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surwolf さんのレビュー一覧 

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     2019/06/26

    ワーグナーの旋律の奥底から、クレンペラーの魂が蘇らせてくるものを、私たちは
    ただ受けとるだけでいい。批評も評価もなにも要らない。このライブのオランダ人には、そう思わせる凄味がある。

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     2018/05/15

    この第一幕のみのワルキューレに、クレンペラーは神々の黄昏の破滅的な結末に至る運命の必然を凝縮させた。地底から沸き起こるかのような前奏曲の響きは重く、遠くグラーネを駆って燃え盛る炎に身を投ずるブリュンヒルデの姿を、容赦なく予見させる。カラヤンの第一幕は汚辱の世界から脱出し逃走する、ジークムントとジークリンデの冒険の物語であり、絶望の淵の向こうに広がる外部があった。しかしクレンペラーの第一幕は違うのである。あらかじめジークフリートの死に至る物語の破綻の予感に浸された第一幕に出口はない。クレンペラーの音はその絶望の予兆を揺るぎなく音に移し替えていく。汚辱の世界から眼差しを差し向けるジークリンデは、ヤノヴィッツではない。クレンペラーが構築した黄昏の地平線によってあらかじめ閉ざされてある世界の内壁を、ヘルガ・デルネッシュのやや翳り有る柔らかな声音が嫋々と映し出す。それでもノートゥングはトネリコの幹から引き抜かれるだろう。そして放たれた希望は恐怖の相貌を示しつつ第一幕に宙吊りにされたまま完結するのである。

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     2018/05/12

    カラヤンのワルキューレには特異な力が宿っている。第一幕への前奏曲は汚辱の堆積する世界を追い詰められたジークムントの心が切り裂いてゆくかのように始まる。そして、その切り裂かれた世界の裂け目に、ドラマが打ち立てられる。それは例えばショルティの、あくまでも勇壮なイメージと身振りを踏襲した演奏(見事な演奏であるに違いはないが)とも異なり、神的なドラマが現在進行形で創出にされゆく現場に私たちを立ち会わせてくれるかのようだ。特に第一幕は囚われの、汚辱に浸された日々にあった筈のジークリンデが、ジークムントとの出会いによって自らの清らかさを蘇らせるかのような場面と共に始まる。それは、ヤノヴィッツのリリカルな声音あってこそリアリティを感じさせ得ると言っても良いだろう。第一幕が、自らの出自に目覚め聖なる力によって蘇ったかのようなふたりが、汚れた闇の世界からの脱出を敢行し逃走する冒険の物語であらばこそ、ブリュンヒルデの助力も、第三幕のヴォータンの別れも、私たちの心を媒体として、瑞々しく緊迫感をもって繰り広げられるのである。一般的にはスケール感に勝るショルティ盤やクナの説得力あるワーグナーらしい演奏かもしれないが、カラヤン盤の内面的で密度の高い精緻な構成は、特異な魅力を放ち続けている。

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     2018/05/11

    遠い追憶の裡に物語られるかのようなクライバーの「トリスタンとイゾルデ」。事件はその端緒から破綻まで、すべてが過去に浮かぶ儚く美しい記憶以外のなにものでもない。そこには観照すべき情念のフォルムはあっても、忘我の官能に私たちが今浸るべき世界は存在しない。夜が箱庭の裡に立ち込めたかのような無際限の奥行を、痕跡としての情念の糸が果てしもなく辿っていく。そんなクライバーの「トリスタンとイゾルデ」は美しい。果てしもなく美しいが聴き了えてみれば、やはり絵空事であったのだと、プレイヤーの電源を落として部屋を出るしかない。そんな演奏であるように思う。

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     2018/05/11

    カラヤンのトリスタンには名盤と言われる他の多くの演奏が決して届かない水準がある。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ベーム、ショルティ、クライバー等の優れた演奏の数々に対してカラヤン盤が一線を画する所以は、トリスタンが死へと赴く内的な必然を、ベルリンフィルの確固たる音に託して抉り出しているところにある。それは第三幕への前奏曲冒頭の深く繊細な響きを聴くだけで誰もが納得できるのではないだうか。第三幕の、トリスタンの孤絶したエロスにこそ「トリスタンとイゾルデ」の真髄は宿るのである。それ故に、ポネルのような演出も成立するのだろう。もちろんワーグナーの音楽の価値がそうした内面性にのみあると言うつもりはありませんが。。なおCDの音質的には日本版(東芝EMI,CE30-5231/34またはTOCE9458/61)が手に入るなら、そちらをお薦めします。

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     2018/04/15

    ベートーヴェンのハ短調交響曲の「起源」に向き合う事。それがアーノンクールの擱筆とも言うべきレコーディングになった。いつしか演奏する側も聴く側も固定観念に縛られて接していた「運命」と呼称される特異な交響曲の伝統をエポケーし、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと共に、この曲の「起源」の召喚を目指したのである。アーノンクールは言う。「第5番は自由への欲求を人々が感じていた」その場所から生まれた、と。自由の観念が抑圧への抵抗を喚起するまさにその時、第1楽章は始まるのである。「最初の3つの楽章で聴き手を悲劇の中に彷徨わせて、第4楽章で突如としてハ長調が噴出する」とアーノンクールが語るその冒険の物語が、このCDには鮮烈に焼き付けられている。

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     2018/04/15

    音はやせ細りぱさついていてがっかりである。こんなリマスタリングを好まれる方も多いのだろうか?例えば第5をオットークレンペラーコレクション(72枚セット)の同演奏CDと比較しても、セットものの方がはるかに聞きやすいと私には感じられた。ご自身の耳で確かめられることをお勧めしたい。

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     2018/04/12

    このグールド/カラヤンによるピアノ協奏曲3番ほどストイック且つ色気のある演奏を私は知らない。バーンスタインとのものも大変見事な演奏だが、バーンスタインはあらかじめグールドが歌うべき抒情をオケに迎えに行かせる感があり、勿論それはそれで素晴らしくグールドのタッチも実に伸びやかではある。だがこのカラヤン盤には上質な緊迫感が両者の間にあって、怜悧な静謐さの裡に得も言われぬ色気が立ち込めている。ベルリンフィルが抒情に慣れあわず自律的抑制的にこの曲の座標を構築し、その座標上を、グールドの自身の意思を音に託して問いかけるかのようなピアニズムが、グールドにしてはやや抑制的に縫うように流れる。そのストイックな色気こそ、このグールド/カラヤン盤の魅力であり、ジャケットの写真にもそれが表れているように私には思われる。

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     2018/04/10

    これほど怖ろしい未完成交響曲があったことに打ちのめされた。初めて聴いた交響曲であり小学校に上がる頃からシューベルトの旋律は胸の奥深いところに響いていたが、その謎に満ちた、仄暗い水面の奥底に引き込まれるかのような情感を再現してくれる演奏を、私は求めてきたように思う。しかしアーノンクールとベルリンフィルとの未完成交響曲はどこまでも明晰であって、そこには演奏する側が不透明な情感を塗りこめた形跡は皆無である。明晰さの極致において作り上げられる音像は、しかし未完成交響曲の謎をむしろ深めているようにさえ感じられた。コンセルトヘボーとの演奏にも、ロマンチシズムを突き抜けようとするかのような意思は見えたが、こんな怖さはなかったと思う。なおSACDの音に不満はない。

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     2018/03/24

    カラヤンのブルックナーを再度購入するべきか躊躇もあったが、いま書斎のB&Wから聞こえてくるSACDの音の向上はすばらしい。 弦の音には厚みと弾力があり、柔らかく且つ明瞭な輪郭を備えている。それは見通しの良い空気感のある音場の広がりがそこにある、という事でもある。そして全休止の直後、金管の咆哮するトゥッティにおいても、弦が押しつぶされる事なく重層的な響きの空間が形成されている。 ブルックナーの9番は思い入れもあり真っ先に聴いた。アーノンクールとクレンペラーが好みで、カラヤンも以前はよく聴いた。それらはいづれも、あまり主観的情緒的ではない部類の演奏に入るかも知れないが。カラヤンの場合、曲想に感情移入するのではなく、オケの音像の即物的な美を追求する処があるが、9番においては、それが人間の主観を超えた超越的な存在を音場に現出させる力となる。カラヤンの引出すベルリンフィルの壮麗な音が、人間的世界の外部を暗示させるに足るリアルな力となっているように思う。9番に内在する超越的な存在に、このSACDの音は、私たちを少し、近づけてくれる。カラヤンの9番を改めて聴く意味もそこにある。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/02/25

    きょう商品が届いたばかりですが、思いの外、リマスタリングは良いかもの感あり。いま聴いてみた1960年5月ウィーン芸術週間のベートーベン第5は、MEMRIESはもちろん、Altusのsacdと比べても音に潤いがあって聞きやすく、購入してよかったと思っています。

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