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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/02/12

    このディスクで最も讃えられるべきは、ティチアーティの引き締まったテンポによる劇的かつ切れ味鋭い指揮。メトでのネゼ=セガン(フレミングが歌った2014年の時のもの)も悪くなかったが、ティチアーティの指揮は、私の知る限り最高の出来だと断言できる。確かにこのオペラ、美しい名旋律と素晴らしい場面に事欠かぬ名作だが、終幕など、台本のせいもあって、無駄な「引き延ばし」もある、ちょっと凡長な作品だと思ってきたが、それは指揮者のせいだったのだと言っても良い。この水準の指揮なら、誰も退屈することはないだろう。2006年のネーデルランド・オペラでは素敵なフィオルディリージだったサリー・マシューズ。第1幕の「月に寄せる歌」では少々とうが立ったと思わざるをえなかったが、幕を追うに従って、どんどん良くなった。長身のリロイ・ジョンソンは浮気性のイケメン男にぴったり。イェジババ、ヴォドニク以下、脇役陣も悪くない。
    スティル演出はビエロフラーヴェクが振っていた頃(2009年)から使われていたもので、ルサルカ(第1幕「月に寄せる歌」の前、ちょっとだけ)や森の精たちがワイヤー吊りで水中を泳ぐ(実際にはフライングする)のが眼目。このオペラの演出ではパウントニー(英語版)、カーセン、クーシェイ、ヘアハイムと凄いものをたくさん見せられてしまったので、この程度で驚くわけにはいかないが、ドラマの骨格はしっかり押さえられており、悪くない出来。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/02/11

    マーラーの小譜表(パルティチェル)は最初から最後まで完全につながっているので、何も変えようがないのだが、どうも薄味という印象がつきまとったクック版。けれども、しだいに演奏が練れてきたということか。第1楽章「カタストローフ」でのヴァイオリンの荒れ狂う嵐のようなパッセージなど、ちゃんと譜面通りなのだが、これほどしっかり聴かせてくれたディスクは初めてだ。ツィクルス最初の5番と6番では、まだ慎重に構えていたのか、遅めのテンポ設定だったヴァンスカだが、次の2番『復活』あたりから本領発揮してきた。この曲では遅いところは遅く、速いところは速く、全く無理のないテンポで、アゴーギグで大芝居をかけようという演奏ではないが、第2楽章終わりの追い込みや第5楽章のカタストローフ再帰直前では、いったんテンポをゆるめてから加速するという「二段変速」を採用して、一段とスケールの大きさを増している。オケもすこぶる好調で、難関の8番を超えれば、全曲録音完成も見えてこよう。ラトルやハーディングと並ぶクック版の代表的ディスクだが、前二者と違うのは、第4楽章末尾の大太鼓の打撃を終楽章冒頭の大太鼓と同一とは解釈せず、改めて打ち直していること(この大太鼓が実にいい音で録れている)。こうすると、終楽章でのカタストローフ再帰が計13回目の「打撃」になる。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/02/11

    グラインドボーンに移されたフィオナ・ショウ演出が圧巻の出来。コヴェントガーデンやメトでも見られるローラン・ペリー演出を遥かに凌ぐ。演出の工夫は早くも第1幕、ド・ラ・アルティエール伯爵家(つまりリュセットの家)の侍女たちに王子(もちろん、ここでは黙役)を紛れ込ませるところから始まっている。一方、本来は出番のない第2幕冒頭からバレエ音楽にかけて、ずっとリュセットは王子の分身としてバントマイムを演じる。すなわち、二人のドッペルゲンガーぶりを強調する演出の意図は、両者の一目惚れを鏡に映ったアイドル(理想像)との出会いとして見せること。鏡の迷宮での二人の出会い(ジャケ写真)、タイムリミット(午前零時)の到来の見せ方など、全くうまい。幾多のシンデレラものの中で、このマスネ作品の特色は、舞踏会の終わりはまだ第2幕に過ぎず、その先がかなり長いことだ(第3幕、第4幕がある)。以後の演出が描こうとするのは、鏡に映った鏡像に恋した二人が、お互いが自分の分身ではなく、自分とは違う「生身の男/女」であることを分かり合うこと。この演出で多用される象徴によれば、蛹が蝶になること。つまりは大人になること。
    ドゥ・ニースのヒロインは従来のリュセットのイメージからすれば少々勝ち気に過ぎるかもしれない。でも、演出の時代設定も現代だし、これぐらい自己主張の明確なシンデレラがいてもいいではないか。黙役としての登場場面も長いケイト・リンジーのイケメンぶりは実に素敵(もちろん歌も)。喜劇的な人物は、国王に至るまで著しく戯画化されてるが、いじわる姉さんたちのデコボコ・コンビぶりなど何ともお見事。この曲の総譜は一見、そんなに巨匠芸を必要としないように見えるが、ヴァーグナー流の半音階主義から擬バロック趣味まで含むマスネのスコアは意外に手ごわい。新鋭ジョン・ウィルソンの指揮も的確だ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/02/09

    これもまた近年のベルリン・ドイツ・オペラの好調ぶりを確認できるソフト。全3幕とも同じセット、本当にミニマムなものしか舞台上になく、今回はプロジェクション・マッピングも使わないクリストフ・ロイ演出が、外面的にはすこぶる地味なこのオペラに合っている。ヒロインのヤクビアクは、もう少しドラマティックな力が欲しいが、「聖女様」があまりガンガンがなり立てるのも、まずいか。演技や見た目は文句なしなのだが。他の主役級二人、脇役三人ともに申し分ない出来で、初の映像ソフトとしては大推薦のディスク。特に目覚ましいのはマルク・アルブレヒトの指揮で、これまで出ていたこの曲の二種のCDはいずれも指揮が頼りなかったのだが、これは面目を一新する出来ばえ。死んだはずの恋人たちが立ち上がって歌い上げるエンディングの二重唱は、まるで20世紀の『トリスタンとイゾルデ』だ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/01/22

    あまりどぎつくやると奇形者への差別も懸念される難しい題材のオペラだが、新鋭クラッツァーの演出が冴え渡る。シェーンベルク『映画の一場面のための伴奏音楽』を使った、短いプロローグが絶妙な伏線になっている。ツェムリンスキーがアルマに言い寄るが肘鉄を喰らうという史実通りのパントマイムが演じられるわけだが、オペラ本編での演技者のこびと(本物の小人症の俳優、『タンホイザー』のオスカルとは別の人)は登場シーンでオペラの総譜を抱えて出てくるので、主人公は作曲者自身の自己表象であることが誰の目にも分かる。舞台は現代のコンサートホールで王女様の誕生日を祝うために演奏家たちが集まっている。主人公がはじめて鏡を見る場面(ジャケ写真)の見せ方など、鮮やかの一語。ホールに飾られた大作曲家たちの胸像を主人公が叩き落としてしまった後、彼の死と共に出てきた儀典長ドン・エストバンがツェムリンスキーの胸像を中央に据える。これで見事にプロローグと結末が照応。
    バット・フィリップは歌、演技ともに秀逸。相変わらず美人のツァラゴワ、ギータにエミリー・マギーというのも何とも豪華だ。ラニクルズの指揮も好調。現在、ベルリンでは3つのオペラハウスがいずれも高水準の上演を繰り広げているが、ベルリン・ドイツ・オペラもかつての栄光を取り戻しつつあるのは明らか。去年、コロナ禍の中、新演出上演が強行されたヘアハイム演出『ワルキューレ』が一刻も早く見たいものだ。

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     2021/01/17

    ラトルがロンドンを去ってミュンヒェンに行くという報道には快哉を叫びましたね。私と同い年だが、まだ楽隠居をする気は全くないらしい。ラトル、ゲルギエフ、ユロフスキを擁することになるミュンヒェンとベルリンの対抗意識はますます面白いことになりそう。さて、そこでこの『ワルキューレ』だが、エクサンプロヴァンスで収録されたベルリン・フィルとの録画(2007)の頃にはまだあった新味狙いの意識はもはやない。あの頃目指した「もう少し熱いブーレーズ」スタイルはちゃんと実質を伴った音楽になっている。
    ただし、歌手陣は何とも残念。カウフマン/カンペ/ステンメと望みうる最高の歌手たちをゲルギエフの盤に取られてしまったのが痛い。中ではスケルトンが比較的良いが、ウェストブレークはやはり苦手。ジークリンデが若い男をつかまえてベッドに引きずり込む毒婦のように聞こえてしまうのは何ともまずい。テオリンも悪くはないが、どうしてもステンメより落ちる。ラザフォードは健闘しているが、ブリュンヒルデとの近親相姦的な愛の交歓(第2幕冒頭)から避けがたい神々族の破滅を前にした絶望(「終わりだ das Ende!」)まで演じなければならぬ『ワルキューレ』のヴォータンはまだ若い歌手には難しすぎた。『ラインの黄金』で素晴らしかったミヒャエル・フォレを確保できなかったのは痛すぎる。

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     2021/01/16

    ピエモンテージの演奏でピアノ協奏曲における旋律装飾(緩徐楽章以外での)を紹介したが、この演奏も同じ。たとえば、私にとっては全ピアノ・ソナタ中、最愛の一曲である変ロ長調 K.570(実はもう一曲、ヘ長調K.332も捨てがたいが)。第1楽章の提示部リピートはそのままの繰り返しではなく、ごく僅かながらセンスの良い旋律装飾を加えている。展開部〜再現部も一度目は譜面通り、リピートでは旋律装飾と再現部の前に少しアインガングの挿入がある。第2楽章ももちろん旋律の繰り返しでは装飾、アインガングの挿入あり。終楽章のロンドではリズムの切れ、間のセンスがめざましいが、意外にも譜面通り。しかし、全3曲とも同じパターンで押し通しているわけではなく、K.281では緩徐楽章とロンドで旋律装飾と挿入、K.333は緩徐楽章のみ旋律装飾、終楽章では挿入あり。18世紀にはピアノ・ソナタはまだ演奏会用の音楽ではなかったが、モーツァルト自身が弾いたら、たぶんこのように弾いただろう。オルリ・シャハムはこのディスクではじめて知ったが、タッチも美しく、音色の使い分けも実に繊細かつ多彩、リズムがまた素晴らしい。こういうことをやるからには、旋律装飾のセンスに自信があるはずだが、これも申し分ない。この調子で全集が完成されるとすれば、本当に楽しみだ。 

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     2021/01/08

    パーヴォが「満を持して」開始したチャイコフスキー・ツィクルスを担うオーケストラがN響でないのは残念だが、結果を聴いてみると、やはりこれが正解か。近年のN響のヴィルトゥオジティは目覚ましいが、特にこのようなロマン派のレパートリーでは輝かしい音響が音楽に結びつかないという歯がゆい思いをすることが少なくない。これに比べれば、トーンハレ管弦楽団の響きはずっと地味、いわば質実剛健だが、パーヴォの目指すチャイコフスキーがハリウッド映画風の絢爛豪華なスペクタクルでないことは明らかなので、やはりオーケストラの選択は正しかったと言える。ところで、このディスクのライナーノートが最近ネルソンスがあちこちで喋っている内容と全く同じことを書いているのには、ちょっと驚いた。チャイコフスキーの第5はベートーヴェンの第5のような「苦悩を通して歓喜へ」というストーリーを持つ交響曲ではなく、「運命に対する全き屈伏」こそこの曲の主張だという話だ。パーヴォの演奏もこのような解釈に従ったかのように聴くことができる。もちろんロマン派の音楽らしいアゴーギグ、テンポの変化は的確に表現されているし、第2楽章中間部の速いテンポ(楽譜通りだけど)、終楽章コーダ(モデラート・アッサイの部分)のクライマックスでのタメの作り方など師匠(といってもタングルウッドで短期間、教えてもらっただけだが)バーンスタインを思い出させるところもある。けれども、もちろんパーヴォの演奏はバーンスタインのような情緒纏綿なものではなく、ドイツ流交響曲のような堅牢な造形を崩さない。第3楽章でのホルンのゲシュトップトの強調などと併せて、いかにも21世紀のチャイコフスキーだと思う。

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     2020/11/02

    一番の聴きものは、やはりシャーガーのトリスタンか。2年後、ベルリンでのチェルニャコフ/バレンボイム版の方がさらに良いが、素晴らしいヘルデン・テノールに成長したものだ。2015年のカンブルラン/読響でも聴いたニコルズはまあまあ。細身な声で本物のドラマティック・ソプラノではないが、イゾルデ役としては悪くない。他にはレリアのマルケ王がまだ男盛りで(世継ぎを望んで再婚したわけだから、これで正解)、好感の持てるキャラになっている。ガッティの指揮はいつも通りクリアかつ色彩豊かだが、第2幕二重唱のクライマックスなどではかなり緩急の変化もつける。ただし『パルジファル』『マイスタージンガー』に比べると、残念ながらオケが落ちる。明晰なのは良いとしても響きが必要以上に薄く感じるのは、指揮者の本意ではあるまい。
    人物達の服装などは「超時代風」だが、演出家に特定の状況に読み替えようという意図はないようだ。基本的にアンチリアル路線なので、可もなし不可もなしだが、個人的には二点ほど気に入らないところがある。第1幕で媚薬を飲む場面も同じ杯から飲むようには見せないが、飲んでから二人が抱き合うどころか全く接触しないのは、ちょっと極端。第2幕二重唱でもせいぜい肩を寄せて座る程度、第3幕でもイゾルデはトリスタンの遺体に触れようとしない。二人の関係は肉体関係じゃなくスピリチュアルなものだという演出家の主張は了解できるが、どうしても違和感が残る。この作品の描くエロス=タナトスは肉体関係を排除しないし、むしろ必須とするものだ、というのが私の考えなので。もう一つは、トリスタンと同年配のはずのメロートを極端な老人にしてしまったこと。これでは二人の同性愛関係が行方不明になってしまう。トリスタンのセリフにはこうある。「彼は私を愛したが、私同様、イゾルデの眼差しに幻惑されたのだ」と。なお、日本語字幕は随所で思い切った意訳を試みているが、私の解釈と違う箇所だらけ。第2幕二重唱はショーペンハウアーを踏まえた哲学的な歌詞なので、意味が通る限りは直訳が望ましいと思う。これも好みの問題ではあるが。

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     2020/10/29

    『ペレアスとメリザンド』と並んで最もウィルソン向きの作品だろうと予想したが、その通り。徹底したアンチ・リアリズムで舞台装置はほぼ皆無。照明のみで勝負。リューの死もカラフの接吻もすべてリアルな形では表現されない。人物達は常に正面を向いて直立したまま歌い、能のような手の動きだけをする。あまりにスタティックに過ぎると思ったのか、ピン・パン・ポンの三人組だけは歌のパートのない所でも、ちょこまか動くのだが、いつものウィルソン様式を乱した感なきにしもあらず。最も面白かったのは幕切れで、カラフは自分の名を言ったとたんにスポットライトから外され、最後は後ろの群衆に紛れ込んでしまう。トゥーランドットが「愛」を見出すためのイニシエーション物語で、ここまでの出来事はすべて彼女の妄想だったのかもしれないと思わせる。
    テオリンは去年の日本での歌と同じ印象。ひところのようなヴィブラート過多のコンディションからは立ち直ったように聴こえるが、この演出では特に求められる怜悧な切れ味がない。声のコンディションは2008年に新国立で歌った時がベストだったように思われ、同郷(しかも同い年)のステンメにだいぶ差をつけられてしまった。ただし、もともと美人なので「絶世の美女」に見えなくもないのは救い。クンデはかなり力任せな歌だが、この役としては悪くないし、演出には合っている。アウヤネットは駄目。演技に関しては、この演出では文句を言いようがないが、歌は繊細さが足りない。ルイゾッティの指揮は相変わらず凡庸。手堅い職人芸のおかげで、あちこちで重用されるのだろうが、このオペラではどうしても、もっとハッタリが欲しい。

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     2020/10/26

    才気横溢の演出の仕様については、カステルッチなどと違って、見れば誰にでも分かる楽しいものなので、説明の必要もあるまい。シトロエンのミニバンがヴァルトブルク城の下から出てくる序曲冒頭のシーンから映像と音楽のシンクロ率が高いのには感心。「歌合戦」すなわち「バイロイト音楽祭」というメタ設定は大ヒットで、舞台上(カラー)と舞台裏(白黒)映像の組み合わせも実にうまく、ヴェーヌス一座三人の音楽祭への侵入、カタリーナ・ヴァーグナー本人が警察に電話し、パトカーがバイロイトの丘の上に急行するあたりは本当に抱腹絶倒。『タンホイザー』でこんなに笑えるとは思わなかった。ただし、第2幕までがあまりに面白かったので、第3幕はややネタ切れの感を否めず。エリーザベトとヴォルフラムの性行為で最後の「救済」枠組みをぶち壊しにかかったが−−だって、これじゃ「君の天使が神の玉座で君のために祈っている」うんぬんといったヴォルフラムの言葉は全く空しいし、完全に自殺であるエリーザベトはキリスト教世界では聖女になれない−−いまひとつ不発の印象。
    それでも指揮が良ければ、5つ星を進呈すべき舞台だが、ゲルギエフは明らかに準備不足で存在感なし。これで当分は、バイロイトから招かれることはないだろう。くたびれた中年オジサンのグールドは演出の設定通り。ダヴィドセン、歌は文句なしだが演技の方は大時代的でトロい。これも演出家の計算の内か。何と言っても、舞台をさらったのはツィトコーワのキュートなヴェーヌス。急な代役だったそうだが、見事なハマリ役だ。歌のパートのないル・ガトー・ショコラとオスカルにも、もちろん大拍手。

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     2020/10/14

    今年の7月にスイスのラ・ショー=ド=フォンで録音。異例な快速リリースだが、この録音を一刻も早く世に出したい関係者の気持ちは良く分かる。不朽の名作『死と乙女』の録音史でもマイルストーンとなるべき画期的な録音だからだ。ここ半世紀ほどのカルテットのトレンドはSQの表現力を拡張してオーケストラのようにすること、いわばカラヤン指揮/ベルリン・フィルを弦楽四重奏で実現することであったが、カルテット・アロドの目指すところはもう全然違う。これまでの録音でも来日公演でも(残念ながらナマでは聴けておらず、NHK-BSで観ただけだが)このカルテットの音が細身であることは非常に印象的。マッスとしての力で押すということを全くせず、シャープな切れ味とピアノからピアニッシモにかけての微細な細やかさで勝負している。技術的にも世界最高水準に達していると思われ、前の「マティルデ・アルバム」(ヴェーベルン/シェーンベルク/ツェムリンスキー)など、彼らを聴いてしまうとラ・サールSQですら、ひどく「もっさり」して切れが悪いと感じられるほどだ。このシューベルト・アルバムでも全体に速めのテンポにもかかわらず、よく歌っていて、淡白という印象は全くない。微視的なレベルでの細やかさが半端ないのだ。第2楽章の演奏時間(10:58)は私の所持する25種類のディスクの中ではアルバン・ベルクSQの再録(10:40)に次ぐ速さだが、全く物足りないところはない。終楽章もエマーソンSQの8:13には及ばぬものの、過去最速クラスの8:33だが、強引な力押しという感じが少しもしない。演奏自体がすこぶる俊敏な性格を持っているからだ。『四重奏断章』は『死と乙女』のカップリングに絶好の曲だと思っていたが、こんなに前衛的で凄い作品だとこの演奏に教えられた。若書きの第4番も演奏のおかげで、実に聴き映えがする。

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     2020/10/07

    ヤーコプスとビー・ロック・オーケストラによるシューベルト交響曲集の第二弾は初期交響曲中、最愛の作品である第2番と小ぶりながら、はちきれんばかりにエネルギッシュな第3番の組み合わせ。もちろん第2番も素晴らしい出来ばえで、第2楽章などたぶんこれまでで一番速いが(7:07)、アンダンテとはこういうテンポじゃなくっちゃ、という素敵な演奏。けれども、第3番がそれ以上だったのは嬉しい驚き。第1楽章主部からオーケストラは火がついたように驀進する。ロッシーニ風とも評されるこの曲だが、ロッシーニのブッファのアンサンブル・フィナーレで登場人物たちが早口でまくしたてるような、この演奏のスピード感と破壊力は凄まじい。第2楽章アレグレットもカルロス・クライバーと並ぶ快速(2:54)。さらに第3楽章スケルツォでの変幻自在のテンポ・ルバートには心底ぶったまげた。あわてて総譜を取りに走ったが、もちろんこんなこと、どこにも書いてない。演奏家が「楽譜を読む」とは、こういうことかと改めて教えられた。ヴァイオリン・パートに三人の日本人女性奏者の名前が見られるのも嬉しい。

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     2020/10/07

    イタリア系スイス人のピエモンテージとマンゼ指揮/スコットランド室内管弦楽団によるモーツァルト・ピアノ協奏曲集の第二弾。第19番もしなやかで美しい演奏だが、第27番が非常に面白い。第2楽章でも、きわめて雄弁な旋律装飾が行われているが、同じことが終楽章ロンドでも行われている。最初の提示の時から主題前半は譜面通り弾かれているが、後半になると早くも譜面通りではない。以後、この主題が戻ってくるたびに、旋律は華々しく装飾されている。前回録音の第26番「戴冠式」でもこのコンビ、ロンドでの旋律装飾をやっていたが、こんなに派手ではなかった。第27番のすぐ前に入っているロンド イ長調でもピエモンテージはアインガングとカデンツァを書き足したばかりか、大幅な旋律装飾を加えているが、これはこのロンドが未完で、ちょっと頼りない作品だからだろうし、第27番ロンドの主題は歌曲「春への憧れ」K.596からの借り物だからと言えるだろう。一昔前なら、こんなことをやろうものなら大ひんしゅくだったはずだが、このピアニストの旋律装飾は雄弁ではあるがセンス良く、少なくとも私は気持ちよく聴けた。第27番は最後の年、1791年の1月に最後の仕上げが行われたことから、最晩年特有の清澄さや諦念が強調されてきたが、アラン・タイソンの自筆譜研究によれば、書き始められたのは1788年とも言われ、もう少し華麗さを加味したこんな演奏もありだと思う。マンゼ率いるオーケストラも申し分ない共演で、第1楽章展開部で主題がト短調になるところなど、すこぶるセンシティヴだ。

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     2020/07/27

    今や珍しくなったオペラ全曲のセッション録音だが、こういうことをやる意義はまだあると感じさせてくれる素晴らしい成果。まずはやはりパッパーノから誉めよう。スコアを隅々まで掘り起こした本当に凄い指揮。第1幕冒頭や第2幕幕切れなどは勢いに任せてもう少し速いテンポをとることも可能だろうが、彼はテンポを動かさず、巨大なスケールを実現している。このオペラ、第3幕末尾のコンチェルタートが頂点で、終幕はエピローグのように聞こえることも少なくないが、この演奏ではオテロがデズデモナを殺す場面以後がちゃんとクライマックスになっている。コヴェントガーデンのオケも今では非常に質が高く、ヴァーグナーでもヴェルディでもほとんど不満を感じないが、聖チェチーリア音楽院管を起用した効果もちゃんと出ている。
    カウフマンに対しては、様々なテクニックを駆使した人工的な役作りを認めるかどうかが好悪の分かれ目。かつてのデル・モナコ、近年ではグレゴリー・クンデのようなストレートな歌い方を好む人は認めないだろう。でも私は全面的に肯定。なぜなら、原作戯曲ではイアーゴのオテロに対する同性愛もほのめかされるようなホモソーシャルな社会の人物とはいえ、この人、あまりにも直情径行、女性不信がひどく、私には理解も共感もしにくいキャラクターだから。人種差別、女性差別のせいでこのオペラが上演しづらい時代にならないよう祈るばかりだ。一方、イアーゴは、私にはその考えが手にとるように分かる実に魅力的な人物。カルロス・アルバレスは現代最高のイアーゴ歌いだと以前から思っていたが、今回はたとえばティーレマン指揮のイースター音楽祭ライヴなどに比べると多彩な表情を抑制して、ストレートに歌っている。カウフマンとの対比に配慮したのだろうが、これはこれで結構。デズデモナだけはちょっと不満。フレーニあたりから彼女はかなりしっかりした、強い女性として性格づけされてきたが、ロンバルディは若々しい声で歌の表情も美しいが、キャラとしてはどうも「お人形さん」的だ。慣例通り、第3幕のバレエ音楽は録音されていない。

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