トップ > My ページ > wilhelm.F さんのレビュー一覧

wilhelm.F さんのレビュー一覧 

検索結果:36件中16件から30件まで表示

%%header%%

%%message%%

  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/11/24

    バックハウス氏のザルツブルク音楽祭での最期のリサイタルです。
    自らの死期を悟ってか「告別」ソナタで締めくくっています。
    この演奏会をウィーンに駐在していた祖父が実際に聴いており感涙にむせいだと語っておりました。
    しかし、祖父はこのディスクを聴くことなく鬼籍に入り孫の小生が祖父の感動を追体験することになりました。
    正にベートーヴェンとはかく弾きたいと言える素晴らしい演奏だと思います。
    同時代のケンプ氏と双璧をなしたバックハウス氏のザルツブルクでの白鳥の歌であります。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/11/24

    どの曲の演奏も素晴らしいと思います。
    特に感動したのが「ブラームス/四つのバラード作品10」です。
    ブラームス自身が乗り移ったかの様な迫力と滋味溢れる演奏に圧倒されました。
    バックハウス氏亡き後、最後のドイツ音楽解釈者として後世にこの様な素晴らしい録音を遺して下さったケンプ氏にひたすら感謝します。
    有難うございます。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/28

    当時、この演奏会を聴きに行かれた方は↓には残念ながらお一人もおられないようです。私は大学生でしたが、こつこつとアルバイトして貯めたお金でこの演奏会を昭和女子大人見記念講堂に聴きに行きました。↓には録音やテレビそしてDVDでしか聴いていない方がベームさんを批判されていますが、正直言って、この録音はSACDになっても、あの場で直接響いた音よりは劣悪に感じます。生意気なことを言わせてもらいますと、音楽は本来演奏会場で聴くものです。従って、録音再生技術がどんなに発達しても、その演奏会場で聴いた演奏よりマイクによって録音され再現されたものが劣るのは致し方ないと思います。確かに、この年のザルツブルク音楽祭でも同じ二曲を演奏しましたが、私の記憶ではNHKは当時は年末にザルツブルク音楽祭特集を組み放送していましたが、その演奏会は放送されず(既に日本での演奏会の実況中継を放送していたから)、ポリーニを独奏者に迎えたモーツァルトプロだけ放送されたと確信しております。嘘はつかないで下さい。会場で聴いた演奏はこんな程度ではありませんでした。ベームさんもウィーン・フィルとの来日はこれが最期と予感されていたのだと思います。オーケストラを掌握出来ていなかったなどという言い掛かりは止めて下さい。登壇する時も引き揚げる時も首席コンサートマスターのゲアハルト・ヘッツェル氏がベームさんの手を引いてという痛々しさでしたが、タクトを構えるとそうした死を目前にした弱弱しさなど微塵も感じさせず、鋭い眼光を一閃しただけで楽団員の気持ちは一つとなり、二番も七番もテンポこそゆったりしたものでしたが、それでいて弛緩することは微塵もなく、極めて燃焼度の高いベームさんらしいベートーヴェンだったと記憶しております。七番が終わった後、楽団員が全員引き揚げても拍手は鳴り止まずスタンディングオベーションとなり、幾度もヘッツェル氏に支えられながら、登場して微笑されたベームさんの神々しいお顔は演奏の素晴らしさと相俟って未だに脳裏に焼き付いております。30分以上、続いたと記憶しております。ベームさんの親日家振りと聴衆との別れを惜しむ再度のカーテンコール、それはDVDにも全てが記録されている訳ではありません。殆どの聴衆がこみ上げる惜別の念から涙を流しておられました。私も同様でした。最後にベームさんが引き揚げた後、ホールが明るくなっても、殆どの方が家路につき難く拍手していました。↓の皆さん、余りにも理想が高過ぎるのではありませんか?これは老巨匠の日本での白鳥の歌です。現代の指揮者たちが枝葉末節ばかりに気を取られ「木を見て森を見ず」といった感すら与えるこじんまりとした演奏しか出来なくなってしまったことは誠に痛恨の極みであり、この演奏会は19世紀から続いて来た偉大なベートーヴェンの交響曲演奏の伝統の最期の灯だったと確信しております。

    14人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/15

    二名の方が仰っていることに幾つか付け加えたい。先ず、長生きしていて良かったことだ。私は高齢で鬼籍に入っている知人も多い。そのことを考えると、フルトヴェングラーのウィーンで行った戦中・戦後の演奏会が網羅されているセットを鑑賞できることに感謝したい。芸術にはどうしても個人によって好みの違いが出てしまうのは仕方がないことだろう。フルトヴェングラーの指揮を批判する陣営が語る理由に彼の重厚でロマンチックな解釈が挙げられる。しかし、現代はさておき、過去に於いて、芸術、特に音楽というものが世界中の人間に感動を与えて来た影響力は美術とは比較にならない計り知れないものがあると思う。当然、聴衆を陶酔させなければならない。となれば、フルトヴェングラー以前のビューローの様な指揮者も重厚でロマンチックな解釈をしていたと推測出来る。つまり、フルトヴェングラーはそうした正真正銘の演奏を渾身の力を振り絞って聴かせてくれた最後の指揮者だったと確信する。哲学者でもあった彼の楽曲理解の深さには同年代に活躍していた先輩指揮者たちも叶わなかったと考える。どの演奏も素晴らしい、特にマタイ受難曲には大変感動した。正直な所、キリスト者でない私にはこの楽曲を聴く資格はないとこれまで封印して来たのだ。しかし、信仰のない私でも全曲が静謐に終わった瞬間、とても敬虔な気持ちになった。涙がこぼれ落ちた。バッハがこの楽曲に込めた思いを見事にフルトヴェングラーがモダン楽器で再現していたからだ。現代ではバッハの大きな楽曲となると古楽による演奏が主流である。しかし、私は古楽を好まない。作曲された当時に合った楽器で演奏すべきだという主張は理解出来る、しかし、その演奏を数千人も収容出来る演奏会場で演奏することには全然価値を認めない。何故なら、その当時の音楽というものは王侯貴族だけが狭い空間で少人数で聴いたものだからである。よって、古楽派のしていることには大きな矛盾が常につきまとう。これは批判ではなく、私の価値観である。有名な外国の古楽オーケストラがバッハのロ短調ミサ曲を演奏したのをサントリーホールで聴いたことがある。楽器の音はとても貧弱で声楽法も大ホールに響き渡るものではない為、物足りないどころか憤りすら覚えた。これが古楽なのだと思い知らされた気持ちもした。しかし、私としては、現代は21世紀であり、音楽は一部の上流階級だけが聴く時代ではなくなったので、やはり、作曲された時代はバロックであっても近代オーケストラで楽しみたいものだ。古楽ファンからの批判は甘受しよう。しかし、ホールの音響も格段に向上した時代にかつらを被った雇われ楽師が演奏していたスタイルを真似することに抵抗を感じてはいけないだろうか?音楽は特権階級から大衆が楽しむ時代へと変遷したのだ。だからこそ、モダン楽器でバッハを楽しみたいと思う人間がいても良いと私は思う。そういうことをフルトヴェングラーはこのCDの中から半世紀以上経た現代に生きる私たちに語り掛けてくれている。ウィーン・フィルは世界で一番楽員のプライドの高いオーケストラだ。特に引退した団員には辛辣に指揮者を論評される90近い高齢の方もたくさんおられ、現役指揮者への厳しい批判をドイツ語のサイトや日本の音楽専門誌で読む機会が多い。実名は出さないが、現役で活躍する指揮者たちは全員一刀両断に斬り捨てられていたが、フルトヴェングラーの話題になると、巨匠の偉大さを賞賛しない方は一人もおられない。彼らはフルトヴェングラーを重厚ではなく神秘的と表現する。そして、一緒に仕事が出来た感動を未だに感謝しているのだ。私は音質には全然こだわない。耳よりも心で聴くので、音楽の価値を表面的な音ではなく、その精神性の高さに求めるのだ。そうした気高い指揮者は録音が現存する者ではフルトヴェングラーだけである。また、これだけ最近、フルトヴェングラーのセットで安価で音質が良いものが販売されると、フルトヴェングラーしか聴けなくなってしまっている自分に気付く。クナッパーツブッシュやシューリヒトも好きだったのだが、聴けなくなってしまった。
    Ich liebe, achte und danke Wilhelm Furtwaengler,
    weil er fuer immer der groesste Dirigent in der ganzen Welt bleibt.

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/25

    音質には様々なご意見もあるでしょう。しかし、これはフルトヴェングラー最期のバイロイトでの第九です。彼の身体は衰弱し切っていました。しかし、それを克服するが如き歓喜の歌は聴く者の胸を熱くさせます。フルトヴェングラーの神秘性を再認識させてくれる熱演だと思います。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/25

    このディスクの目玉は何と言っても、シューマン/ピアノ協奏曲だろう。リヒテルのシューマン/ピアノ協奏曲というとマタチッチ指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団と1975年に行なったセッション録音を想起する。それは文字通り、両者の個性が良い意味でぶつかり合った炎の燃え盛るが如き凄まじい演奏であった。マタチッチがピアノの音をかき消さんばかりにオケを響かせれば、リヒテルはそれを凌駕する強音で対抗するという大変スリリングな名演であった。この演奏はそれとは正反対の演奏である。ウィーン・フィルはあくまで清楚な貴婦人であり、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団の様な激情に満ちた演奏は好まない。ムーティもそれをよく心得ている。だから、ここでは、シューマンの叙情性というものがよく表出されている。リヒテルもそうしたウィーン・フィルの特性を弁え、大変丁寧に一音一音を慈しむように奏でている。同じ楽曲なのに、見事に演奏スタイルを変えてしまう所にリヒテルの高度な知性を感じる。ムーティとの相性も極めて良好である。ステレオのライブ録音でこのような素晴らしいシューマンを聴くことが出来ることを神に感謝しようではないか。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/25

    ベームは改めて言うまでもなくブルックナーを得意としていた指揮者である。ウィーン・フィルとのセッション録音も悪くない。しかし、この演奏を聴いていると、生前、彼が指揮台で屈伸運動を繰り返しながら、音楽そのものにのめり込んで行く凄まじい燃焼力を思い出さずにはいられない。そういう聴衆を有無を言わさず魅了する彼の長所がよく出た名演である。バイエルン放送交響楽団との相性も良かったようだ。それもそのはず。バイエルン州は南ドイツに位置し、言語も習慣も気候も彼の故郷オーストリアと変わりがないのだから。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/24

    「幽霊」も「大公」も大変見事な演奏だ。聴きづらさを補って余りある丁々発止の三人の巨匠のやりとりは必聴に値する。ベートーヴェンの室内楽曲の醍醐味を堪能させていただいた巨匠たちにはひたすら感謝したい。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/24

    モーツァルト/交響曲第35番はベームが好んで取り上げた作品であるだけに大変美しい。因みにベームが最後に出演したザルツブルク音楽祭1980のウィーン・フィルとのザルツブルクでの最後の演奏会でもこの交響曲が取り上げられている。ベーム=ウィーン・フィルならではの心洗われる優しいモーツァルトである。ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲も出色の出来映えだ。当時、フィッシャー,シュナイダーハンとマイナルディはピアノトリオを組んで盛んに活動していた。よって、シュナイダーハンとマイナルディの息の合ったコンビにベーム=ウィーン・フィルががっぷり四つに組んだ緊張感横溢する名演となっている。シューベルト/未完成交響曲はワルターとは違ったアプローチがされているように感じたが、ウィーン・フィルと力感溢れる熱演を繰り広げている。なお、ライナーノーツによれば、シューベルト/交響曲第9番ハ長調も未完成交響曲と同日に演奏されたが、マスターテープに問題があり日の目を見なかった。壮年期のベームの指揮で是非聴きたかっただけに極めて遺憾である。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/24

    誠に深遠なバッハだ。神への畏敬の念に満ちた演奏である。第1番冒頭のもの静かな演奏から、彼が最も知性に溢れたチェロ奏者であるということが納得出来る。また、大変ストイックな演奏家であることを証明するライブ録音である。現代に於いても決して色あせることのない知的な歌を聴く度に感涙にむせる小生である。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/31

    これらラヴェルの楽曲を既に様々な指揮者とオーケストラの組合せでCDでも生演奏でも聴いてきたのだが、一つとして納得の行くものはなかった。そこで、このディスクを購入した訳であるが、モントゥーの偉大な演奏に圧倒されてしまった。ロンドン交響楽団も実に活気に満ち溢れて美しい。録音が残っている指揮者の中で首席指揮者としての在任期間は決して長くはないが、オーケストラから、これだけ素晴らしい引き締まったエスプリを引き出せる指揮者はモントゥー以外には存在しないと確信する。畏敬の念を抱かざるを得ない演奏である。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/31

    ラロ、サン=サーンス、ブルッフ及びブロッホの楽曲も全て初めて、このディスクで聴いた。フルニエのエスプリ、気品、風格、雄弁さと力強さに満ちた演奏は他の奏者の同曲の演奏と比較した訳ではないが、秀逸であり、チェロ奏者として、他の追随を許さない厳しさがある。こうした歴史上記念碑とも呼ぶべき録音を最良の音質で聴くことが出来る我々は大変幸福である。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/31

    このディスクはNHK交響楽団2012-2013シーズン10月定期公演Cプログラムでマゼール自身の指揮で演奏を聴くことが出来るチャンスを得た為に購入したものである。DVDでもベルリン・フィルとの演奏が販売されておるし、マゼール自身、最初はこの企画に懐疑的だったようだが、実現して非常に良かったと思う。マゼールはこの楽曲の出来映えに非常に満足しているようで、ベルリン・フィルとは何度も定期演奏会などで再演しているようだ。以前、BS朝日の「ベルリン・フィル演奏会」でも2000年10月18日にベルリン・フィルハーモニーで行なわれた演奏会が放送され、その時の演奏をDVDに収録して何度も愛聴している。それにしても4夜に渡り10時間近くはかかる大曲のエッセンスを才人マゼールは70分程度に見事に纏め上げている。それだけでも驚きなのだが、カラヤン存命中に収録された、この演奏はベルリン・フィルでしか聴かすことの出来ない精緻で美しく名人芸と感動に溢れた一大叙事詩を奏でている。原題はドイツ語で「Der Ring ohne Worte」となっている通り、「声楽のない指輪」である。マゼールが編曲したといってもワーグナーの楽譜に指一本触れていない。第1曲「かくして、ライン川の<緑あやなすたそがれ>が始まる」から終曲の「ブリュンヒルデの自己犠牲」に至るまでの演奏が70分にも渡るにも係らず深い感動をもって聴き手の心を捉えて離さない。これはワーグナー、とりわけ、楽劇「ニーベルングの指輪」をこれから聴こうという初心者の方にお薦めであるし、全曲を既に他の指揮者の演奏でお聴きになっている方にも是非聴いて頂きたい1枚である。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/02

    2枚とも巨匠初来日の貴重なライブ録音である。
    音質も満足の行くものだ。
    先ず、リヒテルのモーツァルトの歌心に満ちた繊細なタッチに驚かされる。
    しかし、カデンツァは2曲ともモーツァルト自身のものではなく、ブラームス作曲のものか?
    私は浅学なので、こ存知の方がいらしたら、是非ご教示頂きたい。
    大変力感溢れるカデンツァと繊細なオケと奏でるモーツァルト自身の優美な旋律が相反するどころか、見事に融合している。
    そして、リヒテルが1994年に最後に来日した時もバルシャイ指揮新星日本交響楽団とモーツァルトの1番、5番、18番の協奏曲を慈しむように演奏していたことが懐かしく思い出される。
    この演奏会の模様はNHKが収録し、「巨匠リヒテルのモーツァルト」と題してNHK教育テレビ「芸術劇場」で放送された。
    私はこの放送を先ず、VHSに収録し、後にDVDにダビングして現在も愛聴している。
    この演奏はCDやDVDとして発売されたが、廃盤となってしまった。
    これは楽壇にとって大きな損失であり、音楽愛好家だけでなく、音楽を志す方の為にも復刻することを切望するものである。
    それにしても、大阪万博の年に初来日し、ヤマハのピアノによるモーツァルトで日本中の音楽愛好家を驚愕させ、最後の来日もヤマハのピアノによるモーツァルトで締めくくることになったことは単なる偶然なのだろうか?
    巨匠が最も敬愛していた作曲家がモーツァルトであった証に他ならないのである。
    次にベルマンだが、この演奏は幸い、生で聴くことが出来た演奏である。
    彼は来日前にギレリスをして「リヒテルと二人ががりでも叶わない」と言わしめたカラヤン指揮ベルリン・フィルとの同曲の録音は一大センセーショナルとなり、この日、NHKホールは超満員だったと記憶している。
    頭をハンマーで殴られた様なショックを受けたことが懐かしく思い出される。
    それは当日、NHKホールで演奏を固唾を呑んで聴いておられた方は皆さん、同じだと思う。冒頭のオケの前奏を受けた後のスタインウェイを乱暴に叩くのではなく、自然体で弾いているのだが、その音量の凄まじさに圧倒された。
    岩城宏之氏指揮NHK交響楽団のそれに負けじと、相撲に例えれば、「がっぷり四つ」に組んで一歩も後に引かない演奏も見事であった。
    嵐のような第一楽章が終わると、得も言われぬ、嘆息の出る程、叙情的な緩徐楽章が展開された。
    そして、終楽章のベルマンでしか取りようのない絶妙なテンポ、木管楽器との美しいやりとり、そして、一気にコーダへ突き進んでゆく強靭な推進力、これを至芸と言わずして何と言おう。
    演奏が終わると、NHKホール全体が興奮の坩堝と化し、ブラボーを叫ばない者は一人もいない、
    技巧は確かに魔人の様なものなのだが、それでいて、決して、歌というものを、この人は忘れていない。
    私はリヒテルのチャイコスキーにも衝撃を受けたが、それとは違った意味で、ノックアウトされてしまったのである。
    万雷の拍手に応えて、スクリャービン、ラフマニノフ、ベートーヴェン(アントン・ルービンシテイン編曲)の4曲を演奏したのだから、更に驚嘆してしまったのである。最後のベートーヴェンのトルコ行進曲を編曲したアントン・ルービンシテインはチャイコフスキーから、この楽曲を献呈されながら、拒絶したことで有名である、そのルービンシテイン編曲で締めくくるとは何とも心憎い演出である。
    この演奏会を当日、聴くことが出来た聴衆は幸運である。
    ピアノのロシア楽派の最後の継承者がベルマンであったと改めて思う今日この頃である。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/17

    何と雄渾なショパンだろう!コルトー、ルービンスタインやホロヴィッツ、そしてショパン国際ピアノ・コンクール優勝者たちの演奏がお嬢様のままごとにしか聴こえないくらい、アンダの演奏は男性的で雄弁な演奏だ。ショパンのデスハンドを観た事がある。とてつもなく大きな手だった。しかし、病弱で心も病んでいたことから、彼の作品の演奏は良く言えば詩的に、悪く言えば、弱々しく弾くものだという誤った解釈が罷り通って来た。しかし、あのデスハンドを観る限り、彼は生前、リストを上回る様な男性的で力強い演奏をしていたのだと思う。よって、この演奏は従来の偏見に満ちたショパン像を覆す快演と言っていいと思う。しかし、この演奏が音楽の本場、ヨーロッパですら、現在、顧みられていないのは痛恨の極みとしか言いようがない。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

検索結果:36件中16件から30件まで表示