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てつ さんのレビュー一覧 

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     2024/03/23

    今回もジャケ写が興味深い。過去のシリーズでヨーヨーとアックスはカヴァコスに笑顔を強要し、カヴァコスがそれに辟易している様子があからさまだったが、今回ついにカヴァコスの意見が採用され、3人のアップによるスリーショットはなし、遠方からの演奏写真とあいなった。それもモノクロである。この変遷は何を意味するのか、と余計な詮索はここまで。肝心の演奏だが、交響曲4番が星3つ、太公は名演である。まず4番だが、今回の編曲はイスラエルのピアニストであるシャイ・ウォスネル。私の感想でしかないが、あまり良い編曲ではない。特にチェリストにとってはつまらないだろう。旋律がピアノと被るところがあまりに多く、音が相殺されて、ヨーヨーの良いところが出ない。カヴァコスも同じ傾向だが、こちらは高音楽器だからまだ音は聞こえるようだ。ということでこの演奏、ヨーヨーがやる気のなさを露呈しているとさえ思える。一方大公だが、こちらはいつも通り力を抜くことでかえってお大きな音楽を作る路線が曲とマッチして名演。テンポが遅めなこともあり、これほど余裕のある大公を私は聴いた事がない。もっとガツガツしたせめぎ合いのような演奏ができるのに、しない。次回も期待したいが、もう少しヨーヨーに配慮した編曲にしてあげて欲しい。ジャケ写も楽しみである。

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     2024/03/18

    深い譜読みとキレキレがトレードマークのベアトリーチェ。今回はショパンの2番とベートーヴェンのハンマークラヴィーアというとんでもないアルバム。私の知る限り、この2曲をカップリングしたアルバムはない。その意味で、世界初の快挙なのである。
    さて、まずはショパン、冒頭から、ラナは極力スコア通り演奏しようとする。本当に細部に亘って、再現しようとする。逆にここまで徹底されると、他の演奏が甘く聴こえてくるくらいのレベルである。ところが、提示部の繰り返しをラナは冒頭2小節を含めて演奏する。これは明らかに彼女の解釈(もしかしたら最新の研究結果かもしれないが)である。意図はわからないが、彼女には冒頭のD♭音が必要だったのだろう。第2楽章もクリアなのだが、中間部のレントがショパンの心のこもったワルツのようで、その歌わせ方が見事。葬送行進曲も主部と中間部の描き方が素晴らしい。終楽章はまさに虚無。あえて軽い音で寂寥感を描く。この曲の名盤と思う。
    ハンマークラヴィーアはもっと考え抜かれており、特に「力を抜く」ことを徹底している。この曲、最初から最後まで力演聞かされたらそれこそ辟易。全体を俯瞰して、どこで優しい音を出すか、計算され尽くしている。第3楽章も、冒頭から深い音を作る。音色のコントロールがここまでできるのか。これはラナが明らかにステップアップした証拠と思う。終楽章も前奏が美しく、主部も身につけた音色コントロールにより、あの複雑なフーガに彩りをつける。この楽章下手打つと単なる練習曲のように聴こえるのだが、ラナの演奏はそんな甘いものじゃない。彼女にとってこれが初めてのベートーヴェンのソナタ録音のはず。それがいきなりこの曲で、ここまでやるのか。驚嘆するしかない。一つだけ懸念があるとすれば、本当に実演でこのディスク通りの演奏をするのだろうか?もしそうならば、ベアトリーチェ・ラナは巨匠である。

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     2024/01/23

    私はヤルヴィを何度も実演で聴いたが、彼の良い時はどちらかと言うとスタイリッシュで、楽団を気持ち良く鳴らすような、そう言う時だと思っている。基本的にインテンポを墨守し、濃厚な表情づけをあえて拒否する。良く言えば曲に語らせる演奏である。しかし、ブルックナーはそれだけではダメじゃないかな。もちろん曲は素晴らしいが、演奏する側もビシッと芯がないとつまらなくなる。今回ヤルヴィの再録音、その意味で期待したが・・・。結果はいつもと同じ感想。曲への共感が薄い。また、何故か知らないが、やたらポルタメントを多用する。ノヴァーク版の楽譜を見たが、どこにもそんな形跡はない。これはブルックナーに合わないと思う。もちろん演奏技術は高いし、それなりの作り込みはあるのだが。ヤルヴィは大指揮者なのに、本当に私とは相性が悪いんだよなぁ・・

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     2024/01/07

    この演奏は、まさにサヴァールの祈りそのものであり、強く心を打たれる。現代社会が持つ理不尽さ、矛盾、対立、そう言うもの全てに対して、我々はどうするべきか、それこそベートーヴェンがこの曲のスコアに書き込んだ言葉通りではないのか。サヴァールはそれをこの演奏を通して我々に強く訴えかける。「祈りと平安への希求」であるから、必要以上に演奏が大袈裟である必要はない。Kyrieを聴けばわかる。冒頭の音があれだけ柔らかいのは極上の世界だからではない。祈りから始まるからなのだ。Gloriaもいつもの通り曲の構造を明確にしつつ、しかし、祈りを忘れない。解放ではなく、抑えることで曲の持つ精神世界を大きく見せる。またCredoはまさに「信じる」ことが祈りであり、後半の大フーガにその気持ちが込められる。SanctusとBenedictus,特に後者が美しいのは当然として、この演奏のクライマックスはDona Nobis Pacemにある。この部分が始まる時の祈りの深さは比類ない。サヴァールはこの大曲の全てを祈りに捧げて来たが、それが何故なのかと言うことをDona Nobis Pacemの歌詞に込める。それが心に響くのである。

    サヴァールのこのところの録音ではバリトンのマヌエル・ヴァルサーは連投しているが、あとは毎回歌手が変わっている。曲の持つ特性によってサヴァールが歌手を選んでいるのは間違いがなく、この曲でも祈りに相応しい歌手が、サヴァールの意図を汲んで真摯な歌唱を聴かせてくれる。合唱も同様である。特にソプラノはこの曲が求める最高音を出来るだけ音が金属的にならないよう配慮しており、頭が下がる。

    この演奏はサヴァールの一連の演奏の中でも、金字塔であるのと同時に、この大名曲の演奏史でも格別な位置を占めると思う。私はまたサヴァールに深く感謝することになった。

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     2023/12/12

    一聴してこれはすごいと思い、レビュー一番乗りと思ったら、村井先生に先を越されてしまっていた。個人的に今年一番のディスク。兎にも角にも、「ここまでやるのか」感が半端ない。ミナーシはおそらく「3つ同じ音型があれば、それぞれにニュアンスを変える」とか、「転調したときは強調」とか「対旋律、またはエコーは強調」とか、自分なりのルールを決めて、それに従い徹底的にスコアを読み込み、全て実施している、としか思えない。これを聞くと、本当に他の皆さんが緩いと思えてしまう。現代最先端はここまでしないとダメなのだ、ということを私はミナーシから教えてもらった。リンツの第一楽章聞けばわかる。冒頭小節は同じ音型3つだからニュアンスを変えている。第一主題23小節目の装飾音符に意味を持たせる。皆さんもお好きなところだと思うが、小結尾95小節からの3小節も音型が同じだから自然な形でクレッシェンドをかける。また、ルバートでテンポ落とす工夫多数。これに加えて、ちょっとしたグリッサンドも顔を出す。普通これだけニュアンスにこだわるならテンポはある程度犠牲になるのだが、ミナーシはこれだけ徹底しながら自由にテンポを操る。また、プラハはこれに加えて、この曲の持つ、複雑さを解き明かし、強調するべき管楽器をガッツリ鳴らす。スケール感も満載である。いいとこずくめのこの演奏、とにかくこの演奏は皆様に聴いてもらいたい。ミナーシがどれだけ凄いか、その耳で体験してもらいたい、と心がら願う次第であります。

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     2023/12/11

    10月末にサヴァールの演奏会に足を運んだが、お元気そうで嬉しかった。レクイエムなど録音するとついつい心配になってしまう。さて、この演奏、さすがサヴァールだ。まずは、この曲の「イタい本質」を炙り出した事である。教会録音なので、ゆっくりやりすぎると音が濁るから、テンポが早目なのは当然ではあるが、それでもサヴァールは冒頭から浮遊感のあるような音作りで、暗くない。と言うか、むしろ楽しく歩くよう。et lux per petua で光が刺す。サヴァールは冒頭はそのための序奏だったと解き明かす。こうやって聴くと、Dies iraeは疾走感が前面に出るし、Tuba mirumはのほほんとした田園の曲のように聴こえる。こうやってサヴァールは、この曲の持つ「レクイエム=深刻さ』はまやかしだということを白日の下に晒し、本質を見せるのだ。Sanctus以降のジュスマイヤー部分になると、その傾向は一層明らかになる。例えばBenedictus前半最後の部分など、et lux per petuaの繰り返しであり、明るさを増すばかりという演奏を繰り広げている。これにより、ジュスマイヤーの補筆部分が、彼としては最高の仕事だろうが、モーツァルトとは明らかに違うというもう一つのイタい部分も描き切る。サヴァールは、とにかくこの曲に新しい価値を見出し、我々に教えてくれる。本当に彼らしい読みである。
    また合唱はいつもの通り訓練されている。例えば冒頭のKyrie eleisonはほとんどの演奏がノーブレスで歌うが、サヴァールは明確にKyrieとeleisonを切る。もちろん歌詞の意味を踏まえているのだが、このため合唱団のブレスが持つのでフーガが立体的になる。このような技が多数。さすが合唱にも熟知しているのである。ただ、アルトが少し弱く、発音がちょっと聞き取りにくいのが唯一の欠点か。独唱陣も、どちらかというと伸びやかに歌っており、特にソプラノのレドモンドは宗教的歌唱と一線を画している。それがまたこの演奏のコンセプトに合うのだから恐れ入る。
    モーツァルトのレクイエムに新しい光をもたらしたサヴァール。皆様にも一聴をお薦めしたい。

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     2023/11/25

    アファナシエフのハンマークラヴィーア、まさに「アファナシエフならでは」である。手元計測だが、第一楽章17:34、二楽章3:34、三楽章22:17、終楽章14:43 合計58:08である。この時間を見てわかるように奇数楽章が特に遅い。第一楽章は冒頭ファンファーレからやはり遅い。そしてそこからがある意味酷いくらい遅い。聴いていると笑うしかないようなテンポ、それも遅いだけでなく、ルバートかけまくり思い切りテンポを揺らす。かろうじて2/2の拍子感は保つものの、縦の線は平気でずらす。どうしてここまでするのか、よくよく聴けば、このテンポによってベートーヴェンが書いたニュアンスがよくわかる。音の絡みが明確になる。特に内声部を浮き彫りにして、この曲を構成する要素全てを聞かせる。特に再現部を聴くとアファナシエフの意図がよくわかる。また、意外に展開部はそれほど遅くない。これは終楽章でも同様なのだが、対位法的部分では、元来曲自体が分析的なために、アファナシエフもそれほどテンポを落とさないでもニュアンスを出せるのである。

    第二楽章は曲自体がコラールみたいな構造だから、丁寧に鳴らすことが主眼となる。かと言ってスケルツォらしさも保っているので、少し遅い程度、でありそんな違和感はない。ただし、トリオ部分は凝りまくっていて、主題がエロイカから来ていることを強調し、主部に戻る前の112小節では「いいか、俺は早くクリアに弾くことができるんだぞ」と言わんばかりの快速テンポとなる。

    第三楽章ではアファナシエフは端正に、それこそ心を込めて弾く。この楽章の複雑なリズム感を明確にするため、一楽章でやった線をずらすようなことは一切無い。とにかく端正なのである。メーカー資料にある「漆黒の深みを湛える」はちょっと違うと思う。この楽章は従来必要以上に暗く弾かれすぎていた、ベートーヴェンがそんな闇堕ちするような曲を書くわけがない。人を救うような慰めの曲である、とアファナシエフは伝えている気がする。

    終楽章は前述の通り、ある意味「本当によくできている楽章です。楽しいですよ」と言っているような感じである。普通よりちょっと遅い程度のテンポというのは第二楽章と同じ。それでも最後はやはり堂々と締めくくる。いつもの通りペダルの音を残して終わるのも彼の流儀通りである。

    それにしても、やはりアファナシエフならでは、の演奏である。第一楽章の崩し方が生理的にダメな人には投げ出したくなるようなレベルだし、そもそもこんな演奏、アファナシエフだから許されるのであって、たとえば若手がこんな演奏したら「悪目立ち、炎上目的」としか思われないだろう。アファナシエフは今までそれこそ何十年も遅めのテンポで曲自体が持つニュアンスを炙り出す演奏をずっと繰り広げ、積み重ねてきた。だから我々も「アファナシエフだから」と言うことでこう言う演奏を受容できる。やはり彼ならではの慧眼ではあるものの、これが愛聴盤になるかというとやはり「?」である。あの懐かしいDENONとのブラームスほどの説得力はここにはない。しかし、この演奏は聴く人に「私の解釈をあなたもよく考えなさい。私が何を目指すのか考えることで(これを聴く)あなたにとっても世界が広がるから」というアファナシエフのメッセージが満載であり、我々に思考を強制するというとんでもないディスクである。
    説得力に代わり強制力を身に纏ったアファナシエフ、もはや「クラシック界のラスボス」的存在である。

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     2023/11/22

    一聴してとにかく、驚いた。お宝どころではなく、これは至宝である。DG125周年記念、「The Lost Tape」第一弾、ルドルフ・ゼルキン最後の録音が日の目を見た。ワルトシュタインは彼が83歳、熱情は同じく86歳の録音。ゼルキンは熱情録音の2年後、この録音が行われたバーモント州のギルフォードというところで亡くなっているから、この熱情の録音は彼の本拠地、(もしかしたら自宅のスタジオ?)で行われていたと思われる。

    曲ごとに特徴を述べると、ワルトシュタインは「精緻な計算により、この曲のイメージを新たにした」演奏であり、熱情は「今まで誰も成し得なかったこの名曲の別の面を発見した」演奏である。

    ワルトシュタインは、曲自体が前進するエネルギーに溢れており、今までの演奏家は、前進ベクトルを活かしリズム中心とするか、または同じくベクトルは維持しつつも、声部ごとに強弱をつけて、メリハリ中心の演奏だったと思う。ところがゼルキンはどちらにも与しない。第一楽章提示部は、冒頭から音量をしっかりコントロールし、重くならないよう細心の注意を払いながら、曲の構造を見せ、第二主題で冒頭主題と対比を優しく醸し出し、終結部の74小節にピークが来るよう綿密に計算されている。この楽章はベートーヴェンならではの「リズムとメロディの融合」という素晴らしい楽章だが、ゼルキンは、もちろん技巧の衰えもあるのかもしれないが、闇雲にアクセルを吹かすのではなく、重要な音をしっかり鳴らす事で、曲に推進力をもたらした。言い換えればリズムを奏でる低音部はあくまで伴奏であり、あくまでメロディを主役として、音楽に生気を与えた。第二楽章になるとまさにオアシスのような音楽を作り、第三楽章は、あえてゆっくりと、かつ7割から8割くらいの力で、大きな音楽を造った。

    もしかしたらこのワルトシュタインはすごい演奏ではないかと気が付いて、過去の名演奏を改めていくつも聴いてみたが、唯一ゼルキンに比肩すると思えたのは、同じ方向を目指していたギレリスだった。特に第三楽章は、ゼルキンもギレリスもあえて力を抜くことで逆に大きな世界を見せる点で共通している。

    また、ゼルキン白鳥の歌である熱情は、ワルトシュタイン同様曲想を前面に出すような演奏とは一線を画し、落ち着いた表現だが、24小節あたりからシューベルトを思わせる寂寥感が漂う。第二主題も暗い。50小節以降もあえて重い足取りだ。聴いていて、後ろ髪を引かれるような、とても悲しい情熱が聴こえる。そうか、86歳のゼルキンは、この曲に晩秋のような、過ぎ去ったものを見出したのだ。展開部終了部分で、失った情熱を嘆き、慈しむ。第一楽章コーダに至っては、あえて、リズムを遅らせるようにして、嘆きの歌を歌う。そして第三楽章の冒頭を聴けば、どれだけゼルキンが悲しみを湛えているか、聴いている心に沁みてくる。

    だから、このジャケだったのか。ゼルキンは微笑みは讃えているものの、後ろは漆黒である。沈潜である。ここでもまた、ギレリス最後のベートーヴェン30、31番のジャケと重なる。熱情から哀しみを引き出したこの演奏、誰も成し得なかったこの曲の別の面を引き出したゼルキン。白鳥の歌はやはり悲しく夜空に響いた。

    このディスクは類稀な存在価値を持つ名盤である。「お宝発掘」とか「The Lost Tape」なんて表現はこの名盤の価値を下げる。ましてや日本で「お宝」と言えば、あの番組の影響で玉石混合のイメージすらある。もっと堂々と「ゼルキン至高の演奏」とか「A miracle appeared」くらいの表現を使って欲しい。このディスクに文句をつけるとしたら、それくらいしかないのである。

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     2023/11/10

    DGの125周年演奏会に行った時にパンフを購入した。パンフは演奏会の案内とDGの誇る演奏家の写真集みたいな内容だった。この写真集を見るとDGが誰に重きをおいているのかわかる気がした。パンフ冒頭は演奏会の趣旨からして、小澤とムターの2ショット。物故者にはモノクロで1ページがあてがわれ、ホロヴィッツ・バーンスタイン・アバド・カラヤンだった。多数掲載されている現存演奏家の中で、カラー2ページ丸々あてがわれて、別格扱いが2人いた。その2人とはネルソンスとオラフソンだ。まぁ、ネルソンスはなんとなくわかるが、我々が思うよりオラフソンに対する評価はずっと高いようだ。今回のジャケ写もシンプルなれどいかにもDGっぽいではないか。見ていて嬉しくなる。

    さて演奏だが、一言で言えば、究極のいいとこ取りである。冒頭ゆっくり、第一変奏快速。二元論的ではあるが、とにかく音が明確で綺麗。不必要なレガートも思わせぶりの表情もない。聴いていて「オラフソンの狙いは、ピアノでのHIPだな」と勝手に納得した。ただ、全てのリピートは実施しているものの、最後のアリアだけ省略しているのが個人的には嬉しくない。また、最後の一音も前打音抜き。人と同じことはしない、というオラフソンなりの意思表示だろうが、そこまで頑なじゃなくても良いんじゃないかな。

    でも、この演奏を聴いて、もういつまでもグールドではないな、と私は思った。新しい世代ではベアトリーチェ・ラナもジョン・ロンドーもオラフソンも本当によく考えて自分を表現している。若いと言ってもオラフソン39歳。これからもっと期待しますよ。まずは来月の実演が楽しみだ。適度の響きの上に骨格が明白なこの演奏、私にはDGの特別扱いが頷けた。

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     2023/09/25

    哲人サヴァールとて、万能の神ではない。原典版、改訂版の差異への興味よりも、サヴァールがロマン派に軸足を移し、どう言う演奏をするのかが楽しみだった。私なりの結論は「ちょっと残念」である。

    なぜ残念か、メンデルスゾーンの6/8拍子快速楽章は、単純なリズムの上に彼らしい伸びやかな旋律が乗る、というパターンが多いが、これが意外に演奏が難しいと思う。旋律、リズムともにしっかり工夫しないと「もっさり」した演奏になる。サヴァールのこの演奏、いつもの通り、各声部が明確で、そのクリアさが「イタリア」の陽光を思わせる。しかしながら、リズムが重い。旋律線もごくごく普通。例えば、ムーティあたりを聴けば、その違いがすぐわかる。これはもちろんサヴァールの責任だが、もう一人責任があると思える奏者がいた。ティンパニの(推測でしかないけど)ペドロ・エステヴェンである。ペドロさん、ベートーヴェンの時同様、ガッツリ鳴らしてくるが、よくよく聴けば、微妙に遅い。これは録音のせいかもしれないが、聞けば聴くほど微妙にズレている。このコンビのモーツァルト後期交響曲集でティンパニがズレている
    という批評(確か好録音探究氏だった)を読んだが、今になってそれがわかった。これがこの曲に必要な推進力を削いでいる。

    第一楽章のことだけ述べたが、終楽章も重さを感じる。名曲ゆえに名盤も多いこの曲、サヴァールが過去の名盤を抜き去って・・と言う期待があったのだが、サヴァールであっても全て良いとは限らない。それはそうだ、そもそもがメンデルスゾーンなんて、我々ファンから見れば、サヴァールの異種格闘技みたいなものである。逆に言えば、こう言う演奏で良かった。こういう曲でも他に比して素晴らしかったら、それこそサヴァールは「万能の神」になってしまうところだったから。

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     2023/09/22

    このディスクは名盤である、と最初から言いたくなる。まずはピアノ五重奏曲。名曲中の名曲。名盤といえば今更ポリーニとかゼルキンかい?と言いたくなるものの、では最近の好演奏があるかと言えば意外と少ないのではないだろうか。その中で登場したこの演奏、冒頭から引き込まれる。何が良いかと言うと、4つある。まずは各声部が極めてクリア。ここまで再現した演奏は聴いたことがない。また2つ目は音量調整がきめ細やか過ぎる。ピアノのギルトブルグを聞けばわかるが、表に音を出すのと、サッと引くのと、小節単位どころではなく、拍単位くらい細かい。かつ高音と低音を使い分けるのだから、まぁ唖然とするレベルである。もちろんパヴェル・ハースも細かい調整については負けてはいない。3つ目、そう言いながら、表情が濃い。ちょっと昔なら「彫りが深い」みたいな表現。ルバートはもとより、旋律線の歌わせ方が濃い。ちょっと昔なら「命を込めている」みたいな表現である。最後に録音が良い。優秀なエンジニアがいて、細かい単位で濁らないよう音量をミキシングしているのではないか、と思わせるくらい、音が鮮明。

    Op.111がまた凄い。私、ピアノ五重奏曲よりこの曲が好きかも知れず、幾つも聴いてきた。この曲も残念ながら名盤多数とは言い難い。従来はメロス弦楽四重奏団とジェラール・コセの演奏がピカイチだったと思うが、やっとそれに肉薄する、いや録音を考えたら超える名盤がこの演奏である。何が良いかは前述と被るので略すが、とにかく歌わせ方が堪らない。

    このディスク、ブラームスが好きな方々に、是非聴いて欲しいと願わくばいられない。この団体については、これからも注視したい。エベーヌも凄いけど、この団体も凄い。ブラームスの五重奏曲として、この2曲を選び、両方とも名演を繰り広げたこのディスク。無条件幸福である。

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     2023/09/21

    このディスクリリースのニューニュースを聞いた時、まず頭に浮かんだのは、あの懐かしのフレーズ「夢の協演(共演)」であった。サロネンとエマール、共に今のクラシック界において、キレキレ番付の東西両横綱、みたいな二人である。この二人がタッグを組んで、バルトークの協奏曲全曲を演奏する、期待は高まる一方であった。

    おそらく、シャープさを伴った熱演か、または相当クールな演奏か、どちらかと思っていたが、聴いた第一印象は後者だった。怪獣映画のような1番の冒頭から、もう余裕がありまくりで、「俺たちが普通に演奏すれば、それ以上のものはいらないんじゃね」という俯瞰した大人の態度。もちろんこの二人が手を抜くはずがない。押さえどころは押さえつつ、「難曲、頑張ってクリアしています」的要素が皆無。この演奏を聞くと、あのブーレーズさえ、真っ赤な顔をして演奏してたのではないか、と思えてくる。

    サロネン・エマールの3番を聴くと,曲としての聴きやすさが却って曲の本質を隠している、と言う逆説的メッセージも聴こえてくる。これって、従来ならそれこそブーレーズの役目だった。彼亡き後、この二人はその役割さえも背負っているのである。

    要はこの演奏が真の意味でのバルトーク作曲ピアノ協奏曲のスタンダードである。サロネンとエマールの演奏を聴いてから、他の演奏を聴くと、その他の演奏の良し悪しすらわかる、と言うとんでもないディスクだと私は思う。ますますこのお二方が好きになった。

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     2023/08/23

    いやいや、このロバート・トレヴィーノ、なかなかの方である。調べたらメキシコ系のアメリカ人、御年39歳、その彼が指揮した4年前2019年、マルメのベートーヴェンフェスでの全曲ライブ録音。

    さて。その演奏だが、1番を聴けばすぐ分かる、この方深い譜読みで斬新な解釈をするのではなく、「音楽に生気を吹き込む」タイプの指揮者。HMVのこのディスク紹介ページにある、トレヴィーノの日本向けサービス動画は見た方がよく、ポジティブさこそがベートーヴェンの本質だと発言し、その通りの演奏を繰り広げている。1番、2番はまさにそういうアプローチで、とにかく推進力重視、それが「重すぎず速すぎず、かつ全ての音が響く」という絶妙の塩梅。特に2番の終楽章は、骨格が明確な上に、ベートーヴェンが意図した音を有機的に鳴らし切るという稀有な演奏。終結部は生気に溢れ魅力的である。このアプローチは曲想から8番にも生きて来る。

    エロイカはこの曲だからという気負いもなく、音楽自体の持つ力を最大限に出そうとする姿勢が素晴らしい。この曲でここまで力まないのは、素晴らしい見識である。と思っていたら、エロイカ終楽章の第二変奏で、いきなり弦楽器をソロで弾かせる。やはり細工はしたくなるものである。4番になると、少しボリュームを持たせつつも、少し物足りなくなる。ボリューム持たせた分、生気が犠牲になっているからだ。5番になり、再び重さを捨てて、3番までの路線に戻る。意図はよく伝わるが、こねくり回さない分全体にあっさり感が強い。もちろんこれがトレヴィーノの狙いだろうが、従来へのアンチテーゼというところを訴えたいという訳ではないので、あえて重量感を取り払っただけという感じが残る。しかし、第4楽章はこの指揮者の趣旨通り、前向きさが全面に押し出されており、聴く側も満足度が高い。その意味で明確に5番のクライマックスを終楽章に置き、逆算した演奏と言えるだろう。田園は脱力系の優しい演奏。4楽章だけは気合い入ってます。

    7番は正直期待外れ。終楽章はそんな無茶振りじゃありません。カラヤンとかホーネックの方が早いかも。9番は同じ路線でのエラス=カサドとか、アントニーニに比べると格が落ちる。

    この全集、個人的には1、2、8番は名演。3、5、6番はよく練れていると思う。4、7、9番は数多の名盤に比して、ちょっと辛いかも。しかし、1、2、8番を聴けたのは本当にありがたい。まだまだ演奏には可能性が残っている。その可能性は無限だ、と思わせてくれたディスクでした。

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     2023/08/16

    常に徹底した譜読みで、我々を感心させてくれるアダム・フィッシャー新盤はハイドンのロンドン交響曲集、その第一弾が登場。フィッシャー自身の前の録音を聞き直してみたが、前録音は目指していたのが「全集スタンダード」なので、よく言えば「かっちりした造形」であり、悪く言えば「個性がない」演奏だった。現在のフィッシャーは、ハイドンでまだやれることは多い、とばかりに再録音を熱望したのではないかと思える。モーツァルトも、シューマンも、メンデルスゾーンだって、まだ録音していないのだから。

    さて演奏だが、いつもの通り独自の譜読み満載。93番の第二楽章などいきなりソロから始まって、思わずスコア見返してしまった。当然ソロの指定などない。でも、それがチャーミングなので納得、さすがと思わせる。94番第一楽章の上行音形でのちょっとした装飾音符とか、第二楽章冒頭とか、考えられることは全て実行するフィッシャーの面目躍如である。とにかく聴いていて発見が多過ぎる。そしてこれがフィッシャーなのだと納得する。

    加えて特筆したいのだが、今回フィッシャーは、弦楽器の音に拘り、敢えて、強く弾かせない。常に少し浮かせるようなボウイングで、ハイドンの交響曲から「重さ」を取り払った。一聴して手を抜いたような音なので、ビックリしたが、意図の明確さがわかってからは、透明感が表に出てくる。おそらく、ハイドンの頭にあったのは、こういう音響なのだろうと思わせた。

    ハイドンのロンドン交響曲集は名盤が多い。私はミンコフスキとファイが双璧だと思っていたが、ここにまた、独自の存在感を放つディスクが登場した。このアプローチはフィッシャーという演奏家の己を賭けた覚悟であり、これに共感を覚える方には、間違いなく名盤である。

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     2023/07/27

    1743年作曲のヴュルテンベルク・ソナタ(ヴュルテンベルク大公に献呈されたのでその名がついた)全6曲をキース・ジャレットが1994年に自宅スタジオで録音したディスク。何故今頃世に出てきたのか、についてはECMのHPにも記載されていないので謎のまま。「私はチェンバロ奏者がこのソナタを演奏するのを聴いて、ピアノ版にもなりうると感じたのです」とECMのHPにも記載はあったが、少なくてもこの曲の第1番にはグールドの録音があるし、そのくらいの検索はできただろうから、この話は鵜呑みにはできない。さて本題の演奏だが、父バッハの存命中の曲であるものの、明確に父とは違う路線。対位法よりも、もっとメロディと伴奏というスタイルで、明晰かつ音楽としては甘美。演奏としてはグールドよりも流線型で、ふくよか。楽器は、おそらくスタインウェイと思うが、ベーゼンドルファーのような柔らかい音を聴かせる。その結果、なんか最上のBGMを聴いている気になる。なぜキースは数多ある鍵盤の曲からこの曲を選び、かつ自宅で録音までしたのだろうか?当然ながらお得意の唸り声など一切聴こえない。純粋に曲と向かい合った気持ちが伝わる。先ほどの「私はチェンバロ奏者がこのソナタを演奏するのを聴いて、ピアノ版にもなりうると感じたのです」という言葉は、キースがこの曲を取り上げたモチベーションだったのかもしれない。それにしても、エマニュエルバッハのこのソナタ、時代を先取りした名曲。かつ「6曲ワンセット」というのが、父へのリスペクトであり、嬉しくなる。難癖をつけるとやはりジャケット。「カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ」と「キース・ジャレット」としか記載がない。曲目はない。なんとなく既視感バリバリのモノクロ遠近法写真と相まって、必要以上に地味になっているのが勿体無い。ところでキースは今懸命にリハビリ中だそうだ。彼の場合左手が動かないので、左手のためにある名曲が弾けないが、このディスクを聴くと、どういう形でも良いから、再びキース・ジャレットの新録音が聴ける日が来ることを祈らずにはいられない。

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