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ひのき饅頭 さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/11

    オメロ・フランシェスの弟子ということで興味を持った(「レオン・フライシャーに師事」だけなら興味すら持たなかったと思う)。フランシェスはそれを表に出さないので意外と知られてないのだが、驚異的な技術を持つピアニストの1人だ。その弟子シュニーダーも技術は確かだ。最近、若手奏者を解説する場合、テクニック至上主義的な言節があらゆる場で跋扈しているが、そのバランスの悪さが、表層のみを語り、その表層を影で支える部分のテクニックを聴き取る可能性を阻んでいる。これに気づいていなければ、フランシェスやシュニーダーの技術には気づきにくいが、表層のテクニック至上主義に陥っている評論を展開する諸氏は、なかなか自分の見えていない点に気づきにくいものです。例えばシュニーダーは10−1で、楽譜を無視した勝手なアクセントをつけたり、他の曲でも、わざと細部を強調しているが、これはモダニズム的な均衡を良しとする耳で聴いた場合、技術的なムラとしか理解されないだろう。現実は均衡をとるよりずっと難しい表現だ。シュニーダーのレベルではまだフランシェス級にはもう一歩だが、そのため遥かにわかりやすい。まずはこのレベルのピアニストを聴いてみることを薦める。雑誌もメーカーも、ピアノすら鳴らせない軽薄な表層主義の低レベルなピアニストをヨイショすることはいい加減やめたらどうだろうか?プロはこのレベルで仕事をすべきなのだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/11

    やっと日本でも発売されますか。一足先に海外のサイトで入手して聴いていますが、これが絶美の世界。強固な構成美とはまた違った古楽の世界。ようやく最新録音でペルゴレージの天才が聴ける録音が出てきた。近年いくつかのところで「ペルゴレージってたいしたことないのではないか?」という意見が出ていたが、それは最近の演奏に原因がある。天才の作品を、縦の線すら操作できないような素人以下の無能と、本質すら勉強していない上っ面な技術だけの団体が演奏して、その真価が発揮できるわけが無い。当たり前だ。才能豊かな作曲家の真価を堪能するには、やはり実力と知性を兼ね備えた音楽家の仕事で聴くべきだろう。感性と印象だけでは勝負にすらならない古楽の世界では特にそうだろう。最近のペルゴレージを取り巻く環境に疑問、もしくは怒り心頭状態だった人には朗報だと思う。この1枚は、近年のペルゴレージを辱め冒涜しまくった録音群のことを忘却させてくれます。良いものは、それ1枚で至福を与えてくれるものだということを、つくづく実感させてくれます。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/31

    最近エキエル版の楽譜を使う人が増えている。中には「ボクはエキエル版しか使わないよ」とか発言する困った人もいるが(正直知性を疑いますね)、さて、そのような人はエキエル版の本当の凄さをどのくらい理解できているのか疑問です。エキエル版を使って、明晰でブリリアントにピアノを鳴らす演奏に終始している人の何と多いことか、失礼だが、楽譜の上っ面しか読めないとそのような演奏に終始する。プロでもそのような人が多いが、それではエキエル版を使う意味は無い。ショパンは指使いでフレーズの構造を指定している。これはエキエル版で相当な部分が解明された(これは本当に凄かった)。ただ、ショパンの「ペダル指定」に関心を持つピアニストはほとんどいない。このエキエル版でも十分ではないとされているが、実は相当に細かいペダリングのヒントがエキエル版ではわかる。ただし、これを読める人はほとんどいない。ところで、ショパンの時代にはペダルを頻繁に踏みかえる技法は無かった。だからショパンは楽譜に残るように工夫したのだろう。あっと驚く方法です。こんな発想をしたのはおそらくショパンだけでしょう。度肝抜きます。それがわかるレベルでショパンの楽譜に肉迫したのがエキエル版の凄いところ。さて、ヤブウォンスキはエキエル版を本当に使うことができる世界最高の演奏家の1人。この人は本当に凄い。教えられることだらけです(特にエチュードが凄いのだが)。この人の録音が少ないのは、ショパンの持つ「響き」の問題に意識的な人がそれだけ少ないのかもしれない。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/13

    私のバッハとドビュッシーの評価は、他の作曲家と比べて確かに甘いと思います。好きだからどうしても評価は甘めになります(笑)。このレヴィナスの演奏、線を明確に聴きたいとする立場からは確かに評判が良くない。レヴィナスの演奏法は基本的にペダルを踏みっぱなしにし、響きの中でさらに響きのテクスチャを重ねていく驚くべき独特の方法。この方法だと当然線は響きの中に溶けていく傾向になる。でも考えて欲しい。そもそもバッハの音楽に無駄な部分は無い。全ての部分が通奏低音をベースに数学的な秩序に従って全体を構築し、最後の音が鳴った瞬間に世界が完成し、一つの宇宙が形成される。平均律はその究極(特に第2集)といえる作品。レヴィナスの方法だと、全てのパーツが溶けて融合する。線は前に出てくることが無いため、奥へのベクトルが当然強く出てくる。そして最後の音が鳴り終えたとき、少し離れたところから俯瞰したような曲の全体像が立ち上がっていることに驚く。これは平均律のような構成の作品にとって理想的なアプローチ方法の一つで、私がこの演奏に驚愕するポイントだ。多数ある平均律録音の中でも、独特の個人的な美学と方法論、音楽の論理を貫き通し、全体を描くこと優先した演奏。細部は全体に向かってひたすら還元されていく。大勢の外からの視点など全く存在しないかのように、自身の方法論だけに埋没し、この世界に作品と演奏者だけ、独白のような極めて個人的な演奏という行為。平均律はここまで行けば、必ず優れた演奏になりうる。音楽の嗜好とは極めて個人的なものだが、それを突き詰めることの凄さと大切さ。バッハの音楽はそれを教えてくれる。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/13

    完全に大量消費社会に背を向けた映画。あくまでも「見る」という行為と「視点」のための映画。「何を言いたいのかわからない」というのは全くその通りで、100人が見たら99人はそう発言すると思う(1000人で999人かもしれない。もっと多いかもしれない)。純粋に「見る」行為のための映画に、シネコン的な映画の特徴である「内容」とか「主張」や「テーマ」「感動」を求めるほうが変だと思う。ラジオ氏が良い事を示唆している。相当に失礼な発言で申し訳ないが、映画「アマデウス」の劇中音楽に対して「この映画制作者達の音楽的な誤解と無理解は相当にひどいなあ」と思えるような人でなければ、このストロープ映画の凄さ、音楽に対す異常なまでの見識の高さは理解できるはずがないと思う(映画「装甲出臼」とは「アーマーで臼」=「アマデウス」のことですね(笑))。バッハ作品に空気のように存在する、大量消費社会に背を向けたかのようなベクトルが共通しなければ、ここまで凄い作品になったか疑問だ。ただし、現在の大量消費社会にレヴィ=ストロース指摘するところの「文化の再解釈」的になじんで、その状況に無自覚な場合。この映画は真逆の価値観で作られており、それが自分の価値観と対立した場合、理解することは無理なはずです(可能ならこの世界で宗教観の違いによる対立なんか無いし、ありえないはずです)。ストロープ映画はそれほど決定的な断絶を生ずる映画ですので、良く知ってから購入すべきです。少なくとも映画「アマデウス」を最後まで苦痛なしに鑑賞できる人は控えたほうが良いと思います(私は「アマデウス」公開時、劇場で鑑賞し、途中退席しました。劇中音楽が苦痛で耐えられなかったのです。そういう変人向きかもしれません)。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/07

    バッハにはいくつかのアプローチ法がある。まず複数の線が絡む場合にその中の1つを前に出し、残りの線をサポートに当てる方法。主題、副旋律、内声、装飾音、バスを全て描き分ける方法。高音域、中音域、低音域をそれぞれ異なった音色を与える方法。絡み合う複数の線にそれぞれ明確なフレーズを振り分けて、線を描き分ける方法などなど、結構たくさんあるが、最も大切なことは、バッハの曲は全ての部分が統合して、一つの世界(宇宙)を形成するところ。全体は部分であり、部分は全体に還元されること。私が理想的と思うのは、線も部分も構造も、その全ての部分が明確に描き分けられて、かつ全てが等価に機能する演奏だ(しかも作品の性格上、演奏者は自分自身のためだけに真摯に作品と対峙し、それが演奏するという行為に結びつかなければならない)。「全ての部分が等価に機能する」彼の奏でるバッハはこの視点に立っている。これは伝統的なピアノによる奏法とも、オーセンティックとも全く次元が異なる。さらに運指が凄い。ピアノはどの指を使うかで、同じ楽想でも、フレーズ、構造、音色、さらには作品像まで全て変わってしまう。コロリオフの演奏は、使用する指により音が変わるピアノの性質に自覚的な見事な解答。それを超優秀録音が鮮明に捉えている。現代ピアノを用いた20世紀屈指の名演奏の一つとして断言してよいだろう。あのリゲティが大絶賛したのも当然すぎることと思われます。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/07

    実力派だが、もう一つ実体というか方向性が掴みにくかったデミジェンコ。以前BBCが製作した平均律シリーズで、自分自身のために音楽を奏で、結果最良の演奏を聴かせてくれた。その思索的で内省的な音世界は、この大衆消費社会に根元まで汚染された今の音楽状況で、それが得られること自体、極めて貴重と思われたほどだ。今回、よりマイナーなイギリスのレーベルに移籍したデミジェンコは明確に自分の音楽の方向性を打ち出してきた「自分のため、納得がいくまで思索する音楽」。内なるベクトルに目を向けたショパン。以前からその傾向はあったのだが、音楽は立ち止まり、そこで結論を求めるまで可能性を模索する。そのための選曲として、ショパンの前奏曲と3番は最高の選択だ。前奏曲では1曲を除いて、あちこちに顔を出すh音に意識的であり、3番では冒頭5つの音の機能に意識的だ。音楽は常に内へ向かい、立ち止まろうとするため、ひたすら蓄積する方向で音楽は展開するが、最後の解決の和音で解放するかのように解決、そして終止する音楽。自分自身の納得と満足を真摯に追求するための行為と行程。丁寧な弾き込みに裏付けられた音の在り方がうれしい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/27

    アラベスクレーベルで録音されたオールソンのショパンは本当に素晴らしい。アナログ時代にEMIからいくつか音源が出ていたが、その音源と比較してはいけない。全く別モノと考えたほうが良い。オールソンが相当な技術の持ち主であることは、彼のショパンとドビュッシーの「練習曲集」を聴いてもらえばわかります。オールソンは受けの良い音を作り、聴衆にアピールするタイプの演奏家ではない。その真摯に磨く音がわかりやすい形で作品の魅力を浮き立たせている録音として、このワルツ集がまず一押し。アメリカ人の弾くワルツ?と思われる方もいると思うが、「完成された芸術様式」で作られた作品は、その様式をどれほど真摯に尊重するかで、かなり深いレベルでの表現が可能になる(例えばフーツォンのマズルカとか)。この様式を尊重する姿勢は、本来文化の中心圏であったはずのヨーロッパ人が失いつつあるものだ(伝統の崩壊)。それよりも文化の周辺域からの視点を持つ人の方が伝統を深く理解し、正しく再現する場合が多い。ちなみにショパンで「完成された芸術様式」に該当する作品はワルツ、マズルカ、ポロネーズです。(前奏曲集もこちらの方が圧倒的に素晴らしいです)

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/21

    今回の評価は「3つの新しい練習曲」のモノです。他の練習曲同様、簡単な音型の組み合わせからできている。しかし常識とされている、市場に氾濫するショパン的な音の使い方(実は大間違いなのだが)を意識すると、その魅力の半分も出ない。普通はf→As→Desの順に収録されるが、タローはf→Des→Asの順に配置する。この発想が凄い。調性が上昇して生命感が満ちるはずの曲が、調性を下降させることによりその背後に潜む、ある種の希求と漠然とした怖れを提示することに成功している。この録音は用意周到に仕掛けられたコンセプトアルバムだ。その効果もあってか、ここに聴かれる「3つの練習曲」は歴代の演奏と比較しても文句無く傑出している。ただし「前奏曲集」に関する感想は変わらない。やはり残念なのは「前奏曲」の24番。この曲は全く規則的な6拍子が要求されている。しかしコレをきちんと弾けるプロは滅多にいない。まずコレをクリアしなければならない。この演奏もリズムを執拗に刻むあまり、やはり6拍子が4つに割れている。「別のリズムを刻むことを意図して演奏する」という主張は、この曲に関しては全くの論外です。(ちなみにこのポイントはポリーニ程度では全く駄目ですので、念のため)

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/21

    ポゴレリチの「遅い」といわれるピアニズム。普通ピアニストは脳がパターン認識し、ほとんど条件反射的に体が反応するレベルで演奏を仕上げる。知性や意識は指の動きに干渉するケースが多く、それを排除するためだ。この方法では演奏速度は速くなる。ところがある技量以上になると、ポゴレリチの速度では条件反射的な奏法は使えない。遅く弾くことで、自らの意識で打鍵を調節しなければならなくなる。ポゴレリチの速度はその境界線あたりにある。彼は、知性と意識の干渉を受けつつ十全な打鍵が可能な速度でのピアニズムを必ず守る(彼の講義では、そのための練習法にも言及していた)。それで正確な打鍵をするためには極度の集中力が必要で、そのため隅々まで意識の行き届いた独自の世界が作られる。私が彼の録音に好意的なのは、打鍵に決して手を抜かないこと、そのようなピアニズムを意識的に実践していること。その方法と作品の方向性が合致したときは物凄い。「展覧会の絵」は彼の最高傑作の一つ。このピアニズムと比べると他のピアニストは、はっきり言ってヌルイ。ポゴレリチに嵌ると運動会系のピアニストに嫌悪感しか持てなくなる。でもそれは仕方が無い。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/14

    悪夢のようなオーセンティックの嵐が吹き荒れていた頃の録音。原則ペダルは使わない。使用する指によって音が変化するピアノの機能を制限し、古い楽器の指使いを積極的に取り入れる。響きの減衰速度が速いことを考慮に入れて速度を設定する。などなど禁則が多い。実はこれらの方法、私は反対だ。バッハをピアノで弾く場合は、ピアノの特質「同じ音列を処理しても、使用する指使いの違いにより、音、色彩、構造までも自在に変化させることができる(当然諧調表現の範疇でだが)」は決して封印してはいけないと思う。この時代のバッハ演奏のほとんどはそれで自滅しているが、彼女はその枠の中で、最大限可能な表現を追及し、オーセンティックの枠の中で開始しておきながら、その枠を突き抜けて、一つのスタイルとして提示することに成功している。時代が作り出した演奏かも知れないが、これはバッハの新しい可能性を提示した画期的な演奏だ。この盤だけ聴くと「自己主張が強い人だ」と思うけど、他の演奏と聴き比べることでその良さがわかる録音。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/03

    現在いくつもの「100」モノ、オムニバス物がでているが、ショパンに関して、現時点で文句無く最高の内容を誇る極めて良質なセット。この種のセットを買おうと思うなら、これがダントツで一押しです。録音が新しいものが多く、全てという訳ではないが、最近のショパン解釈の成果が聴ける意欲的な演奏が多い。現在最高の技術と音楽性を誇るケヴィン・ケナー、ヤブウォンスキの音源が聴けるだけでも満足です。他のピアニスト達の実力もなかなかにハイレベルで、このメーカーの「良いモノを聴かせたい」という意欲のようなものが伝わってくるセットです。既に売り物にならない賞味期限切れのデタラメな音源を再利用して素人の無知に付け込もうとする某メジャーレーベルの許しがたい商品とは、姿勢そのものが違う。現代の演奏家がどのようなアプローチでショパンと対峙しているのか、それがわかるだけでもこのセットは存在意義があります。これほどコストパフォーマンスの良いセットは滅多に出ないことは事実です。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/01/17

    オーセンティックな運動が破壊してしまった「ピアノでバッハを弾く伝統」。現在では失われてしまっているが、その貴重な記録であり、代表的な1枚。複数の声部が交錯する場合、まず1つの声部を「主」として浮かび上がらせ、残りの声部は「副」として「主」をサポートする。その伝統的な手法が聴ける。これはヨーロッパでバッハを学習した場合、必ず教わっていた方法だ(オーセンティック運動の後はどうなったのか、確認してません。申し訳ない)。途中での「主」「副」の交代、使用する音色と響き、華美な表層を避け、真摯に線と解決を描いていく王道のスタイル。全く素晴らしい。バッハを弾いていくための基本的な視点がびっしりと詰まっている録音。これを聴いたあと、他の奏者のバッハを聴くと実に面白い。この曲集を勉強している人は可能な限り聴いておいたほうが良い。世界が広がります。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/01/17

    「67年だと作曲当時の演奏習慣や楽器のことなど、もっとずっと朗らかだったのだろう。(某データベースより)」評論家は本当にアテにならないが、この言節はひどい。オーセンティックな運動が一段落した現在、バッハは以前にも増してデタラメに演奏されはじめている。以前は現代ピアノでバッハを弾く方法が確立していた。それを聴きたければフィッシャーやケンプあたりをお薦めする。古楽復権される前のほうが、バッハをピアノで弾く規則は厳密だった。表面の表情だけを聞いていると理解できないが、グルダやグールドも実はその方法を遵守している。「」の言節はただの文化の再解釈で、単なる無知による印象批判のデタラメです。このローゼンの演奏は今は忘れ去られてしまっている「現代ピアノでバッハを弾く方法」を踏まえて、その上で創造的な取り組みを行っている極めて優れた仕事です。その創意工夫は解説していると本が1冊かけてしまうほどによく考え抜かれたものです。実にいい仕事してます。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/01/17

    どれほど優秀なソースを用いても、どれほど画期的な装置で処理をしても、それを操作する技術者に、演奏家レベルの音楽性が備わっていないと、これは全くどうしようも無くなる。この試みに意義があるとしたら、その当たり前のことを証明したこと。それに尽きる。技術者のあまりにもの凡庸さに心底ゲンナリさせられた。天才と凡庸との感性の差とは、物理的には極めて小さいものかもしれない。ほんの一瞬の音の長さであり、音色の切り替えであり、ささいなバランスの差にすぎないのかもしれない。しかし、その些細な違い、僅かの差の間には、なんという巨大な深遠がバックリと口をあけているのか。グールドの天才の高さはひたすら圧倒的だ。その残酷な現実を最高の技術で再認識させてくれるのがこの企画だが、それを「再創造」と呼ぶならば、この盤のタイトルは間違いではない。

    14人の方が、このレビューに「共感」しています。

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