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銀蛇亭 さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2022/05/18

    まず録音については、当時のライヴとしてはまずまず。66年の第40番は多少こもった感があるが、耳が慣れればセルの至芸に酔いしれよう。《ジュピター》の方が68年と新しく、ブロッサム音楽祭という会場の違いもあってか幾分広がりが感じられる。いずれも “セルのモーツァルト” に真価を見出し得ている幸せな御仁には必聴の音盤である。
    往年の指揮者にあっては、ベーム(なんぞ…といっては非難を買おうが)よりセルやクレンペラーの方がずっと真モーツァルティアンだと確信している小生のごとき者には、両演奏とも従来知られていた同曲のセッションやライヴとは二味も相違する凄演、特に《ジュピター》の “弾けっぷり” に出会えて、セルにとってモーツァルトとはいったい…などといろいろと考えさせられている。
    聴きどころは多々あるが、ト短調におけるリタルダンドやアッチェレランド、《ジュピター》第1楽章におけるフェルマータ解釈、第2楽章におけるいつにない感情の起伏、そして終楽章におけるティンパニやトランペットの強奏、就中、再現部におけるティンパニ強打やコーダでの金管炸裂はかつての演奏になかったもの(アーノンクールもビックリ?)。これには会場の聴衆も熱狂した様子が盛大な拍手からうかがわれる(すぐにフェイドアウトしてしまうのが残念)。
    セルは、モーツァルト初期作《ディヴェルティメント第2番》K.131などという比較的マイナーな曲(特に室内管以外にあっては)までをも愛奏かつ録音(63年)し、モーツァルトのホルン協奏曲をチェロ協奏曲に編曲した際には、その第2楽章にこの嬉遊曲の緩徐楽章(佳曲!)を編曲して充てることさえしており、また、モーツァルトを演奏する際には、手勢クリーヴランド管の編成を単に人数的に刈り込むのではなく、モーツァルト演奏用に極めて厳しいオーディションを自らおこない、メンバーを厳選して臨んだことでも知られている人物である(クリ管Vn奏者M.ゴールドマンの回想)。昨今、本流となったピリオド楽器によるモーツァルト演奏を認め楽しむのにやぶさかでない小生ではあるが、セルの諸モーツァルト音盤に、虚心に耳を傾けることによる成果には極めて大なるものがあるように思う。
    なお、器楽だけではなく、当然ながら声楽にも精通していたセルのモーツァルト・オペラが、あまり録音状態のよろしくない《ドン・ジョヴァンニ》《後宮からの誘拐》《魔笛》等のライヴに限られているのは返す返すも残念である。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2022/05/05

    演奏はすばらしい……だからこそ他の杜撰さが目立って極めて残念。だいいち、某氏の解説で「4曲の最後に作曲された協奏曲第4番…」などと平気で旧態依然とした誤謬を書いているようでは。
    巻末にはプロデューサーやエンジニアの名前に並んで、何とかマネージャーなどライブラリアンなど、果てはヘアメイクやらスタイリストの名前まで明記してあるのに(フジテレビが協力しているとあるので、撮影があったのでしょう)、モーツァルトのホルン協奏曲にあってはたいへん重要な「版」の問題に触れていないどころか、どこにもいっさい明記されていません。
    チェンバロを通奏しつつ指揮するは鈴木優人氏で、当然ながら父君はバッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明氏、叔父は今やバロック・チェロの大家である鈴木秀美氏です。優人氏は御自身でもモーツァルト《レクイエム》の補筆校訂版を出され、これは父君の指揮で音盤にもなっています(BIS-2091)。一家言以上にある方でしょうから、むしろ御本人からの詳細な解説があっても良かったのではないかと感じます。
    御本人のまったく与り知らぬことはないのかと思いますが、今回の誤解説や不明記には不本意なのではないでしょうか。ちなみに、ニ長調の「協奏曲第1番」(作曲の順番はこれが最後…どころか最晩年です)は、通常の「ジュースマイヤー完成版」ではなく、「ロバート・レヴィン補筆再構成版」が採用されています(もしもジュースマイヤー版に慣れた耳で聴かれたら驚きます)。新作カデンツァのことばかりでなく、たとえ解説で触れていなくとも、ケース裏の曲名には明記して欲しいものです。
    繰り返しますが、演奏自体は佳演ですのでお聴きください。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2022/02/22

    既にセブンシーズの旧盤(KICC2072とKICC2073)を御所持の向きは、あらためて購入されるほどではないかもしれません。ただ、両盤ともに現在では比較的入手困難なので、スタジオ録音では味わえないワルター/ニューヨーク・フィルの凄絶ライヴをまとめて聴いてみたい、という方にはお勧めします。「最高音質」か否かは別として、聴き易くはなっています。また、まだすべてにわたり旧盤と比較検討したわけではないものの、例えば第35番《ハフナー》では、第1楽章(旧盤トラック9の48秒前後)に軽い音揺れがあったのですが、新盤ではほぼなくなっています(冒頭のやや不安定なところは旧盤も新盤も同様ですが…)。これがデジタル的な処理に拠るものなのか、そもそもソースが違うのか今の時点では判然としませんが、やや疑似ステレオ的な処理はなされているようにも感じられ、そういう意味では質樸な旧盤より耳には優しいのかもしれません。あとは価格との兼ね合いでしょうか。私はHMVさんのまとめて購入40%offの際に購入したので、これでこの程度聴き易くなっているのであれば、旧盤を所持していても良かったかな、と納得している次第。今後、もう少し聴き比べてみると、また違った見解(良い方にも、あるいは悪い方にも)になるかもしれません。なお、解説はU氏旧著再録の羅列であり不要な方には煩わしく、初めての方であればまずは先入観なくこの音源に耳を傾け、ニューヨーク・フィルやコロンビア響とのセッション録音盤と比較することをお勧めします。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/11/23

    映像版を除き3種(1950・53・54年)あるフルトヴェングラー指揮《ドン・ジョヴァンニ》ライヴ録音のうち、この54年盤は言わずと知れた53年盤と並ぶ名演。ちなみに、個人的には演奏・音質ともに53年盤の方が好み。ただしオーストリア放送協会制作によるORFEO正規53年盤は、相変わらずO.アイヒンガーのリマスタリングが酷く、音が干からびていますので要注意。53年盤には疑似ステレオ版もありますが、安価な伊METROMUSICA制作盤の音が、非正規ながら明瞭かつ潤いあって佳いと思います。さて、これまで54年盤CDの主なものは、ワルター協会制作の日本コロンビア盤(なぜか53年録音と誤記)、EMI国内盤、EMI“References”盤、フィナーレ6重唱を含むフルトヴェングラー協会制作のキング盤などがありました。古いロンビア盤は、1幕1トラックという不便なもの。キング盤は、放送用アナウンスと欠落していると言われていた最後の6重唱とを含む完全版ですが、音質はいま二つ。一般的には、最後を53年盤で補完させたEMI(現在ではWARNER)の両盤で、古い東芝EMI国内盤の「CE25-5816~18」の音が比較的最良に思いますが、この国内盤では序曲などでわずかな音揺れが散聴されるのがとても惜しいです。今回のDISCOS制作・伊CETRAに基づくキング盤の謳い文句は「先に発売した魔笛、フィガロと比べてもさらに鮮明かつ明瞭!かつてない優良音質」というもの。そこまで言い切って良いかは別として、確かにCDとしてはふくよかで最良音質かもしれません。また、先に発売された同シリーズの《魔笛》《フィガロの結婚》の項でも縷述した拍手のバッサリ削除がこの《ドン・ジョヴァンニ》では一部を除いてなされていないので、そこは安心して聴き通せます。むしろ、第2幕冒頭、フルトヴェングラー入場時の拍手も収録されています。ただし、各幕最後の拍手はごく短めなのが残念。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/10/30

    このDISCOS制作による原盤は、すべての拍手がバッサリ削除されており、(同じシリーズの《魔笛》の項でも書きましたが)まったく感興が削がれます。一応各幕最後の拍手はかえって不自然なほど数秒残してありますが…。とはいえ、名アリアの最後、オーケストラ後奏では当然ながら拍手が重なるわけですが、それはカットできないので、いきおい後奏が終わったとたん急激にフェードアウトさせ、次のレチタティーヴォに不自然につなげる結果となります。また、この《フィガロ》の序曲ではフルトヴェングラーのアッチェレランドが聴きもので、さすがに拍手がわき起こっていますが、これまたバッサリ削除(が、一瞬だけ残ってしまっており、これならある程度残してフェードアウトさせればまだ良いのに…)。というわけで、EMI盤と一長一短、こちらは音質が相応に良好なので残念(全拍手不自然削除が気にならない方には良いと思います)。ちなみに、周知のことながらドイツ語歌唱です。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/10/17

    いわゆる“三大巨匠”によるモーツァルト・オペラでは、唯一この《魔笛》だけが三者三様に残されていますが、フルトヴェングラーによる当51年盤が圧倒的で、モーツァルティアンの評判は今ひとつながら、《魔笛》演奏史上に残る記念碑的な演奏。複数あるワルターの《魔笛》も重要ですが、メトロポリタン歌劇場ゆえの英語歌唱であることが瑕疵。フルトヴェングラーの《魔笛》は、初年度の49年盤(仏TAHRA盤が最良)と50年盤(第2幕抜粋)もありますが(すべてザルツブルク音楽祭ライヴ)、個人的には最後の51年盤が演奏・配役ともども、また劇場的感興を含め大いに好みです。今回のKING盤は、解説にあるようにDISCOS制作による伊CETRA盤の音源のデジタル・リマスタリング盤。「こんなに良い音で入っていたとは!…音質は鮮明かつ明瞭!」との謳い文句につられ購入してみましたが、すでにCETRA盤LPを御所持の向きは、CDでも簡便に聴きたい方を除いて買わなくともよいと思います。さらに、かつてANFコーポレーションが輸入し、WAVEが日本語解説を附して販売した、1987年制作になる伊FOYER盤CDをお持ちであれば、その方が音質はずっと生々しく優れています。ただし、このFOYER盤の唯一の欠点は、第2幕最後の拍手をバッサリとカットしてしまっていることで、これは最後の最後だけに感興が削がれます。今回のKING盤は、音量不安定な箇所が散見されたり、拍手や台詞の編集が目立ったりし、第1幕最後の拍手に編集の痕跡が聞かれるのも残念ですが、第2幕最後の拍手は短いながら収められています。音質も多少疑似ステレオ感がなきにしもあらずのFOYER盤(ARKADIA盤のあざとさではありませんが)よりも素直であるとはいえ、FOYER盤が入手困難な場合は代替品になるかと。もっとも元々この51年《魔笛》は音が良い方なので、EMI国内盤でも割合しっかりした音質だと思います。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/08/24

    モーツァルトの22番を最も愛するピアニストは誰かといえば、それはおそらくパウル・パドゥラ=スコダではないかな(と勝手に信じています)。スコダは、20番台にあってはさほど人気があるとはいえないこの曲を何度も録音に残しているのです。管見の限りでは、他にフルトヴェングラー指揮盤(1952年ライヴ、DYNAMIC等)、スターンバーグ指揮盤(1950年代、CEANIC)、ウィーン室内管盤(弾き振り、以下同、1950年代、WM)、プラハ室内管盤(1970年、SUPRAPHON)、プラハ室内管盤(1992年、VALOIS)、プラハ室内管盤(2008年、TRANSART)があり、今回のセル盤(1959年ライヴ、初CD化)をあわせて7種。

    このうち最初の録音はモーツァルトの誕生日ライヴ。20代半ばのスコダは、既に後年のスタイルを確立していることが、貧しい音質の中から伝わってきます。驚いたことに、自作のカデンツァは以後使用し続けるものとほとんど同じ。スコダは、これに先立つ数年前にエトヴィン・フィッシャーのマスター・クラスに学んでおり、大いに影響を受けたそうですが、1935年録音のフィッシャーの22番(EMI、バルビローリ指揮)を聴くと、カデンツァも含めてそれがわかりますね。

    白眉は覚束ない08年最新盤ではなく92年のプラハ室内管盤で、スコダの22番演奏の集大成といえるでしょう(現在入手困難か)。この頃プラハ室内管は、マッケラスとのシンフォニー全集を完成させたばかりであって、両者ともにモーツァルトの語法をわかっているなあ、と感じ入った次第。

    さて、当盤のメインは、やはり少々モッサリとしたシュタイン指揮の初出25番よりもセルとの22番でしょう。半世紀前とは思えないセルの音楽に驚かされますが(ステレオでないのが惜しい)、手慣れた指揮ぶりはそれもそのはずで、当ライヴ(1959年12月19日)に先立つひと月前、11月13日に例のカサドシュとのステレオ・セッションを同曲でおこなっているわけですね。カサドシュは装飾やアインガングを全くといってよいほど挿入しないので(22番にあっては第3楽章中間部アンダンテ後のアインガングは欲しいところ)、そういうことに一家言あるスコダとの共演は自身ピアノを能くするセルにとっても興味あったかも知れません。それにしてもフルトヴェングラーとセルという巨匠と22番で共演したスコダ、よほど十八番にしている協奏曲ですね。ますます元気そうなスコダ自身によるノートも必読。貴重な写真も数枚掲載されています(セルとのツーショットは初めて見ました)。【銀蛇亭贅語】

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/08/08

    曲の存在は知っていましたが、実際に耳にするのは初めて。それもそのはず、当盤が“世界初録音”だそうで。1991年12月5日、モーツァルト逝去。それから10日も経たない12月14日、モーツァルトが愛し、モーツァルトを愛したプラハで盛大な追悼式が開かれました。そのときに演奏されたのがボヘミアの作曲家アントニオ・ロセッティ(1750−1792)の《レクイエム》。式場となった市街広場横の聖ミクラーシュ教会には四千人が集まったといいます。当日、エステート劇場(!)のヨセフ・ストローバッハが指揮したこのレクイエムは、実際には追悼式のための新作ではなく(ウィーンでの死を知って一週間ではねぇ…)、ストローバッハの友人であったロセッティがエッティンゲン・ヴァラーシュタイン公クラフト・エルンスト夫人の葬儀(1776年)のために書いたレクイエムを改作したものであることが1991年になってわかったのです。このいわばプラハ版は、ベネディクトゥス、アニュス・デイが補作されたのですが、補作者については不明だそうです。補作部分は両者で5分程度、といってもレクイエム全体で演奏時間25分にもなりません。変ホ長調ということで、明朗に終始し劇的な展開があるわけでもありません。唯一、イントロイトゥスの「Te decet hymnus Deus in Sion」が短調で進むくらいで、続誦のディエス・イレなんぞはまるでサンクトゥスのごとし。かように曲自体はさほどのことはないのですが、まあ、いにしえプラハ市民のモーツァルトへの愛に想いをいたすべし…、といったところでしょうか。メーズス指揮の演奏は立派。ロセッティの他の珍しい作品がSACDで聴けるのもうれしいです。そうそう、忘れてならないのは当盤の録音会場こそ追悼式の舞台となった聖ミクラーシュ教会(バロック様式が美しい)ということですね(ジャケットも)。これでまたボヘミアのレクイエムが増えました。ボヘミアのレクイエムといえば、古くはアダム・ミフナ(1600?−1676)や近年とみに評価の高いヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679−1745)、モーツァルトの先輩ヤン・ザッハ(1699−1773)、モーツァルトの後輩では木管室内楽で鳴らしたアントニン・レイハ[ライヒャ](1770−1836)、名教師ヤン・ヴァーツラフ・トマーシェク(1774−1850)の諸作品(いずれも音盤有り)が知られるところですが、まだあるものですね。如上のレクイエムを聴いたのち、あらためてモーツァルトのレクイエムを聴くと、未完であり、かつ補作がどうのこうのと問題が多々あっても、そこはやはりモーツァルトであることよ…と独りごちせる私でありました。詳しくは銀蛇亭贅語で。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/07/22

    レイグラフはスウェーデン20年生まれ。72年からモーツァルテウム音楽院の教授として指導にあたり、名教師として著名、数々のピアニストを育て上げています(日本人の弟子も多数)。かのシュナーベル直系であり、孫弟子。そのキャリアに比して(ミケランジェリと同年!)、華やかな演奏活動や録音活動を展開しているわけではないので、一般には知られていないピアニストかと思われます。逆にその筋、つまりピアニストや“愛鍵家”にあっては周知の人物のようですね。当盤は、教授が60代にスウェーデンで録音したもの。きわめて瑞々しい演奏。ジャケット写真を見るとかなり無骨で短い手なのですが、奏でられる音は何とも繊細。スタインウェイの鍵盤からこんな音色を醸し出すピアニストなんて、そうそういないのではないでしょうか。私にとっての唯一の瑕疵は、リピートを“まったく”実施していないところ。近年の演奏(それも録音)で、提示部反復無視はかなり珍しいですが、全曲にわたって徹底しているので、思うところあっての所為なのでしょうね。『論語』の憲問篇に「君子は其の言の、其の行ひに過ぐるを恥づ」、つまり「おのれの言葉が、その実践以上になることを恥じる」とあります。ピアニストにとっての言葉とは、その演奏にほかなりません。自分の技量以上の演奏を行わんとするとき、奏者はおうおうテンポの変化や装飾に頼り、手練手管を繰り出して切りぬけがちですが、そんなもので聴く者の耳を籠絡せずとも、相応の人物が相応の曲を相応に演奏すれば、ただそれだけでじゅうぶんに美しいのですね。名教師がモーツァルト演奏の手本を示した、といったら四角四面で干物のごときそれを想像するかも知れませんが、まったく違います。清冽でまろやかな水がこんこんと涌き出でてやまぬ、そんなモーツァルトをお聴きください。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2011/07/22

    指揮者ボッシュは、69年生まれの俊英。ハイデルベルグに学び、96年からヴィースバーデン歌劇場カペルマイスターを務め、02年までザールブリュッケン歌劇場監督、02年にアーヘン市音楽総監督に就任して今にいたっています。90年には合唱団ザ・ヴォカペッラ・コーラスを設立していますから、声楽に殊の外情熱を注いでいるように見受けられます。HPを一瞥しますと、《ドイツ・レクイエム》や《ロ短調ミサ》、《メサイヤ》、ヴェルディとモーツァルトの《レクイエム》(モツレクは現在入手不可のよう)などが並んでおります。古都アーヘン市聖ニコライ大聖堂での一連のブルックナー録音では、既にかなりの評判をとったようですね。このモーツァルトも、老舗中の老舗楽団アーヘン交響楽団に手勢ザ・ヴォカペッラ・コーラスを配しての教会ライヴ録音。上述、数々の声楽大曲もそうですが、当ライヴもまったくもってヒネリのないメジャー曲ばかり。逆にいえば、名合唱指揮者としての自任あり、とみました。《戴冠式》に《エクスルターテ》ときて、ヴェスペレを挟んで《アヴェ・ヴェルム》で締める、なんて、《魔笛》序曲にピアノ協奏曲第20番を続け、《ジュピター》をメインに据えたモーツァルト・プログラムのごときもので、聴衆をなめているか、よっぽど自信がないとできぬ仕儀。一聴した結果は……「うん、なかなかにいいんじゃないかな」。快活快適快速の快快尽くし。そこには、ケーゲルの凄味もなく、アーノンクールのドラマもなく、ノイマンの質朴さもなく、あくまでも明朗快美な世界。これってドイツの、それも西欧現存最古のオーケストラの音色? 老舗の渋みもなけりゃあ、頑固なこだわりもなさそう……それでも、浅薄に陥らないのは如何。当初から気になっていたのは、金管打楽器、つまりアクセントになるトランペットとティンパニの音色。もしや、と思いジャケットを繰るも言及なし。ところが、ゲネプロとおぼしきちいさな写真が一葉あり、目を凝らすと、コラ・パルテのトロンボーンの右手に見えるトランペットは、まさにナチュラル・トランペット! 隣に陣取るティンパニもどうやらピリオド楽器系の古風ないでたち。ははあ、これが要所に苦みを効かせていたのですな。この御仁なかなかにデキる奴かも…。単なる脳天気なのではなく、相応に研究し、考究しつくしたのちの結果が、この“快快”なのなら…、そうしてこのプログラムなのなら…。まあ、そんな深読みなぞせずに、大聖堂の音響空間に素直に身を任せ、いにしえの信徒よろしく、恍惚とすべし! どの曲も、今のところファースト・チョイスにはなりませんが、ヘルヴェッヘや鈴木雅明のもとでバッハを能くするドロテ・ミールズ独唱による《エクスルターテ》が、思いの外楽しめ、《戴冠式》とともに、ふだんあまり手に取らないこの2曲が新鮮に響きました。詳しくは銀蛇亭贅語を。

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     2011/07/13

    モーツァルトのレクイエムは、あまたある版の問題もあり、玉石混淆、諸盤紛糾の様相…あるものは未完部分を積極的に作曲し(レヴィン版)、またあるものは補筆部分を一切削除しフラグメント遺稿のみで演奏(シュペリング盤)。ジュスマイヤー版の地位も下がったり上がったりと、いつまで経ってもレクイエム論争は静まることを知りません。しかし、もう手練手管はおおかた出し尽くしただろうと思いきや、またも珍奇なる盤が極寒の地より登場。異能集団を率いるのは、ギリシャ人指揮者のクルレンツィス。コントラストのきつい、速めの演奏ながら低音部重視の編成なので、不思議な重量感があります。下述の手管とあいまって、サヴァール盤以上に土俗的な雰囲気を醸しています。時折、コル・レーニョ奏法(coll’arco al roverscio)らしき乾いた打音が聞こえます。いったい何させているのかね?(ディエス・イレ等顕著)。これは弓の木の部分で弦を叩く奏法で、ヴァイオリン協奏曲第5番で“トルコ風”の効果を大いにあげるのに指示されている周知の奏法ですが、ちょっと違う気も。日本盤解説書には何か書いてあるのかもしれませんが、どなたか御示教ください。「ラクリモサ」がアーメンとともに終わらんとするや、納舞の巫女がごとき鈴の音がシャラン〜。突如始まるアーメン・フーガ。これはモーンダー版を嚆矢にレヴィン版、ドゥルース版で採用されているモーツァルトによる草稿、すなわち、続誦を締め括るアーメンのために、モーツァルトが生前フーガの構想を抱いていたことがわかる16小節のスケッチ(ベルリン図書館でプラートにより発見)、それを補筆せぬまま後続させ、ぷっつり終了…また鈴の音シャラン〜。クルレンツィスはギリシャ人ですので、ギリシャ正教会のミサ儀式、ビザンティン聖歌等で用いられる手鈴を採り入れたのでしょうかね。かなり蛇足に思われますが、いずれにせよ異教的雰囲気の演奏により効果を与える役割は果たしております。一聴瞠目、否瞠耳せしむ、といった演奏であり、何度も聴き続けるといった盤ではないかも知れません。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/07/10

    いわずと知れたサヴァール盤(初発売は仏アストレ)の再発です。優良レーベル、アリア・ヴォックスからSACDで登場。確かに音質向上しています。さすがに旧盤もアストレだけあって、ライヴながら腰のある良い録音でしたが、今回は旧盤の前へ出るキツさがとれ、合唱に奥行きと透明感が加わり、教会の空間が美しい残響とともに聴きとれるようになりました(ちょっと上品すぎるかも)。独唱のフィゲーラスはやはりいいですね。独特の節回しに魅了されます。サヴァール盤愛聴かつSACDプレーヤー使用の方は買い直してもよいでしょう。

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     2011/07/10

    シュテックのヴァイオリンは、古楽器然とした音色・奏法ではあまりなく、バロック・ヴァイオリンを苦手とする人にも受け入れられるタイプ。さすがコンチェルト・ケルンのリーダーだけあって、テクニックはしっかりしています。装飾は想像していたよりもずっと控えめで、好ましいものです。スパーンスのタンゲンテンフリューゲルは、他盤よりもチェンバロ寄りの音色ですね(特に中低音部)。饒舌になりすぎることなく、センス佳くまとめており、意外なほどヴァイオリンと融けあっております。この通称“マンハイム・ソナタ”と呼ばれる曲集については、従来音盤も多く、ピリオド楽器による演奏も数多くなされておりますよね。しかし、クラヴィーアにフォルテ・ピアノを用いたものばかりだったので、当盤は貴重です。チェンバロを用いた装飾多めのランドグラーフ&コッホ盤(GENUIN)と聴き比べることをお薦めします。参照:銀蛇亭の「タンゲンテンフリューゲルのモーツァルト」

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     2011/07/10

    ノイマンのモーツァルト・ミサ曲集、EMI録音における待望の全篇復活です。是非とも最初(1985年録音)の独CARUS盤(オケは前身のコレギウム・クラシクム・ケルン、K.193、273が絶品)、最新(2004年録音)のMD+G盤とともに揃えることをお薦めいたします。詳細は、銀蛇亭贅語の「ペーター・ノイマンに託すモーツァルト宗教曲の復権」を御参照ください。

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     2009/05/27

    第19番が2種収録されているが、音質は相違するものの同一演奏。前者のフリッチャイ指揮RIAS響の52年ライヴ盤は、現存していない(53年スタジオ盤はAUDITEから超高音質で発売済)。また、後者のケルン放送響盤(1952年5月26日)は、マスター音源使用のMEDICI MASTERS盤(5月30日)と同一演奏。つまり、フリッチャイ指揮ケルン放送響による第19番に関しては、MEDICI盤(高音質)を購入すれば良いということになる。他の各演奏も別レーベルから発売済みだが、廉価でまとめられている点を勘案して★は3つに。

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