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mio さんのレビュー一覧 

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     2017/06/01

     本書の構成は、50人のピアニストを時代、作曲者、国などの括りで散りばめていますが、個性豊かなピアニストを一つの枠に当てはめること自体、質量ともに無理があるように思えます。
     例えば、私の大好きなM・J・ピレシュは「モーツァルトを弾くピアニストたち」の中に入れられ、モーツァルトの作品のCDを中心として記述が展開されることになりますが、発行時までにも1995年のワルシャワ・ショパン協会ディスク大賞を受賞したショパンのピアノ協奏曲第2番/24の前奏曲、1996年のレコード・アカデミー賞を受賞したショパンのノクターン、シューベルトの即興曲などの名盤があり、ショパン、シューベルトの演奏家である側面は無視されています。
     他の評論家などの著書や演奏家自身の言葉の引用が多く、著者自身の演奏家に対する深い愛情を感じさせ、演奏を聴きたくなるようにさせる言葉が少ないように思えます。改訂版を刊行される場合は構成などの再検討をお願いしたいと思います。

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     2017/05/31

    「アリア−グールドの幽霊」に始まり「アリア−明日への夢」で終わるように、この人は、日本の音楽批評界で否定されていたグールド(のゴルトベルク変奏曲の演奏)を正当な地位に引き上げた吉田秀和さんとその著作の「世界のピアニスト」に対する強い思い入れを持っているように思えます。また副題も吉田さんの著書の「主題と変奏」を連想させます。
    さて、本書の「アリア」のグールド。21ページから始まる「ゴルトベルク変奏曲」は、@2回録音したこと、A使用したピアノが1回目スタインウェイ、2回目ヤマハであること、B3曲ごとにカノンを配していること(このことは、吉田さんも「世界のピアニスト」でより詳細に述べられています。)、最後にこの人のオリジナリティとしてCアリアはG音で始まりG音で閉じられ、グールドのイニシャルになることを述べているだけです。
    この人は、誰もが知っているグールドの経歴を理解不能で独善的な修飾で長々と語ってオリジナリティを主張しようとしていますが、肝心のグールドの演奏を聴いての記述はほとんど見当たりません。「グールド讃」ではなく、この人の狭い感性の檻の中に無理やり閉じ込められ窒息しそうなグールド像を描き出しています。
    この人は、「グールドは二度死んだ。まずは、コンサート・ピアニストとして。次いで、グレン・グールド本人として。」と述べていますが、「グールドは三度死んだ。まずは、コンサート・ピアニストとして。次いで、グレン・グールド本人として。そして、最後に、この本の中で。」が正直な感想です。
    他のピアニストにしても、ピアニストに対する尊敬、愛情は全く感じられない記述ばかりで,とても他の方に薦められる本ではありません。

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     2016/11/03

    「マイクロフォンが近すぎる」から「録音がちょっと遠い」まで、評価が★×2から★×5までと人の感性の幅の広さを思い知らされました。私も、感情移入の濃厚な演奏の方向性がピレシュに近いものを感じました。ピアノから程よい距離から録音された残響と中音域から高音域にかけての音は美しいのですが、低音域はこもり気味で残念。ですが、誰が弾いているのか分からない演奏より、自分の感性に合った彼女の演奏をこれからも聴き続けていくことになりそうです。私もHMVで手に入れるまで時間がかかりましたが、ピレシュの次にお勧めします。

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     2016/10/20

    彼女の演奏の第一印象は、「この人は、本当は余り上手くないのではないか。」というものでした。
    彼女の演奏は、第20番から始まりますが、フー・ツォンの全集のように作曲年代順に並べているわけではないので、「スケルツォ集」のラストや「ショパン・リサイタル(2010)」の冒頭に取り上げているとこころからみて、彼女にとって、ノクターンの中で最もこだわりを持った特別の曲なのではないかと思います。
    私も、新たに購入したノクターン集のCDを聴くときには、グラナドスの「ゴイェスカス」の中の「嘆き、またはマハと夜鶯」と名付けられた曲の標題を連想しながら、この曲から聴き始めます。
    彼女以外のピアニストは、1、2小節よりも3、4小節を弱く弾き、闇と静寂さを表現しているのですが、彼女の演奏は1、2小節を単純に繰り返しているだけの演奏のように聴こえます。
    さらに、彼女以外のピアニストは、中間部(21小節から43小節)の速度を速め、第2コンチェルトとの関係を連想させながら演奏するのですが、彼女は、ここでも最初のLentoの気分を単純にそのまま引きずって、コンチェルトとの関係を連想させることなく最初の主題に戻ってしまっています。このため、中間部が意味のない間の抜けたものになってしまい、曲全体として起伏の乏しい、何とも退屈な演奏になってしまったように感じられます。
    第3番では、左手の伴奏がぎくしゃくして右手の旋律より目立ってしまい、時につまずきそうになり、結局、何を弾いているのか分からなくなって、演奏の体を成していないように聴こえます。
    第16番は、左手の伴奏の音域が広がると下降部分が不必要なスタッカートになったり(20、22小節)、伴奏としての抑制を欠いているために主旋律を超えて耳障りに聴こえたり(39小節あたりから)、右手だけで演奏される二声の旋律線が絡み合うと左手の3連符が付点つきの覚束ないものになったり(31から34小節あたり)しているように聴こえるのですが…。
    第17番は、左手がシンコペーションのリズムを取り始める37小節目あたりから曲の進行が不安定になり、トリルへの繋がりに必然性が感じられず、終わりまで落ち着きのないまま終わってしまっています。
    第18番は、ショパンの晩年の作品だけに、諦念感と焦燥感が交差して、やがて透明な空気の中に昇華して消えてゆくような曲ですが、私には、彼女の演奏が、音色、情感、緩急、リズム感に乏しいために単調で物足りず、私が聴いた多くのピアニスト、とりわけ同じ曲集で1996年のレコードアカデミー賞を受賞したピレシュの演奏と比べるとその差に大きなものがあるように思えました。

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     2016/07/18

    2曲ともテンポがやや速めで「軽い」。D664の第1楽章はフレーズとフレーズとの間が前のめりで忙しなく、第2楽章はあっさりと終わり、第3楽章は速度感だけが印象に残る。ジャケット写真から判断すると円熟の域に入っている年齢のようだが、D894も陰影に富んだ演奏を期待すると裏切られる。何度も聞いて味わうには内容の乏しい演奏のように思える。

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     2016/07/14

    一言でいえば「主観」を前面に押し出した演奏。テンポが一定せず、穏やかな部分はテンポを不必要に揺らし、クライマックスでは急に速度が上がり、1オクターブ下のキーを重ねた強烈な打鍵に驚かされる。
    録音は、中央に小さくモノラル的な音像で音の分離が悪く、解説書にはピアノがスタインウエイのD(フルコンサートグランド)であると記載されているが、輝くような音色は聴かれず、2005年から2006年のDDDの録音とはとても信じられない。
    最初に書いたとおり、強烈なフォルテッシモに何回も驚かされたが、第21番ハ短調(!)の最後のフレーズで、42小節目の左手の伴奏を鼻歌でも歌うかのように(楽譜にない)スタッカートで始め、44小節目と45小節目を強烈に響かせ、投げ出すように最後の和音を終える演奏を聴かされると、彼女のほかの演奏を聴きたいとは思わない。

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     2015/12/06

     ルートヴィッヒさんに大賛成。彼女のノクターンの皆さんのレビューを見てショパンとシューベルトの全CDを大人買いしたのですが、ルートヴィッヒさんのレビューに気が付かず後悔しています。ニュアンスに乏しい表現、流れを妨げるようなアクセントと不自然な間、重い足取りのリズム感、音の粒が感じられず、レガートでもスタッカート気味で右手の主旋律を邪魔する締まりのないうるさい左手の伴奏、何度聞き直しても彼女の演奏に皆さんが感じられる★×5の魅力を感じることができませんでした。
     特に、ボーナストラックのライブ演奏の3曲は、天井が低い講堂の一番後ろの席で聴いているような残響過多の録音で、演奏もニュアンスの希薄な主部と激しい悲しみの中間部を通り過ぎた後の痛みが全く感じられない淡白な再現部のOp.10-3『別れの曲』、耳を覆いたくなるような肥大したフォルテのエチュードOp.10-12『革命』は聴くに堪えられないものでした。

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     2013/06/12

    モーツァルトのK488の協奏曲を除いて他のCDでも聴くことのできる演奏ですが、ピレシュの素晴らしさを十分楽しむことができます。
     DGの専属となった80年代後半のころから、ピレシュの表現力は拡大し、より深くなったように思えます。
     CD1では、モーツァルトのK322のソナタが、底知れない深さと巨大さを持ったソナタであったことを気付かせてくれますし、シューベルトのD946の3つの小品についても、Stückeを「小品」と訳するのが不適当なほどの広がりと深みを持った姿を見せてくれました。特に今、私は、第2曲の演奏に夢中になっています。慈愛に満ちた変ホ長調と哀愁の漂う変イ短調(♭が7つ!)の二つの至高の歌がこれほど心に響いてくる演奏は初めてです。
     ショパンの作品27の2曲と作品55の2曲のノクターンもかつてこれほどの物語性を秘めた劇的なノクターンを聴いた経験はありません。
     CD2のモーツァルトのK488の協奏曲は競奏でも狂奏でもない文字通りの温かい雰囲気の協奏曲になっています。シューマンの協奏曲についても、ピアノ五重奏曲とのCDのレビューの繰り返しになりますが、冒頭の下降和音の3小節の後のオーボエをはじめとする木管楽器に応えるピレシュの美しいソロの響にも表れているように、ピアノの音量を最大限使うようなフルオーケストラとの演奏とは異なり、オーケストラ全体や各パートの「対話」を楽しむような演奏で、どこを聴いても暖かく、聴いている私を幸せな気持ちにさせてくれる稀有の演奏でした。終楽章のエンディングに向かうにつれてピレシュのピアノとオーケストラは、弛緩とは無縁の次々に弾けるような推進力、美しさと楽しさに魅了されます

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     2013/06/12

    ショパンのノクターンの世界の中でピレシュの個性、感性が自由に羽ばたいている印象。限りなく自由であるけれどショパンの世界を壊すどころかより一層輝かせてくれています。
     特に、後期の曲の演奏のすばらしさについて、何と表現すればよいのか…。ぜひ皆さんにもこの★10個の喜びを味わっていただきたいと思います。

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     2013/01/12

    協奏曲については、比較的小規模なオーケストラとの演奏で、冒頭の下降和音の3小節の後のオーボエをはじめとする木管楽器に応えるピレシュの美しいソロの響にも表れているように、ピアノの音量を最大限使うようなフルオーケストラとの演奏とは異なり、オーケストラ全体や各パートの「対話」を楽しむような演奏で、どこを聴いても暖かく、聴いている私を幸せな気持ちにさせてくれる稀有の演奏でした。終楽章のエンディングに向かうにつれてピレシュのピアノとオーケストラは、弛緩とは無縁の次々に弾けるような推進力を持ち、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで時々放映される男性の間を軽やかに輪舞する美しい女性を髣髴とさせる美しさと楽しさ。ブラヴォー。
     ピアノ五重奏もデュメイに象徴されるように柔らかく明るい弦楽器がピレシュの柔軟性と堅実性を兼備したピアノと美しい歌を奏でてくれています。

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     2012/10/14

    現在入手困難の表示がありますが、グラモフォン111周年のコレクターズボックス(イエローの第2版)に収蔵されているもので聴きました(これも正価では現在入手困難ですが…)。周知のとおりマーラーは作曲家でありながら、ヴィーンのシュターツオーパーのロビーに置かれている歴代の音楽総監督の胸像に加わっているとおり優れた指揮者ですから、オーケストレーションには鋭い感覚を持っていたと思います。功罪はともかく、シューマンの交響曲のもやっとしたオーケストレーションをすっきりした響きに編曲した全集を今でもシャイー/ゲバントハウスなどのCDで聞くことができます。マーラーは、伝記をみても自己の曲を実際に演奏した経験から改訂を行っており、改訂版のオーケストラスコアでは、この交響曲のフィナーレにおいてバスドラムとトライアングルは最終小節の一つ前の小節まで、ティンパニーは最終小節の1拍目の四分音符までしか楽譜に書き込んでいませんし、2拍目の四分音符は管楽器と弦楽器のみで演奏され、打楽器は全く演奏されないようになっている以上、そのように演奏すべきであると思います。バーンスタインは、2拍目にもティンパニーとバスドラムを強打させ、聴衆に完全終止の印象を強く与えてしまっていますが、私は、この一見(一聴)収まりの悪い最終小節は、青年マーラーが作曲家や指揮者としての世界に打って出るといった気概をあたかも扉をバタンと閉め、くるりと振り返って明るい日差しの中に飛び出してゆくようなイメージの叩きつけるような二つのD音(村井翔氏の「マーラー」(音楽の友社)の作品編の196ページの「強烈な四度下降のカッコウ動機を叩きつけて、曲を終わる。」は、スコアを見れば明らかな誤りで、四度下降のカッコウ動機はところどころに現れますが、主音である強烈なD音のオクターブの下降で曲は終わっています。)で表現したものではないかと考えており、バーンスタインの改変は、作曲家の思いを理解していないのではないかと思います。したがって、バーンスタインの思いが熱く込められ彫の深い演奏ですが、全体的に清冽さに乏しいことを含めて★1つの辛口の評価をさせていただきます。

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     2012/09/30

     この12CDの交響曲集とヴァントの33CDボックスの購入を機に、カラヤンとインバルの全集、ベーム、フルトヴェングラー、ジュリーニ、クレンペラーの何曲かを聴き比べながら、ブルックナー浸けの夏休みを過ごしました。
     チェリビダッケの美点が、ライブ録音でありながら入念なリハーサルによって得られた整った響きで、楽譜にあるすべての音を聞き分けることができることにあることについては、多くの方が述べられているとおりです。条件の良い録音用の演奏でありながら、この楽器の音が鳴っていないなと教えられた箇所がいくつもあり、この演奏によって、新しい魅力を発見することができました。
     一方、チェリビダッケの演奏には、テンポの遅さのため曲に対する構成感が希薄(魅力ともなりますが…)で、強音の箇所でオーケストラ側がどこまでの音量と長さで演奏するか混乱して、音が鳴りきらないうちに脱力してしまう傾向があります。
     第9番では、天空に昇っていくように静かに消えてゆくべきホルンの音が、余りのテンポの遅さのため奏者の息が続かず、息継ぎか吹き継ぎのために最後の最後で音が不安定で厚くなってしまっています。
     第7番以降の3曲の特に7番の第2楽章(音楽の友社のポケットスコアでは練習番号Sから)、8番の第1楽章(同じく練習番号Uから)、9番の第3楽章(同じく練習番号Oから)のそれぞれの最後のクライマックスの部分は、ヴァグナーの死ややがて訪れる自分自身の死に対する極めて人間的な切羽詰まったおののきや痛切な悲しみの爆発を聴き取ることができると思うのですが、チェリビダッケのコントロールが効いた破綻のない音で演奏されるとその痛切さが伝わらず、どうしても不満が残るのです。
     私は、静かに終わる曲で、最後の音が消えた後の拍手までの間の素晴らしさをこよなく愛する者ですが、クライマックスを作って強音で終わる曲で、このCDのように楽譜よりも明らかに長すぎる拍手までの間については、聴衆と同じ空気を共有していない私には、その間を強制されているようで興ざめでした。
     したがって、チェリビダッケのファンの方には納得できないでしょうが、私の好みで★3と★5の間の★4とさせていただきます。
     最後に私がこの交響曲集の中でどうしても忘れることのできない演奏があります。
     何人かの方がチェリビダッケの第4番の演奏を高く評価していますが、私も賛同します。付け加えますと、チェリビダッケは終楽章のコーダ(音楽の友社のポケットスコアでは練習番号Vから)で第1、第2ヴァイオリンとヴィオラのトレモロを浮き上がらせ、最初はややそっけなく、そしてクライマックスに向かって次第に悲しみとも怒りともつかない行進の足取りのように響かせて演奏させています。そのために、クライマックスで壮大に演奏される冒頭の動機が輝かしい変ホ長調であるにもかかわらず、これほどまでに痛切な響きで聴いたことはありませんでした。(あるいは、この第4番の拍手が録音されていないのは、チェリビダッケの意図しない早すぎる拍手のせいだったのでしょうか。)

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     2012/04/27

     多くの方と同様、第2番を聴いて、他の曲の「ロマンティックなアダージョ」を期待して交響曲全集に手を伸ばしましたが、第2番が最も愛される理由が理解できました。
     3曲の交響曲を並べて聴くと、第2番(1907)は奇跡に近い存在に思えます。二十歳代前半の第1番(1895)は、いろいろなものを詰め込みすぎて、結局、何が言いたいのか訳が分からないものが出来上がってしまったような印象を受けました。六十歳代半ばに作曲された第3番(1936)は、すでに楽想の創造力が枯れ果てて、捻り出したメロディを苦し紛れにつなぎ合わせた感があります。
     他のところのレビューでも述べたのですが、結局、他の曲の「ロマンティックなアダージョ」の発見を諦め、皆さんのレビューを頼りに、この第2番の「最もロマンティックなアダージョ」を探して、老舗のオーマンディの全曲盤、定番のプレヴィン盤2種、プレトニェフ盤、マゼール盤、ゲルギエフ盤2種、フィッシャー盤、ザンデルリンク盤、そしてアシュケナージ盤と本全曲盤を集めてきました。
     でも、いつもこの演奏に戻ってきてしまいます。魅力は、豊潤で伸びのあるしなやかなコンセルトヘボウの表現力とデッカの柔らかなホールトーンの録音、そして、凡庸、無味乾燥とは無縁の清冽で丁寧なアシュケナージの曲運びでしょうか。
     若い方は別のイメージを持たれるかもしれませんが、この曲の全体を支配している「懐かしい過去から吹いてくるような風」と「溢れ出てくる想い」をこれほどまで表現してくれているCDは今のところ他にはありません。還暦を迎え、その思いは一層強まっています。
     他の2曲の交響曲の演奏についても、アシュケナージとコンセルトヘボウの演奏、デッカの録音の質の高さに変わりはありません。
    なお、アシュケナージの全曲盤は交響曲3曲だけの2CDのものと「鐘」、「交響的舞曲」、「死の島」の管弦楽曲を含んだ3CDのものがありますが、2CD盤は肝心の第2番の第1、2楽章が1枚目、第3、4楽章が2枚目に分かれてしまい興ざめですので、私が購入した2CD盤ではなく、この3CD盤を選択された方がよいかと思います。

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     2012/02/04

    シークレット・ガーデンとの出会いは、NHK−FMの深夜番組のタイトル音楽で使われていた第1曲の「Moon Gate」でした。冬の張りつめた夜空にかかる月の光が、葉の落ちた並木道を歩く男女に降り注いでいるような物語性を秘めたような曲で、当時、手に入る他のアルバムも集めるきっかけになりました。
    星が1つ足りない理由は、ヨーロッパの村祭り風の第3、9曲目のような曲と第13曲のもったいぶったようなナレーションを好まない全く個人的なものです。

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