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Pianist さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/04/30

    というよりもこのセット、RCAやEMIをはじめとするミュンシュ・コンプリートといった系統のものではなくて、一時West Hill Radioから出ていたボストン響との数々の未発表ライブの、更なる初CD化なのでは? ボストン響の当時の現地ライブは早いものでは1959年頃からステレオ録音が始まっており、かつてのWest Hillのボックスでもその一部を聴くことができた。HMVの商品説明だとハッキリしないが、どうやらRCAスタジオ録音と、録音に隣接したであろう現地コンサート(その多くは初CD化)のセット化。一部はR盤でも聴くことができたが、これだけの数がまとまるのは画期的。これはぜひとも検証の必要なセット。ミュンシュのファンなら、コンプリートBoxよりも別次元の価値があるリリースだと推察。さっそく予約。

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     2013/02/06

    よくもまあこのようなセットが、これだけの値段で出回るようになったものだ…という感慨がまず第一。LP時代には(時に)ひどい質の音源を使用したレコードで、それこそノイズやくぐもった音質の中に響く演奏の特徴を何とか聴き取ろう…と思ったものだし、新発見・新登場のフルトヴェングラーのライブ録音はファンにとって正に「憧れ」の存在でもあり、またとうに廃盤となって容易には手に入らず、聞く手段さえないものもあった。またライブ録音の正規音源のレコード化の唯一の期待はEMIか協会によるもので、年に一回(程度)登場する協会の新譜は非常に貴重なものに感じられた。今回のOrfeoのセットには、そうした希少な音源、世界規模ではCD化されていなかったもの、プライヴェート音源による断片まで網羅されて、しかもこの値段… かつてのありがたみが薄れてゆくような感覚は別にして、ファンには色々と検証の楽しみがあるのは間違いない。ただ先に問題点として戦中・戦後のVPOのライブ集成としては不徹底なところもあり(音質に問題のありすぎるのは分かっているのだが)、1940年ザルツブルクでのブランデンブルク協奏曲、別演奏であることが明らかな1952年11月29、30両日のベートーヴェン第一がひとつのヴァージョンしか収録されていないこと、同じくOrfeoのザルツブルク・セット日本盤のみに特典として付けられていた1947年ザルツブルクのブラームスの第一も、ファンのためにそろそろ特典扱いから解禁してほしかったという気もする。さて各演目についての音質レポート。まず全体的には好意的に受け取れ、ファンには十分購入価値があると思われる。【Disc.1】1944年6月のモーツァルト、かつてのTahra盤に比べてくすんだ感じ。Tahra盤が高音域のとげとげしいものだったので、それを緩和しようとしたのかもしれないが、収録日誤記で出たM&A盤と比しても、ちょっと古びのついた印象。こういうものだとして最初に聴かれる方にはちょっと気の毒かも。【Disc.3】ウラニアのエロイカ、なんだか整音が過ぎて”普通”になってしまった。まとまりのよい、こじんまりとした響きのG.KとO.Eの典型的な音作り。悪くはないけれど”ウラニア”らしい特殊な興奮が感じ取りにくい。【Disc.4】ほぼ同時期の録音なのに、これまで同様ブラームスの方が音が良い。フランクはここに至ってもやはり謎が多く、DG盤で聞かれたワウが無く、ブックレットによると「現存する最良の音源を最新の技術で」再生したものだという。Vox系に比べると明瞭度は劣るが、全体に安定した音質になった。但し第三楽章の9’40”辺りから音質が変化。日コロンビアで出たVoxのオリジナルテープで出たものとは明らかに別。どなたか検証をお願いしたいもの。そしてブラームス共々終演後の拍手と歓声が聴けるのは史上初だと思われる。【Disc.5】モーツァルトはこのセットの中でも音質向上の著しいもの。10番は日Venezia盤に比べ別物。音の見通しがよく楽友協会ホール特有の残響感まで感じ取れるのはよいのだが、一部の資料で贋物とされている日King盤と同じ演奏…に聞こえるのが気になる(音はもともと悪くないKing盤よりも更に耳当たりのよいものになっている)。22番は編集ナシの本物で、独協会から出たのと同じ音源。協会盤のマスタリングも同一チームなので音の傾向も似ているが、いかにもAMラジオ的な音だった協会盤に対し、今回は少々お化粧された音に変わっている。向上例。【Disc.6】1951年1月の第九。もともとCD化の機会の少ないものだったので歓迎。日King盤はかなり冴えない印象があったが、聞き返してみると悪くはなかった。Orfeo盤は、これまたG.K/O.Eの好みの音だが、普通に聴ける。第一楽章など相当にパワフルで、もう一回見直してみたい演奏。【Disc.7】もともと状態の良くない1951年のドイツ・レクィエム。なぜか4つの楽章のみ収録。これはセンター盤とさして変わりない。いじり様がないのかも。記録的価値。【Disc.8】1952年1月のVPOブラームス・コンサート。LP初出時はもっと鮮明な音に聞こえたものだが、今回は悪くは無いものの、なんだか普通。Altusと同じマスタリングだろうか? EMIで聞けた音の方が上品だった…ような気もする。【Disc.10】1952年のマタイ(抜粋)。フランス協会盤、Arioso盤と比較するが、このOrfeo盤、カッティングレベルは低めだが、一番迫力のある音楽・演奏に聞こえる。元々が個人所有音源らしいので、その限界を考えたら立派なもの。Disc.5のモーツァルトと共に好印象。【Disc.11】名演として定評あるもの。Cetraはじめイタリア系各社から出ていて、その頃から高音質盤だったが、今回もしっかりした音。11/29と両日分セットに組み入れて欲しかった。【Disc.15】後期の録音だけに鮮明な音質。但しG.K/O.Eの典型的なサウンド。Cetra盤LPで初めて聞いた時から比べれば、様々なレーベルから多様な音源で高音質盤が出るようになって、なんとも贅沢な話。(Disc.17】待望のマタイ、別音源だとか、編集が違うとか…色々吟味できそう。ちょっと聞いた限りではEMI盤とは確かに別演奏だと思うのだが… 音質は目覚しく向上。EMI盤、そしてイタリア盤、更に鈍い音質ながら別演奏の日本協会盤と詳細に検証される方はないだろうか? しばらく聴く機会の無い演奏だったが、メンゲルベルクほどの過度のロマンティックな表現には陥らず、テンポの面でもかなり推進力のある、停滞のない演奏に思われ、感動新ただった。確かに4/15演奏の初出なら「別公演のマタイ登場」としてもっと騒がれてもよいと思うのだが… 総じて好印象、貴重な音源が「会員」だけでなく広く一般に聞く・親しむ機会が与えられるのは素晴らしいと思うし、散逸・混乱の前にきちんとセット化されるのは貴重。個々の演奏についてはもうさんざん語られているので、ここでは音質を中心に述べた。

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     2013/01/17

    もうとっくにカタログから落ちて入手困難なはずなのに、HMVではこんな価格で手に入るようだ。同時に出たブラームスのドイツ・レクィエムは現在はOrfeoから、もう一つのベートーヴェンのミサ・ソレは中古市場でプレミア付き…という状態。さて演奏そのものはこの当時のカラヤンの姿を伝えるものとして貴重だが、同じ壮年期のカラヤンでも、いくつかのレーベルで出ている1949年8月の(同じく)ザルツブルク盤は芝居ッ気の強すぎる、あまりに悪趣味なミエミエのルバートや引き伸ばし、加えて気恥ずかしくなるような歌い手のヴィブラートとミスの連続は聴いていられないほどなのだが、このEMI盤ははるかに成長、無意味な作為が消え、後年の演奏にも通じる風格が現れてきて、49年盤とは比べ物にならない高水準に仕上がっている。歌手もそれぞれ大健闘。今日的水準から見れば多少聴き劣りしなくもないソリストもいるが、それはこの時代の録音の多くに共通する問題だし(それに49年盤よりは格段に素晴らしいし)また演奏全体の感動からすれば些細な問題でもある。それに(逆に)シエピのように「今日では聴けないような」音楽性を持ったソリストの貴重な歌唱が聴けたりするから面白い。トスカニーニ盤での若々しいパッションと真摯な歌いっぷりとはまた違って、多少達観したかのような冷静さは「円熟」と好意的に聴き取りたい。テンポは全体にどっしりとした印象で、それが何とか「重苦しい」とは思わせず、「一徹さ」となって聴こえてくると思う。どう検索したのかカラヤンのこの曲には12種の演奏が残されているそうだが、このEMI盤はカラヤンのヴェル・レクの出発点、初期の代表的な演奏として意義と聴き手を獲得する魅力のあるものだろう。ORF関連の音源のため、リマスターは評判の悪いG.KとO.Eが受け持っており、これもまた彼ら独特の音作りによっている。しかし彼らのマスタリングは、ある意味「人声」をクリアに再生しよう(そのためにゴージャスな実体感のあるオーケストラの響きを低音カットなどで犠牲にする訳だが)としているため、歌い手は比較的生々しく聴こえる。

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     2012/10/24

    ようやくのCD化。かつてフィリップス系から”メタルホイル”ジャケットでリリースされ、国内盤も出ていたストラスブール打楽器合奏団のLP録音の数々がまとめられた。フィリップス録音のCD化は、CD時代初期の1986年にヴァレーズ、チャベスなど有名曲をまとめた一枚が出、その後は1993年だったか旧メンバーと新メンバーによる新録音、一枚ずつで構成された2CDセットが出ただけだった。大半は初CD化で、LP最末期からこれらの録音・レコードに関心を持ち、一枚一枚集めていた世代には「ようやくCDになったか」という感慨も大きい。優秀録音盤として知られ、オーディオ・マニア仕様、チェック仕様のLPでも出ていたが、確かに鮮烈な音ではあるものの、さすがに現在では楽器そのものの音色、録音精度の向上もあり、多少古びた響きだな…と思わせるものもある。60〜70年代の作品の多くはストラスブールによる委嘱作品であり、当時活躍していた作曲家の創作意欲を刺激しながらの共同作業だったと思われるが、(これまた)今になって聞き返してみると、その音楽の特色にやや個性・インパクトの乏しいものもあって、現実として今日まで打楽器アンサンブルのレパートリーとして残り、演奏され続けているのはごく僅かな作品だけである、という現実もある。各レーベルの再編も進み、このセットではフィリップス録音、Accord録音など各社の音源が入り混じっているが、曲によってはよりテクニックの優れた新メンバー(無理もない、あの時期の打楽器演奏のテクニックの発展のスピードを考えれば、旧メンバーと新メンバーとでは出発点が既に違った)の方が聴きばえするが、カベラーチなど古典レパートリーを着実に演奏して「より味のある」ものに仕上げているのは(やはり)旧メンバーのように感じられる。日本盤LPは4チャンネル盤で出たセロツキのコンティニュームもステレオ化で蘇った。なお細かいことを言うならI.マレツの”Actuor”や、日本には流通しなかった30周年記念のコンサート(1992-1-30)のライブ盤(2000枚限定)、更に欲を言えば同アンサンブルの所有する全ての楽器を使うべく作曲されたジョリヴェの「セレモニアル」なども新録音で付け加えて欲しかった。その他数々残されているはずの同アンサンブルによる貴重なライブ音源からも、未レコード化の作品や、歴史的に重要な作品を特典として含めて欲しかった…と希望は果てしなく続くが、とにかく「やっとやっと」のCD化には感謝。

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     2012/04/05

    岡村喬生の著書「ヒゲのオタマジャクシ」を読み、また同時期のFMでケルテスの死について語っているのを聞いた記憶があるが、その時の「ネルソン・ミサ」が聴けるとは… イスラエルフィルとこの曲を12回上演する計画で、四回の公演を終えただけでケルテスは事故死、CDのブックレットにも正確な収録日は記されていないが、文字通りケルテスの白鳥の歌となった記録である。CDとしての条件をまず見るなら、ステレオ録音ではあるが万全な状態ではなく、テープの保存にも問題があったのか、1973年という時代を考え合わせるならそれほどのHi-Fiとはいえない。しかしよくありがちなことに、この非Hi-Fiのオーバーレベル的な録音が却って演奏のパワフルさを強調していて、なんとも凄まじい迫力となって聴こえてくる。そうした(ちょっと特殊な)条件を踏まえてだが、音楽はドラマティックでパッションに満ちた演奏で、まだオーセンティック云々の議論の起こるはるか以前のことで、声楽陣もオペラ的な濃厚な表情・ヴィブラートが残ってはいるが、それでもコーラスの懸命な歌いぶりは感動的だし、ひと昔前の(安定感のある)腰の座った前古典音楽の演奏スタイルが聴ける。最後の拍手は「あわてて」のフェイドアウトがちょっと残念。カップリングのマーラーも濃厚な雰囲気で聴ける。今は亡きポップのコロラトゥラも見事だが、絶頂期の岡村喬生の豊満しかし着実な歌いっぷりは見事。今日ではもはや通用しない言い方かもしれないが、所謂「日本人離れのした」スケールの大きさがある。無理なことかもしれないが、ケルテスの死とあまり隣り合わせの予備知識をもって聴かない方がよいのでは…という気もする。こちらは事情やこの録音の意味合いを知った上で聴くしかなかったが、大戦中のフルトヴェングラーのように歴史的背景と演奏がその内容に関わりを持ち、世相が演奏に少なからぬ影響を与えることが(仮に)あっても、このケルテスの場合は、ここに聴ける演奏にあたっては「近々起こり得る悲劇」など考えもしなかったのだから。演奏評価としては「歴史的・記録的価値」以上のものはあるが、ネルソン・ミサを聴く時に薦めたいディスクとは言えない…と感じたので星四つ。

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     2012/03/11

    このシリーズのNYPとの第三と同様の賛辞を捧げることのできるバーンスタインの後期の傑作。初リリース後間もなくリアルタイムで聴いていたが、79年のBPO盤が出て以後は聴く機会が少なくなっていた。BPO盤のあまりのインパクト・危険さをも含んだ怪しい魅力に取り付かれ、怖いもの見たさか、あまりのスリリングさに中毒のようにバーンスタインのマーラー9番ならBPO盤を取り出す…という形ができてしまっていた。ごく最近、久しぶりにこのACO盤を取り出し、一聴してその素晴らしさと内容の濃さに圧倒された。ギッシリと実が詰まった響きといい、隠れた声部が3Dのように浮き上がってくる面白みといい、全体にみなぎる緊張感と迫力… 演奏そのものの水準・完成度ではBPOライブよりも優れたものだと思い直した。誇張され、歪曲とまでは言わないが、自分の作曲作品のように自由に極端に各所各所の表現を徹底してゆくドラマティックさとその説得力。近々出るIPO盤も楽しみだが、それでもこのACO盤の存在感が薄れることはないのではないか… しかし逆にこれだけの名演がかすんでくるほどの演奏があるのなら聴いてみたいものだとも思うし… 一部で話題になっているBSO盤はタングルウッドでの公演(公園)ライブで、音響的に問題もあり、熱気はあるかもしれないがオーケストラの集中度は今ひとつで、よほど熱心なファンでなければ…といった感想。

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     2012/03/09

    あるようでいてなかなか実現しなかった廉価Box。ワルター晩年の貴重なCBSステレオ録音の中でも、特に秀でたMozartの名演が集められてこの価格… 内容的に素晴らしい物なのは当たり前なので、ここでは個人的に追い続けている40番のリマスタについて。この40番の演奏に始めて接したのは例の初CD化にともなう1983年当時の新リミックス版のLPだった。音質は明瞭だが響きの感触は柔らかく、いかにもこの晩秋に吹きすさぶ風の中を歩みをつづける孤高な詩人を思わせる演奏の魅力を充分に伝えてくれるものだった。その後CD時代に入ったものの、ついつい「いつでも買えるから」と思いつつLPを聴いていた。ふと思い立って最近手にした国内盤はDSDとやらで、音が不自然にギラつく異様にハイの上がった音で、聴いていて苛立たせられるグロテスクな音に変わってしまっていた。さあそれからが大変、アナログ的な感触を求めて1983年の国内盤最初期盤を探したが、なかなかおいそれと手に入らない。海外でも各国で度々CD化されたから、それらを手当たり次第にオーダーしてみたが、それぞれ驚くほど音が違った。このワルターのCBS録音のCD化は日本国内盤が先行、USAでのリリースは二年近くも遅れた。噂半分だが「Sonyのスタッフが日本のCD化マスタリングに不満で、もう一回やり直したから時間がかかった」という記述を「レコ芸」誌で見たことがある。手元にある六種を聞き比べてみると、確かに初期USA盤(1989年リマスター)と、国内盤の後期交響曲集(1990年)では、音のタッチがかなり異なる。日本盤の方がしっとり落ち着いていて米盤は派手好み。しかしその派手さは最近のDSDに比べてもまだまだ許容範囲にある。日本盤とはまた異なるが、奥行きのある深い音を感じさせるのは独盤のセット。LPの音がどうしても忘れられない世代にとっては、初期盤CDを一度自分の部屋で鳴らしてみたいと思っているのだが… ところで今回の24Bitによる40盤、残念ながらDSDとほとんど同じ。こういう音作りは「生々しい」とか「鮮明」といえるのかもしれないが、物理的・数字的な向上が聴き手にとっての向上であるとは限らない。単なるノスタルジーと言われればそうなのかもしれないが、このワルターの40番を名演をギラつき音でしか聞く手段がないとしたら、かなり残念な気がする。以上は個人的に思い入れのあるコロンビア響との40番に対して。アルバム作りに関しては問題なし。こんな文化遺産的な演奏の記録に点付けなどおこがましい。レクィエムももっていた米盤CDが劣化してきていたので、いいタイミングで安価に買い直しができた。5ツ星はこれらの演奏の価値に対して。しかしマスタリングについては、やはり疑問符。

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     2012/01/21

    リヒテルの「世界各地でのライブ録音のCD化」では仕方のないことだが、同曲の異演盤が多く、またそれぞれの盤で使用されている音源の状態もまちまちであること、同内容が他社からもリリースされていることを踏まえて(少しオーヴァーだが)購入すべき。このDoremi盤と前後してリリースされたBBC LegendやOrfeoのライブ・シリーズで正規音源を使用し、更にクリアな音で(しかもステレオで)聴けるようになったものも少なからず含まれているので、何がこの盤でしか聴けないものなのかをチェックされることをお薦めする。たまたま今回このDoremi社の第三、四巻を同時購入したが、貴重な録音が緻密な演奏データと共に紹介されているのはよいが、たとえばかつてM&Aから出ていて現在では入手の困難な1976年8月のヘルシンキ・コンサートなど、二枚に分けたりしないでコンサートの全容が分かるように個別のタイトルで聴きたかった…という気もする。1977年ザルツブルクでのワルツ三曲と舟歌は、更にスケルツォを加えてOrfeoからリリースされている。しかもこのDoremi盤は演奏順序が違う。小さなことだが気にならないでもない。音質は確かに満足しにくいもの。後年の収録になるほど徐々に良くなってはくるが、アンプで相当高音を上げなければならない。とにかくこもった音で、スケルツォの速いパッセージの音の羅列など、個々の音はほとんど聞き取れない。これらの点に今ひとつ満足はできないが、それでもリヒテルの演奏自体はいかにもリヒテルらしい仕上がりの立派なものなので、ファンには一応勧められる水準にある。

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     2012/01/21

    リヒテルの「世界各地でのライブ録音のCD化」では仕方のないことだが、同曲の異演盤が多く、またそれぞれの盤で使用されている音源の状態もまちまちであること、同内容が他社からもリリースされていることを踏まえて(少しオーヴァーだが)購入すべき。このDoremi盤と前後してリリースされたBBC LegendやOrfeoのライブ・シリーズで正規音源を使用し、更にクリアな音で(しかもステレオで)聴けるようになったものも少なからず含まれているので、何がこの盤でしか聴けないものなのかをチェックされることをお薦めする。たまたま今回このDoremi社の第三、四巻を同時購入したが、貴重な録音が緻密な演奏データと共に紹介されているのはよいが、たとえばかつてM&Aから出ていて現在では入手の困難な1976年8月のヘルシンキ・コンサートなど、二枚に分けたりしないでコンサートの全容が分かるように個別のタイトルで聴きたかった…という気もする。1977年ザルツブルクでのワルツ三曲と舟歌は、更にスケルツォを加えてOrfeoからリリースされている。しかもこのDoremi盤は演奏順序が違う。小さなことだが気にならないでもない。音質は確かに満足しにくいもの。後年の収録になるほど徐々に良くなってはくるが、アンプで相当高音を上げなければならない。とにかくこもった音で、スケルツォの速いパッセージの音の羅列など、個々の音はほとんど聞き取れない。これらの点に今ひとつ満足はできないが、それでもリヒテルの演奏自体はいかにもリヒテルらしい仕上がりの立派なものなので、ファンには一応勧められる水準にある。

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     2012/01/17

    音の状態は確かに微妙。LP時代の「新発見、歴史的名演!」の類に比べれば、高音低音ともに(一応)入っているのだが、それでもフォーカスのズレた音で、1956年という時期を考えれば仕方の無いことかもしれない。若き日のマゼールのモーツァルト、それもレクィエムというので、それなりの期待と意気込みをもって聴いたが、結果は「まあ、やはりな」といった感じ。当時の重厚、ヴィブラート多用のコーラス、シンフォニックで重々しいレクィエム。後年のマゼールの録音が無いのだから比較はできないが、これをもってマゼールの若き日の才気が見える… といったものではない。当時のそれなりの指揮者であれば、誰でも似たような演奏になったと思われる。マゼールのモーツァルトは、録音キャリアの初期に交響曲をいくつか録音、オペラを除けば最近とんと触れられていないレパートリーだが、似たような傾向のものにバッハがある。マゼールが60年代に録音したバッハの数々は今聴いても新鮮で、素晴らしい。管弦楽組曲などワクワク・ゾクゾクするような快演で、これに限ればリヒター盤より優れていると思う。それに比べると若い頃のモーツァルトは今ひとつ説得力に欠けるように思われる。歴史的記録の意味合いの勝った一枚、それもよほどのマゼール・マニアでなかれば(期待しすぎるならば反動が大きいので)お勧めはしない。こういうかつて知られていなかった録音がリリースされ、意外な顔ぶれ、意外な曲目に「お!」と浮き立つ楽しみは何物にも換えがたいが、それが満足や感動に連なる例は本当に少ない。

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     2012/01/16

    1960年盤と同時購入。60年の「リング」は全四作がリリースされているが、61年盤はなぜかLP時代から「ワルキューレ」のみ。すでに公有期となっているのだから、良質な音源で61年「リング」全曲の登場を期待したいもの。まずこの61年盤、もともとあの時代としては(まあ)悪くない水準の音だった60年盤よりも、たった一年の差とは思えないほど更に音質良好で、迫力がぜんぜん違う。バイロイト特有の木質のサウンド、弦楽器の高音域の魅力などが、かなりリアルに聴き取れる。歌手陣も一新されているが、どちらかと言えば冴えない出来だった60年盤よりはるかに迫力のある演奏だといえる。60年代のバイロイトは、指揮者に限って言えばクナ、カイルベルトといった大御所に加えて、サヴァリッシュ、マゼール、ブーレーズをはじめ、ベームが登場したり、新世代の指揮者(メレシュ、スウィトナー)、ユニークな顔ぶれ(エレーデ、マタチッチ)がそれぞれの妙技を披露し始めた時代で、今日聴いても興味を引かれる記録が多い。バイロイトで指揮者が(同じ演目で)実力を発揮できるのは三年目以降というジンクスも、必ずしも不当とは言いきれないように、60年のケンペ初登場の「リング」が「それまでのリングとは違ったものを描き出した」という点で(当時)評価されたのは納得できる(良し悪しの問題ではなく)。そして二年目の61年に様々な面でより掌握力の強い、味のある「リング」を振りはじめたのでは、と想像するが… 61年盤の全曲登場を期待。しかし(また)今日の視点で聴くなら、この61年盤とても前後(50年代の巨匠風味の、そして60年代後半のベーム、更には新訳「リング」のブーレーズ)の演奏に匹敵するかどうか、少々疑問。評価はそうした意味合いを込めて。音質は大変鮮明で生々しいモノラル。その点では心配ない。

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     2012/01/13

    リアルタイムで実体験を持つことのできなかった我々にとっても、1966年のバイロイト訪日公演と1969年のリヒターの一連の公演は、日本の音楽史・演奏史上に燦然と輝き、もはや伝説にさえなりつつある記念碑といえる。1981年のスカラ座の初来日公演、特にC.クライバーの「オテロ」「ボエーム」を指して「リヒター以来の感動」と語った人もあるそうだが、今もってどれほどの愛好家がリヒターのもたらした感動を温め続けているのか、そしてその「感動」とインパクトがどれほどのものであったのかを、ふたたび検証できる記録として意義のあるセット。そして単にノスタルジー・ヒストリカルものというだけでなく、ロ短調ミサを聴こうとする愛好家にとっても説得力のある名盤。演奏の持つ力、響きの充実度は卓越していて、第一声の「Kyrie!」からもう捕まってしまう。このフーガもテンポの運びが良くて、全体に61年のアルヒーフ盤より格段に優れた演奏だと思う。マタイはセッション盤も素晴らしいのだが、「ミサ」に関してはセッション盤が意外に冴えないので、この熱気に満ちた日本公演がレコード化されたのは本当によかった。最後のDona nobis pacemは、とにかく音楽の素晴らしさに打たれ、穏やかな熱狂と最高の感動に襲われる。こんな演奏を実際に聴いてみたかった…とは今でも多くの人たちが感じている事だろう。ピリオド奏法もいいのだが、リヒターやK.トーマス、(まあ一応)ミュンヒンガーなどのバッハを聴き始めて、すぐに聴こえてくる豊かで充実した響きと安定感のあるテンポがなつかしく感じられるのは我々の世代だけだろうか? それにしてもLP初出時は7200円くらい(だったか?)したのがHMVの特価でLP一枚分の価格で買える様になるとは… ちなみに2000年にリリースされた海外盤リヒター・バッハ宗教曲集のBox(10枚組)ではこの日本公演盤が採用されている(日本公演の「マタイ」と「ミサ」に海外盤CDがあるのかどうか知らない)。各種名盤選では当然61年盤が挙げられることだろうが、ドラマティックでしかも静謐で、思わず聴いている者のまぶたを熱くする魔法は、このライブ盤の方が絶対に優れている。

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     2012/01/12

    ようやく、やっとやっとのコンプリートBox化。90年代のRCAリリースは当時実に膨大で壮大なもの(に見えた)だったし、標準価格だったし、その後は国内ではオリジナルジャケットも出たが、RCAシリーズとはカップリングが微妙に変わっていたりして、仕方なく最近まで中古で拾い集めていたが、これでその必要もなくなった。RCAの全82枚にEMI系の2枚がプラスされているらしいが、現在国内盤・海外盤ともに現役盤もなさそうだから、せっかくならEMI系も6枚全部組み入れて欲しかった。今回のBox化に際しては90年代のリマスターを基本に、その後の名曲路線の二枚組みセットの際の新リマスター、XRCDリマスターまで取り入れられるということなので、同社の現時点での最新の音質改善盤で構成されるのだろう。二枚組みセットは確かによりクリアな音になってはいたが、多少お化粧の過ぎるようにも思われ、ものによっては90年代盤の多少粗野な、リリース時に「トスカニーニが自宅で聴いてOKを出した音そのもの」と宣伝されていたバージョンで再発してほしかったという気もしないではない。フィラデルフィア盤の最新リリースは小ぎれいだがパワフルさが消え失せていてわざわざ90年代盤を買い直したし、Verdiのレクィエムも、最近「偶発ステレオ版」やオーパス蔵からHMV盤LPの復刻が出たことによって、ただ一回の公演ライブのはずなのに終曲の「リベラ・メ」に独唱の数々のミスがあり、それが様々に修正されたものであることが判明。二枚組みセットはこの名演を一枚に収めたのはいいが、どうも音がクリーンにすぎ、90年代盤を今もって手にとる機会が多いという現実もある。それはともかく、トスカニーニの代表的演奏(記録)の数々が、これだけの枚数で、しかもこの価格でBox化されるのだから大歓迎。しかもHMVのセールで「福沢諭吉」一枚でこれだけのものが買える… トスカニーニの初CDは1984〜5年の国内盤だったが、今にして思えば実に「大胆な」音のしたCDだった。それでも「むかし聴いていた1500円盤LPの音がする」という効能もあり、今でも持ってはいるが、これも(当時)価格は立派なもので「諭吉」一枚では3枚しか買えなかった。90年代のシリーズでも6枚そこそこ。それが今では84枚とDVD。もうほとんど持っているものばかりだが、迷わずオーダー。最近の「お目玉」Boxの”限定盤”の現実は非人間的なほどに厳しいので、内容・価格ともに貴重なこのセット、間違いなくお買い得、お薦め。

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     2011/07/06

    内容はほぼ聞き知っているものばかりなのに、それでも「待望」だったセット。ある音楽団体の復興・資金集めのために製作されたトスカニーニの(当時)未発表音源で製作された45回転レコードの復刻。製作にはトスカニーニの息子ワルターが関わったそうで、その意味ではきちんとした音源によるオーソライズ盤だったという事になる。CD1のBach,Rossini,Vivaldiはその後様々な形でLP・CD化された。なつかしいMoviment Musica盤は、この四曲を一枚のLPにまとめ、そのまた板起しCDが小規模なレーベルで出た。この他にもdell’Arte盤で出たものもあるようだが、最近ではVivaldiとRossiniがオーパス蔵で、このGuild盤と同様オリジナルの45回転盤からの復刻で発売された。音の状態は蔵盤の方がストレートで好印象。このGuild盤はLP復刻なのにノイズが皆無なのは嬉しいが、低音増強・高音カットの音質でソフトだが幾分肥大した音になっている。Naxos盤でもリリースされたRespighi編のBach:Passacagliaも同印象。Naxos盤はよりストレートで明快、Guild盤は肥大、それにイタリア盤に聴かれるような風呂場的な奇妙な音場感が気になる。せっかくの貴重な原盤レコードの復刻なのだから、あまり調整をしない音で聴きたかったな…という残念さもある。しかしアンプで低音を絞り、高音を上げればRCA盤などで聴ける「いつものトスカニーニ」の音になる。
     音にばかり触れたが、Respighi編のPassacagliaは1938年の演奏とともに熱いパッションを生々しく聴き取る事のできる不滅の記録、1954年のVivaldiもトスカニーニが最晩年に成し遂げた名演のひとつ。共になまじな賛辞など不要の演奏である。
     さてこのセットでは二枚目のリハーサル風景がまた面白い。かつてディスコグラフィでは「トスカニーニの怒鳴り声のみを集めた興味本位のレコードもある」などとされ、さてはこの復刻盤がそれか…などと思っていたが、どうしてどうして、非常に良心的に構成され、解説・案内・注釈のアナウンスが加わったドキュメンタリーに仕上げられている。特にトスカニーニが明快に何を求めているのかが分かる場面が選ばれており、リハーサルの進め方も適切で、また「椿姫」の各曲では、例のガラガラ声でアリアを歌い、奇妙な味を聴かせてくれる。オーケストラに求めている正確さとはかけ離れた歌唱ぶりだが、これも微笑ましい歴史の記録であろう。
     復刻音質にわずかな疑問はあるが、長年お気に入りだったトスカニーニの演奏のいくつかが、こうして歴史的背景とともに公開され復刻されたのは大歓迎。その意味で5つ星。ジャケット、カードにある一枚目のVivaldiとRossiniの曲順表示が逆になっている。

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     2011/06/30

    仕方のないことではあるが、先入観なしに聴く事の難しいCD。宇宿氏への好き嫌いもあろうし、演奏そのものの持つヴォルテージは高くとも(やはり)寄せ集めオケであり、かつパートによっては技術的レヴェルに偏りも大きい… そしてこのコンサートが宇宿氏の最後のステージであり、発病後・闘病中のコンサートであるという状況もある。解説によれば当日のコンサート・プログラム冊子に添えて宇宿氏の病状を告げるメッセージが配布されたという。つまり演奏者側も聴衆も、迫り来る「時の終わり」を意識せざるを得なかった場での演奏ということになる。こうした実情は演奏そのものに少なからず影響するものであるが、それを「その場に居合わせなかった」人たちが、「永久に繰り返し聴く事のできる」CDとして耳を傾けるとき、批評というものはどういう形を採るべきなのか… 「田園」を聴き始めて、いつにも増してゆったりとしたテンポ、しかしただならぬ静謐さと奇妙に澄み切った情感が伝わって来、まるで水墨画の世界に描かれた「田園」だ… と思いながら解説に目を通し始めて、上述のような背景を知った。なるほど一音一音を慈しむようなフレージングで、遅いテンポにもかかわらずコケ威しのような重苦しさもない。こうした浄化された演奏を可能にする時間というものがどの演奏家にもあるのかもしれない。しかしその多くの場合が「死」と隣り合わせの時である、というのは果たして必然の条件なのだろうか? 病身を圧して桐朋オケの合宿に出向いてMozartのDivertiment K.136を美しく演奏した斉藤秀雄、亡くなる10ヶ月ほど前にVPOと共に来日してBeethovenの第七を振ったカール・ベーム、難聴と不思議な死の予感を感じながら演奏した逝去二ヶ月前のフルトヴェングラー/BPOのベートーヴェン第一、晩年のチェリビダッケのいくつかの演奏… こうした演奏記録を思い起こした。それが仮に感傷的な思い込みだったとしても、この「田園」ではオケのメンバーが指揮者に注意深く眼差しを向けつつ、いつも以上に互いの音を聴きあってアンサンブルを作り上げている気力が伝わってくるのは事実。決して世に言う「名演奏」ではないが、これはこの指揮者が到達しえた心境と高みを聴き取り、後世に伝える意味で重要な意味を持つ記録であり、更に「それプラスα」を求め得るディスクではないだろうか。公平に聴いて、少なくとも何年か前にリリースされた引退後のジュリーニの「田園」とは比べものにならないくらい素晴らしい。この「田園」があまりに特殊で聴くのに集中力を要したので、一枚目のMozartはまだ聴いていない。今の段階で5つ星まではつけられないので、この評価。共感しえる聴き手には素晴らしいCDになるはず。

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