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mari夫 さんのレビュー一覧 

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     2015/08/20

    バイロイト・ボックス、「トリスタン」と来て、クリュイタンスのワグナー・シリーズの最後(時期的にも)の「パルジファル」に到達したのだけれども、これはいけなかった。まず60年収録なのに音が悪過ぎる。レンジも狭くて分離も悪い。透明というにはほど遠く潰れた音の塊で、これでクリュイタンスの指揮云々を言うのは厳しい。フレーズの掴み方(クナの対極のフランス風みたいなことを言われがちだが、インタビューでクナのオケ統率の見事さを礼賛している記事もあるところを見ると、バイロイトで公演を分け合ったこともあるクナの影響はあったような気がする)などの巧みさは分かるが、やんぬるかな、これで褒めたら贔屓の引きたおしだろう。残念。ただし、声の方はオケよりレンジが狭いからまだ聞くに堪える。それでも、もうひとついけないのはクリストフのグルネマンツ。この二人のコンビの名演「ボリス」がさっぱり再発されないのでイライラしているのだが、ボリスそのものみたいなグルネマンツで、あまりに異質。全然いけません(ヨッフムとホッターの「ボリス」は良かったのに)。他は実はいい。コンヤはバイロイトでのローエングリン(パルジファルの息子ですね)に引き続き、妙に浮世離れした声で良いし、クナ62ではクリングゾルだったナイトリンガーのアムフォルタスもさすがで、それより声の威力は劣るとしてもクリングゾルのシュテルンも悪くない。ゴールのクンドリーも、かなりソプラノに近い声に聞こえるが、対比すべき女声がいるわけでもないから、問題なく、すぐれている。ということだが、やっぱりこの音のレヴェルでは商品化すべきだったかどうか疑問。お勧めしません(蛇足だが、魔法の花園の女性たちの中にカバリエがいたとはね)。

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     2015/08/18

    15歳でずっと年上のかのオイストラフに白旗を掲げさせる優勝をし、30歳で飛行機事故で亡くなるという「伝説」に満ちた女性ヴァイオリニストである。意見の重なることが多い批評家の福島章恭氏が、彼女の演奏は「魂の芸術」だと書いている(氏としたら少し恥ずかしい形容かなと思うけど)。他のレビューもほぼ絶賛に近い。他のことを書くには結構勇気が要る。確かに異様なまでの集中、没入である。どこをとっても火を噴くような演奏(ブラームスやラヴェルの冒頭とか前者やシベリウスの三楽章全部とか)。タイプとしたらアルゲリッチとかデュプレみたいな、歌手でも良かったらマリア・カラス?女性固有の天才奏者。チョン・ファ・キョンもこのタイプかな?でも正直いうとあまりにひたむきに音楽に没入しすぎはしないか?もうちょっと「抜いた」ところがあっても良いような気がする。直接音が多いEMIの音のせいもあるかもしれない(他の録音は聞いていないので)。30歳では円熟も何もないだろけど、デュプレではそういう気がしないところが、非凡さは認めるにせよ、ちょっと留保。

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     2015/08/16

    クリュイタンスのワグナーはバイロイトの廉価ボックスで驚いたので引き続きこの「トリスタン」とスカラでの「パルジファル」を購入。バイロイトボックスよりも高いけれども、あちらが安過ぎと言うことで(もっとも最近はクライバーのステレオ盤がこれより安かったりするけど)、不満を言うわけにもいかないでしょう。音についての議論があるようですが、確かに譜面をめくる音が聞こえるくらいオケピットの間近な音で、歌手が遠いとも思わないが、全体に明快なものの直接音が多くて、残響は少ない。でもバイロイトの「タンホイザー」や「マイスタージンガー」より聞きやすいくらいと感じる人もいるでしょう。クリュイタンスの棒は相変わらず素晴らしい。一幕の前奏曲なんて、ちょっとクナを連想してしまうくらい官能的にうねる。二幕の二重唱のバックも、オケの各部が克明に聞こえて実に委細を尽くした名指揮振りで、官能性もダイナミズムも欠けたるところはありません。第三幕の前奏曲も、他の方が書かれているように牧人の笛が遠いのですが(でも耳を澄まさなくとも聞こえます)、激しく厳しい表現。バイロイトのより濃厚な表現に聞こえるのはウィーンのオケのためでしょうね。オケに関する限り最上の「トリスタン」のひとつであることに異存を挟む余地はないでしょう。けど歌手はどうなのかなぁ。グロープ・プランドルはwebを見ると、メードル、ニルソン、ヴァルナイ級だという評価とか、そのメードルがホッホ・ドラマティッシェンとしてニルソンと並べて語ったとか、オペラ座の外にいた人たちが空襲警報と間違ったというほど大きな声の人だったとか、随分評価が高かった人らしいけれども、そこまではどうなんでしょう。彼女たちとほぼ同じ世代であるにしては、少しスタイルも古いし、超ど級というよりは、幾分寸詰まりに聞こえるのは残響のない音のせいもあるかも知れません。ただ、超人的な北欧系の歌手たちのイソルデが神話的な(年齢不詳)女性に聞こえるのに対して、新婚年代の若い女性と考えればこの声でも悪くないかもしれませんし、それなりの熱唱ではあるけれども、「愛の死」が暢気に聞こえてしまうのはやはり具合が悪い。むしろブランゲーネのミリンコヴィッチの方が、名前から言えば東欧系みたいですが、北欧系の歌手のようにエッジが立った声。男性陣はおしなべて低調。トリスタンのルスティッチは声があまり出ていない感じで、精彩を欠いて聞こえます。三幕の長大なモノローグは声を要しないこともあって、また見事に緊迫感をつくり出す棒のおかげもあって、それなりの効果は挙げている。クルヴェナールのブランケンハイムも同様で、召使いの範囲を出ない存在感。馴染みの名前であるベーメのマルケは随分感情的な歌で、いくら新妻を腹心の部下にとられたといっても、ちょっと老王の悲嘆とは聞こえない。オケは七つでもいいけれども、歌手陣の減点で四つまでとしました。

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     2015/07/29

    音楽がごく滑らかに美しく推移する。けれども、この曲ってこういう曲なのだろうか?ベルリオーズ独特のゴシック風のグロテスクが殆ど感じられないのはどうしたことだろうか?

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     2015/07/21

    この二曲だけを並べるといささか不思議な組み合わせだが、実際にはラヴェル集の方に収録された「マ・メール・ロア」が入るプログラムだったらしく、それだと座りがいい。「田園」は演奏自体もちょっぴり不思議なものだ。遅めのテンポでテクスチャーの描き出しに全力を傾注したという感じで、これが更に遅く、更に巨大になると晩年のブルックナー演奏になるような気がする。つまりそのハシリみたいな演奏がこの「田園」で、あまり古典ソナタ形式という弁証法的な構成を感じさせない。雰囲気描写的なものは尚更ない。抽象的というか不思議な純音楽。極端にいうと、あまり同意は得られない感想だろうが、ウェーベルンを聞いているみたいなところがある。あとこのオケはとくにオーボエが周囲と溶け合わない音色なのだが、三楽章の三拍子の弦のキザミの上に管楽器が展開していくパッセージ、どの演奏でも合いにくいオーボエのリズムが全然合わない(それも一度ならず)。一度などは他の楽器まで道連れにしかかって崩壊寸前になる。練習魔のチェリは怒っただろうなぁ。ということもあって☆ひとつ減らした。「ペトルーシュカ」は通例と違う選曲だが、初来日時の読響でもやった曲。こんなに遅めのテンポだったかどうか記憶がないが、チェリの生彩にとんだリズムと色彩がめざましい名演で、違和感は「田園」よりずっと少なく、このバレー曲を堪能できる。読響の時も同時にやったシューマンの四番とかドビュッシーの「シレーヌ」ツキの「夜想曲」が構えすぎて音楽が重くなりすぎただ、これだけは良かった。最後の「御者と馬丁たちの踊り」でチェリがセクシーにお尻を振りながら指揮していたシーンを思い起こさせる。

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     2015/07/20

    クリュイタンスのバイロイト初登場『タンホイザー』は、初日の二日前に、パリにバイロイトのヴィーラントから急遽出演不可能になったヨッフムの代演を依頼されてのことだったという。ということは前日の現地入りということか。いくらヨッフムで下傾稽古を積んでいたにせよ、大変なことだとは思うが、この『タンホイザー』は素晴らしい名演である(この録音は初日とは限らないにしても)。ラヴェルの名手としてのクリュイタンスとは別の顔で、線が細いどころか、迫力も満点な生気に富んだ演奏。同曲中最高の名演と言う評があるのも宜なるかな。歌手ではタイトルロールのヴィントガッセンが、苦悩の翳りを滲ませた名唱で、若々しいD.F=D.のヴォルフラムも素晴らしい。ブローエンシュティンのエリザベートも初々しさには若干欠けるものの悪くない。音も時代なりで力があるのがいい。『ローエングリン』も名演だが、一番あとなのにこれが一番音が悪くて、レンジが狭いし、分離も良くない。前奏曲からくっきりとせず透明感が欠けているのは大きなマイナス。エアチェックか電気的なノイズも入る。でも指揮は欠けたるところはないので惜しい。歌手ではコンヤのタイトルロールが、レジェーロな感じで、ヒロイックではないが、この世ならぬ感じがしていい(昔NHKのイタリア・オペラで『ドン・カルロ』のタイトルロールを聞いたのだが全然記憶がない)。エルザのリザネックはいつも特徴が掴み難い歌手だが、今回も無難な域に留まる。まだ声が重くなっていないヴァルナイと重なると声の輝きの点で大分聞き劣る。『マイスタージンガー』は音も演奏も『タンホイザー』と並ぶ。素朴さも祭典性も、迫力も叙情性も十分。見事なものだ。ダヴィッドが普通の歌唱とは随分違うなと見たら何とあの「ミーメ」でならしたシュトルツェ!声域が違うとはいえむしろベックメッサ−(こっちのシュミットーワルターは普通の出来)のキャラとは思うが、達者。となると名アルベリッヒ、ナイトリンガーとの兄弟出演(?)と思ったが、こちらはさすがにあんなアクの強い歌ではなく立派なザックス。あと、聞いたような声だなと思ったら夜警がクナとVPOの『ワルキューレ』一幕のフンディングだったヴァン・ミル。グリュンマーのエヴァも可愛い。クリュイタンスはこれらの多士済々をまとめあげて真に見事。屈指の名演でしょう。ヒストリカルの音が悪いのなんてという向きでなければ、これで1500円とは安い買い物。

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     2015/07/15

    リーフレットによると、サンサーンスの方はデュプレの最後の定期的演奏会だったらしく、既に筋肉の変調に侵されていた彼女は、夫のバレンボイムから負担の少ない新しい楽器をプレゼントされ、ここではそれを弾いているのだという。けれどもCDの冒頭から、チェロは猛虎のように音楽に挑みかかる。すべてを弾き飛ばすかのように。四年前、新婚の時の、心身共に快調であった(はず)の時のドヴォルザークも同様。チェリに比べてバレンボイムが凡庸であるというような評があるが、それはさすがに気の毒だ。サンサーンスのオケは本当に伴奏以上ではないのだから。ドヴォルザークでのチェリは、例によって綿密なテクスチャーを構築して柔らかに始めるが、デュプレはそれを切り裂いてしまう。これは幸福な競演であったのかどうかは知らない。立ち会っていたバレンボイムはチェリに「帰依」するのだからそうなのだろう。けれども、正直言って、ここではそのチェリすら良く出来た「伴奏」の位置に追いやられているのではないか?いや恐るべし。

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     2015/07/10

    どうも永遠・絶対の名盤と言う九割方の賞賛と、51年盤より弛緩しているという少数の批判があるらしい。クナ礼賛では人後落ちない積もりの自分も、LP時代(フィリップス)にこれだけはどうも盛り上がりに欠けているのではという思いを残したので、CD時代になってからは51年盤(テルデック)に乗り換え、それで今度は満足、良しとしていた。でもやはりステレオと言うのは大きいので値段が下がったらと思っていたのだが、デッカになって、HMVでは圧倒的に安くなったために購入したのだが(何かセールスプロモに協力しているみたいだけど)、リマスターで良くなったのかどうか、装置自体も違うから比較にはならないが、今回のでは緩いという印象は全く持たなかった。かつての記憶はもう要らない。クナの60年代はブルックナーなどを聞いても、それまでより、自由というか即興的な流動性を増しているように思うが、ここでもそれを感じた。51年盤と聞き比べると一幕の前奏曲だけでも二分くらいこちらの方が早いが、その早さを感じさせない。それがかつて弛緩と感じさせたものかもしれないが、今回はそうではないと感じた。直接比べるとやはりステレオの音の広がり(仕方ないとはいえ右からvn.が聞こえるバイロイト配置はどうも馴染めないのではあるけれど)と幅、そしてレンジの広さは圧倒的である。低い弦や金管の生々しい底力はこれでこそ生きる。クナの演奏は、呼吸の深さで大きなフレーズを波のようにつくって、それを即興的な流れのママにつないでいくやり方だが、その繋ぎ方が晩年は一層自由になっていったのではないか?構えているところが微塵もない(柔道の-といって全然縁のない世界だけれど-三船十段の伝説の空気投げみたいな極意?)それにこの演奏はホッターのグルネマンツが何といっても大きい。随所にあるモノローグで彼が繰り広げるのはクナと同じ、茫洋と広がる波のようなフレージングの深さで、両者の呼吸の合っていることと言ったらない。ということで、あっさりと九割の礼賛者の方に鞍替え。やっぱり永遠の名盤、神盤でしょう。

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     2015/07/05

    オリジナル楽器の演奏に対しては、ヴィルトゥオジティというと似つかわしくない形容のように感じられるかもしれないが、一番の出だしでまず感じられるのは三つの楽器がハッシとぶつかる素晴らしい緊張感とスケールである。この曲は、昔からカザルス・トリオとか、百万ドルトリオとか、ルービンシュタイン・シェリング・フルニエのトリオとか、名手の名録音があまたあるが、この演奏には、音の良さも手伝って、それらをすら凌ぐ天馬空を行くがごとき趣きがある。音色において素朴さはあるが、感覚的には著しくモダンな印象が前面に立っていると感じるのは私だけだろうか。そのためか、むしろ、よりインティメートな曲想による二番の方では、ブッシュ兄弟とゼルキンとか前記ルービンシュタイン・トリオに比べて、ロマン性においてややくい足らない印象がある。一番は☆六つ(というのはないが)、二番は四つで平均五つにしておきたい。

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     2015/07/04

    ギーゼキングの晩年のEMIのスタジオ盤は、端正でやや平板、いわゆる新古典主義と形容される演奏が多かったが、ライブでは大分様相が違う(スタジオでももっと早い時期は同様)。ロマンティックなヴィルトゥオーゾ・ピースであるこれら二曲とモーツアルトやドビュッシー、ラヴェルの名手である新古典主義者ギーゼキングとでは随分イメージのギャップがあるが、この演奏はそれを感じさせない。とくにグリーグは相当に濃厚な演奏。ただし、結構ミスタッチも多くてやや弾き飛ばし感も否定出来ない。ラフマニノフはそこまで激しくないが、それでも三楽章最後の盛り上がりにかけて派手なグリッサンドを挿入するというサーヴィス振り。オケは如何に有能で律儀なドイツ風。音は年代並み。

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     2015/07/03

    記録芸術は、ステージだけでアーティストと接するのとは異なる種類の体験を許容します。つまり68年の、最後のザルツブルグ出演のこのバックハウスのベートーヴェンと、それ以前、たとえば二種類の全集や50年代中頃のカーネギーホールでのそれとを比べてしまうというような。ただこの巨匠をステージだけで聞き続けてきた人には、過去の栄光の上にここでの演奏を感慨深く聞くことが可能でしょう。まだ充分にダイアミックに(たとえば「月光」のフィナーレ)弾いているし、バックハウス独特の底光りする音も聞くことが出来るからです。けれども、過去の演奏と直接比べてしまうというレコード鑑賞家の「悪癖」を出してしまうと、やはりこの演奏は、66年のライブと比べても、何処か運指に滑らかさを欠いたり、張りに乏しかったりという不自由を感じさせてしまいます。とくにステレオ全集でも12、17、26番は演奏も録音もとくに素晴らしい曲目なので(14番は、演奏はいいけれども、最も初期なので音質の点でバックハウスのピアニズムを味わいきれない)。そういう聞き方は不幸なんだろうと思いつつ、やはり☆は三つまでに留めておきます(三つ半くらいでいいかも)。

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     2015/07/02

    デ・ヴィトーのブラームスは得意曲目みたいで何種類かの録音が残されている。これはその中で一番古い演奏(戦中のベルリンでイタリアのヴァイオリニストと、戦後にナチ協力を問われた指揮者の競演というもの)である。デ・ヴィトーは隅から隅まで感受性を籠めた演奏で、教科書的なつまらなさとは無縁で、傾聴に価する。ケンペンの指揮もがっちりと背後を固めた演奏。ただ、時代を考えたらこんなものとはも思うが、やや圭角が丸くなっている録音のせいか、鮮鋭さがやや足りなく聞こえることは残念。そのせいもあってかデ・ヴィトーも、やや非力に聞こえるところもなくはない(とくに三楽章)。戦後のヨッフムやフルトヴェングラーとの演奏(いずれも未聴)こそ聞くべきかもしれない。モーツアルトもほぼ同様の演奏で、戦後になってからだが音質は似たりよったり。ビーチェムの指揮はややユルフン、というかのんきに聞こえるが、この曲ならそれでそんなに不足はない。

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     2015/07/01

    ケンプとのベト今日全集から始まって、ケンペンの演奏を今更ながら色々漁って堪能しながらここに行き着いたわけだが、ある意味意外な演奏だった。これまで聞いてきたケンペンは細部を克明に描き出しながら、がっちりと超重量級の音楽を構築していくというイメージだった。イタリアものははじめてとはいえ、あのヴェルレクである。鼻血が出そうな壮烈さで、教会音楽には合わないとかいわれつづけた曲である。またしても重戦車の如き壮絶さで押しまくるかと思いきや、最初の方は意外に慎重な出足、というか今イチ乗りが良くないのかと思った。あの「怒りの日」を慎重にやってどうする!、みたいな。テンポも彼としては割と早めにどちらかというとさかさか、って感じ。けれども、いつの間にかー「御稜威の大王」あたりから―テンポが落ち出して、音楽がじっくりと内面を描き出す。ふうん、これが内面的な音楽だったとは!ケンペンがそういう音楽をやるとは!という具合だから、普通耳をそばだたせて聞く前半部よりも後半部の方が断然聞き応えがある。変わった演奏だ。テノールはシューマンの歌曲で有名な(だからだよね、この人選!)ルーマニアのムンテアヌー、これがイタリアのテナーより柔らかい声で、表現を深いものにしているし、ワグナー・ソプラノとして有名だったオランダのブローエンスティーンも同様(彼女はイタリア・オペラでも名声があったみたいだけど)。最後に再帰するレクイエムのPPPの見事なこと!バスのチェルヴェンカだけは、あまり品のない声で、唱い出しにアルベリッヒか君は、と思ってしまったが、まあそれくらいは仕方がない。ということで意外な路線変更(正直これはケンペンではないといわれても、そうかもねと思ってしまいそう)だけど、☆は5つを譲らない。録音はオケの鮮明さがもう少しあったらとは思わないでもないけど、55年ならそれなりと言うところか。でも55年てケンペンの没年ですね、自分のレクイエムってわけかぁ。

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     2015/06/24

    ラヴェルはチェリにとって得意中の得意のレパートリーで、色々なオケとの組み合わせがあるが、読響との初来日公演初日での「マ・メール・ロア」は忘れ難い。チェリ独特のpppp.第二、第三曲で(このCDのリーフレットで許光俊氏が超弱音―あまりいい形容とは思えないがーと呼んでいるもの)が聞けたのと、最後のところで音が無限に広がっていく様は本当に素晴らしかった。三年後にロンドン響と来た時も同じ曲をやったが、うまく音楽が広がっていかないと感じていたら、柴田南雄氏だったか、奏者が萎縮していたのではないかと感想を述べられていた。このCDでもpppp.は堪能出来る。ソロの奏者も弦も実にうまく、萎縮している様子はかけらもない。ただ、シュトゥットガルド響や読響の時と比べると、今度のシリーズは全部そうだが、録音の関係で響き全体が暗い。ラヴェルのパステルカラーのような幻想性よりも、ハードエッジな描き出し方のシャープさやコントラストの強さが際立って聞こえる。スペイン狂詩曲が夜の官能性みたいなものを強く帯びて聞こえるのもこのためかもしれない。ダフニスの第一組曲も夜の曲が多いので、暗闇に展開される音の彩りの妙みたいな感じで、ハミングの合唱が入ると余計前衛性を帯びて聞こえる。それが面白いととるかどうか、演奏以外の要素が介在するだけに微妙(だから再生音楽は、とチェリの声が聞こえそうだが)だけれども、演奏の傑出しているところは疑いないし、オケもシュトゥットガルドよりも巧いせいか、第二組曲の「朝」の盛り上がりは比類がない。

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     2015/06/23

    実に充実した歌手陣を率いた俊英ネゼ=セガンとマーラー・チェンバー管による名演。マーラー・チェンバーの『ドン』といえばハーディンクの革命的な演奏があるが、拍子を間違ったのではないかと言うような超快速だったあれとは違い、ネゼ=セガンのテンポや表現はむしろオーソドックスと言っても良い。言い換えれば、あまりオリジナル派的なわけではない。比較されるべきはむしろこれまでのモダンオーケストラの演奏群で、それでもフルトヴェングラー、クレンペラー、ベーム、カラヤンなどの巨匠たちに伍してもむしろ優位に立つといっても良いくらいだから立派なものだ。それには歌手たちの力に追うところも大きい。「出世魚?」ダルカンジェロは、今や立派なドンだ。声の立派さでもシェピに引けを取らないくらい。ライブな故かシャンペンのアリアは幾分オケについていけないところがあるが、セレナーデなどの美声と貫禄!当代一と称して間違いないだろう。レポレッロは昔のように完全なブッファという歌唱は見られなくなってしまったが、ピサローニも若い日のドン(見習い?)という感じで悪くない。しかし、これらの歌手陣も結局、オリジナル流ではなくて、従来型の傑出した歌唱なのではないか?ディドナートのエルヴィーラは声も表情もシュワルツコップにそっくりだし、ダムラウのアンナの、父殺しの犯人に気づく箇所のリアルな表現は、モダンというべき。ビリャソンも、ドミンゴばりの美声で、いい意味でも悪い意味でも従来型の「ダメ男」オッターヴィオを唱っている。私的にはツェルリーなのエルトマンに少々おぼこ娘感がなさすぎだと思うが、頑張っていることは否定出来ない。

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