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Perfect Wagnerite さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/04/20

    私はKna信者ではなくて。寧ろ ‘Parsifal’の最高の指揮者は Karl Muck であると考えるものであるが、でもこの62年 Bayreuth Live を『弛緩した指揮』という人の耳には驚嘆する。Mari夫さんの批評にすべては言い尽くされている感があるが、ここに滔滔と流れるオケの音色は吉田秀和が同曲について語ったところの『室内楽的な精緻であみめぐらされた音の織地の上で、かつてほかに味わったことのないような蠱惑にみちた光彩を重ね合わせて、玉虫色というか琥珀というか、角度を転ずるごとに刻々に微妙に変化してやまない音色』の一つの理想的な具現である。
    私に言わせれば寧ろ同51年Liveの方が 同祝祭劇場初登場のKna の 肩に力が入っていたのか、或いはこの音源がゲネプロから録られたのか、妙に生気に乏しい硬直した音楽運びでその流れない事甚だしい。それは同年の Kna の 歴史的な’Gotterdammerung’ と比較しても明らかである。
    又この国の音楽ファンの貧しさは指揮ばかり語って歌手に言及しない輩が多いことで。ここでも Mari夫さんの Hotter に関する記述には全く共感するもので、この様な Lieder 歌唱の緻密さと声色の変化そして圧倒的なスケール感と巧みな性格表現の幸福な調和はめったに聴けるものではなく、是だけでこの Discの不滅さが分かろうというものだ。
    今回のシングルプレイヤー化で期待することは只一つ、第一幕への前奏曲の冒頭で violin の最初湯気でも立ち上りそのあと飛翔する音が再現されているかどうかに尽きる。最初に LPで出た盤にはその天上的な音色が聴けたものだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2016/09/12

    最大のミスキャストが Kleiber だ。鬱蒼と茂るドイツの深く暗い森に展開される人間ドラマはそこには無く、あたかも NY の Central Park の射撃大会という風な実にあっけらかんとした解釈で、これ位曲想と指揮者の特質の仲たがいはあるまい (これが今回の SACD化で音がより明確になった分、皮肉にも強調されている)。Carlos の独特の accentuation もWeber の牧歌的なrhythmに極めて異質なものを持ち込んだ感が有るし何度も聴かされると少し食傷気味になる。Eugen Jochum の解釈を体験すると、そこに如何に多くのものが失われているかが判るだろう。Carlos の公演記録をみるとこの曲を後年取り上げていないし、それ程愛着があったとも思えない。未だ 新顔であった彼にとっては debut 作ということでDGの意向に沿ってこの録音に臨んだんだろう。
    歌手にも多くの疑問があるが、まず Theo Adam のKaspar が相変わらずの彼の浅い呼吸と低音の迫力不足でさっぱり存在感が出てこない (Jochum盤の Kurt Bohme の黒い圧倒的なBass とは比較にならない。因みにこのJochum 版のSamiel が聴き手を総毛立たせる位怖~い演技で光る)。Peter Schreier は彼独特の美声だが、歌っている内容に余り感動しているように感じないし、Gundula Janowitz の一見可憐な Agathe にも Meta Seinemeyer の宇宙的な祈りの念と多面的な表情を知る我々には皮相感を否めない。その代り Edith Mathis が、Rita Streich を忘れさせる程ではないにしても、彼女なりにAnnchenを好演している。あとこの盤の欠陥は、歌手と役者を分けた事 (必要性があったのだろうか)。それぞれの役の彼らの声色が全く違っていて感興をそぐ事甚だしい。
    総体的に Carlos の名誉のためにも復刻をして欲しくなかったというのが実感 (彼の大傑作である Tristan のSACD は出てこないのだろうか?)。

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     2016/05/06

    1960年代の後半以降、 Sir Georg の行動をリアルタイムで追っていた私にとって、いったい、Georg Solti の日本での不幸は、計7回も来日していながら、結局 Opera を振る機会に恵まれなかったことに尽きるでしょうね (尤もそれは von Karajan の場合も同じですが)・ 特に彼の Verdi 指揮者としての評価が我が国で今一つ確立していないのもそのあたりに理由がありそうですね。その力量たるや、あの反Solti派の急先鋒であった Harold Rosenthal ですら唯一例外的に認めていた位で、1992年の Covent Garden の’Otello’ はその2年前の Carlos Kleiber 指揮の同曲の公演に勝るとも劣らない解釈で、勿論 1991年 の同 ’Simon Boccanegra’ と 1994年の ‘La Traviata‘ もそれぞれ卓越した指揮でした。彼の好む 切れ味鋭いオケの音の質感と小気味よい tempi の刻みが Verdi の曲に特に合っているのでしょう。

    これがこと彼の Wagner となるとそうも手放しで称賛していられないということになる。円熟味を増した晩年の解釈なら未だしも、この RoH の音楽監督時代の彼の Wagner はその強引なまでにドライヴをかけたオケの(特に金管による) 局部的な興奮が時に空回りしてしまい往々にして楽劇全体の滔々たる流れにつながらない (Sir Reggie Goodall が Soltiの腕力の半分で勝負して如何に大きな効果をあげていることか)。それと Sir GeorgのWagnerには、Kempe の陶然とした木管の揺蕩いも無ければ、Furtwangler の 低弦の雄弁さが醸し出す浪漫と悲劇性が共存する drama も見逃されてしまっている。それは先に出た ‘Walkure’ 全曲でも、又この 1963年の Proms の演奏(Sir George生涯で初めての 『黄昏』の一幕通しの公演ということですが)でも、同様で、結果聴き手は楽劇の恣意的な側面ばかりを聞かされ、結局はいつもその陶酔のそとにいる。

    当時の Covent Gardenの常連であった歌手陣がこの(比較的良好な stereo) 録音の白眉でしょう。(その後彼女のBrunnhilde に何度も遭遇した)当時26歳の Gwyneth Jones はその大器の片鱗をうかがわせ、49歳のWolfgang Windgassenがとても溌剌とした声で(楽譜を前にしているのか) 常の彼に似合わず正確な歌唱を聴かせ、Gottlob Frick の黒い低音の迫力はあの巨大な Royal Albert Hall をすら圧しています。これらの大物歌手に比して、Marie Collier のGutruneが大健闘で、Times 紙の謂う“attractively sensuous tone”といったところでしょうか。そしてこれらを全て凌駕するのが Birgit Nilsson の Immolation で、先の Kempe の Covent Garden Ring でみせた透き通るような可憐でそして同時に高貴なその歌唱に性格的な読みの深さも加え、正に”a thrill that few people will forget for many a long day” という感想がぴったりです。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/04/29

    ここでは誰も指摘されていないのですが、この 1956 Bayreuther Ring の公演の数少ない傷 (というか drama)の一つが ’Die Walkure’ でした。当初 Siegmund役を予定されていた Ramon Vinay がドタキャン、前日のLoge 役でまさかの時のVinay の代役として控えていた Ludwig Suthaus が公演開始直前のこの展開に動転し躊躇している中、 Siegfried まで出番が無いと思ってBayreuth を三日ほど離れていた Wolfgang Windgassen (常からBayreuth で Siegmund 役を歌いたいと熱望していた) が連絡を受け ありとあらゆる自動車のスピード記録を破って同祝祭劇場に着いたのが例の公演開始を告げるファンファーレが鳴った時、そしてKna が baton を振り下して嵐の motivを開始したときには未だ化粧中だったというんですからまさにギリギリで間に合ったという thrilling な経緯があったんですね・Wieland Wagner と同役でリハ 1つする機会の無かった Wolfgang 君、第一幕の初めから手探りのような慎重さで歌って(演じて)いて (prompter 氏もさどかし汗だくだったでしょうに。Knaはもっと大変か)、途中記憶が定かでなかったのでしょう、Knaとのtempi調整に手こずり、一拍早く出る彼の日頃の悪癖も顔を出し、少し怪しげで或る時は出鱈目な歌唱になっている個所がありますね (その例は枚挙に暇がありませんが、第3場の “Walse !”のあと, “Wintersturme”、幕の終わり等)。それにつられたのか Josef Greindl とGre Brouwenstijnも時に日頃の正確さを欠いていて、Live での臨場感,感興と言ってしまえばそうですが、特に第一幕は全体的に落ち着きが無く、繰り返し聴くには一寸苦痛ですね。


    1951年のKnaの『黄昏』の Decca録音を知ってしまった聴き手にとって、「ピアノ好き」さんの仰るようにオケと歌唱のバランスの悪さは特に Kna の活劇的な解釈の面白さを殺いでいると思います。しかしその一方で 歌唱は (他の方も言っておられるように) 生々しいくらいによく録られていて Brouwenstijn, Astrid Varnay, Hans Hotter, Gustav Neidlinger, Ludwig Weber, Hermann Uhde, Paul Kuen等の巨人たちが繰り広げる、Wagner 歌唱の頂点と目される 1930年代の Leider - Lehmann - Melchior - Volker - Schorr-Schlusnus - Kipnis という神々に比肩しうる素晴らしい熱唱で、まさに黄金期の雰囲気を感じさせる Live 録音と言えますね。

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     2016/01/28

    『クナ独特の大見得切った迫力』成程うまいことを仰る。そうまさにこれは歌舞伎のノリに近い演奏です。その変幻自在な tempi設定が slowさばかりが巨匠の特徴の様な一般的な評価を覆すに十分ですし、トリンヌさんが指摘されているオケと舞台のズレ(第三幕の第3場の間奏曲では殆ど崩壊状態) すらも、dramaturgiesとしてのその場の感興に煽られた所産と思えば寧ろ自身も昂奮しているであろうpit内の75歳の巨匠その人を想像出来て微笑ましい。「音楽の一回性」とはこのことでしょう。正確ばかりで腑抜けの様な昨今の Wagner 上演とは裏腹な生きた即興が此処には在る。 そしてその真打ちが他でもない Astrid Varnay ということになります。実際当夜の歌手陣で、彼女のみが「クナの腹筋」と言われたタメと完全に呼応し時には大御所から豪壮な fortitissimo をも引き出していて、特に第二幕第2場の「復讐の誓い」での嬰イ音の突き抜ける恫喝と大詰め第三幕第3場の”Fahr heim!” の戦慄的な咆哮にそれは雄弁に表現されています。中音の独特な翳りが魅力とはいえ、その高音が詰まり気味で性格表現にも限界のあるHans Hopf や、声色が可憐とはいえ、前歯の2つでも欠けたようで少し鼻にかかった発声の Ingrid Bjoner あたりは最早好みの問題ですね。今一つ乗り気でなく流しているかの様な第一幕に始まる当夜の公演は、第二幕の Ortrud の第一声”Ich kann nichit fort” から俄然緊張度を高め、第二幕末で無類の大伽藍を形成した後、その熱気をそのまま一気呵成に維持して終わる。こんなに骨の髄まで楽しめる上演はめったにありません!

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2013/10/22

    Kna が Bayreuth に残した最もこぶしの利いた演奏記録。 その恐ろしい位のオケへの grip - これを求心力不足と言われた日には? - は67歳であったこの年の彼がその power の絶頂にあったことを想起させる。特にこの上演の最後にくるSenta の身投げ場面での 聴き手の体験する katharsis は一寸筆舌に尽くし難いほどで、この不完全な傑作に真に unique な高みを与えている。『Kna の指揮は遅いのではない、唯 奥行きがあるのだ』という Karl Schumann の証言を裏打ちする様な ’51 の’Gotterdammerung’ と並ぶ Kna による素晴らしい演奏 documentといえるだろう。Wolfgang の初演出のこけら落としの指揮を さっさと Keilberth から奪ってしまった’暴挙’も少しは許されるかも。 Hermann Uhde のbaritonalな Hollanderは、その咬む様な diction がおどろおどろしいくらい悲劇的な声質・発声が醸し出す彼独特の雰囲気と相まって傑出しているが、何といってもすごいのは Astrid Varnay の少し熟女的な Senta の内燃する表現で、この少し怪しげな character が意外と真実性をもって迫ってくる。初日だけ登場した Windgassen はありがたいbonusとしても、56歳の誕生日を一週間後に控えていた Luwig Weber のDaland はまさに模範的な歌唱、付き合いの長かった Kna のその broad tempi と完全に一体となって呼吸している。でもこの上演の champion はやはり、一個の塊となって咆哮する Wilhelm Pitz の(特に男声)合唱団だろう。 というわけで、Peter Andry はやはりこれを stereo 録音すべきだった!!

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     2012/04/16

    私が Wilhelm Furtwangler の R. Wagner 演奏を考える時、1938年6月7日の ROH Covent Garden ’Gotterdammerung’ 第二幕 Live (GEMM CD 9331)とともに心に浮かぶのが、この 1936年7月19日の Bayreuther ’Lohengrin’ だ。貧しい録音を突き抜けて聞えて来る、そのオケの迫力の素晴らしさとむせかえる様な Romanticism の めくるめくdrama、どれをとっても他の指揮者の追従を全く許さない巨匠独特の Wagner の世界がここには在る。特に第三幕第二場の初めの夜明けの場面で、胸のすくような躍動感に満ちた めまぐるしく変わる tempo設定。あれだけ手練手管を駆使しているのに、それがちっともあざとくないのは最早神がかり的といってよいだろう。この場面は Rudolf Kempe も (特に1967年の Bayreuth Live で) 相当健闘していると思うが、それでもその五感に訴えかける効果の差は絶大だ。この第三幕という人間の葛藤劇が、息もつかせぬ迫真力で、一気呵成に展開していく。その音符のどれ一つとっても、血の通っていない無機的なものはない。

    歌手陣では。他の方も絶賛されているが、この Wagner 歌唱の頂点の時代であった 1930年代で Heldentenor として Lauritz Melchior の陰に隠れ、又『化粧入れの中の 臭いチーズ』と酷評されたその舞台姿の三枚目ぶりで損をした Franz Volker のしかし録音に残る至高の Lohengrin の歌唱が堪能出来る。その聴き手の心を蕩けさせるように甘くしかも英雄的な響きを持った声と、言葉と言葉にアーチをかけるように想像力を持って情感たっぷりに訴えかける歌唱力、どれをとっても Melchior でさえこの役では彼の後塵を拝さざるを得ないと思えるほどだ。Maria Muller も絶品だ。この偉大な Bohemia 生まれの Lyrischer Sopran の全盛期が丁度第二次大戦と重なり又大戦後その疲弊からか40歳代後半にして急速に声が衰えたため、その全盛期を知ることのできる音源が限られているが、1930年代の大スターであった彼女の Elsa は女性的な豊満さと良く伸びる高音の legato が矢張り素晴らしい。Margarete Klose は、戦前の国際舞台ではともすると Karin Branzell、Maria Olszewska、Kerstin Thorborg や Sigrid Onegin に歌手としての声価で及ばなかったが、この上演での最後の ”Fahr heim!”の絶叫は地味な彼女にしてはナカナカの戦慄ものだ(ここでのオケのオソロシク雄弁なこと!)。 Bayreuth祭では 1931~1942年 にかけて活躍した Josef von Manowarda はその一方で(残された録音群を聴く限り)比較的平凡な歌手であって、この頃急速に Nazi化の色彩を強めていった 同音楽祭が、歌手のコマ不足(特に男声の低音陣)に慢性的に悩まされていたことが改めて実感される。

    Heinz Tietjen 指揮の Discは、これら素晴らしい歌手達が当時本拠地としていた Staatsoper unter den Linden で夜な夜な繰り広げた routine 演奏の雄弁な証言というところか。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/04/10

    第二次大戦後の Wagner 指揮者と云えば、Furtwangler, Kna, Sir Reginald Goodall と Rudolf Kempe であることは大方の衆目の一致するところであろうが、その中で Kempe についてはその高名さに比肩する様な全曲演奏の音源がナカナカ世に出なかった。幸いそれは、長きに渡って Wagner 愛好家の間でお宝とされた Covent Garden Ring (未だその全てではないが) と 同 Parsifal の音源が 世に出ることで最近かなり改善されてきた。彼のWagner 解釈の最大の魅力は、木管楽器で表出される香り立つような Lyricism、輝かしいがあくまで冷静に制御された金管、(Furtwanglerに似て) 特に Celloに意表を突く雄弁さを持たせること、心憎いまでの歌手の息使いへの配慮、そして何よりもその解釈の節度を弁えた陶酔といった点だろうか(彼のWagner解釈が 微温的で、はてはつまらないと称する人達はここらあたりが不満かも)。それは敢えて云えばドイツ的なるものの禊を落とした、もっと cosmopolitan 的な耽美感に裏打ちされたもので、彼が1950年代という戦後の早い時期に(あれ程1930年代後半の Furtwangler の一連の Wagner上演に批判的であった)ROH Covent Garden であのような例外的に高い評価を受けたのもその辺りに秘密が隠されているようだ。

    さて今回の Bayreuth Lohengrin 1967 はその様な彼の美徳が有無を言わせぬ説得力で迫ってくる演奏だ。あの1960年代前半の Bayreuth Ring の不完全燃焼の不名誉を補って余りあると云える。最初同劇場の極めて異質な音響 に悪戦苦闘していた影もスッカリ消え、ここでの彼の同祝祭オケの把握は完全である。そしてKempe のその様な美徳がこの歌劇が彼の十八番であったことを再認識させてくれる。”What would give to be able to go to Covent Garden tonight and hear Kempe conduct Lohengrin?” と1999年に語った Daniel Barenboim もそのあたりを良く認識していたのだろう。 奇跡的なFurtwangler 指揮の1936 Bayreuth Lohengrin に及ばんとする充実しきったオケの音が The Green Hill にこの年は響き渡ったようだ。



    演出家として常に兄 Wieland の陰にあったWolfgang Wagner の専属の様な立場にあったKempe には結果有力な歌手がまわってこなかったかと

    勘繰りをしてしまう位に彼が同祝祭劇場で指揮した上演では歌手の出来に大きなばらつきが出るが、それはここでも同じだ。初日不調を伝えられた Sandor Konya に代わった James King はその熱演・唱振りは録音を通しても伝わってくるものの、奈何せんいつものその無機質的で没個性的な声質そのものとドイツ語を上滑りしているようなその一本調子の発声振り、そしてtext の内容への読み込み不足、等は相変わらず (私の聴いた彼の実演でもそれらは全く同じであった) で、これはこの巨匠による Lohengrin の 1962年の studio 録音での Jess Thomas も同じで、今に続く Heldentenor の払底がこの1960年代半ばに既に始まっていたことが改めて想起される。Elsa にはまづ何んといっても透き通る様な美声であることがそれを演じる歌手に要求されているのだが、ここでのHeather Harper にはそれが欠けていて大いに感興を殺ぐ。

    上演の成否のカギを握る悪役 pair であるGrace HoffmanとDonald McIntyreは、決して悪くは無いが、Astrid Varnayと Hermann Uhde の圧倒的な存在感を洗礼として受けた聴き手からすると少し小粒で、全編でも最大の見せ場である”Entweihte Gotter! Helft jetzt meiner Rache !” (第二幕2場)での Ortrud の咆哮もGrace Hoffman ではpower 不足が否めない。この中で圧巻が Karl Ridderbusch の Heinrichで、うっとりするような美声としっかりとしたdiction、そしてその容姿を含めたdramaticな存在感は後年の(しかし極めて短期間に終わった)彼の絶頂期を予感させて余りある。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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