデトロイト)、マゼール&クリーヴランドの演奏が残されており、特に後者の「ローマの祭・松」は、オーディオファイルの間で伝説的なデモンストレーションディスクとして有名である。このフランクは1976年5月10〜14日にメイソニックオーディトリウムで組まれた一連のセッションで収録されたもので、アシスタントとしてコリン・ムアフアットとマイケル・マイルズの名が記されている。メイソニックホールは写真で見るとプロセニアムステージの前に円形状の平土間客席を有しているが、録音の際はステージが平土間まで拡張され、そこにオーケストラがいっぱいに展開するデッカのお家芸配置が採用されていたことは間違いなく、これらの録音で聴かれる広大なサウンドステージがそのことを何よりも雄弁に物語っている。なお、パスカル・ロジェのピアノが加わったフランクの交響的変奏曲が最終日に廻されていることから、オーケストラのみのレスピーギの二作とフランクの交響曲は、ステージ上の楽器配置もマイクセッティングも同一であったと考えられるが、フランクではレスピーギで聴かれるような華麗でスペキュタクラーなサウンドは聴かれない。しかしこれは、曲のオーケストレーション違いに過ぎず、これをもって「フランクの方が録音が劣っている」と評するのは根本的に誤った判断だ。フランクの管弦楽曲は、同じく教会のオルガニストを本業としていたブルックナーのそれと似て、オルガンのストップをそのままオーケストラの楽器に割り振ったかのような「グレースケールトーン」が特徴で、そこには旋律を高らかに歌い流れるようなストリングスも、鳥のように囀る木管楽器も、軽快にリズム刻み閃光を放つ打楽器も、咆哮するホルンも、地を穿つようなグランカッサも無く、陰鬱な循環主題が、うねうねと転調と漸強・漸弱を繰り返しながら、幾度も繰り返されていく。ウィルキンソンによる録音は、このようなフランク特有のサウンドの特徴を余すところなくマイクで拾い上げており、指揮台のやや後方からオーケストラを俯瞰した原寸大のパースペクティブといい、フルオーケストラが奏する広大なダイナミックレンジをパワー感を欠落させること無く、混濁とは無縁のトランスペレンシーを保ってアナログテープに納めており、その魔術的ともいえる仕事ぶりには、いつものことはいえやはり驚きを禁じえない。聴き所は随所に現れるが、ここでは2箇所を紹介したい。まず第一楽章終結部のトゥッティによる循環主題のカノンだ。最初の主題はフルート、オーボエ、コールアングレ、クラリネット、トランペット、ホルン、バイオリンで盛大に奏されるのに対して、これを受ける模倣部はバスクラリネットとファゴット、バストロンボーン、テューバ、コントラバスと明らかにパワー不足であるため、バストロンボーンとテューバがしっかりと収録されないと、腰砕けのなんとも締まりのない終結となってしまうが、ウィルキンソンはこれらの楽器の獰猛なまでのパワ−を余すところなく切り取っており、ホールの側壁が微振動する様子まで目に見えるようだ。もう一箇所は第二楽章冒頭で、コールアングレのソロを受け主題の後半を奏するクラリネットとホルンのユニゾン。オーケストラ録音においてウィルキンソンほどホルンを重要視したエンジニアは皆無といってよく、録音でホルンがホルンとして聞こえることにおいてウィルキンソンの右に出るものは居ない。ホルンの音色を特徴付けるのは肉薄で円錐形のマウスピースに唇を振動させながら息を吹き込む際発生するアタック音と、それが一瞬減衰して定常の管振動に入るまでの複雑な共鳴音であり、録音においてはこの微妙な音にならないような空気の振動と倍音成分のミクロディテールまで収録しないと、ホルンがホルンらしく聞こえない(実際巷にはホルンともユーホニウムとも区別がつかないような録音がいかに多いことか)。ウィルキンソンはこのことを誰よりも理解しており、彼がステレオ録音の最初期段階からすでにホルンにピックアップマイクを向けていた理由もこれによる。ここではホルンとクラリネットとが、録音時の配置そのままに3Dのようにリスナーの前に姿を現す。そのあまりのリアルさに聴き手は一瞬戸惑うが、やがてフルートが加わって主題がピアニッシモの中に消え弦合奏のざわめきが始まるころになると、リスニングルームが40年前のメイソニックホールに置き換わっていくのを、甘美な陶酔感とともに味わうことになるだろう。マゼールによる指揮は、フランクがスコアに細やかに書き込んだ強弱や強弱変化や、ひとつの小節内での表情変化に至るまで極めて丁寧に描き分けているし、このマゼールの細かな要求に正確に応じるオーケストラの技術とアンサンブルも見事というほかない。最後にこのCDではなぜか第2楽章のみテープヒスや暗騒音がしっかり残っており、それだけに臨場感も豊かだが、どうして第1、第3楽章ではマスタリングの際にこれらを除去してしまったのか理解に苦しむ。とはいえ、意外に知られていないこのマゼール&クリーヴランド盤を全ての音楽ファンとオーディオファイルに薦めることに何の躊躇も感じない。

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     2014/07/14

    筆者は残念ながらブルーレイディスクに収められた96-24データを満足に再生できる環境を持たず、本評価はCD試聴によるものであることをお断りする。
    今回の最新リマスターは元デッカのフィリップ・シニーの監修により、アビーロードスタジオのアンドリュー・ウォルターが担当している。
    ということで「今回も先だって発売されたパヴァロッティの96-24シリーズ同様、J・ダンカーリーがスーパーバイザーとして名を連ねているのでは」と期待を込め目を凝らして活字を追ったが、残念ながら今回は彼の名前を確認することはできなかった。

    とは言っても、パヴァロッティに続けてのシニー&アビーロードによるリマスタリングであることから、前回同等の仕上がりを期待しない方がどうかしているし、ブックレットに掲載されたオリジナルマスターテープやスチューダーA80による再生状況写真はマニア心を煽りに煽る。
    しかしながら今回はやや不満を残す出来となってしまったようだ。

    ステレオの左右をスピーカーの外側にまで大きく広げ、70年代のアナログサウンドをシルキーでスウィートな微粒子トーンに生まれ変わらせるという点では、ダンカーリー監修のパヴァロッティリマスターと方向は一致しているし、エミールベルリナースタジオがリマスターした現行のデッカトリオ盤と比較しても、ラフマニノフ特有の分厚いオーケストレーションの中で、ともすれば定位が曖昧になりがちな低弦やトゥッティで埋もれがちな木管も、ステージの前のヴェールが1枚剥がれたように見晴らしが良くなっている。

    しかしその一方でウィルキンソン録音を特徴づけるオーケストラのソリッド感とパワーは大きく後退してしまったし、キングスウェイホールの後壁まで見通せるかのような魔術的なトランスペアレンシーや、個々の奏者を指差せるような3D的な定位も希薄になってしまった。その結果J・ロックが収録したパガニーニ狂詩曲の方が、元録音のサウンドステージの狭さと、個々の楽器のパワー過剰が程よく薄められ、却ってウィキンソン録音っぽく感じられてしまうという、ウィルキンソンファンにとってはなんとも後味の悪い結果となってしまった。ウィルキンソン録音からウィルキンソンらしさを薄めてしまったリマスターを、果たしてウィルキンソン録音と呼べるのであろうか?当然答えは否ではあるが、本ディスクが世間に無数に存在している凡庸な録音と比較すれば圧倒的な高みに位置していることには変わりなく、こういった面ではなんともやっかいなリマスターと言えよう。

    ところでブルーレイディスクに収められた96-24データであるが、真にこれを必要とする人は余程のオーディオファイルに限定されるわけだし、そんな人が望むのは「他人が手を加えていないオリジナルマスターテープそのものの音」であるに決まっている。そこで提案だが「96-24データはマスタリング前の何も手を加えないサウンド」としてはどうだろうか?これをリスナー一人ひとりが好みに応じて、パソコン上で左右の広がりを調整したり、ヒスノイズを低減したり、イコライジングしたり、エコーを加えたりと、自身のサウンドに仕上げていけば、オーディオの楽しみも倍増すると思うし、若い世代をオーディオ趣味に引き込む起爆剤にもなるのではなかろうか?皆様はいかがお考えになるでしょう?!

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     2014/04/21

    アナログプロダクションズによる初のクラシックディスクということで大いな期待を込めて購入した。シェエラザードに関していえば、従来のサウンドミラー社によるSACDを所有しておりそれとの比較となったが、AP盤は全曲に渡って従来SACDより出力レベルが2〜3db低く、高域を中心に耳障りの良いサウンドにイコライジングされているようだ。なお再生音としては確認できなかったものの、DG48のグライコ表示で確認した範囲では、従来SACDには残されてる超低域のノイズ成分はAP盤ではカットされている。印象としての音の鮮度も従来SACDの方が高く、これがイコライジングとノイズカットの結果か、或いはこの10年間でのマスターテープの劣化に起因しているのかは判断つかない。なおAP盤は高品質を売りにしている割にはオリジナル録音に関するデータ表記もリマスタリングに関する解説も皆無であり、こうした観点からも何かとストレスが溜まるディスクだ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/04/21

    アナログプロダクションズによる初のクラシックディスクということで大いな期待を込めて購入した。ローマの松に関していえば、国内盤XRCDしか持ち合わせていなかったため、これとの比較になったが、こちらはシェエラザートと異なり低〜超低域の情報量といい、音の鮮度といい、fff時におけるパワーの余裕度といいAP盤の圧勝であった。なおAP盤は高品質を売りにしている割にはオリジナル録音に関するデータ表記もリマスタリングに関する解説も皆無であり、高価なディスクを所有する満足度に見合ったブックレットを望みたい。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/04/21

    エベレストの最新リマスターSACDとのことだが、そもそもエベレストの35mmフィルム録音など余程のオーディオ好きでないと興味は示さないはずだし、最新リマスターでしかもSACDとくれば、この商品がコアなオーディオマニア向けであることは明らかである。しかしこのディスク、不思議なことに体裁こそエソテリックSACDのような豪華デジパック仕様なのに、35mmテープの保管状態や再生に関する記述はおろか、リマスタリングに関する記述も皆無だし、解説も売れない評論家による要領を得ない調子外れなものである。しかも肝心な音に関していえば、もっと盛大に聞こえるはずのテープヒスは綺麗に除去されているし、当時の真空管機材特有のハムノイズも聞こえないし、なにより録音会場の暗騒音まで丁寧に取り除かれている。元の録音の情報量が凄まじいだけに、これだけ後処理で音を整えてもなお最新録音にひけをとらないディテールやダイナミクスは有しており、ただ聴いている分には不満が噴出することはないが、このディスクを購入しようとする人たちの目的は、このように角を矯めたサウンドを味わうことではないと思われる。購入された皆さんはいかがお感じになったであろうか?

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/04/21

    本録音はEMIのアナログ円熟期に次々と優秀録音を生み出した、プロデューサー/クリストファー・ビショップ、バランスエンジニア/クリストファー・パーカー(所謂ビショップ&パーカー)が手がけた、当コンビとしては唯一と思われるムジークフェラインザールでの録音(本ディスク以外に他にあれば是非情報を頂きたい)である。ムジークウェラインザールでのセッション録音の難しさについては、デッカがステレオ録音の黎明期の段階で、本ホールに早々と見切りをつけ、ゾフィエンザールに拠を移したことがあまりに有名であるが、黄金期のデッカやEMIのように、録音会場を空間ごとを切り取ってきたかのようなフルボディサウンドを、そのままテープに収めることを社是としてきたレーベルにとって、大音量では飽和をきたし、空席状態では残響過多となるホールの特性と、広大で見通しの良いサウンドステ−ジの再現を拒む、狭くて急な山台ステ−ジを有するこの黄金のホールは、御するにはやっかいな相手であったらしい。 一方で楽音以外はレコードには余計な情報だと言わんがばかりに、個々の楽器をマルチマイクで丹念に拾い上げていたDGにとっては、本ホールでのセッションは支障にならないどころか、ドライで無味で平面的になりがちなサウンドに独自の色気をもたらし、黄色レベールのウィーンフィルサウンドとして独自のハウスサウンドを確立していったが、今これらのディスクを聴きながら目を閉じても、リスニングルームにムジークフェラインザールの空間はけっして浮かび上がってはこない。話を本ディスクに戻すと、このたびのHMVによる解説には、パーカーは最初の音出しの段階でただちにステージの山台を撤去したとある。奥行きの浅いステージに5段もの山台(しかも一列用)があるのだから、メインマイクが拾うオケのバランスは不自然になり、遠近感も希薄になることはパーカー程の達人であれば、目にしただけで分かったはずである。このホールでアビーロードスタジオやキングスウェイホールのような豊饒でクリアなスペクタキュラーサウンドを録ることは不可能である、と瞬時に判断したパーカーは、与えられた時間と予算の中で最善のサウンドを得るため、ステージを平土間にしてオーケストラを一杯に広げることで、個々の楽器にメインマイクから光を照射させたかのように、サウンドの見通しを良くすることに注力した。SQ4チャンネル全盛期の録音につき、パーカーが使ったマイクはメインの4本に加え、オーケストラとアンビエンス用に数本が追加され、さらに低弦、木管、ティンパニー、ホルンにも補助マイクが向けられたものと考えられる。さらにサウンドのクリアネスを確保するために、いつもより補助マイクのミキシングウェイトを高めたとことも想像がつく。そしてそのサウンドは、ホールの過剰ともいえる残響をしっかり取り込みながらも、個々の楽器のクリアネスを保っており、リスニングルームの左右の壁面一杯に広がる分厚い弦五部のセパレーションも良好である。弦の後ろに展開する木管セクションの奥行き感はやはり感じられないが、ステージ左奥のホルンは十分な遠近感を持って再現される。なおジュリーニの解釈か、録音サイドで全奏で飽和しやすいホールの特性を考慮したからか、金管もティンパニーも音量は抑えられている。このように本拠地ロンドンでの録音のような、クリアでトランスペアレントなサウンドステージと、広大なパースペクティブ、ワイドでフラットなFレンジは望むべくも無いが、恐らくはこれが空席状態のムジークフェラインザールの響きなのであろう。全盛期のジュリーニによるブラームスを思わせる濃厚な音作り、70年台のウィーン交響楽団の素朴なサウンド、ムジークフェラインザールの豊か過ぎるホールレゾナンス、パーカー&ビショップによるアナログ全盛期のハイファイ録音。演奏、録音共に最高とは呼べないまでも、このディスクが有する魅力には抗しがたいものがある(音質評価はテスタメント盤による)。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/04/13

    デッカ出身で現在もなお現役で活躍しているバランスエンジニアといえば、サイモン・イードン、ジョナサン・ストークス、フィリップ・シニーといった名前を思いつくが、いずれも97年のデッカレコーディングセンターの解散以降、デッカ黄金期の栄光を現代の我々に伝えてくれるような優秀録音は遂ぞ生み出せなかったように考える。そのデッカ黄金期の最後の血統を受け継いだ名匠がジョン・ダンカーリーであるが、そのダンカーリーも最近ではすっかりディスク上にその名前を確認することができなくなってしまった。そこに、思いもよらない本リマスターBOXの登場である。LPサイズの豪華なケースの裏面には、すべての録音が新たに96-24でリマスターされたことが誇らしげに記されており、テクニカルスーパーバイザーとしてシニーの名があるが、我々の眼を釘付けにするのは、シニーのアシスタントとして書かれたジョン・ダンカーリーその人の名前である!さらにイアン・ジョーンズやサイモン・ギブソンらアビーロードスタジオのスタッフも参加しているのを目にしたときは、正直自分の目を疑ってしまった。シニーといえば、90年代中頃からダンカーリーのアシスタントを務めており、シャイー/コンセルトヘボウやブロムシュテット/サンフランシスコ録音等に名前を見出すことができるが、レコーディングセンター閉鎖後に手がけた録音に注目すべきものはなく、バランスエンジニアとしては極めて凡庸な腕前だといえる。しかし逆に個性がないことがリマスタリング業務には幸いし、近年のデッカアナログ録音の96-24リマスターではサウンドをいじくりすぎること無く、オリジナルに忠実な好ましい仕事ぶりをみせてくれている。今回のリマスターでシニーはデッカ時代の師匠であるダンカーリーの指示に忠実に従っているはずであり、ダンカーリーが音決めの采配をとっていたことは容易に推測できるし、このダンカーリの指示を、アビーロードスタジオ他のスタッフらが、忠実かつ適切に守りその業務を遂行してくれているはずである。このたった数行のクレジットを見ただけで、期待は大きく膨らんでいった。しかも本アルバムの多くが、デッカ伝説の名エンジニアでありダンカーリーの師匠でもあるケネス・ウィルキンソンによる録音である。つまりウィルキンソン録音が、愛弟子ダンカーリーとEMI等の最新技術で現代に蘇るわけであり、これは期待しないほうがどうかしている!その上ウィルキンソンの無数の優秀録音の中でもその頂点に位置するトゥーランドットが含まれるとなると、興奮のあまりCDをトレイに載せる手までが震えてしまうありさまだ。そしてCDをトレイに載せ息を呑んでスタートボタンを押してスピーカーから出てきたサウンドはこの期待を大きく上回るものであった。つまりウィルキンソン録音の真骨頂ともいえるパワフルでソリッドなスペクタキュラーサウンドに、ダンカーリー録音を特徴づける、原寸大のサウンドステージとスウィートでシルキーなナチュラルサウンドが渾然一体となった、まさに夢のようなハイファイサウンドに生まれ変わっていたのである。国内盤の従来CDと比較しても、左右奥行き方向への音場の広さ、左右のチャンネルセパレーション、ディテールの解像度の向上は目覚しく、キングスウェイホールの広さや天井の高さまで手に取るようにわかるようになったし、強奏部での混濁感は皆無で、Fレンジ、Dレンジ共にCDフォーマットの限界までフラットに伸びている。オーケストラも声楽も、個々の楽器やソリストの位置を指差せるほど確固たる定位をもって、生以上に生々しくリスニングルームに再現される。そしてこのサウンドを実際に体験すると、近年の優秀録音と評されるもののほとんどが、いかに技術的に手抜きで、音楽的な共感とは無縁の世界で作られていることが良くわかる。広大なDレンジとは、ミキサーが最大音量にインプットレベルを設定した後は録音機の性能に委ねてただ放っておいた証拠であり、美しいホールトーンとは作為的なデジタルリヴァーブに騙されただけであり、クリアなサウンドとはマイクが実音を完全には拾いきれなかったことの裏返しでしかない。ところで筆者がトゥーランドットを聴く時は、アルファーノが補筆した異質な音楽と音響が後味を台無しにするので、決まってリューのアリアでCDを止めるのだが、この最新リマスターを前にしてフィナーレのスペクタキュラーな音響を聴かないのはあまりにもったいない話だ。なお本アルバムにはウィルキンソン録音以外にも、ゴードン・パリーがゾフィエンザールで録ったショルティの「ヴェルレク」やカラヤンの「蝶々夫人」が含まれているが、前者は既に96-24リマスターが出ており、今回のリマスターと比較して微妙な味付けの差が感じられる程度(ダンカーリーリマスターの方が若干華麗か・・・)だが、後者はこれまでハイビットリマスターが存在しなかっただけに、今回の音質改善は目覚しいものがあったことを付け加えたい。一言で評すると「従来の国内盤はエアチェックのモノラル録音並み」と言っては言い過ぎであろうか・・・。最後に「豪華な装丁」「歴史的超優秀録音の優秀なリマスター」「名曲の名演」「高コストパフォーマンス」と本BOXの価値は世界文化遺産級であり、オーディオファイルにとってもオペラファンにとってもマストバイだ!

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