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ココパナ さんのレビュー一覧 

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     2021/07/09

    ギーレンは、1988年から2003年にかけて、南西ドイツ放送響とマーラーの交響曲全集を録音したが、「大地の歌」は全集のBox-setに組み込まれなかった。しかし、全集録音の間に、「大地の歌」についても収録が行われており、それが当盤ということになる。ところで、当盤には一つ、他にはない特徴がある。「大地の歌」は全6楽章からなり、男声歌唱による第1、第3、第5楽章と、女声歌唱による第2、第4、第6楽章が交互に配列しているのだが、当盤では前者を1992年、後者2002年に録音しているのだ。じつに10年のインターバルを設けて一つの交響曲が録音されている。ちなみに当盤がリリースされたのは、さらに月日を費やした2009年である。この背景に何があったのか、わからないが、起用歌手の問題というのが考えられる。当初は女声にソプラノのゾッフェルが起用されるとの案もあったらしい。最終的に、当録音は、メゾソプラノにコルネリア・カリッシュ、テノールにジークフリート・イェルザレムを配して録音された。とはいえ、カリッシュは、ギーレンのマーラーの全集において、1996年録音の第2番、1997年録音の第3番でもソリストとして起用されていたくらいだから、いずれにしても2002年まで録音がずれこんだ理由とはなりにくい。いずれにしても、私たちは成果物であるメディアを通して、録音を聴くのみである。この「大地の歌」で、ギーレンは、他の交響曲と同様の手法で音楽を作っている。すなわち、きわめて精緻で、ロマン派以後の音楽~新ウィーン楽派の肌合いに通じる繊細な音響の構築である。一つ一つの微細な音符を拾いつくし、モザイク画のようにして、全体を浮かび上がらせる。歌手たちも、歌曲として朗々と歌い尽くすスタイルではなく、一種のリミッタの存在の中で、細やかに歌唱を行っているという印象。そのため、例えば第2楽章はふきすさぶ風の中を進むような音楽に思えるし、第6楽章での強奏は、全体的な音圧と言うより、より内省的な強靭さを導く様な表現になっている。二人の歌手もギーレンのスタイルに合致し、明晰な印象を保つ歌唱。この曲は、演奏によっては濃厚な不安感(生きることの心細さ)が宿るのであるが、本演奏は、そのようなエモーショナルなものより、現代的で感覚的に押し通したような感触がある。人によっては物足りなさを感じさせるかもしれないが、聴きやすく、特に管弦楽の構造を把握する見通しの良さという点で、特徴のある録音となっている。

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     2021/07/08

    Hyperionがシリーズ化している「知られざるロマン派のヴァイオリン協奏曲」を紹介する企画の第7弾で、チャイコフスキーの影響を強く受けた2人の作曲家による知られざる佳品が収録されている。いずれも魅力的な作品。アレンスキー、タネーエフは同時代の作曲家であるが、連綿たるロマンティシズムを訴えるアレンスキー、論理的な音楽様式を探求したタネーエフ、とその作風を根元から分けることができる。ここに収録された2曲でも、その傾向ははっきりと出ている。アレンスキーの協奏曲は、連続する4つの楽章からなる20分程度の楽曲だが、冒頭から提示されるいかにもメランコリックな主題が、楽曲全体の雰囲気を覆っている。一方で、タネーエフの楽曲は、5つの楽章からなる、演奏時間が40分をはるかに超える大作だ。プレリュードから始まり、最後がジーグを思わせるタランテラというのは、バロックへのオマージュと考えられるだろう。技巧的な変奏曲形式の部分もあり、とにかく多彩だ。グリンゴルツは、濃厚な表情を与えながら、これらの楽曲に豊かな陰影をもたらしている。アレンスキーの楽曲では、緩徐部分のタメの効いた表現に、いかにもロシア的な詩情の描写がある。終楽章の回想も、郷愁豊かで、暖かな感興があり、この楽曲にふさわしい。中間部で挿入されるワルツの活き活きとした表現も魅力的だ。タネーエフの楽曲では、冒頭の力の入った導入がきれいに決まっている。ガヴォットの典雅な表現も魅力的だが、特に第4楽章に相当する変奏曲部分における描写的と呼びたい主張は、性格的な描き分けを明瞭にしており、わかりやすいだろう。終楽章では管弦楽とともに華やかな盛り上がりがあり、なかなか楽しい。タネーエフの佳品には、Ondineレーベルからリリースされているペッカ・クーシストとアシュケナージによる2000年の録音があって、それがきわめて優れたものであるため、当該曲の代表録音としてはそちらを推したいが、当盤もそれに匹敵する内容。加えて、当盤は同時代のアレンスキーの作品と併せて楽しめるので、アイテムとしての価値は十分に高い。

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     2021/07/08

    フランスのカウンターテナー、フィリップ・ジャルスキーによるポール・ヴェルレーヌの詩に基づいて作曲されたフランス歌曲集。ヴェルレーヌは、言うまでもなくデカダンと象徴主義を体現した偉大な詩人で、多くの作曲家がその詩に啓発されて作曲活動を行った。その詩はアーンが指摘するように、特有の抽象性と官能性を伴ったもので、そのことが音楽に一層の力を与えた。ジャルスキーのようなカウンターテナーがこれらの作品を録音することは少ない。彼らの領域は、本来はバロック期の教会音楽、それにカウンターテナーの歌唱を前提とした一部の近現代音楽であろう。当盤に収録された歌曲も、カウンターテナーの歌唱を前提とはしない作品。しかし、ジャルスキーは、その声質を活かし、シャブリエ、ドビュッシーから近代シャンソンまで、非常に面白いニュアンスに富む演奏を繰り広げた。ジャルスキーの声は、これらの歌曲の歌唱においては、独特の繊細さを感じさせる。限定的な歌唱法は、フランス語特有の母音の扱いを踏まえて、不思議な色合いを讃える。それは蓄音機から流れてくるようなノスタルジックな情感であったり、ゾクッとするような官能的な感覚であったりする。冒頭のレオ・フェレの「感傷的な会話」から、新しいフランス歌曲の味わいが拓けたような、新鮮さと、声質がもたらす感傷が入り混じった色調が印象的。そして、しばしば加えられるエベーヌ・カルテットによる弦の響きが、絶妙の効果をもたらす。デュクロのピアノもうまい。出過ぎることはなく、しかし、行間の情をほのかに引き出す高貴さに溢れている。例えば、ヴァレーズの一品のピアノの音色に注意深く聴き入って欲しい。曲も美しいものばかり。中でも私が好きなのはアーン「空は、屋根のうえで(牢獄)」である。ヴェルレーヌが、ランボーに発砲し負傷させたことで、収監された牢獄の中で綴った詩である。ヴェルレーヌ29歳の時の迷いと嘆きが淡く綴られる詩に、アーンは透明でさりげない旋律を与えた。私が昔よく聴いたのは、カミーユ・モラーヌの名演であったが、ジャルスキーの歌唱はまったく新しい、天から牢獄にいるヴェルレーヌに語りかけるように響く。

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     2021/07/08

    パデレフスキはピアニスト、楽譜校訂者として名を馳せたが、作曲家であり、政治家でもあった。まさに多彩な人物で、周囲の列強国の占領下にあったポーランドの独立のために熱血的に活躍し、1919年に独立をかちとった際には首相と外務大臣を兼務した。しかし、彼の「作曲家」としての評価は、名声を勝ち得たとまでは言えない。政治活動、そしてピアニストとしての高名ぶりの影にあって、その作品が脚光をあびることは少ないと言える。当盤のように、1枚すべてパデレフスキというアルバムは多くない。しかし、当盤は、優れた演奏者によって奏でられるパデレフスキの音楽が、なかなかに魅力的であることを教えてくれる。比較的有名な曲はメヌエットであるが、全般に肌触りの優しいサロン風の作風で、パデレフスキの政治家としての情熱的な振る舞いとは一線を画した雰囲気である。冒頭のメロディから、ショパンの夜想曲を思わせる甘美さがある。また、パデレフスキの作風には、劇的な要素は少なく、とくに悲劇的なものはほとんど感じないと言って良い。冒頭曲のショパンの夜想曲第4番の両端部を思わせる付点で上昇する音型、これに似た音型が他の曲でもしばしば登場し、立て続けに聴くと、曲間の個性差が少なく感じられるのは致し方ない。しかし、ダン・タイ・ソンは、これらの曲想を美しく響かせる。2曲目の夜想曲の3連符に込められた情感にもゾクゾクするものがあるし、メヌエットではさすがにリズムの伸縮の演出が手慣れたもので、この佳曲を華麗に響かせる。ポロネーズはショパンの楽曲のように特徴的なリズムを刻むものではないが、洗練された情緒の表出があって、楽しく聴かせてくれる。最大の聴きモノはやはりピアノ協奏曲で、アシュケナージとフィルハーモニア管弦楽団という強力なバックを得て、華麗にたちまわるピアノが美しい。第1楽章の終結部はこの作曲家の作品には珍しく力強い帰結。中間楽章の夢見るような進行との対比もきれいに決まる。ダン・タイ・ソンのピアノは曲の甘美さを、巧みに芸術的に響かせる。さすがの手腕と言うところ。パデレフスキの作品は、このような演奏で聴いてこそだろう。作曲家パデレフスキの真価を伝えてくれる見事なアルバム。

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     2021/07/08

    2004年にCD8枚からなるスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)のピアノ独奏曲全集を録音したスウェーデンのピアニスト、マリア・レットベリ(Maria Lettberg 1970-)が、スクリャービンの没後100年となる2015年を記念してリリースした企画盤。収録された作品のうち、冒頭曲は、レットベリの意向に基づいて、ロシアの作曲家、パヴチンスキがあらたにピアノ編曲を手掛けたものだが、その他の作品は、スクリャービンに深く傾倒するレットベリ自身によって、スクリャービン作品との関係性から、本アルバムに取り上げられたもの。当盤は輸入盤なのだが、ありがたいことに、ブックレットに収録されているレットベリのインタビューには日本語訳も添付してあるため、これらの作品の背景について容易に知ることが出来る。それによると、ドイツの作曲家バンターは、ヘンツェに師事し、ボーダレス的な音楽活動を行っている人物で、スクリャービンの象徴的なアイデアを、自作に取り込んだ作品を手掛けている人物とのこと。また、同じドイツの作曲家ケルケルは、メシアンの弟子で、スクリャービンの未完の大作「神秘劇」の序幕のスケッチを研究し、これの編作を試みた人物とのこと。ちなみに、その「神秘劇」の序幕」部分は、ネムティンにより総譜が補筆完成され、アシュケナージ指揮で録音されたものがある。また、メシアン、リストの作品には、それぞれスクリャービン的な効果が含まれている楽曲を選んだらしい。私は、当盤を聴きながら、その曲目リストを眺め、リットベリのインタビューを読んでいると、2011年にフランスのピアニスト、エマールが録音した「ザ・リスト・プロジェクト」というアルバムのことを思い出した。それはリスト作品と、その影響を受けた作曲家の作品を交互のペアで弾くというスタイルで、エマールは冒頭にリストの「悲しみのゴンドラ」を弾き、6曲目にスクリャービンのピアノ・ソナタの第9番を弾いていた。いま、そのアルバムを引っ張り出してみると、その前後は、リストの凶星!とロ短調ソナタになっている。レットベリはリストの後期の作品に、スクリャービンを思わせる音色が多く使用されていることに言及していて、それはエマールの意図と重なるところがあるのかもしれない。また、当盤を通して聴いてみると、メシアンの「父のまなざし」と、リストの「悲しみのゴンドラ第2番」にも、とても似通った雰囲気が流れていることにも気づかされる。そのようなわけで、曲目だけでも十二分に興味深いアルバムなのだが、演奏もなかなか魅力的だ。レットベリの演奏は、リズムにそれほど厳格な感じはしないが、やや丸みをもった音色が雰囲気豊かで、これらの楽曲の表情にとてもよく合致している。「法悦の詩」は、編曲も健闘していて、原曲の面白みを精一杯鍵盤上で復元している。もちろん、この曲の場合、音色や感情表現の豊かさという点において、オーケストラの音色は必須なものだ、と私は思うのだけれど、それでもピアノでもここまで出来るというのは、立派な試み。他の楽曲も、リットベリの前述のスタイルが、よりスクリャービンを思わせる味わいに近づけていて、互いの曲の位置関係を接近させ、アルバムの目論みを成功に導いた感がある。とにかく、バンター、ケルケルの初めて聴いた作品は、私には面白く、スクリャービンの影響力を改めて思い知った。

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     2021/07/08

    ベクテレフはスクリャービンという作曲家にたいへん愛着があるそうで、レコード会社からレコーディングの企画について相談を受けたときに、何よりも強く希望したのがスクリャービンだったそうである。スクリャービンのアルバムというのはどれくらい売れるのだろうか?私は大好きなのだけれど。当盤には、スクリャービンが「即興曲」と銘打った作品がすべて収録されている。そこにさらに何曲か加えて出来上がったのがこのアルバム。収録曲を改めてご覧いただくとわかるように、スクリャービンが「即興曲」というジャンルで作品を書いたのは若いころに限られている。(ちなみにスクリャービンでいちばん大きい作品番号が74)。op.14の「2つの即興曲」を書いたのが1895年(スクリャービン23歳)のときで、以後彼は、自身の作品に「即興曲」という名前を与えることはなかった。それで、このアルバムにはスクリャービンの若いころの作品が集められたことになるのだが、しかし、スクリャービンという作曲家の作品は、若いころの作品だからといって、作品に未熟性や習作的要素が指摘できるわけでもなく、むしろ独自の様式性という点での早くからの完成度には目を見張るものがあるのである。この収録曲の中では、わけてもop.12-2の変ロ短調とポロネーズの2曲が大傑作だ。いずれもスケールの大きい楽想で、その処理の多彩さ、音色のニュアンスの豊かさに秀でている。op.12-2の即興曲は、旋律がうねりながらエネルギーを蓄え飽和していく様がいかにもスクリャービンであり、曲が進むにつれて内包しきれなくなった情熱が溢れかえるような魔術的な演奏効果を見せつける。ポロネーズも面白い。この曲があまり演奏されないのはもったいない。もちろん、ショパンの影響を受けて書いたには違いないのだが、スクリャービンのポロネーズはより複層的で、リズムも一様ではなく、その揺らぎの中で様々な情感を宿していくのが素晴らしい。旋律もスクリャービンでなければ想起しえないような独創性に満ちている。ベクテレフの確信に満ちた輝かしいアプローチももちろん見事。スクリャービンの音楽の持つ「深み」をじっくり炒り込んだような熟成感を醸し出している。濃厚な瞬間に満ちていて、いつのまにか音楽の世界に弾きこまれていく。聴いてみて、楽曲の面白さ、スクリャービンの凄さ、ベクテレフの見事さに納得させられる一枚。

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     2021/07/08

    このピアニストは、コンクール出身の若手らしく、びっくりするくらい難度の高い楽曲をスラスラと弾いてしまうのだけれど、それだけではなく、音楽的な含みや豊かなニュアンス、詩情を湛えている点が特筆できる。それだけに、どの曲も「弾き飛ばし」にはならず、聴き手は「この作曲家のこの作品を聴いたのだ」という実感を受け止めることになる。今回の収録曲の中で、私が特に素晴らしいと感じたのは、冒頭に収録されているラフマニノフの「楽興の時」だ。ピアニストがヴィルトゥオジティを存分に発揮できる名作であるが、ガヴリリュクは心憎いまでの余裕のある歌いまわしで、こぼれるような情緒を含ませる。第1曲の憂いの表現も見事ながら、第2曲、第3曲の圧巻の技巧を背景にした微細なコントロールが圧巻の聴きモノで、左手の細やかで早いパッセージを、まるで肌触り抜群の布地のように操る様は、ピアニズムの極致といった感がある。スクリャービンのピアノソナタの中でも、第5番という不思議で神秘的な作品が選ばれているのも、このピアニストらしいと思う。美麗なソノリティを味わうことができる。プロコフィエフの高名なソナタも、内容の豊かな演奏で、スポーティーな迫力だけでなく、第2楽章の甘美な主題の扱いなどもこのピアニストの奥深さを見せ付けるものだと思う。末尾のヴォカリーズは、コチシュのロマンティックな名編曲ぶりと合わせて楽しみたい。特に最後の1分ちょっとの星がきらめくような瞬間が忘れ難いだろう。

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     2021/07/08

    当アイテムには、DVDが附属しており、ボファールがたびたびピアノを弾いたり、スコアを参照したりしながら、シェーンベルクの作品について語っている。演奏自体、とても優れたものだが、DVDに収録された映像特典はさらに面白かった。ボファールはフランス語で語っているが、英語字幕が用意されていて、比較的平易な英語で読めるのがありがたい。その映像作品の中で、ボファールは、シェーンベルクが十二音技法を編み出す過程で生み出されたピアノ曲たちが、どのような構造をもち、どのような過去の大家たちの影響を内包しているのか、時に具体例を挙げながら示している。組曲におけるバッハのアナグラムを思わせる音型と、その舞曲様式の影響、5つのピアノ曲における印象派的な音色、さらに、ブラームスやリストの作品と共通する隠れたフレーズの指摘。これらが非常に興味深い解釈で語られる。また、シェーンベルクのピアノ独奏曲が、いくつかのパーツが同時に進行することで生み出すまったく新しい美観を持っていたことや、シェーンベルク自身の自画像に関するボファールの所感なども述べられていて、このアイテムの付加価値というにとどまらない内容となっている。と、それだけで、十分に魅力的なアルバムなのであるが、演奏自体も素晴らしい。正確な音価と、前述の背景を踏まえた細やかな強弱の配慮が行き届き、全般に明晰でありながら、不思議な情感が漂っている。もちろん、聴いていて分かりやすい音楽ではないし、そもそも作品が苦手という人には勧められないが、録音の品質も含めて、古今含めた当該曲集の録音として最高の部類に属するものであることは、ほぼ間違いない。なお、末尾に珍しいシェーンベルクの初期作品が含まれている。こちらはロマン派の風情をたたえた佳品であり、ボファールの丁寧なピアノで聴けることはありがたい。

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     2021/07/08

    ラファウ・ブレハッチによる、初の室内楽アルバム。協演者は、2015年チャイコフスキー国際コンクールで5位入賞を果たした韓国のヴァイオリニスト、キム・ボムソリ。キム・ボムソリのヴァイオリンを聴くのは、当盤が初めてだが、とても素直な音楽性を感じる演奏。ヴィブラートはやや控えめで、楽曲の影響もあるだろうけれど、ダイナミックレンジの大きさも感じないが、むしろ安定した音量で、暖かみのあるサウンドを引き出すスタイルは、聴き易い柔らか味をもたらす。楽想の弾きこなしも、感情の激しい移り変わりより、音楽的な脈絡を大事にした整いがあって、それが私には彼女のスタイルに感じられる。ブレハッチのピアノも聴きモノだ。室内楽録音が初めてとはいえ、様々なキャリアを積んだ人だから、そこは心配無用。絶妙の節度を感じるバランスが保たれている。フォーレの冒頭部分の輝かしさ、それに続くヴァイオリンの導入との呼吸の整いの美しさも、当たり前と言えば当たり前なのだろうけれど、やはり良い。ドビュッシーは、キム・ボムソリのスタイルとあいまって、やや抑制的に響く演奏であるが、ピアノの細やかな陰影は、演奏が凡庸になることを巧妙に避けている。シマノフスキのヴァイオリン・ソナタが収録されたのは嬉しい。このアルバム、楽曲構成が良いこともあって、繰り返し聴いてもまったく飽きが来ないのだが、その効果には、シマノフスキのヴァイオリン・ソナタの存在が、大いに貢献している感がある。シマノフスキのヴァイオリンとピアノのための楽曲としては、「神話」が有名で録音も多いのだが、このヴァイオリン・ソナタは、ロマン派の残り香と、作曲者特有の語法が合わさった魅力的な作品。特に第2楽章のミステリアスな耽美性を私は好むが、録音数が少なく寂しい思いがあった。そのようなわけだから、当盤の登場は、一気に不足を補ってくれた感がある。この曲でもブレハッチの伸縮自在といったピアノのしなやかさが、楽曲の魅力を掘り下げているだろう。末尾にショパンの甘美な夜想曲を編曲した1編が置かれる。こちらも落ち着きを感じる優しい演奏で、当アルバムの締めくくりに相応しい。

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     2021/07/08

    海流、告別の歌、日没の歌 ヒコックス&ボーンマス響、ターフェル  ディーリアス(1862-1934)

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     2021/07/08

    このディスクの第5番の第1楽章を聴いていて、思わず「これはいい」と呟いてしまった。田園的な情緒、牧歌的に移ろう時間、そしてときに勢いを持って奏でられる情緒の清々しいこと。なんと清冽な音楽だろう。この録音を聴いていると、元来のオーケストラ曲とはまた違ったよりクリアな抒情性が得られていると感じる。それは、もちろんピアノという楽器のもつ音響そのものの効果というのもあるのだけれど、加えて編曲が優れていること、そしてピアニストがその編曲の長所を的確に引き出していることがある。編曲に際しては、ピアノ譜的に音の密度を濃くしたりせず、原曲が淡い雰囲気を持つ個所では、淡々とシンプルに、かつ必要なものが十全に備わった、見事なパフォーマンスとして完成されている。これは、聴きモノだ!第2楽章、第3楽章は、まるで北国の夏、ゆるやかに動く雲によって描かれる光の自然美を感じさせるような、情景的な風情が漂っていて、夢中で聴いた。第2番も素晴らしい。ことに第1楽章は、まるで最初からピアノのために書かれた音楽であるかのように、凛々しく、十分な恰幅を持ち合わせ、運動的な心地よさも堪能させてくれる。第2楽章は、むしろオーケストラ曲より時の流れを早く感じるほどのなめらかさがあり、それでいてシベリウスらしい和音、響きの繋がりが瑞々しく響く。第3楽章と第4楽章は、ピアノで弾いた場合、少し単調に聴こえる部分がないことはないけれど、シーグフリードソンは存分に起伏を持ってアプローチしている。フィナーレに向けた盛り上がりも、適度な白熱を帯び、ピアノという楽器の能力を全開まで高めた編曲であり、演奏であると納得させられる。「編曲モノにはあまり縁がない」という音楽フアンでも、シベリウスの音楽が好きならば、「編曲」というカテゴリに惑わされることなく、いつのまにか没頭させてくれるのではないか。それほど「よく出来た」芸術が示されているディスク。

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     2021/07/08

    たいへん魅力的なアルバムに仕上がっている。ピエルネは、マスネとフランクに師事した人で、その作風はマスネ的な甘美さ、フランク的な高貴な構成力の双方を併せ持つことで、その作風には印象派的な側面とロマン派的な側面の両方がある。2つの管弦楽曲は、ともに第1次世界大戦の影響下に書かれたとされる。3つの楽章からなる「フランシスコ会の風景」は、デンマークの詩人イエンス・ヨルゲンセンの作品に触発されたとされる。ピエルネの特徴が良く出た美品で、第2楽章のフルートとハープの掛け合いは印象派的、第3楽章は絢爛さが花開く。「大聖堂」は深刻な作品。大きく弧を描くように楽曲が起伏し、崇高な雰囲気を導いたのち、小太鼓が力強いリズムを刻むのは暗示的で、戦争の影響と言われれば、確かに説得力がある。ピエルネの作品群の中でも特徴的なものと言える。スケルツ=カプリスでは、ピアノが加わり一転して楽しげで瀟洒な世界となる。バヴゼのきらめくようなタッチと瞬発力のあるリズムが素晴らしい。ピアノが重要な役割を果たす「交響詩」が続く。ピアノが活躍する交響詩、と言うと、ピエルネの師であるフランクの「ジン」を思い起こすが、ピエルネの「交響詩」も「ジン」同様に重々しい相貌を持っている。優雅な作品が続いたあと、バヴゼの独奏で素早いパッセージの交錯による華やかさが魅力的な練習曲で締めくくられる。ノセダの後を継いで、BBCフィルの首席指揮者となったメナであるが、ピエルネの作品へ見事な適性を示している。印象派的な音色と構成感に溢れた音色をいずれも豊かな色彩感で描き出し、かつそれらが交錯する際には、機敏に反応する。指揮棒に反応してオーケストラが色彩を変える様は、雲間から光が差し、海面が色を変えるような美しさである。バヴゼの素晴らしいピアノと併せて、現代最高と言ってよいピエルネを堪能させてくれる。

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     2021/07/08

    パヴェル・ハース弦楽四重奏団は、私が現代最高と考える弦楽四重奏団の一つ。本アルバムは、彼らがはじめて録音したドイツ・オーストリア系の音楽である。弦楽五重奏曲では、ドイツ生まれの日系ドイツ人チェロ奏者、石坂団十郎(1979-)が加わる。なお、この録音に前もって、パヴェル・ハース弦楽四重奏団はメンバーの変更を行っており、第2ヴァイオリン奏者がエヴァ・カロヴァから、マレク・ツヴァイベルに交代している。とはいえ、パヴェル・ハースのスリリングで熱血的な味わいは維持されている。弦楽四重奏曲第14番は普通の落ち着いたテンポで開始されるが、この楽曲に込められた情緒的な箇所に差し掛かっても、彼らは情感のためテンポを安易に緩めることはなく、つねに高いテンションを維持し、拘束感のある引き締まった運動を行う。そのため、このロマン派の傑作といえる室内楽は、予期しないほどの古典的な端正さを保つ。しかし、その一方で、隙のないアンサンブルが、細やかなアクセントを見事なタイミングで繰り出すため、音楽を聴いているものは、グングンと音楽の内奥の世界に引き込まれていく。第2楽章の有名な変奏曲も、同様のスタイルで、常に客観的で鋭利な視点を保ちながら、的確にリズム感を高め、音楽の求心力を生み出していく。そのため、この楽章の後半は、突き詰めたような緊張感に満ち、特有の荘厳な気配を引き出している。スケルツォとフィナーレも「クールだけど熱い」彼らの音楽が全開し、清々しく情熱的だ。この通常ならば相反しかねない異なる要素を、同時に高い次元で表現できるところが、彼らの最大の特徴に思う。弦楽五重奏曲も素晴らしい。直截で、線的なソノリティを堪能させてくれる演奏だ。長大な第1楽章も、真摯に、かつ切り込みの深い音で、相剋を刻むように音楽を作り上げている。リアリスティックで、室内楽の緊密さを感じさせる仕上がり。とはいっても、流れる音楽は豊饒で、弦の鳴りの立派さ、音の大きさも申し分ない。第2ヴァイオリンとヴィオラによる内声の肉付けも十分な質感があり、シャープでありながら、この大曲を奏でるのに必要な音の重さも兼ね備えている。やはり、この楽団はタダモノではない。

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     2021/07/08

    アーノルド・バックスは20世紀初頭の英国国民主義音楽の潮流にあってアイルランド民謡を研究、それにもとづく作品を多数残した。ドイツ・オーストリア圏のロマン派音楽の地盤の上に、同時代の潮流であった印象派などの現代的要素をくわえることで、北欧風に近い独自の作風を確立した。同時代の英国作曲家と比較すると、バックスの作風はこれらの交響曲群にみられるようにやや複雑で晦渋な雰囲気を持っていたが、「ファンドの庭」「ティンタジェル」などの極めて美麗な交響詩を書くことで、世界的な名声も得た。ヴァーノン・ハンドリーはイギリス音楽のスペシャリスト。この全集は2004年グラモフォン賞のオーケストラ部門でぶっちぎりの1位を獲得したもの。交響曲第1番 はマーラーにケルト的抒情を加味したような作品。打楽器の効果的な使い方が目を引く。ドラマティックでスケールの大きな交響曲。 交響曲第2番はバックス自身が「抑制された破局的なムードを持つ」と語った憂いを帯びた作品。 交響曲第3番は彼の恋愛体験が反映されたと思われる。穏やかで神秘的。作品的には一番人気がある。 交響曲第4番はスクリャービンや民族風の要素をもち、バックスらしい重厚なロマンに彩られた作品。 交響曲第5番はシベリウスの影響が強い、渋くてクールな作品。ただ第2楽章はスケールの大きさを感じさせてくれる。交響曲第6番はバックスの最高傑作とされる。勇壮で、重厚。華麗で緻密なオーケストレーションが彼の充実した楽想を思う存分響かせる。交響曲第7番は彼が最後に残した交響曲。やや難解。複雑な構成と、高度な技術で作られている。アメリカ国民に献呈された。ハンドリーは、繊細で、ときに霧が立ち込めるような雰囲気を演出しながら、時に勇壮な響きを交えて、相応のスケール感によりこれらの作品を描いている。交響詩「ティンタジェル」が併録されているところも、アイテムとしての価値を高めている。

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     2021/07/08

    アイヴズは1997年ドイツ・クロイトでの、ヴェーベルンとベルクは1999年モスクワでのライヴ音源で、それなりにノイズも入っている。別の機会の音源とはいえ、アイヴズと新ウィーン楽派の組み合わせというのは珍しい。これらの作品を作曲年代順に並べると、ベルクのピアノ・ソナタが1908年、アイヴズのピアノ・ソナタが1915年、ヴェーベルンのピアノのための変奏曲が1936年というわけで、いずれの楽曲も20世紀前半に書かれたものであるが、アイヴズの作品は、他の2作品と比べると、楽曲の規模が大きく、表現性も濃厚なものがあって、かなりテイストの異なるものだろう。ただ、このアルバムを聴いていて、私には、(意外にも)そこまで違和感がなかった。確かに、アイヴズの後のヴェーベルンは、世界が一変したような感じもするのだが、リュビモフは、アイヴズとベルクの両曲を情熱的なタッチで奏でていて、ヴェーベルンを挟んだ対抗構造的にアルバムを楽しむことが出来た。リュビモフのピアノは木目調の暖かさがあって、それがヴェーベルンやベルクの作品の無調的性格を中和し、比較的マイルドな味わいになっている。アイヴズでも同様で、ロマンティックで、旋律のカンタービレも豊かに表現される。その結果、これらの3作品が、まとまりよく、聴き手に届けらる感じ。アイヴズの長大なピアノ・ソナタを、リュビモフは感情的な起伏を豊かに表現する。メロディアスな第2楽章で、その特徴は明瞭で、旋律線は歌謡性と華やかさをもって流れ、潤いのある響きに満たされる。その流麗な表現を経て、アルバム上の収録曲がヴェーベルンに変わるのだが、この感覚を研ぎ澄ませたような、緊張した音楽であっても、リュビモフは一種の暖かさを湛えたアプローチを聴かせてくれるため、楽曲の繋がりという点で断絶感が緩和されているのがありがたい。最後のベルクは強音も存分に用いたスケールの大きな表現であり、アイヴズに近い浪漫性を感じさせてくれる。新ウィーン楽派だからといって繊細にやればいいというものではない、という熱いメッセージ性が感じられ、なかなか楽しい。ライヴ音源のため、ノイズ面での傷はあるが、これら3曲を楽しめる、一定の質のアルバムとして仕上がった感はある。

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