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森林浴 さんのレビュー一覧 

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     2020/03/15

    ヴァントが“ワーグナーとメンデルスゾーンを足したようで、好かん”と申されたシャルク版。収音の悪いクナVPO盤で聴くと、2楽章を除き、打楽器の大暴れが際立って、細部の“メンデルスゾーン”が聴こえない。生で聴けばVPO盤もMPO盤も、それなりに聴きとれるのだろうが。そこで、噂のロジェベン読響を入手。遅めのテンポ設定はシャルク版の細部まで描出するのに必然であったと、納得。なるほど、重層、反復が減じられ、各パートの単独歌謡の場面が増え、奏者の表現力がより際立つ“浪漫的”改訂であることがよくわかる。そして適度に透かれた聴きやすい音の流れにシャルク氏の意図がくみ取れる。このように、クナ、マタチッチ、フルヴェン盤などで局所的にしか理解できなかったシャルク版の全貌が、このロジェベン読響によって白日の下にさらけ出されたこととなる。私は“展覧会”を、ラヴェル版とストコフスキー版、ユー版(OE Kanazawa)で聴き分け、楽しんでいますが、ブル5で聴き分けの楽しみを与えてくれたロジェストヴェンスキー翁に深謝しかない。これを聴いた後では、クナVPO盤がノヴァーク版のように響いてしまう。

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     2020/03/14

    初販時を逃し、待ちに待って2020年3月に入手。幾多の“練習的凡演”に辟易していた弦楽セレナードを是非、ムラヴィン御大で聴くがため。指揮者年齢では、74歳時の“フランチェスカ”、47歳時の“イタリア”、46歳時の“セレナード”と、約30年の時差がある演奏群である。偶然、目的の“セレナード”が最尾に配置されていたため、3曲を通聴することとなった。フランチェスカ、イタリアでは予期したとおりの超絶アンサンブルと峻烈なインパクト、細部の繊細表現に圧倒される。愛好者なら、前半2曲の後半3分の“弦”を聴いただけで、ムラヴィン+LPOの仕事と判るだろう。そして、“セレナード”。1949年、LPOの常任になって12〜3年時の演奏、モノラル、など、60年代以降の演奏を専ら聴いてきた者には「まだ、晩年の峻厳リリシズムは完成していないだろう。試行錯誤の過程を聴かせていただこう。」程度に聴き始めた。これ、全くの誤りでした。Andanteの冒頭の慈しむがごとき柔軟な離陸(これ、他のロシア指揮者では聴けない)、Elegiaのヴァイオリンと低弦の語るがごとき歌わせ方、終曲のソリッドな重層和音など、既に晩年の語り口と同様、唖然とするしかない。聴後には、“あの頃のレニングラードの弦”へのノスタルジアに満たされる。このCD、チャイコフスキーの軽音楽集などと、よもや侮るべからず。ムラヴィン+LPOの最高の遺産の1つである。間違いなく、必聴である。

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     2020/02/23

    ケンペのStraussを再々訪中である。この人の練習中のパートフレーズへの指示、徹底は相当なものだったのだろう。しばしば「奏者からの信頼の厚い指揮技術」などと評されていたが、やりたいことが明瞭に聴き手に伝わってくるという点で、実に的を得た評であった。”入ってきて欲しい音が、シミッタレズニ欲しい入り方で入ってくる”ので、聴後の満足感は最高に到達する。合奏の理想の姿。諸兄の印象どおり、これは、自室でアルプス登山が体感できる人類最高の音楽媒体である。動画などの比ではない。

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     2015/01/18

    1983年であったか、神田のロシア盤レコード専門店で、ルスランの入ったロシア小品集(メロディアであったか、ジャケットはおそらくモスクワ遠征のカーテンコールに微笑むムラヴィン御大であった)のLPでムラヴィンに憑りつかれ、チャイコフスキー後期集、ブラームス4番、アルプス交響曲と重要曲の初聴体験をこの指揮者で受けてしまった私。ブルックナー後期群で当時唯一の未聴曲であった9番を、ビクターから正規LPが発売された時のレコ芸の故、大木正興氏の評「さながらシベリアの雪原にただ1本そそり立つ針葉樹の如き演奏」を読み、即、購入。同曲の他の演奏を全く知らぬ私は、「なるほど、ブルックナーもルスランの超美技でやっとるわい。」程度に納得していた。あれから四半世紀、もはや9番は必ずこのCD(オリジナルジャケットのカーディガンを羽織り頬杖ついた左顔の御大)に手が伸びる。フルヴェン、シューリヒト、ジュリーニ、チェリ、ヴァント、クナ、アーベントロートなどの立ち位置から、はるかに離れた雪原に、今なお、凛と1本そびえ立つ絶演である。 

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     2015/01/10

    他の演奏家には望めぬ8番。徳間/DSのLP初盤以来30年以上聴き続けておりますが、この演奏以上のノスタルジアと高揚を、一糸乱れぬ演奏技術で提供している録音に出会ったことが無い。セル、クーベリックの角ばったインパクトがありながら、細部の弦の歌い回しや変速、間のとり方などは壮年期のスイトナーならではの、しっかり書かれた達人の草書体である。渋谷公会堂でブルックナー7番をやった当時のskbの強烈な表現力がここに再現されている。他、カラヤン、デイヴィス、ジュリーニ、ブロムシュテット、ノイマンも聴いたが、全て”鮮度の悪い魚”の類。私は、これ以外の8番はいまだに聴く気がしません。

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     2015/01/10

    Rienzi、Tannhauserなどを巻頭に除けて、この指揮者こだわりの小編成オケのSiegfried牧歌を差し水に、Tristanで締めくくるという構成は嬉しい、というか、趣味の良さに敬礼である。マゼールのオケ用”指輪”盤同様に、CD1+2を一気に聴き通すと、この上ない充実した聴後感が得られる。確かに、劇中曲としての響かせ方としては、フルヴェンやクナなどの劇場ライヴの籠り音に陶酔するワグネリアンには、いささか明瞭すぎるやもしれぬが(ワーグナーは求める重層音の目標効果が巨大すぎて、残響も無く、集音マイクのバランス調整をするスタジオ録音では、演出しきれない)、クレンペラーの巡航速度、強い拳、あの病んだ右手の生む絶妙な合奏の”ズレ”は、スタジオ録音でも強烈なインパクトを生んでいる。
    クレンペラー好きには、聴いていて、”ニヤニヤ”が止まらない魔性のディスクである。

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     2014/11/29

    5〜9番は綿綿と重層音を響かせてほしいが故、クーベリックの淀まぬゴシック建築では、いささか物足りなさが付きまとう。が、3,4番(おそらく1,2番も録音が存在すれば)は、正にこの指揮者の構成力と推進力を見せつける独壇場と言っても過言ではない。3番はショルティ、マゼールなどの、後期交響曲群で不人気(?)の面々が、俄然、評価を取り戻す場なのだが、ブルックナーの未成熟な曲想の動きの描出に、クーベリックのスメタナでの描写的な処理法が十分通用している証である。

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     2014/11/08

    音を溢れさせぬ硬質のモーツアルト。古楽器でもなく、ピリオド奏法でもなく、現代楽器の大編成でのプラハの古典的名演がまた一つ登場した。ブルックナーは、おそらくシューリヒト愛聴家の想定どおりの、超シューリヒト的名演である。長らく、ハーグフィル盤を愛聴していた。この時代の指揮者達がしばしば手兵の楽団や凡庸楽団の客演演奏で名演を残すことがあったとしても、BPOを振った時に限って、名人楽団の歌い回しに飲み込まれて没個性と帰すか、主張が増幅された極端な”濃演”になるかのいずれかであった。ところが、この指揮者の場合、BPOであれハーグであれ、北ドイツ放響であれ、歌わぬ楽団は歌わせ、歌いすぎる楽団には抑制をかけた、制御の妙を痛感させてくれる。フルヴェン、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、チェリビダッケなどのように、時と場所で演奏が良くも悪しくも豹変する指揮者ではない、”鉄壁の再現性”の証である。要は、この人は職人気質であったのであろう。録音も良好であり、ハーグ盤よりも、このBPO盤を聴くことが増えそうだ。

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     2014/10/24

    ”演奏会形式のオペラ”は存在するが、これは正に、Scalaの舞台上での”オペラ形式の鎮魂声楽曲”の観あり。Scalaの合唱、楽団による立体的劇的表現の極みと言ってよい。トスカニーニ=NBC、マルケヴィッチ=モスクワ、ショルティ=CSO、カラヤン=BPOの声楽と器楽の明確な対比とやり取りを交響楽的演奏に仕立てたアプローチも良いが、このサバタ盤を聴くと、あたかも声楽陣が舞台上で振りを展開しているかの如き錯覚に捕らわれる。これは、録音のせいではなく、全曲の見通しを合点した指揮者のフレーズの渡し方の妙である。サバタの引退後の録音とはいえ、La Scalaは完全に彼にドライヴされつくしている。Scalaの二階ホールにあるサバタの胸像を思い出し、あらためて低頭した。チェリ=MPO盤で、この曲の純粋な和声と総譜構造を確認した後に、このサバタ=Scala盤を聴けば”ミサ”とは何に気付くだろう。

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     2013/10/21

    vpo、cso、sroと聞いて、この指揮者の基本的な解釈と表現は、若干のテンポ配分の差はあるものの、一貫している。ただ、冒頭の金管の朗々、綿々具合に代表されるvpoの奏者の言い分を、そのまま尊重したのがこの盤ということか。sroのライヴ盤では、ドライで、そうそう簡単には燃えて歌おうとしない金管が、逆にこの指揮者の解釈の骨格を露出させてくれて、私的には好感が持てる。楽友協会大ホールの録音とvpoという強力な拡声器による、ジュリーニ解釈の誇大版として聞けてしまって、オケを聞くならいいが、指揮者を聞くには、いささか不向きと考える。無論、第9の録音演奏としては群を抜く説得力はあるが。

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     2013/08/07

    1楽章の単層構造から、終楽章の重層構造へ、迷わず、間延びせずに聴き手を誘う運転技量は超絶である。この奏者の組み合わせでは、7番では、自然な重力と惰力に任せた一音の伸びが乏しく、響きの欲求不満に陥ったが、この5番は、自在なテンポ配分と、金管の重層の処理の塩梅が絶妙に溶け合った、溜飲下がる=消化不良無しの、納得コーダが味わえる。建築構造の可視化という点ではチェリ=MPOの、硬質な緻密度という点ではヴァント=BPOの、強度とヴォリューム感という点では朝比奈=NJPの、三者の良さを全て兼ね備えた超名演である。

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     2013/08/04

    過日、50代半ばとなったこの人の、ショスタコvcのN響との競演を聴き、相変わらずの緻密で、硬質で、音量の豊かな事に感心した。すぐさま亡命後5年目、30歳直前に録音されたこの盤を聴いてみた。基本的な表現は変わらないものの、女性版コーガンとでもいうべき、鉄芯のボウイングから生まれるテヌート、レガート、鋭利な切り口は、この時期のムローヴァ特有の現象であったと、いまさらながら懐かしんだ。言わば、戦闘状態の若き女性の勇姿を見るが如し。ショスタコvcは、歌いすぎると、一気に曲の説得力が薄れてしまうが、この時期のムローヴァは、良い意味での「余裕の無さ」に満ちており、旧ソ連を直近で体得した奏者によるパッサカリア、終楽章の説得力には、やはり格別な「語り」を感じてしまう。
    この人は、古典でのピリオド奏法などには一切目もくれず、強く硬質の歌いを年齢に応じた枯淡とともに追求して欲しいと思う。

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     2013/05/07

    やはり遅い、呼吸するがごときフレージング。始まりに終わりが内包されているのか。チェリ=MPOならではですなあ、はいはい。と聞き流すところが、このクラリネット、オーボエは超美技である。ブルックナーでは鬱々として発露しきれなかった木管2器が、水を得て狂ったかのような溌剌ぶりである。良い奏者に☆5つである。この演奏中の写真ではなかろうが、ジャケット写真のチェリの右手の先には、クラリネット奏者が居て欲しいところだ(実際は、ホルンあたりの金管に向いていそうだが。。。)

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     2013/03/17

    清涼な水分を含み、光沢を抑えたマット感があり、かつソリッド(充実性)な音で、かつ、鋭利な切り口も光る、というのがこのバイオリニストの感想。サロネンとのショスタコvcとこのディスクで、デヴュー時に比して更に深まる芸風を痛感する。聴き続けたい奏者である。が、やはり、諸兄の御指摘どおり、そして小生の危惧したとおり、ティーレマンの起用は大失敗。そもそも、skdのマイスター就任自体に大いに違和感を感じていたが。ブラームスvc+バティアシュビリ+skdの超最適トリオに全く迎合できぬ、速度配分とフレーズの(特に)終点のええ加減さ、全体を取り巻く軽薄感には閉口である。この指揮者は、ブルックナー、Rシュトラウスなどでも、時として流れに水をさしたような「大見得を切る」素振りを見せるが、それが悉く空振りで、巡航速度とインパクトの不調和に病んでいる。同じやるなら、マルケヴィッチやスウィトナーなどの、訳の解る強烈な「見得」を切るべし。skdとバティアシュビリが台無しの1枚となってしまった。魔法が使えるなら、同曲でクレンペラーやジュリーニと組ませたいバイオリニストである。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/06

    ノイマンのマーラー、ベートーヴェン、チャイコフスキーいずれをとっても、そして相方がチェコフィルであれN響であれ、弦の一音の直裁さに大変好感が持てる。もっと言うと、一音が粒立ちを適度に保ち、かつ、作為を感じさせないのである。ビオラ奏者上がりのこの指揮者の、弦楽器奏者の演奏心理に配慮した弓使いの指示が存在していた事を、勘繰って止まない。結果、マーラーでは最近の多くの演奏、特にBPO、CSOのものに多い「バシャ、ベシャ、ドシャ」音の連発とは全く別世界の、フレーズが丁寧に歌われ、それが聞き取れる、組木細工のような音楽が構成されるのである。さらに、諸氏の御指摘どおり、ゲヴァントハウスの実力みなぎる時期であったのであろう、上手く、美味い時代の、生木のようなソリッドな音質でやられると、もう、たまりませんな。荒らげずに難波節で歌うバルビロ−リ=BPOと、硬めのノイマンとでも言うべきクーベリック=BRO、そしてこのディスクの3枚で、私的には9番は完結です。ドレスデンのティーレマンなどは、その昔、近所のライプツィヒでかかる絶演が展開された事を押して知るべし。

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