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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2018/12/31

    ラトル最初のアルト版『大地の歌』録音はやはりコジェナーとの共演になりましたね。奥さんがこの曲を歌えるようになるまで待っていて、だからこれまでバリトン版でしか録音しなかったような気もする。そのコジェナーの歌が別格の素晴らしさ。アルトが歌うとこの曲に必須の寂寥感は申し分なく表出されるが、第2、第6楽章(もともと別の詩を接合したものなので前半、後半とも)は明らかに男性視点の詩なので、バリトンが歌えば自ずと現われてくる歌い手の心情も、いわば「ズボン役」的に歌い出してほしいところ。これはアルト歌手には意外に難しく、かつてのルートヴィヒ、現代ならば(ズボン役は得意だったはずの)フォン・オッター、(声としては理想的な)ラーションなどもクールに過ぎるきらいがあった。ところが、コジェナーはこの両面を完璧に満たしている。特に、友と別れて自然のなかに死に場所を求めようとする男が一人称で歌う終楽章終盤は、魂が震えるような絶唱。
    一方のスケルトン、トリスタン役では男臭い不器用さがなかなか魅力的だが、三度目の録音のはずの『大地の歌』でも相変わらず小回りが効かない。カウフマンの超絶的なうまさを知ってしまうと(ただし全6楽章を一人で歌ってしまうのは反対。できるからと言って何でもやって良いものではない)、これでは不満だが、それでもこの曲のテノール・パートとしては上出来の部類か。ラトルの指揮はバーンスタインのように強引に歌手を引き回すものではなく、交響曲と歌曲の中間あたりで、とてもうまくバランスをとっている。金属打楽器やチェレスタを強調して華やかな響きをたてるティルソン・トーマスに対して、むしろ渋めの、枯れた音色で全体をまとめているのはそれなりの見識。

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     2018/12/25

    フルトヴェングラー指揮の「バイロイトの第9」(EMI盤)みたいな共通デザインのジャケットによる、このコンビのマーラー録音二作目。もちろん最初の第9番も買ったけど、慎重すぎる、音楽に対するもう少し果敢な踏み込みが欲しいと思った。第5番は二年前のパリ管との(このコンビによる)初来日公演でも見事な快演を披露したし2011年、例の震災当日に新日フィルを振った曲でもあるので、はるかに振り慣れているはず。それでも、今回も第2楽章まではやはり慎重に過ぎる(第2楽章冒頭に「嵐のように激動して」と書いた作曲者の求めるテンポはこんなものではないはず)。アダージェットも私の好みからすれば淡白に過ぎる。文句なしに良いのは、まず第3楽章。前楽章までの重苦しさから抜け出して、ポリフォニックな声部の見通しの良い晴朗な風景が広がる。全体としてはこの楽章も遅めのテンポだが、最後は譜面の指示通り、思いっきり加速するので、ピツィカートで奏される遅いレントラーとの対比も申し分ない。第5楽章も素晴らしい。この曲を交響曲第5番嬰ハ短調と言うのは建前に過ぎず、実際にはイ短調(第2楽章)→ニ長調(第3、第5楽章)の曲だと思うが、現在のハーディングはニ長調の楽章との相性がすこぶる良い。室内オケを振っているかのようにクリアで見通しの良い演奏で、コラール旋律回帰後の一気呵成な突進も鮮やかだ。

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     2018/12/23

    今年はレナード・バーンスタインだけでなく、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの生誕百周年でもあった。生地ケルンではロト指揮、パドリッサ演出による『兵士たち』の新演出上演があり、夏のザルツブルクではネルソンズ/ウィーン・フィルがトランペット協奏曲を演奏したりしたが、日本では特に記念演奏会もなかったような。というわけで、年が明けないうちにCDを一枚紹介しておこう。『一楽章の交響曲』初稿版の初録音というのを売りにしているが、いま聴くといかにも1950年代の前衛音楽で、そんなに面白い曲でもない。『弦楽のための協奏曲』はもっと古風な新古典主義の音楽で、ほとんどバルトーク。やはり面白いのは1960年代の二つの作品。『ジェノヴァの回転木馬』はオーランド・ギボンズ、ウィリアム・バードらルネサンス〜バロック期の作曲家の作品を小管弦楽のために編曲したものだが、ストラヴィンスキー『プルチネッラ』のような素直な編曲ではなく、とても凝った作り。パヴァーヌ(第2曲)とパヴァーヌU(第4曲)は同じギボンズのメロディーの別アレンジ版であり、全5曲がシンメトリックに配置されているのが、おそらく題名(ジェノヴァの渦巻き、とも読める)の由来であろう。そして最も面白いのが『ユビュ王の晩餐のための音楽』。1965年にベルリンの芸術アカデミー会員に推挙された返礼に作曲家が提出したのが、この「すべてが引用でできている」冗談音楽。すべての引用元を聞き取るのはベリオ『シンフォニア』の第三楽章並みに至難だが、幾つかの旋律はすぐに分かる。なかでもシュトックハウゼン『ピアノ曲IX』の冒頭和音がオスティナート風に延々と繰り返される上に、「ワルキューレの騎行」と「断頭台への行進」(『幻想交響曲』)を、ラジオのチャンネルをザッピングするように切り替えながら突進する終曲「授賞式への行進」はド迫力の傑作。ネイティヴ・スピーカーによれば、こういうどぎついブラック・ユーモアは中西部ドイツ人の特色だと言うが、ケルンのカーニヴァルの馬鹿騒ぎなどに一脈通ずるものかな。ケルン放送響は相変わらず上手く、ネット上にある(音だけ)ギーレン/ケルン放送響の迫力には一歩譲るが、音の良さはCDが断然優るし、翌年に出たベルンハルト・コンタルスキー/シュトゥットガルト放送響の録音よりはこちらが上。

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     2018/12/02

    初演時と同じく『イオランタ』と『くるみ割り人形』を続けて上演する。『イオランタ』の舞台は一部屋だけで、そこはバレエのヒロイン(ここではマリーという名前)の家の居間、つまりオペラは彼女の誕生日兼クリスマス・パーティーの余興として演じられた劇中劇という設定はHMVレビューの通りだが、オペラとバレエ、両方の人物が相互乗り入れするのが、この演出の新味。マリーは冒頭と最終場ほか計3回にわたってオペラにも登場するし、イオランタ姫もパーティーのお客として「行進曲」のあたりまでは舞台上にいる。ヴォデモンも両方に登場(もちろん歌手とバレエ・ダンサーは別人だが)。オペラのルネ王(父親)とマルタ(乳母)はそのままバレエではマリーの両親になり、オペラのエブン=ハキアは意図的にヴォデモンとロベルトをこの館に招き入れるなど、オリジナルのト書き以上に活躍するが、バレエではやはり狂言回し役のドロッセルマイヤーになる(この二人は特にそっくり)。このように若干の読み替えはあるものの、オペラ部分の演出はおおむね無難。しかし、バレエの方(こちらのストーリーもチェルニャコフが書いている)はヒロインの見た夢、それを通しての彼女の成長という基本軸は揺るがないものの、くるみ割り人形も鼠の王様も出てこない(代わりにパーティー場面で元の題材にちなむ踊りがある)かなり大胆な『くるみ割り』になっている。「シゴーニュおばさんと子供たち」を省略、その位置にパ・ド・ドゥのコーダを入れ換えた以外は、音楽は元のまま。振付家が三人というのもユニークで、ピタは退屈になりがちな第1幕前半のパーティー場面を面白く見せてくれるし、第1幕最後の「冬の松林」「雪のワルツ」と第2幕「花のワルツ」以降を担当するシェルカウイはクラシックのパを参照しつつ、新味を盛り込んでいるが、第1幕後半と第2幕前半のディヴェルティスマン担当のエドゥアール・ロックは相当に表現主義的な振付(いわばピナ・バウシュ風)で他の二人の振付との切り替え部分はなかなかショッキングだ。
    オペラでは主役ヨンチェヴァが断然素晴らしい。彼女の憂いを含んだ美声がこの役にぴったり。相手役のルトコフスキは線が細いが、見た目は若くてイケメンという条件通り。指揮者アルティノグリュのセンスの良さも光る。劇的な部分のさりげない(どぎつくならない)強調、バレエでの各舞曲への対応も見事だ。

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     2018/11/24

    これまでほとんど純粋器楽曲の録音がなかったヤーコプス(ハイドンの交響曲第91番/第92番ほかとモーツァルト最後の交響曲4曲しかないはず)。それゆえ、もしこれが交響曲全集に発展するとしたら、画期的なことだ。交響曲第1番は私にとって、どうしても関心が持てない曲だが、第6番ハ長調は大好き。なかなか凝った転調をみせる第1楽章の序奏から早くも指揮は非常にセンシティヴ。指揮者自身による詳しい楽曲解説をライナーノートで読むことができるが、そこでヤーコプスは『皇帝ティトゥスの慈悲』の名高いセストのアリアの一節を引き合いに出していて、こういう曲でも指揮者の発想は声楽的であることが分かる。素朴で爽やかな主部も快調に進むが、最後のストレッタは猛烈に加速する。シューベルトがはじめてスケルツォと名付けた第3楽章主部も前代未聞の速さ。でも確かにプレストとされている楽章だから、これでいいのだと納得できるし、トリオもさほど遅くならない。終楽章は実にユニークな音楽。遅めのテンポ(アレグロ・モデラート)でお気に入りの主題をほとんど展開もせずに延々と繰り返す。シューベルトのピアノ・ソナタにはこういう終楽章があるけど(たとえばニ長調D850のアレグロ・モデラート、ト長調『幻想』D894のアレグレット)、交響曲ではこの一曲だけだ。ただし、最後はアッチェレランドが指示されていて、テンポを上げて終わる。アーノンクールの二種類の録音と比べると、ヤーコプスは最初の基本テンポがずいぶん速く、せわしないが、加速のエキセントリックな効果は良くでている。ヤーコプスとの共演で既にヘンデル『オルランド』の録音があるビー・ロック・オーケストラも実にうまい。ロックンロール的なノリの良さは名前の通り。

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     2018/11/23

    もちろん主役級歌手は第一線の人たちだが、そんなに強烈なカリスマ的輝きを放つ人はいない。それでもしっかりした主張のある演出と見事な指揮でここまで観せてしまえるという現代のオペラ上演の一つのあり方を示した映像。演出は舞台を白く冷たい閉鎖空間の中に閉じ込めていて、ポーダ演出ではおなじみの半裸のダンサー達も第1幕序盤の群衆場面から大活躍するが、この演出のミソはトゥーランドット姫が30人ほどいること。実際に歌っているのは当然一人だけで、中央にいる本物の歌手はすぐに分かるが、同じ白の制服で同じ銀髪のカツラ、顔の真ん中に赤の縦線が入った30人の姫たちが口パクしながら一斉に動くのは、なかなかの迫力。したがってカラフやリューは一人の姫様のわがままに対峙するのではなく、国ぐるみの非人間的なシステムと戦い、勝利するという構図になる。プッチーニは作品を完成させる時間は十分にあったのに、どうしても最後の部分を作曲するのが嫌で結局、作曲できなかったと私は考えるので、「リューの死」で打ち切ってしまうこのやり方も大いに説得力があると思う。特にこの演出では、ここまでではっきり勝負がつき、トゥーランドットは負けているので、過剰にマッチョイズムを誇示するようなこの先の部分は不要な蛇足だと納得できる。
    ノセダの指揮は緩急の起伏が大きく、シャイー以上にこのオペラのモダンな特質をはっきり聴かせてくれる。チューリッヒへの転出は前から決まっていたことだが、オペラハウス定番のお家騒動で辞任が早まり、これがこのコンビ最後の映像ソフトになりそうなのは残念。スロヴェニア出身の題名役ロカールにとっては、ちょっとかわいそうな演出だが、ドラマティック・ソプラノらしい大柄な人で声の力は十分に感じ取れる。カラフのデ・レオンもパワフルで、この役は力押しだけでいける人物だから、これで文句なし。リューのグリマルディは欲を言えば弱音での繊細さが欲しいが、ひたすら一途な歌でトゥーランドット姫の対抗軸になりえている。

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     2018/11/23

    ご存じアリーナ・イブラギモヴァ(ロシア)以下、エミリー・ヘルンルンド(スウェーデン)、クレア・ティリオン(フランス)という女性三人の中に「縁の下の力持ち」的なクワルテットでは最も難しい第2ヴァイオリンを受け持つただ一人の男性、パブロ・エルナン・ベネディ(スペイン)が加わって全体を引き締めている四重奏団。レコーディング・レパートリーの選択については慎重なキアロスクーロSQだったが、ついにこのジャンル史上最高の名曲の一つに挑戦してきた。ピリオド奏法を売りにする団体だから、これ以上新しいものはやらないだろうが、結果は何ともお見事。『死と乙女』で競演となった3クワルテットの中でもさすがキャリアの長さとオリジナリティで頭一つ抜け出ている。第1楽章冒頭は予想通り強烈だが、直ちにppになる部分のデリカシーがむしろ聴きもの。第2、第3主題の美しい歌と叩きつけるような激しいアタックのコントラストも鮮やかだ。第2楽章はやや速めのテンポながらすこぶる繊細。第3変奏のかつてない荒れ狂い方と長調に転ずる第4変奏に射してくる光のコントラストがまたしても鮮烈だ。疾風怒濤の終楽章ではノン・ヴィブラート奏法がきしむような響きをたてるが、これも何ともなまめかしい。
    シューベルトの弦楽四重奏曲は最後の2曲が飛び抜けた名曲なので、『死と乙女』のカップリング曲は難題。シューベルトだけでまとめようとすると、たとえイ短調『ロザムンデ』でも物足りないからだ。その『ロザムンデ』をデビュー録音で入れていたキアロスクーロSQは18歳の時の作品ながら、なかなか劇的なト短調D173を選んでいる。こちらは圧倒的に第1ヴァイオリン主導の曲想なので、イブラギモヴァの美しい節回しを堪能できる。

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     2018/11/11

    アリス四重奏団は2009年、フランクフルト音大の学生だったドイツ人四人によって結成。ハイドン/レーガー/ヒンデミット、ついでツェムリンスキー第2番/バルトーク第5番という渋い選曲のCDを二枚出した後、GENUINに移籍してベートーヴェン第9番「ラズモフスキー第3」/第14番と一気に超名曲路線に転換。これが通算四枚目の録音だ。最年長のチェロ、ルーカス・ジーバーですら1989年生まれだから、全員まだ二十台! 名前のアリス(Aris)はルイス・キャロルのファンタジーのヒロイン(Alice)とは違った綴りで、第1ヴァイオリン、アンナ・カタリーナ・ヴィルダームートのファースト・ネーム冒頭の一文字(A)から始まって、ジーバーのファミリー・ネーム冒頭のSまで、四人の名前からアルファベット一文字ずつを取ったもの。アルカント、アルテミス、ベルチャ、キアロスクーロなど今をときめくクワルテットは軒並み第1ヴァイオリンが女性だが、アリスはアルテミス(プリシェペンコ時代)やベルチャのように第1ヴァイオリンが全体を引っ張ってゆくタイプではなく、すこぶる稠密な響きを誇る四楽器均等な四重奏団。もちろん技術的には非常に達者だが、シャープさを売りにする音楽作りではなく、「ラズモフスキー第3」の終楽章でもスピード競争に参戦する気はないようだ。さて、このCDだが、『死と乙女』の前に単一楽章、20分ちょっとだが、内容的にはきわめて重いショスタコーヴィチ第8番を置く充実したプログラム。どこをとっても表情の作り方が丁寧で、若さに似合わぬ老成した印象すらある。第2楽章の変奏曲なども基本テンポ遅めで、全く「大家」然としている。若いんだからもう少し暴れてもいいと思うし、彼らならではの個性はまだあまり明確に打ち出せていない感じだが、いかにもドイツ的な隙のないクワルテットだ。

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     2018/11/10

    第1ヴァイオリンのニコラ・ヴァン・カイックは1986年生まれのようだが、他の三人もほぼ同世代だろう。つまり三十台前半のフランス人男性四人によるクワルテット。皆なかなかにイケメンだ。2012年に結成、2015年にウィグモア・ホールのコンペティションに優勝してすぐにアルファ・クラシックスからデビューしている。最初の録音はモーツァルト、次がドビュッシー/ラヴェルで、これが三枚目のアルバムだ。今年の秋は三つのクワルテットによる『死と乙女』の新譜が同時に出たが(あと二つはキアロスクーロSQとアリスSQ)、響きの質としては彼らがいちばん細身でシャープに聴こえる。にもかかわらず、タメやテンポの揺らしといった、いわゆるロマンティックな表情付けを最も意識的に取り入れているのは面白い。今のところ少し「わざとらしい」感もつきまとうけれど。激烈な『死と乙女』のカップリング曲に、インティメートでナイーヴな変ホ長調D.87(シューベルト16歳の時の作品)を選んでいるのも興味深いところ。さて、メインの『死と乙女』だが、第1楽章の基本テンポは彼らが最も遅い。彼らだけが提示部の繰り返しを省いているのは遅めのテンポのせいかもしれないが、その中でかなりテンポを揺らして濃厚な表情を作る。ところが、変奏曲ゆえ、ほんらい多彩な表情を持つはずの第2楽章はやや速めで意外におとなしい。第3楽章主部なども、ちょっと四角四面な感じ。終楽章(プレスト−プレスティッシモ)は現代のクワルテットならば一気呵成に突進して、その演奏力を見せつけるところだが、ここはさすがに素晴らしい。しかも一本調子にならない。 

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     2018/11/10

    まもなく2020年、ベートーヴェン生誕250年のメモリアル・イヤーがやってくる。半世紀前、1970年を知る者にとってはこの50年でベートーヴェンの演奏スタイルがどれほど変わってしまったか、驚くほどだが、さて現代のメジャー・オーケストラはベートーヴェンをどう演奏したらいいのか。ここに聴けるのは、その見事な模範解答だ。弦は対向配置ながら16型のフル編成だが、今回はリーフレットにメンバー表があるので、管楽器はホルンを3から4に増強しただけで、それ以上の倍管、増管を行っていないことが確認できた。しかし、聴感上ではホルン、トランペットはきわめて雄弁で、まさしくピリオド・スタイルの響きのバランス。第1楽章では展開部中の不協和音箇所もかつてないほど強烈だが、コーダの名高い「トランペット脱落」部はベーレンライター新版準拠のため、全く脱落がないばかりか、このあたりから楽章末尾にかけてのトランペットとティンパニの強奏はとりわけ凄まじい。相変わらずアレグロ系楽章はテンポが速く、第1楽章は提示部反復込みで16:15だが、逆にピリオド楽器オケでは12〜3分で片付けられることが多かった第2楽章には15:11かけている。ヘ短調の第2副主題部における金管とティンパニの強調も、すこぶる表現主義的。第3楽章トリオではほんの少しテンポを落として朗々たるホルン三重奏を聴かせる。終楽章終盤のポコ・アンダンテもかなり遅く(冒頭の木管の表情が絶妙!)、巨匠指揮者時代のスタイルとHIPとのハイブリッドが実にうまくいっている。音価が中途半端で、普通にやると締まらない終楽章最後の音は強烈アクセントの短い一撃にして鮮やかに解決。
    カップリングが同じ変ホ長調、かつヒロイックなR.シュトラウスのホルン協奏曲第1番というのもグッドアイデア。

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     2018/10/14

    いかにも今のバレンボイムらしい泰然自若の印象を与える演奏だが、細部は細かく作り込まれており、全集全体としてすこぶる旗幟鮮明な方向性を感じさせる。ためしに第1番第4楽章の例の「歓喜の主題」を聴いてみてほしい。旋律線を担当するヴァイオリンはかの有名な主題を丁寧なアーティキュレーションで追うのではなく、一定の部分では故意に脱力して、いわば雑に弾いてゆく。これに対し、中低域の伴奏部はきわめて雄弁に動き、声部全体が和声の変化を克明に表出する。テンボはかなり遅く、第1番第1楽章以外、すべての楽章で前回録音より時間がかかっているが、音と音の間にエネルギーが充満している感じだったバーンスタイン/ウィーン・フィル、アポロ的な強固な構築性を感じさせたジュリーニ/ウィーン・フィルとは違って、枯淡の境地を感じさせる、やわらかな当たりの柔構造の構築物といった感じ。こういうアプローチがブラームスに合っていることは間違いないし、HIPなど無縁と思われたバレンボイムが各声部の雄弁な表出の結果、響きに調和がもたらされるというピリオド・スタイルに近いサウンドを志向しているのは興味深い。ここぞという所でのティンパニの強打なども、かつてのバレンボイムには見られなかったものだ。曲ごとに言うと両端の第1番、第4番が断然すばらしい。重苦しく鬱屈した第1番は正直言うと苦手、絶対に好んで聴きたくない曲なのだが、不思議に風通しの良いこの演奏なら繰り返し聴けそうだ。第4番冒頭はシカゴ響との録音と同じくフルトヴェングラーのコピーだが、第1楽章最後のアッチェレランドはずっと控えめで、峻厳さよりは芳醇さを優先させた印象。第3楽章は緩急の幅が大きく、遅いところでの脱力具合など音楽が止まってしまいそうだ。第3番も中間二楽章の嫋々たる美しさは買うが、終楽章はテンポが遅すぎて、音楽が弛緩している。第2番は現在のバレンボイムのアプローチには最も合わず、曲自体が凡庸に聴こえてしまう。ちなみに第1番、第2番では第1楽章の提示部反復なし、第3番のみ第1楽章の提示部反復を実行しているのは楽章相互の長さのバランスを考えたせいだろう。

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     2018/09/25

    序曲や二つの管楽器オブリガート付きアリアなど力作ナンバーもあるが、現代人としてはモーツァルトのこの作曲で数度目のおつとめとなるメタスタージオの大時代的でトロい台本におよそリアリティを感じられないのが、このオペラの難点。昨年夏のザルツブルクのセラーズ演出/クルレンツィス指揮のようにモーツァルトの他作品を大量にぶち込まないと、音楽的にも聴き応えに乏しいのは事実(幾らなんでも、あれはやり過ぎだけど)。人物たちをほぼ現代の衣装にしているグート演出は舞台をはっきりと二層に分けていて、一方はススキの繁る草原、自然あるいは子供時代のイメージであろう。もう一つは現代風の機能的だが冷たい感じのオフィスで、猜疑と欲望にまみれた大人の世界といったところ。リーフレット所収のインタビューでも演出家自身がはっきりそう語っている。この二分法を補強するように、序曲ほか要所要所では少年時代のセストとティートの映像が投影されるし、ついには子供の二人(分身)まで舞台に出てくるのではあるが、映像の中の子供たちはなぜかスリングショット(パチンコ)で鳥を撃って殺しているのだ! 野原もひどく箱庭的で私にはユートピア的な自然の表象には見えない。私の感性がヨーロッパ人のそれとは違うので、演出を深読みし過ぎている可能性もあるが、私には少年時代=単なる無垢ではないよと言っているように感じられる。全体主義国家でおなじみのマスゲームのように画一的な動きをする民衆たち(合唱)に対しても強いアイロニーが向けられているようだ。結果として2006年ザルツブルクのクーシェイ演出ほどには登場人物たちに共感することができなかったが、演出家の狙いはむしろ共感を拒む異化効果か?
    演奏自体の水準はきわめて高い。ティチアーティは現代楽器オケ(スコットランド室内管)でもブラームスに至るまでHIP的センスにあふれた好演を披露しているが、ここではピリオド楽器オケを率いて、尖鋭かつみずみずしいモーツァルトを聴かせてくれる。歌手陣ではセスト役のステファニーが抜群。当分、ズボン役で世界の歌劇場を席巻するのではないか。クート(ヴィテッリア)のドスの効いた悪女ぶりもなかなかだし、渋いおじさんになった(20年前のグラインドボーンでは素敵なペレアスだったけど)クロフトのティートも悪くない。葛藤の末に誰も彼も許してしまうというよりは、最後はヤケになっているようにしか見えないが。

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     2018/09/16

    コーミッシェ・オーパー来日公演の『魔笛』はもちろん面白かったが、あれは普通の『魔笛』を見飽きた、すれっからしファンのための舞台。『魔笛』ってこういうオペラだと思われては困ると感じたが、こちらは文句なしに素晴らしい。腑抜け演出、勘違い演出揃いの近年のバイロイトでは随一の名舞台。幕が上がる前に紗幕にえらく詳しい(詳しすぎて厭味な)状況説明が文字で表示される。それによれば第1幕の舞台は1875年のヴァーンフリート。ここに集う実在の人々がそのままオペラの登場人物になってゆく。すなわちワーグナー→ハンス・ザックス、リスト→ポーグナー、その娘コージマ→エーファ、ユダヤ人指揮者ヘルマン・レヴィ→ベックメッサー、ピアノから出てきた若いワーグナー→ヴァルター、もう少し若いワーグナー→ダヴィッド、ワーグナー家の女中→マグダレーナ。ヘアハイム演出と似た趣向だが、違うところもある。冒頭の礼拝シーンからユダヤ教徒のレヴィは一人だけ浮いているし、ワーグナーから強引にベックメッサー役を押しつけられる。ユダヤ人=ベックメッサー問題をここバイロイトで正面から問おうというわけだ。第2幕の乱闘シーンではベックメッサーは文字通り袋叩きにされ、いかにもユダヤ人といった風の戯画化されたかぶりものを被せられたあげく、同じ形の巨大なベックメッサー風船が膨らみ、萎んで頭の上の六芒星(ユダヤ人の象徴)が見えるようになったところで幕切れ。第3幕の舞台は第1幕の終わりでチラ見せしておいたニュルンベルク裁判の会場。マイスター達が入場してくるたびに拍手が起こるのだが、ベックメッサーに対してだけは誰も拍手しない。この演出の良いところは、このような問題提起の苛烈さだけではない。音楽と各人物の振る舞いとの間に齟齬がない(もちろん指揮者も演出に合わせているのではあるが)。音楽だけでは途中、寝るしかないほど退屈な所のある第1幕を、ヴァルターに一目惚れしたおネエ風のマイスターの一人が彼にすり寄るといった小ネタも含めて、最後まで飽かせず見せてしまうのは大した才能。問題意識は買うが、どうもチグハグな所のあった一代前のカタリーナ・ワーグナー演出と比べると、プロと素人の違いを見せつける。全曲最後のザックスの国粋主義的大演説では彼以外の全員が退場。ザックス=ワーグナーは一人舞台の戦争裁判会場で自己弁護の演説をぶったあげく、舞台上のオケ(楽器は弾かずに歌っている)と合唱団を指揮してと大奮闘なのだが、私にとってこのエンディングはかつてないほど痛烈なパロディとしか受け取れない。ところが、地元ドイツの批評家たちは必ずしもそう解していないようなのだ。日本から見に行った批評家センセイに至っては「『マイスタージンガー/ドイツの芸術』を正面から弁護した」と書く始末。やれやれ。
    ジョルダンの指揮は足どり軽く、ピリオド・スタイルのモーツァルトのように金管やティンパニの響きを際立たせ、対位法的な音楽の構造を浮き彫りにして見せる。これもヘアハイム版でのガッティの指揮と同じ志向だが、ザルツブルクでウィーン・フィルを振っていたあちらと比べると、こういう音楽作りには不向きなバイロイトのピットでの指揮。それでもここまでやり遂げてしまうのはご立派だ。歌手陣は相変わらず文句のつけようのないフォレの題名役以下、ほぼ完璧な布陣。ただ一人、コージマとしては申し分ないシュヴァーネヴィルムスがエーファとしては見た目、老けすぎなのが惜しい。

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     2018/09/15

    『悲愴』の音盤では昨年、クルレンツィス指揮のものが話題を独占したが、個性的という点ではこの演奏もクルレンツィス盤にひけをとらない。2007年のヴッパータール響とのライヴに似た解釈もあるが、あらゆる点でさらに個性的だ。ただし、他の指揮者と違うことをやろうという表現意欲が聴衆の心を揺さぶる演奏に結びついたかというと、やや疑問。同じチャイコフスキーでもこの4ヶ月後、今年7月のリクエスト・コンサートで演奏した第5番の方が上であったように思う。テンポは概して速めだが、特にアダージョやアンダンテの部分(第1楽章序奏、第2主題、終楽章)が速く、その点ではクルレンツィス以上にHIP的だ。もっとも、速いといっても断じてそっけないわけではなく、速いテンポの中に情感を込めるという難しいことをやろうとしている。つややかに歌う第1楽章第2主題などはその見事な成功例。展開部前のバスクラリネットによるppppppがずいぶん強く、はっきり聴かせようとするのも、これまでのルーティンに対するアンチテーゼか。展開部はやや抑え目に始めて、再現部に入ってから大いに盛り上げるが、トロンボーンの強奏による大クライマックスでたいていの指揮者がリタルダンドするのに対し、上岡は逆に加速するのが面白い。第3楽章では大太鼓の強打でおどろおどろしさを演出するが、いつもの上岡ならアッチェレランドするはずの末尾はわずかに加速するのみ。その後、ほぼアタッカで終楽章に突入するのは実演通り。終楽章では第2主題急迫後の大きなパウゼとその後の表情が全く個性的。普通の指揮者なら、まさしく号泣するように弾かせる箇所なのだが。第1主題の再現ではホルンのゲシュトップ音が非常に強い(これはクルレンツィスも盛大にやっているが)。個性的な指揮にぴったり追随する新日フィルには相変わらず感心させられるが、さすがにこういう曲になるともう少し響きの洗練が欲しい。

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     2018/09/05

    ホモキ演出、ルイージ指揮というオペラ並みの強力布陣を敷いているが、きわめて特異な形での上演。ナンバーの間をつなぐ台詞が必要最小限に切り詰められており、たとえばオリジナルの第1幕に相当する部分(この上演では全体の真ん中ほどで一度、休憩があるだけで、オリジナルの第2〜3幕は通して演じられる)では合唱を除けば、リーザ、スー・チョン、グスタフの三人しか登場せず、リーザの父以下、台詞だけの人物はすべてカットされている。ミーとグスタフのコメディ・リリーフ組も歌はちゃんとあるが、台詞がほとんどないため存在感薄く、リーザとスー・チョンの悲恋物語に徹底して焦点が絞られている。舞台装置はシックだが、ごく簡素なもので「白銀の時代」を表象するのか、ブルー系の照明で舞台が一貫してかなり暗いのも特徴。場面転換のため幕を閉め、幕の前で展開するシーンもかなり多い。中国の場面ではそれなりの衣装の人々も登場するが、王子はズボン、ワイシャツに金色のガウン(改作前の題名『黄色の上着』にちなむと思われる)を羽織っただけ。百年前の作品とはいえ、ここでの中国の描き方は人種・女性差別的でもあるので、オリエンタリズム的な見方を避けたいという意図での台詞カットでもあろう。曲順の変更も多く、リーザが「ウィーンに帰りたい」と歌う望郷の歌の直後に何の台詞も挟まず、かの名曲「君はわが心のすべて」が始まる劇的な効果など面白いが、このアリアの直後、同じメロディーがオーケストラで流れる間に全く台詞なしのパントマイムで二人の心情を表現しようとするあたり、この演出のハイライトだろう。最後も台詞がないため王宮から逃げるという話にはならず、スー・チョンは平和裡にリーザを去らせる。
    なかなか考えられた演出ではあるが、甘く、この時期にはワンパターン化しているレハール・メロディを立て続けに聴かされることになるので、やや食傷気味になるのも事実。今やローエングリンまで歌うベチャワだが、端正な歌は「常に微笑みをもって」感情をあらわにしない王子様にぴったり。クライターも単に美しいだけでなく、この演出では王子様に平手打ちを喰わせるといった思い切ったアクションもある強い女性を好演。

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