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I amSterdam さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/07/17

    《放蕩者の成り行き》はストラヴィンスキーのオペラの中では比較的上演機会の多い作品ではありますが、「自作自演盤」を筆頭として、満足できる録音に恵まれてきた作品とは言えないのではないでしょうか。ところが、この録音で聴くと鬱積していた不満が一気に解消。充分に説得的というのみならず、作品の真価を問い直し、聴く者に本作の再評価を迫るほどの名演!聴いていて愉しい演奏です。なによりストラヴィンスキーの新古典主義時代に特有の乾いたユーモアが満喫できるのが嬉しいところ。ボストリッジをはじめとする歌手陣、モンテヴェルディ合唱団、ロンドン交響楽団の充実度・貢献度も見逃せませんが、成功のキーパーソンはやはり指揮のガーディナーだったことは間違いのないところでしょう。軽妙なサウンド、切れのよいリズム、アンサンブルの妙。いずれも秀逸!2時間余りがあっという間に過ぎ去ります。もちろん聴後の充実感は映像も含め、他の録音を寄せ付けない密度です。アビーロード・スタジオでレコーディング・セッションを組んだのも成功の一因ではないでしょうか。ストラヴィンスキーというといわゆる《3大バレエ》にのみ人気が集中していますが、戦後の作品にも傑作が少なくないことを実証する名演と申せましょう。蛇足ではありますが、貴重な音源でもあり、お蔵入りになる前にお早めのご購入をお勧めします。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/06/14

    ここでのラトルのアプローチには、かのフルトヴェングラーと相通ずるものを感じます。とはいえ、音楽作品あるいは音楽演奏もまた文化であり、文化とは時代の空気を敏感に読み取って文化それ自体のなかに投影する性質を有するものであるからには、演奏スタイルにかつての巨匠の面影を求めることなど不可能なことは…歴史の証明するように…自明の理でありましょう。ラトルとフルトヴェングラーに通ずるのは「アプローチの方法論」に過ぎないのですから…。そもそもシューベルトその人もまた世代が異なるとはいえ、ベートーヴェンと同じ時代に同じ街の空のもとで音楽活動をしていながら、世代が異なるがゆえにシューベルトの作品内容の核心にはベートーヴェンとは相容れない要素があることこそ、文化と時代の空気感との関係をよく物語っているのではありますまいか。それらに思いを致してみると、この演奏にたいする多くの酷評を拝読する限り、あまりにも表面的にしか聴いていない聴き手が多いことに危惧の念を抱きます。かつての巨匠がそうであったように、ラトルもまた時代の「新しい」空気を、鋭敏な感覚と指揮者としての類い稀なる手腕によって「新しい」シューベルト像として結実させることに成功していると言えましょう。たしかにここではスケール感も重厚さも聴けはしません。ですがシューベルトの音楽が、ピリオド楽器やピリオド・アプローチなど珍しくもなくなった今日にあって、果たしてスケールの大きい重厚な音楽であったのでしょうか…。わたくしに限らずそこに疑問を抱く聴き手は少なくないはずです。ここでのラトルとベルリン・フィルの演奏の真の価値は、テンポだのリズムの刻みだのといった極々表面の部分ではなくて、「大ハ長調」という呼称に代表されるような既成の概念にとらわれず、アグレッシブなまでにこの音楽が本来持っている新たな生命を引き出したところにあるのではないでしょうか。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/07

    マーラー・イヤーとはいえ、ここのところ「復活」が相次いでリリースされるのは何か特別の理由でもあるのでありましょうか…。さて、それはともかく、このサイモン・ラトル&ベルリン・フィルによる「復活」は他を寄せ付けない別格の出来映え。サウンドに威圧感は微塵もなく、むしろ軽やかで透明度も抜群。聴き終えて清々しい感銘が余韻となって残ります。これほどの大曲でありながら、何度聞いても疲れない、飽きが来ない、ということそれ自体が何より演奏水準の高さを物語っているのではありますまいか。こうした秀でた演奏は、たんにベルリン・フィルのポテンシャルの高さのみで得られるものではなく、やはりラトルの手腕に負うところが大きいことは明らかでありましょう。ベルリン・フィルから重厚なサウンドを奪った、と批判されることもあるラトルですが、音楽の世界も国際化した今日にあって、オーケストラのサウンドに解像度の高さや優れたバランス感覚が求められるのは時代の要請とは言えないでしょうか。またそうしたサウンドを得るのにラトルほどの適任者は他にいないのではないでしょうか。事実、旧い既成の概念にとらわれることなく、まったく新しい視座からスコアを精読したであろうこの清新な演奏を聴いていると、ラトルと良好な関係を築いたベルリン・フィルが旧い殻から脱皮して真に世界をリードする存在となったことを得心するのみならず、マーラーの音楽に何か逸話めいたものや、濃厚なロマンティシズムなどの夾雑物を求める時代は、もはや遠い昔となったと思わずにはいられません。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/07

    仲道郁代とパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルハーモニーという理想の顔合わせで実現した、極上の演奏です。オーケストラはもちろんのこと、仲道郁代もまたピリオド・アプローチを的確に踏まえて、両者の呼吸はぴったりと合っています。聴いていて理屈抜きに愉しいと言うところが嬉しい。このコンビではだいぶ以前に発売された第5番&第3番のアルバムがあり、そちらですっかり魅了されていたのでしたが、残りの3曲が発売されずにいたため、レコーディングが頓挫したものと諦めていただけに、歓びもひとしおです。ここでの一番の魅力は、演奏者が愉しんで音楽をしているのがストレートに伝わってくると言うところでありましょう。それを際立たせているのがピリオド・アプローチ。それは重厚でしかつめらしいベートーヴェンでは聴くことのできない魅力もあります(ちょうど内田光子がザンデルリンクの指揮で堂々たる体躯のベートーヴェンを録音したのとは好対照をなしている)。仲道郁代のベートーヴェン、あるいは近年よく弾いているモーツァルトなどで垣間見せる古典への探求心には頭が下がります。そうした探求心が彼女をしてこれほどのベートーヴェン奏者ならしめているのでありましょう。いずれにせよ、日本のピアニストがピリオド・アプローチでベートーヴェンを弾きこなすようになったことを示す画期的なアルバムであることに間違いはありますまい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/07

    神尾真由子のヴァイオリンには音に張りと艶があり、収録されている2作品にはうってつけではありますまいか。「テンションが高い」あるいは「明暗の対比が巧くない」との指摘はわたくしには的外れに感じます。アプローチはむしろオーセンティックと言っても良いほどの正攻法で奇を衒わない演奏スタイルには好感を抱きます。同時に肩の力が抜けているという点も成功のポイントと言えましょう。こうした好演となったもう一つの要因がトーマス・ザンデルリンク指揮ハレ管弦楽団の好サポートにあったことも確かでありましょう。とくにハレ管弦楽団の巧さは特筆に値するもので、リズムの切れも良く、サウンドも軽やかに見晴らしの良い音楽を聴かせてくれます。管楽器などのソロが秀逸なのも嬉しい限り。加えてトーマス・ザンデルリンクの指揮も見事と言えましょう。決して重量級になることなく、バランスなどオーケストラの特質を活かした密度の高い演奏には、これも経験の賜なのかと思わず脱帽です。とまれ演奏に妙な灰汁がないのがここでの演奏の一番の特徴ではありますまいか。既に何度となく聴いていますが不思議と飽きの来ない演奏と申せましょう。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/11

    絶品。言葉もないほどです。ここでのマーラーは、感情の発露がむしろ内へ内へと向けられ抑えた表情に凝縮されて、最後には明鏡止水とも言うべき静謐な世界のもとへと音楽が収斂してゆくといった趣。感情を声高に叫ぶこともなければ、大仰な身振りもない。読譜の視座に「新しい眼差し」を感じ、マーラー演奏の在り方が新しい時代にふさわしいものへと変わったと痛感します。深く彫り込まれ美しく磨き上げられたディテールが全体の自然な流れと融合する構築性も見事な音楽には、フレージングやアーティキュレーション、そしてテクスチュアへの配慮をゆるがせにしないラトルの基本に忠実な姿を見る思いです。この彫琢も念入りな、しかし穏やかで静かな自然の流れに身を委ねているとやがて穏やかで清澄な心持ちになる。音楽を聴くこれ以上の悦びがありましょうか。音楽には音楽でなければ表せない何ものかがある。それを心得た音楽家の演奏はいたって基本に忠実なのではないか。そんな感慨を抱かずにはおれません。ラトルとベルリン・フィルの蜜月を思わせるこの演奏には、少なくともこの音楽が内包するひとつの実相が投影されていることだけは確かでありましょう。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/11

    この演奏に否定的な意見が多いのも解りますが、申し訳ないけれど演奏のごく表面しか聴いていないように思えます。そうした人たちにはベートーヴェンの音楽に固有の器楽性を徹底して追求した当然の帰結と聴けないのでありましょう…。こうしたアプローチで臨むからにはラトルもスコアを精読したに違いありますまい。従来の演奏慣習にとらわれない「新しい眼」で…。楽譜に読み取った音楽に忠実であろうとするその姿勢にはどこかフルトヴェングラーの音楽に臨む姿勢と通じるものがあるようにさえ思えます。生きた時代に半世紀以上の開きがあるからには音楽となって表されるものも違うのは当然でありましょう。その一方をして伝統に培われた巨匠と賞賛し、ラトルを酷評するというのはあまりにも音楽を聴くにしては度量が狭いように思います。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/02

    瑞々しい音楽世界に、清々しいシューマンそしてブラームスの音楽世界に、ようやく巡り会えた。そう思わずにはいられないほど新鮮な瞬間が続いてゆきます。その鮮やかさはいつ聴いても、幾度となく聴いても色褪せることがない。音楽に深い思いを込めることなく、その場に集って自由に伸び伸びと音楽する彼らの姿を見るようです。その姿勢、その姿がここでの2つの音楽世界を本来あるべき姿へと導くのではないでしょうか。ここでの2作はいずれも「若い」作曲家の姿であった。「若い」彼らが内に抱く若さを室内楽という自由な空間に託した音楽であった。そこには苦渋の思い、屈折した思いもまた秘められていたかも知れない。よしんばそうであったにせよ、そうした屈折した思いはけっして声高に叫ぶような性質のものではありますまい。ここで聴く自然体の音楽、控えめとさえいえる音楽に耳を傾けているとそう思える。音楽がおのずから心の収まるべきところへと収まってゆく。いつしかそうなるのです。深刻さはおろか構えや力みを一切感じない彼らの演奏、驚くほどあっという間に70分という時が経ってゆく彼らの演奏に、この2作品の本来の姿なり実相を見る思いがします。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/02

    ポリーニのピアノ、とりわけシューベルトやシューマンを聴くとき、必ずと言っていいほど居心地の悪さを覚えます。確かに「ピアノの世界」という意味では完璧であり、完結しているとも言える音楽です。だがそこに「ピアノの世界」を追求する求道者ポリーニの姿勢が見える。その姿勢がわたくしをして居心地の悪さを抱かせる。ピアノという楽器を突き詰めようとするポリーニの姿勢がそうさせるように思えるのです。だから、シューベルトはもちろんシューマンも手がけたリートの世界をポリーニが弾いたなら、ピアノというメカニックな楽器とは対極にある「声の世界」とあまりに乖離してしまうのではないか。そういう危惧を抱くのでしょう。もちろん「声の世界」と「ピアノの世界」は別物かも知れない。けれどもその2つの世界を創作した当の本人にあっては何らの別なく一個の人格のなかで、ひとつ心から生まれ出た世界であったはずです。それを思うとき、例えばシューベルトの傑作リート「夜と夢」のピアノに聴く幻想世界を、このポリーニのシューベルトからは感じることができない。もちろん思いを込めて音楽するより、求心的に臨んだ方が作品の実相を映すに違いない。しかしながらその実相には(それが実相であるがゆえに)「音楽の愉悦」という余情が滲み出るものではないでしょうか。余情という言葉の字義どおり、それは思いを込めて「出す」ものではなく、実相から「出る」ものでありましょう。余情を感じないポリーニの「ピアノの世界」を象徴しているのが、「若者の音楽」であるこのシューベルトでありシューマンであるように、聴けば聴くほど思えてならないのです。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/15

    絶品です!録音(1973年)から時を経たいま聴いても新鮮で、その魅力は色褪せることがありません。まず惹かれるのは、モノトーンで深く豊かな音色!人間の息遣いもそのままに一本の笛の音に託された「心の音楽空間」が拡がってゆきます。その「心の音楽空間」のなかで、バロックにはじまり近現代の音楽までを順に聴き進んでいくと、20世紀の音楽も長い歴史の文脈の流れにあって必然に生まれた「新音楽」に過ぎないという思いとともに、バッハを聴くときと同じ心持ちで収まるべきところへとしっくり溶け込んでゆきます。子どもの時分にこうした演奏で20世紀の「新音楽」に接していた己が身の幸運に思いを致すとき、70年代当時Cavesに録音されたグラーフの名演のほどんどが今日手に入らなくなっていることを残念に思わずにいられません。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/01

    ベートーヴェンの音楽が持つ器楽的性格を非常に見事に表現した傑出した名演奏です。と同時に、ベートーヴェンの音楽の本質とも言える「明るさ」「軽妙さ」も見事に描き出されていて、手垢にまみれたベートーヴェン演奏からは想像も出来ないまったく新しいベートーヴェン像がここにはあります。思えばハイドンから会得したであろうベートーヴェンのユーモア精神がここまで活かされた演奏というのは、さほど多くないのではありますまいか。とにかく遊び心に満ちています。さらに言うなら、ラトルにとってピリオド・アプローチはもはや身構えてするものではなく、ごく自然に身についたものなのでしょう、かつてのアーノンクール盤で聴いたような「ぎこちなさ」は微塵もなく、驚くほど柔軟でこなれています。ウィーン・フィルの側から録音のオファーがあったというだけのことはあって、オーケストラも秀逸!長い歳月を経た演奏慣習で作られた、しかつめらしいベートーヴェン像を一蹴する、聴いていて愉しい音楽といえましょう。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/26

    数あるこの作品の録音から、このディスクを手にする聴き手は少ないかも知れませんが、マーラー演奏が新たな局面に入ったことを強く印象づける、極めてフレッシュな秀演です。オーケストラのサウンドは凛と引き締まり、いらざる夾雑物は一切ないという純音楽的なアプローチ。過去の演奏慣習を洗いざらいぬぐい去り、ひとつの音楽作品として設計し直すといったところでしょうか。しかし、振り返ってみれば、こうした演奏スタイルは21世紀を見据えたラトルの演奏あたりから、すでに今日的なマーラー演奏のスタイルとして確立していたと言えるでしょう。現代において、マーラーを特殊な音楽と捉えるのはもはや時代遅れなのではないでしょうか。演奏スタイルは時代によって確実に変化を遂げてゆきます。いつまでも、ワルター、バーンスタインではありますまいに…。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/26

    アラン・ギルバートの才能と手腕が光る傑出した演奏です。音楽の流れに逆らわず、さながら曲に身を委ねるといった趣き。それでいて、各声部の処理もていねいで、細部がごく自然に曲全体へと溶け込んでゆきます。聴き始めると、いつの間にか惹き込まれ、しばし自然の中を散策していると、清々しい心持ちのうちに音楽は終っている、その全体設計の巧まざる巧さには感服させられます。それを具現化するロイヤル・ストックホルム・フィルの技量も、ギルバートとの演奏活動なくしては得られなかったでしょう。ビルダーとしての手腕の確かさを証しています。録音を急がなかったのも正解だったのではないでしょうか。斬新というよりも、マーラーに対する既成概念を払拭する新鮮なアプローチと言えるでしょう。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/26

    マーラーに対する懐古趣味とさえ言える古い固定観念に囚われた聴き手には、おそらくこの演奏の素晴らしさは理解できないでしょう。来日公演でのコンサートにも足を運びましたが、そもそもオーケストラの音のスピード感からしてまったく他を寄せ付けない腕っこき揃い。練習嫌いのウィーン・フィルには絶対に出せない音です。個人技から、パート、セクション、合奏力と音楽性。すべてにおいてパーフェクトなベルリン・フィルを相手に、ラトルの楽曲把握は極めてモダンなもの。テクスチュアはあたかも眼前に拡がっていくかのように明確ですし、内声部に対する細心の気配りも怠りありません。何よりリズミックなのが魅力的。バーンスタインの粘っこいマーラーに辟易している向きにはもってこいの演奏と言えるでしょう。ただ、バーンスタイン信奉者はやはり多いようで、来日公演の際にもおりました。すぐ近くで「こんなマーラー聴かせやがって」と声高に言う人が…。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/26

    ヤンソンスの指揮は敬服に値します。作品全体を俯瞰し、奇抜とさえ言えるこの作品の性格をじつに見事に描ききっていると言えるでしょう。リズムの切れも良く、いわば「軽いノリ」が心地よい。ただ、オーケストラには感心しません。とりわけ金管楽器群はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に較べ、聴いていて耳障りなほど粗く聴き劣りします。今日のオーケストラの技術水準からすると、B級と言っても差し支えないでしょう。また、オーケストラのサウンドがモノトーンなため華がなく、メリハリをつけた楽曲設計が効果的に活かされないまま曲が終わるというのも気になります。そのためか、一体に単調な感は否めません。指揮者が卓抜した慧眼の持ち主であっても、それを具現化できないオーケストラでは如何ともしがたい、その好例でありましょう。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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