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西荻椿山 さんのレビュー一覧 

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     2013/03/03

    Op.2は基本緩ー急ー緩ー急で、Op.5は緩急の交替が、1楽章または2楽章のガボットやメヌエットなどの舞曲で終結します。1曲8分台から14分弱です。1楽章長くても4分ですから、フーガといっても耳の負担にはなりません。しかし、Op.2第5番の終楽章、Op.5第1番第1楽章(これはどこで初出か知らないが、使いまわし)、第2番第3楽章のようなキャッチーな部分に乏しく1枚聴き通すのはしんどい(なかから1、2選んで演奏するものだろうが、CDという奴はかけっ放しにしますので)。Op.2のほうが聴きやすい。それは作品の質の差ではなく、第1番がFlとVn、第4番がリコーダーとVnを旋律楽器にしているからです。その他は2つのVnで演奏されていますが、FI+Vnやさらには2本のFlでの演奏をもっと混ぜていただいたほうが変化がついてよかったと思います。かなりバロック音楽、ヘンデル好きでないとお薦めしかねるCDです。

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     2013/03/02

    モーツァルトのVn協奏曲(で真作と確定しているもの)は、1775年の第1から5番までしかありません。Vn好きとしては彼がPfに転向していったのが残念で、彼のディベルティメントなどのなかの独奏楽章で気を紛らすしかありません。他の古典派ではベートーヴェンのVn協奏曲はグリュミオー(Vn)のがモーツァルト寄りの名演で救われます。次に似ていないかと目をつけたのが、もう一人の古典派の大作曲家F.J.ハイドンです。本盤には各1曲ずつあるという偽作を除く彼の全てのVnとVcの協奏曲が収められています。Vnがらみの4曲から聴くとF.J.ハイドンらしい嫌味のない気持ちよい音楽です。が、天才ハイドンがここで比較されるのは、協奏曲、Vnにかけては大天才のモーツァルトです。なかではHob.][:6がおもしろく聴けるのはVnの相方にCembが加わっている(この組み合わせは他の二人にない)せいでしょう。Vnソロの他の3曲では第3楽章がまあ近いように感じます。つまり、Vn単独ではものたりません。また、第1楽章でモーツァルトのように油が流れるごとくというか、見事な銀細工みたいというわけにいかず、旋律に継ぎ目が見えギクシャクします。また、第2楽章ではメロディーがもうひとつ高みにも深みにも届かないように聴こえます。モーツァルトのお代わりにするには不足です。あと望みはF.J.の弟ミヒャエルに託すほかありません。Vc2曲にうつると他の二人にはありません。が、ないからという理由の助けがなくても第2番Op.101は名曲と思います。第1番も第3楽章がやや落ちるかもしれないが、匹敵します。総じてこのセットはCD2が聴きものです。アッカルド(Vn)は古典派の形式感覚に忠実な節度ある演奏で好感が持てます。Vcは知らない方だが、この2曲を知るのに不足は感じません(もし、不足ならもっと有名な演奏家の盤が2、3あります)。全曲伴奏にCembが入るのが古風(Vc協奏曲第2番以外は全部1775年より前の作曲)です。

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     2013/03/02

    (古典派の完形で残る)ポピュラーなFl協奏曲はモーツァルトに3曲しかありません。うち1曲は作曲者自身によるOb協奏曲の焼き直しで、天才にも苦手はあったとみえ、もしもっと長生きしても作曲したかどうか。似たものがあればいいなと思って目をつけたのが、F.J.ハイドンの弟ミハエルです。彼の音楽と人柄をモーツァルトは愛したといいます。さて、その協奏曲ニ長調Op.56はモーツァルトのように堂に入った感じはしませんが、節に優美さや色気があるのが共通し、愛すべきものがあります。続くF.J.のスケルツァンド6曲とは聴きなれない曲形式名です。アレグローメヌエット&トリオーアダージョープレストの4楽章です。編成は2つのVnと通奏低音、ObとHrn各2本です。トリオでFlの出番があるので本盤に併録されました。1曲7分ぐらいで、気楽なディベルティメントといった風情です。急速な第1楽章では第2番や第5番、緩徐な第3楽章では第4番や第6番が耳に残ります。最後のホフマンの協奏曲はやはり偽作のOb協奏曲と比べて音楽の流れがスムーズでありません。これをモーツァルトのお代わりにするのは無理です。パユ(Fl)をはじめ演奏はBPO団員中心です。この団体はF.J.の復権を目指して設立されたそうです。忘れ去られてはいませんが、モーツァルトのように未完の楽章まで録音されるというようにはなっていません。個人的にはモーツァルトの後期6大交響曲、ハイドンセット以降の弦楽四重奏曲以外のこれらの種目を聴くよりはF.J.を選びたく、室内楽などにお宝が眠っているのではと期待されます。

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     2013/03/01

    本曲はVPOでの映像ならベーム盤もありますが、見ていません。本盤(V)と87年C.クライバー/バイエルン盤(M)とで比較してみます。Vの序曲の演奏の美しいことといったらありません。フィルハーモニカーが心から共感できるのはプッチーニなどではもちろんないが、モーツァルトでさえ無理している、本曲の作曲家なのだと確信します。しかも隅から隅まで知り尽くしているので誰が指揮台に立とうとこの練り絹のような演奏をくりひろげるに違いありません。彼らに重ねて各役がマリオネットで紹介されますが、この人形があまり感心できません。これがVがMの下位になることを象徴しています。聴くだけならVがいいのだが、視覚を加えるとMのほうがいいのです。本曲は一流指揮者も振るほとんど唯一のオペレッタでオペラ扱いなのだが、オペレッタであることにかわりはありません。歌唱がいい(V)にこしたことはないが、そこそこでも舞台や歌手が美しくわきかえっている(M)ことのほうが肝腎なのです。それは逆、もう知った話だし、見た目はそこそこでもいい、聴いて素晴らしく楽しければいいということでしたら、わざわざDVDを視なくてもいいと思います。CDにカラヤンが2種ありそのうち60年はVPO(このメンバーで映像があればこんな議論は不要だろうに)です。ロザリンデ、Vはヘアスタイルがいただけません。第1幕、ネグリジェ姿の大阪のオカンの寝起きを連想します。第2幕、そのオカンがカラオケスナックでタカラヅカやってるみたいです。第3幕は挽回しますが、帽子を被りベール越しだからというのがつらい。アイゼンシュタイン、卒業して身をかためたばかりという役には若いVのほうがあうはずです。容貌も不細工ではありません。なのに田舎臭くあかぬけない感じなのでウィーン気質の作曲家の作品の役では伊達っぷりでMに負けてしまっています。Vのどんくさいこと、第1幕もそうだが、第2幕でMとの差はさらにひらきます。ヴェヒターのアイゼンシュタイン(M)は何とか歳をごまかせていますが、Vのファルケ博士はアイゼンシュタインと同窓とはとてもみえず、Mのほうがずっといい。最近の小林克也がまだ、ベストヒットUSAをやっている感じで池内紀「ウィーンの世紀末」に出てくる19世紀末ウィーンの歌劇場の話を思い出します。フランク、どちらもかつての名優ですが、彼らも相当きています。刑務所長という役には粋なVよりMのほうが似合っていると思います。Mのクッシェに70年代初めのユニテルの「ウィーン気質」や「マリッツァ伯爵令嬢」での勢いはなくなっているのは仕方がないとはいえさびしい。Vのアデーレ、関取にはなれても女優にばけるのは無理です。それが演技がおおげさすぎるのでイタイ。アルフレートとオルロフスキー公爵は同じですが、私はMを見て次にVを見たときVの方が、後のプロダクションだろうと思いました。実際は7年もはやい(若い)のです。つまりは逆に感じるほどVのノリが劣るということでしょう。しかし、第3幕はVのほうがいいかもしれません。台詞役の看守の芝居のうまさが大いに寄与しています。カーテンコールで一番自然に拍手が出ているのがこの看守役に対してです。観客の目は確かです。総合するとMより★半個減となります。

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     2013/02/28

    ハルトナック著「二十世紀の名ヴァイオリニスト」によれば、カンポーリの技術的練度と微妙なイントネーションの美しさを知るためのレコードとして、タルティーニの悪魔のトリルなどとヘンデルの6Vnソナタの演奏があげられています。前者はこの作品の最高の演奏とされているが、CDは出てないようなので本盤を入手してみました。音が細く控えめに聴こえます。というのも私はこのソナタをグリュミオーの13番から始まるLP、ステレオで聴きなれているのです。同じしなやかでももっとくっきりと抑揚をつけて演奏しています。グリュミオーは上品だが、カンポーリは上品過ぎるのです。おまけのシャコンヌに進みます。ごくごく部分的にいやに速いところもあるが全体はゆっくりです(67年シェリング14分22秒に対し15分50秒)。強弱の幅がないので間延びしてはっきりしない印象です。こちらはもっとはっきりこの曲の最上の演奏ではないといえます。総じて、わざわざ墓場から掘り出して聴くまでの音源ではないと思います。ハルトナックは彼の特性が全てこのレコードに定着できているわけではないとにおわせていますが、タルティーニを聴いてみたいものです。モノラルですが、音は良好です。ただし、ヘンデルのほうが新しいにもかかわらずわずかながら高音がキンキンするような気がしました。

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     2013/02/27

    これはヒドい。何がって台本がです。善玉と悪玉の整理くらいつけておいてほしい。その点、かつての東映時代劇映画は安心の品質でした。今どきこんなものを真面目にとる奴がいるとしたら幼痴園児くらいでしょう。それを大の大人がもっともらしい理屈をつけて解釈を試みる書物が山ほどあるというのだから、驚きを通り越して呆れ返ります。つまりはなんとしてでも合理化したいほどモーツァルトの音楽が素晴らしいということなのでしょう。大の大人がこれにつきあうとしたら夢を見ているのだと思うことです。見ているうちは真剣で理屈も通っているのだが、醒めてみると自分が登場したうちの誰だったのかもあいまいになり、支離滅裂、状況、筋も説明できなくなるあの夢です。さて、本曲のDVDは本盤とこの1年前のレヴァイン/VPO盤しか見たことがありません。このどちらかなら本盤のほうをお薦めします。演出・装置がこちらのほうが夢幻的なのです。それから夢といっても見ているうちはその中の誰かになっているわけですが、タミーノになって見たいのならレヴァイン盤、パパゲーノになって見たいのなら本盤です。つまり風間君が好きならレヴァイン盤、しんちゃんが好きなら本盤です。私は王子といっても性格不明の前者より後者のほうをよほど好みます。眠って食べて飲んでいれば十分、それに可愛い娘がいれば・・・、全く同感です。本盤のタミーノはただでさえ暑苦しい顔が汗だくでレヴァイン盤のほうがいいと思いますが、私的には無問題となります。一方本盤のパパゲーノは少しホーセーさんを思わすところがありピタリなのです。パミーナはどちらも永遠の乙女チックタイプなのですが、さすがにちょっときている感じです。レヴァイン盤の額のしわ、本盤のほうれい線です。本盤のほうがマシとみます。夜の女王はどちらもグルベローヴァ(S)ですが、彼女の映像で役にはまっていると個人的に思える唯一の役です。夜の女王のアリアなど見事に歌いこなしているのはいうまでもありません。私的にはパパゲーノの相手がブスでは幻滅なわけですが、これまた両方同じでパパゲーナ役の方はとても魅力的で安心します。パパパなどの演技は本盤のほうが演出もありますが、自然(つまりアホクサという感じがみえない)です。第2幕レヴァイン盤はややだれると感じるのはBSの違いもあると思います。こうして夢を見終わって耳に残るのは夜の女王のアリアを除くと森の動物たちが喜んできいたタミーノのFlの調べとその音にこたえたパパゲーノのパンの笛です。題名が魔笛というのはもっともなのです。

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     2013/02/27

    パレストリーナは音楽史上大きくあつかわれています。何しろ教会音楽の神様なのだ。が、バッハが生まれる100年近く前に逝去した方で私には難解です。響きが聖なる気分なのはわかるが、どの1節として歌えたためしがありません。本盤を通じてやっと耳に残ったのはパレストリーナではなくアレグリの曲のなかのSにくりかえされる音形です。これは私だけのことではなさそうなのはこのアレグリの曲がタリス・スコラーズの代名詞というHMVレビューでうかがえます。文字通りお経でその経文に音楽がいかにマッチしているかが聴きどころなのでしょうが、そこまでとてもいけません。それにこのお経が異教徒にとっては世迷い言で日本語字幕はあるのにナニイッテルカワカラナイ。音だけ(CD)なら退屈して投げ出すところ映像があると何とかつきあえます(そこまでして聴かなければならない音楽なんてないと思うが)。会場はパレストリーナ縁のローマ、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。本来の場所で音楽が演奏されているのを見聴きできるわけです。しかし、この教会の豊富な文化遺産(5世紀のモザイクなど)が見れるだろうという目論見ならお薦めできません。歌手は主祭壇・天蓋の前に位置し、これを身廊入口方向からたまに後陣方向から写しています。両側廊はここにも歌手が立つのでアレグリの曲のときだけ写ります。いずれも建物細部のクローズアップはありません。ロングでとらえたとき内部の空間感覚がうかがわれるだけです。この教会はテルミニ駅から従って私の泊まれる安ホテルから近いのですが、まだ中に入ったことがありません。いつでも行けると思うのが災いしているのです。このDVDでもよくわからなかったということは見たくばもう一度ローマへ来いという誘いなのか。

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     2013/02/26

    テレマンが設立したコレギウム・ムジクムの指揮をひきうけたバッハが、コーヒー店や戸外レストランを借りて演奏するために作曲したものだそうです。ターフェルムジークにおけるテレマンが何とボンクラに見えることか。比較的有名でない第1番や第4番の楽章でもテレマンがこれほど着実な足取りで1楽章を終え、くっきりしたプロフィールを与えることができたことはないでしょう。ましてや第3番のエールなど持ち出されては同日の談ではありません。ターフェルムジークのどこに目頭が熱くなる旋律があるというのか。テレマンの冥府魔道に沈む暇があるなら、バッハのOrg音楽やカンタータの森を彷徨うほうがよっぽど収穫があるのは確かと思います。本曲集で気になるとしたら第4番の序曲が第3番のそれの劣化焼き直しに聴こえることぐらいです。しかし、これも第4番が第3番の後に作曲されたとしたらで、逆なら第3番に進化したことになります。さて、LPではリヒター/ミュンヘン・バッハ管で聴いていました。CDでは出されていないようなので本盤にしたのです。うろ覚えだが、リヒター盤のほうがリズムのキレがよかったように思います。でも前述のように世俗音楽ですから、あまりに緊迫感があるのも考えもので、本盤ぐらいでいいのかなとも思いました。

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     2013/02/26

    本演奏を知ったのはHMVレビューにあるハルトナック著「二十世紀の名ヴァイオリニスト」によってです。確かにまともな録音状態で聴ける演奏としては本曲の首位にあるものとされています。さて、本演奏はオケはドイツだが、指揮者、ソリストはハンガリーです。ハンガリーといえばチャルダッシュで、ドヴォルザークは隣国で同民族ではないのだが、本曲には第1楽章の跳躍するような主題をはじめ、全体に(緩徐楽章にさえ)それと通底するラプソディックというか活発さが満ちていると思います。マルツィは生まれつき共感しやすいであろう本曲を素晴らしい気迫をこめて弾いていて、躍動感が見事なこと、他盤を聴いたことはほとんどない(後述のとおりいろいろ聴いて確認する気になれない)のだが、ハルトナックの評にまちがいはないだろうと感じます。ただ、この上ない演奏で聴いてさえ第1楽章はともかく先に進んでいくにつれ退屈し、終了するころにはマルツィて清楚な美人だなとか他所事を考えてしまいます。ドヴォルザークはブラームスも羨んだ(その必要は全くないと思うが)というメロディメーカーだが、本曲に関してはたいしたことがないからでしょう。同じ作曲家のVc協奏曲よりはかなり下で、同じVnならブルッフの第1番のほうが上と思います。昔、レコード会社のクラシックポピュラー名曲百選シリーズに入っているのをついぞ見た覚えがないのも納得です。個人的には二度と聴く機会がなくても残念ではない曲です。なお、モノラル録音ですが、音は優秀です。手元にあるのはDG盤です。

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     2013/02/26

    ロストロポーヴィチ(Vc)、カラヤン/BPO、どちらも全盛期、しかも権威ある日本レコード・アカデミー賞まで受賞というのだから、スター主義の私は平伏して購入しました。しかし、バカはバカなりに考えなかったわけではありません。Vc、ソ連出身の演奏家(Pf、Vnも含む)は、どうもベートーヴェン以前の音楽には違和感があります(個人的偏見だろうが)。本曲はもちろん後期ロマン主義の音楽で問題ありません。むしろ強力なオケに立ち向かうには女流や貴公子より剛腕のほうがいいと思いました。カラヤン/BPO、レガートな奏法が長所ですが、それが短所となる音楽もあります。一つは音の向こうに何かが啓示されるような音楽、例えば宗教音楽で磨き上げたからといってなぜか不思議にも神聖な気分にはなりません。これはバロックの大教会に神が下りてくるとは思えないのと同断なのでしょう。もう一つは短い動機をどんどん積み上げ壮大な音の伽藍を造り上げる力感重視の音楽です。例えばベートーヴェンの奇数番交響曲です。本曲はどちらでもありません。むしろダイナモ的推進力で進行すべき第1や第3楽章でさえすぐ耳につくメロディーが支配しています(この点がブラームスの協奏曲に比し一段劣ると感じる所以でしょう)。こうなるとカラヤンのBPOが長所を思う存分発揮できるわけで、逆にフルトヴェングラーやトスカニーニがこんなものまで録音しているかは存じませんが、おそらくあってもカラヤンに及ばないだろうと思いました。それにカラヤンはリパッティ(Pf)とのシューマンやカラス(S)との蝶々夫人(オペラも声による協奏曲と考えます)でわかるように昔から合わせものが上手です。最後に本曲の旋律に新世界と同様ボヘミア風味があるのはわかります。けれどチェコの田舎オケのほうがその風味をよく出しているとしても私にはそれを聴き分けるほどの耳はありません。というわけであまり迷わず決めれましたが、聴いてみて何の不満も感じませんでした。オケがえばりかえっているといわれてみると、Vcをオケがひきとるところや第2楽章でVcが従になってオケが気持ちよく流すところなどでややうるさいかもと思いましたが、いわれて注意すればです。他盤と聴き比べたことはないのだが、素人耳には少なくとも両者が凶演しているとは感じません。なお、併録曲については1回きり聴いただけなのでコメントはさしひかえます。

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     2013/02/25

    メン・チャイといえば、Vn音楽好きのみならずクラシックファン一般が真っ先に入手する盤でしょう。ところが、私はLP時代買ったことがありません。三大B(死語?)こそ音楽という妙な思い込みとソ連への反感があったからです。CD時代になり場所ふさぎにならなくなったのでイタリアオペラを聴きはじめたが、これがなかなかいい。どうやら自分には崇高・壮大な音楽より感情のままに泣き叫ぶような音楽のほうがあっているらしいと気づきました。そこで思い出したのがフーバーマン演奏のチャイコンに関するハルトナック著「二十世紀の名ヴァイオリニスト」の記述です。抜粋すると「フーバーマン(Vn)は13才にしてブラームスの前でブラームスの協奏曲を演奏し、作曲家をいたく感動させた。フーバーマンのチャイコフスキーの協奏曲の演奏(本盤収録)はデュナーミクと圧倒的高揚感において真に輝かしい生命力をもった演奏である。彼はこの協奏曲を直接的に、作曲された時代の熱狂的なロマン主義のスタイルで、ロシア民謡に託したチャイコフスキーの心情にかなった姿勢で演奏している。この演奏にみられる技術的達成度には他のどの大ヴァイオリニスト(ハイフェッツら)も到達していない」。ブラームスは抑制したチャイコフスキーで後期ロマン主義の熱狂では同根でしょう。熱狂ときいてはもはや捨て置けません。聴いてみると息をのむ演奏というのが実在するということでした。ポルタメントかけまくりというような表面的なことではなく何という浸透力何という表現力。チャイコフスキー初体験もきいてKOです。併録のラロについてはハルトナックはフーバーマン自身は自己の最上の録音の一つと考えているにもかかわらず、そして技巧では最高水準と認めるにもかかわらず、悲愴感を帯びた過剰なまでの劇的表現がこの作品の正鵠を射当てそこなっているとしています。ちなみにこの曲のスペイン民謡調とフランス的形式を十全に表現しているのはハイフェッツだそうです。この当否については残念ながらコメントできません。個人的に聴きたい曲ではないからです。なお、HMVレビューのYEYO KOHO氏の解説は、おそらく、「・・・陥っていない。」までがチャイコフスキー、以降はラロについてです。紛らわしいので転載するならするできちんとやっていただきたい。ナニイッテルカワカラナイ気味のところはありますが、ひとつ聴いてみようかと思わせるところはさすがプロです。さてVn協奏曲で感激したからチャイコフスキーを聴きこんだかですが、1つの交響曲も聴いていません。フーバーマンというような天才あってのことと思いますし、何かの拍子で聴いてみると意外に良かったという楽しみをいくつか残しておかないと余生つまらない(聴かないまま逝ってしまう可能性もありますが、成仏できないというような曲でもないでしょう)からです。手元にあるのはPearl盤ですが、ウリ文句どおりなら本盤でもっと聴きやすい状態でこの至高の演奏が楽しめるわけです。SP復刻が問題にならない1枚はこれといえよう---です。

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     2013/02/25

    何の工夫もないジャケットなのに見ると思わず頬がゆるむCDというのがあるでしょう。それは意識していないかもしれないが、あなたがとても気に入っているCDです。私にとっては本盤で、LPが針とびしてまた同じLPを買った数少ないもののうちの1枚です。本盤を知ったのはハルトナック著「二十世紀の名ヴァイオリニスト」のおかげです。それによるとフランチェスカッティは両曲をブラームスへの方向で演奏していて、パガニーニにおいては成功し、サン=サーンスにおいては失敗しているとあります。私ごときには理解不能で、どちらも素晴らしくただただ彼のVnの暖かく良い響きに聴きほれます。特にパガニーニの第1楽章やサン=サーンスの第2楽章のフラジオレットの安定感抜群でいながらしなやかにして優美なことといったら。他者の見解をご紹介ついでにもう2つ記します。パガニーニについては、あるモーツァルトご専門の学者(?)先生が、一番お好きな曲はと質問されて、モーツァルトの数多の名曲のなかから選ぶと思いきや、本協奏曲をあげられたことがあります。いくら名曲揃い、好きで研究しているとはいっても毎日毎日ではうんざりすることもあるだろうと納得しました。が、モーツァルトとパガニーニに共通する面もあるのではとも思いました。Vnの本質、カンティレーナへの天才的即応です。サン=サーンスについては、えらい評論家先生がケチョンケチョンに貶したあげくしぶしぶ序奏とロンド・カプリチョーソを名曲の列に加えたことがあります。先生のおっしゃるとおりサン=サーンスは全く音楽上の開拓をしなかったかもしれません。が、冒険を少しはしたかもしれないR.シュトラウスに先生は甘いのだが、内容にそれほど差があるのだろうか。そして嫌々ながらも彼のVn音楽に一礼せざるをえなかったのは、彼のメロディーメーカーとしての才能は無視しえなかったのではと思います。もし、本協奏曲を排除すると、同時代では、ヴュータンやヴィエニャフスキが上がってくるのだろうが、とても穴埋めできるとは思えません。どなたが何といおうと第3番第2楽章シチリアーナの牧歌的味わいは無類です。フランチェスカッティでこれを聴くと早く春がこないかな、花が咲いたらゼッテーハイキングに出かけるぞと思います。モノラルですが、これこそそれが全く問題にならない1枚といえようーーーです。

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     2013/02/24

    モーツァルトの最上の音楽がつまった作品であることには異存ありません。充実の序曲や3名のSのアリアや二重唱を聴いただけで明らかです。弱点は台本です(台本に弱点のないオペラなんてほとんどないだろうが)。筋は従僕が主人の貴族の横槍をはらいのけて首尾よく結婚するというのだが、フランス革命前夜の民衆は喝采しても、現代人にはさっぱり実感がわきません。ハウスキーパーをやっていてセクハラをうければさっさとおさらばして別の勤め先をみつければいいわけです。脇筋は妻をないがしろにしている夫が計略にかかって浮気がバレて妻にあやまると妻はあっさり許すという話だが、とことん仕返しするくらいでないとおもしろくなりません。敵対していたのが実は親子だったというのもご都合だし、何より喜劇だというのがつらい。変装して混乱するからおもしろいというのだろうが、初回は観れてもネタバレした後では興味は続きません。レシタティーフをばっさりカットして録音した一流指揮者がいたと思うが、一つの見識だと思います。そういうものをノロノロ運転されたらどうだろう、踊る阿呆を観ているつもりが、観る阿呆に化してしまいます。少しテンポが遅いきらいがあるが問題になりませんとしている評論家がいるが、問題でしょう。問題ないとされる方は実演を観た方に多いようです。何から何まで一流で揃えたウィーン国立歌劇場の引っ越し公演というふれこみで、当時の熱狂は例えばヤノヴィッツ(S)が登場のカヴァティーナを歌い終えたところにみられます。Sはまあ自分として普通に歌えたかなという感じなのに熱烈な拍手をうけややめんくらっています。実際その場に立ち会った方はそのときが懐かしく冷静ではいられないのです。しかし、ベームもポップ(S)もとっくに世を去り、何も知らず何の思い入れもない方が本盤を見たらどうだろうか。歌手には旬を過ぎたルーム行きとみられる方がいます。ベッリーニのベルカントオペラではないから即アウトにはなりませんが。そうでない方でもヴァイクル(Br)は見た目不細工ではないのになぜかどん臭い感じがする方です。もっとしっかりした印象の方のほうが一杯くわされたとき快哉が叫べていいと思います。満点はわずかにバルツァくらいでしょう。色気がないのが男の娘をやるズボン役にピッタリです。総合するとフレーニの映画仕立てと帯に短し襷に長しではないでしょうか。もう一つ問題は価格です。歴史的価値は十分かもしれないが、30年以上前の映像です。ウィーンの連中が強欲だからというならさもありなんと考えますが、NHKが利幅を上げているのなら承服いたしかねます。公共放送と称してなかば強制的に受信料を国民(公共放送に期待される中立性に疑問をもつ者を含む)から徴収し、国民の平均からかけ離れた給与水準を維持している団体だからです。公共を唱え本盤が日本文化の向上に資すると考えるのなら損はしないが儲けもしないという態度が当然でしょう。何が何でも本盤でとは思えません。

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     2013/02/24

    第14番から最後の第23番までの10曲の弦楽四重奏曲はモーツァルトのなかではずせません。LPはアマデウスSQで親しみました。バリリSQやウィーン・コンツェルトハウスSQの盤があったが、ステレオ信仰がVPO教にうち勝ったのです。が、71年来日記念のウィーン室内合奏団の第14番・第19番のLP(ステレオ)には驚倒しました。これほど録音の良いLPはないと思います。録音だけではなく演奏自体が、4人の天使が飛び交うごとき水際立ったものなのです。そのときのメンバーはそらで言えます。ヘッツェル(第1Vn)、ヒューブナー(第2Vn)、シュトレンク(Va)、スコチッチ(Vc)です。70年代後半になるとフィルハーモニカー系の室内楽団体で登場してきたのがこのウィーンSQです。RCAのハイドンの弦楽四重奏曲(皇帝など)のLPを1枚購入したが、その後おっかけることはありませんでした。なぜなのか、この商品を聴いて思い出しました。この団体はVaとVcがウィーン・コンツェルトハウスSQ団員であったことでもわかりますが、64年結成のその後継です。結成当初のメンバーでの演奏は75・76年の第15番から第18番の4曲です。他は第1Vnのヒンク(74年からコンマス)だけが生き残っている89・90年の演奏です。そのヒンクやVcの音に艶がなく追う気がおこりません。音の幅がないというか4名から音が拡がりません。最もまずいのは強弱が鈍く、リズムが重い。総じて、生き生きした感じに乏しく盛り上がるべきところで全てはずしていると思える。いい意味で雑作もないという自由さがみられません。1楽章最後のジャジャンだけ妙にはっきり聴こえるのはこちらもやれやれと感じているせいか。どちらかというと75・76年のほうが89・90年よりマシに思います。録音も違うし、LPとはだんちのチャチな再生装置で聴いていることもあるかもしれませんが、ウィーン室内合奏団盤の生動感がないのです。少なくともモーツァルトの愉悦感を味わいたい方にアマデウスSQ盤よりこちらをお薦めするわけにはまいりません。

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     2013/02/23

    本曲のDVDを探すと34件(一部重複)もヒットします。どれを選べばいいのだろう。声がたまらなく好きという方が出てればそれを選ぶというのはありです。そういう人はいないのならパッケージを見て好みの女or男だったらそれにすれば間違いないのではないか。あまりにもなげやり、もう少しヒントをということでしたら・・・まず映画仕立ては避けたほうがいいでしょう。ワルが女性をどんどん追い詰めて運命やいかにというとき、突然女性が長々と自分の生きざまを説明しだし、それが終わるまでワルがおとなしく待つなどというサスペンス映画はないでしょう。そういうのは歌芝居だからという了解のもとでだけなんとか成立します。次に題名からして主役女性歌手(S)で、それも映像作品ですから容姿で選ぶことになります。権力とお金がありいい女には不自由しないであろう男性(Br)が愛人(T)がいるのも承知のうえそれでも何としてでも手に入れたいと思う女性ですから、一見ブスではだめです。BrがSをネチネチ虐めるのが見どころの一つという困ったオペラですからBrより身長が高く頑健そうなのは不適です。といって、嫉妬深さを利用され、追い詰められたあげくのこととはいえ刺殺事件を起こす女性ですから、やさしげでいいなりになってしまいそうでは×で、血の気が多く激しいところがありそうに見える女性が適しています。そうやって選んでいくと本盤のチェドリンスはいい線いっているのではないでしょうか。Sで選ぶとその他は選択の余地はありませんが、本盤をチェックしておきましょう。Tはもう少しおなかをしぼってくれていたらと惜しまれます。まあ、顔が誰かさんのようにすぐにやけだしそうではなく精悍なのでセーフにしましょう。歌は立派にうたっています。Brはおじいちゃんになってしまっていて迫力に欠けます。どの盤か忘れましたが、ヌッチが眼をギョロつかせてSのストールの匂いを嗅いでいたのが、恐ろしくも厭らしく変態チックで印象に残っています。会場はヴェローナのアレーナ(古代ローマ闘技場)です。ここは広さをいかしたスペクタクルシーンが構成できるアイーダやトゥーランドットのような作品、古代という点で、ノルマやメデアといった作品があうのではないかと思います。本曲は大勢でてくるのが、せいぜい坊主の行進で、古代が舞台でもありませんから、普通のオペラハウスのほうがいいと思います。広いから実物の大砲(もちろん空砲)を撃ったりしているんですが、舞台装置も広さをもてあましてイミフ気味です。幕切れ、Sを最上段まで追い上げて、場外にダイブさせるというような演出がとれればいいでしょうが、音楽の尺が足らないし、危険があぶないですしね。

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