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くにたち蟄居日記 さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/07

     まず難点から言うと やはり話の展開が早過ぎる。一つ一つの謎解きに「コク」がなく とにかく走り回っているという印象が強い。
    これを見ていてローマでは車を運転したくないと強く思ったが これはローマにとってはアンフェアーかもしれない。


     それでも面白く鑑賞できたのは やはりキリスト教という圧倒的な文化の重みである。これがただの 連続殺人事件+爆弾テロだけの話しであったら B級作品に終わっているだろう。そこに背景としてキリスト教の歴史と現在を持ってきただけで このように雰囲気が出るということはそもそも凄いことだ。

     カトリックではない僕として この映画を見ていて掴み切れていない部分が必ずあるということだと思う。例えば「悪魔」という言葉を一つ考えても 感じる恐怖感は キリスト文化圏の方とは違っているはずだ。その意味では 大多数の日本人にとって この作品を深く理解することは本来
    難しい。

     但し 冒頭言った通り 深く考える「時間」がないことも確かだ。この映画を見て ローマに 行きたいと思えれば 取りあえず それで収穫だろう。僕は大いに行きたくなった。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/07

     日本での家の近くに 休日一人で行く喫茶店がある。

     喫茶店に一人で行くのは 大学卒業後 ながらくやっていなかったが 再開してみると楽しい。知り合いになったマスターと 雑談しながら30分ー1時間程度を過ごす休日の午後は ばたばたしている日常生活において もはや 立派な ハレの空間だった。今は一時的に海外に住んでいるので懐かしい話だ。

     その喫茶店で 本アルバムを聴いた。ゴールトベルグ変奏曲は数えて
    見ると 既に5枚アルバムを持っている。本作は6枚目になって
    しまったわけだ。

     チェンバロが歌う。グールド1stアルバムがジャズに例えられた
    と聞くが そういう意味でいうと 本作は演歌のようにバッハを歌う。
    こぶしの入る瞬間が聞こえる。演奏している武久が首を振りながら演奏
    している姿すら目に浮かぶ。

     日本人だから そう聞くのかもしれない。欧州の方に聞いて貰って
    感想を聞きたい。日本人もなかなかやるではないか。そんな風に言って
    貰っても良いアルバムだと 日本人たる僕は 思っている。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/07

     キース・ジャレットという方を聴くのはこれが初めてである。

     ゴルトベルグ変奏曲に関しては 色々な演奏を聴く機会を得ている。グールドの2種類に始まり、ピノック、高橋悠治、武久源造であり 今回はキースの演奏となった。

     八ヶ岳で1月に録音されたという。バッハの音楽は 寒い気候が似合っていると普段から思っているだけに 聞いていて 冬の長野を想わせるものがかすかに有ったように感じた。
     それは 現在 熱帯に住んでいるから感じる 一種のノスタルジーなのかもしれない。しかし 音楽には時として そういうイメージ喚起力がある。それも音楽の威力であり魅力だ。

     このゴルトベルグは 丁寧に演奏されている。奏者がバッハを尊敬していることがひしひしと伝わってくる。「尊敬される音楽家」と考えてみることが正しいかどうかわからないが もし それでアンケートでも取ったとしたら バッハは相当上位に来るだろうし 一位に輝く可能性も高いと思う。
     バッハを聴くことは 今なお 新鮮だ。そうして その鮮度は あと2−3世紀たっても変わらないと僕は考えている。24世紀にも 同じようにゴルトベルグに挑戦する演奏家がおり それに聴き入る聴衆がいる。そう考えることに 何か安らぎすら感じた。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/07

    バッハは20年来好きな作曲家だが いままでは チェンバロやリュートなどの「小さい音楽」が主体であった。「小さい」といっても 例えば ゴルトベルグ変奏曲のような曲を小さいと本来言ってはいけないのかもしれないが。

     20年たって ようやくバッハの「大きな音楽」が聴けるような気がしてきたのが今年である。ということで まずは いくつかの「マタイ」を聴こうと考えた。「マタイ」を選んだのは その支持が多いからである。

     リヒターの1958年の「マタイ」は3つ目の演奏であるが なるほど「マタイ中のマタイ」と言われる事が良く分かった。
     僕が初めて聴いた「マタイ」はリヒター自身の1980年の演奏である。1980年の演奏も悪くはないが この1958年を聴いてしまうと もう戻れない。これが人間の老いというものなのかとも思うが そもそも1958年の演奏が神がかりだったのだろうと考えることにしている。

     もう50年前の演奏と思えないくらい 録音の状態も良い。ヘフリガー等が入神の歌声で唄う様が手に取るように聴こえる。荘厳な出だしから圧倒されてしまうしかない。

     亡くなった歴史家の阿部謹也は病床で「すべてのマタイの演奏を聴きたい」と言ったそうだ。確かに マタイには それを言わせるものがある。僕も20年かけて漸くマタイを聴ける耳を得たということなのだろう。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/07

     グールドのフランス組曲を楽しんだ。実に軽快で 遊び心に満ちている。装飾音も多く 聞いていて 心が浮き立つようなバッハだ。こういうフランス組曲もあるのかと本当に驚いた。

     バッハの凄味は 一つ一つの曲が いろいろな演奏を許す点にあるのではないかと最近思ってきている。バッハの曲くらい 色々なジャンルの演奏家が挑戦している曲もないのではなかろうか。特に ジャズ奏者の演奏が目立つような気がしている。そういえば グールドもゴルドベルグ変奏曲では ジャズのようなバッハであると 評価された記憶がある。

     フランス組曲はチェンバロで演奏されたものは ある種の重さがある。それはそれで非常に僕としては好きだし それで今まで聴いてきた。今回 グールドの軽やかな演奏を聴いてみてこういう演奏も可能なのだという点に驚いた次第だ。同じ曲が 演奏によって その表情を変えるということは 別にバッハに限った話ではない。但し バッハの見せる振幅の大きさが楽しい。そこにバッハの偉大さがあり だからこそ 今なお 多くの音楽家がバッハと取り上げ、多くの人が耳を傾けるのであろう。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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