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mimi さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/11

    最近読んだ本で、シェリングが一般的なイメージと異なり、かなり破滅的な傾向があったことを知りましたが、自分にとってこの無伴奏を考える上で鍵となる記述でした。確かに現時点で、この演奏より技術的に優れた演奏は山とあるでしょうし、また初回録音(1955)の演奏が当時如何に清新なものであっても、この2回目の演奏も現時点ではスタイルとしてはもはや旧式かも知れません。でも聞きかえして思うのは、此れ程Bachに対して敬虔な無伴奏はなく、こんなにも感謝の念が聞き取れる演奏はやはり皆無ではないでしょうか。Ciaconneのニ長調部分に込められた思念など、感謝の祈り以外の何ものでもないでしょうし、Sonata Nr.3/Fugaの単純極まりないVeni Sancto Spirituの旋律が、こんなにも溢れんばかりの想い(神への感謝?)を込めて幾度も演奏されるのも、やはりこの演奏以外に自分は知りません。そしてその直後に置かれたLargoの、深く深く真心に満ちた演奏!...如何にシェリングにとって、この曲集が己の生命を生きるのに大事なものだったかが、これを演奏することでなければ救われない何かがあったのか、年齢を経た今ならば想像できます。技術も演奏スタイルも、所詮移ろい行くものでしょうが、(おそらく)この曲集を自分の生命として生きたシェリングの想いは、決して消え去ることのない永遠のものです。Bachの無伴奏Vn集にとっての、不滅の存在価値を持つ演奏と想います。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/26

    J.S.Bachの音楽ほど、演奏者の知名度、年齢、経歴、権威などが当てにならないものはありません。それはおそらく、Bachの音楽を正しく演奏することが不可能に近いくらい難しいからですが、この無伴奏Vn集にしても、実は世界的に有名な古今のヴァイオリニストの演奏のほとんどが、勝手な思い込みによる歪んだ演奏であるとさえ言えます。加藤知子の演奏は、Bachの音楽にひたすら謙虚に誠実にアプローチした、自分のようなBachファンでもめったに出会うことのない、正統的演奏に近いと思います。もちろん今一歩の強烈な個性など、ないものねだりしたい部分もなくはありませんが、この真摯であくまでBachの音楽をたてる演奏の前では小さなことです。お世辞抜き、同じ国民のひいき目抜きで、世界的に超一流の演奏であり、十分この曲集のFirst choiceと思います。そこらへんの世間的に有名なヴァイオリニストや、評論家や入門書が薦める古い「歴史的」名演奏を、この演奏より優先する価値はありません。レビュアー諸氏の慧眼に感謝致します。無伴奏vn集に興味を抱く方にまず御薦めできる数少ない名演奏です。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/22

    実はかなり前から所有してますし、折りに触れて何度も聞きかえしておりますが、やはり大方の評者の意見と、印象が大分違うことは否めません。Vn演奏経験がないので、確かなことは云えませんが、この演奏が技術的に下手というのは正確ではないと思います(表現に必要な技術に不満を覚えることは、聞いていてありません)。しかしながら確かに言えることは、シェリングの旧盤と録音時期が数年しか違わないのが信じられない程、大時代的な、ロマンティックな演奏であるということ。自分は生まれてたかだか半世紀ですので、新即物主義の何たるかを理解できてないと思いますが、曲のテンポの動かし方、独自の強弱の付け方、フレーズの気ままなこと、どれをとっても19世紀的な特殊な音楽に聞こえます。もちろん演奏者の解釈がそうであっていけない理由はないのですが、重要なことはその展開する音楽の姿が、GouldのようにBachの音楽構造を徹底的に分析して展開したものでもなければ、無伴奏Vn集の置かれた時代背景をも十分に考慮した歴史的なものでもなく、おそらく個人的な信念(思い込み?)にのみ基づくもので、共感する人にはよいのでしょうが、こういう自分中心のBachが共感できない者には永遠に近寄り難いのだと思います。一時代を築いた偉大な演奏なのでしょうが、自分にはBachより自分(シゲティ)、というタイプの演奏に感じられ、愛着は些かも覚えませんでした。ただKremerの新盤の、直系の先祖であることはよく判りましたが....。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/21

    不勉強にして50歳近くまで、名高いMilsteinのこの盤を聴いたことがありませんでした。多くの評者が指摘される通り、おそらく現代Vnの演奏として最高水準の演奏で、最も破綻のないまとまった演奏であると思われました。ただ...ここからが、本当にこの曲集の奥深い所と思いますが、ならばこれしかいらない最高の演奏か、と言われれば少し考え込んでしまいます。おそらくひとに薦めるのにこれ以上の演奏はないし、無伴奏Vn集を鑑賞し、一歩置いて眺め、考察するには絶好の演奏でしょうが、何故にこれだけ入り込めないのでしょう?Ciaconneにしても、Sonata Nr.3/Fugaにしても、こんなに完璧にまとめてるのにこんなに醒めた印象を持ってしまう演奏も稀です。文句なく極限まで磨き上げられたガラス細工のような音の構造物を(ただしBach本来の音構造を正しく具現化できてるか、は別問題)、脇で眺めているようなもので、ならばそういう奇麗な構造物と自分が何の関わりがあるか、と考えると....。家のどこかに飾っておくのはいいが、側においていたいか? どことなく往時のKarajanの演奏を思い出してしまいます。評論家云々は自分には判りませんが、この疑いなく最も完璧な演奏が、決定盤と言われることのない理由は何となく判る気がしました。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/21

    J.S.Bachのオルガン曲の演奏史上の、隔絶した存在。とにかくすべての線が明晰で、混濁を一切許さない。まるでブーレーズのマーラー演奏のような、縦の線も横の線も透徹した驚異的演奏で、ここまで突き詰めたのは、Bachのオルガン作品の他の全ての演奏中ではもちろん、すべてのBach音楽演奏を含んでも、Leonhardtのロ短調ミサ/フーガの技法くらいしか、おそらく存在しません。Bachのオルガン作品演奏史において、仮にヴァルヒャのこの演奏の存在がなかったら、Bachの音楽の最深奥を覗く機会を持たなかったであろう自分たちは、どんなにか不幸だったでしょうか。もちろんモノラル全集盤も史上に残る名演ではありますが、演奏の深度・透徹さ・録音の明晰さにおいて、この盤は到底比較にならない存在です。全てのBach演奏中の決して多いとは言えない、人類の遺産と言える宝物と思います。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/02/14

    いわゆる大指揮者によるロ短調ミサでは、最上質な部類の演奏です。オケも合唱も昔ながらの編成を使ってるのに、この全体のバランスの良さはさすがにGiuliniとしか言いようがありません。バイエルン放送響&合唱団のうまいことはあきれるばかりで(独唱はいまひとつの演奏ばかり)、Giluni氏の晩年の演奏でもいいものではないでしょうか。ただ、他の大指揮者によるロ短調ミサと比較して、何が違うかと言えば難しいところですね。西洋多声音楽史の総決算であるこの曲の、まだまだ明らかになっていない音楽構造をあくまで追求していくわけでもなく、問われ続ける歴史的位置、現代的意味を極めようとするわけでもない....となれば、近年では数多ある、作品の構造・本質に果敢に切り込んでいく演奏(古楽器云々は関係ない)の中での存在意義は、自ずと限られてくるでしょう。あくまでGiulini氏のファンが氏の演奏を偲んで聴くための演奏と思います。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/11/28

    あまり言われることはないけれど、GouldのBachはかなり出来不出来の差が大きく、また若い時と早い晩年の演奏では、演奏の質が全く違っています。近年夥しく明らかにされつつある、録音・演奏に関するInside storyもよく頷けるものが多いし、聞き込めばGouldがこの曲を初めとして、晩年再録音に着手した気持ちも判ります。それでも...この演奏がなければ、Bachの現代の受容そのものが確かに全く違っていたでしょう。このデビュー盤の、Bach演奏史を一変させた歴史的な価値は、すべてを差し置いても永遠不滅であることは疑いの余地がありません。Bachを心の糧として生きる私たちは、Gouldの存在そのものと共に、この盤にいつまでも感謝しつづけたいと思います。

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  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/10/22

    Polliniがいかに、他の多くの音楽家と違うレベルにいるか、改めて実感させる演奏と思います。この平均律に何かを期待しても、裏切られる。情感、ロマンティシズム、厳格さ、新鮮さ、癒し...どれをとっても、この演奏は大したことはない。否、Polliniがここで、実現しようとしていることはそんなレベルではない、むしろ極力「何も付加しない」...言い換えれば徹底的に恣意性を排除して、Bachの音楽をあるがままに響かせることのみのようです。従って、平均律に対して先入観を排して、対峙した時に初めて聴き手にもその真価が判ってくる、おそらくこの演奏に最も近いのは、チェンバロによるLeonhardtの演奏で、両者は自己の恣意性をあまりにも厳格に排除して、結果その演奏の外見は限りなく何の変哲もなくみえる、という点で共通しているように思われます。もちろん、PolliniのそれはBachをモダン・ピアノで弾くという、永遠のジレンマを仮定とした上ですが、その代償としておよそモダン・ピアノで達成される極限的なピアニズムの世界が展開されます。Prelude Nr.2の開始が、ここまで濁り無くどの声部も明白なピアノ演奏は知りません。これに較べればAshkenazyすら、雑に聞こえる程。演奏の隅々まで神経を張り巡らし、どんな小さな曲でも彫琢を尽くして仕上げる集中力の尋常でない点で、Gouldの歴史的演奏に唯一匹敵すると思います。そう簡単に理解できる演奏ではありませんが、繰り返し聞けば聞くほどその真価がひたひたと迫ってくる、孤高の名演奏です。Polliniが現在の健康状態を保っているうちに、ぜひ第2巻の演奏を届けて欲しいですね。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/27

    第1集(2,3,4番)と同様に現代PianoによるPartitaの最も素晴らしいCDと思います。Partitaは一曲一曲があまりに多様性が強いため、6曲通して素晴らしい演奏にはなかなかなりにくいのですが、誰が演奏しても一番印象が失敗ない1番はさておき、明らかなフランス風スタイルの表現がとんでもなく難しい5番での、これだけの素晴らしい演奏は稀ではないでしょうか。6番の考えようによっては最も情念的な世界の、Perahiaによる表現が、決定的なものかどうかは分からないところですが、Bachの音楽スタイルに誠実で最も美しい演奏の1つであることは間違いないでしょう。Partitaでこれだけ素晴らしい演奏ができるPerahiaには、ぜひイギリス・フランス組曲の録音も期待したいですね。

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     2009/09/27

    J.S.Bachの鍵盤組曲の後期に位置し最も多様で深いPartitaには、G.Gouldも極若い時期の不十分な録音しかなく、そのためもあってか、Pianoでのこの曲集の演奏には、これはと思えるものがありませんでした。Perahiaのこの演奏は現代Pianoによる、現時点で最もよいものではないでしょうか。しばらく前のGoldbergではまだ、Bachの音楽を現代Pianoのロマンティシズムに無理やり引き寄せるような演奏をしていたPerahiaですが、ここでは自分のスタイルをいったん置いても、Bachの音楽スタイルにはどんな演奏が相応しいか、謙虚に熟考した上で、Bachの音楽に寄り添ったこの上なく美しい演奏を実現させています。何より小手先ではどうにもならない、Partitaの深遠な世界で、Partita Nr.4/Alemandeのように、これだけ味わい深い音楽を奏でられるのは、音楽性と年輪の賜物でしょうか。PianoによるBachで十分第一にお薦めできるCDと思います。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/19

    この盤の指揮者はあくまでSimon Prestonなので、HMVの肩書きは間違いです。皆様、くれぐれも誤解なされぬよう。それはさておき、疑いなくPurcellの録音史上に輝く名盤で、初発売時から愛聴してますが、これほどPurcellの音楽の魅力をストレートに味わえる演奏は稀です。演奏は、Prestonの指揮、Oxford Christ Church Chorus、共演のPinnock/English concert、すべて、奥ゆかしく、静謐で気品に溢れ、しかも精緻で躍動感に富んでいて、ほぼ30年近く経た現在も全く色褪せておりません。他のどの大作曲家にもないH.Purcellならではの音楽を味わうなら、まず第一にお薦めしたいですね。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/08/08

    Abbadoはこの演奏に帰ってくることが出来て、どれ程嬉しかったのか、楽員・歌手含め、共演者もAbbadoとこの演奏が出来ることを、どれ程待っていたか。とにかく此れ程輝きと喜びに満ちあふれた「復活」は例がなく、Mahler Nr.2としてはやや異色かも知れませんが、音楽の若々しく生命力に溢れる様は比類が無い。こんなにも一音一音に演奏者全ての気迫と意志が篭った演奏は稀で、しかもそれは指揮者一個人の強烈な指示によって引っ張られて実現したのとは全く別物の、総意によって生まれた自発性の塊であることが、ひしひしと伝わって来ます。月並みな言い方だけれど、此れ程の友情と信頼に堅く結ばれた音楽は、あらゆる音楽ジャンルの中でも滅多に実感できるものでありません。全体のまとまり、精度などでChicago響との名盤に多少劣る面があっても、演奏者全員の総意と情熱、誠意、そして音楽することへの純粋な意志より、やはり記念碑的名演奏という他ありません。音楽の力を信じて共に生き続けることの素晴らしさを、しみじみと感じさせてくれます。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/07/26

    ほぼ30年前にこの演奏のLPを買いました。20歳そこそこの若造で、曲の真価も判らないままで、それでもこの演奏には涙しました。今回CDで10年ぶり位に聞きかえし、言えるのは、頻繁に聞いていたわけでなくとも、自分はこの曲、この演奏と共に生き、年を重ねてきたのだということです。今おそらく自分も人生の半ばを過ぎて判ってきたことは、この曲はどんなに日々辛いこと、苦しいことがあっても生き続けなければならない私たちへの、Mahlerのせめてもの慰め、贈り物なのですね。そしてKlempererのこの演奏!!たとえ将来、自分がいなくなっても、たとえ世界が、地球が滅びても、人間が生き続ける限り、無くなって欲しくない曲であり、演奏です。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 13人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/07/22

    おそらく現時点におけるMahler Nr.9の最も質の高い演奏と言えるでしょう。Karajanが軽くみている作品に対してよくみせる「適当にやってしまえ」的な要素は皆無で、作品に徹頭徹尾真面目に向き合い、作曲者の意図を具現するのに集中している。第1、4楽章はおそらく交響曲の分野でのKarajanの最高の遺産であり、特に第1楽章ではKarajanという音楽家にしては非常に珍しく、曲そのものへのシンパシーも伺われます。これで五つ星をつけなかったら、不公正というものでしょう....だが、この曲ばかりは本当に恐ろしい曲で、指揮者が徹頭徹尾曲に向かい合った結果、Karajanという人間そのものが露になってくる。従って、この立派な演奏に感動できないとすればそれは演奏に問題があるのではなく、音楽家と自分たちの間にあまりにも人間として重なるところがないことに起因するのでしょう。ヒトラーを感嘆させ、フルトヴェングラーを恐れさせ、20世紀音楽界に君臨した人間と、極東の片隅に細やかに生き続ける自分たちに、人間として共感するところがなくても、考えてみれば当たり前か....そんなことを考えさせられる意味深い演奏と思います。

    13人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/06/25

    Abbadoはこの演奏時、すでに死を予感していたのでしょうか?。この演奏が一般的な意味での名演奏であるかどうか、自分には評価する自信はありませんが、確かに言えることはこれだけ痛ましいMahler Nr.9は希有だということで、すべての楽章(第2,3楽章含めて)あまりにも優しく、悲しい。第3楽章の終結部など、こんなに激しい音楽でありながら、こんなにも慈愛と悲しみを放射する瞬間は、Mozartの最良の短調以外に思い当たりません。どんなに辛いことがあるのだろう?という程に、音楽が痛ましい。寡黙で自分のことを全く語らないAbbadoが、みせた数少ない自分のための叫びが曲全体、特に4楽章より聴こえるようです。この曲を演奏することでしか、救われない何かがあったのでしょうか。極めて個人的であり、そして感動的な記録と思います。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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