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meji さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/07/03

    シューマンの4番は、厳格なリズム、アーティキュレーション、ダイナミクスをオケに要求するヴァントの求心的で硬派な解釈が、N響が生来有する「緩さ(自発性?)」「鈍さ(重厚さ?)」「混濁感(パワー?)」によって程よく中和されたことで、この曲が初稿段階から有する荒削りで凄まじい推進力と、改訂稿の特徴である密度感とドロドロとした情念の渦とが、陰鬱さを感じさせることなく爽快に両立した、演奏史上特筆すべき名演である。演奏の特徴は何と言っても、ヴァントの推進力に満ちた超快速テンポと、豪快に吹きまくるN響金管群のパワーに尽きる。当時のメモを見ると主席ホルンは田中正大。唇の微妙なコントロール技術に欠けていたため、高音域やアタックは常に外しまくっていたが、大きな体躯から繰り出すロングトーンの咆哮は、まるで電車の警笛のような音量で、NHKホールの屋根をも吹き飛ばさんばかりの迫力だったのが懐かしく思い起こされる。本演奏においても、例えば第1楽章を通して刻まれる伴奏リズムにおいて、ホルンがこんなにも出しゃばる演奏はけっして無いし、この強調がこれほどの効果をあげるとは思いもつかなかった。トロンボーンは恐らく伊藤+三輪+牧野の「音割れてんぷくトリオ」に違いない。リズムも音程も音量バランスもそれこそハチャメチャだが、彼らがパオーッ!と吹き始めると、自然と身体が前のめりになり、思わず手に汗を握ってしまうのだから不思議だ。終楽章終結部ではヴァントの速いテンポについていけず、大きくズッコケるのも彼らならではの微笑ましいパフォーマンスだ。NHKによるホールの天井吊マイクによる録音は相変わらず貧弱で、当然ながらこれら金管群の大音響を捕らえ切っておらず、単に割れて混濁した汚い騒音(ある意味忠実なサウンドともいえるが…)にしか聴こえないのが残念だが、当時のFM放送のエアチェックテープと比較すると、鮮明さやDレンジにおいて大きく改善されている。本演奏の12年後、北ドイツ放送響を指揮した待望のCDが出たが、オケの一分の隙もないほどの精緻な技術は確かに素晴らしいが、若々しい推進力と豪快さにおいてはN響に軍配が上がるし、録音も美しいが大人しく、全曲聴き終えての充実感は本CDが遥かに上だ。最後に今回第1弾として3アルバムが発売されたが、この極め付きのシューマンのみSACDが発売されないのは実に不可解だ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/05/11

    このSACD、最近のユニバーサルのSACD-SHMと違い最低限のノイズリダクションに留めていることを評価したい。テープヒスは心地良い爽快感をもって耳をくすぐるし、冒頭のスペイン狂詩曲では当時の真空管機器の残留ノイズも盛大に入っている。もちろんキングスウィホールの下を走る地下鉄のランブルも随所で聴こえる。これによる効果とは、結局のところ当時そこで鳴っていた音響を、そのままリスニングルームに持ち込めるという、極めて単純かつ当たり前のメリットに他ならない。ブックレットには録音に関するデータがほとんど掲載されていないが、ダフニスとクロエのエンジニアはアラン・リーヴとされている。しかし本SACDの目の覚めるようなサウンドを聴くと、オーケストラとコーラスとの継ぎ目のない広大なサウンドステージの表出といい、深々とした重低音の響きといい、ケネス・ウィルキンソンの存在を強く感じさせる。もしかするとモノーラルのミキシングをウィルキンソンが担当し、ステレオをリーヴが担当していたが、ステレオのミキシングにもウィルキンソンが助言していたのかもしれない。PRAGAには他のデッカ録音のSACD化も強く要望したい。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/05/11

    前回のBOXがノイズリダクションをかけすぎるあまり、菅野録音を特徴付ける「録音会場のエアーの表出」と「楽音が有する複雑な倍音成分の再現」が大きくスポイルされており失望したが、今回はこれを反省してか、オリジナルマスターに忠実なアプローチがなされており、テープヒスや機器の残留ノイズは盛大に聴こえるし、超低域成分も大きなカットをされずに、40年前の青山タワーホールのエアーがしっかりと収録されており、菅野録音の醍醐味をたっぷりと堪能することができる。あえて苦言を呈するとピアノのピッチが総じて高いが、曲によっては半音近く高く、まるで移調して弾かれているような居心地の悪さを覚えることだ。どうしてテープスピードを調整しなかったのか?やむを得ず筆者はピッチコントロール付きの再生ソフトを通してDAコンバータに接続しているが、本当に面倒だ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/05/11

    デッカの名エンジニアJ・ダンカーリーの出世作ともいえる伝説の超優秀録音である。本ディスクがその後の録音界に与えた影響は計り知れず、リファレンスレコーディングスの総帥キース・ジョンソンに至っては、この14年後に、同じ顔ぶれで(ホールだけはウォルサムストゥからワトフォードに移ったが)「アーノルド序曲集」というオマージュまで制作している。この録音の凄みは嶋護氏が「クラシック名録音106究極ガイド」に的確にレビューされており、筆者としても全面的にこれに同意するもので、何も付け加えるべきことは無い。これまではリリタのオフィシャルCD-Rでしか聴くことができず入手も面倒であったが、HMVで容易に入手できるようになったことは全てのオーディオファイルにとっての朗報だ。これを機会に是非とも購入されることをお勧めしたい。なお従来のCD-RもCDフォーマットの限界を極めたかのような素晴らしいサウンドであったが、今回のリマスターの出来は果たしてどうであろうか?大いに気になるところだ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/03/12

    全集が録音された70年代初頭といえば、まさにソヴィエト連邦の緩慢な衰退が始まる直前で、経済的にも芸術的にも最後の輝きを放っていた時期であり、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「カラマーゾフの兄弟」等、国家の威信をかけた大作映画が続々と製作されていた。同時期の「チャイコフスキー」も同様で当時望みうる最高の布陣による極めて芸術性の高い作品であったが、この映画の音楽の指揮を任されていたのが、当時40歳の気鋭ロジェストヴェンスキーであり、その意味では本全集はレコードにおけるソヴィエト連邦政府お墨付きのいわば「純正の」演奏といえるだろう。実際、ロジェストヴェンスキーの指揮はまさにソヴィエト的であり、そこにはロマノフ王朝の絢爛も無ければスラブ臭も無い。もちろんチャイコフスキーの感傷や甘さとも無縁の、極めて怜悧な指揮ぶりであるが、全盛期のモスクワ放送交響楽団が生み出すミグ戦闘機を思わす切れ味と凄まじい音響は超絶的であり、アナログ全盛期のメロディア録音の妙に生々しいダーク系のサウンドと相まって、チャイコフスキーの音楽の魅力を十二分に堪能させてくれる。ただし本録音は、現代のデジタル録音に慣れた耳には非常に奇異に響くことだけは覚悟しておかなくてはならない。中音量からリミッターが利き始め大音量のピークは大きく潰されるため、Dレンジは極めて狭い。またサウンドステージの奥行きは深く、金管も打楽器も遥か遠くから聴こえてくるというナチュラルなパースペクティブにおいて、なぜか木管楽器だけはやけに大きな音量で目の前に定位しており、まるで木管協奏曲を聴いているかのようだ。チャイコフスキーの交響曲には、中学生時代にLP6枚組の本全集で親しんだ者であるが、当時の小遣いはLP1枚/月だったので半年分前借りして購入した思い出がある。それと比べると今は本当に良い時代になったものである。なおCDケースには最新のデジタルリマスターである旨が書かれてはいるが、サウンド自体は国内初出LPとは変わっていない印象である。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/02/06

    サウサンプトンのギルドホールにおける録音でエンジニアはS・エルザムである。オーケストラにソプラノ独唱、バリトン独唱、男声合唱が加わった全曲70分を越える大作であるが、音楽はいかにも若書きらしく、次から次へと湧いてくる曲想をまとめきれない散漫さや冗長さが気になるが、若々しい推進力と爆発的なエネルギーがこれを補って余りあり、マーラーの「嘆きの歌」やシェーンベルクの「グレの歌」にも通じる親しみやすさが魅力だ。エルザムによる録音はスペクタキュラーの極みともいえるもので、ギルドホールの肥沃なアコースティクの中に、左右いっぱいに展開する分厚い弦楽器、大風圧でホール壁面を煽る金管、薄気味悪いほどの生々しさでにゅうっと顔をもたげる声楽パート、左奥から暴力的なパワーを誇示するティンパニなどが、そこにある位置から実物大のエネルギーと方向性を持ってリスナーに襲い掛かり、現れては消え、消えては現れる様子は、聴き手に再生メディアや機器の存在を忘れさせ、まるでその場に居合わせているかのような陶酔的な錯覚を与える。これは先日再発された交響曲全集共々、全てのオーディオファイル必携のデモンストレーションディスクであると同時に、コアなシベリウスファンにとってもマストバイの一枚だ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/28

    本録音がEMI黄金期の名コンビ「ビショップ&パーカー」による極め付けの優秀録音であることは、すでに至る所で語り尽くされているので屋上屋を架すようなレビューは差し控えようと思ったが、今度の最新リマスターSACDで聴くこのトゥーランガリラの凄まじいばかりの音響にはただただ圧倒されるのみであり、称賛の言葉すら思い浮かばない。
    今回改めてこの鮮烈なサウンドで本演奏を聴き直して認識したことが、プレヴィンはこの大曲が持つ「神秘性」「宗教性」「哲学性」といった側面をことさら強調せず、いつものチャイコフスキーやプロコフィエフのバレエ音楽を指揮するかのようなアプローチにより、この曲のもうひとつの側面である「歌謡性」を強調していることである。その結果、通常であれば耳と脳を痛く刺激する、不協和音同士の衝突や、多種多彩な打楽器群による不規則なリズムが、プレヴィンによって巧みにコントロールされることで、美しい和声が顔をもたげ、心地よいリズムが耳をくすぐる。さらにこれを、パーカーによるスペクタキュラーかつ豊饒なサウンドが助長することで、聴き手はまるでハリウッドのドルビーシアターで、最新のSFファンタジーを観ているかのような甘美な錯覚に陥る。
    EMIジャパンによる相も変わらずの過大パッケージと低レベル解説は褒められたものではないが、今回はC・パーカー直筆によるマイクセッティングシートに加え、セッション時の写真が、折り込み別紙に大きく掲載されているのはマニア心を大いにくすぐる。
    最後に今回のシングルレイヤーシリーズもこれで一段落ついたが、何といっても「高品質サウンド」が売りである以上、名演奏の「優秀録音」を選定してほしいものであり、次シリーズではC・パーカーが収録した、プレヴィンの「ロミジュリ」「タコ8」「バビ・ヤール」「真夏の夜の夢」やジュリーニの「ブル9」「モツレク」「ミサソレ」、さらにはS・エルザムが収録したベルグルンドやムーティらの名録音のSACD化を強く望みたい。おっと、ケンペのR・シュトラウスの協奏曲編もお忘れなく…

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/23

    元DGの名トーンマイスター、ハインツ・ヴィルトハーゲンによる2011年の最新録音である。昨年「ゲルハルト・オピッツの芸術」として同じくヴィルトハーゲンによる最新アナログ録音が4枚組のLPセットで発売されたが、随分昔にアナログ再生機器を処分しており、そのサウンドを耳にすることは叶わなかったが、オピッツの弟子である日本の女流ピアニストのセッションにヴィルトハーゲンが関わっていたとは思いもしなかった。クーベリックのベートーベン交響曲全集の国内盤LPのブックレットには、指揮者やプロデューサーのハンス・ウェーバーと共に、壮年期のヴィルトハーゲンの姿が写っている写真が掲載されていることから、年齢は80をゆうに超えているはずだが、今もってこれだけ高いレベルのサウンドを仕上げるとは、アナログ全世紀に活躍していたエンジニアらのレベルがいかに高いものであったかを改めて思い知らされた。
    スピーカから流れてきた、クリアなピアノの音色といい、ピアノとマイクとの絶妙な距離感といい、直接音とアンビエンスとのバランスといいまさにDGレコードで馴染んだ懐かしいヴィルトハーゲンサウンドである。

    ところで、一般的にドイツのトーンマイスターの録音に対する基本的なポリシーは、イギリスやアメリカのバランスエンジニアらとは異なっており、後者が「録音会場に鳴り響いている音響を空間毎切り取ってくる」傾向が強いのに対し、「会場がどこであろうと曲に応じて自らが最適と考える音響に作り込む」傾向が強いといえる。その結果、数多くのマイクを立て、マルチトラックテープに収めた原音をスタジオに持ちかえり、後からレーベル固有のプリファレンスに則ったミキシングとイコライジングを施しステレオマスターを作り上げるといった手法に辿りついたのは当然といえる。

    本CDにおいても、同じ会場で同時期に録音されたにも関わらず、シューベルトやリストの小品と、リストのピアノソナタとでは、距離感もサウンドステージの広がりや奥行きも随分異なっている。ただしDG時代とは大きく異なっているのが、演奏ノイズを含む会場の暗騒音成分まで克明に収録されていることと、周波数のエネルギーバランスがフラットなことである。
    この理由として録音機材の進化もあるとは思うが、それよりむしろ、直接音主体のミキシングに加え低域をカットし音のエッジを強調するといったDG伝統の音作りの縛りから解放されたことから、ヴィルトハーゲンが生来持つピュアリスト的な側面が初めて音に反映されたと捉えるのはあながち見当外れではなかろう。ヴィルトハーゲンはDGのトーンマイスターの中でも、少ないマイクで演奏の場の臨場感を重視する音作りが特徴であったし、先述のクーベリックのベト全のブックレットでもヴィルトハーゲン本人が「今回使用したマイクは編成に応じて6本から12本(メインマイクが4〜5本だとすればピックアップマイクの数はかなり少ないと言える)」と語っていることからもこれを裏付けることができる。

    田中あかねの演奏は、恣意的な表現とは無縁の極めてオーソドックスな演奏で好感がもてるが、メインのソナタでは、スタミナとパワー不足でピアノを鳴らし切れていないもどかしさを感じるし、ペダルの使い方にも詰めの甘さがあり、時折混濁をきたす部分があるのが玉にキズである。とはいえ本アルバムは、DGの往年の名トーンマイスターが、その輝かしいキャリアの終盤になって、ようやく己が理想とするサウンドを最新の技術で実現させた、極めて魅力的なディスクであり、資料的な価値も高い。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/22

    83年ボストンシンフォニーホールにおけるクリストファー・パーカーにおけるデジタル録音である。
    EMIの歴史上最大のエンジニアであったパーカーの最後の録音が何であるか、恥ずかしながら全く調べてはいないが、本録音が彼の輝かしいキャリアの終盤に位置することは間違いないと思われる。

    ボストンのシンフォニーホールは空席時の残響が過剰となり、セッション録音が極めて難しい会場であることは昔から有名だが、パーカーはこの異国の地での慣れないホールでのセッションにおいて、そのハンディをものともせず、気難しいシンフォニーホールの音響を涼しげな顔で組み伏せ、三方の壁面が垂直にそそり立つ狭いステージ全面に展開するフルオーケストラの全容を、クリアなサウンドと原寸大のパースペクティブとでリスナーの前に届けてくれる。
    全ての楽器が混濁とは無縁のクリアネスで、他の楽器と間違えようの無い正確な音色と定位を保っていることから、マルチマイクで録っていることは間違いないが、直接音と間接音のバランスも完璧だし、獰猛に襲い掛かるトゥッティから羽毛で撫でるようなピアニッシモまで「マイクに収められない音などこの世に存在しない」と言わんばかりのダイナミクスと解像度でテープに収めた手腕には、これがパーカーの仕事と分かってはいても驚きを禁じ得ない。

    小沢の指揮もストラヴィンスキーの複雑なスコアから実に丁寧にひとつひとつの音を克明に掬い取っており、普通では速いテンポで駆け抜けるパッセージにおいても、敢えてゆっくりとしたテンポをとることで、普段は聴こえないような音符ひとつひとつや、内声部の旋律までしっかりと弾かせており、この曲を聴く醍醐味を十二分に味合わせてくれる。
    名演奏、名録音が目白押しの同曲の中で、本演奏はほとんど評判にならないが、この曲を愛する者にとっても、オーディオファイルにとっても必携の一枚として広く聴かれるべきである。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 13人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/22

    クリストファー・パーカーとともにEMIのアナログ全盛期を支えた名エンジニア、スチュワート・エルザムによる名録音が2013年の最新リマスターで蘇った(クレジットには確かに2013年とあるが一体こんなに早いリリースが可能なのか疑問ではあるが…)。嬉しい事にリマスタリングも上々で、ヒスノイズは始終聴こえるし、楽音以外のノイズ成分もカットされていないことから、オリジナルマスターテープにほとんど手を加えず、フラットトランスファーしたものと思われる。

    録音は72年から77年までの5年間に渡り、サウザンプトンのギルドホール、ロンドンのアビロードスタジオ、同じくロンドンのキングスウェイホールという3箇所でのセッションによるものだが、それぞれのホールが有する固有のアコースティックをエルザムは極めて正確にリスナーの前に届けてくれる。

    ギルドホールは写真で見る限り、集会場とおぼしき縦長の平土間空間で、前面に小さなステージを有しているが、セッションでは平土間いっぱいにオーケストラを配置したと思われ、CD再生を通しても、左右の広がりよりも奥行き方向に何層にも重なった分厚いオーケストラサウンドにより確認することができる。
    アビーロード第一スタジオはEMIの本拠地でもあり、エルザムにとっても手慣れた会場であるが、オーケストラの奥行きこそやや浅くなるとはいえ、左右の広がりはぐんと増し、楽音とホールレゾナンスのクリアネスとシャープネスは一段と向上する。

    そして注目すべきはキングスウェイホールで収録された第6番である。イギリス国内においては、どちらかというと地方都市での仕事が多かったエルザムにとって、天下の名録音会場キングスウェイホールでの録音は極めて少ないが、シネマスコープのようにワイドで、洞窟のようにどこまでも深いサウンドステージの再現性や、キングスウェイホール特有の木質系のぬくもりとブリリアントさを併せ持つ豊饒なオーケストラサウンドを聴くと、エルザムの高い技術と優れた音楽性に改めて驚きを禁じ得ない。もちろんホールの地下を通る地下鉄のノイズも盛大に収録されている。

    エルザム録音の特徴は、パワフルかつダイナミックな音響と、原寸大のオーケストラが広大なパースペクティブを伴ってリスニングルームに現れ、個々の楽器がピンポイントであるべき場所に定位する三次元的なサウンドステージにあるが、これらは最上級のK・ウィルキンソン録音と取り違えられるに値する資質を十分に有しているといえよう。

    スペースの都合上、曲毎の評価は差し控えるが、交響曲はもちろん小品についても、その録音にはいささかの手抜きもない。
    全曲を聴き終えて、特に「フィンランディア」でのスペクタキュラーなサウンドの渦と、静謐な「トゥオネラの白鳥」で聴かれる恐るべき重低音の再現性は、聴く者すべてを強く惹きつけるに違いない。

    ベルグルンドのシベリウス全集では80年代のヘルシンキフィルとのデジタル録音があまりに有名であり、ボーンマス響とのアナログ録音の影は薄いが、こちらの演奏の方がダイナミクスの幅は大きく、表情付けも濃厚なうえ、遅いテンポでシベリウス節をとことん歌いぬいている。さらにエルザムによるガッツのある豊饒な優秀録音がこれを大きく助長しており、ライブ的な臨場感やスリリング感においても本アルバムの方がはるかに上だ。

    ヘルシンキとのデジタル録音も悪くはないが、演奏もやけにスッキリしているし、録音もどことなく綺麗に整った印象が強く、エルザム録音と比べてもDレンジは劣るし、ステージ奥のティンパニや金管群の重量感、解像度共に大きく水をあけられている。

    これらの点から、ベルグルンドのシベリウス全集では、演奏上も、録音上も、それに価格の面からも、本アルバムをベストとしてチョイスするのになんの躊躇も感じないし、数あるシベリウス全集の中でもトップクラスの名アルバムとして広く聴かれるべきディスクである。

    13人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/05

    近年「オリジナルマスターテープから…」と銘打った夥しい量のリマスターSACDが発売されているが、今回のリマスターは間違いなくこれらの頂点に位置する輝かしい業績だと評価できる。録音は独シャルプラッテンの名エンジニアでルカ教会録音では右に出る者が居ないクラウス・シュトリューベン。ルカ教会の美しいホールトーンはレコード愛好家間では定番であるが、その長い残響はコントロールが難しく、ディテールはつぶれ易く大音響では飽和をきたすなど、エンジニアにとっては諸刃の剣ともいえる試練の場である。事実、最新機材を駆使した現代の録音においても、この会場の気難しい音響を捉えきることが至難の業であることは、ルイージによるSONY録音を聴けば明らかである。しかしシュトリューベンはマルチマイクテクニックを巧に操り、ホールレゾナンスと楽音とのナチュラルなバランスを保ちながらも混濁を回避し、涼しげな顔でディテールを克明に捉えきることに成功している。勝手知ったるホームグラウンドでの手慣れた仕事とはいえ、その名人芸には毎度のことながら感心させられる。ただしEMI盤で聴くことのできる今回のサウンドは(サヴァリッシュのシューマンも同様であるが)、独シャルプラッテンレーベルで聴くことのできる熟成感に満ちたマイルドな音色とは異なり、シャープさとワイルドさが際立っている。これがシャルプラッテンとEMIとのプリファレンスの相違によるものか、録音機材の相違によるものかは定かではないが、いずれにしても、オりジナルテープのサウンドに最大限の敬意が払われ、リマスタリングの段階での余計な音響操作は最低限に抑えられているのは明らかだ。それは、会場の暗騒音や足音などによる超低域成分からシンバルの一撃が放つ超広域成分まで、フラットにトランスファーされていることからも容易にわかるし、弓が弦に触れた瞬間に発する一種ゴリッとざらついた振動や、木管楽器に奏者が息を吹き込み管が共鳴し始める寸前のリードのビリつき、さらには、ティンパニのマレットがスキンでバウンドする際のカツンという衝撃といったオリジナルマスターのみが有する豊かなミクロディテール情報が、全く失われずに聴き取れることからも伺い知ることができる。
    ライナーノーツには、リマスタリングエンジニアによるオリジナルセッションマスターテープ発見の経緯が証拠写真つきでレポートされているが、この点も多いに評価できる(ただし日本人評論家による月並みな賛辞は決して褒められるべきものではないが…)。併せてこの素晴らしいリマスターによって、往年のSKDの名人芸(ホルンのダムやティンパニのゾンダーマン)を堪能する楽しみが倍増したことも付け加えたい。一式2万2千円は確かに高いが、正真正銘のオリジナルセッションマスターからのフラットトランスファーによるSACDであることを考えれば、大枚をはたいて買う価値はあると思うし、残りの協奏曲編についても是非ともSACD化をお願いしたい。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/17

    過去に何度も再発され、SACD黎明期にはシングルレイヤーまで発売された名盤であるが、これを今更ながら購入する人間はよほど音質にこだわるマニアしかいないと思うし、そのマニアの期待を裏切らないような高品質なマスターサウンドを提供することがメーカーの最大の義務であることは言うまでもない。しかし最近は「待望のSACD化!」といって飛び付くと、不自然なまでに現代的な化粧が施された作為的なリマスターに愕然とするケースも少なく無く、今回のSACDも半信半疑ので購入となったが、幸いにして杞憂に終わった。今回のハイブリッドが正真正銘のセッションマスターからのリミキシングであることは、そのクリアなピアノの音質と、グールドの頭部が見えるかのような鼻声のリアルさを聴けば明らかであるし、シュワーという心地良いヒスノイズや、音にならない超低域ノイズがしっかり再生されるのを聴くにつけて、リマスタリングエンジニアのオリジナルマスターに忠実な良心的な仕事ぶりが伺える。一方、手持ちのシングルレイヤーの方はピアノの音像がふくらみ、細かなディテールも潰れ気味で、恐らくLP用に国内に送られたきたアナログマスターをダイレクトにDSD変換したものと推測される。「ピアニストを自宅に招いて演奏してもらっているよう」と言うと、あまりに月並で却って訝る向きもあろうかとは思うが、辺りを憚ることなくこう断言できるディスクにお目にかかかれる機会はそう多くはない。本SACDはマストバイだ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/05

    76年にDGに移籍したジュリーニがマーラーの第9で一気にスターダムにのし上がる4年前の録音であるが、指揮者の円熟は誰の耳にも明らかで、余裕をもったテンポで内声部をおろそかにせず全ての楽器が伸びやかに歌う流麗な音楽は名前を伏せてもジュリーニだと確信させられる。さらにこの名演がアナログ円熟期にEMIの黄金コンビであるビショップ&パーカーによって、今は取り壊された伝説のセッション会場キングスウェイホールで収録されていることを考え合わせると、本録音が有する音楽的、歴史的、録音技術的価値はまことに計り知れないものがある。
    いまさら言うまでもないが、EMI史上最高のエンジニアであるC・パーカーの録音の特徴は、ホールを満たした楽音共々ホール空間をそっくり切り取ってきたかのような広大な音場と、パワフルな低域に支えられた輝かしいフルボディサウンドを基本に、マルチマイクを駆使しながらディテールの明瞭度と解像度を絶妙にブレンドさせたもので、まさに年代物のブレンデットウィスキーを思わす華やかで深い味わいにある。本録音においてもその特徴がいかんなく発揮されており、リスナーはスピーカから洪水のように押し寄せてくる豊饒なフルオーケストラとコーラスのうねりに発する言葉すら忘れ、ただ身を任せるのみである。第八も第九も全く同レベルの優秀録音であるが、特に第九第一楽章の第二主題の再現後や、第二楽章トリオでのホルンソロでは楽器特有の共鳴管の長さと広角に広がるベルの大きさを実感させるふくよかな響きに心がときめき、第二楽章のティンパニが、美音維持限界ぎりぎりにコントロールされた正確な強打で、ステージ奥から3D的に現れる際のリアルさには唖然とさせられる。そして終楽章でコーラスが入りホールの音圧がぐっと増す部分における、空気の密度変化さえ手に取るようにわかるほどのダイナミズムの再現性は、第九を聴く醍醐味を満喫させてくれる。なお終楽章ではSACDのカッティング音量レベルが少し下がるが、アンプのボリウムを上げれば解決する話であり鑑賞の支障になるものではない。いずれにせよ、C・パーカーがアナログ全盛期の技術をフルに駆使しながらマスターテープに収めたハイポテンシャルなサウンドが、録音後40年を経てその全容を表わし我々の前に届けられたことを心より喜びたい。最後に第八と第九がシングルレイヤー2枚組みで、さらに厚手の4枚収納ケースに収められているが、かかるECOの時代を無視した蛮行といえよう。EMIジャパンには是非とも高密度でコンパクトなパッケージングを望みたい。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/04

    「現代の最新機材が持てるポテンシャルをすべて出し切るとこんな凄いサウンドで録れるのだぞ」と言わんがばかりの優秀録音であり物理特性の高さにはただただ唖然とするばかりである。しかし原音レベルまで拡大されたDレンジによりピアニッシモはほとんど聴こえないし、フォルティッシモでは思わずボリウムを絞ってしまうような再生は何とも居心地悪く、欧州の名ホールと比較すればホール自体のアコースティクも魅力的とはいえないところが難点といえば難点かもしれない。フィリップスの旧録音と比較しても音の差が決定的であるし、デモ要素の高い曲の割には意外に優秀録音に恵まれないことを考慮すると、基本的にゲルギエフ嫌いの私にとっても、現時点では本曲最高のディスクと評して良いと思う。エンジニアは元デッカのJ・ストークス。名人J・ダンカーリーに師事したにも関わらず、これまで凡庸な仕事の多いエンジニアであったが、ここにきてなにか吹っ切れたのであろうか?今後の仕事に注目していきたい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/12/01

    今年はDeccaのメータとEMIのプレヴィンという「惑星」録音の頂点に位置する優秀録音が相次いでSACDで発売されたが、エンジニアの技術(DeccaのJ・ロックに対してEMIはC・パーカー)と、ホールアコースティック(ロサンジェルスのロイスホールに対しロンドンのキングスウェイホール)の差により、本プレヴィン盤のサウンドの方が圧倒的に勝っている。パワフルな低域とシネマスコープのように広く、ステージ奥深くまでパンフォーカスされたサウンドステージ、そして美しいアンビエンスを伴った豊饒で明晰なサウンドはまさに大英帝国の風格を感じさせ、これが曲の神秘的な曲想と完全に溶け合っている。さらに今回のディスクで特筆すべきはパーカーによるセッション時のマイクセッティングスケッチが掲載されていることである。かかる定盤をいまさらながら大枚をはたいて購入する者にとっては、評論家の月並みな賛辞や、曲目解説などは全くもって不要であり、マスターテープの世代や、セッション時の録音機材や録音風景、さらにはマイクセッティングからリマスタリングエンジニアによる解説こそ欲しい情報だ。そういった意味ではEMIジャパンの一歩進んだ姿勢は大いに評価したい。ちなみに悪評高いケース内の広告を見ると、次回のケンペのR・S全集には「新発見のオリジナルアナログマスターテープ使用」とある。次回は是非ともこれに関する詳細情報を細大漏らさず掲載してほしいものである。

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